「真の弱者と真の格差」(日経紙2010.12月)
2012年3月25日 お仕事 社会の真のリーダーには当然ながらその社会に所属する全構成員に対する統治責任があると同時に、現時点の全構成員だけではなく、これから誕生する新たな命に対する責任もある。明治の無教派キリスト教伝道で活躍した内村鑑三の『後世への最大遺物』では、「生きる意味」を神の栄光に帰することと教えているが、創造主なる神が望むのは正しく現生社会に止まらず、未来永劫に「神がよし」となさる社会にも及んでいることは間違いない。
その意味で私たちが『 子 ど も に ツ ケ を ま わ さ い !! 』ことが、生涯現役社会づくりの重要要素であることは当然である。古い記事ではあるが、その論旨の正論に再度耳を傾けてみたいと思い、敢えて転載させていただいた。
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「真の弱者と真の格差」(日経新聞2010.12.14付“大機小機”)
多くの人が、社会的弱者を守るべきだと言い、格差をなくすべきだと言う。しかし、誰が守るべき弱者であり、何が是正すべき格差なのかを見分けることは難しい。
弱者の範囲を広げ過ぎると、今日者をも救うことになり、かえって不平等になる。また、あまりにも格差の縮小を追求して結果の平等を実現しようとすると、「何もしないでも助けてくれる」というモラルハザード(倫理の欠如)を生んでしまう。
では、真の弱者とは何か。それは自らの意志ではどうしようもない力によって大きな負担を強いられる人たちである。日本にはそうした意味で正真正銘の弱者がいる。将来世代がそれである。秋田大学の島沢諭氏らが行った世代会計の分析によると、現時点で生まれたばかりの新生児世代は、生まれた瞬間に1600万円以上もの生涯純負債を負っている。人口が高齢化する中で賦課方式の社会保障制度を維持しているためである。
さらに過去の負債を返済する分を加えると、これから生まれる将来世代は1億円以上の負債を強いられるという。将来世代は社会的意思決定に全く参加することなく、一方的に巨額の負担を強いられる。まさに真の弱者である。
格差についてはどうか。本当に格差が問題となるのは、「機会の不平等」によってもたらされる格差である。日本にはこうした正真正銘の格差がある。現世代と将来世代との格差がそれである。
前述のように、日本では将来世代の純負担は0歳世代の6.6倍にもなる。これは諸外国に比べて飛び抜けて大きい(主要国で最も大きいのはイタリアの2.3倍)。
われわれはいつ生まれるかを選択することができないのだから、こうした現世代と将来世代との格差は、純粋に機会の不平等に基づくものである。
つまり日本で最も守られるべき弱者は将来世代である。彼らは意思決定に参加できないままに、重い負担を負わされているからだ。そして、日本で最も是正さるべき格差は、現役世代と将来世代との格差である。その格差は想像を絶するほど大きく、100%機会の不平等に基づくからだ。
こうした真の弱者、真の格差問題に対応するには、現世代の負担による財政の健全化を急ぎ、世代が自立できるような頑健な社会保障制度を打ち立てていく必要がある。それがわれわれ現世代の最大の責務である。 (墨田川)
その意味で私たちが『 子 ど も に ツ ケ を ま わ さ い !! 』ことが、生涯現役社会づくりの重要要素であることは当然である。古い記事ではあるが、その論旨の正論に再度耳を傾けてみたいと思い、敢えて転載させていただいた。
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「真の弱者と真の格差」(日経新聞2010.12.14付“大機小機”)
多くの人が、社会的弱者を守るべきだと言い、格差をなくすべきだと言う。しかし、誰が守るべき弱者であり、何が是正すべき格差なのかを見分けることは難しい。
弱者の範囲を広げ過ぎると、今日者をも救うことになり、かえって不平等になる。また、あまりにも格差の縮小を追求して結果の平等を実現しようとすると、「何もしないでも助けてくれる」というモラルハザード(倫理の欠如)を生んでしまう。
では、真の弱者とは何か。それは自らの意志ではどうしようもない力によって大きな負担を強いられる人たちである。日本にはそうした意味で正真正銘の弱者がいる。将来世代がそれである。秋田大学の島沢諭氏らが行った世代会計の分析によると、現時点で生まれたばかりの新生児世代は、生まれた瞬間に1600万円以上もの生涯純負債を負っている。人口が高齢化する中で賦課方式の社会保障制度を維持しているためである。
さらに過去の負債を返済する分を加えると、これから生まれる将来世代は1億円以上の負債を強いられるという。将来世代は社会的意思決定に全く参加することなく、一方的に巨額の負担を強いられる。まさに真の弱者である。
格差についてはどうか。本当に格差が問題となるのは、「機会の不平等」によってもたらされる格差である。日本にはこうした正真正銘の格差がある。現世代と将来世代との格差がそれである。
前述のように、日本では将来世代の純負担は0歳世代の6.6倍にもなる。これは諸外国に比べて飛び抜けて大きい(主要国で最も大きいのはイタリアの2.3倍)。
われわれはいつ生まれるかを選択することができないのだから、こうした現世代と将来世代との格差は、純粋に機会の不平等に基づくものである。
つまり日本で最も守られるべき弱者は将来世代である。彼らは意思決定に参加できないままに、重い負担を負わされているからだ。そして、日本で最も是正さるべき格差は、現役世代と将来世代との格差である。その格差は想像を絶するほど大きく、100%機会の不平等に基づくからだ。
こうした真の弱者、真の格差問題に対応するには、現世代の負担による財政の健全化を急ぎ、世代が自立できるような頑健な社会保障制度を打ち立てていく必要がある。それがわれわれ現世代の最大の責務である。 (墨田川)