本日付日経記事:双葉町記録/Net発信
2015年5月23日 お仕事 昨日付メールで井上 仁会員よりフクシマ復興応援活動のこれまで一年間を振り返っての丁重な代表ご挨拶をいただきましたが、奇しくも本日付で下記のような双葉町記録のNet発信に関する今後の関係者特修記事をみかけましたので、転載ご紹介させていただきます。
******************************************************************
【 2015/05/23付 日本経済新聞朝刊特集:福 島 の あ す 欄 】
双 葉 町 の 記 録 ネ ッ ト 発 信 /
希 望 見 い だ す 原 点 に
筑波大学教授 白井 哲也氏
〔白井 哲也(しろい・てつや)氏 プロフィール〕神奈川県出身。明治大院修了。埼玉県教育委員会に入り、県の文書館、博物館、文学館の学芸員を歴任.現在、筑波大図書館情報メディア系教授。52歳。
東京電力福島第一原子力発電所事故による全町民の避難が続く双葉町を対象に、町民の避難生活や町役場の取り組みが進んでいる。4月からは保全した資料を公開するホームページ(HP)が立ち上がった。活動に関わる筑波大学の白井哲也教授に、未曽有の災害に直面した際の記録保全の重要さについて聞いた。
Q-----双葉町の記録保全HP「福島県双葉町の東日本大震災関係資料を将来へ残す」に携わるきっかけはなんですか。
「福島県の太平洋沿岸部の歴史的な文書保存に関わる人との交流を経て、双葉町教育委員会の生涯学習係長の吉野高光氏と知り合ったのがきっかけだった。双葉町民約1200名が3度目の避難先として旧埼玉県立騎西高校校舎に避難した後、2012年末に吉野氏を校舎に訪ねた」
「町内の文化財資料の保全は放射線量が高くできない。それならば後の教訓にもなる町民の被害、避難の経緯など震災と原発事故によって起きた記録を保全しようという方針が決まった」
Q------どのような資料が保全されるのですか。
「避難の過程でも国内外からの支援品や様々な記録文書をできる限り保存しておくという町の方針があり、例えば千羽鶴といった贈り物も60点保存できた。炊き出しの記録も残っていた」
「しかし避難所での役場機能をいわき市に13年6月に移転する計画が決定し、移転先のスペースの問題で、保管資料は必要最低限のもの以外は廃棄される傾向にある。大学と町は6月に資料保全と調査研究に関する連携協定を結んだが、3月末からの実質2カ月で多くのボランティアに参加してもらい、保全活動を進めた」
Q-------HPではどんなものから公開していますか。
「騎西高校や一部承諾を得られた人の避難所で撮影した写真が数千枚ある。役場機能があった部屋の壁に残っているもの、役場が処分を決めたものも箱を用意して保全した。こうした資料は4トントラック満杯になる量で、筑波大学構内に運び込み、順次分析、整理するが、まず最初に公開しようと考えたのは各地からの支援品の類いだ」
「双葉町出身で活動に携わる男子学生が支援品の記録を見て、『こんなに双葉町民が全国から応援されているとは思ってもみなかった』と語った。避難所で暮らしていても支援品を見ていない人もいるし、全国に分散して避難生活を送っている人に知らせることも励みにつながると思う」
「避難所における人々の日常生活、避難所の運営方法、役場はどんな役割を果たしたのかを残された文書や遺品などから復元していく。被災者の視線と外からのまなざしである支援品を保全して分析することでこの大災害は何だったのかを考えることができる」
「将来の災害を防ぐことはできないが、被災後に人々が受ける精神的なダメージを低減し、健康で文化的な生活を送るために必要なことは何かのヒントが導き出せるはずだ」
Q-------今後の課題は。
「英語版のHPを作成する。この大災害で何が起きたのかを知りたがっているのはむしろ海外かもしれない。世界の人々の関心をつなぎ留めれられれば、被災しながらも生きている人がいるのを忘れさせないことになると期待している」
「さらに仮設住宅など避難生活の記録や、放射線量の高さから立ち入り禁止になっている震災当時の状況を記録する必要もある。将来の展望が見えない時、人は自分たちの出発点を大事にする。原点に希望を見いだすかもしれない」(聞き手は郡山支局長 小林 隆)
******************************************************************
【 2015/05/23付 日本経済新聞朝刊特集:福 島 の あ す 欄 】
双 葉 町 の 記 録 ネ ッ ト 発 信 /
希 望 見 い だ す 原 点 に
筑波大学教授 白井 哲也氏
〔白井 哲也(しろい・てつや)氏 プロフィール〕神奈川県出身。明治大院修了。埼玉県教育委員会に入り、県の文書館、博物館、文学館の学芸員を歴任.現在、筑波大図書館情報メディア系教授。52歳。
東京電力福島第一原子力発電所事故による全町民の避難が続く双葉町を対象に、町民の避難生活や町役場の取り組みが進んでいる。4月からは保全した資料を公開するホームページ(HP)が立ち上がった。活動に関わる筑波大学の白井哲也教授に、未曽有の災害に直面した際の記録保全の重要さについて聞いた。
Q-----双葉町の記録保全HP「福島県双葉町の東日本大震災関係資料を将来へ残す」に携わるきっかけはなんですか。
「福島県の太平洋沿岸部の歴史的な文書保存に関わる人との交流を経て、双葉町教育委員会の生涯学習係長の吉野高光氏と知り合ったのがきっかけだった。双葉町民約1200名が3度目の避難先として旧埼玉県立騎西高校校舎に避難した後、2012年末に吉野氏を校舎に訪ねた」
「町内の文化財資料の保全は放射線量が高くできない。それならば後の教訓にもなる町民の被害、避難の経緯など震災と原発事故によって起きた記録を保全しようという方針が決まった」
Q------どのような資料が保全されるのですか。
「避難の過程でも国内外からの支援品や様々な記録文書をできる限り保存しておくという町の方針があり、例えば千羽鶴といった贈り物も60点保存できた。炊き出しの記録も残っていた」
「しかし避難所での役場機能をいわき市に13年6月に移転する計画が決定し、移転先のスペースの問題で、保管資料は必要最低限のもの以外は廃棄される傾向にある。大学と町は6月に資料保全と調査研究に関する連携協定を結んだが、3月末からの実質2カ月で多くのボランティアに参加してもらい、保全活動を進めた」
Q-------HPではどんなものから公開していますか。
「騎西高校や一部承諾を得られた人の避難所で撮影した写真が数千枚ある。役場機能があった部屋の壁に残っているもの、役場が処分を決めたものも箱を用意して保全した。こうした資料は4トントラック満杯になる量で、筑波大学構内に運び込み、順次分析、整理するが、まず最初に公開しようと考えたのは各地からの支援品の類いだ」
「双葉町出身で活動に携わる男子学生が支援品の記録を見て、『こんなに双葉町民が全国から応援されているとは思ってもみなかった』と語った。避難所で暮らしていても支援品を見ていない人もいるし、全国に分散して避難生活を送っている人に知らせることも励みにつながると思う」
「避難所における人々の日常生活、避難所の運営方法、役場はどんな役割を果たしたのかを残された文書や遺品などから復元していく。被災者の視線と外からのまなざしである支援品を保全して分析することでこの大災害は何だったのかを考えることができる」
「将来の災害を防ぐことはできないが、被災後に人々が受ける精神的なダメージを低減し、健康で文化的な生活を送るために必要なことは何かのヒントが導き出せるはずだ」
Q-------今後の課題は。
「英語版のHPを作成する。この大災害で何が起きたのかを知りたがっているのはむしろ海外かもしれない。世界の人々の関心をつなぎ留めれられれば、被災しながらも生きている人がいるのを忘れさせないことになると期待している」
「さらに仮設住宅など避難生活の記録や、放射線量の高さから立ち入り禁止になっている震災当時の状況を記録する必要もある。将来の展望が見えない時、人は自分たちの出発点を大事にする。原点に希望を見いだすかもしれない」(聞き手は郡山支局長 小林 隆)