「生涯現役社会のつくり方」の意見・提言⑨
2013年12月13日 お仕事 葉っぱや花を栽培して採集、パック詰めの『彩』という事業は、「軽い」「きれい」「コツコツ」の3拍子がそろう女性・高齢者向け最適の仕事だ・・・と横石氏は表現しています。
その3拍子を揃えた仕事なら売る商品価値が他所で認められるなら、上勝町での現状で可能な起業条件を十分に満たせる。だから家事以外にすることのなかった女性・高齢者の出番創設のおカネ稼ぎが、上勝町に大変化をもたらし始めたのです。
葉っぱ販売市場開拓への横石氏の全力投球と並行して、事業開始から1年半後の1988年(昭和63年)には生産農家が44軒に増えて、遂に同年4月には農協に「彩部会」という生産者農家組織が結成されました。
葉っぱ事業の本格化で、これまで仕事のなかった人たちも皆忙しく働くようになり、愚痴や悪口などを話合う暇などなくなり、病院にも余りいかなくなった結果、一人当たりの上勝町老人医療費は年間63万円と徳島県内24市町村で同町が最少になったということです。
やがて「彩部会」参加農家は200軒を超え、平均年齢が70歳以上の女性たちでも光ファイバーのインターネットにつながるパソコン操作ができ、その脳力発揮が驚くような収入にもなり、70歳~80歳になっても自分の経験や得意技を活した生涯現役で働く、将に「好期」高齢者が輩出したのです。
横石知二氏は20数年間というもの、なぜ自分たちの生まれ育った郷土を悪く云い、辞意分の子どもたちにどうして町を出ていくことを勧めるのか、ひたすらそれに腹立ちを感じました。そこで“この上勝で食えなきゃいかんのだ ”と思い定め、みんなに仕事があることが大事だと悟りました。
その怒りの原動力が葉っぱビジネスを発足させました。20数年間もの七転八倒を経た事業が軌道に乗り、高齢の女性たちもしっかり稼げるようになってくると、過疎町の再生につながり、地元高齢者が元気になって、いまでは国全体の後期高齢者医療制度に腹が立って来たといいます。
というのは、どうしてわが国が高齢者を「姥捨て山」にするような制度を始めたのか。この制度は医療費が増大している結果への短絡的対策だと思うのです。それは医療費抑制の根本的解決策を計る制度ではありません。
現状の老人医療費抑制策は、日本の「後期」高齢者が当然増えることに真の国益向上や国民に将来への夢と希望を産むような脳力発揮の哲学がありません。換言すれば上勝で見せられた『生涯現役社会づくり』を創造する目的が欠如しているのです。 つづく
その3拍子を揃えた仕事なら売る商品価値が他所で認められるなら、上勝町での現状で可能な起業条件を十分に満たせる。だから家事以外にすることのなかった女性・高齢者の出番創設のおカネ稼ぎが、上勝町に大変化をもたらし始めたのです。
葉っぱ販売市場開拓への横石氏の全力投球と並行して、事業開始から1年半後の1988年(昭和63年)には生産農家が44軒に増えて、遂に同年4月には農協に「彩部会」という生産者農家組織が結成されました。
葉っぱ事業の本格化で、これまで仕事のなかった人たちも皆忙しく働くようになり、愚痴や悪口などを話合う暇などなくなり、病院にも余りいかなくなった結果、一人当たりの上勝町老人医療費は年間63万円と徳島県内24市町村で同町が最少になったということです。
やがて「彩部会」参加農家は200軒を超え、平均年齢が70歳以上の女性たちでも光ファイバーのインターネットにつながるパソコン操作ができ、その脳力発揮が驚くような収入にもなり、70歳~80歳になっても自分の経験や得意技を活した生涯現役で働く、将に「好期」高齢者が輩出したのです。
横石知二氏は20数年間というもの、なぜ自分たちの生まれ育った郷土を悪く云い、辞意分の子どもたちにどうして町を出ていくことを勧めるのか、ひたすらそれに腹立ちを感じました。そこで“この上勝で食えなきゃいかんのだ ”と思い定め、みんなに仕事があることが大事だと悟りました。
その怒りの原動力が葉っぱビジネスを発足させました。20数年間もの七転八倒を経た事業が軌道に乗り、高齢の女性たちもしっかり稼げるようになってくると、過疎町の再生につながり、地元高齢者が元気になって、いまでは国全体の後期高齢者医療制度に腹が立って来たといいます。
というのは、どうしてわが国が高齢者を「姥捨て山」にするような制度を始めたのか。この制度は医療費が増大している結果への短絡的対策だと思うのです。それは医療費抑制の根本的解決策を計る制度ではありません。
現状の老人医療費抑制策は、日本の「後期」高齢者が当然増えることに真の国益向上や国民に将来への夢と希望を産むような脳力発揮の哲学がありません。換言すれば上勝で見せられた『生涯現役社会づくり』を創造する目的が欠如しているのです。 つづく