名内:隠すも困るが,隠さないだけでも困る
2015年3月5日 お仕事 日立ソリュ―ジョンズ/PREMIUM SERVICE WEB プレミアムサービスウェブより、昨日・今日と当Blogでは、名内泰三氏(注)の先人に学ぶから、『生涯現役プロデユーサー』仮登録者たちの研鑽として、以下学んでみたいと存じます。
【URL=https://premium-service.jp/psw/premium/fesh_viewpoint/47/p2.html】
注:【名内泰三(なうち・たいぞう)氏:プロフィール】
1939年 滋賀県生まれ、1961年 京都大学工学部電気工学科卒業、同年 株式会社 日立製作所 入社、1990年 同社 ソフトウェア工場長、1993年 同社 情報システム事業部長、1995年 同社 取締役、1997年 日立システムエンジニアリング株式会社 取締役社長、2000年 株式会社日立システムアンドサービス 取締役社長、2003年 同社 顧問、2005年 退職。
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隠 す も 困 る が 、
隠 さ な い だ け で も 困 る
プロジェクト管理に失敗しないためには、プロジェクトの実態を出来るだけ正確に把握することが必要である。実態の正確な把握のためには、どんな些細な問題点でも、気づいたときに上司や周りにフランクに話せることが肝心であり、チームメンバーが実態を隠さないような職場雰囲気、プロジェクト雰囲気が確保されることが大事である。そのため、特に上司やプロジェクトリーダーは、悪い報告を部下やプロジェクトメンバーから受けたとき、嫌な顔をしたり、叱ったりすることは慎重にやるべきだし、まして責任追及を厳しくしては、メンバーはだんだん本音で真実を語らなくなってしまう。
事実を隠すことは、プロジェクトの運営にも、さらには経営にも、いかにまずいことであるかをリーダーもメンバーもしっかり認識し、チームとして事実の「隠ぺい」を排除する努力をしたいものである。
しかし、まったく逆の話を最近聞かされた。「隠さない」ことが最善とはかぎらない事例もあるということだ。
事 実 を 隠 さ な い
何か問題点が発生したとき、その問題が実質的には大きな害を与えないものであったとしても、マスコミ等にすぐ騒がれるような公共性の高いシステムや、社会不安を引き起こすシステムでは、皆が問題点への対処に神経質になっているという。
たとえ大した問題でなくても、後からそういう問題点があったということがばれると、事実を隠したとして、その組織の責任を追及されることが繰り返されてきたからだ。
そういうシステムに絡む人たちは、隠しておいて、後でばれたときの被害を恐れて、些細なことでも何でも報告しておかないとまずいと考える癖がつき、すぐに上司に報告する習慣がついてしまったという。
何でもそのまま報告することは「事実を隠さない」という、リスク管理の基本を堅持しているということで、大いに評価されるべきである。
指 示 待 ち 症 候 群
しかし、別の一面から見ると「言えばそれでおしまい。事実はすべて報告したので自分の責任は果たした。これから先は上司の責任だから、これで何が起ころうともすべてが免責される」と思い、それ以上に深く考えず、今後どうすればよいかは上の指示を待つという、いわゆる「指示待ち症候群」「思考停止症候群」あるいは「責任回避症候群」に陥ってしまうようだ。
こういうことを繰り返すと、担当者の判断力や思考能力がだんだん低下してしまい、自ら判断せざるを得ない状況に追い込まれても、何にも出来なくなり、対応が手遅れになるだけでなく、優れた技術者や事務担当者も育たないことになってしまうのである。
何でも報告だけはするが、後は上司の言われた通りにやるだけの職場では、システム開発のような仕事に必要な知的職場とは到底言えなくなってしまう。
リ ス ク は 誰 の リ ス ク と な る か 事実を漏らさず、クールに報告することが大事なことは言うまでもないが、事実だけでなく、報告者がその事実をどう見て、どう評価し、何を一番気にしているのか、何を重視しているのかなどを付記することが大事であると思う。さらに、そういう事実に基づいて、自分はこれからどうしたいか、どうすべきだと考えているかを付記すれば、報告を受けた上司などは、より的確な指示を出せるようになるはずである。
また報告漏れで責任を追及されないことだけを目標に、事実だけを漏れなく書こうとすると、どうしても書く量が増え、情報過多になってしまい、読み手からすれば読むのに時間がかかる上に、何が大事なのかが見えにくくなってしまい、ひどい場合は読む気さえなくなってしまう心配もある。
以上の例から、隠すリスクも隠さないリスクもあるということになるが、本質的には、「このリスクは誰のリスクとなるか?」という見方を正常化することが何より大事である。隠すこと、隠さないことによって、自分たちが受けるリスクのことを考えることよりも、隠すこと、隠さないことによって、顧客やユーザー、第三者に対するリスクがどういうものかを真剣に考える姿勢、心がけが何より大事であるということである。
【URL=https://premium-service.jp/psw/premium/fesh_viewpoint/47/p2.html】
注:【名内泰三(なうち・たいぞう)氏:プロフィール】
1939年 滋賀県生まれ、1961年 京都大学工学部電気工学科卒業、同年 株式会社 日立製作所 入社、1990年 同社 ソフトウェア工場長、1993年 同社 情報システム事業部長、1995年 同社 取締役、1997年 日立システムエンジニアリング株式会社 取締役社長、2000年 株式会社日立システムアンドサービス 取締役社長、2003年 同社 顧問、2005年 退職。
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隠 す も 困 る が 、
隠 さ な い だ け で も 困 る
プロジェクト管理に失敗しないためには、プロジェクトの実態を出来るだけ正確に把握することが必要である。実態の正確な把握のためには、どんな些細な問題点でも、気づいたときに上司や周りにフランクに話せることが肝心であり、チームメンバーが実態を隠さないような職場雰囲気、プロジェクト雰囲気が確保されることが大事である。そのため、特に上司やプロジェクトリーダーは、悪い報告を部下やプロジェクトメンバーから受けたとき、嫌な顔をしたり、叱ったりすることは慎重にやるべきだし、まして責任追及を厳しくしては、メンバーはだんだん本音で真実を語らなくなってしまう。
事実を隠すことは、プロジェクトの運営にも、さらには経営にも、いかにまずいことであるかをリーダーもメンバーもしっかり認識し、チームとして事実の「隠ぺい」を排除する努力をしたいものである。
しかし、まったく逆の話を最近聞かされた。「隠さない」ことが最善とはかぎらない事例もあるということだ。
事 実 を 隠 さ な い
何か問題点が発生したとき、その問題が実質的には大きな害を与えないものであったとしても、マスコミ等にすぐ騒がれるような公共性の高いシステムや、社会不安を引き起こすシステムでは、皆が問題点への対処に神経質になっているという。
たとえ大した問題でなくても、後からそういう問題点があったということがばれると、事実を隠したとして、その組織の責任を追及されることが繰り返されてきたからだ。
そういうシステムに絡む人たちは、隠しておいて、後でばれたときの被害を恐れて、些細なことでも何でも報告しておかないとまずいと考える癖がつき、すぐに上司に報告する習慣がついてしまったという。
何でもそのまま報告することは「事実を隠さない」という、リスク管理の基本を堅持しているということで、大いに評価されるべきである。
指 示 待 ち 症 候 群
しかし、別の一面から見ると「言えばそれでおしまい。事実はすべて報告したので自分の責任は果たした。これから先は上司の責任だから、これで何が起ころうともすべてが免責される」と思い、それ以上に深く考えず、今後どうすればよいかは上の指示を待つという、いわゆる「指示待ち症候群」「思考停止症候群」あるいは「責任回避症候群」に陥ってしまうようだ。
こういうことを繰り返すと、担当者の判断力や思考能力がだんだん低下してしまい、自ら判断せざるを得ない状況に追い込まれても、何にも出来なくなり、対応が手遅れになるだけでなく、優れた技術者や事務担当者も育たないことになってしまうのである。
何でも報告だけはするが、後は上司の言われた通りにやるだけの職場では、システム開発のような仕事に必要な知的職場とは到底言えなくなってしまう。
リ ス ク は 誰 の リ ス ク と な る か 事実を漏らさず、クールに報告することが大事なことは言うまでもないが、事実だけでなく、報告者がその事実をどう見て、どう評価し、何を一番気にしているのか、何を重視しているのかなどを付記することが大事であると思う。さらに、そういう事実に基づいて、自分はこれからどうしたいか、どうすべきだと考えているかを付記すれば、報告を受けた上司などは、より的確な指示を出せるようになるはずである。
また報告漏れで責任を追及されないことだけを目標に、事実だけを漏れなく書こうとすると、どうしても書く量が増え、情報過多になってしまい、読み手からすれば読むのに時間がかかる上に、何が大事なのかが見えにくくなってしまい、ひどい場合は読む気さえなくなってしまう心配もある。
以上の例から、隠すリスクも隠さないリスクもあるということになるが、本質的には、「このリスクは誰のリスクとなるか?」という見方を正常化することが何より大事である。隠すこと、隠さないことによって、自分たちが受けるリスクのことを考えることよりも、隠すこと、隠さないことによって、顧客やユーザー、第三者に対するリスクがどういうものかを真剣に考える姿勢、心がけが何より大事であるということである。