「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:39
2015年5月5日 お仕事 ◎ 健 康 に 勝 る も の な し !!
“ 死に損ない ”の体験が、私にもある。
人は、その人生で、一つや二つの“ 大病 ”に出会うものなのかも知れない。
昭和四十三年、証券不況のあと合併による新生N証券として発足後、私は桐生支店長代理として赴任することになった。そこで私が注力した仕事は、東京電力営業所を拠点に、電力社債の販売ルートを確立することにあった。それまでにも、たびたび転勤して新しい内容の仕事に従事していたが、自分のアイデアを活かして社債のルート販売を積極的に行なうことは初めてだった。
証券マンとして一人でコツコツ営業に歩くことに加えて、今度は、社外協力者を組織化していく必要があった。新しい部門への挑戦には、やり甲斐はあったが、それだけに緊張もし心身の疲労を覚えることも少なくなかった。
たまたま、桐生支店への転勤の年は、妻の初出産を控えていた。身重のまま、大阪から桐生まで連れ回すことは最初から無理な相談だった。私は“ 単身赴任 ”を決意した。週末に、洗濯物の荷物を抱えてトンボ返りすることは距離的にとてもできなかった。が、会社の業務命令となれば、いたしかたのないことだった。
うしろ髪をひかれる思いの単身赴任だったが、そんなストレスと単身赴任の疲れが影響してか、私自身が桐生に着任して引っ越し荷物を片付ける間もなく、盲腸炎を起こしてしまった。
はじめのうちは軽い腹痛ぐらいに思って、仕事に向かっていた。無理は承知だったが、目の前には次から次へとこなしていかなければならない課題が山積していた。なにくれなく身体を思い気を遣ってくれる妻はいなかったし、食事もほとんど外食で、その時間も不規則だった。とうとう盲腸の痛みに耐えかねて、手術のために入院した時は、すでに手遅れの状態になっていた。腹膜炎を併発して、その場で絶対安静を命じられてしまったのだ。
すぐにも出産しそうな大阪の妻に、ありのままの症状を伝えるわけにもいかず、“ ちょっと盲腸をこじらしただけ ”と簡単に報告しておいたが、妻も心細かっただろうと思う。
結局、五月から七月まで入院して療養する羽目になってしまったが、周囲の人たちに“ 再起できないのではないか ”と心配されながら、この大病の間中、私は一人で病室の天井を眺めながら、いろいろなことを考えていた。無我夢中で突っ走ってきた仕事のこと、六月に生まれたばかりの長女のこと、そして家族や家庭について、さらには、死に損なって初めて知った健康のありがたさなど、しんみりした思いで、考えをめぐらせていた。 つづく
“ 死に損ない ”の体験が、私にもある。
人は、その人生で、一つや二つの“ 大病 ”に出会うものなのかも知れない。
昭和四十三年、証券不況のあと合併による新生N証券として発足後、私は桐生支店長代理として赴任することになった。そこで私が注力した仕事は、東京電力営業所を拠点に、電力社債の販売ルートを確立することにあった。それまでにも、たびたび転勤して新しい内容の仕事に従事していたが、自分のアイデアを活かして社債のルート販売を積極的に行なうことは初めてだった。
証券マンとして一人でコツコツ営業に歩くことに加えて、今度は、社外協力者を組織化していく必要があった。新しい部門への挑戦には、やり甲斐はあったが、それだけに緊張もし心身の疲労を覚えることも少なくなかった。
たまたま、桐生支店への転勤の年は、妻の初出産を控えていた。身重のまま、大阪から桐生まで連れ回すことは最初から無理な相談だった。私は“ 単身赴任 ”を決意した。週末に、洗濯物の荷物を抱えてトンボ返りすることは距離的にとてもできなかった。が、会社の業務命令となれば、いたしかたのないことだった。
うしろ髪をひかれる思いの単身赴任だったが、そんなストレスと単身赴任の疲れが影響してか、私自身が桐生に着任して引っ越し荷物を片付ける間もなく、盲腸炎を起こしてしまった。
はじめのうちは軽い腹痛ぐらいに思って、仕事に向かっていた。無理は承知だったが、目の前には次から次へとこなしていかなければならない課題が山積していた。なにくれなく身体を思い気を遣ってくれる妻はいなかったし、食事もほとんど外食で、その時間も不規則だった。とうとう盲腸の痛みに耐えかねて、手術のために入院した時は、すでに手遅れの状態になっていた。腹膜炎を併発して、その場で絶対安静を命じられてしまったのだ。
すぐにも出産しそうな大阪の妻に、ありのままの症状を伝えるわけにもいかず、“ ちょっと盲腸をこじらしただけ ”と簡単に報告しておいたが、妻も心細かっただろうと思う。
結局、五月から七月まで入院して療養する羽目になってしまったが、周囲の人たちに“ 再起できないのではないか ”と心配されながら、この大病の間中、私は一人で病室の天井を眺めながら、いろいろなことを考えていた。無我夢中で突っ走ってきた仕事のこと、六月に生まれたばかりの長女のこと、そして家族や家庭について、さらには、死に損なって初めて知った健康のありがたさなど、しんみりした思いで、考えをめぐらせていた。 つづく