韓国ソウルでの核安全サミットでのわが国野田首相の存在価値が余りにも薄すぎると懸念する声が大きい。国内の消費税増税問題に集中した国際的バランス感覚の欠如を批判されるのも止むを得まいが、国内政治問題でも国政最高責任者としては本日の下記掲載欄も、十分に加味した国家百年の大計づくりに配慮して貰いたいものだと考え、転載させていただいた。
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  高 齢 化 と 民 主 主 義     2012.3.27 日経朝刊“大機小機”欄

  筆者が「人口の高齢化が進むと、民主主義が機能不全に陥るのではないか」と考え始めたのは随分昔のことである。将来世代に投票権がない以上、世代間の利害対立への対処にバイアス(偏り)が生じるからだ。

  この「理論的可能性」が現実の問題となり始めたのは、後期高齢者医療制度を巡る騒動の頃からだろうか。ネーミングはともかく、同制度は、高齢者の自己負担引き上げだけでなく、掛り付け医の導入など、よく考えられた仕組みだった。にもかかわらず「うば捨て山」などと怒りを招き、あっという間に骨抜きにされてしまった。

  それ以来、この国では政治家が高齢者の票を恐れるあまり、若者や将来世代に負担を強いるような動きが進むばかりだ。

  そして今、社会保障と税の一体改革が政治的アジェンダの中心にある。一体改革と言う以上、本来は社会保障給付の抑制を進めた上で、最小限度の増税を求めるのが筋だろう。だが両者を同時に行おうとすれば、政治的反発はそれだけ強まる。社会保障改革に目をつむって消費税引き上げだけでも実現したいというのが、首相の本音ではないか。

  なぜ消費税なのか、という議論がある。確かに現役世代中心の社会ならば、税の負担能力という観点で所得に着目するのが自然だろう。だが、今この国で所得税を上げれば、その負担は高度成長期に資産を蓄えた高齢者ではなく、厳しい雇用環境の下で働く若者たちにのしかかる。年金だけでも数千万円と言われる世代間不平等がこれ以上拡大することは容認できない。

  先にやるべきことがある、との議論もよく聞く。社会保障給付を含め、歳出の効率化が必要なことは当然だ。しかし「ギリシャと違って経常黒字の日本には時間の余裕がある」などと考えてはいけない。問題先送りは将来世代の負担んを増すだけではない。急速に高齢化が進む国では、高齢者の比率が高まるにつれ、増税も社会保障改革も政治的に難しくなるからだ。

  今回の改革が失敗すれば外資系ファンドなどは日本国債を売ると言われる。直ちに国債暴落のリスクは小さいとみるが「日本では当分の間、財政再建が困難になり、いずれギリシャ化が必至だ」という議論には説得力を感じる。日本の民主主義が高齢化の壁を乗り越えられるのかが今問われている。(希)