4/13(月)「第352回生涯現役塾」開催案内
2015年4月1日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ 会 員 の 皆 様
皆 様 、 お 早 う ご ざ い ま す 。
今日もお元気に「生涯現役社会づくり」推進活動のご支援を感謝します。
来る4月13日(月)に開催:第352回「生涯現役シリーズ塾第四弾」案内を
添付送付させていただきます。前回の3月25日(水)開催第351回塾には
添付ご報告通り、37名のご研究熱心な皆様方が多数参加されました。
どうか添付議事録をご高覧の上、皆様納得の「生涯現役社会づくり」を
力を合わせ、純民間主導の国民運動に盛り上げていきたいと存じます。
どうかそのためにも、30年月例永続開催『生涯現役塾』の受付ご協力
をいただき、下記のご予約申込でご返信をいただけますと助かります。
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『あなたと日本を元気に!』させる 生涯現役実践道場への 積極ご参加で
あなたご活躍の地域から 次々と民活力盛り上がりの大輪が拡がります!
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2014年秋期:実施/2015年春期&秋期:開催日(各土曜13:30~16:50)
①Summit 11/8(済) ②Summit 4/25(土・予定) ③Summit 10/17(予定)
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2015年4月開催日時(理事会/15:30 & 生涯現役塾/17:30) ~ 2015年9月
4/13(日時:要注意) 5/27 6/24 7/22 8/26 9/16
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日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ
代 表 東 瀧 邦 次
TEL:03-3517-6667 FAX:03-3517-6668
E-mail: info@sgsk.net or lvcinfo@sgsk.net
URL: http://www.sgsk.net Blog: http://40591.diarynote.jp/
Facebook : http://www.facebook.com/sgsk.net
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【第352回生涯現役塾ご案内】
第3 5 2回 生 涯 現 役 シ リ ー ズ 塾
生 涯 現 役 に 取 り 組 む 第 四 弾
生涯現役社会づくりではオンリーワンの生涯現役実践道場
日 時: 2 0 1 5 年 4 月 1 3 日 (月)
【午後 の部】①15:30~17:00〔理事会・世話人会〕
● 15:30~16:00 今期事業計画・人事役割担当 鎌田健司理事 担当
● 16:00~17:00 参加者全員3分スピーチ(夢や生きがい)& 情報交流会
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【夕方 の部】②17:30~19:30〔伊藤紘一理事 担当〕
会 場: 八 重 洲 口 会 館 会 議 室(ライフ・ベンチャー事務所 隣接B2F)
進 行: 伊 藤 紘 一
(有限会社 勇元 代表 & NPO法人ライフ・ベンチャー・クラブ 理事)
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講 師: 三 瓶 重 臣
(サントラスト㈱ 代表取締役 & 神奈川県倫理法人会普及拡大委員長)
略 歴: 証券会社19年、外資系生命保険6年、生損保総合代理店5年(現在)の豊富な活動歴から、2012年サントラスト(株)設立。神奈川/横浜倫理法人会関連で鎌田健司氏と意気投合の協働を開始。
講演A: 『 生 涯 現 役 人 生 プ ラ ン 安 心 へ の お 約 束 』
内 容: 証券・生損保業界のプロ活動歴30年のキャリアを積み重ねた生涯現役実践家としてのプロマネジャー意識を活かした、①生命保険による将来的な家計不安の解決。②死亡リスク、長生きリスクの回避。③個人、法人保険の使い分け等:生涯現役社会参加への新スタイル提言です。将来に安心へのお約束が、生涯現役ライフプランの基本です。
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講 師: 柴 田 祥 ( 合 同 会 社 SSKCareer 代 表 )
略 歴: 慶応義塾大商学部在学の昨春に上記合同会社を設立し今春卒業。学歴社会に拘らずフリーエージェントで平等に稼ぐ新構想開拓へと、SNS/イラスト/オタク/ソーシャル各要素も加える新時代派の起業家。
演題B: 『 生 涯 現 役 社 会 に 役 立 つ 小 説 ス タ イ ル 』
内 容: 活字離れの現代で、逆に読書率は上昇。その理由はスマフォ普及にあります。そこで小説というものにスポットを当てると同時に日本国内の埋もれた才能を引き出すモデルを提案させていただき、ご参加皆様のお知恵もぜひ拝借したいと願っております。
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参加費: 会員/1,000円 一般/2,000円(会員紹介者/1,000円)
申込先: NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ事務局
東京都中央区八重洲1-7-20 八重洲口会館 B2F
電話:03(3517)6667 Fax:03(3517)6668
E-mail: info@sgsk.net or lvcinfo@sgsk.net
URL:http://www.sgsk.net or http://sgsk.net/70890
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【 第 3 5 2 回 生 涯 現 役 塾 予 約 申 込 書 】
2015年 4月 日
NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ 宛
4月13日(月)開催:『第352回生涯現役塾』に参加予約します。
氏 名 ____________________
Tel or Fax or E-mail ______________
以 上
NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ 会 員 の 皆 様
皆 様 、 お 早 う ご ざ い ま す 。
今日もお元気に「生涯現役社会づくり」推進活動のご支援を感謝します。
来る4月13日(月)に開催:第352回「生涯現役シリーズ塾第四弾」案内を
添付送付させていただきます。前回の3月25日(水)開催第351回塾には
添付ご報告通り、37名のご研究熱心な皆様方が多数参加されました。
どうか添付議事録をご高覧の上、皆様納得の「生涯現役社会づくり」を
力を合わせ、純民間主導の国民運動に盛り上げていきたいと存じます。
どうかそのためにも、30年月例永続開催『生涯現役塾』の受付ご協力
をいただき、下記のご予約申込でご返信をいただけますと助かります。
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『あなたと日本を元気に!』させる 生涯現役実践道場への 積極ご参加で
あなたご活躍の地域から 次々と民活力盛り上がりの大輪が拡がります!
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2014年秋期:実施/2015年春期&秋期:開催日(各土曜13:30~16:50)
①Summit 11/8(済) ②Summit 4/25(土・予定) ③Summit 10/17(予定)
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2015年4月開催日時(理事会/15:30 & 生涯現役塾/17:30) ~ 2015年9月
4/13(日時:要注意) 5/27 6/24 7/22 8/26 9/16
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日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ
代 表 東 瀧 邦 次
TEL:03-3517-6667 FAX:03-3517-6668
E-mail: info@sgsk.net or lvcinfo@sgsk.net
URL: http://www.sgsk.net Blog: http://40591.diarynote.jp/
Facebook : http://www.facebook.com/sgsk.net
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【第352回生涯現役塾ご案内】
第3 5 2回 生 涯 現 役 シ リ ー ズ 塾
生 涯 現 役 に 取 り 組 む 第 四 弾
生涯現役社会づくりではオンリーワンの生涯現役実践道場
日 時: 2 0 1 5 年 4 月 1 3 日 (月)
【午後 の部】①15:30~17:00〔理事会・世話人会〕
● 15:30~16:00 今期事業計画・人事役割担当 鎌田健司理事 担当
● 16:00~17:00 参加者全員3分スピーチ(夢や生きがい)& 情報交流会
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【夕方 の部】②17:30~19:30〔伊藤紘一理事 担当〕
会 場: 八 重 洲 口 会 館 会 議 室(ライフ・ベンチャー事務所 隣接B2F)
進 行: 伊 藤 紘 一
(有限会社 勇元 代表 & NPO法人ライフ・ベンチャー・クラブ 理事)
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講 師: 三 瓶 重 臣
(サントラスト㈱ 代表取締役 & 神奈川県倫理法人会普及拡大委員長)
略 歴: 証券会社19年、外資系生命保険6年、生損保総合代理店5年(現在)の豊富な活動歴から、2012年サントラスト(株)設立。神奈川/横浜倫理法人会関連で鎌田健司氏と意気投合の協働を開始。
講演A: 『 生 涯 現 役 人 生 プ ラ ン 安 心 へ の お 約 束 』
内 容: 証券・生損保業界のプロ活動歴30年のキャリアを積み重ねた生涯現役実践家としてのプロマネジャー意識を活かした、①生命保険による将来的な家計不安の解決。②死亡リスク、長生きリスクの回避。③個人、法人保険の使い分け等:生涯現役社会参加への新スタイル提言です。将来に安心へのお約束が、生涯現役ライフプランの基本です。
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講 師: 柴 田 祥 ( 合 同 会 社 SSKCareer 代 表 )
略 歴: 慶応義塾大商学部在学の昨春に上記合同会社を設立し今春卒業。学歴社会に拘らずフリーエージェントで平等に稼ぐ新構想開拓へと、SNS/イラスト/オタク/ソーシャル各要素も加える新時代派の起業家。
演題B: 『 生 涯 現 役 社 会 に 役 立 つ 小 説 ス タ イ ル 』
内 容: 活字離れの現代で、逆に読書率は上昇。その理由はスマフォ普及にあります。そこで小説というものにスポットを当てると同時に日本国内の埋もれた才能を引き出すモデルを提案させていただき、ご参加皆様のお知恵もぜひ拝借したいと願っております。
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参加費: 会員/1,000円 一般/2,000円(会員紹介者/1,000円)
申込先: NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ事務局
東京都中央区八重洲1-7-20 八重洲口会館 B2F
電話:03(3517)6667 Fax:03(3517)6668
E-mail: info@sgsk.net or lvcinfo@sgsk.net
URL:http://www.sgsk.net or http://sgsk.net/70890
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【 第 3 5 2 回 生 涯 現 役 塾 予 約 申 込 書 】
2015年 4月 日
NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ 宛
4月13日(月)開催:『第352回生涯現役塾』に参加予約します。
氏 名 ____________________
Tel or Fax or E-mail ______________
以 上
「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:17
2015年4月2日 お仕事 企 業 へ の 貢 献 度 が ベ ン チ ャ ー の 別 れ 道
私の「ライフ・ベンチャー株式会社」は、創業第一期である昭和59年12月の決算で、年率1割以上の初配当を実施することができた。友人や知人からは、「最初から無理は禁物」とたびたび忠告されたが、無理をしても1割の配当実施目標は、私の当初からの経営戦略だった。
それは、堅実な実施目標に向かって、“ 背伸び ”を自分に課して“ 自己開発 ”をはかることが、私のベンチャーなのだからである。
また、家族4人が何とか食べていけるだけの給与も何とか確保することもできた。それというのも、ベンチャーして最初から失敗しないために、私は“ 無謀な脱サラ ”は用心深く避けてきたつもりだし、それ以上に、創業時の発起人の協力と理解ある友人、仲間の支援のお蔭があったからだと、感謝している。
脱サラをする場合、日本の社会で大事なことは、円満退社を周囲に認めてもらうことである。会社と喧嘩別れするのではなく、合意と納得づくで円満退社に漕ぎつけることが前提なのだ。
私がベンチャーするために退社したのは昭和59年2月末だが、およそ半年以上をかけて、勤務先の社長や他の役員を説得した。そして忍耐とねばりを発揮して、私の新たなるベンチャー企業へのスタートアップの出資と、コンサルタント契約の締結を実現することができた。
こうしたスタートアップが、私にとって精神的、経済的に大きな支えとなったのは事実といえる。無難に“ 小さく生んで、大きく育てる ”の当初方針の結果が、第1期1割配当の実施とあいなった次第である。自慢ではないが“ 初めよければすべて良し ”で、創業当初に甘えない覚悟が幸いした。
身軽なスタートアップの次には、即座に足腰をしっかり鍛えあげなければならない。ライフ・ベンチャー第2期の発展目標は、資金力の増強を図り、企業規模を拡大することである。現状に甘んじて“ 安住の湯 ”につかるより、多少の苦労は覚悟しても、将来への発展の夢をこの手でつかみたいからである。 つづく
私の「ライフ・ベンチャー株式会社」は、創業第一期である昭和59年12月の決算で、年率1割以上の初配当を実施することができた。友人や知人からは、「最初から無理は禁物」とたびたび忠告されたが、無理をしても1割の配当実施目標は、私の当初からの経営戦略だった。
それは、堅実な実施目標に向かって、“ 背伸び ”を自分に課して“ 自己開発 ”をはかることが、私のベンチャーなのだからである。
また、家族4人が何とか食べていけるだけの給与も何とか確保することもできた。それというのも、ベンチャーして最初から失敗しないために、私は“ 無謀な脱サラ ”は用心深く避けてきたつもりだし、それ以上に、創業時の発起人の協力と理解ある友人、仲間の支援のお蔭があったからだと、感謝している。
脱サラをする場合、日本の社会で大事なことは、円満退社を周囲に認めてもらうことである。会社と喧嘩別れするのではなく、合意と納得づくで円満退社に漕ぎつけることが前提なのだ。
私がベンチャーするために退社したのは昭和59年2月末だが、およそ半年以上をかけて、勤務先の社長や他の役員を説得した。そして忍耐とねばりを発揮して、私の新たなるベンチャー企業へのスタートアップの出資と、コンサルタント契約の締結を実現することができた。
こうしたスタートアップが、私にとって精神的、経済的に大きな支えとなったのは事実といえる。無難に“ 小さく生んで、大きく育てる ”の当初方針の結果が、第1期1割配当の実施とあいなった次第である。自慢ではないが“ 初めよければすべて良し ”で、創業当初に甘えない覚悟が幸いした。
身軽なスタートアップの次には、即座に足腰をしっかり鍛えあげなければならない。ライフ・ベンチャー第2期の発展目標は、資金力の増強を図り、企業規模を拡大することである。現状に甘んじて“ 安住の湯 ”につかるより、多少の苦労は覚悟しても、将来への発展の夢をこの手でつかみたいからである。 つづく
「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:18
2015年4月3日 お仕事 “ 脱 サ ラ 志 望 ”や“ ベ ン チ ャ ー 志 向 ”も 多 い 熟 年 層
自らベンチャーしたこの1年間、私はサラリーマン時代とははるかに比べものにならないほど、多くの人に会うことができた。主に、企業の管理者層やその“ 熟年予備軍 ”の人たちで、驚くことに、こうした人たちの中堅サラリーマンに“ 脱サラ志望 ”や“ ベンチャー志向 ”が実に多いことだった。
しかし、大企業の高級サラリーマン程、その希望を実現するには、余りにも脱サラが危険なことはいうまでもない。
中高年社会の進展によって、企業では年齢相応のポストが得られなくなったり、高齢者の待遇もそれほど芳しいものではないという事情もある。加えて、マイクロエレクトロニクス(ME)技術の浸透で、いっそのこと企業を飛び出そうかという脱サラ傾向に拍車がかかっていることも事実だ。
けれどもまた、熟年を迎えながら、このままサラリーマンとして、“ 一挙手一投足 ”を管理に組み込まれていて自分の生き甲斐がみつけられるかと真剣に悩んでいるサラリーマンも少なくないのである。
こうした人たちが、脱サラをめざし、ベンチャーを希望するなら、ぜひとも成功してほしいと思う。そのために私の体験が役立つなら、情報でもアドバイスでも、大いに提供することにやぶさかではない。独立自営のアドバイス業を掲げるライフ・ベンチャーとしては当然な業務だからである。
しかし、現実には、脱サラ可能な実力をもつ人は企業側でもぜひとも必要な人でもある。だから企業が引き止めたいと思っている人たちまでも、脱サラをけしかけるというのではない。
真に独立自営することがその人にとって真摯な人生目標であり、生き甲斐となり得るなら、企業からの脱出とそのベンチャーは、必ず成功させなければならないと考えているのだ。私のライフ・ベンチャー設立の動機はそこにもある。
だから、私は、やみくもに独立自営や起業コンサルティングをしてみたいというのではない。
ベンチャーという言葉ひとつとっても、私は、企業から外に出て独立自営することを「アウター・ベンチャー」(脱サラ)と呼び、企業内での自発的な新事業やプロジェクトの推進、あるいは社内にとどまって脳力開発リーダーとなることを「インナー・ベンチャー」(超サラ)と区分けして使っているのである。
もちろん、ライフ・ベンチャーは、このどちらをも、公平に支援していくつもりであり、可能な限りサラリーマン・ベンチャーである「社内ベンチャー」(企業内経営者)をおすすめしている。
ふつう、脱サラの成功率は3%で至難の技といわれている。その平均年齢は33歳程度で、場合によってはその前後、28歳から38歳までの間が最も多いといわれている。
若年者以上に中高年者にとっては、“ 針の穴 ”を通るくらいむつかしくみえそうだが、脱サラの成功、失敗は、その人の心がまえをみれば脱サラする前におおよそその目安をつけることができるのではないだろうかとも思う。それは、企業を飛び出す前に、自分がその企業に十分に貢献していたかどうかが判断材料ともなる。出身企業への貢献度を一つの基準にして、これからのベンチャーが成功するかどうかを予測することが可能なのである。つづく
自らベンチャーしたこの1年間、私はサラリーマン時代とははるかに比べものにならないほど、多くの人に会うことができた。主に、企業の管理者層やその“ 熟年予備軍 ”の人たちで、驚くことに、こうした人たちの中堅サラリーマンに“ 脱サラ志望 ”や“ ベンチャー志向 ”が実に多いことだった。
しかし、大企業の高級サラリーマン程、その希望を実現するには、余りにも脱サラが危険なことはいうまでもない。
中高年社会の進展によって、企業では年齢相応のポストが得られなくなったり、高齢者の待遇もそれほど芳しいものではないという事情もある。加えて、マイクロエレクトロニクス(ME)技術の浸透で、いっそのこと企業を飛び出そうかという脱サラ傾向に拍車がかかっていることも事実だ。
けれどもまた、熟年を迎えながら、このままサラリーマンとして、“ 一挙手一投足 ”を管理に組み込まれていて自分の生き甲斐がみつけられるかと真剣に悩んでいるサラリーマンも少なくないのである。
こうした人たちが、脱サラをめざし、ベンチャーを希望するなら、ぜひとも成功してほしいと思う。そのために私の体験が役立つなら、情報でもアドバイスでも、大いに提供することにやぶさかではない。独立自営のアドバイス業を掲げるライフ・ベンチャーとしては当然な業務だからである。
しかし、現実には、脱サラ可能な実力をもつ人は企業側でもぜひとも必要な人でもある。だから企業が引き止めたいと思っている人たちまでも、脱サラをけしかけるというのではない。
真に独立自営することがその人にとって真摯な人生目標であり、生き甲斐となり得るなら、企業からの脱出とそのベンチャーは、必ず成功させなければならないと考えているのだ。私のライフ・ベンチャー設立の動機はそこにもある。
だから、私は、やみくもに独立自営や起業コンサルティングをしてみたいというのではない。
ベンチャーという言葉ひとつとっても、私は、企業から外に出て独立自営することを「アウター・ベンチャー」(脱サラ)と呼び、企業内での自発的な新事業やプロジェクトの推進、あるいは社内にとどまって脳力開発リーダーとなることを「インナー・ベンチャー」(超サラ)と区分けして使っているのである。
もちろん、ライフ・ベンチャーは、このどちらをも、公平に支援していくつもりであり、可能な限りサラリーマン・ベンチャーである「社内ベンチャー」(企業内経営者)をおすすめしている。
ふつう、脱サラの成功率は3%で至難の技といわれている。その平均年齢は33歳程度で、場合によってはその前後、28歳から38歳までの間が最も多いといわれている。
若年者以上に中高年者にとっては、“ 針の穴 ”を通るくらいむつかしくみえそうだが、脱サラの成功、失敗は、その人の心がまえをみれば脱サラする前におおよそその目安をつけることができるのではないだろうかとも思う。それは、企業を飛び出す前に、自分がその企業に十分に貢献していたかどうかが判断材料ともなる。出身企業への貢献度を一つの基準にして、これからのベンチャーが成功するかどうかを予測することが可能なのである。つづく
「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:19
2015年4月4日 お仕事企 業 内 に 潜 在 す る “ 失 業 ”が 解 消 さ れ る
さらに私は、ベンチャー志願者に、生き甲斐と脳力開発について、ハイタッチによるコンサルティングで自分の体験を含めて説明する。もちろん、キャリアや能力、資産などを総合して数値化した“ ライフ・プラン ”創りをアドバイスしながらである。そうして、6ヵ月ないし1年後には、マン・ツウ・マンやグループ・トレーニングの訓練によって、アウター・ベンチャーには前向きな自信が、インナー・ベンチャーには企業内での充実した日々への変身を迫っていくのである。
このライフ・ベンチャーの方法論が、企業や社会の活性化に貢献するという信念を私は信じて疑わない。
インナー・ベンチャー実践者のモラル・アップによって、企業内部に潜在する価値創造の意欲を失った“ 失業 ”の大幅解消に役立ち、職場の活性化の拡大再生産につながるし、アウター・ベンチャーにしても、ニュー・ビジネスの創造者として、社会ニーズとサービスに応え、より活力のある社会の構築に資することが可能だからである。
私は1年間のベンチャー生活で、サラリーマン生活では味わえなかった「働き甲斐」をいくつも発見することができた。
現在も毎日が苦労の連続であり、否応なく自己 脳 力 を開発させられる日々であるが、今後とも、ライフ・ベンチャーをもくろむ人たちのよい参考になるような実践体験を積み上げ、熟年からのアウター・ベンチャーの先鞭企業として、こうした「社会的責任」を果たせるよう努めるつもりである。つづく
さらに私は、ベンチャー志願者に、生き甲斐と脳力開発について、ハイタッチによるコンサルティングで自分の体験を含めて説明する。もちろん、キャリアや能力、資産などを総合して数値化した“ ライフ・プラン ”創りをアドバイスしながらである。そうして、6ヵ月ないし1年後には、マン・ツウ・マンやグループ・トレーニングの訓練によって、アウター・ベンチャーには前向きな自信が、インナー・ベンチャーには企業内での充実した日々への変身を迫っていくのである。
このライフ・ベンチャーの方法論が、企業や社会の活性化に貢献するという信念を私は信じて疑わない。
インナー・ベンチャー実践者のモラル・アップによって、企業内部に潜在する価値創造の意欲を失った“ 失業 ”の大幅解消に役立ち、職場の活性化の拡大再生産につながるし、アウター・ベンチャーにしても、ニュー・ビジネスの創造者として、社会ニーズとサービスに応え、より活力のある社会の構築に資することが可能だからである。
私は1年間のベンチャー生活で、サラリーマン生活では味わえなかった「働き甲斐」をいくつも発見することができた。
現在も毎日が苦労の連続であり、否応なく自己 脳 力 を開発させられる日々であるが、今後とも、ライフ・ベンチャーをもくろむ人たちのよい参考になるような実践体験を積み上げ、熟年からのアウター・ベンチャーの先鞭企業として、こうした「社会的責任」を果たせるよう努めるつもりである。つづく
「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:20
2015年4月5日 お仕事ベ ン チ ャ ー 意 欲 の あ る 熟 年 よ 集 ま れ !
ライフ・ベンチャーの神髄は、絶え間ない“ 自己変革 ”であるということができる。
私がまだベンチャーしようかどうか悩んでいる頃、型通り、親友や知人に、いろいろな相談をもちかけたことがある。けれども、ことがニュービジネスを狙うだけに、本当の意味で賛成者は意外に少ないものだということに気づかされた。
中高年の域に達して、いまさら自分を変えようということに、皆しんどさを感じたのかも知れない。
会ってライフ・ベンチャーの意義を説明するたびに、「ベンチャー・アドバイス業でどうやって食っていくのか?」という質問がいちばん多かったのには閉口してしまった。「何か困ったことがあればいってくれ・・・」と帰り際には皆一様にいうのだが、そういわれればかえってたのみにくいものなのだ。そんな時、私は、友人、知人をあてにして商売させてもらおうとするのは、虫がよすぎるのではないかと反省した。
ライフ・ベンチャーは、人頼りでは絶対につとまらぬ稼業であることは確かだからだ。
また、初対面の人に、「 “ ライフ・ベンチャー ”って社名がすばらしいですね 」とほめられ、ライフ・ベンチャーの意義やニーズが認められた時はさすがに嬉しくなったが、その人にしても、ライフ・ベンチャーの類似商号確認のために、私が何度も法務局へ足を運んだことは知らない。東京・港区の法務局出張所だけでも、ライフ名の会社が40社以上あることなど、もちろん、ご存知ない。
それどころか、ライフ・ベンチャーといっても、所詮は“ 無名会社 ”の悲しさで、今のところはこちらから出かけない限り、滅多に“ お座敷 ”はかからないものなのである。
しかし、私には、進歩発展への夢が大きかった。その夢のためには、否が応でも自分自身を変革させていくんだという、熱に浮かされたような気持ちが強かった。
そうして、いざライフ・ベンチャーへ飛翔してみると、周囲の人の眼が、独立の前と後では、明らかにちがってきていることに気づいた。
もちろん、サラリーマン時代の「飼育型人生」から、ベンチャーマン「野生型人生」への転換をするため、意識的な努力をしたこともある。また、ベンチャーした以上、サラリーマン時代より、人生を楽しく生き生きと過ごせる方法を過ごせる方法を工夫したことも、その力には預かっていることだろう。
ベンチャーによって、自分が変われば、周囲も確実に変わっていくのである。これは、私にとって大事な教訓だった。自己を変えることがライフ・ベンチャーの第一の神髄とすれば、ライフ・ベンチャーの第二の神髄は、周囲の人たちにどんなプラスの影響を与えることができるかということである。
もっとも、私のライフ・ベンチャー第1期はベンチャーの神髄や夢より目先のお金を稼ぐことで頭がいっぱいだった。第1期決算の大きな収入源は、まず証券マンとの協力研究による資産運用だった。“ 窮すれば通ず ”で、いまある条件を最大限に活用して、最高率の運用成果を納めることができたのである。
これからも、ベンチャー・ビジネスとして社会的に意義ある事業ならば、長い眼でみれば必ず大きな収益を得られるという確信が私にはある。 つづく
ライフ・ベンチャーの神髄は、絶え間ない“ 自己変革 ”であるということができる。
私がまだベンチャーしようかどうか悩んでいる頃、型通り、親友や知人に、いろいろな相談をもちかけたことがある。けれども、ことがニュービジネスを狙うだけに、本当の意味で賛成者は意外に少ないものだということに気づかされた。
中高年の域に達して、いまさら自分を変えようということに、皆しんどさを感じたのかも知れない。
会ってライフ・ベンチャーの意義を説明するたびに、「ベンチャー・アドバイス業でどうやって食っていくのか?」という質問がいちばん多かったのには閉口してしまった。「何か困ったことがあればいってくれ・・・」と帰り際には皆一様にいうのだが、そういわれればかえってたのみにくいものなのだ。そんな時、私は、友人、知人をあてにして商売させてもらおうとするのは、虫がよすぎるのではないかと反省した。
ライフ・ベンチャーは、人頼りでは絶対につとまらぬ稼業であることは確かだからだ。
また、初対面の人に、「 “ ライフ・ベンチャー ”って社名がすばらしいですね 」とほめられ、ライフ・ベンチャーの意義やニーズが認められた時はさすがに嬉しくなったが、その人にしても、ライフ・ベンチャーの類似商号確認のために、私が何度も法務局へ足を運んだことは知らない。東京・港区の法務局出張所だけでも、ライフ名の会社が40社以上あることなど、もちろん、ご存知ない。
それどころか、ライフ・ベンチャーといっても、所詮は“ 無名会社 ”の悲しさで、今のところはこちらから出かけない限り、滅多に“ お座敷 ”はかからないものなのである。
しかし、私には、進歩発展への夢が大きかった。その夢のためには、否が応でも自分自身を変革させていくんだという、熱に浮かされたような気持ちが強かった。
そうして、いざライフ・ベンチャーへ飛翔してみると、周囲の人の眼が、独立の前と後では、明らかにちがってきていることに気づいた。
もちろん、サラリーマン時代の「飼育型人生」から、ベンチャーマン「野生型人生」への転換をするため、意識的な努力をしたこともある。また、ベンチャーした以上、サラリーマン時代より、人生を楽しく生き生きと過ごせる方法を過ごせる方法を工夫したことも、その力には預かっていることだろう。
ベンチャーによって、自分が変われば、周囲も確実に変わっていくのである。これは、私にとって大事な教訓だった。自己を変えることがライフ・ベンチャーの第一の神髄とすれば、ライフ・ベンチャーの第二の神髄は、周囲の人たちにどんなプラスの影響を与えることができるかということである。
もっとも、私のライフ・ベンチャー第1期はベンチャーの神髄や夢より目先のお金を稼ぐことで頭がいっぱいだった。第1期決算の大きな収入源は、まず証券マンとの協力研究による資産運用だった。“ 窮すれば通ず ”で、いまある条件を最大限に活用して、最高率の運用成果を納めることができたのである。
これからも、ベンチャー・ビジネスとして社会的に意義ある事業ならば、長い眼でみれば必ず大きな収益を得られるという確信が私にはある。 つづく
「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:21
2015年4月6日 お仕事 “ ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ズ ・ ク ラ ブ ” 設 立 へ 向 け て
私のライフ・ベンチャー第2期への架け橋として、現在、構想しているのが、ベンチャー意欲のある熟年層を対象にした「ライフ・ベンチャーズ・クラブ」の設立である。
ベンチャーアドバイスの短期的な成功というものはない。忍耐とねばりで、気長に積み上げてこそ、成功への道が拓ける。
私のライフ・ベンチャーは、実践体験者たる自分以外に代りがない“ ワンマン会社 ”として背水の陣を敷き、それが精神力を生んで、年間を疾走することができた。
しかし、ワンマン会社では、どこまでいっても限界がある。
そこで必要となるのが、他者から常に謙虚に学ぶ機会と場である。さらには、さまざまな職業や階層の人たちが集まって、互いに学び合い、相互研鑽に努める同志的な勉強会・学習会といったものである。それに応えるものが「ライフ・ベンチャーズ・クラブ」なのであり、私の第2期目の最大課題なのである。
私のベンチャーズ・クラブは、会員相互の連帯をはかるサロンであり、自己を高める研修の場であり、脳力開発や財力開発をめざす実践場にしようと思っている。
多様な知恵や体験をもちよって参加し、相互に啓発し合い、それぞれの才能、経験、信念などを活かす方法をさぐり、訓練を経て、“ 自己実現 ”の生き甲斐を獲得できる、みんなで人生を学ぶ“ 心の学校 ”に仕上げたいのである。
サラリーマンやビジネスマンが、ベンチャーズ・クラブで学ぶことによって、職場での人間関係を解決でき、新たな人脈づくりができた上、前向きなライフ・プランに従って、人生に自信と覇気をもつことができたなら、と願う。とりも直さず、それは人生ベンチャーへの道であり、個人から会社へ、会社から社会へと学び高めたものを還元できることにつながっていく。
私にしても、ライフ・ベンチャー“ 一年生 ”として学び取ったベンチャー体験がある。
わずか1年の体験に過ぎないが、サラリーマン時代の人脈など安易にあてにしてもはじまらないこと、ベンチャーの世界は、これまでの会社の名刺やネーム・バリューが通用しない実力本位の世界であることは確かだ。さらには、サラリーマン時代の“ 建前 ”ではなく、ベンチャーでは“ 本音 ”しか通用しなかったこと、そして何よりも、ベンチャーマンにとって、いちばん大切なことは「人格的信用」が不可欠であることなどを痛切に感じたものである。
こうした体験を素直に語り、実体験に学び合うことも「ライフ・ベンチャーズ・クラブ」があってこそ可能となる。「ライフ・ベンチャーズ・クラブ」の構想は、現在、さまざまな創意と工夫のもとにつくられつつある。会員は個人会員のほか、法人会員も募りたい。サラリーマンであれ、退職者であれ、ベンチャー精神をもってチャレンジを目指す者なら誰でも大いに参加は結構である。
ベンチャー実践体験者を招いての会合や随時のイベントも企画していきたい。当初は少数精鋭主義で臨みたいが、会員が増えれば、テーマ別の分科会だって必要である。生き甲斐についての“ 起業研究会 ”や“ 業務提携 ” “ 財力実践グループ ”も生まれてくるかも知れない。カウンセリングやコンサルティングの実務も充実をはからねばならない。
私のライフ・ベンチャーへの夢と構想は拡がるばかりだ。
ライフ・ベンチャーといい、ライフ・ベンチャーズ・クラブといい、こんな私をみて、友人が「お前は、真面目な“ 小ドン・キホーテ ”のようだ!」といったことがある。
ベンチャー精神旺盛な熟年者を対象とする「ライフ・ベンチャーズ・クラブ」が“ 大車輪 ”のように運営されるまでは、私は、“ 風車 ”ならぬ、“ 人生の大風 ”に立ち向かって突き進もうと思う。ベンチャーに憧れた日本のドン・キホーテとして・・・。 つづく
私のライフ・ベンチャー第2期への架け橋として、現在、構想しているのが、ベンチャー意欲のある熟年層を対象にした「ライフ・ベンチャーズ・クラブ」の設立である。
ベンチャーアドバイスの短期的な成功というものはない。忍耐とねばりで、気長に積み上げてこそ、成功への道が拓ける。
私のライフ・ベンチャーは、実践体験者たる自分以外に代りがない“ ワンマン会社 ”として背水の陣を敷き、それが精神力を生んで、年間を疾走することができた。
しかし、ワンマン会社では、どこまでいっても限界がある。
そこで必要となるのが、他者から常に謙虚に学ぶ機会と場である。さらには、さまざまな職業や階層の人たちが集まって、互いに学び合い、相互研鑽に努める同志的な勉強会・学習会といったものである。それに応えるものが「ライフ・ベンチャーズ・クラブ」なのであり、私の第2期目の最大課題なのである。
私のベンチャーズ・クラブは、会員相互の連帯をはかるサロンであり、自己を高める研修の場であり、脳力開発や財力開発をめざす実践場にしようと思っている。
多様な知恵や体験をもちよって参加し、相互に啓発し合い、それぞれの才能、経験、信念などを活かす方法をさぐり、訓練を経て、“ 自己実現 ”の生き甲斐を獲得できる、みんなで人生を学ぶ“ 心の学校 ”に仕上げたいのである。
サラリーマンやビジネスマンが、ベンチャーズ・クラブで学ぶことによって、職場での人間関係を解決でき、新たな人脈づくりができた上、前向きなライフ・プランに従って、人生に自信と覇気をもつことができたなら、と願う。とりも直さず、それは人生ベンチャーへの道であり、個人から会社へ、会社から社会へと学び高めたものを還元できることにつながっていく。
私にしても、ライフ・ベンチャー“ 一年生 ”として学び取ったベンチャー体験がある。
わずか1年の体験に過ぎないが、サラリーマン時代の人脈など安易にあてにしてもはじまらないこと、ベンチャーの世界は、これまでの会社の名刺やネーム・バリューが通用しない実力本位の世界であることは確かだ。さらには、サラリーマン時代の“ 建前 ”ではなく、ベンチャーでは“ 本音 ”しか通用しなかったこと、そして何よりも、ベンチャーマンにとって、いちばん大切なことは「人格的信用」が不可欠であることなどを痛切に感じたものである。
こうした体験を素直に語り、実体験に学び合うことも「ライフ・ベンチャーズ・クラブ」があってこそ可能となる。「ライフ・ベンチャーズ・クラブ」の構想は、現在、さまざまな創意と工夫のもとにつくられつつある。会員は個人会員のほか、法人会員も募りたい。サラリーマンであれ、退職者であれ、ベンチャー精神をもってチャレンジを目指す者なら誰でも大いに参加は結構である。
ベンチャー実践体験者を招いての会合や随時のイベントも企画していきたい。当初は少数精鋭主義で臨みたいが、会員が増えれば、テーマ別の分科会だって必要である。生き甲斐についての“ 起業研究会 ”や“ 業務提携 ” “ 財力実践グループ ”も生まれてくるかも知れない。カウンセリングやコンサルティングの実務も充実をはからねばならない。
私のライフ・ベンチャーへの夢と構想は拡がるばかりだ。
ライフ・ベンチャーといい、ライフ・ベンチャーズ・クラブといい、こんな私をみて、友人が「お前は、真面目な“ 小ドン・キホーテ ”のようだ!」といったことがある。
ベンチャー精神旺盛な熟年者を対象とする「ライフ・ベンチャーズ・クラブ」が“ 大車輪 ”のように運営されるまでは、私は、“ 風車 ”ならぬ、“ 人生の大風 ”に立ち向かって突き進もうと思う。ベンチャーに憧れた日本のドン・キホーテとして・・・。 つづく
生涯現役社会実現への課題:労働調協1
2015年4月7日 お仕事 生 涯 現 役 社 会 の 実 現 の た め に
必 要 な 条 件
日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会
代表代行 東 瀧 邦 次
Ⅰ は じ め に
2004年6月に任意団体の日本生涯現役推進協議会(以下:生涯現役協)を設立して、今年は11年目になる。
生涯現役協は、少子・高齢化社会でも「幸せで明るい長寿社会」実現のために、高齢シニアの世代が社会的役割や生きがいをもって、生涯現役で活動できる社会づくりをその目的(生涯現役協:会則第2条)とする。
また、目的達成への事業活動(会則第3条)として、生涯現役社会づくりに関連する次の6項目を揚げている。① 関係団体の連携強化、② 対策推進への行政機関との連携協力、③ 対応志向への企業体などとの協力、④ 国内外の情報収集と提供および調査研究、⑤広報・啓発と国際協力、⑥ その他必要な事業活動・・・である。
生涯現役協の創設に先立つ19年前に、私は「生涯現役実践道場」と名付けた個人会員制の任意団体ライフ・ベンチャー・クラブ(以下:LVクラブ)を1985年5月に発足させていた。発足後LVクラブ仲間と5カ月間の準備を費やし、同年10月に開始した月例開催の「生涯現役塾」は、本年3月で通算351回を数える。当初から外部著名講師に頼ることなく、極力参加者の中から自ら発表意欲を有し、生涯現役を志すプロ意識旺盛な方たちの実践体験中心に相互研鑽を試みてきた。
この実践体験に基づく「生涯現役塾」で、首都圏主要鉄道沿線の14地区に「生涯現役・社会参加の各地域会」をわずか3年で鋭意展開した際の実践力を発揮できた仲間たちとの経験など本当に有難かった。その各地域会の発足に際して、私は必ず自分たちの「生涯現役と生きがいづくり」体験を伝え、出席者と「生涯現役とは何か」を素朴に語り合う機会を重ねたことが非常に役立った。何よりも自助・共助を重視する「生涯現役」と自助中心の「生涯学習」との用語差説明ひとつ考えても、言葉の使い方は重要だ。曖昧なまま「生涯現役」や「生涯現役社会」の言葉を使うのではイメージが湧かず、人に語っても無意味なことは、30年の研鑽経験において嫌というほど知らされている。
そのため過去30年を重ねた「生涯現役塾」での「生涯現役」や「生涯現役社会」の語意説明は、今世紀に於ける超高齢社会での最優先課題ともいえる、主権者国民が次世代にツケを残さないための問題解決を念頭におき、最大限の効果発揮が可能な民活力(自助力・共助力)を活かせるような使い方である。その意味でも「生涯現役=自分の生きがいを持って世の中に役立つこと」、また「生涯現役社会=国民全体が生きがいを持てて世の中に役立つ人生を送り得るような社会」の夢をぜひ実現させましょうという人生目標を前提に、以下私の論旨を述べてみたい。 つづく
必 要 な 条 件
日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会
代表代行 東 瀧 邦 次
Ⅰ は じ め に
2004年6月に任意団体の日本生涯現役推進協議会(以下:生涯現役協)を設立して、今年は11年目になる。
生涯現役協は、少子・高齢化社会でも「幸せで明るい長寿社会」実現のために、高齢シニアの世代が社会的役割や生きがいをもって、生涯現役で活動できる社会づくりをその目的(生涯現役協:会則第2条)とする。
また、目的達成への事業活動(会則第3条)として、生涯現役社会づくりに関連する次の6項目を揚げている。① 関係団体の連携強化、② 対策推進への行政機関との連携協力、③ 対応志向への企業体などとの協力、④ 国内外の情報収集と提供および調査研究、⑤広報・啓発と国際協力、⑥ その他必要な事業活動・・・である。
生涯現役協の創設に先立つ19年前に、私は「生涯現役実践道場」と名付けた個人会員制の任意団体ライフ・ベンチャー・クラブ(以下:LVクラブ)を1985年5月に発足させていた。発足後LVクラブ仲間と5カ月間の準備を費やし、同年10月に開始した月例開催の「生涯現役塾」は、本年3月で通算351回を数える。当初から外部著名講師に頼ることなく、極力参加者の中から自ら発表意欲を有し、生涯現役を志すプロ意識旺盛な方たちの実践体験中心に相互研鑽を試みてきた。
この実践体験に基づく「生涯現役塾」で、首都圏主要鉄道沿線の14地区に「生涯現役・社会参加の各地域会」をわずか3年で鋭意展開した際の実践力を発揮できた仲間たちとの経験など本当に有難かった。その各地域会の発足に際して、私は必ず自分たちの「生涯現役と生きがいづくり」体験を伝え、出席者と「生涯現役とは何か」を素朴に語り合う機会を重ねたことが非常に役立った。何よりも自助・共助を重視する「生涯現役」と自助中心の「生涯学習」との用語差説明ひとつ考えても、言葉の使い方は重要だ。曖昧なまま「生涯現役」や「生涯現役社会」の言葉を使うのではイメージが湧かず、人に語っても無意味なことは、30年の研鑽経験において嫌というほど知らされている。
そのため過去30年を重ねた「生涯現役塾」での「生涯現役」や「生涯現役社会」の語意説明は、今世紀に於ける超高齢社会での最優先課題ともいえる、主権者国民が次世代にツケを残さないための問題解決を念頭におき、最大限の効果発揮が可能な民活力(自助力・共助力)を活かせるような使い方である。その意味でも「生涯現役=自分の生きがいを持って世の中に役立つこと」、また「生涯現役社会=国民全体が生きがいを持てて世の中に役立つ人生を送り得るような社会」の夢をぜひ実現させましょうという人生目標を前提に、以下私の論旨を述べてみたい。 つづく
生涯現役社会実現への課題:労働調協2
2015年4月8日 お仕事 Ⅱ 生 涯 現 役 の 意 味 と そ の 重 要 性
前述の「生涯現役」の趣旨からすると、普段の一般的会話で使用される「生涯現役」の語意とは、自ずと取り組む意味合いも重要性も若干違ってくるのは当然といえる。自己中心的で自分勝手なご都合主義の「生涯現役」が、老人性饒舌症的に世間で我物顔で永続するなどあり得ない。「生涯」にわたり周囲から「現」実に「役」立つ人であり、有益な仕事や活動だと評価されない限り、見せかけ、一時しのぎのエセ現役が「生涯現役」とは、到底認められないのは当たり前である。
「生涯現役」の四字熟語が意味する日本語の快い響きほど、多くの人に未来に夢と希望、勇気を与えてくれる言葉は少ない。そのためLVクラブ旗挙げを契機とした1985年出版の拙著「ライフ・ベンチャーのすすめ」の最後に記した“私たち一人ひとりが生涯現役の、定年をものともしない未来像をライフ・ベンチャー精神で明確に願望し、人生八十年、百年の21世紀に向かって雄々しく歩もうではないか”の呼びかけで自分自身30年間も忍耐強く継続できているのだ・・・と。
その根底には、内村鑑三著「後世への最大遺物」に書かれた、“金や事業や思想をこの世に遺せなくてもいい。誰にでも遺せる大事なものは、その人にしか遺せない生きがいに満ちた生涯(自己流解釈で「生涯現役」)そのものだ”という執念、また新渡戸稲造の、“学べどもなお学べども学べども学び足りぬは学びなりけり”の名言に、私は常に最高の奨励で迫られる幸せ者である。「生涯現役」の真意も、換言すれば“自分を最大限に生き抜く”ことだといえるかも知れない。自分を誤魔化して不燃焼なまま中途半端な生き様の毎日では、わが人生に本当の喜びや自己充実など味わえないはずだ。
いまや超高齢時代の到来で、国や企業は60歳代前半層の就労確保やその合理的労働条件の実現に動かざるを得ない事態に直面している。では現在、私たちの論旨に沿う「生涯現役」に当事者が正面から取り組めているかといえば、段階的定年延長論だけで、「生涯現役社会」取組みの本気度など見えない。国や企業、労使ともに、現状環境打開の創意工夫面では選択肢が無きに等しい。前20世紀冷戦時代後のグローバリゼーションで世界認識の変化が新たな雇用形態を生むという、過去の社会構造が通用しなくなる現実なのだ。
過去日本は西欧先進国より10~15年遅れで走り、西欧から上手に学習して、発展してきたといわれるが、今世紀の日本は真似る見本国がない超高齢期の先頭を走らされている。他国は日本への期待感から何を学ぶか、わが手腕の見せ所である。
世界認識の変化で新たな雇用形態が社会にどう興るか。「定年=仕事をやめる」という慣行から、時限的、部分的な労働市場への参画で、特技を活用するフリー・エージェント的「生涯現役」実践者が既に増え始めている。会社終身雇用制度の衰退で、むしろ職業終身雇用が「生涯現役」にはより相応しいといえる時代かも知れない。
ところが、企業・従業員の労使当事者双方だけでなく国自体も、「生涯現役」就労本質への実現可能性など真摯な取り組みが迫られている非常時に対し、現状分析や危機意識が余りにも無さ過ぎると思う。超高齢日本社会に現実に役立つ趣旨で、「生涯現役」の意味することを生涯現役協では、創設以来次のようにホームページ上で説明している。
【注:関連URL=http://sgsk.net/70890/の「生涯現役」の意味欄ご参照】
「生涯現役」という四字熟語は、まだ国語辞典に掲載されていないようです。この言葉は、日常会話の中で誰もが一般的に表現する「定年後も仕事を続け、働くこと」というような狭義の意味で使われる場合と、社会全体の立場からの視点を持つ、広義の意味で使用されている場合があります。
超高齢時代となったわが国は、定年期を迎えた団塊世代中心に、高齢者が急増。労働人口の減少は、経済社会全般の衰退を招くだけではなく、年金・医療・福祉など社会保障の財政負担増が、国や公共団体、ひいては現役世代の上に重くのしかかってきています。
個人の自主性を頼りにした狭義の「生涯現役」活動だけでは、社会全般に活性化をもたらすような総合力は期待できません。百人百様ともいえる主観的な「生涯現役」の解釈では、急速な超高齢化対策に対する成果は少ないといえるでしょう。
数年前から、先進的な公共団体では「生涯現役社会づくり」という表現での、官民協働活動における、「生涯現役」の用語が使われはじめました。私たち日本生涯現役協議会(略称:生涯現役協)は、狭義・広義の意味を持つ「生涯現役」を簡略に説明するために、"生涯現役とは、自分の生きがい人生が世の中に役立つこと"と表現しています。そして、個人の「生涯現役」実践活動を会員だけで研鑽するのではなく、広く社会に対し「生涯現役社会づくり」推進をめざしていくために、2004年、純民間団体として生涯現役協が発足しました。
設立発起人の中核団体である、NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ(略称:LVC/2004年当時は任意団体)が発足した当時の1980年代は、"生涯現役の趣旨に賛成はするが、やりたい人だけがやればいいのではないか"という考えが主流の時代でした。しかし、シニア・団塊世代が次々と定年退職期を迎え、超高齢時代が到来した現在は、"生きがいづくりに生涯現役を真剣に考えて社会に役立つシニア"が求められています。"まさに高齢者の尊厳が問われる時代"であるのです。・・・と。 つづく
前述の「生涯現役」の趣旨からすると、普段の一般的会話で使用される「生涯現役」の語意とは、自ずと取り組む意味合いも重要性も若干違ってくるのは当然といえる。自己中心的で自分勝手なご都合主義の「生涯現役」が、老人性饒舌症的に世間で我物顔で永続するなどあり得ない。「生涯」にわたり周囲から「現」実に「役」立つ人であり、有益な仕事や活動だと評価されない限り、見せかけ、一時しのぎのエセ現役が「生涯現役」とは、到底認められないのは当たり前である。
「生涯現役」の四字熟語が意味する日本語の快い響きほど、多くの人に未来に夢と希望、勇気を与えてくれる言葉は少ない。そのためLVクラブ旗挙げを契機とした1985年出版の拙著「ライフ・ベンチャーのすすめ」の最後に記した“私たち一人ひとりが生涯現役の、定年をものともしない未来像をライフ・ベンチャー精神で明確に願望し、人生八十年、百年の21世紀に向かって雄々しく歩もうではないか”の呼びかけで自分自身30年間も忍耐強く継続できているのだ・・・と。
その根底には、内村鑑三著「後世への最大遺物」に書かれた、“金や事業や思想をこの世に遺せなくてもいい。誰にでも遺せる大事なものは、その人にしか遺せない生きがいに満ちた生涯(自己流解釈で「生涯現役」)そのものだ”という執念、また新渡戸稲造の、“学べどもなお学べども学べども学び足りぬは学びなりけり”の名言に、私は常に最高の奨励で迫られる幸せ者である。「生涯現役」の真意も、換言すれば“自分を最大限に生き抜く”ことだといえるかも知れない。自分を誤魔化して不燃焼なまま中途半端な生き様の毎日では、わが人生に本当の喜びや自己充実など味わえないはずだ。
いまや超高齢時代の到来で、国や企業は60歳代前半層の就労確保やその合理的労働条件の実現に動かざるを得ない事態に直面している。では現在、私たちの論旨に沿う「生涯現役」に当事者が正面から取り組めているかといえば、段階的定年延長論だけで、「生涯現役社会」取組みの本気度など見えない。国や企業、労使ともに、現状環境打開の創意工夫面では選択肢が無きに等しい。前20世紀冷戦時代後のグローバリゼーションで世界認識の変化が新たな雇用形態を生むという、過去の社会構造が通用しなくなる現実なのだ。
過去日本は西欧先進国より10~15年遅れで走り、西欧から上手に学習して、発展してきたといわれるが、今世紀の日本は真似る見本国がない超高齢期の先頭を走らされている。他国は日本への期待感から何を学ぶか、わが手腕の見せ所である。
世界認識の変化で新たな雇用形態が社会にどう興るか。「定年=仕事をやめる」という慣行から、時限的、部分的な労働市場への参画で、特技を活用するフリー・エージェント的「生涯現役」実践者が既に増え始めている。会社終身雇用制度の衰退で、むしろ職業終身雇用が「生涯現役」にはより相応しいといえる時代かも知れない。
ところが、企業・従業員の労使当事者双方だけでなく国自体も、「生涯現役」就労本質への実現可能性など真摯な取り組みが迫られている非常時に対し、現状分析や危機意識が余りにも無さ過ぎると思う。超高齢日本社会に現実に役立つ趣旨で、「生涯現役」の意味することを生涯現役協では、創設以来次のようにホームページ上で説明している。
【注:関連URL=http://sgsk.net/70890/の「生涯現役」の意味欄ご参照】
「生涯現役」という四字熟語は、まだ国語辞典に掲載されていないようです。この言葉は、日常会話の中で誰もが一般的に表現する「定年後も仕事を続け、働くこと」というような狭義の意味で使われる場合と、社会全体の立場からの視点を持つ、広義の意味で使用されている場合があります。
超高齢時代となったわが国は、定年期を迎えた団塊世代中心に、高齢者が急増。労働人口の減少は、経済社会全般の衰退を招くだけではなく、年金・医療・福祉など社会保障の財政負担増が、国や公共団体、ひいては現役世代の上に重くのしかかってきています。
個人の自主性を頼りにした狭義の「生涯現役」活動だけでは、社会全般に活性化をもたらすような総合力は期待できません。百人百様ともいえる主観的な「生涯現役」の解釈では、急速な超高齢化対策に対する成果は少ないといえるでしょう。
数年前から、先進的な公共団体では「生涯現役社会づくり」という表現での、官民協働活動における、「生涯現役」の用語が使われはじめました。私たち日本生涯現役協議会(略称:生涯現役協)は、狭義・広義の意味を持つ「生涯現役」を簡略に説明するために、"生涯現役とは、自分の生きがい人生が世の中に役立つこと"と表現しています。そして、個人の「生涯現役」実践活動を会員だけで研鑽するのではなく、広く社会に対し「生涯現役社会づくり」推進をめざしていくために、2004年、純民間団体として生涯現役協が発足しました。
設立発起人の中核団体である、NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ(略称:LVC/2004年当時は任意団体)が発足した当時の1980年代は、"生涯現役の趣旨に賛成はするが、やりたい人だけがやればいいのではないか"という考えが主流の時代でした。しかし、シニア・団塊世代が次々と定年退職期を迎え、超高齢時代が到来した現在は、"生きがいづくりに生涯現役を真剣に考えて社会に役立つシニア"が求められています。"まさに高齢者の尊厳が問われる時代"であるのです。・・・と。 つづく
生涯現役社会実現への課題:労働調協3
2015年4月9日 お仕事 Ⅲ 生 涯 現 役 を 実 現 す る た め
各 人 が 取 り 組 む べ き 課 題
LVクラブを設立した1980年代の頃、都内に本社が所在する大企業では、当時55歳定年予定者を対象とする退職準備研修を開催していた。しかし、1988年「生産性の船/ライフ プランニング クルーズ」(日本生産性本部主催)の中高年コース「ライフ創造プラン」の担当講師に招かれて参加した際、受講者の「生涯現役」意識への無関心を痛感したことがある。その後も某自動車メーカー定年退職直前に「生涯現役塾」に参加した方から、聞かされた言葉は今も忘れられない。
“この生涯現役塾のように退職後豊富な人生選択肢の内容がある退職準備講座をもっと以前に知って受講しておきたかった”と。彼の勤務先企業退職準備講座では、受講者家族(専業主婦の奥様が大多数同伴出席)から本人宛永年勤続への感謝状の手紙朗読を中心ドラマ化。そして、公的年金+自社独自企業年金の上積み金を後生大事にして、定年後無謀な起業などの失敗で家庭崩壊を招く勿れ・・・と幼稚園児レベルのご親切ご指導の数々とか。前向きに「生涯現役」選択肢に挑む生きがい追求や、社会貢献に役立つ事例説明など皆無というよりタブー視状態だった由。
要するに当時、『生涯現役実践塾』への大企業人事相談室窓口では、当方『生涯現役塾』売込みシャットアウトは当然至極。でも有難いことに、世の中はよくしたものだ。たった一度の人生冒険に賭ける勇者は、極少人数ながらも絶えることなく『生涯現役実践塾』の灯を燈し続けて30年。「失われた20年の日本国力減退期」でも基礎固めの根を拡げながら、全世界で最も早く少子・超高齢化が進む社会日本の弱点を補強する「生涯現役社会の実現」方向に民官挙げての注目が集まり始めてきたのは、天の時ともいわれる時流ではなかろうか。
そこで大事なことは、生涯現役を実現するために「私たち一人ひとりが人生で取り組むべき最大の課題は何か」である。そのためにぜひとも考えてほしいことは、『人生目標』の有無だろう。『われ思う。ゆえにわれ在り』(デカルト/方法序説)の哲学的小難しい説明など抜きにして、私たちは自分の生きがいを他者に説明できるほどの思考整理がされていると、自分自身が日々の行動基準に迷いを生じることはない。その趣旨で私は、初対面の来訪者にご本人納得の上でA4版一枚の『私の人生目標』を書いていただいてから、生涯現役協・NPO/LVクラブへの関わり方などのご相談に応じることが多い。
私自身1959年サラリーマン生活開始から25年間の人生で会社業務以外に企業内労組の三役も経験した中で、自己唯一の人生業務といえる生きがいは、やはり自分自身が徹底的に追究した他者と容易に競合しない分野のモノ。それも、やればやるほど味わい深く、年齢に関係なく生涯・現役で関れるモノ。となれば、活動する過程でより多くの人たちと共通理解を得られるモノとして「生涯現役」をテーマに取組む脳力開発であり、他者との学び合いにそれをフォーカスした次第である。
他者との学びで「生涯現役の人生目標」をもつことが「自らの生きがい」を創出する原動力だと自覚してもらえること、それが『生涯現役実践塾』創設以来の生涯現役仲間の切実な願いである。そのために私たちは実に単純明快なことながら、次のような『生涯現役実践道場の五原則』をLVC創設3年目から「生涯現役塾」で作成、生涯現役協 HPで紹介している。 つづく
各 人 が 取 り 組 む べ き 課 題
LVクラブを設立した1980年代の頃、都内に本社が所在する大企業では、当時55歳定年予定者を対象とする退職準備研修を開催していた。しかし、1988年「生産性の船/ライフ プランニング クルーズ」(日本生産性本部主催)の中高年コース「ライフ創造プラン」の担当講師に招かれて参加した際、受講者の「生涯現役」意識への無関心を痛感したことがある。その後も某自動車メーカー定年退職直前に「生涯現役塾」に参加した方から、聞かされた言葉は今も忘れられない。
“この生涯現役塾のように退職後豊富な人生選択肢の内容がある退職準備講座をもっと以前に知って受講しておきたかった”と。彼の勤務先企業退職準備講座では、受講者家族(専業主婦の奥様が大多数同伴出席)から本人宛永年勤続への感謝状の手紙朗読を中心ドラマ化。そして、公的年金+自社独自企業年金の上積み金を後生大事にして、定年後無謀な起業などの失敗で家庭崩壊を招く勿れ・・・と幼稚園児レベルのご親切ご指導の数々とか。前向きに「生涯現役」選択肢に挑む生きがい追求や、社会貢献に役立つ事例説明など皆無というよりタブー視状態だった由。
要するに当時、『生涯現役実践塾』への大企業人事相談室窓口では、当方『生涯現役塾』売込みシャットアウトは当然至極。でも有難いことに、世の中はよくしたものだ。たった一度の人生冒険に賭ける勇者は、極少人数ながらも絶えることなく『生涯現役実践塾』の灯を燈し続けて30年。「失われた20年の日本国力減退期」でも基礎固めの根を拡げながら、全世界で最も早く少子・超高齢化が進む社会日本の弱点を補強する「生涯現役社会の実現」方向に民官挙げての注目が集まり始めてきたのは、天の時ともいわれる時流ではなかろうか。
そこで大事なことは、生涯現役を実現するために「私たち一人ひとりが人生で取り組むべき最大の課題は何か」である。そのためにぜひとも考えてほしいことは、『人生目標』の有無だろう。『われ思う。ゆえにわれ在り』(デカルト/方法序説)の哲学的小難しい説明など抜きにして、私たちは自分の生きがいを他者に説明できるほどの思考整理がされていると、自分自身が日々の行動基準に迷いを生じることはない。その趣旨で私は、初対面の来訪者にご本人納得の上でA4版一枚の『私の人生目標』を書いていただいてから、生涯現役協・NPO/LVクラブへの関わり方などのご相談に応じることが多い。
私自身1959年サラリーマン生活開始から25年間の人生で会社業務以外に企業内労組の三役も経験した中で、自己唯一の人生業務といえる生きがいは、やはり自分自身が徹底的に追究した他者と容易に競合しない分野のモノ。それも、やればやるほど味わい深く、年齢に関係なく生涯・現役で関れるモノ。となれば、活動する過程でより多くの人たちと共通理解を得られるモノとして「生涯現役」をテーマに取組む脳力開発であり、他者との学び合いにそれをフォーカスした次第である。
他者との学びで「生涯現役の人生目標」をもつことが「自らの生きがい」を創出する原動力だと自覚してもらえること、それが『生涯現役実践塾』創設以来の生涯現役仲間の切実な願いである。そのために私たちは実に単純明快なことながら、次のような『生涯現役実践道場の五原則』をLVC創設3年目から「生涯現役塾」で作成、生涯現役協 HPで紹介している。 つづく
生涯現役社会実現への課題:労働調協4
2015年4月10日 お仕事 【 生 涯 現 役 実 践 の た め の 五 原 則 】
1. 生 涯 現 役 の 人 生 目 標 を 持 つ
“人は何のために生きるのか?”は、有史以来の重要な問いかけです。衣食住という物質的な部分を満たすことだけを考えて生きている限り、生きがい・働きがいなどの精神的な喜びを味わうことはないと思います。人としてこの世に生を受けている以上は、この世に何らかの形で役立ちたいという願いや、足跡を残したいという真剣な思いを持ってください。自分でなければできないことを追及する中で、ご自身の創造性も発揮され、「生涯現役」という確固たる目標も生まれてくるのではないでしょうか。
2. 生 涯 現 役 の た め の 周 到 な 準 備 を す る
「生涯現役」活動は、ご自身が使命感を感じ、迷わず追求できるものであるという点に価値があります。しかし、誰もが確信をもって人生の目標をめざしているとは限りません。一般的には、周囲の環境・条件の変化や困難に遭遇すると諦めてしまう方や、目先のご都合主義に捉われ目標を見失ってしまう方が多いようです。「生涯現役」というライフワークに取り組む際の明確な動機づけをしっかり行えば、周到な準備ができ、自ずと活動に注力していけるような忍耐力も備わります。
3. 信 頼 で き る 仲 間 づ く り に 励 む
「生涯現役」を実践するときに、信頼できる仲間がいるのといないのでは、効率の面で格段に違います。自分の人生の目標に客観的な評価を示してくれる人がいるということは、本当に有難いものです。世の中に役立つことが実感できると、行動に対する励まし、エールも受けられるようになります。成果を挙げるためのアドバイスや思わぬ支援を得ることもあるでしょう。活動の輪を次々に広げていく際に協力してくれる方も増えていきます。これまでの人生で築き上げてきた仲間は、このためにあるといっても過言ではありません。
4 .自 分 の 持 味 ・ 得 意 技 を 磨 く
「生涯現役」を遂行するために、そこで取り組む目標が自分にとって適性かどうかの判定は、自らの持ち味・得意技が十分いかせるかにあります。これまでの人生経験を有効に活用できる分野や、得意とする企画・スキルなどを駆使できるように、平素から修練しておくことが重要です。自信を持って、何よりも自己の能力を最大限に発揮できると確信できるような場合は、当然ながらその行動力を通し、惜しみなく成果を出せるはずです。
5. “ 成 功 報 酬 ” 精 神 に 徹 底 す る
心すべきことは、”ギブ・ギブ・ギブ&テイクという成功報酬”だと思います。平素から、企業組織の中で与えられた仕事に対し、独創的な工夫をすることに努め、日々新たな人生を築いていく人には、自らの活動にも社会的評価が期待できると思います。人生において代表作といえるようなセールスポイントがあれば、一般社会でも「生涯現役」の成功者として、その人は早晩適正な認知を得られます。このような実績づくりが可能になるまでは、安易に報酬を求めず、世間は自分の実力を正当に評価するものだと知るべきでしょう。
上記5項目のうち何よりも肝心なのは、第1項の「生涯現役の人生目標」を持つことである。これは単なる「生涯現役の目標」を持つことではなく、「生涯現役の人生目標」を持つことでなければ、『生涯現役実践道場』で研鑽していただく効能は得られない。取り敢えずの「目標」などではなく、あくまでも各自百人百様の『人生目標』にまで首尾徹底したモノでない限り、第三者に「生涯現役社会づくり」を波及させるだけの威力は産まれない。
それと同時に各自本気度で最高レベルの人生目標でないと、これまた中途半端な願望に終始して超高齢社会日本の課題解決に役立つ『生涯現役社会づくり』の一翼を担えるだけの評価を得るのは無理であろう。そのために第2項から第5項までの各項目を真剣に吟味しながら常に自己研鑽だけではなく、生涯現役仲間との相互研鑽で取組む環境を活かせられる私たち『生涯現役実践塾』受講生は、果報な条件づくりができていると自負している。 つづく
1. 生 涯 現 役 の 人 生 目 標 を 持 つ
“人は何のために生きるのか?”は、有史以来の重要な問いかけです。衣食住という物質的な部分を満たすことだけを考えて生きている限り、生きがい・働きがいなどの精神的な喜びを味わうことはないと思います。人としてこの世に生を受けている以上は、この世に何らかの形で役立ちたいという願いや、足跡を残したいという真剣な思いを持ってください。自分でなければできないことを追及する中で、ご自身の創造性も発揮され、「生涯現役」という確固たる目標も生まれてくるのではないでしょうか。
2. 生 涯 現 役 の た め の 周 到 な 準 備 を す る
「生涯現役」活動は、ご自身が使命感を感じ、迷わず追求できるものであるという点に価値があります。しかし、誰もが確信をもって人生の目標をめざしているとは限りません。一般的には、周囲の環境・条件の変化や困難に遭遇すると諦めてしまう方や、目先のご都合主義に捉われ目標を見失ってしまう方が多いようです。「生涯現役」というライフワークに取り組む際の明確な動機づけをしっかり行えば、周到な準備ができ、自ずと活動に注力していけるような忍耐力も備わります。
3. 信 頼 で き る 仲 間 づ く り に 励 む
「生涯現役」を実践するときに、信頼できる仲間がいるのといないのでは、効率の面で格段に違います。自分の人生の目標に客観的な評価を示してくれる人がいるということは、本当に有難いものです。世の中に役立つことが実感できると、行動に対する励まし、エールも受けられるようになります。成果を挙げるためのアドバイスや思わぬ支援を得ることもあるでしょう。活動の輪を次々に広げていく際に協力してくれる方も増えていきます。これまでの人生で築き上げてきた仲間は、このためにあるといっても過言ではありません。
4 .自 分 の 持 味 ・ 得 意 技 を 磨 く
「生涯現役」を遂行するために、そこで取り組む目標が自分にとって適性かどうかの判定は、自らの持ち味・得意技が十分いかせるかにあります。これまでの人生経験を有効に活用できる分野や、得意とする企画・スキルなどを駆使できるように、平素から修練しておくことが重要です。自信を持って、何よりも自己の能力を最大限に発揮できると確信できるような場合は、当然ながらその行動力を通し、惜しみなく成果を出せるはずです。
5. “ 成 功 報 酬 ” 精 神 に 徹 底 す る
心すべきことは、”ギブ・ギブ・ギブ&テイクという成功報酬”だと思います。平素から、企業組織の中で与えられた仕事に対し、独創的な工夫をすることに努め、日々新たな人生を築いていく人には、自らの活動にも社会的評価が期待できると思います。人生において代表作といえるようなセールスポイントがあれば、一般社会でも「生涯現役」の成功者として、その人は早晩適正な認知を得られます。このような実績づくりが可能になるまでは、安易に報酬を求めず、世間は自分の実力を正当に評価するものだと知るべきでしょう。
上記5項目のうち何よりも肝心なのは、第1項の「生涯現役の人生目標」を持つことである。これは単なる「生涯現役の目標」を持つことではなく、「生涯現役の人生目標」を持つことでなければ、『生涯現役実践道場』で研鑽していただく効能は得られない。取り敢えずの「目標」などではなく、あくまでも各自百人百様の『人生目標』にまで首尾徹底したモノでない限り、第三者に「生涯現役社会づくり」を波及させるだけの威力は産まれない。
それと同時に各自本気度で最高レベルの人生目標でないと、これまた中途半端な願望に終始して超高齢社会日本の課題解決に役立つ『生涯現役社会づくり』の一翼を担えるだけの評価を得るのは無理であろう。そのために第2項から第5項までの各項目を真剣に吟味しながら常に自己研鑽だけではなく、生涯現役仲間との相互研鑽で取組む環境を活かせられる私たち『生涯現役実践塾』受講生は、果報な条件づくりができていると自負している。 つづく
生涯現役社会実現への課題:労働調協5
2015年4月11日 お仕事 Ⅳ 生 涯 現 役 社 会 を 実 現
す る た め の 社 会 的 課 題 と 条 件
そこで私たち生涯現役協が中心に、これまで「生涯現役社会づくり」推進活動を展開してきた経過を振り返って、「生涯現役社会を実現するための社会的課題と条件」を言及してみたい。それには民官一体となって、その課題や条件考察の根本的な前提の共有認識が必要である。「生涯現役社会とは」どういうことかイメージ化が、世間で一般に共通認識できていない前提条件不備の論議では、人を惑わすだけである。
私たちが「生涯現役実践道場」開設の30年前には、21世紀になれば日本の人口構成図から明確な確定予測で、団塊世代層中心の塊が、高齢化社会になると情勢判断できていた。人生50年時代が前提なら老後の対策に余計な懸念は不必要でも、戦後の食育・健康、医療体制の完備による人生80年の長寿化で老後対策が急務となることは自明のりであった。その必要に着眼した1983年企画「中高年の連帯組織/100万人(第一次)の結集を目指す」日本シルバー・ユニオン構想(故城野 宏氏提唱)に強烈な影響を受け、人生冒険(ライフ・ベンチャー)の船出をした。
50歳直前若気の至りとはいえ、サラリーマン人生で独立自営できる対策は、想定外の提唱者急死でギブアップする代わり、わが「生涯現役の人生目標」を確と見定め「生涯現役社会づくり」運動に賭けてきた次第である。
1995年議員立法化された「高齢社会対策基本法」で、国と地方公共団体の責務、国民の努力が謳われているが、5年毎改編「高齢社会対策大綱」、毎年「高齢社会白書」やエイジレスライフ表彰などでは、国民の努力喚起に役立つとは到底思えない。そのために民間主導の拙さを率直に告白して、以下の「生涯現役社会を実現するための社会的課題と条件」づくりを労働調査協議会に提起したいと思う。
① 生涯現役社会の実現とは何か・・・の解り易い目標イメージ化
「生涯現役」は強制されて目標とすべきものではなく、生きがいある人生を望むなら「生涯現役の人生目標」をなるべく早く本人が考えられる家庭環境・教育環境・地域環境・職場環境づくりの民間主導で行政の賛同も得たい。全世代各層がその世代に応じた人生目標を自主的にイメージ化できることが重要で、シニア重視の前記基本法的な国民の努力では実らない。 作家一条真也氏提唱Not「終活」But『修活』型の高齢者先頭に、退役OB・職場現役・就学生・幼児に至る迄、年配者の後姿から次々と日本社会の「生涯現役社会を実現していく」ことに尽きると思う。
② 生涯現役社会実現への社会的課題・・・を考える
「生涯現役社会」の問題提起で、これまで「生涯現役」の賛否論議と永年取組んだ体験を持つ私たちは、反射的に社畜人生をさらに延長させるという否定イメージ論に対しては、ホンネの生きがい有無論で対応している。人生観に「生涯現役」の発想押売りは、所詮日本国憲法上「個人の思想・信仰の自由保障」に反する。だから、原則として「生涯現役」関心者でない限り、生涯現役実践道場にまずご来訪はされない。しかし「生涯現役」総論賛成者でも、「生涯現役各論」では「生涯現役実践道場の五原則」に及ぶと次第に辛抱できない人が増える。故に人生マラソンでの永続訓練に成功報酬でも十分納得できる人は、立派な「生涯現役実践道場」有資格者だと認めたい。
戦後日本の民主化運動があらゆる分野で総括されている21世紀である。労働組合の組織力といえども、自然淘汰でその存在意義を問われるのは止むを得ない時流だ。労働三法で裏付けられた労組存在意義も、正規・非正規社員の格差問題はじめ、高齢化に伴う雇用延長の社会的課題など、労働組合側で「生涯現役社会の実現」前提に論議を必要とする諸問題は数限りなく存在する。
改正高齢者雇用安定法実施後の高齢者雇用延長における「フルタイム」「パートタイム」「マーケットバリュ-」的選択コース各区分で、「生涯現役社会の実現」を前提とした従業員ホンネの自主性発揮は、今後の労使双方にとって「生涯現役の人生目標」が鍵となる。
③ 生涯現役社会実現への社会的条件はどうか
産業革命以前の家業中心的生涯現役自然型社会から、産業革命・文明開化の大量生産企業の雇用制度が拡大するに従い、大都市中心に被雇用労働者層が拡大し、企業の終身雇用制も長寿社会化で定年制による企業OB層は増大の一方。その企業定年者「退職準備講座」研修に関する当方過去の対応は既述の通りだが、いまや四半世紀前とは異なり大企業といえども、かっては潤沢だった自社企業年金も今後厳しくなる。加えて厚生年金支給年齢の再引上げが将来発生した場合、組合側の適正な対応には何よりも「生涯現役社会の実現」に関わる対策が不可欠となろう。
その意味で重要なのは、企業労務対策上の「定年延長準備講座」的な労使交渉の場で、双方納得できる自主選択コース別「生涯現役生きがい講座」的な採用過程が工夫できると、労使主導の民間力発揮型「生涯現役力」発揮も大いに可能性が広まる。
「生涯現役社会実現への社会的条件」で最大のキーワードは、起業・再就業・社会参加による「生きがい人生」の目標を見出せない企業OBや、就活・婚活不適応型ニートの方々、家庭不和・人間関係不適応のために犯罪環境で不遇の人たち、そのいずれも幼児期の不幸な家庭環境が最大の「生涯現役社会実現」の社会的疎外要因となっている。私たち生涯現役協は、活動開始30年を契機に「生涯現役社会学会」(仮称)を構想するのは、これらの社会的条件を民主導で国や地方公共団体に強く意識を迫り、主権者国民が誰でも望める『生涯現役社会の実現』をイメージできる国創りに社会変革できる夢と希望と勇気を抱いてももらいたいからである。
どうかそのためにも、いかなる個人・企業・地域でも『生涯現役社会の実現』に真摯に連携できる貴連合【STOP THE 格差社会!キャンペーン中の日本労働組合総連合会】に対し、私たち「日本生涯現役推進協議会」は熱烈なるエールを心から送る次第である。 以 上
す る た め の 社 会 的 課 題 と 条 件
そこで私たち生涯現役協が中心に、これまで「生涯現役社会づくり」推進活動を展開してきた経過を振り返って、「生涯現役社会を実現するための社会的課題と条件」を言及してみたい。それには民官一体となって、その課題や条件考察の根本的な前提の共有認識が必要である。「生涯現役社会とは」どういうことかイメージ化が、世間で一般に共通認識できていない前提条件不備の論議では、人を惑わすだけである。
私たちが「生涯現役実践道場」開設の30年前には、21世紀になれば日本の人口構成図から明確な確定予測で、団塊世代層中心の塊が、高齢化社会になると情勢判断できていた。人生50年時代が前提なら老後の対策に余計な懸念は不必要でも、戦後の食育・健康、医療体制の完備による人生80年の長寿化で老後対策が急務となることは自明のりであった。その必要に着眼した1983年企画「中高年の連帯組織/100万人(第一次)の結集を目指す」日本シルバー・ユニオン構想(故城野 宏氏提唱)に強烈な影響を受け、人生冒険(ライフ・ベンチャー)の船出をした。
50歳直前若気の至りとはいえ、サラリーマン人生で独立自営できる対策は、想定外の提唱者急死でギブアップする代わり、わが「生涯現役の人生目標」を確と見定め「生涯現役社会づくり」運動に賭けてきた次第である。
1995年議員立法化された「高齢社会対策基本法」で、国と地方公共団体の責務、国民の努力が謳われているが、5年毎改編「高齢社会対策大綱」、毎年「高齢社会白書」やエイジレスライフ表彰などでは、国民の努力喚起に役立つとは到底思えない。そのために民間主導の拙さを率直に告白して、以下の「生涯現役社会を実現するための社会的課題と条件」づくりを労働調査協議会に提起したいと思う。
① 生涯現役社会の実現とは何か・・・の解り易い目標イメージ化
「生涯現役」は強制されて目標とすべきものではなく、生きがいある人生を望むなら「生涯現役の人生目標」をなるべく早く本人が考えられる家庭環境・教育環境・地域環境・職場環境づくりの民間主導で行政の賛同も得たい。全世代各層がその世代に応じた人生目標を自主的にイメージ化できることが重要で、シニア重視の前記基本法的な国民の努力では実らない。 作家一条真也氏提唱Not「終活」But『修活』型の高齢者先頭に、退役OB・職場現役・就学生・幼児に至る迄、年配者の後姿から次々と日本社会の「生涯現役社会を実現していく」ことに尽きると思う。
② 生涯現役社会実現への社会的課題・・・を考える
「生涯現役社会」の問題提起で、これまで「生涯現役」の賛否論議と永年取組んだ体験を持つ私たちは、反射的に社畜人生をさらに延長させるという否定イメージ論に対しては、ホンネの生きがい有無論で対応している。人生観に「生涯現役」の発想押売りは、所詮日本国憲法上「個人の思想・信仰の自由保障」に反する。だから、原則として「生涯現役」関心者でない限り、生涯現役実践道場にまずご来訪はされない。しかし「生涯現役」総論賛成者でも、「生涯現役各論」では「生涯現役実践道場の五原則」に及ぶと次第に辛抱できない人が増える。故に人生マラソンでの永続訓練に成功報酬でも十分納得できる人は、立派な「生涯現役実践道場」有資格者だと認めたい。
戦後日本の民主化運動があらゆる分野で総括されている21世紀である。労働組合の組織力といえども、自然淘汰でその存在意義を問われるのは止むを得ない時流だ。労働三法で裏付けられた労組存在意義も、正規・非正規社員の格差問題はじめ、高齢化に伴う雇用延長の社会的課題など、労働組合側で「生涯現役社会の実現」前提に論議を必要とする諸問題は数限りなく存在する。
改正高齢者雇用安定法実施後の高齢者雇用延長における「フルタイム」「パートタイム」「マーケットバリュ-」的選択コース各区分で、「生涯現役社会の実現」を前提とした従業員ホンネの自主性発揮は、今後の労使双方にとって「生涯現役の人生目標」が鍵となる。
③ 生涯現役社会実現への社会的条件はどうか
産業革命以前の家業中心的生涯現役自然型社会から、産業革命・文明開化の大量生産企業の雇用制度が拡大するに従い、大都市中心に被雇用労働者層が拡大し、企業の終身雇用制も長寿社会化で定年制による企業OB層は増大の一方。その企業定年者「退職準備講座」研修に関する当方過去の対応は既述の通りだが、いまや四半世紀前とは異なり大企業といえども、かっては潤沢だった自社企業年金も今後厳しくなる。加えて厚生年金支給年齢の再引上げが将来発生した場合、組合側の適正な対応には何よりも「生涯現役社会の実現」に関わる対策が不可欠となろう。
その意味で重要なのは、企業労務対策上の「定年延長準備講座」的な労使交渉の場で、双方納得できる自主選択コース別「生涯現役生きがい講座」的な採用過程が工夫できると、労使主導の民間力発揮型「生涯現役力」発揮も大いに可能性が広まる。
「生涯現役社会実現への社会的条件」で最大のキーワードは、起業・再就業・社会参加による「生きがい人生」の目標を見出せない企業OBや、就活・婚活不適応型ニートの方々、家庭不和・人間関係不適応のために犯罪環境で不遇の人たち、そのいずれも幼児期の不幸な家庭環境が最大の「生涯現役社会実現」の社会的疎外要因となっている。私たち生涯現役協は、活動開始30年を契機に「生涯現役社会学会」(仮称)を構想するのは、これらの社会的条件を民主導で国や地方公共団体に強く意識を迫り、主権者国民が誰でも望める『生涯現役社会の実現』をイメージできる国創りに社会変革できる夢と希望と勇気を抱いてももらいたいからである。
どうかそのためにも、いかなる個人・企業・地域でも『生涯現役社会の実現』に真摯に連携できる貴連合【STOP THE 格差社会!キャンペーン中の日本労働組合総連合会】に対し、私たち「日本生涯現役推進協議会」は熱烈なるエールを心から送る次第である。 以 上
「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:22
2015年4月12日 お仕事 【 ライフ・ベンチャーのすすめ 第 2 章 夢をつかみとる人生 】
◎ 自 己 へ の 挑 戦 と 生 き 甲 斐 の あ る 人 生
「この日の感動を生涯忘れず、皆様からいただいた恵みにお応えする意味で、これからは少しでも人のために役立てる人生を、二人で築き上げることをここに誓います・・・」
緊張で、声は上ずり、やや震え気味ではあったが、私は新妻の手を握ったまま、お礼の言葉をいい尽していた。
今から二十年前、兵庫県下にある阪急沿線塚口のキリスト教会で挙げた私の結婚式の光景である。
それから幾星霜を重ねながら、不思議とあの時の情景は色褪せず、むしろ思い出すたびに、かえって輝きを増すように思えてならない。
小さな会堂の式場にぎっしり座った百四十人あまりの列席者を前にして,眩い気持ちでいっぱいだった。すでに父は亡かったが、顔をくしゃくしゃにした母がいた。近親者も駆けつけ、上司や先輩の多くも、私たちのささやかな旅立ちを祝ってくれていた。
生まれてこのかた、いろいろなことでずっとお世話になった人びと、そしていつも導き励ましてくれた参加者の一人ひとりに、心からの感謝をしたい気持ちだった。
この時を期して、私は密かにある決意をした。
それは、私が家庭をもつというだけで、これだけ多くの人びとの世話になり、恵みを与えられてきた。その受けてきた恵みを十分に役立たせ、今度はそれをお返ししえるような家庭をつくっていこうという “ 自己宣言 ” のようなものだった。そのためには、自分のはっきりした生き甲斐をみつけ、それをこの世に残したいという思いだった。
年齢もちょうど三十歳になっていた。人生のトバ口で祝福されて結婚できたのも、何かの啓示のように思われた。これからの生涯を、この妻と手を携え合って、生き甲斐をみつけ、毎日々々生き生きと過ごしていこうと肝に銘じたのである。
今にして思えば、少々照れ臭い “ 気負い ” だったかも知れないが、未だに自分の明るい結婚式を鮮明に思い出すというのは、あのときの “ 決意 ” があったからかもしれない。 つづく
◎ 自 己 へ の 挑 戦 と 生 き 甲 斐 の あ る 人 生
「この日の感動を生涯忘れず、皆様からいただいた恵みにお応えする意味で、これからは少しでも人のために役立てる人生を、二人で築き上げることをここに誓います・・・」
緊張で、声は上ずり、やや震え気味ではあったが、私は新妻の手を握ったまま、お礼の言葉をいい尽していた。
今から二十年前、兵庫県下にある阪急沿線塚口のキリスト教会で挙げた私の結婚式の光景である。
それから幾星霜を重ねながら、不思議とあの時の情景は色褪せず、むしろ思い出すたびに、かえって輝きを増すように思えてならない。
小さな会堂の式場にぎっしり座った百四十人あまりの列席者を前にして,眩い気持ちでいっぱいだった。すでに父は亡かったが、顔をくしゃくしゃにした母がいた。近親者も駆けつけ、上司や先輩の多くも、私たちのささやかな旅立ちを祝ってくれていた。
生まれてこのかた、いろいろなことでずっとお世話になった人びと、そしていつも導き励ましてくれた参加者の一人ひとりに、心からの感謝をしたい気持ちだった。
この時を期して、私は密かにある決意をした。
それは、私が家庭をもつというだけで、これだけ多くの人びとの世話になり、恵みを与えられてきた。その受けてきた恵みを十分に役立たせ、今度はそれをお返ししえるような家庭をつくっていこうという “ 自己宣言 ” のようなものだった。そのためには、自分のはっきりした生き甲斐をみつけ、それをこの世に残したいという思いだった。
年齢もちょうど三十歳になっていた。人生のトバ口で祝福されて結婚できたのも、何かの啓示のように思われた。これからの生涯を、この妻と手を携え合って、生き甲斐をみつけ、毎日々々生き生きと過ごしていこうと肝に銘じたのである。
今にして思えば、少々照れ臭い “ 気負い ” だったかも知れないが、未だに自分の明るい結婚式を鮮明に思い出すというのは、あのときの “ 決意 ” があったからかもしれない。 つづく
「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:23
2015年4月13日 お仕事 与 え ら れ た 課 題 と 役 割
その当時の私は、証券会社に勤めるごく平凡なサラリーマンだった。どちらかといえば、自己中心主義の多少意固地で人を寄せつけない性格とも思われ、「石部金吉」とも、「朴念仁」とも “ 尊称 ” されることが少なくなかった。
この結婚式の日取りにしても、「何も仏滅の日を選ばなくても・・・」としぶる周囲に、最後まで譲ることなく挙行してしまったほどである。そのせいか、結婚式の当日は、私の性格を知り尽くしている友人や先輩、上司から、さまざまな “ 叱声 ” と “ 糾弾 ” を浴びてしまった。もちろん、私への励ましをこめての話だが・・・。
当時の私の上司などは、「お前らしい結婚式だが、とにかく教会でのアルコール一滴も出ない結婚式など初めてだ。みんなを連れてのに二次会が高くついた・・・」
と、苦笑いの顔をしてブツクサ言っていたし、妻との出会いのいきさつに興味をもっていた親友からは、
「彼は、思う存分見合いの経験を重ね、そして、結婚相手を探すために教会通いをしていたらしい・・・」
などと、披露されてしまった。
私が洗礼をうけてクリスチャンになったのは、大学生の頃からだが、その洗礼を授けた牧師も、結婚式の司式をして、“ 二人は一体となれ ” と心からの説教をしてくれた。とくに、人生の恩師である牧師や仲人、来賓の言葉には、印象深い “ 真理 ” がちりばめられたいたように思う。その言葉は、私にとって実に示唆に富むものであり、私はさっそく、新婚旅行の最初の夜を、その言葉を整理して日記にしたためるために費してしまったほどである。
その内容は、およそ、こんなことだった。
「人間としてチャレンジのないものには、決して燃えたり、生き甲斐を覚えたりなどはしないものだ」
「自分たちのことだけではなく、他者の幸福をも願い、そのためにできる限りの努力を尽くすことができる生涯と家庭・・・それができれば、どれほど光り輝き、生き甲斐ある人生となるであろう・・・」
こうした言葉は、ごく平凡な私のような男でも、気持ちのもちようで、生き生きした素晴らしい人生が送れるんだということを教えていたような気がする。まして、結婚して、もう独身ではない。気ままに、あるいは “ 我 ” を張って生きることはこれ以上、許されない。自己への挑戦と、生き甲斐のある人生・・・この二つが、結婚生活のスタートとともに私に与えられた課題と役割なのだとおもうようになった。
二十年のちの現在、私は通算二十五年勤めたサラリーマン生活に終止符をうち、ライフ・ベンチャーへと “ 船出 ” することになったのである。そこに温かい人の “ 海 ” があり、私という “ 船 ” があり、家庭という “ 母港 ” があるからこそ、四十九歳になった今でも、再び三たび人生の “ 航海 ” に乗り出すこともできるというものだ。
かって、結婚式で味わったあの感動。そして、自分へのベンチャー精神を支えに、生き甲斐ある人生を新たにするために・・・。 つづく
その当時の私は、証券会社に勤めるごく平凡なサラリーマンだった。どちらかといえば、自己中心主義の多少意固地で人を寄せつけない性格とも思われ、「石部金吉」とも、「朴念仁」とも “ 尊称 ” されることが少なくなかった。
この結婚式の日取りにしても、「何も仏滅の日を選ばなくても・・・」としぶる周囲に、最後まで譲ることなく挙行してしまったほどである。そのせいか、結婚式の当日は、私の性格を知り尽くしている友人や先輩、上司から、さまざまな “ 叱声 ” と “ 糾弾 ” を浴びてしまった。もちろん、私への励ましをこめての話だが・・・。
当時の私の上司などは、「お前らしい結婚式だが、とにかく教会でのアルコール一滴も出ない結婚式など初めてだ。みんなを連れてのに二次会が高くついた・・・」
と、苦笑いの顔をしてブツクサ言っていたし、妻との出会いのいきさつに興味をもっていた親友からは、
「彼は、思う存分見合いの経験を重ね、そして、結婚相手を探すために教会通いをしていたらしい・・・」
などと、披露されてしまった。
私が洗礼をうけてクリスチャンになったのは、大学生の頃からだが、その洗礼を授けた牧師も、結婚式の司式をして、“ 二人は一体となれ ” と心からの説教をしてくれた。とくに、人生の恩師である牧師や仲人、来賓の言葉には、印象深い “ 真理 ” がちりばめられたいたように思う。その言葉は、私にとって実に示唆に富むものであり、私はさっそく、新婚旅行の最初の夜を、その言葉を整理して日記にしたためるために費してしまったほどである。
その内容は、およそ、こんなことだった。
「人間としてチャレンジのないものには、決して燃えたり、生き甲斐を覚えたりなどはしないものだ」
「自分たちのことだけではなく、他者の幸福をも願い、そのためにできる限りの努力を尽くすことができる生涯と家庭・・・それができれば、どれほど光り輝き、生き甲斐ある人生となるであろう・・・」
こうした言葉は、ごく平凡な私のような男でも、気持ちのもちようで、生き生きした素晴らしい人生が送れるんだということを教えていたような気がする。まして、結婚して、もう独身ではない。気ままに、あるいは “ 我 ” を張って生きることはこれ以上、許されない。自己への挑戦と、生き甲斐のある人生・・・この二つが、結婚生活のスタートとともに私に与えられた課題と役割なのだとおもうようになった。
二十年のちの現在、私は通算二十五年勤めたサラリーマン生活に終止符をうち、ライフ・ベンチャーへと “ 船出 ” することになったのである。そこに温かい人の “ 海 ” があり、私という “ 船 ” があり、家庭という “ 母港 ” があるからこそ、四十九歳になった今でも、再び三たび人生の “ 航海 ” に乗り出すこともできるというものだ。
かって、結婚式で味わったあの感動。そして、自分へのベンチャー精神を支えに、生き甲斐ある人生を新たにするために・・・。 つづく
「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:24
2015年4月14日 お仕事◎ 海 で 鍛 え た ベ ン チ ャ ー 精 神
ベンチャーという言葉を辞書でひくと、① 冒険、冒険的事業、商売上の冒険、投機、やま ②投機の対象になるもの、賭けたもの、賭け金、などとある。
熟語の at a venture をひくと、「冒険的に」「運まかせに」「でたらめに」などという用語さえでてくる。
ベンチャー実践者の元祖をたどれば、アメリカ大陸発見者コロンブスだという人もいるが、ベンチャーには男の雄大なロマンを行動指針とした、生き甲斐の確たる信念が不可欠であるように思う。
だから、私がライフ・ベンチャーという言葉を使う場合、でたらめとか、運まかせという意味で使うことは滅多にない。むしろ、いい意味で背伸びをして、自分自身に対する挑戦、自分を脳力開発して高みにひっぱり上げるための人生冒険という意味合いで日常は使用している。
私が、ベンチャーという言葉の意味をおぼろげながらも理解しはじめたのは、すでに小学校時代、父の教えによってであった。
私が生まれたのは、昭和十年七月二十一日、香川県小豆(しょうづ)郡土庄(とのしょう)町・・・あの高峰秀子の演じる『二十四の瞳』で有名な小豆島の最先端の町である。私は、生まれた時から、国立公園の屋島を背景にして、赤々と沈んでゆく夕日の美しさを見ながら育った。
しかし、半農半漁の、工場もない島で生きていくためには、家業を継ぐか、そうでなければ外国航路船の船乗りにでもなって世界に “ 出帆 ” することが、当時の人たちの生き方だった。
明治二十五年生まれの私の父も、近衛兵としての軍隊生活のあと、“ 外航船 ” に乗って横浜とアメリカのシアトル間を往復した船乗りの一人だった。
私が七人兄姉の末っ子として生まれた頃には、父はすでに、およそ二十トンあまりの小さな機帆船の “ 船持ち ” として、農産物ほか、ありとあらゆる日用品・雑貨を仕入れ、それを阪神の港に届ける海運業の自営業者として活躍していた。いわば、“ 海の男 ” であった。 つづく
ベンチャーという言葉を辞書でひくと、① 冒険、冒険的事業、商売上の冒険、投機、やま ②投機の対象になるもの、賭けたもの、賭け金、などとある。
熟語の at a venture をひくと、「冒険的に」「運まかせに」「でたらめに」などという用語さえでてくる。
ベンチャー実践者の元祖をたどれば、アメリカ大陸発見者コロンブスだという人もいるが、ベンチャーには男の雄大なロマンを行動指針とした、生き甲斐の確たる信念が不可欠であるように思う。
だから、私がライフ・ベンチャーという言葉を使う場合、でたらめとか、運まかせという意味で使うことは滅多にない。むしろ、いい意味で背伸びをして、自分自身に対する挑戦、自分を脳力開発して高みにひっぱり上げるための人生冒険という意味合いで日常は使用している。
私が、ベンチャーという言葉の意味をおぼろげながらも理解しはじめたのは、すでに小学校時代、父の教えによってであった。
私が生まれたのは、昭和十年七月二十一日、香川県小豆(しょうづ)郡土庄(とのしょう)町・・・あの高峰秀子の演じる『二十四の瞳』で有名な小豆島の最先端の町である。私は、生まれた時から、国立公園の屋島を背景にして、赤々と沈んでゆく夕日の美しさを見ながら育った。
しかし、半農半漁の、工場もない島で生きていくためには、家業を継ぐか、そうでなければ外国航路船の船乗りにでもなって世界に “ 出帆 ” することが、当時の人たちの生き方だった。
明治二十五年生まれの私の父も、近衛兵としての軍隊生活のあと、“ 外航船 ” に乗って横浜とアメリカのシアトル間を往復した船乗りの一人だった。
私が七人兄姉の末っ子として生まれた頃には、父はすでに、およそ二十トンあまりの小さな機帆船の “ 船持ち ” として、農産物ほか、ありとあらゆる日用品・雑貨を仕入れ、それを阪神の港に届ける海運業の自営業者として活躍していた。いわば、“ 海の男 ” であった。 つづく
「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:25
2015年4月15日 お仕事 “ 海 の 男 ” ・父 が 教 え た “ 厳 し さ ”
私の父は、昭和三十五年、六十八歳で生涯を閉じたが、子どもの頃を思い浮かべると、きまって思い出すのは、赤銅色に陽焼けした逞しい父。精悍な顔と、筋骨隆々たる父の腕、そして二本マストに帆を満たして走る “ 千鶴丸(ちかくまる) ” という船である。
北米航路の船員から、一転して小型機帆船オーナーとなって活躍した父は、常々、「鶏口となるも牛後となるなかれ」の諺を座右の銘にしていた。雇われ船長よりも小型船オーナーの道を選んだのも、その一つの実践だったのにちがいない。そうした父の生きざまから、私は子ども心にもベンチャー精神の内実を感じていたような気がする。
私の少年時代は、瀬戸内海の波に輝く船とともにあった。今から思えば、ちっぽけな古風な船一隻に過ぎないが、当時は、その船に乗せてもらって海上を往復することが、無上の喜びだった。凪いだ日など、父は船上でいろいろな話をしてくれた。瀬戸内海のかっての海賊の話、昔の壇ノ浦の戦いで那須余市が扇の的を射た話など、謡うような調子で語ってくれたものである。
父は、よく本を読む習慣があったので、歴史話に詳しく、とりわけ幕末・明治維新の偉人伝、英雄伝が得意だった。話に詰まると、きまってナポレオンや乃木総将軍、西郷どんなどが登場して、船の操舵室を舞台に大活躍するのだった。
そして、「男と生まれた以上、自分の思うとおりのことをやって生きよ。そして、世の中の役に立つ人間になること!」との人生訓話を垂れることが好きだった。
後年、父は積荷の重油缶をもろに脚に落として重傷を負い、半年も満足に歩けず、やがて陸に上がったが、それまでの父は、“ 剛毅 ” を絵に描いたような人生ではなかったかと思う。
“ 板子一枚下は地獄 ” といわれる海の生活もさることながら、海運業というある意味で自然の「運まかせ」、そして「投機」そのものの商売をやりおおせたことなど、そこに海の男の “ ベンチャー魂 ” が感じられてならない。
陸に上がってからの父は、村の総代をやったり、まだ村にラジオがない頃、まっ先に購入して村民にラジオを聞かせたり(私はこのラジオを通して敗戦時の “ 玉音放送 ”を聞いたが)していたが、海で鍛えた剛直な精神と眼光鋭い面構えだけは晩年まで変わらなかった。
そんな父からの “ 血 ”と感化を受けて、少年時代の私は、島の段々畑から目の前をゆっくりと通り過ぎる別府航路の大型船を見やりながら、子ども心に、外航船の高級船員か船長になることを夢見たものだった。それには、小規模の農・漁業だけに頼れず、国の内外航路の船員を志願する先輩・友人たちの影響と小豆島の現実が重くのしかかっていたように思うが・・・。
けれども、同時にそこには、・・・何ものかに常に挑戦し、絶えず自分を乗り越えようとするベンチャー気質といったものが、まだまだ青く堅い種子のままだが、確実に芽生えていたような気がする。オリーヴの風薫る小豆島の自然と風土、そして父の “ 厳しさ ” から、私は幼くして “ ベンチャーの心 ” を学んでいたような気がする。 つづく
私の父は、昭和三十五年、六十八歳で生涯を閉じたが、子どもの頃を思い浮かべると、きまって思い出すのは、赤銅色に陽焼けした逞しい父。精悍な顔と、筋骨隆々たる父の腕、そして二本マストに帆を満たして走る “ 千鶴丸(ちかくまる) ” という船である。
北米航路の船員から、一転して小型機帆船オーナーとなって活躍した父は、常々、「鶏口となるも牛後となるなかれ」の諺を座右の銘にしていた。雇われ船長よりも小型船オーナーの道を選んだのも、その一つの実践だったのにちがいない。そうした父の生きざまから、私は子ども心にもベンチャー精神の内実を感じていたような気がする。
私の少年時代は、瀬戸内海の波に輝く船とともにあった。今から思えば、ちっぽけな古風な船一隻に過ぎないが、当時は、その船に乗せてもらって海上を往復することが、無上の喜びだった。凪いだ日など、父は船上でいろいろな話をしてくれた。瀬戸内海のかっての海賊の話、昔の壇ノ浦の戦いで那須余市が扇の的を射た話など、謡うような調子で語ってくれたものである。
父は、よく本を読む習慣があったので、歴史話に詳しく、とりわけ幕末・明治維新の偉人伝、英雄伝が得意だった。話に詰まると、きまってナポレオンや乃木総将軍、西郷どんなどが登場して、船の操舵室を舞台に大活躍するのだった。
そして、「男と生まれた以上、自分の思うとおりのことをやって生きよ。そして、世の中の役に立つ人間になること!」との人生訓話を垂れることが好きだった。
後年、父は積荷の重油缶をもろに脚に落として重傷を負い、半年も満足に歩けず、やがて陸に上がったが、それまでの父は、“ 剛毅 ” を絵に描いたような人生ではなかったかと思う。
“ 板子一枚下は地獄 ” といわれる海の生活もさることながら、海運業というある意味で自然の「運まかせ」、そして「投機」そのものの商売をやりおおせたことなど、そこに海の男の “ ベンチャー魂 ” が感じられてならない。
陸に上がってからの父は、村の総代をやったり、まだ村にラジオがない頃、まっ先に購入して村民にラジオを聞かせたり(私はこのラジオを通して敗戦時の “ 玉音放送 ”を聞いたが)していたが、海で鍛えた剛直な精神と眼光鋭い面構えだけは晩年まで変わらなかった。
そんな父からの “ 血 ”と感化を受けて、少年時代の私は、島の段々畑から目の前をゆっくりと通り過ぎる別府航路の大型船を見やりながら、子ども心に、外航船の高級船員か船長になることを夢見たものだった。それには、小規模の農・漁業だけに頼れず、国の内外航路の船員を志願する先輩・友人たちの影響と小豆島の現実が重くのしかかっていたように思うが・・・。
けれども、同時にそこには、・・・何ものかに常に挑戦し、絶えず自分を乗り越えようとするベンチャー気質といったものが、まだまだ青く堅い種子のままだが、確実に芽生えていたような気がする。オリーヴの風薫る小豆島の自然と風土、そして父の “ 厳しさ ” から、私は幼くして “ ベンチャーの心 ” を学んでいたような気がする。 つづく
「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:26
2015年4月16日 お仕事◎ 人 や 社 会 に 尽 く す 心 の 大 切 さ
父からは人生の厳しさとベンチャー気質を直かに学んだとすれば、私は母からは、やさしさと慈しみ、そして他者を思いやる気持ちとを、その生活のなかから学び取ったような気がする。
これも、ベンチャー精神に不可欠必要のことがらだと思えてならないのである。
私の母は、明治三十三年生まれで、今年八十八歳だが、健在である。
母は、いってみれば“ 昔風 ”で“ 古風 ”な教育を受けて育った部類の人間である。父には忠実にかしづき、奉仕の精神を旨として、毎日を言葉少なに生きてきた。父の船出中の留守を預かり、七人の子どもの世話を何くれとなく果たした上、春には段々畑に腰をかがめて麦を刈り取り、秋にはイモを収穫しては、ふかして子どもたちに与えてくれていた。
勤勉で剛直な父と、“ 明治の女 ”の良質な部分を備えた母は、今から考えれば、お互いに補い合って仕事に当たった似合いの夫婦であったのかも知れない。
私は、この母から、まともに叱られたという記憶は、一度たりともなかった。いつも、慈愛にみちた母の瞳に守られて育ったような思いがする。厳しい父から怒鳴られたり、頭を叩かれたりした思い出はいくつでもある。夕暮れまで遊び過ぎていて、家の鶏に餌をやることを忘れていたからといって、父からは何度も私は叱られ続けた。“ 晩飯抜き ”が、常に私への罰である。そんな時でも、母は必ず、父にはわからないようにこっそりと、私に夕飯をもってきてくれた。また、飼っていた牛の“ 飼葉 ”を切り忘れたといっては、父の怒りに触れ、私が牛小屋に投げ込まれそうになったときに、仁王立ちになって身体を張り止めたのは、ほかならぬ母だった。
母は、寡黙ではあったが、しかし、人に対して決して小言はいわず、反対に他人の長所を心から誉めることに生き甲斐と喜びをもっていたようだ。自分の子どもたちに対しても、その子のもっている潜在能力を巧みにひき出し、いつの間にか自信を与える術とコツを、母は何気ない言葉と動作でいつも実証してくれていた。
私に対しても、
「お前は、本気でやれば何でもできる子なんだ」
「お前は本当に手がかからず、何でもよくやってくれるよ・・・」
と、いつ、どんなときでも励まし続けてくれる母だった。 つづく
父からは人生の厳しさとベンチャー気質を直かに学んだとすれば、私は母からは、やさしさと慈しみ、そして他者を思いやる気持ちとを、その生活のなかから学び取ったような気がする。
これも、ベンチャー精神に不可欠必要のことがらだと思えてならないのである。
私の母は、明治三十三年生まれで、今年八十八歳だが、健在である。
母は、いってみれば“ 昔風 ”で“ 古風 ”な教育を受けて育った部類の人間である。父には忠実にかしづき、奉仕の精神を旨として、毎日を言葉少なに生きてきた。父の船出中の留守を預かり、七人の子どもの世話を何くれとなく果たした上、春には段々畑に腰をかがめて麦を刈り取り、秋にはイモを収穫しては、ふかして子どもたちに与えてくれていた。
勤勉で剛直な父と、“ 明治の女 ”の良質な部分を備えた母は、今から考えれば、お互いに補い合って仕事に当たった似合いの夫婦であったのかも知れない。
私は、この母から、まともに叱られたという記憶は、一度たりともなかった。いつも、慈愛にみちた母の瞳に守られて育ったような思いがする。厳しい父から怒鳴られたり、頭を叩かれたりした思い出はいくつでもある。夕暮れまで遊び過ぎていて、家の鶏に餌をやることを忘れていたからといって、父からは何度も私は叱られ続けた。“ 晩飯抜き ”が、常に私への罰である。そんな時でも、母は必ず、父にはわからないようにこっそりと、私に夕飯をもってきてくれた。また、飼っていた牛の“ 飼葉 ”を切り忘れたといっては、父の怒りに触れ、私が牛小屋に投げ込まれそうになったときに、仁王立ちになって身体を張り止めたのは、ほかならぬ母だった。
母は、寡黙ではあったが、しかし、人に対して決して小言はいわず、反対に他人の長所を心から誉めることに生き甲斐と喜びをもっていたようだ。自分の子どもたちに対しても、その子のもっている潜在能力を巧みにひき出し、いつの間にか自信を与える術とコツを、母は何気ない言葉と動作でいつも実証してくれていた。
私に対しても、
「お前は、本気でやれば何でもできる子なんだ」
「お前は本当に手がかからず、何でもよくやってくれるよ・・・」
と、いつ、どんなときでも励まし続けてくれる母だった。 つづく
日本人事部Net/シニア就労応援情報
2015年4月17日 お仕事日本最大のHRインターネット/日本の人事部Net紹介
[企業人事部]2015/04/17
ロ ー ソ ン 、「 生 涯 現 役 社 会 」 の 実 現 !
横浜市とローソンが連携して、シニアの就労を応援します!
横浜市では、活力ある超高齢社会を築くため、企業や地域活動における高齢者の活躍の場を拡大し、高齢者が社会参加できる仕組みづくりを進めています。 このたび、横浜市と株式会社ローソンは高齢者の就労支援・活躍推進において連携し、就労意欲の高い高齢者のニーズに応え、高齢者が生涯現役で活躍し続けられる仕組みづくりに取り組んでいきます。
■ 経 緯
横浜市では、高齢者の心身の状況に合わせた就労や地域活動などを紹介し、社会参加を促していく相談窓口『生きがい就労支援スポット』を平成26年12月に金沢区でモデル開設しました。開設以降、350名以上の高齢者の相談に対応しています。
このたびの連携は、就労先の開拓に取り組む中で、高齢者の活躍推進に積極的な株式会社ローソンからの提案により実現したものです。
ローソンでは、高齢者の就労支援において自治体と連携する初の取組となります。
横浜市とローソンは、平成21年に、市内における地域の一層の活性化を目的とした『包括連携協定』を締結しており、今後も生涯現役社会の実現に向けて協力・連携を推し進めていきます。
【『生きがい就労支援スポット』の概要】
1. 窓 口 開 設 場 所 :
いきいきセンター金沢 4階(金沢区泥亀1-21-5)
※4階建の福祉施設で、ケアプラザやボランティアセンター等が併設
2. 窓 口 開 設 日 :
平 成 2 6 年 1 2 月 1 5 日(月)から
3. 相 談 受 付 時 間 :
月~金 9:00~17:00(土日祝日・年末年始は休み)※『生きがい就労支援スポット』は、横浜市シルバー人材センターに業務を委託して運営しています。
■ 生 き が い 就 労 支 援 ス ポ ッ ト で の 連 携 に つ い て
1 シニアのニーズに対応した連携内容
『生きがい就労支援スポット』において、ローソンの子会社であるローソンスタッフ株式会社が実施している「ローソンスタッフ登録説明会」を開催していただきます。
『生きがい就労支援スポット』では、相談者の6割以上の方が就労を希望されており、これまでも、社会参加を促すセミナー等を開催してきましたが、今回の登録説明会の開催により、就労意欲の高い高齢者のニーズに応え、より一層、高齢者の活躍の場を広げていきます。
なお、登録説明会への参加申込みには、年齢制限(上限)はありません。
2 ローソンスタッフ登録説明会の概要
「ローソンスタッフ登録説明会」に参加し、ローソンスタッフに登録した高齢者は、1.勤務する店舗の紹介・あっせん、2.コンビニでの勤務に向けた研修を受講することができます。
第一回目の説明会は、4月30日(木)に開催し、今後も随時、説明会を開催していきます。
株式会社ローソンでの高齢者の活躍推進の取組について
株式会社ローソンでは、平成26年3月にコンビニエンスストア向けの人材紹介を担う会社「ローソンスタッフ株式会社」を設立し、店舗スタッフの確保に向けた取組を進めています。スタッフ候補として、高齢者や主婦、外国人留学生を積極的に受入れ、働く側のニーズに合わせて勤務店の紹介・あっせんや研修支援を行っています。
また、昨年には加盟店オーナーの契約年齢上限を55歳から65歳に引き上げるなど、積極的な高齢者の就労支援を推進しています。
◆ 本リリースの詳細は、こちらをご覧ください。
(株式会社ローソン http://www.lawson.co.jp/ /4月15日発表・同社プレスリリースより転載)
[企業人事部]2015/04/17
ロ ー ソ ン 、「 生 涯 現 役 社 会 」 の 実 現 !
横浜市とローソンが連携して、シニアの就労を応援します!
横浜市では、活力ある超高齢社会を築くため、企業や地域活動における高齢者の活躍の場を拡大し、高齢者が社会参加できる仕組みづくりを進めています。 このたび、横浜市と株式会社ローソンは高齢者の就労支援・活躍推進において連携し、就労意欲の高い高齢者のニーズに応え、高齢者が生涯現役で活躍し続けられる仕組みづくりに取り組んでいきます。
■ 経 緯
横浜市では、高齢者の心身の状況に合わせた就労や地域活動などを紹介し、社会参加を促していく相談窓口『生きがい就労支援スポット』を平成26年12月に金沢区でモデル開設しました。開設以降、350名以上の高齢者の相談に対応しています。
このたびの連携は、就労先の開拓に取り組む中で、高齢者の活躍推進に積極的な株式会社ローソンからの提案により実現したものです。
ローソンでは、高齢者の就労支援において自治体と連携する初の取組となります。
横浜市とローソンは、平成21年に、市内における地域の一層の活性化を目的とした『包括連携協定』を締結しており、今後も生涯現役社会の実現に向けて協力・連携を推し進めていきます。
【『生きがい就労支援スポット』の概要】
1. 窓 口 開 設 場 所 :
いきいきセンター金沢 4階(金沢区泥亀1-21-5)
※4階建の福祉施設で、ケアプラザやボランティアセンター等が併設
2. 窓 口 開 設 日 :
平 成 2 6 年 1 2 月 1 5 日(月)から
3. 相 談 受 付 時 間 :
月~金 9:00~17:00(土日祝日・年末年始は休み)※『生きがい就労支援スポット』は、横浜市シルバー人材センターに業務を委託して運営しています。
■ 生 き が い 就 労 支 援 ス ポ ッ ト で の 連 携 に つ い て
1 シニアのニーズに対応した連携内容
『生きがい就労支援スポット』において、ローソンの子会社であるローソンスタッフ株式会社が実施している「ローソンスタッフ登録説明会」を開催していただきます。
『生きがい就労支援スポット』では、相談者の6割以上の方が就労を希望されており、これまでも、社会参加を促すセミナー等を開催してきましたが、今回の登録説明会の開催により、就労意欲の高い高齢者のニーズに応え、より一層、高齢者の活躍の場を広げていきます。
なお、登録説明会への参加申込みには、年齢制限(上限)はありません。
2 ローソンスタッフ登録説明会の概要
「ローソンスタッフ登録説明会」に参加し、ローソンスタッフに登録した高齢者は、1.勤務する店舗の紹介・あっせん、2.コンビニでの勤務に向けた研修を受講することができます。
第一回目の説明会は、4月30日(木)に開催し、今後も随時、説明会を開催していきます。
株式会社ローソンでの高齢者の活躍推進の取組について
株式会社ローソンでは、平成26年3月にコンビニエンスストア向けの人材紹介を担う会社「ローソンスタッフ株式会社」を設立し、店舗スタッフの確保に向けた取組を進めています。スタッフ候補として、高齢者や主婦、外国人留学生を積極的に受入れ、働く側のニーズに合わせて勤務店の紹介・あっせんや研修支援を行っています。
また、昨年には加盟店オーナーの契約年齢上限を55歳から65歳に引き上げるなど、積極的な高齢者の就労支援を推進しています。
◆ 本リリースの詳細は、こちらをご覧ください。
(株式会社ローソン http://www.lawson.co.jp/ /4月15日発表・同社プレスリリースより転載)
「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:27
2015年4月18日 お仕事他 人 に 対 す る “ い た わ り ” を 教 え た 母
当時は戦争中でもあり、私はいっぱしの“ 皇国少年 ”で、神社や祠の前を通るときには必ず掌を合わせて頭を下げる習慣があった。村の年寄りに出会うと、誰彼の別なく、大声で几帳面に声をかけ挨拶していた。そんなことも、母が目を細めて誉める対象となった。「敬う心をもつことは大切なことなんだよ。そうして、年寄りや弱い人を大事にすることは、本当に尊いことなんだよ・・・」
どちらかといえば、少年時代の私は、負けず嫌いの性格だった。
友達や遊び仲間がみな一様にできて、私にできないことの一つでもあると、もう口惜しくてたまらないほうなのである。子どもの遊びで、道を駆け抜けて下の段々畑へ跳び下りる、いわば“ 度胸だめし ”ができなかったときや、浜辺から沖の堤防までおよそ三百メートルほどの距離の泳ぎができない時など、子ども心にも、それこそ “ 命懸け ”の思いで訓練したものである。
私が何かに挑戦して、自分の工夫でできるようになったことを、母に誉められたい一心だったのかも知れない。
負けじ魂を発揮して、とっぷり日が暮れるまで練習をしている間中、すぐ近くに、母の温かい励ましの言葉が聞こえていたような気がしてならなかった。
この母は、今も田舎に暮らしながら、時々、近所の人に代筆してもらった手紙を私たちに送ってくる。そこには、たいてい、こう記されている。
『お前たちがいっしょに暮らそうといってくれるのはありがたいが、私がいなくなると、話し相手がないといって、年寄りや村の子どもたちがさびしがるでなあ・・・』
母は、村の“ 老人大学 ”では最年長だが、今なお、人の立場に立って人に尽くすことを気持ちだけでも実践しており、そこに生き甲斐をみつけてあゆんでいるのである。
学校で満足に教育を受けたこともない田舎の凡々たる母ではあるが、私はこの母から、限りないやさしさを教わったように思う。他人に対するいたわりや、人を心から大切にする姿勢は、ベンチャーする場合に欠かせないものなのである。
ベンチャーによって、自己の潜在する能力を高めることは、同時に周囲に接する人たちの潜在能力をも伸ばすことにつながらなければならない。相手の立場を思いやるやさしさがあってこそ、それが可能となるものだ。
人や社会に尽くすことが生き甲斐の一つとして感じられること・・・それこそがベンチャー精神の“ 下地 ”となっているものなのである。 つづく
当時は戦争中でもあり、私はいっぱしの“ 皇国少年 ”で、神社や祠の前を通るときには必ず掌を合わせて頭を下げる習慣があった。村の年寄りに出会うと、誰彼の別なく、大声で几帳面に声をかけ挨拶していた。そんなことも、母が目を細めて誉める対象となった。「敬う心をもつことは大切なことなんだよ。そうして、年寄りや弱い人を大事にすることは、本当に尊いことなんだよ・・・」
どちらかといえば、少年時代の私は、負けず嫌いの性格だった。
友達や遊び仲間がみな一様にできて、私にできないことの一つでもあると、もう口惜しくてたまらないほうなのである。子どもの遊びで、道を駆け抜けて下の段々畑へ跳び下りる、いわば“ 度胸だめし ”ができなかったときや、浜辺から沖の堤防までおよそ三百メートルほどの距離の泳ぎができない時など、子ども心にも、それこそ “ 命懸け ”の思いで訓練したものである。
私が何かに挑戦して、自分の工夫でできるようになったことを、母に誉められたい一心だったのかも知れない。
負けじ魂を発揮して、とっぷり日が暮れるまで練習をしている間中、すぐ近くに、母の温かい励ましの言葉が聞こえていたような気がしてならなかった。
この母は、今も田舎に暮らしながら、時々、近所の人に代筆してもらった手紙を私たちに送ってくる。そこには、たいてい、こう記されている。
『お前たちがいっしょに暮らそうといってくれるのはありがたいが、私がいなくなると、話し相手がないといって、年寄りや村の子どもたちがさびしがるでなあ・・・』
母は、村の“ 老人大学 ”では最年長だが、今なお、人の立場に立って人に尽くすことを気持ちだけでも実践しており、そこに生き甲斐をみつけてあゆんでいるのである。
学校で満足に教育を受けたこともない田舎の凡々たる母ではあるが、私はこの母から、限りないやさしさを教わったように思う。他人に対するいたわりや、人を心から大切にする姿勢は、ベンチャーする場合に欠かせないものなのである。
ベンチャーによって、自己の潜在する能力を高めることは、同時に周囲に接する人たちの潜在能力をも伸ばすことにつながらなければならない。相手の立場を思いやるやさしさがあってこそ、それが可能となるものだ。
人や社会に尽くすことが生き甲斐の一つとして感じられること・・・それこそがベンチャー精神の“ 下地 ”となっているものなのである。 つづく
「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:28
2015年4月19日 お仕事◎ “ マ ラ ソ ン 人 生 ” へ の 挑 戦
どちらかといえば、私は“ 長距離型 ”ランナーであったような気がする。
大学時代の学部対抗駅伝に出場して、区間賞を獲得したこともあるが、一気に、ゴールになだれ込む、短距離競
走よりも、マラソンのほうが得意であった。長時間かけてベース配分を守り、体力を持続させて、自分のがんばりを十二分に発揮することができるからである。
大学を卒業するまでの私も、“ マラソン型 ”の歩みに近かったようだ。
私は船長になりたいという“ 少年の夢 ”にも拘らず、中学・高校へ進むうちに、いつの間にか重傷を負った父と同じ商売は嫌だという思いにとらわれるようになっていた。私の“ 静かなる反抗期 ”であり、父の商売の苦労を半面教師と見立てはじめていたのかもしれないが、大学を出てサラリーマンになるんだという、平凡を求める道を踏み出していた。
地元の高校を卒業すると、電気技士にでもなるつもりで神戸大学の工学部を受けた。滑り止めとして大阪府立大も受験したが、両方ともみごと失敗してしまった。
島の高校でのんびり過ごしてきた私には、何より学力が不足していたし、神戸大の最初の数学の試験に遅刻するというハプニングに見舞われてしまったのだ。加えて、試験場では、緊張のあまりか、気が動転してしまう癖が私にはあったから、たまったものではない。無惨なものだった。
私の不合格を両親に伝えると、父は世間体を気にしてか、ガックリと寂しそうな顔をしたが、母はそんな素ぶりを微塵もみせずに、かえって慰めてくれた。
「お前、何も大学にしがみつかなくたって、店員や“ 店番 ”になったっていいんだよ・・・」
母の言葉を聞いて、私は救われた思いだった。一度は大学受験をあきらめて、実習で電気技士を志し、一時神戸の湊川のラジオ商店の店番をしたこともある。しかし、父や兄の強いすすめもあって、再度、大学受験目指して、一年間浪人生として神戸のYMCAに通った。 つづく
どちらかといえば、私は“ 長距離型 ”ランナーであったような気がする。
大学時代の学部対抗駅伝に出場して、区間賞を獲得したこともあるが、一気に、ゴールになだれ込む、短距離競
走よりも、マラソンのほうが得意であった。長時間かけてベース配分を守り、体力を持続させて、自分のがんばりを十二分に発揮することができるからである。
大学を卒業するまでの私も、“ マラソン型 ”の歩みに近かったようだ。
私は船長になりたいという“ 少年の夢 ”にも拘らず、中学・高校へ進むうちに、いつの間にか重傷を負った父と同じ商売は嫌だという思いにとらわれるようになっていた。私の“ 静かなる反抗期 ”であり、父の商売の苦労を半面教師と見立てはじめていたのかもしれないが、大学を出てサラリーマンになるんだという、平凡を求める道を踏み出していた。
地元の高校を卒業すると、電気技士にでもなるつもりで神戸大学の工学部を受けた。滑り止めとして大阪府立大も受験したが、両方ともみごと失敗してしまった。
島の高校でのんびり過ごしてきた私には、何より学力が不足していたし、神戸大の最初の数学の試験に遅刻するというハプニングに見舞われてしまったのだ。加えて、試験場では、緊張のあまりか、気が動転してしまう癖が私にはあったから、たまったものではない。無惨なものだった。
私の不合格を両親に伝えると、父は世間体を気にしてか、ガックリと寂しそうな顔をしたが、母はそんな素ぶりを微塵もみせずに、かえって慰めてくれた。
「お前、何も大学にしがみつかなくたって、店員や“ 店番 ”になったっていいんだよ・・・」
母の言葉を聞いて、私は救われた思いだった。一度は大学受験をあきらめて、実習で電気技士を志し、一時神戸の湊川のラジオ商店の店番をしたこともある。しかし、父や兄の強いすすめもあって、再度、大学受験目指して、一年間浪人生として神戸のYMCAに通った。 つづく
「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:29
2015年4月20日 お仕事 行 き 先 の 違 う 切 符 で 再 出 発
浪人とはいえ、なるだけ父に負担をかけたくない気持ちで朝は四時半から一、二時間、新聞配達に精を出した。
型の古い大型自転車が私の“ 武器 ”であった。あのギィーギィー音のする自転車を駆ってである。一地区、およそ百軒くらいの配達だったが、当時、それでも月、二千円か三千円のアルバイト料になったし、おかげで体力と忍耐も身につけることができた。
夏場には、夕刻、義兄の手伝いとして、サイダーやジュースといった清涼飲料水を売って歩いたこともある。自転車の荷台にビンを積み込み、チリン、チリンと鈴を鳴らしながらである。
ときには、古ぼけた“ 愛車 ”に乗って、神戸―大阪間を何回か往復したこともあった。神戸―大阪間、約四〇キロの道のりを、およそ二時間ほどかけて、疾走するのだ。ポンコツ自転車だったので、現在のように変速ギアがあるわけでなし、「サイクリング」とはほど遠い気分だったが、それも自分の体力への挑戦のつもりだった。もっとも、大阪に住んでいた姉宅へ転がり込めば、その日の夕飯がタダになるという“ 打算 ”がないわけではなかったが・・・。
一年後、万全を期して、神戸大学経営学部に再挑戦したが、再び“ 不合格 ”の烙印を押され、さすがにこの時は、がっくり落ち込んでしまった。だが、思いがけずも、二次志望の国立二期校、大阪外語大インド語学科から、
日ならずして合格の通知が届いた。予期しないことで、まるで行き先の違う切符をもらったような気分になってしまった。
この頃、私には人生のはっきりした夢やライフ・プランがあったわけではない。
いわば、両親の元を離れ、はじめて人生のマラソンレースの出発点に立って、スタート姿勢をとろうと身構えたばかりのような気がする。あれほど熱情を注ぎ、これしかないと突き進んだ神戸大に、いってみれば“ 歯牙 ”にもひっかけなかった大阪外語大から“ 大学生 ”の通知を受けようなんて、予想だにしなかったのだ。
そんなことから、私は数日間、ポカンとした状態のまま、何かしら人生の皮肉とか、人や社会の機縁の不可思議さといったものを実感せざるを得なかった次第である。
しかし、人生という“ マラソンレース ”に挑戦し、のっけからその妙味を直かに与えられたということは、今なお“ マラソン人生 ”を歩み続けている私にとって、最初の、“ 正解 ”だったような気がしてならない。
そのごの大学生活で、キリストと出会い、私の人生の“ 路 ”が定まったことを思えば、その若い日の機縁に今でも私は感謝したい気持ちである。 つづく
浪人とはいえ、なるだけ父に負担をかけたくない気持ちで朝は四時半から一、二時間、新聞配達に精を出した。
型の古い大型自転車が私の“ 武器 ”であった。あのギィーギィー音のする自転車を駆ってである。一地区、およそ百軒くらいの配達だったが、当時、それでも月、二千円か三千円のアルバイト料になったし、おかげで体力と忍耐も身につけることができた。
夏場には、夕刻、義兄の手伝いとして、サイダーやジュースといった清涼飲料水を売って歩いたこともある。自転車の荷台にビンを積み込み、チリン、チリンと鈴を鳴らしながらである。
ときには、古ぼけた“ 愛車 ”に乗って、神戸―大阪間を何回か往復したこともあった。神戸―大阪間、約四〇キロの道のりを、およそ二時間ほどかけて、疾走するのだ。ポンコツ自転車だったので、現在のように変速ギアがあるわけでなし、「サイクリング」とはほど遠い気分だったが、それも自分の体力への挑戦のつもりだった。もっとも、大阪に住んでいた姉宅へ転がり込めば、その日の夕飯がタダになるという“ 打算 ”がないわけではなかったが・・・。
一年後、万全を期して、神戸大学経営学部に再挑戦したが、再び“ 不合格 ”の烙印を押され、さすがにこの時は、がっくり落ち込んでしまった。だが、思いがけずも、二次志望の国立二期校、大阪外語大インド語学科から、
日ならずして合格の通知が届いた。予期しないことで、まるで行き先の違う切符をもらったような気分になってしまった。
この頃、私には人生のはっきりした夢やライフ・プランがあったわけではない。
いわば、両親の元を離れ、はじめて人生のマラソンレースの出発点に立って、スタート姿勢をとろうと身構えたばかりのような気がする。あれほど熱情を注ぎ、これしかないと突き進んだ神戸大に、いってみれば“ 歯牙 ”にもひっかけなかった大阪外語大から“ 大学生 ”の通知を受けようなんて、予想だにしなかったのだ。
そんなことから、私は数日間、ポカンとした状態のまま、何かしら人生の皮肉とか、人や社会の機縁の不可思議さといったものを実感せざるを得なかった次第である。
しかし、人生という“ マラソンレース ”に挑戦し、のっけからその妙味を直かに与えられたということは、今なお“ マラソン人生 ”を歩み続けている私にとって、最初の、“ 正解 ”だったような気がしてならない。
そのごの大学生活で、キリストと出会い、私の人生の“ 路 ”が定まったことを思えば、その若い日の機縁に今でも私は感謝したい気持ちである。 つづく
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