連日のようにロンドン・オリンピックに沸いてテレビに釘付となった一週間だったかもしれない。その日本選手の活躍振りの随所を観ながら、事前に下馬評を期待されながらも期待通りにならなかった場合の成果批判で、金メダル量産主義者の存在意義が本当の意味では五輪精神とどう関わるのか考えてみると興味深いものがある。

  それは金メダル量産主義者たちが期待を裏切られたことに気楽な批判はできても、経験した当事者以上に工夫・努力の経験・立場がない岡目八目に過ぎないからである。ところが今回の五輪主催国である英国は第二次世界大戦戦勝国で、あたかも金メダル連続量産に等しい、戦前は大英帝国として史上輝く植民地支配国だった。

  しかし、戦後英国植民地支配から離脱した結果、その利権喪失後に国力失墜の英国病は、やはり体力の限界を過ぎた過去の金メダル有力候補と同じ様な国難を招く結果となった。失われた20年以上のわが国閉塞感現状をものの見事に克服した実際の歴史上成果について充分に学び直してもらう必要があるように思えるからである。
  
  第二次世界大戦後の英国では、ケインズの有効需要法則やピグーの厚生経済学などに基づく福祉政策が採られ、アダム・スミス、デイヴィッド・リカードの古典派経済学やアルフレッド・マーシャルの新古典派経済学の理論が大恐慌によって破綻し、ケインズの「一般理論」がアメリカ合衆国のニューディール政策などで有効であることが証明され「レッセ・フェール」に修正を加える必要があると、いわゆる「ゆりかごから墓場まで」と言われる高い福祉政策がとられた。

  しかし、規制や産業の国営化などによる産業保護政策は国際競争力を低下させ、経済成長を停滞させることになる、スタグフレーションの発生で、政策ほころびが経済学的にも指摘される、いわゆる「英国病」の国難を招くに至った。これらの政策は主に労働党政権によって推し進められてきたものだが、1978年にマーガレット・サッチャーを首班とする保守党政権誕生で、これまでの高福祉政策を転換して「大きな政府」から「小さな政府」への転換に英断が図られた。

  その「英国病」といわれた不況・財政赤字・高インフレ・高失業に喘ぐ中でマーガレット・サッチャーは、英国復興を旗印に緊縮財政・行政改革・労組規制で、「サッチャリズム」と呼ばれた小さな政府・大胆な規制緩和・民営化推進で民間部門の活性化を図り、証券手数料の自由化をテコに、「金融ビッグバン」を実行、金融市場に活況を取り戻した。

  一切の妥協を否とした サッチャー氏の強硬な政治手法には、常に毀誉褒貶がつきまとったが、英国経済を立て直して 英国民に自信を取り戻させたことは評価されるべきで、ユーロの命運もメルケル独首相がサッチャー氏の強い指導力を再現できるかにかかっているともいわれる。

  わが国でも野田首相の消費増税強行突破策は土壇場で道が険しく、国民の支持には、雇用・就業の成長戦略で長期のデフレ・低成長から抜け出せる 社会の閉塞感打破と、国民が将来に希望を持てる処方箋を、サッチャリズムに求めることが「英国病」を克服させた「鉄の女」サッチャリズムを今回のロンドン五輪開催を通じて考えさせられるのである。