J.I.メールニュースNo.646/振返れば未来
2014年3月21日 お仕事J.I.メールニュース No.646 2014.03.20発行
<巻頭寄稿文> 今 こ そ ロ ー カ リ ズ ム・日本の祭シリーズ 第一弾
『 ふ り か え れ ば 未 来 』 日 本 の 祭 に つ い て 考 え る
至学館大学・伊達コミュニケーション研究所長 石田芳弘
【石田芳弘(いしだ よしひろ)氏プロフィール】
愛知県議会議員、犬山市長、衆議院議員など、地方、中央の政治と行政を経験。特に教育、文化行政に力を入れた。「まちは生涯学習の最良の教室である」というのが持論であり、学校教育も生涯学習の一環であると考え、市民が教師の総合学習や全市博物館構想を推進。また、シンクタンクの研究員として先進国の地方議会を視察、研究。我が国地方議会も議院内閣制を導入すべしという、地方議会改革論議のオピニオンリーダーである。
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『 ふ り か え れ ば 未 来 』
日 本 の 祭 に つ い て 考 え る
愛知県犬山市は木曽川沿いの小高い山に建つ国宝の城があり、江戸時代のままの町割りが残り、そしてほぼ4百年前から継承する祭があるガラパゴス・シティーです。
私はその城下町のど真ん中で生まれ、祭とともに育ちました。城は為政者の権力を刻むハードパワーかもしれませんが、街並みと祭は庶民の生活を今に残すわがまちのソフトパワーです。私の体内はその遺伝子が伝えるふるさとへの熱い思いに溢れています。
私はこのふるさとへの愛と誇りを一番表現できる職業はこのまちの市長になることだと20代の中ごろ志を立て、50歳少し前にそれが実現しました。1995年のことです。 地方分権の時代背景を風に受け、私はシャッター通りになりかかっていた城下町の再生を、祭の持つ力を使ってやってみようと考え、ある程度の成果を上げることができました。
祭と祀は同義語です。祭の原点は先祖を祀ること、歴史を遡ることです。太古の昔、人は死ぬと山へ葬られました。その霊魂は先祖神となり、氏神・産土神として郷の守護神となったのです。そして、それらの先祖神を迎え、五穀豊穣・無事平安を祈る場が祭なのです。また神は人間だけではありません。山も、木も、空も、雷も、動物も、花も、日本人は自然界すべてに神性を認めたのです。多神教とも、汎神教ともいわれ、すべてに生命力をみとめる、なにかオーガニックなエコロジーの思想と似ています。
神を招く場所であるヒムロギに神社を建て、ここが、共同体の中心になりました。時代が進むにしたがって、祭は単なる儀式から、競い合う文化芸能の発表会のような場にもなりました。ですから日本中どこへ行っても、神社はコミュニティの中心軸なのです。
今世界を蓋う空気はグローバリズムです。グローバリズムとは地球儀で世界を捉える、いわば国境のないボーダーレス思想です。地域や故郷やコミュニティの境界は馴染まないことが多いのです。特にボーダーレスエコノミーの現実は、助け合い・補い合い・支え合いの地域共同体アイデンティティを崩壊の危機に立たせつつあります。
ここに日本の祭の力を私は提案したいのです。
未曽有の少子高齢社会を迎え、わが日本列島は地方の過疎化、一方大都会の漂流化は深刻です。
今こそ神社の祭を維持してきた共同体の機能を蘇生すべきです。
今後、構想日本を通して祭とコミュニティの関係を皆さんに報告し、課題を問いかけていきます。
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<巻頭寄稿文> 今 こ そ ロ ー カ リ ズ ム・日本の祭シリーズ 第一弾
『 ふ り か え れ ば 未 来 』 日 本 の 祭 に つ い て 考 え る
至学館大学・伊達コミュニケーション研究所長 石田芳弘
【石田芳弘(いしだ よしひろ)氏プロフィール】
愛知県議会議員、犬山市長、衆議院議員など、地方、中央の政治と行政を経験。特に教育、文化行政に力を入れた。「まちは生涯学習の最良の教室である」というのが持論であり、学校教育も生涯学習の一環であると考え、市民が教師の総合学習や全市博物館構想を推進。また、シンクタンクの研究員として先進国の地方議会を視察、研究。我が国地方議会も議院内閣制を導入すべしという、地方議会改革論議のオピニオンリーダーである。
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『 ふ り か え れ ば 未 来 』
日 本 の 祭 に つ い て 考 え る
愛知県犬山市は木曽川沿いの小高い山に建つ国宝の城があり、江戸時代のままの町割りが残り、そしてほぼ4百年前から継承する祭があるガラパゴス・シティーです。
私はその城下町のど真ん中で生まれ、祭とともに育ちました。城は為政者の権力を刻むハードパワーかもしれませんが、街並みと祭は庶民の生活を今に残すわがまちのソフトパワーです。私の体内はその遺伝子が伝えるふるさとへの熱い思いに溢れています。
私はこのふるさとへの愛と誇りを一番表現できる職業はこのまちの市長になることだと20代の中ごろ志を立て、50歳少し前にそれが実現しました。1995年のことです。 地方分権の時代背景を風に受け、私はシャッター通りになりかかっていた城下町の再生を、祭の持つ力を使ってやってみようと考え、ある程度の成果を上げることができました。
祭と祀は同義語です。祭の原点は先祖を祀ること、歴史を遡ることです。太古の昔、人は死ぬと山へ葬られました。その霊魂は先祖神となり、氏神・産土神として郷の守護神となったのです。そして、それらの先祖神を迎え、五穀豊穣・無事平安を祈る場が祭なのです。また神は人間だけではありません。山も、木も、空も、雷も、動物も、花も、日本人は自然界すべてに神性を認めたのです。多神教とも、汎神教ともいわれ、すべてに生命力をみとめる、なにかオーガニックなエコロジーの思想と似ています。
神を招く場所であるヒムロギに神社を建て、ここが、共同体の中心になりました。時代が進むにしたがって、祭は単なる儀式から、競い合う文化芸能の発表会のような場にもなりました。ですから日本中どこへ行っても、神社はコミュニティの中心軸なのです。
今世界を蓋う空気はグローバリズムです。グローバリズムとは地球儀で世界を捉える、いわば国境のないボーダーレス思想です。地域や故郷やコミュニティの境界は馴染まないことが多いのです。特にボーダーレスエコノミーの現実は、助け合い・補い合い・支え合いの地域共同体アイデンティティを崩壊の危機に立たせつつあります。
ここに日本の祭の力を私は提案したいのです。
未曽有の少子高齢社会を迎え、わが日本列島は地方の過疎化、一方大都会の漂流化は深刻です。
今こそ神社の祭を維持してきた共同体の機能を蘇生すべきです。
今後、構想日本を通して祭とコミュニティの関係を皆さんに報告し、課題を問いかけていきます。
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