Altarna:「CSRからCSVへ」に対する警鐘Ⅱ
2014年4月2日 お仕事Altarna編集長コラム: 「CSRからCSVへ」に対する警鐘
「 C S R と C S V に 関 す る 原 則 」文書の原則は下記の4点からなっています。
1. CSRは企業のあらゆる事業活動において不可欠です。
CSRは、持続可能な社会の実現のため、企業の意思決定や事業活動が社会や環境に及ぼす影響に配慮し、マイナスの影響があれば、それを予防ないし改善することで社会的責任を果たそうとするものです。ISO26000をはじめ世界的なイニシアチブで明記される「社会への影響(impacts)に対する責任」は、企業のあらゆる事業プロセスとプロダクトにおいて不可欠なものです。
2. CSVはCSRの代替とはなりません。
社会的課題の解決と企業競争力の強化を同時に実現しようとするCSVは、ビジネス上の競争戦略の一手法です。CSRとは元来位置づけの異なるCSVは、CSRに取って代わるものではなく、CSVに取り組んでいれば企業の社会的責任(CSR)が免れるわけでもありません。CSVに取り組んでいてもいなくても、CSRがあらゆる事業活動において不可欠であることに変わりはありません。
3. CSVはCSRを前提として進められるべきです。
「社会への影響(impacts)に対する責任」は、ビジネス戦略であるCSVにおいても求められ、その事業プロセスとプロダクトの社会的公正と社会にとっての持続可能性が検証・評価されるべきです。社会的責任の原則(説明責任、透明性、倫理的な行動、ステークホルダーの利害の尊重、法の支配の尊重、国際行動規範の尊重、人権の尊重)に従うことは、CSVにおいても同様です。
4. CSVが創り出そうとする「社会的価値」の検証と評価が必要です。
企業がCSVを通じて創り出そうとする「社会的価値」が、社会的課題を真に解決するものとなっているのか、CSRにおけると同様に、企業自身による不断の検証・評価とアカウンタビリティ(説明し責任をとること)が必要です。その際には、CSRの重要な要素であるステークホルダー・エンゲージメントと、CSVが実施される現場の実情への最大限の配慮が不可欠です。(2014年3月13日)
詳しくはウェブサイトで同文書をご参照頂ければと思いますが、ここからは、オルタナ編集長としての見解を述べさせて頂きます。
CSRとは、「企業の社会的責任」と訳されていますが、そもそも「CSRをする」とか、「CSRに熱心だ」という言い方は、少し考えてみると日本語としておかしいことに気が付きます。
すべて日本語にすると「社会的責任をする」「社会的責任に熱心だ」となってしまうからです。
本来の意味は、「企業の社会的責任を深く受け止め、それに基づいて責任ある企業行動を取ること」だと思います。
つまり、CSRとは責任そのものを指しているのではなく、その責任に基づいた「企業哲学」や「行動規範」を指しているのです。
一方、CSVは企業による行動そのものです。CSRを起点にして、企業が社会との共通の価値を創造し、社会にも企業にもメリットをもたらそうと言うものです。
実は、この考え方はマイケル・ポーターが初めて提唱した考え方ではありません。ピーター・ドラッカーが著書『マネジメント』で「経済活動はそれ自体が目的ではない。非経済的な目的、すなわち人間的な目的や社会的な目的のための手段である」と指摘した通りです。
しかし、世界の多くの企業がCSVに飛びついたのは、CSR活動や社会貢献はコストだけが掛かり、企業にとって動機が見出しにくかったことが背景にありました。 つづく
「 C S R と C S V に 関 す る 原 則 」文書の原則は下記の4点からなっています。
1. CSRは企業のあらゆる事業活動において不可欠です。
CSRは、持続可能な社会の実現のため、企業の意思決定や事業活動が社会や環境に及ぼす影響に配慮し、マイナスの影響があれば、それを予防ないし改善することで社会的責任を果たそうとするものです。ISO26000をはじめ世界的なイニシアチブで明記される「社会への影響(impacts)に対する責任」は、企業のあらゆる事業プロセスとプロダクトにおいて不可欠なものです。
2. CSVはCSRの代替とはなりません。
社会的課題の解決と企業競争力の強化を同時に実現しようとするCSVは、ビジネス上の競争戦略の一手法です。CSRとは元来位置づけの異なるCSVは、CSRに取って代わるものではなく、CSVに取り組んでいれば企業の社会的責任(CSR)が免れるわけでもありません。CSVに取り組んでいてもいなくても、CSRがあらゆる事業活動において不可欠であることに変わりはありません。
3. CSVはCSRを前提として進められるべきです。
「社会への影響(impacts)に対する責任」は、ビジネス戦略であるCSVにおいても求められ、その事業プロセスとプロダクトの社会的公正と社会にとっての持続可能性が検証・評価されるべきです。社会的責任の原則(説明責任、透明性、倫理的な行動、ステークホルダーの利害の尊重、法の支配の尊重、国際行動規範の尊重、人権の尊重)に従うことは、CSVにおいても同様です。
4. CSVが創り出そうとする「社会的価値」の検証と評価が必要です。
企業がCSVを通じて創り出そうとする「社会的価値」が、社会的課題を真に解決するものとなっているのか、CSRにおけると同様に、企業自身による不断の検証・評価とアカウンタビリティ(説明し責任をとること)が必要です。その際には、CSRの重要な要素であるステークホルダー・エンゲージメントと、CSVが実施される現場の実情への最大限の配慮が不可欠です。(2014年3月13日)
詳しくはウェブサイトで同文書をご参照頂ければと思いますが、ここからは、オルタナ編集長としての見解を述べさせて頂きます。
CSRとは、「企業の社会的責任」と訳されていますが、そもそも「CSRをする」とか、「CSRに熱心だ」という言い方は、少し考えてみると日本語としておかしいことに気が付きます。
すべて日本語にすると「社会的責任をする」「社会的責任に熱心だ」となってしまうからです。
本来の意味は、「企業の社会的責任を深く受け止め、それに基づいて責任ある企業行動を取ること」だと思います。
つまり、CSRとは責任そのものを指しているのではなく、その責任に基づいた「企業哲学」や「行動規範」を指しているのです。
一方、CSVは企業による行動そのものです。CSRを起点にして、企業が社会との共通の価値を創造し、社会にも企業にもメリットをもたらそうと言うものです。
実は、この考え方はマイケル・ポーターが初めて提唱した考え方ではありません。ピーター・ドラッカーが著書『マネジメント』で「経済活動はそれ自体が目的ではない。非経済的な目的、すなわち人間的な目的や社会的な目的のための手段である」と指摘した通りです。
しかし、世界の多くの企業がCSVに飛びついたのは、CSR活動や社会貢献はコストだけが掛かり、企業にとって動機が見出しにくかったことが背景にありました。 つづく