そ の 後 の 私 を 律 す る  “  行 動 指 針  ”  と な る

  その後、私は情勢判断学会の実行委員として、世話役を引き受けることになり、そこで出会い、ふれあった人たちの協力によって、ライフ・ベンチャー社の設立に漕ぎつけることができたわけだが、それもこれも、自分の手・足・口をフルに活用し、新しい出会いを大切にしようという脳力開発の手法のたまものであったと思っている。

  脳力開発にはじめて出会った箱根の大会は、私にとって、人生の後半を左右するほどの画期的なものであった。もちろん、脳力開発の技法がそれ以後の私の言動を律する “ 行動指針 ” となったことはいうまでもない。

  脳力開発の主唱者である城野先生とは、そのあと面識を得て、親しく接していただけるようになり、私の志向するライフ・ベンチャーに指導と助言を与えてもらう師となっていただいた。

  当初は、やはり、川岸の向こうに存在する “ 遠くて大きな先生 ” の感が強く、いかなあつかましい私でも少し臆するものがあった。

  しかし、不思議なもので、こちらが近づこうと努力すれば、その距離が見る間に縮まり “ 年下の友人 ” としての知遇を得られるものなのである。これも、一重に脳力開発の実践のおかげとといってよいかも知れない。

  城野先生には、年齢を感じさせない若さが漲っている。その特異な体験により極限の状況を会得したせいか、恐いものなしの活躍ぶりである。モノよりも、人や心のありどころに執着を覚えるようなタイプの意欲の人である。

  とくに、自己体験された脳力開発や情勢判断学を、自分の “ 塔 ” に閉じ込めてそそり立つのではなく、それを一つでも一人でも多くに活用させようと情熱を傾け、全国をとびまわっておられる。そんな城野先生の、自ら脳力開発を実践し続ける姿に、私は “ 男のロマン ” を感じてならない。  つづく