「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:10
2015年3月16日 お仕事 とくに、ライフ・ベンチャー発足3カ月目、4カ月目が精神・肉体的にもいちばん苦しかった。毎日出かけていっては人に会い、営業活動に走り回ってはいたが、心のどこかで自分の “ 器量 ” に対する疑いや、先行きへの不安をふっ切ることができず、ため息まじりの毎日が続いたものだ。
ある時、会社訪問の飛び込みで、大手会社の受付けへ私の名刺を差し出した時など、頭から無視され、けんもホロロな応接をされたことがある。
また、別の場面では、“ ライフ・ベンチャー社 ” といったってまったくの “ 無名会社 ” 、無名会社ならそれ相応に十分な資料を用意して、出直してこいと若い人事担当者から怒鳴られてしまったこともある。
そんな時の口惜しさといったらなかった。独りしょんぼりして、数カ月前のサラリーマン生活を懐かし気に思い出して心を慰めることもたびたびだった。
わずか三カ月目で、精神的に落ち込み、こんな弱気になってしまうなんて、先が案じられてならなかった。
そこで私は、ここいちばん、「平常心」を養うための努力を自分に試みてみた。平常心を育てるといっても、何も堂にこもって座禅を組むのではない。私の場合は、近くの図書館に入り込んで瞑想し、心静かにライフ・ベンチャーの未来とその戦略づくりを、楽しいイメージに描くことだった。
ベンチャーにはスランプがつきものだ。そんな時、「ピンチこそチャンス」と、自分をより成長させてくれる試練と思い直し、次の飛躍へのバネになるよう心がけた。また、ベンチャーの先達たちの所を積極的に訪れ、その苦難期の体験談を貪るように聞いた。
先達達の温かい励ましや思いやりが、どれだけ私を力づけてくれたか、はかりしれないものがある。そうして、どんなに苦しくとも、ベンチャーした以上、決して “ 弱音 ” を吐かないことと、何度も自分にいい聞かせ続けた。 つづく
ある時、会社訪問の飛び込みで、大手会社の受付けへ私の名刺を差し出した時など、頭から無視され、けんもホロロな応接をされたことがある。
また、別の場面では、“ ライフ・ベンチャー社 ” といったってまったくの “ 無名会社 ” 、無名会社ならそれ相応に十分な資料を用意して、出直してこいと若い人事担当者から怒鳴られてしまったこともある。
そんな時の口惜しさといったらなかった。独りしょんぼりして、数カ月前のサラリーマン生活を懐かし気に思い出して心を慰めることもたびたびだった。
わずか三カ月目で、精神的に落ち込み、こんな弱気になってしまうなんて、先が案じられてならなかった。
そこで私は、ここいちばん、「平常心」を養うための努力を自分に試みてみた。平常心を育てるといっても、何も堂にこもって座禅を組むのではない。私の場合は、近くの図書館に入り込んで瞑想し、心静かにライフ・ベンチャーの未来とその戦略づくりを、楽しいイメージに描くことだった。
ベンチャーにはスランプがつきものだ。そんな時、「ピンチこそチャンス」と、自分をより成長させてくれる試練と思い直し、次の飛躍へのバネになるよう心がけた。また、ベンチャーの先達たちの所を積極的に訪れ、その苦難期の体験談を貪るように聞いた。
先達達の温かい励ましや思いやりが、どれだけ私を力づけてくれたか、はかりしれないものがある。そうして、どんなに苦しくとも、ベンチャーした以上、決して “ 弱音 ” を吐かないことと、何度も自分にいい聞かせ続けた。 つづく