パウリスタ・スポーツ賞・59回21人受賞者
2015年6月13日 お仕事パウリスタ・スポーツ賞=59回目は21人の受賞者=92歳で現役のゴルファーも=「出産と同じぐらい嬉しい」
「100歳でも120歳でも出来る限り、現役生活は続けるつもり」。59回目を迎えた『パウリスタ・スポーツ賞』の贈呈式(ニッケイ新聞主催、高木ラウル社長)で、ゴルフ部門の特別賞を受賞した高野ハルオさん(92、山梨)はそう力強い言葉で〃生涯現役〃を宣言した。
1日午後7時より、聖市議会貴賓室で行われた同贈呈式では柔道や相撲、ゴルフなど19種目から特別賞三つを含む21人(団体)が受賞し、会場には受賞者の家族や友人、約300人が駆けつけ、会場は祝賀ムード一色となった。
受賞者は出席者が見つめる中、各スポーツ団体代表者と来賓から記念プレートを手渡された。名前が呼ばれるたびに大きな拍手が沸き起こり、受賞者もそれに応え、笑顔で受け取った。
高野さんは「ゴルフが自分の健康の秘訣。自分が受賞していいものかとも思ったけど、やっぱり嬉しい」と謙遜した様子で受賞の感想を語った。日系最古のゴルフ場「アルジャーゴルフクラブ」に1978年から入会し、長年理事を務めてきた。特に毎月第三土曜日に開催される「三土会」と称したゴルフコンペの運営に深く携わってきた。最近364回目の開催を数えた同会には、今でも一度も欠かすことなく出場を続けている。
野球部門の喜友名アキラさん(79、沖縄)は受賞の喜びを「結婚や子供が生まれたのと同じくらい嬉しい」と多く友人に囲まれながら語った。
喜友名さんは長年聖市内でクラブチームの指導者を行い、全伯ジュニア代表チームも務めた。また審判としてもルールの普及等に努め、現在は後進の審判の育成に尽力している。野球人生を振り返り「教え子たちが、立派な大人になってくれたことが何より嬉しいね。10年経っても連絡をくれる子がいるんだよ」と話す。数百人という少年たちを指導したという。
また審判という仕事に対し「レベルの高い国際大会の主審を務めたときは本当に興奮したよ。陽の当たらない役かもしれないけど誇りを持っている」と語る。
式後には懇親会が開かれ、家族や受賞者同士で喜びを分かち合い、受賞の余韻に浸った。
本賞は終戦後に勝ち負け抗争で二分したコロニアを、スポーツ振興を通じて融和させることを目的に、パウリスタ新聞が10周年を迎えた1957年に創立された。
当日の来賓としては池田リュウゾウ陸軍少将、野村アウレリオ市議、不在の総領事の代理を務めた佐野浩明首席領事、病気で出席できなかった下本八郎元州議の代理で息子マルシオ氏、羽藤ジョージ州議、各日系団体代表者らが登壇した。
高木社長は祝辞で「日本人がもたらしたスポーツがブラジル社会に浸透しているから、日系に限らない多彩な受賞者となった。選手本人はもちろん、手弁当で粉骨砕身するスポーツ団体幹部の皆さんのご苦労に少しでも報いるため、この賞は続けられてきた」と賞賛した。
野村市議も「市議会でこの式典を4年連続受け入れたことを誇りに思う。青少年の健全育成は社会からもっとも求められる活動であり、単なるスポーツ以上の尊い価値がある」と称えた。
「100歳でも120歳でも出来る限り、現役生活は続けるつもり」。59回目を迎えた『パウリスタ・スポーツ賞』の贈呈式(ニッケイ新聞主催、高木ラウル社長)で、ゴルフ部門の特別賞を受賞した高野ハルオさん(92、山梨)はそう力強い言葉で〃生涯現役〃を宣言した。
1日午後7時より、聖市議会貴賓室で行われた同贈呈式では柔道や相撲、ゴルフなど19種目から特別賞三つを含む21人(団体)が受賞し、会場には受賞者の家族や友人、約300人が駆けつけ、会場は祝賀ムード一色となった。
受賞者は出席者が見つめる中、各スポーツ団体代表者と来賓から記念プレートを手渡された。名前が呼ばれるたびに大きな拍手が沸き起こり、受賞者もそれに応え、笑顔で受け取った。
高野さんは「ゴルフが自分の健康の秘訣。自分が受賞していいものかとも思ったけど、やっぱり嬉しい」と謙遜した様子で受賞の感想を語った。日系最古のゴルフ場「アルジャーゴルフクラブ」に1978年から入会し、長年理事を務めてきた。特に毎月第三土曜日に開催される「三土会」と称したゴルフコンペの運営に深く携わってきた。最近364回目の開催を数えた同会には、今でも一度も欠かすことなく出場を続けている。
野球部門の喜友名アキラさん(79、沖縄)は受賞の喜びを「結婚や子供が生まれたのと同じくらい嬉しい」と多く友人に囲まれながら語った。
喜友名さんは長年聖市内でクラブチームの指導者を行い、全伯ジュニア代表チームも務めた。また審判としてもルールの普及等に努め、現在は後進の審判の育成に尽力している。野球人生を振り返り「教え子たちが、立派な大人になってくれたことが何より嬉しいね。10年経っても連絡をくれる子がいるんだよ」と話す。数百人という少年たちを指導したという。
また審判という仕事に対し「レベルの高い国際大会の主審を務めたときは本当に興奮したよ。陽の当たらない役かもしれないけど誇りを持っている」と語る。
式後には懇親会が開かれ、家族や受賞者同士で喜びを分かち合い、受賞の余韻に浸った。
本賞は終戦後に勝ち負け抗争で二分したコロニアを、スポーツ振興を通じて融和させることを目的に、パウリスタ新聞が10周年を迎えた1957年に創立された。
当日の来賓としては池田リュウゾウ陸軍少将、野村アウレリオ市議、不在の総領事の代理を務めた佐野浩明首席領事、病気で出席できなかった下本八郎元州議の代理で息子マルシオ氏、羽藤ジョージ州議、各日系団体代表者らが登壇した。
高木社長は祝辞で「日本人がもたらしたスポーツがブラジル社会に浸透しているから、日系に限らない多彩な受賞者となった。選手本人はもちろん、手弁当で粉骨砕身するスポーツ団体幹部の皆さんのご苦労に少しでも報いるため、この賞は続けられてきた」と賞賛した。
野村市議も「市議会でこの式典を4年連続受け入れたことを誇りに思う。青少年の健全育成は社会からもっとも求められる活動であり、単なるスポーツ以上の尊い価値がある」と称えた。