◎  サ ラ リ ー マ ン ・ サ バ イ バ ル 戦 略

  これからの企業経営には、全従業員に希望をもたす経営者の明確なヴィジョンが不可欠である。激しく流動し、混迷する企業環境のなかで、経営者がポリシーを確立し、それが全社員に納得できる形でのシステムづくりが必要とされている。

  それに沿うための人材養成にしても、従来の社内集団的研修によるだけではなく、担当業務のレベルアップのみにこだわらない全人的な能力開発や、社内だけにとどまらず、社外でも活躍できる人材の活用が求められている時代なのである。

  低成長下でも業績を伸ばしている企業は、平素からそうした人材活用への目配りを忘れてはいない。企業の設備投資や資金の活用以外に、人的資産である“ 人材の活性化 ”こそが、現在、声を大にして叫ばれているのである。いわば、形の見えるハードから形の見えないソフトへと、社会は確実に歩み出しているのだ。

  こうした時代に、会社からいわれるまでもなく自ら進んで能力を開発し、自己啓発の手だてを講じない限り、サラリーマンとしては取り残されるばかりである。

  人間には、一生かかっても使い切れないすばらしい脳細胞を、みな等しく授かっているといわれる。そのもてる自分の脳力を活かし切るところに、その人の値打ちが輝やき、サラリーマンとしての評価も称されるのではなかろうか。

  私は、五年前、ちょうど四十五歳を過ぎたときに、“ 壮年メイフラワー・カレッジ ”なるものを空想したことがある。あの夢と信仰に燃えてアメリカに渡った「メイフラワー号」の人たちと同じように、壮・高年になっても生き甲斐を語り合う夢があっていいと思ったのである。

  つまり、“ 壮年の夢 ”を何ものにもとらわれず、てらいもなく語り合うことのできる“ 私設大学 ”である。その夢を単に自分だけのアドバルーンに終わらせないためにも、私は社外勉強会でその夢を育てていこうと思い立った。

  少人数ではあったが、毎月、開催される社外勉強会に出席すると、いい壮年たちが、心おきなく少年のような夢を交わし合っているものである。夢いっぱいのキャビンは、くつろげる喫茶店であったり、安い料金で借りられる区民会館でもあった。

  ビジネスや会社にとらわれない、自由な青壮年たちの集まりだったので、肩の力が抜けて、ストレスの解消になった。それ以上に、ふだんは喋らない人が、こんな夢をもっていたのかという人間再発見の驚きと、お互いに啓発される喜びとが大きかった。

  毎日仕事に駆り立てられる私にとって、私自身の秘めやかな“ メイフラワー・カレッジ ”は、一つのオアシスのように感じられた。そこで知り合った何人かの友人とは、実に初々しい心の友として、いまでも付き合いが続いている。   つづく