日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &  
       NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ  活 動 で 
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2017年(平成29年)6月11日(日)付:中日新聞 CHUNICHI WEB  【ご参考URL=http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20170611/CK2017061102000065.html
        時 計 修 理 歴 7 0 年 「 生 涯 現 役 で 」    
                               一 宮 の 黒 野 さ ん


  10日は時の記念日。太平洋戦争の終戦直後、70年前に時計修理の道へ入った一宮市浅野の黒野利一さん(86)は今も1級時計修理技能士として宝飾店「エンジェリーいのこ」(大江3)に勤め、針の止まった機械式時計をよみがえらせている。スマートフォンが普及する中、黒野さんは「ゼンマイの音は心が落ち着く。大切に時計を使い、共に思い出も刻んで」と話す。

 ルーペを左目に着け、腕時計や置き時計の機械部をのぞき込む。四十年前に市内の繊維会社役員が購入した機械式の置き時計。十五分ごとにチャイムが鳴る当時の最新型で、購入以来、工場に掲げられていたが、時間のずれが頻発するようになり、持ち込まれた。

 「ぜひ、ガチャマン時代を見てきた感想を聞いてみたいね」。そう語る笑顔は、成長し帰ってきた息子を見る父親のよう。

 祖父母の形見や骨董(こっとう)店で見つけたアンティーク・・・・。数は昔ほど多くないものの、日々、さまざまな「物語」を刻んできた時計が持ち込まれる。

 工房には、生産終了となった修理用の部品などが、長年の財産として保管してある。「よそで『もう直せない』と言われた時計を直してあげられた時は、修理士冥利(みょうり)に尽きる」という。

 東京都生まれ。五歳のころ、酒販業を営んでいた父が昭和恐慌のあおりで事業に失敗し、現在の西尾市に移り住んだ。「食いはぐれがないよう手に職を付けたい」と十六歳で近くの時計店に弟子入りし、六年間修業した。

 二十二歳の時、「より高い技術を身に付けたい」といのこに入社。高度経済成長期は、店に二十~三十個ほどが持ち込まれ、五、六人の職人と一緒に修理に明け暮れた。営業マンも兼ね、営業担当役員も務めたが、六十五歳の定年を機に「やはり修理が性に合っている」と職人へと戻った。

 妻の恵美子さん(81)と二人暮らし。自宅でも昔から古い機械式の掛け時計を修理し、使い続けている。

 健康の秘訣(ひけつ)はその時計を見て、規則正しく生活すること。「幸い足腰も元気で、手先の震えもない。生涯現役で技を磨き続けたい」(植木創太)