米国テキサス州ダラスで開催されるFREEPACに東京茶会創設者渡瀬裕哉氏〔表記8月開催の第320回生涯現役塾発題者〕が登壇され、現地からFacebookで次々と活発な行動力を見せています。次回生涯現役塾ご参加皆様に下記ご本人のBlogをご紹介いたします。
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【 宣  戦  布  告 】

  東京茶会のような活動をしていると、度々日本人のエスタブリッシュメントたちに出会うことがある。曰く、○○を知っている、○○と息子が友だち、○○のことが分かるかなど。国内的な話でも、国際的な話でも、往々にしてこういうことがあるわけで、そのたびに少々思うところがある。

  あ あ 、 こ う い う の が 貴 族 っ て い う の だ な あ と。

  これらの人々が各々努力をしていることも認めるし、別に存在自体を否定するわけではない。しかし、彼らはその地位に安住して日本や世界を変えることを行う意志が無い。生まれた時からの特権的な地位に安住し、そのレールの上で輝かしい経歴を持ち、そして何も変えずに日本や世界の支配層の一角を担い続ける。

  彼らは決して自分の親を超えた遥か高みに至り、日本や世界を変えようとは思わないのだ。小さい時から支配のルールを叩き込まれたからこその精神・行動だと思う。

  そのため、こういう人たちと出会うと私は彼らの人材評価の尺度から漏れるらしい。サラリーマンの家の子、政治との関わりもホームレスとのタコ部屋からスタートしたような人間には何の価値も無いようだ。

  私が人材を評価する基準はその人の生まれではなく、現在存在している社会を変革する意思があるか否かだけだ。だから、目的も無く支配層に留まり続ける人々と相容れないのは間違いない。

  今日は私という庶民が日本中・世界中のエスタブリッシュメントに宣戦布告した日である。

  彼ら貴族の身分を利用しても手が届かないステージまで上ることが出来た。そして、そこで待っていた人々は、人間を身分ではなく、自由という共通の価値観を持っているかどうかで判断する人々であった。

  私は日本でもこのような場を創り、育み、そして多くの人々に機会を与えることを試みたいと思う。

  日本の鬱屈とした社会の状況は、人間を出自・身分で評価し、その「意思」を評価しない社会環境を創りだしていることにある。

私は日本に自由で、公平で、人間が持つ力強い「意志」が評価される社会を作りたい。そして、今日この場に立ったことによって紛れもなく自分にその役目が課されたのだと認識している。

  一緒に力を合わせて頑張ってくる皆に感謝を捧げ、そして明日からも力の限り精進を重ねていきたい。
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2012年06月27日(水) テーマ:政局論
【 消 費 税 増 税 に 見 る 日 本 の 政 界 の 正 し い 構 図 】

  民主党・自民党の合意によって消費税増税が現実のものとなった。

  なぜ与党と野党であるはずの両者が合意して税率の値上げを容認するのか、いやむしろ喜び勇んで増税に賛意を示しているのか。この政局の背景には何があるのだろうか。

  昨日・本日の一連の報道を眺めてみたものの、どのコメンテーターも小沢一郎氏の造反について正しい理解で説明をしているものが無いと思う。日本史に関する浅薄な理解でしか政局を見る事しかできない解説者ばかりだ。

  この問題の背景は、明治以来続く政官攻防の歴史、そして第二次世界大戦中に形成された戦時動員体制との戦いの歴史が存在している。

  以前から当ブログでは指摘しているように、小沢一郎氏は日本の自由民権運動、その中でも原敬の系譜を強く受け継ぐ「政治主導」の指導者である。日本の近代史は官僚と政党のせめぎ合いであり、2009年の小沢氏の代表選挙の演説を見れば分かるように、小沢氏の行動原理は官僚支配の打破、政党中心の政治にあると捉えて間違いない。

  http://ameblo.jp/tokyochakai/entry-11001194409.html

  小沢氏が何らかの容疑をかけられて政治的な影響力が殺がれることは、星亨、原敬、犬養毅らの政治指導者が辿った末路を見れば明らかであり、一連の小沢裁判もこの流れの中にあるものと捉えれば至極納得がいく。

  小沢氏が対峙しているものは、日本の官僚機構そのものであり、野田政権は官僚の傀儡でしかない。そのため、野田首相の語る言葉は国民を馬鹿にした軽薄なプロパガンダばかりだ。誰が何と言おうと、増税は政府の無用な肥大化につながるだけだ。

  私はそもそも民主党という政党の支持基盤を見れば官僚支配から脱却することなど到底不可能であったように思う。

  民主党・自民党が消費税増税に賛成する背景は、両者の主要な支持基盤が戦時中に形成された大政翼賛会の一部を成す官僚の外郭団体であることにある。経団連(重要産業統制懇談会)、農協(農業会)、連合(産業報国会)、自治会(内務省によって組織化)、その他諸々、現在の両党の政治的な支持基盤はいずれも官僚の出先機関として組織化されたものに過ぎない。

  そのため、民主党と自民党が小沢一郎という民主主義の鬼子を葬り去るために、主要メディア(記者クラブも戦時中に翼賛クラブ化)も総動員して葬り去ろうとしている。消費税増税というテーマを通じて、官僚支配と民主主義が対峙しているのだ。まさに日本の歴史の繰り返しとはこのことか。そして、この戦いは歴史の輪廻から抜け出すことは無く小沢一郎氏の敗北で終わることになるだろう。

  私たち、国民は何をしなくてはならないのか。そして、どうすればこのどうしようもないほどの官僚支配から抜け出す道が開かれるのだろうか。

  そのための方法は、小さな政府を求める国民の連帯が力を持つこと以外に有り得ない。

  小沢一郎氏が取ってきたバラマキの権限を官僚から政党に移し替える政治手法は、小沢氏という民主主義の意志を消し去れば、その肥大化したバラマキの権益が再び官僚の手に落ちる道につながっていく。

  私たちが官僚支配から抜け出すためには、税金と規制という政府の権益自体を減らし、自由で力強い国民による社会を築き上げる必要があるのだ。

  無党派層の多くは徹底した行政改革の実現によって増税を回避することを望んでいる。しかし、その無党派層は無党派層であるがゆえに政治的な影響力を何ら持たず、メディアのプロパガンダ、大きな政府支持者のアジェンダセッティングの軍門に下らざるを得ない状況に追い込まれている。

  無党派層が自らの政治的な意志を示す、断固とした行政改革を求める組織を持つことによって、政治的な党派性を持つことによって初めて私たちは官僚支配から抜け出すチャンスが得られる。

  この意思を持った集団が政治家を生み出し、政治家に対してぶれることなく圧力をかけ続け、政治のアリーナに減税・規制緩和をテーマとして提示し続けるのだ。

  そのための方法が東京茶会である。いまだ茶会の勢力は小さいが、茶会の主要な目標は今回決定するであろう増税法案の永久凍結である。一度国会で決まったからといってそれを止めることは再び国会を「自由を求める国民」の手に取り戻せば可能だ。

  大政翼賛会としての本性を露わにした民主党・自民党の政治、これに対抗するための政治的な仕組み、それを明確に世の中に創り上げていく努力を今回ほど痛感したことは無い。多くの国民読者も同様の思いを持ったものと認識し、ともに力を合わせて戦っていくつもりだ。