本田氏「高齢先進国日本のこれから」前篇
2014年2月9日 お仕事 「なぜ、私の歳をきくの?/年齢不問社会の提言」を出版された本田重道氏は、ご著書の「第9章/年齢不問の社会に向けて」の中で「世界初の『実質年齢認定制度』」を提案しておられます。
私たち日本生涯現役推進協議会が「生涯現役社会づくり」の提言に、そのための尖兵役『生涯現役プロデユーサー』仮登録者を2009年初から受付けています。
その仮登録者の本格的な登録制度を展開するために参考になるご意見を本田氏は多々述べておられるので、ご関心ある方はぜひ「なぜ、私の歳をきくの?/年齢不問社会の提言」をジックリとご照覧願いたいと存じます。
今回はBlogでの制約もあり、以下同書の「結び 高齢先進国日本のこれから」ご紹介でご容赦願います。
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本田重道氏:「高齢先進国日本のこれから」前篇
結 び 高 齢 先 進 国 日 本 の こ れ か ら
幸か不幸か、日本は世界一の長寿国になってしまった。しかも、出生率は下がり続け、少子国にもなってしまった。少子高齢社会に対応するため、日本は何をしなければならないのか?対応に失敗し、反面教師になるかもしれないが、どうせなら、少子高齢化先進国として、成功した結果を世界に示したいものだ。率直にいって、我々は世界のことより、国内の問題について、まず考えねばならないし、歴年齢制度の是非は、率先して検討されるべき事項の一つである。
アメリカが民主主義の導入に成功したように、日本は高齢社会にふさわしい、新たな合理的考え方に基づいた国づくりができるかどうかが、現在問われているはずだ。
1776年、アメリカ合衆国が誕生した時、自由と平等を掲げ、民主主義が導入され、建国の理念は、様々な社会制度に取り入れられていった。色々な人種、民族、習慣や考え方の違いを乗り越えて、互いに苦労しながら、遠い地に来てしまった運命共同体としての、ある種の連帯感が、アメリカの建国に強く作用していただろうことは想像に難くない。もちろん、その間には、先住民族の排除や奴隷制度等、負の遺産を残す結果にもなった。そうした障害を、とにもかくにも乗り越え、国民の最大公約数的な考えを大切にする“合衆の国”としての民主主義を確立し、それは一方の世界基準となった。歴史や伝統がなかったことも、幸したはずだ。アメリカの国づくりは、自らの運命をかけた壮大な社会実験でもあったのだ。
高齢社会に直面した日本も、社会を根本から作り変えるぐらいの覚悟をを持って、年齢制度の改革に取り組む必要がある。わが国では人口減少と高齢化が今後も続くわけであり、その前提の下で、長期的視野に基づいた制度を設計しなければならない。例えば、「未来社会創造プロジェクト」といった名称の下、政府は率先して、広く国民から建設的な意見を求めるのもよいだろう。
長い歴史を持つ単一民族集団を自認する日本と、歴史が浅く多民族国家のアメリカとを、並列に論ずるのは無理があろう。しかし、明治以降のこの百年間、日本は先進諸国の重要なメンバーとして、科学文明の成果を国家として享受もしてきた。その結果としての長寿国家であるならば、高齢社会の制度づくりにおいて、目的と方法とを明確に示し、何を成功の実績とすべきか、世界に範を示すことも責務となる。
ご承知のように、わが日本は天然資源の乏しい国である。食料自給率も、今や四割と、先進諸国の中で最低ランクになってしまった。国土の地形からして、これ以上耕地を拡げるのも難しい。しかし、幸いなことに(?)国の人口は減り始めたし、人的頭脳資源だけは充分にある。これからは、増え続ける高齢者の有効活用が、国の重要課題として浮上してくるのは当然のことである。
平均寿命が90代に向かっている日本において、盛衰のカギは人材の活用法いかんにかかっているのだ。
高齢者の活用こそが、わが国経済を発展させる力となり、国民一人ひとりの生き甲斐につながるだけでなく、健全な社会を維持する最大の要素となる。
とはいえ、年齢社会制度の改革は、具体的には何から始めたらよいだろうか。欧米諸国の後追いになってしまうが、やはり「年齢差別禁止」を法制化するのが順当だろう。もっとも、年齢差別禁止法は、歴年齢そのものの存在を前提としているので、完全なものではないが、それでも、年齢不問社会実現に向けての第一歩となる。少子高齢化問題に対する日本の対応は、同様の方向に進みつつある世界の国々から注目されている。特に中国は、人口13億人を突破した。その急激な人口増を回避するためにとられた「一人っ子政策」により、将来は大変な高齢社会になることが憂慮される。そんな中国は無論のこと、日本が成功しても失敗しても、世界の国々は自分たちのよい手本になると、日本の動向に深い関心を寄せているのは確かなのだ。 つづく
私たち日本生涯現役推進協議会が「生涯現役社会づくり」の提言に、そのための尖兵役『生涯現役プロデユーサー』仮登録者を2009年初から受付けています。
その仮登録者の本格的な登録制度を展開するために参考になるご意見を本田氏は多々述べておられるので、ご関心ある方はぜひ「なぜ、私の歳をきくの?/年齢不問社会の提言」をジックリとご照覧願いたいと存じます。
今回はBlogでの制約もあり、以下同書の「結び 高齢先進国日本のこれから」ご紹介でご容赦願います。
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本田重道氏:「高齢先進国日本のこれから」前篇
結 び 高 齢 先 進 国 日 本 の こ れ か ら
幸か不幸か、日本は世界一の長寿国になってしまった。しかも、出生率は下がり続け、少子国にもなってしまった。少子高齢社会に対応するため、日本は何をしなければならないのか?対応に失敗し、反面教師になるかもしれないが、どうせなら、少子高齢化先進国として、成功した結果を世界に示したいものだ。率直にいって、我々は世界のことより、国内の問題について、まず考えねばならないし、歴年齢制度の是非は、率先して検討されるべき事項の一つである。
アメリカが民主主義の導入に成功したように、日本は高齢社会にふさわしい、新たな合理的考え方に基づいた国づくりができるかどうかが、現在問われているはずだ。
1776年、アメリカ合衆国が誕生した時、自由と平等を掲げ、民主主義が導入され、建国の理念は、様々な社会制度に取り入れられていった。色々な人種、民族、習慣や考え方の違いを乗り越えて、互いに苦労しながら、遠い地に来てしまった運命共同体としての、ある種の連帯感が、アメリカの建国に強く作用していただろうことは想像に難くない。もちろん、その間には、先住民族の排除や奴隷制度等、負の遺産を残す結果にもなった。そうした障害を、とにもかくにも乗り越え、国民の最大公約数的な考えを大切にする“合衆の国”としての民主主義を確立し、それは一方の世界基準となった。歴史や伝統がなかったことも、幸したはずだ。アメリカの国づくりは、自らの運命をかけた壮大な社会実験でもあったのだ。
高齢社会に直面した日本も、社会を根本から作り変えるぐらいの覚悟をを持って、年齢制度の改革に取り組む必要がある。わが国では人口減少と高齢化が今後も続くわけであり、その前提の下で、長期的視野に基づいた制度を設計しなければならない。例えば、「未来社会創造プロジェクト」といった名称の下、政府は率先して、広く国民から建設的な意見を求めるのもよいだろう。
長い歴史を持つ単一民族集団を自認する日本と、歴史が浅く多民族国家のアメリカとを、並列に論ずるのは無理があろう。しかし、明治以降のこの百年間、日本は先進諸国の重要なメンバーとして、科学文明の成果を国家として享受もしてきた。その結果としての長寿国家であるならば、高齢社会の制度づくりにおいて、目的と方法とを明確に示し、何を成功の実績とすべきか、世界に範を示すことも責務となる。
ご承知のように、わが日本は天然資源の乏しい国である。食料自給率も、今や四割と、先進諸国の中で最低ランクになってしまった。国土の地形からして、これ以上耕地を拡げるのも難しい。しかし、幸いなことに(?)国の人口は減り始めたし、人的頭脳資源だけは充分にある。これからは、増え続ける高齢者の有効活用が、国の重要課題として浮上してくるのは当然のことである。
平均寿命が90代に向かっている日本において、盛衰のカギは人材の活用法いかんにかかっているのだ。
高齢者の活用こそが、わが国経済を発展させる力となり、国民一人ひとりの生き甲斐につながるだけでなく、健全な社会を維持する最大の要素となる。
とはいえ、年齢社会制度の改革は、具体的には何から始めたらよいだろうか。欧米諸国の後追いになってしまうが、やはり「年齢差別禁止」を法制化するのが順当だろう。もっとも、年齢差別禁止法は、歴年齢そのものの存在を前提としているので、完全なものではないが、それでも、年齢不問社会実現に向けての第一歩となる。少子高齢化問題に対する日本の対応は、同様の方向に進みつつある世界の国々から注目されている。特に中国は、人口13億人を突破した。その急激な人口増を回避するためにとられた「一人っ子政策」により、将来は大変な高齢社会になることが憂慮される。そんな中国は無論のこと、日本が成功しても失敗しても、世界の国々は自分たちのよい手本になると、日本の動向に深い関心を寄せているのは確かなのだ。 つづく