楽しく毎日:生涯現役社会づくり 習慣化②
2013年8月16日 お仕事 昨日の68回終戦記念日想い出やご意見を水上 久忠・高橋 育郎両理事から寄せられましたので、ご紹介します。また人生を楽しく毎日を過ごすために「生涯現役社会づくり」への習慣化にも励んでいただきたく、下記に田中 典生氏Facebook「未来を創るヒント」シリーズを転載させていただきます。
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皆 さ ん へ
私に取っては66歳の年です。終戦記念日という言うよりも敗戦日の気持ちになっています。
なんで、アメリカに負けてしまったのか?その後の日本の復興が正しくなっていないのは何故か?
戦後の日本政府とアメリカの占領政策のために日本人が日本をダメにしてしまっていると感じます。
どこかで、日本の次の世代のために、若い世代と一緒に戦前の良い日本の文化と伝統を再検討しながら、新しい時代に合わせて日本文化と伝統と制度を創造しなければなりません。
そこで、ライフ・ベンチャー・クラブとして何が出来るのか?
我々団塊世代の役割と居場所と生きがいをどのようにしたらいいのかを皆さんで決めて、行動をしなくてはなりません。そして企業定年予備軍や途中退職者や既に起業している団塊世代ともにこの「人口減少社会」になって生き残った日本人、とくに女性たちの潜在能力を引き出し、日本の復興と成長ために活用するように男性が名脇役や支援者や黒子になることが必要です。
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3愛ネットクラブ「人生・結婚相談所」水上久忠
NPO法人ライフ・ベンチャー・クラブ理事
日本結婚相談所連盟(加盟店番号 46215)
142-0063 東京都品川区荏原5-5-16-201
携帯電話:090-1406-4595
事務所兼自宅:Tel/Fax 03-3787-3476
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From: takahasiikuo
Sent: Thursday, August 15, 2013 10:44 PM
To: info@sgsk.net ; 水上久忠/mizukami
Cc: Joe Tomizawa ; itou koji
Subject: 終戦の日
皆 さ ん こ ん ば ん は。 8月15日は68回目の終戦の日です。
私は昭和20年8月15日のことは、あまりにも劇的で終生わすれることはできません。
このとき私は国民学校5年生の夏休みで、いつものように父の実家である埼玉県の北吉見村(現吉見町)で過ごしていました。実は父はタイの泰緬鉄道に軍属として派遣されていました。父のいない父の実家はやはりさびしく、切ないものがありました。
それは、別として前夜の10時頃でしたが、もう眠りに就いたころ空襲があって、敵機の爆音に目を覚ますと、伯父が庭に飛び出し、「空襲だ。皆起きて防空壕に避難しろ」と叫んでいます。私は跳び起きると防空頭巾をかぶり、一目散に防空壕へ駆け込みました。
親 いとこ 兄弟 総勢11人です。壕の中は雨水がたまり、蚊がブンブン飛び交っています。直接空襲を受けているのは隣の熊谷でした。焼夷弾が雨あられの如く、ガラガラと音をたてて降り注ぎ、地上はあかあかと燃えて炎が見えています。
狭い壕の中は耐えられず、直接の被害はないだろうと外へ出てきて、一団となって空を見上げていると、あっという間に敵機がやってきて頭上を飛んで行き、また悲鳴をあげて物陰に身をかくしました。
周囲は田んぼや畑。200メートルほど離れた家の近くに時限爆弾を落としていきました。
そして、これが最後の空襲となって、爆音はやみ、静けさが戻ってきました。
15日の朝は、また夏の青空が広がる変わらぬ景色。子供たちは、いつものように小川に出て水遊びに興じています。
夕刻、村役場に勤めている伯父さんはいつもより早めの帰宅。何かあったのか。
子供たちは勘を働かせ家までついて行くと、隣の叔父さんがやってきて、何事か深刻に話しをしています。子供たちはいつもと違う雰囲気に呑まれて遠巻きに眺めています。
すると伯父さんが近づいてきて「日本が負けたよ」と一言告げ、みな呆然として佇んでしまいました。昨夜の空襲で停電が続き、昼の玉音放送が聞けなかったのです。
私は夕食が胸につかえて喉を通りません。
「タイへ行っている父が果たして帰ってこられるのか。米鬼と呼ばれているアメリカ兵が上陸したら何をされるか分からない」こんな不安感に襲われていました。
16日も朝から上天気。青空が晴れわたって、きれいに澄み切っているのが印象的で何よりも慰めでした。
この日は帰ることにしました。問題は帰り道になる荒川の土手で、ここに落とされた時限爆弾が不発のまま横たわっていて、そこを通らなくてはいけないのです。それは怖い思いをしました。
帰りの列車には、もう熊谷の航空隊の兵隊が引き揚げていて、ほぼ満員の状態です。兵隊の一人が「坊や、伯父さんの膝に乗りなさい」といって、抱き上げてくれました。
大宮に着いて東武線に乗りかえると、すし詰めの満員で、しかも電車は動こうとしない。
冷房の車内は、ひといきれで余計に暑い。やっと動き出し、杉戸駅(東武動物公園)に辿りつき我が家に辿りつくと畳に仰向けになった。程よい風が流れ込み、この涼しさ。そして夕食時灯火管制から解放されて、電燈のもとで食べる夕食のおいしさに、平和の訪ずれを、しみじみ味わいました。いとこが、昨日の昼、玉音放送を学校に集まって皆で聞いた話をしました。
戦争は、もうこりごりだ。やっぱり平和はいい。心の中でそう叫んでいました。
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【 田中 典生/7月31日: 未来を創るヒント 】
何か変だと氣づきませんか。
時代があなたの先に行ってしまったと氣づきませんか。
経営の神様と言われた人が創業した会社すら苦しんでいる時代です。
10年後にも会社が存続し、そこに居場所と役割があるとなぜ言えるのですか。
城野 宏が「脳力開発」を提唱して30年以上経って、やっと時代が好ましい思考習慣を増やすことを要請しています。
幼児期に身につけた思考の悪癖のままでは時代に合わなくなっています。
このことに氣づいて、自ら燃えて輝く自燃の人の思考習慣を身につけた人なりませんか。
自分で一人で、半年だけなら「みらいノート」を採用するという社長さんがいます。
「みらいノート」の採用をお断りしました。
口約束を守らない習慣があり、あまりにも言っていることとやっていることが違うからです。
自分の経験だけがすべてだと思い込んでいたからです。
これからの時代は、社長が頑迷だと社員が不幸です。
社員がお客様より頑迷な社長を見て仕事をしています。
「みらいノート」は3人以上でお互いに励ましあえる環境で、最低3年以上の継続がお薦めの条件です。
「石の上にも3年」は続けないと好ましい思考習慣に再構築はできません。
習慣が先に変わらないと行動が変わらないから、人間は独りではなかなか変われないのです。
そして幼児期に身につけた思考習慣のままで、変える必要がない時代が長く続いてきました。
何か変だと氣づきませんか。
時代があなたの先に行ってしまったと氣づきませんか。
そろそろ時代に追いつき時代を追い越す必要性を感じていませんか。
感じていないなら「みらいノート」は不要だと思います。
ただ10年後の役割と居場所はないかも知れません。
好ましい思考習慣を増やす必要性は、
残念ながら役割と居場所が実際になくなってみないと分からないのでしょうか。
それでは氣づくのが遅いと思っています。 つづく
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皆 さ ん へ
私に取っては66歳の年です。終戦記念日という言うよりも敗戦日の気持ちになっています。
なんで、アメリカに負けてしまったのか?その後の日本の復興が正しくなっていないのは何故か?
戦後の日本政府とアメリカの占領政策のために日本人が日本をダメにしてしまっていると感じます。
どこかで、日本の次の世代のために、若い世代と一緒に戦前の良い日本の文化と伝統を再検討しながら、新しい時代に合わせて日本文化と伝統と制度を創造しなければなりません。
そこで、ライフ・ベンチャー・クラブとして何が出来るのか?
我々団塊世代の役割と居場所と生きがいをどのようにしたらいいのかを皆さんで決めて、行動をしなくてはなりません。そして企業定年予備軍や途中退職者や既に起業している団塊世代ともにこの「人口減少社会」になって生き残った日本人、とくに女性たちの潜在能力を引き出し、日本の復興と成長ために活用するように男性が名脇役や支援者や黒子になることが必要です。
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3愛ネットクラブ「人生・結婚相談所」水上久忠
NPO法人ライフ・ベンチャー・クラブ理事
日本結婚相談所連盟(加盟店番号 46215)
142-0063 東京都品川区荏原5-5-16-201
携帯電話:090-1406-4595
事務所兼自宅:Tel/Fax 03-3787-3476
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From: takahasiikuo
Sent: Thursday, August 15, 2013 10:44 PM
To: info@sgsk.net ; 水上久忠/mizukami
Cc: Joe Tomizawa ; itou koji
Subject: 終戦の日
皆 さ ん こ ん ば ん は。 8月15日は68回目の終戦の日です。
私は昭和20年8月15日のことは、あまりにも劇的で終生わすれることはできません。
このとき私は国民学校5年生の夏休みで、いつものように父の実家である埼玉県の北吉見村(現吉見町)で過ごしていました。実は父はタイの泰緬鉄道に軍属として派遣されていました。父のいない父の実家はやはりさびしく、切ないものがありました。
それは、別として前夜の10時頃でしたが、もう眠りに就いたころ空襲があって、敵機の爆音に目を覚ますと、伯父が庭に飛び出し、「空襲だ。皆起きて防空壕に避難しろ」と叫んでいます。私は跳び起きると防空頭巾をかぶり、一目散に防空壕へ駆け込みました。
親 いとこ 兄弟 総勢11人です。壕の中は雨水がたまり、蚊がブンブン飛び交っています。直接空襲を受けているのは隣の熊谷でした。焼夷弾が雨あられの如く、ガラガラと音をたてて降り注ぎ、地上はあかあかと燃えて炎が見えています。
狭い壕の中は耐えられず、直接の被害はないだろうと外へ出てきて、一団となって空を見上げていると、あっという間に敵機がやってきて頭上を飛んで行き、また悲鳴をあげて物陰に身をかくしました。
周囲は田んぼや畑。200メートルほど離れた家の近くに時限爆弾を落としていきました。
そして、これが最後の空襲となって、爆音はやみ、静けさが戻ってきました。
15日の朝は、また夏の青空が広がる変わらぬ景色。子供たちは、いつものように小川に出て水遊びに興じています。
夕刻、村役場に勤めている伯父さんはいつもより早めの帰宅。何かあったのか。
子供たちは勘を働かせ家までついて行くと、隣の叔父さんがやってきて、何事か深刻に話しをしています。子供たちはいつもと違う雰囲気に呑まれて遠巻きに眺めています。
すると伯父さんが近づいてきて「日本が負けたよ」と一言告げ、みな呆然として佇んでしまいました。昨夜の空襲で停電が続き、昼の玉音放送が聞けなかったのです。
私は夕食が胸につかえて喉を通りません。
「タイへ行っている父が果たして帰ってこられるのか。米鬼と呼ばれているアメリカ兵が上陸したら何をされるか分からない」こんな不安感に襲われていました。
16日も朝から上天気。青空が晴れわたって、きれいに澄み切っているのが印象的で何よりも慰めでした。
この日は帰ることにしました。問題は帰り道になる荒川の土手で、ここに落とされた時限爆弾が不発のまま横たわっていて、そこを通らなくてはいけないのです。それは怖い思いをしました。
帰りの列車には、もう熊谷の航空隊の兵隊が引き揚げていて、ほぼ満員の状態です。兵隊の一人が「坊や、伯父さんの膝に乗りなさい」といって、抱き上げてくれました。
大宮に着いて東武線に乗りかえると、すし詰めの満員で、しかも電車は動こうとしない。
冷房の車内は、ひといきれで余計に暑い。やっと動き出し、杉戸駅(東武動物公園)に辿りつき我が家に辿りつくと畳に仰向けになった。程よい風が流れ込み、この涼しさ。そして夕食時灯火管制から解放されて、電燈のもとで食べる夕食のおいしさに、平和の訪ずれを、しみじみ味わいました。いとこが、昨日の昼、玉音放送を学校に集まって皆で聞いた話をしました。
戦争は、もうこりごりだ。やっぱり平和はいい。心の中でそう叫んでいました。
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【 田中 典生/7月31日: 未来を創るヒント 】
何か変だと氣づきませんか。
時代があなたの先に行ってしまったと氣づきませんか。
経営の神様と言われた人が創業した会社すら苦しんでいる時代です。
10年後にも会社が存続し、そこに居場所と役割があるとなぜ言えるのですか。
城野 宏が「脳力開発」を提唱して30年以上経って、やっと時代が好ましい思考習慣を増やすことを要請しています。
幼児期に身につけた思考の悪癖のままでは時代に合わなくなっています。
このことに氣づいて、自ら燃えて輝く自燃の人の思考習慣を身につけた人なりませんか。
自分で一人で、半年だけなら「みらいノート」を採用するという社長さんがいます。
「みらいノート」の採用をお断りしました。
口約束を守らない習慣があり、あまりにも言っていることとやっていることが違うからです。
自分の経験だけがすべてだと思い込んでいたからです。
これからの時代は、社長が頑迷だと社員が不幸です。
社員がお客様より頑迷な社長を見て仕事をしています。
「みらいノート」は3人以上でお互いに励ましあえる環境で、最低3年以上の継続がお薦めの条件です。
「石の上にも3年」は続けないと好ましい思考習慣に再構築はできません。
習慣が先に変わらないと行動が変わらないから、人間は独りではなかなか変われないのです。
そして幼児期に身につけた思考習慣のままで、変える必要がない時代が長く続いてきました。
何か変だと氣づきませんか。
時代があなたの先に行ってしまったと氣づきませんか。
そろそろ時代に追いつき時代を追い越す必要性を感じていませんか。
感じていないなら「みらいノート」は不要だと思います。
ただ10年後の役割と居場所はないかも知れません。
好ましい思考習慣を増やす必要性は、
残念ながら役割と居場所が実際になくなってみないと分からないのでしょうか。
それでは氣づくのが遅いと思っています。 つづく