日本に感動を与えた嘉義農林校(KANO)
2014年3月5日 お仕事 日本生涯現役推進協議会・NPO/LVクラブ松重奉昇会員から転送された同氏親友の下記情報を転載ご紹介いたします。
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伊東情報 『台湾映画 KANO』
1931年夏の甲子園で準優勝した台湾の嘉義農林学校野球部の物語・・・
甲子園で活躍し、巨人・阪神・毎日で活躍、野球殿堂入りした呉昌征は、私の知人でもある・・・是非鑑賞したいです!!! 松重
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ご存知ですか? 台湾で作られた映画「KANO」
主役は永瀬正敏、坂井真紀だが、監督は馬志翔、プロデューサー魏徳聖の台湾映画である。
日本人、台湾人、原住民からなる嘉義農林学校(現在嘉義大学)の野球部が、1931年夏の甲子園で準優勝するまでを描いた。台湾では、2月27日に公開され大ヒットなっている。
日本でも、年内の公開が予定されている。(今週7日の大阪での映画祭でも上映)
●日本人も知らなかった!戦前の甲子園で台湾の高校が準優勝していた / 当時の日本に感動を起こした「嘉義農林学校(KANO)」
http://rocketnews24.com/2014/02/05/410655/
●KANOクランクアップ
http://www.youtube.com/watch?v=csOo6jhU2Hk
(因みに、1937~57年、巨人、阪神、毎日で活躍、2度も首位打者になり野球殿堂入りした 呉昌征はこの甲子園組のひとりである。古い野球ファンは知っているだろう。)
これに関連して、私の友人TIさんが、彼の台湾の友人から送られてきたメールを転送してくれたので若干編集してご紹介する。
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友人各位
Kano(嘉義農林学校)は日本時代の台湾嘉義市にあった中学校の一つで、農林専門の学校でした。その野球部は甲子園に憧れ、昭和6年、夏の大会で、初出場ながら準優勝を達成しました。
今回の映画、「KANO」は日本語が多いので、台湾の映画コンテストに参加させないという妨害が中国系の新聞から入っているようです。
中国勢力に叩かれる制作者 魏徳聖さんに対して、日台相互理解への貢献を認め、顕彰するする企画が、日本でたてられ、実行されれば、日台友好増進の為に、有効と思います。皆様の、お知恵と、お力添えを、お願いします。
私の台湾の友人からのメッセージを、↓にご紹介します。TI
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日本の友人たちへ
「KANO」には日本語が入っているため、台湾の映画コンテストに参加させるべきでないという論調は上映前にすでに中国統一派の新聞に出始めていました!
中国勢力に叩かれる日台相互理解を促進しつづけている魏徳聖氏に日台相互理解促進賞をあげて、貢献を認めることをご提案したいと存じます。
殖民地主義が盛んでいた二次大戦前の時、宗主国が殖民地に本国と同じように大学を作り、インフラを建設するようなことは、日本が台湾でやっていた以外に、どこにもありません。
他の国では、大学を作るところか、大学への入学さえ許しませんでした。
日本の台湾への貢献は、中国政権(台湾の中国政権と大陸の中国政権)が常に抹殺することに力を入れています。今では、台湾の大多数の人には、日本の台湾への貢献は、実はぼんやりの認識しかありあせん。
極めて親日の人たち(信日派)以外は、日本の台湾への貢献を知っている人は極めて少数です。
私の主宰する日本語教室が、新入生に「締造台灣的日本人(台湾を作った日本人)」(黃文雄)という本を贈りつづけているわけもここにあります。感謝すべきことは常に感謝すべきだと思います。
魏徳聖氏は「海角七号」(2008)という作品を監督し、戦後の日本人強制送還という歴史から、日本への理解を喚起しようとしました。当時、国民党政府は、台湾に日本から移住、長く住んでいた者から、台湾で生まれた者まで、すべての日本人を、意思を問わず、30キロの荷物と1000元(約今まの40870日本円)の財産以外はすべて残して、強制送還しました。5ヶ月の間だけで、86%が強制送還されました。
1895年、日本が清朝から、台湾を管理下に置いた時、日本は当時台湾に住んでいた住民を3年間の選択時間を与え、台湾に残り、日本人になるか、全部財産を売って現金化して、台湾を離れるか、自由に選べることとしたことに比べ、文化の優劣は明白です。台湾人は、このことをよく理解しています。
映画「ゼデク、バレ」(2011)では、霧社事件(原住民セデック族が日本による統治に反対し日本人襲撃した事件)を描き、日本人が悪者になっています。
しかし、実態は大きく違います。12の部落の中に、6部落が襲撃に反対で、賛成の6部落の中でも半数の人は反対で、霧社事件むしろ少数派の25%が起こした不幸な事件です。
原住民全員は日本を悪いとは思っていないのみならず、75%の原住民が日本側に立っているだけでけではなく、50数人の原住民が命の危険を冒して、50数人の日本人と子供を敢えて連れて、逃げ、隠し回りまでやりました。
そして、今になっても、原住民の年長者は、日本時代を懐かしがっていて、自分で簡単な和服を作って、それを着て毎月、あるいは祭りのときに「東京音頭」で踊っています。今になっても日本から教わった衛生、織物、教育、勤労意識を大事にしているし、感謝をしているわけです。
こうしたことが、3・11のときに、直ぐに日本への思いを行動にかえたのです。
今度の「嘉義農林学校」野球隊で、厳しい日本人コーチが、「最後まであきらめらではいけない」と教え、さらに「自分への厳しさとお互いへの愛情と支え」を大事にしたことが、83年の時間を越えて、再度日本文化のよさを台湾人に立証しました。さらに、台湾の中国政権と大陸の中国政権が莫大な資金と嘘で、「日本は如何に悪者で、品格のない民族か」と吹き込んだ泥を綺麗に洗いとりました。
「KANO」は大きな反響を呼ぶと思います。
いずれ、日本のどこかから、魏徳聖氏に、日台理解促進賞をあげることになれば、日台友好促進に大きく役立つと思います。
国会や権威ある民間団体なりが、中国勢力に叩かれる魏徳聖氏を顕彰し、日台相互理解の貢献を認めることを提案したいと存じます。KG
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伊東情報 『台湾映画 KANO』
1931年夏の甲子園で準優勝した台湾の嘉義農林学校野球部の物語・・・
甲子園で活躍し、巨人・阪神・毎日で活躍、野球殿堂入りした呉昌征は、私の知人でもある・・・是非鑑賞したいです!!! 松重
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ご存知ですか? 台湾で作られた映画「KANO」
主役は永瀬正敏、坂井真紀だが、監督は馬志翔、プロデューサー魏徳聖の台湾映画である。
日本人、台湾人、原住民からなる嘉義農林学校(現在嘉義大学)の野球部が、1931年夏の甲子園で準優勝するまでを描いた。台湾では、2月27日に公開され大ヒットなっている。
日本でも、年内の公開が予定されている。(今週7日の大阪での映画祭でも上映)
●日本人も知らなかった!戦前の甲子園で台湾の高校が準優勝していた / 当時の日本に感動を起こした「嘉義農林学校(KANO)」
http://rocketnews24.com/2014/02/05/410655/
●KANOクランクアップ
http://www.youtube.com/watch?v=csOo6jhU2Hk
(因みに、1937~57年、巨人、阪神、毎日で活躍、2度も首位打者になり野球殿堂入りした 呉昌征はこの甲子園組のひとりである。古い野球ファンは知っているだろう。)
これに関連して、私の友人TIさんが、彼の台湾の友人から送られてきたメールを転送してくれたので若干編集してご紹介する。
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友人各位
Kano(嘉義農林学校)は日本時代の台湾嘉義市にあった中学校の一つで、農林専門の学校でした。その野球部は甲子園に憧れ、昭和6年、夏の大会で、初出場ながら準優勝を達成しました。
今回の映画、「KANO」は日本語が多いので、台湾の映画コンテストに参加させないという妨害が中国系の新聞から入っているようです。
中国勢力に叩かれる制作者 魏徳聖さんに対して、日台相互理解への貢献を認め、顕彰するする企画が、日本でたてられ、実行されれば、日台友好増進の為に、有効と思います。皆様の、お知恵と、お力添えを、お願いします。
私の台湾の友人からのメッセージを、↓にご紹介します。TI
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日本の友人たちへ
「KANO」には日本語が入っているため、台湾の映画コンテストに参加させるべきでないという論調は上映前にすでに中国統一派の新聞に出始めていました!
中国勢力に叩かれる日台相互理解を促進しつづけている魏徳聖氏に日台相互理解促進賞をあげて、貢献を認めることをご提案したいと存じます。
殖民地主義が盛んでいた二次大戦前の時、宗主国が殖民地に本国と同じように大学を作り、インフラを建設するようなことは、日本が台湾でやっていた以外に、どこにもありません。
他の国では、大学を作るところか、大学への入学さえ許しませんでした。
日本の台湾への貢献は、中国政権(台湾の中国政権と大陸の中国政権)が常に抹殺することに力を入れています。今では、台湾の大多数の人には、日本の台湾への貢献は、実はぼんやりの認識しかありあせん。
極めて親日の人たち(信日派)以外は、日本の台湾への貢献を知っている人は極めて少数です。
私の主宰する日本語教室が、新入生に「締造台灣的日本人(台湾を作った日本人)」(黃文雄)という本を贈りつづけているわけもここにあります。感謝すべきことは常に感謝すべきだと思います。
魏徳聖氏は「海角七号」(2008)という作品を監督し、戦後の日本人強制送還という歴史から、日本への理解を喚起しようとしました。当時、国民党政府は、台湾に日本から移住、長く住んでいた者から、台湾で生まれた者まで、すべての日本人を、意思を問わず、30キロの荷物と1000元(約今まの40870日本円)の財産以外はすべて残して、強制送還しました。5ヶ月の間だけで、86%が強制送還されました。
1895年、日本が清朝から、台湾を管理下に置いた時、日本は当時台湾に住んでいた住民を3年間の選択時間を与え、台湾に残り、日本人になるか、全部財産を売って現金化して、台湾を離れるか、自由に選べることとしたことに比べ、文化の優劣は明白です。台湾人は、このことをよく理解しています。
映画「ゼデク、バレ」(2011)では、霧社事件(原住民セデック族が日本による統治に反対し日本人襲撃した事件)を描き、日本人が悪者になっています。
しかし、実態は大きく違います。12の部落の中に、6部落が襲撃に反対で、賛成の6部落の中でも半数の人は反対で、霧社事件むしろ少数派の25%が起こした不幸な事件です。
原住民全員は日本を悪いとは思っていないのみならず、75%の原住民が日本側に立っているだけでけではなく、50数人の原住民が命の危険を冒して、50数人の日本人と子供を敢えて連れて、逃げ、隠し回りまでやりました。
そして、今になっても、原住民の年長者は、日本時代を懐かしがっていて、自分で簡単な和服を作って、それを着て毎月、あるいは祭りのときに「東京音頭」で踊っています。今になっても日本から教わった衛生、織物、教育、勤労意識を大事にしているし、感謝をしているわけです。
こうしたことが、3・11のときに、直ぐに日本への思いを行動にかえたのです。
今度の「嘉義農林学校」野球隊で、厳しい日本人コーチが、「最後まであきらめらではいけない」と教え、さらに「自分への厳しさとお互いへの愛情と支え」を大事にしたことが、83年の時間を越えて、再度日本文化のよさを台湾人に立証しました。さらに、台湾の中国政権と大陸の中国政権が莫大な資金と嘘で、「日本は如何に悪者で、品格のない民族か」と吹き込んだ泥を綺麗に洗いとりました。
「KANO」は大きな反響を呼ぶと思います。
いずれ、日本のどこかから、魏徳聖氏に、日台理解促進賞をあげることになれば、日台友好促進に大きく役立つと思います。
国会や権威ある民間団体なりが、中国勢力に叩かれる魏徳聖氏を顕彰し、日台相互理解の貢献を認めることを提案したいと存じます。KG