真 近 に 迫 っ た 定 年 後 対 策 と し て

  昨今のサラリーマンを取りまく環境には、厳しいものがある。とくに定年に近い熟年を迎えたサラリーマンには、酷なほどの状況が現出している毎日である。

  すでに、日本型年功序列は過去のものとなり、そこへの “ 安住 ” は許されていない。日本における定年退職は、決して “ ハッピー・リタイアメント ” ではなく、条件劣化を覚悟の上で、再就職に走り回らねばならないときだやってくるだろう。

  長寿社会の到来で、老齢年金の社会負担率についても自ずから限度が見えてきた。昭和七十五年には生産年齢人口の三人強で一人の老齢者を扶養しなければならなくなるのだ。

  一方で、核家族によって、将来の家族制度は崩壊し、老後を子どもに依存することは無理からぬ相談である。加えて、中高年層の離婚は増大し、定年後まもなくの自殺等も、じりじりと上昇している。

  「四十代で仕事に打ち込んで、何かをなしとげる人間でないと、五十歳を過ぎてからは組織の “ 寄生虫 ” となってしまう 」と、広言してはばからない企業経営者もいるほどだ。

  いわば、長生きするにもある種の覚悟が必要という時代に入ったのである。

  こうした現代だからといって、しかし、誰かが同情して助けてくれるわけではない。他人頼りの人生ほど、みじめで “ ネクラ ” を助長するものはない。“ 寄生虫 ” などまっぴらごめんである。“ 神は、自ら助けるものを助く ” なのである。

  そのためには、サラリーマンは常に、定年で失うものを自覚した上で、平素からの実力養成が必要になってくる。

  ビジネスマンとしての私は、この世に生を受けた以上、常に価値ある存在として、かけがえのない人間であるはずだ。自分だけにしか与えられていない人生を充実できる者は幸福である。そして、人は生まれてから死ぬるまで、絶ゆまず心豊かに成長し続けてこそ幸せな老後が実現できるはずだ。

  はっきりした人生目標とライフ・プランのもとで、こうした信念と自信を日々、行動で示すことこそ、わがベンチャー精神の実践なのである。毎日の生活の充実は、ベンチャー意欲の発揮によって約束される。熟年にして、己れの志と信念が確立され、なお、“ わが人生かくあるべし ” の決意が保てることは、大きな生き甲斐ではなかろうか。

  こうした人間としての “ 自立精神 ” は、定年間際になって、企業内失業者にならないためにも不可欠なものである。サラリーマンとして自立するためには、他者に頼らない“ 自助努力 ” が肝心であることはいうまでもない。

  自助努力といっても、何も特別なことではない。ビジネスマンとして精神的、身体的、生活的な自立をめざして、ありとあらゆる努力を自分自身に課すことに他ならないのだ。

  だから、ライフ・ベンチャーのもう一つの意義は、この自助努力に助言と指導を与え、相互に励まし合う場を提供し、その努力を長期的に支援することが大きな役割なのである。この自助努力の汗が、自分の内部に “ 脳力 ” として結晶できたときが、その人がベンチャー・マンとして成功した時なのである。

  自助努力の “ 脳力開発 ” とは、サラリーマンのための “ 老齢化防止 ” の対策であり、真近に迫った “ 定年後 ” 対策の対症療法、といってもいい。また、いつまでも青年のような “ 若さ ” を保つ精神療法でもある。

  私も、これからの夢ある人生を、決して無駄にすることなく、一人でも多くの人と喜びをともにし、感謝の祈りを捧げ、人間としてお互いに励まし合う充実した日々を、心から送りたいと思う。

  「信念」と「自信」と、「希望」とを、わが友として・・・。   つづく