【転載Web=https://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20160108_5】  
 「 釜 石 最 後 の 芸 者 」 現 役 貫 く
       7  0 年 余 活 躍 の 伊 藤 艶 子 さ ん 死 去

 釜石市の芸事を支え「釜石最後の芸者」と呼ばれた日本舞踊家・伊藤(いとう)艶子(つやこ)(舞踊名・藤間(ふじま)千雅乃(ちかの))さんが6日午前8時1分、心臓疾患の一つである完全房室ブロックのため、同市の病院で死去した。89歳だった。「釜石浜唄」など格調高い芸を披露し、水産と製鉄で栄えた同市の隆盛期を彩った。東日本大震災で自宅が被災したが、仮設住宅で暮らしながら座敷に上がり続け、生涯現役を貫いた。

 伊藤さんは1926(大正15)年、同市只越(ただこえ)町で生まれた。13歳で市内の料亭・幸(さいわい)楼に入り、踊りの基礎を身に付ける。48年に結婚し1女をもうけた後も芸事を続け、東京都の日本舞踊・藤間流で修業、名取となった。戦後成長期の釜石に戻り、最盛期100人ほどの踊り手や芸者が活躍した花柳界を支えた。

 東日本大震災では自宅だけでなく着物や多くの道具も失ったが、芸への情熱は失わず、同市天神町の仮設住宅で暮らしながら現役を続けた。先月下旬にも座敷に上がり、3月にも会合に呼ばれる予定だった。

 伊藤さんの死去に伴って地元の踊り手は絶えるが、震災を機に東京都の芸者らが伊藤さんを訪ねて一部演目を受け継ぎ、お披露目するなど新たな取り組みも広がっている。幸楼おかみの金沢世津子さんは「周りから先生と敬われ、月に1度は座敷に上がっていた。年を重ねて一層、気品ある芸を見せた方。本人の気構えが表れ見事だった」 と偲んだ。