横田安宏大兄から過日紹介されて、その場で早速拝借した本田重道氏ご著書です。その抜粋部分を当Blogに転載許諾をいただいた上、昨7日午後には、わざわざ本田大兄が八重洲事務所までご来訪賜わりました。
  10余年も前にすでにお会いしていた過去などすっかり忘れていた失礼をお詫びするとともに、久方振りの再会に改めて今回そのご縁をつくってくださった横田・本田氏のご両所に心から感謝して下記転載させていただきます。
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本田重道氏:「 生 涯 現 役 は 一 石 三 鳥 」後篇

  二つ目は、平成15年度の『厚生労働白書』で紹介された、桜美林大学大学院教授・柴田博氏の研究である。
  61歳以上の男性で、仕事を引退した人と継続した人との健康度を比較すると、「引退組は酒と煙草、朝食抜き、肥満度など、すべての健康面で、好ましくない生活習慣を持っている人が多い」という。
  人は高齢になっても、できる限り社会活動を続けることが、本人の健康維持の観点からも、社会にとっても、好ましいことが明らかになっている。≪働くは人の為ならず≫である。

  元気な老人が増えると、いわゆる「老害」の問題を心配する人がいるかもしれない。しかし「老害」とは、本来は、能力も実力も喪失した高齢者が、年齢だけをよりどころとして、年下の人間を抑圧することを意味する。確かにそれでは年下の人間は不自由だし、迷惑であろう。だがそれは年功序列社会=歴年齢社会の副産物でもある。
  年齢不問、完全な能力主義社会が到来すれば、老害などという言葉はなくなるはずだ。仮に、ある実力者が高齢者であっても、常に若々しく、物事に前向きで能力がある限り、誰も「老害」などと批判しないだろう。それに、老人だ、老害だ・・・と騒ぎたくても、相手の年齢が不明なら、騒ぐ根拠は薄弱になる。年齢不問になれば、老人そのものの存在感も弱まり、老害現象も発生しがたい。また高齢者も働くことで、異なる経験を持つ、いろいろな考え方の人が増え、新しい職種も生まれて、日本の生産人口はさらに増える。さらに、健康老人の比率が増え、老人医療費の増加にもブレーキがかけられ、働くことは収入を得ることだから、国庫の税収も増え、年金保険料も増えて、制度も持続可能となるだろう。

  高齢者就労には、もう一つ別の、大きな効果がある。
  働くことで、少額でも常に現金収入が得られれば、かなり気楽にお金が使えるようになるということだ。
  「自分はいつ死ぬか分らない。もしかしたら、あと30年以上、うっかりしたらそれ以上、長生きしてしまうかも知れない。ならば、その時のために小遣いは貯金をしておこう・・・」というのが、定年で退職した人の偽らざる心境だろう。高齢者も働ける社会になれば、貯金は程々でよく、大金を残して死ぬこともなくなる。よって収入は直接消費に回り、市場経済が活性化してGDPも伸びる。
  高齢者の就労のための施策は、国家にとっても無視できない重要性を持っている。
  少子高齢化で、生産年齢人口の割合が減って大変だ、税金を挙げよう、年金の支給時期を先に延ばそう、支給額を減らそう・・・・などという短絡的で刹那的な発想は、結局、社会に負のスパイラルしかもたらさない。もっと根本的な改革が必要なのだ。
  年齢不問の社会になると、従来は引退していた高齢者が働くようになるので日本の生産性が上がり、生涯現役という自覚から健康な高齢者も増え、さらに保険料支払層まで増えてしまう。これこそ「一石三鳥」と言えるだろう。