「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:17
2015年4月2日 お仕事 企 業 へ の 貢 献 度 が ベ ン チ ャ ー の 別 れ 道
私の「ライフ・ベンチャー株式会社」は、創業第一期である昭和59年12月の決算で、年率1割以上の初配当を実施することができた。友人や知人からは、「最初から無理は禁物」とたびたび忠告されたが、無理をしても1割の配当実施目標は、私の当初からの経営戦略だった。
それは、堅実な実施目標に向かって、“ 背伸び ”を自分に課して“ 自己開発 ”をはかることが、私のベンチャーなのだからである。
また、家族4人が何とか食べていけるだけの給与も何とか確保することもできた。それというのも、ベンチャーして最初から失敗しないために、私は“ 無謀な脱サラ ”は用心深く避けてきたつもりだし、それ以上に、創業時の発起人の協力と理解ある友人、仲間の支援のお蔭があったからだと、感謝している。
脱サラをする場合、日本の社会で大事なことは、円満退社を周囲に認めてもらうことである。会社と喧嘩別れするのではなく、合意と納得づくで円満退社に漕ぎつけることが前提なのだ。
私がベンチャーするために退社したのは昭和59年2月末だが、およそ半年以上をかけて、勤務先の社長や他の役員を説得した。そして忍耐とねばりを発揮して、私の新たなるベンチャー企業へのスタートアップの出資と、コンサルタント契約の締結を実現することができた。
こうしたスタートアップが、私にとって精神的、経済的に大きな支えとなったのは事実といえる。無難に“ 小さく生んで、大きく育てる ”の当初方針の結果が、第1期1割配当の実施とあいなった次第である。自慢ではないが“ 初めよければすべて良し ”で、創業当初に甘えない覚悟が幸いした。
身軽なスタートアップの次には、即座に足腰をしっかり鍛えあげなければならない。ライフ・ベンチャー第2期の発展目標は、資金力の増強を図り、企業規模を拡大することである。現状に甘んじて“ 安住の湯 ”につかるより、多少の苦労は覚悟しても、将来への発展の夢をこの手でつかみたいからである。 つづく
私の「ライフ・ベンチャー株式会社」は、創業第一期である昭和59年12月の決算で、年率1割以上の初配当を実施することができた。友人や知人からは、「最初から無理は禁物」とたびたび忠告されたが、無理をしても1割の配当実施目標は、私の当初からの経営戦略だった。
それは、堅実な実施目標に向かって、“ 背伸び ”を自分に課して“ 自己開発 ”をはかることが、私のベンチャーなのだからである。
また、家族4人が何とか食べていけるだけの給与も何とか確保することもできた。それというのも、ベンチャーして最初から失敗しないために、私は“ 無謀な脱サラ ”は用心深く避けてきたつもりだし、それ以上に、創業時の発起人の協力と理解ある友人、仲間の支援のお蔭があったからだと、感謝している。
脱サラをする場合、日本の社会で大事なことは、円満退社を周囲に認めてもらうことである。会社と喧嘩別れするのではなく、合意と納得づくで円満退社に漕ぎつけることが前提なのだ。
私がベンチャーするために退社したのは昭和59年2月末だが、およそ半年以上をかけて、勤務先の社長や他の役員を説得した。そして忍耐とねばりを発揮して、私の新たなるベンチャー企業へのスタートアップの出資と、コンサルタント契約の締結を実現することができた。
こうしたスタートアップが、私にとって精神的、経済的に大きな支えとなったのは事実といえる。無難に“ 小さく生んで、大きく育てる ”の当初方針の結果が、第1期1割配当の実施とあいなった次第である。自慢ではないが“ 初めよければすべて良し ”で、創業当初に甘えない覚悟が幸いした。
身軽なスタートアップの次には、即座に足腰をしっかり鍛えあげなければならない。ライフ・ベンチャー第2期の発展目標は、資金力の増強を図り、企業規模を拡大することである。現状に甘んじて“ 安住の湯 ”につかるより、多少の苦労は覚悟しても、将来への発展の夢をこの手でつかみたいからである。 つづく