「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:23
2015年4月13日 お仕事 与 え ら れ た 課 題 と 役 割
その当時の私は、証券会社に勤めるごく平凡なサラリーマンだった。どちらかといえば、自己中心主義の多少意固地で人を寄せつけない性格とも思われ、「石部金吉」とも、「朴念仁」とも “ 尊称 ” されることが少なくなかった。
この結婚式の日取りにしても、「何も仏滅の日を選ばなくても・・・」としぶる周囲に、最後まで譲ることなく挙行してしまったほどである。そのせいか、結婚式の当日は、私の性格を知り尽くしている友人や先輩、上司から、さまざまな “ 叱声 ” と “ 糾弾 ” を浴びてしまった。もちろん、私への励ましをこめての話だが・・・。
当時の私の上司などは、「お前らしい結婚式だが、とにかく教会でのアルコール一滴も出ない結婚式など初めてだ。みんなを連れてのに二次会が高くついた・・・」
と、苦笑いの顔をしてブツクサ言っていたし、妻との出会いのいきさつに興味をもっていた親友からは、
「彼は、思う存分見合いの経験を重ね、そして、結婚相手を探すために教会通いをしていたらしい・・・」
などと、披露されてしまった。
私が洗礼をうけてクリスチャンになったのは、大学生の頃からだが、その洗礼を授けた牧師も、結婚式の司式をして、“ 二人は一体となれ ” と心からの説教をしてくれた。とくに、人生の恩師である牧師や仲人、来賓の言葉には、印象深い “ 真理 ” がちりばめられたいたように思う。その言葉は、私にとって実に示唆に富むものであり、私はさっそく、新婚旅行の最初の夜を、その言葉を整理して日記にしたためるために費してしまったほどである。
その内容は、およそ、こんなことだった。
「人間としてチャレンジのないものには、決して燃えたり、生き甲斐を覚えたりなどはしないものだ」
「自分たちのことだけではなく、他者の幸福をも願い、そのためにできる限りの努力を尽くすことができる生涯と家庭・・・それができれば、どれほど光り輝き、生き甲斐ある人生となるであろう・・・」
こうした言葉は、ごく平凡な私のような男でも、気持ちのもちようで、生き生きした素晴らしい人生が送れるんだということを教えていたような気がする。まして、結婚して、もう独身ではない。気ままに、あるいは “ 我 ” を張って生きることはこれ以上、許されない。自己への挑戦と、生き甲斐のある人生・・・この二つが、結婚生活のスタートとともに私に与えられた課題と役割なのだとおもうようになった。
二十年のちの現在、私は通算二十五年勤めたサラリーマン生活に終止符をうち、ライフ・ベンチャーへと “ 船出 ” することになったのである。そこに温かい人の “ 海 ” があり、私という “ 船 ” があり、家庭という “ 母港 ” があるからこそ、四十九歳になった今でも、再び三たび人生の “ 航海 ” に乗り出すこともできるというものだ。
かって、結婚式で味わったあの感動。そして、自分へのベンチャー精神を支えに、生き甲斐ある人生を新たにするために・・・。 つづく
その当時の私は、証券会社に勤めるごく平凡なサラリーマンだった。どちらかといえば、自己中心主義の多少意固地で人を寄せつけない性格とも思われ、「石部金吉」とも、「朴念仁」とも “ 尊称 ” されることが少なくなかった。
この結婚式の日取りにしても、「何も仏滅の日を選ばなくても・・・」としぶる周囲に、最後まで譲ることなく挙行してしまったほどである。そのせいか、結婚式の当日は、私の性格を知り尽くしている友人や先輩、上司から、さまざまな “ 叱声 ” と “ 糾弾 ” を浴びてしまった。もちろん、私への励ましをこめての話だが・・・。
当時の私の上司などは、「お前らしい結婚式だが、とにかく教会でのアルコール一滴も出ない結婚式など初めてだ。みんなを連れてのに二次会が高くついた・・・」
と、苦笑いの顔をしてブツクサ言っていたし、妻との出会いのいきさつに興味をもっていた親友からは、
「彼は、思う存分見合いの経験を重ね、そして、結婚相手を探すために教会通いをしていたらしい・・・」
などと、披露されてしまった。
私が洗礼をうけてクリスチャンになったのは、大学生の頃からだが、その洗礼を授けた牧師も、結婚式の司式をして、“ 二人は一体となれ ” と心からの説教をしてくれた。とくに、人生の恩師である牧師や仲人、来賓の言葉には、印象深い “ 真理 ” がちりばめられたいたように思う。その言葉は、私にとって実に示唆に富むものであり、私はさっそく、新婚旅行の最初の夜を、その言葉を整理して日記にしたためるために費してしまったほどである。
その内容は、およそ、こんなことだった。
「人間としてチャレンジのないものには、決して燃えたり、生き甲斐を覚えたりなどはしないものだ」
「自分たちのことだけではなく、他者の幸福をも願い、そのためにできる限りの努力を尽くすことができる生涯と家庭・・・それができれば、どれほど光り輝き、生き甲斐ある人生となるであろう・・・」
こうした言葉は、ごく平凡な私のような男でも、気持ちのもちようで、生き生きした素晴らしい人生が送れるんだということを教えていたような気がする。まして、結婚して、もう独身ではない。気ままに、あるいは “ 我 ” を張って生きることはこれ以上、許されない。自己への挑戦と、生き甲斐のある人生・・・この二つが、結婚生活のスタートとともに私に与えられた課題と役割なのだとおもうようになった。
二十年のちの現在、私は通算二十五年勤めたサラリーマン生活に終止符をうち、ライフ・ベンチャーへと “ 船出 ” することになったのである。そこに温かい人の “ 海 ” があり、私という “ 船 ” があり、家庭という “ 母港 ” があるからこそ、四十九歳になった今でも、再び三たび人生の “ 航海 ” に乗り出すこともできるというものだ。
かって、結婚式で味わったあの感動。そして、自分へのベンチャー精神を支えに、生き甲斐ある人生を新たにするために・・・。 つづく