上勝町の居場所・得意技を発揮する地域「生涯現役社会づくり」で「葉っぱビジネス」創設者として艱難辛苦の20有余年、「彩」事業を見事に成功させたのが横石知二氏その人です。

  彼独特の『生涯現役社会づくり』着想がその後に数多くの全国各地からの見学者視察で集め、徳島県上勝町の特定地域だけに止まらない超高齢社会日本への課題解決策に発展してきたところが、同氏著『生涯現役社会のつくり方』は一段と輝きます。

  それは、特に“ 必要とされる人間になる ”という、人生長寿時代到来で長らく人間業を営んできた高齢者の尊厳に不可欠な彼の言葉が重要だからです。20年有余の臥薪嘗胆・試行錯誤の貴重な実績・成果を生んだ「彩」事業をバックに発言できる威力があるからです。

  元気に働いている上勝の高齢者を見て思うのは、日本の医療・福祉の着想が、医療・介護福祉制度の域を出ず、「産業福祉」という高度成長の可能性を秘めた高齢者の尊厳と病気にさせない積極思考の方向からずれていないか?という全く同感の、率直な同氏ご意見です。

  働ける場所や機会は、現状超高齢日本社会に非常に少ない。だからやむなく高齢者は年金に頼って暮らさざるを得ない実情に甘えています。なかにはむしろそれが好都合だと家にいても何もしない「風呂,メシ、寝る」と指図する産業廃棄化ご老人もいるでしょう。

  しかしその居場所が家族にも定年後いつまでも放任され、やるべき仕事を見いだせず、社会、近隣とのつながりとなる機会、接点を創り出せない戦後派個人主義教育が産んだ自己チュウ世代層の無責任社会で超高齢日本社会は存続できるかです。

  その風潮に流される家庭や学校で育てられ、社会貢献の真意をわきまえない自社本位の社畜化された企業風土で“ 人生いかにいくべきか ”を学ぶゆとりもなく人生を過ごせば、一体自分や次世代の子どもに何を残せるか?未来への夢や希望を示せる高齢者像が示せません。

  夢や希望のない老後人生では、心身不調の原因を多分外部に責任転嫁して、安易な病院利用や介護福祉施設の濫用に頼り、無駄な社会資産の浪費者になりかねません。そうなる前に、高齢者を心身不調の病気にさせない手段がもっとあるのではないかと横石氏や私どもは主張するのです。

  横石氏は「彩」事業を20数年やってきて、いまになって初めて上勝の高齢者たちが「必要とされる自分」「社会とつながっている自分」を担っていることの素晴らしさ・・・に気付いて驚いていると、自著に書かれています。

  よその町とは全然違うし、昔の上勝町の高齢者とも違う。今までこんなことは考えたこともなかったのですが、当然に全日本人の後期高齢者問題を考えている中で、ハッと気付かされたといいます。

  「彩」仲間の皆さんが葉っぱを売ることで、おカネ儲けももちろんですが、自分たちの中で連帯してやらないといけない使命感が生まれ、互いに心身に気を付ける習慣ができて、その効果の大きさが発見できる・・・というプラス思考の循環、これが実にお見事なのです。  つづく