「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:27
2015年4月18日 お仕事他 人 に 対 す る “ い た わ り ” を 教 え た 母
当時は戦争中でもあり、私はいっぱしの“ 皇国少年 ”で、神社や祠の前を通るときには必ず掌を合わせて頭を下げる習慣があった。村の年寄りに出会うと、誰彼の別なく、大声で几帳面に声をかけ挨拶していた。そんなことも、母が目を細めて誉める対象となった。「敬う心をもつことは大切なことなんだよ。そうして、年寄りや弱い人を大事にすることは、本当に尊いことなんだよ・・・」
どちらかといえば、少年時代の私は、負けず嫌いの性格だった。
友達や遊び仲間がみな一様にできて、私にできないことの一つでもあると、もう口惜しくてたまらないほうなのである。子どもの遊びで、道を駆け抜けて下の段々畑へ跳び下りる、いわば“ 度胸だめし ”ができなかったときや、浜辺から沖の堤防までおよそ三百メートルほどの距離の泳ぎができない時など、子ども心にも、それこそ “ 命懸け ”の思いで訓練したものである。
私が何かに挑戦して、自分の工夫でできるようになったことを、母に誉められたい一心だったのかも知れない。
負けじ魂を発揮して、とっぷり日が暮れるまで練習をしている間中、すぐ近くに、母の温かい励ましの言葉が聞こえていたような気がしてならなかった。
この母は、今も田舎に暮らしながら、時々、近所の人に代筆してもらった手紙を私たちに送ってくる。そこには、たいてい、こう記されている。
『お前たちがいっしょに暮らそうといってくれるのはありがたいが、私がいなくなると、話し相手がないといって、年寄りや村の子どもたちがさびしがるでなあ・・・』
母は、村の“ 老人大学 ”では最年長だが、今なお、人の立場に立って人に尽くすことを気持ちだけでも実践しており、そこに生き甲斐をみつけてあゆんでいるのである。
学校で満足に教育を受けたこともない田舎の凡々たる母ではあるが、私はこの母から、限りないやさしさを教わったように思う。他人に対するいたわりや、人を心から大切にする姿勢は、ベンチャーする場合に欠かせないものなのである。
ベンチャーによって、自己の潜在する能力を高めることは、同時に周囲に接する人たちの潜在能力をも伸ばすことにつながらなければならない。相手の立場を思いやるやさしさがあってこそ、それが可能となるものだ。
人や社会に尽くすことが生き甲斐の一つとして感じられること・・・それこそがベンチャー精神の“ 下地 ”となっているものなのである。 つづく
当時は戦争中でもあり、私はいっぱしの“ 皇国少年 ”で、神社や祠の前を通るときには必ず掌を合わせて頭を下げる習慣があった。村の年寄りに出会うと、誰彼の別なく、大声で几帳面に声をかけ挨拶していた。そんなことも、母が目を細めて誉める対象となった。「敬う心をもつことは大切なことなんだよ。そうして、年寄りや弱い人を大事にすることは、本当に尊いことなんだよ・・・」
どちらかといえば、少年時代の私は、負けず嫌いの性格だった。
友達や遊び仲間がみな一様にできて、私にできないことの一つでもあると、もう口惜しくてたまらないほうなのである。子どもの遊びで、道を駆け抜けて下の段々畑へ跳び下りる、いわば“ 度胸だめし ”ができなかったときや、浜辺から沖の堤防までおよそ三百メートルほどの距離の泳ぎができない時など、子ども心にも、それこそ “ 命懸け ”の思いで訓練したものである。
私が何かに挑戦して、自分の工夫でできるようになったことを、母に誉められたい一心だったのかも知れない。
負けじ魂を発揮して、とっぷり日が暮れるまで練習をしている間中、すぐ近くに、母の温かい励ましの言葉が聞こえていたような気がしてならなかった。
この母は、今も田舎に暮らしながら、時々、近所の人に代筆してもらった手紙を私たちに送ってくる。そこには、たいてい、こう記されている。
『お前たちがいっしょに暮らそうといってくれるのはありがたいが、私がいなくなると、話し相手がないといって、年寄りや村の子どもたちがさびしがるでなあ・・・』
母は、村の“ 老人大学 ”では最年長だが、今なお、人の立場に立って人に尽くすことを気持ちだけでも実践しており、そこに生き甲斐をみつけてあゆんでいるのである。
学校で満足に教育を受けたこともない田舎の凡々たる母ではあるが、私はこの母から、限りないやさしさを教わったように思う。他人に対するいたわりや、人を心から大切にする姿勢は、ベンチャーする場合に欠かせないものなのである。
ベンチャーによって、自己の潜在する能力を高めることは、同時に周囲に接する人たちの潜在能力をも伸ばすことにつながらなければならない。相手の立場を思いやるやさしさがあってこそ、それが可能となるものだ。
人や社会に尽くすことが生き甲斐の一つとして感じられること・・・それこそがベンチャー精神の“ 下地 ”となっているものなのである。 つづく