横石知二氏著書「生涯現役社会のつくり方」では、その目次「はじめに」から第1章:年金受給者から納税者に、第2章:高齢化しても医療費は少なく、第3章:高齢者は「うば捨て山」ではない、第4章:老後を将来に、第5章:認知症予備軍から数字に強い高齢者へ、第6章:高齢者とパソコン:高齢者が自立できる環境づくり、「おわりに」に至る迄、例えば「生涯現役」への基本的な脳を鍛える、考える習慣づくり、マイクロソフト社との結びつき、居場所づくりが真の福祉等々・・・私たちの活動に学び直す発想は限りなく存在します。
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  一 人 ひ と り が 主 役 で あ る こ と
     “ 誇 る べ き ふ る さ と ” が 握 る 地 方 再 生 の 鍵

  自然災害や産業衰退により、一時は沈んでいた上勝町の人々に活気を取り戻したのは仕事、“彩”の存在であった。仕事が出来たことで、家に、町の中に居場所ができる。さらにふるさとに対する誇りも取り戻した人々。おばあちゃんたちが稼ぎ出す上勝町の葉っぱビジネス、生き生きと働く高齢者の姿に、真の高齢福祉の意味を知る。彩事業の立ち上げから今日の姿まで、人々の気持ちを盛り立て、幾多の困難を乗り越えてきた横石氏と上勝町の人々の姿に地方再生ビジネスの真髄と、その糸口を探る。

  順 調 な 彩 に 暗 雲
        彩 の 仕 掛 け 人 が 去 る

  妻物(つまもの)ブランド“彩”を中心に、事業としての地盤ができあがった上勝町に再び活気が戻った頃、彩の仕掛け人・横石さんに転機が訪れる。なんと農協へ辞表を出し、この地を去ろうというのだ。

  「赴任して17年、上勝町に活気を取り戻すために、毎晩夜遅くまで、そして休日もほとんどない状態で働いてきた。長い間、給料を一円もいれず、妻物研究のための料亭に通ったり、農協の業務就業後に農家を回り野菜を集め、翌朝市場のセリにたちあったり。そして、“彩”の営業のために、夜の繁華街を回って、チラシを配り、時間もお金も上勝町のために費やした。しかし、自分にも家族がある。家族のため、子どもの将来のためにもここを離れ、なにか新しい仕事を始めてみたほうがいいのではないだろうか」

  考え抜いてのことだった。毎日仕事があるという充実感に満ちた人々、赴任した頃とまったく様子が異なる町の姿。今でこそ花々にあふれた温かな雰囲気を持つ上勝町であるが、横石さんが赴任した当時は、山々も人々も寂しい限りであった。町に、自分に誇りを持てるようになった人々を見届け、やるべきことはやったという達成感もあったのだろう。

  もともと狭い上勝町、横石さんが辞表を出したことはあっという間に知れ渡る。そして、その翌日、横石さんのもとに届いたのは、彩農家からの直筆の嘆願書だった。嘆願書には彩の全農家の署名と捺印、そして「お願ひの言葉」が綴られていた。

  もちろん、この気持ちに横石さんの意志が揺れないわけがない。その後も、町のあらゆるところでとどまるよう懇願され、町議会まで動き出したほど。上勝町の人々は、とにかく横石さんにいてほしい、との思いをまっすぐに伝えてきた。

  農協を辞める意志は固かったが、上勝町の人々も横石さんをあきらめない。さすがにその思いを受け止め、上勝町に残ることに決める。しかし、残るといっても農協は退職し、上勝町役場の一員として、再出発することとなる。この事件とも言える騒動をきっかけに、しばらく横石さんは彩からは距離をおくこととなる。   つづく