◎ キ  リ  ス  ト  教  と  の  出  会  い

  最初から私は、親の仕送りに頼らず自力で大学を出るつもりだった。だから、大学の掲示板に張り出されるアルバイト募集には、全部、目を通していた。

  工場の深夜業(当時は夜勤三交代制もあった)や宛名書きはもちろんのこと、新聞配達に加えて、季節ごとにはデパートの配達にも手を染めたりした。

  なかでも、いちばん割のいいアルバイトが家庭教師であった。家庭教師といっても、小・中学生に、まさかインド語を教えることはなかったが、週二、三回通うだけで、安定的な収入になったし、たいていは晩飯つきというのが嬉しかった。

  一刻も休まず身体を動かし、絶えず“ 背伸び ”した行動をとろうとする私の性格は、すでにこの頃から身に備わっていったに違いない。

  肝心の大阪外語大インド語科の学生としては、私は、背伸びしたところで、語学では決してデキのいい学生ではなかった。私にとっては“ 不本意 ”な二期校であるという意識がしばらく作用していたし、ウルドウ語やヒンディー語にいたっては、怠けてばかりで、徹底して学ぼうという意識が生まれないのであった。むしろ、当時の大学校舎は高槻兵舎跡の木造だったので、壁に穴をあけて隣のアラビア語教室に通う美女を競い合って盗み見たり、たまたまインド語会話担当の教授が高齢で目も耳も悪いのを幸いに、テストになると大っぴらにカンニングをやったりといった“ イカサマ勉学 ”を繰り返していた。そのせいかどうか、私のインド語は、「ナマステ(こんにちは)」
と、教科書の冒頭にある言葉を喋ることができる程度のものである。

  けれども、大阪外国大の四年間は、それ以上に得がたいものを、私に与えてくれた。それは、親友に導かれながらキリストに邂逅したことであった。   つづく