◎  変 化 こ そ 絶 好 の チ ャ ン ス な り !

  証券界に身をおいた十五年間は、高度成長下での変化の激しい時代だった。入社して四、五年もすると、仕事もおおよそ覚え、配属先も、ひんぱんに変わるようになる。私も、営業課配属になり、次々と地域別に特別新規開拓班を編成しては、証券セールスを展開していた。

  その間、二年間だったが、私は企業内組合であるN証券労働組合の執行副委員長として、労働組合活動の運営に参加したこともある。組合運動を通じて、他の証券会社の情報を収集して分析してみると、概して証券界が大蔵省管轄下にあって横並び経営を強いられる故か、営業努力の割にその成果が反映してないことを知り、思わず義憤を覚えたものである。

  証券界は、証券市場を上手に利用している発行会社と投資家のためになる健全な姿がある一方で、やはりドロドロした凄味ある人間たちが、血みどろとなって蠢いている世界でもあった。

  私は、三十歳の支店長代理として営業セールスの責任を分担するようになっていたが、それまでにも、数多くの“ 変転 ”するドラマを、目のあたりにしていた。

  岩戸景気に証券不況、ニクソン・ショックなど変化のたびに、過剰なノルマに押しつぶされて、とうとう脱落していった気の弱い証券マンの“ 元同僚 ”は何人もいる。また、正直いって、顧客への財産づくりアドバイザーには不適格と思えるような先輩が、自分でもできないことを、しどろもどろになってアドバイスするなどはザラにあった。紺屋の白袴もいいところだ。さらに、私利私欲に目がくらんでか、手張りに失敗した証券マンが業界追放の憂目にあう姿は、悲惨でもあった。

  もちろん、一時は“ マスコミの寵児 ”と騒がれ、何億単位の金を手にしても“ おごる平家は久しからず ”で、瞬く間に証券市場から消えてしまった相場師たちは数知れない。

  身近かに証券事故が起こるたびに、それをケース・スタディとして、人生を間違った金銭観で失敗すべからずと、人相の見方を論議し合ったりしたこともあるほどだ。

  いずれの場合も、変化の速さや浮き沈みの激しさに追いつけないところに、その原因があるように思えた。時代の流れの先を読む習慣と正しい金銭観がどれほど大切であるか、つくづくと痛感せざるを得なかった。そして、その変化はすべてチャンスに通ずるのだ。さらには、その変化を鋭くさぐりあてるアンテナが、証券界ではとくに重要なのである。   つづく