私たち日本生涯現役推進協議会の創設母体となった任意団体ライフ・ベンチャー・クラブ主催の第1回月例生涯現役塾が開塾した1985年10月のちょうど1年後のことです。1986年10月に横石知二氏が出張先の大阪「がんこ寿司」で偶然見かけた、女子大生らしい顧客の、料理の妻もの「赤いもみじの葉っぱ」に大喜びの姿でした。
  「 こ れ 、 か わ い い ー 、 き れ い ね え 」「 持 っ て 帰 ろ う 」
  そして、きちんとアイロンのかかったきれいなハンカチに大事そうに包み込んだのを見た横石氏をハッとさせた脳力発露。上勝町では有り余る葉っぱに新規事業の価値を見いだそうと根気よく説得して、やっと4軒の農家から協力を得て以来、1年半後の生産協力農家44軒でやっと農協に「彩部会」の生産者農家の組織を作った横石氏の努力たるや如何ばかりか・・・と思うと、私たちの活動も遅蒔きながら2014年こそは、この出発点にたどり着きたいと覚悟しています。
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  一 人 ひ と り が 
      あ と ち ょ っ と が ん ば る 気 持 ち が 大 切

  横石さんが彩から離れてからというもの、事業の立ち上げから順調に伸ばしてきた売り上げ高は減少し、それは明らかな数字となって示された。

  「一人ひとりがあとちょっと、がんばろうという気持ちがなくなると、全体としてみると大きなものになってしまう。これだけ違いがあるのかと正直なところ驚いたね」

  当時、彩では防災無線FAXを利用し、注文を農家に送信していた。それまで発注のためには防災用無線を使い、注文が入るとその都度、町中に大音量でアナウンスした。しかし、とにかくうるさく、これには苦情が殺到した。これに代わって取り入れたのが、防災無線FAXサービスである。電話回線と異なり、防災無線FAXは、一斉にすべての農家にFAXを送信でき、さらに防災用のため停電でも動くという優れものだ。このシステムを彩に取り入れることを思いついたことが、彩のさらなる飛躍につながった。

  FAXで注文内容が各農家に届けられると、農家は自分の出荷できる商品があれば、すぐさま農協に電話して注文をとる。つまり、早い者勝ちなのだ。この仕組みは、農家の人々の競争心をあおった。さらにFAXでは、多くの情報を共有できる。このFAXに横石さんは毎日、彩農家へメッセージを付け加えた。手書き、そしてイラストで楽しませてくれる横石さんのFAXは、農家の人々を「あとちょっとがんばってみよう」という気にさせるには十分なものだった。

  上勝町の人々にとって、働く意欲を駆り立て、毎日のモチベーションを高めてくれる存在だった横石さん。赴任当初はよそ者扱い、しかし気がつけば、町の一員として、さらには町を引っ張るほどに。その横石さんが彩から離れたことで、農家の人々の「あとちょっとがんばる」気持ちが失せてしまった。これが売り上げとなってあらわれたのだ。

  「上勝町にいるだけではだめ。彩の現場で農家の意欲に働きかけることがどんなに大切かを思い知った」

  このままではいけないと、上勝町のだれもが危機を覚える。そして、住民自ら会社を設立するという提案から、第三セクター『株式会社いろどり』が発足した。新たな組織に生まれ変わった彩、横石さんは責任者として再び現場に戻ることとなる。

  再出発した株式会社いろどりでは、新たにコンピュータを用いたネットワークシステムを構築した。もちろん、ユーザは高齢者。それまでパソコンを使ったことのない人々でも手軽に使えるよう、必要なものだけを取り入れ、専用のキーボードやマウスも搭載した。このシステムの効果はすごい。情報を瞬時にすべての人々に平等に知らせることが出来るだけでなく、いろどり農家のおばあちゃんのライバル心に火をつけた。毎日の出荷目標や個人の出荷量が一目でわかるようになっているのだ。

  「共同ではなく、個、で行ったことも成功の要因だね。『今日は一番になりたい』と自然に思うようになる。最初に上勝町に来たときに感じた、本来この町の人がもつプライドをいい方向で使えないものか。ライバル心に燃え、生産者の意識、競争意識を高めることができた。毎日ランキングは出るし、目標出荷数を掲げるとそれに応えようと一生懸命にやってくれる」

  目標達成、そしてライバル心を駆り立てるこのシステムは農家の人々の気持ちを見事につかんだ。こうしたいろどり農家の毎日の積み重ねから、株式会社いろどりが成り立っているのだ。