NHK/大ヒットの立役者:夢追う中年3人組
2014年12月29日 お仕事http://ameblo.jp/duo-quenarpa/entry-11900058572.html
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画家で詩人の葉祥明さんのエッセイ集
『地平線の素描帖』(1982年4月PHP研究所)
から引用させていただきます。
小さな死
私は、人生を諦観によって
生き延びてきたように思う。
苦しみ、悩み、つまづいたあげく、
私は肉体の死による解決ではなく、
「諦め」の境地に到る。
「諦め」は我欲を捨て、
自分を空しくすることであり、
そしてそれは
小さな死でもある。
自分が生き延びるために必要な
この聖なる儀式を幾度も経験するうちに
それは諦観という、
私の人生観にもなっていったのである。
(葉祥明)
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一番の歌詞の3行目。
直訳では
「二人乗りのボートを下さい」の部分。
ボクは
「もしも小舟があるならば」と訳しました。
「ボートを下さい」と神様に
お願いしているようですね。
そこにはボートがないからです。
「もしも小舟があるならば」というのも
そこにはボートがないのです。
だから、そのままでは渡れません。
諦めて「小さな死」を選択し、
渡らなくても生きていける道を探すのも
ひとつの生き方です。
『銀河鉄道の夜』の中で、
ジョバンニは親友カンパネルラと
ずっと一緒に旅ができると
信じていましたが、
カンパネルラは
先に天国に行ってしまいます。
天上の声がジョバンニに話しかけます。
「実はみんながカンパネルラだ・・・」
ずっと一緒に行ってくれるはずの親友が
いなくなったときに、
ほかの友だちも「カンパネルラ」だと
気づくかどうかは
お前自身の心のあり方次第だよ、と
天上の声は言ったのではないでしょうか。
親友は逝ってしまった。それは
諦めなくてはならない。そこから
どのように再スタートするか、という
ヒントを出してくれたのです。
ちょっと周りを見回しただけでは
ボートはない。
渡れそうにない。
やはりもうだめか・・・そんな
諦め(小さな死)から、
ボートになり得るものに気づくことが
できるかどうか・・・。
若いときにどんなに愛し合っても、
同じ関係がずっと続くことはありません。
一度は愛したことの重みと
朝露のような現実に板挟みになって
自分を信じられず
どう生きてよいのか、わからなくなるのは
ボクだけではないでしょう。
でもなんとかして前に進みたい。
この河を渡りたい。
「小さな死」と八方ふさがりの現実の中から
なんとか漕ぎ出すための歌だと
ボクは感じています。
去年の暮れ、クミコさんが
たかこ・やぎりんバンド♪と
初共演されたとき
「4番の歌詞は
諦めの境地からスタートしたい」と
おっしゃいました。
彼女のこの歌詞の読みの深さは
すごいなあ、と感動したのでした。
今回レコーディングでは
4番は二度上に転調するので
その部分で諦めの境地を表現することは
できなくなりましたが、
1番の唄いだしのところに
渡れそうにない広い河を前にした
人間の諦めが表現されていると感じます。
アメリカの小学生、
英国の小中高校生が唄い演奏する
The Water Is Wide もぜひ聴いて下さい。
こちらです。
http://amba.to/SNoXzF
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画家で詩人の葉祥明さんのエッセイ集
『地平線の素描帖』(1982年4月PHP研究所)
から引用させていただきます。
小さな死
私は、人生を諦観によって
生き延びてきたように思う。
苦しみ、悩み、つまづいたあげく、
私は肉体の死による解決ではなく、
「諦め」の境地に到る。
「諦め」は我欲を捨て、
自分を空しくすることであり、
そしてそれは
小さな死でもある。
自分が生き延びるために必要な
この聖なる儀式を幾度も経験するうちに
それは諦観という、
私の人生観にもなっていったのである。
(葉祥明)
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一番の歌詞の3行目。
直訳では
「二人乗りのボートを下さい」の部分。
ボクは
「もしも小舟があるならば」と訳しました。
「ボートを下さい」と神様に
お願いしているようですね。
そこにはボートがないからです。
「もしも小舟があるならば」というのも
そこにはボートがないのです。
だから、そのままでは渡れません。
諦めて「小さな死」を選択し、
渡らなくても生きていける道を探すのも
ひとつの生き方です。
『銀河鉄道の夜』の中で、
ジョバンニは親友カンパネルラと
ずっと一緒に旅ができると
信じていましたが、
カンパネルラは
先に天国に行ってしまいます。
天上の声がジョバンニに話しかけます。
「実はみんながカンパネルラだ・・・」
ずっと一緒に行ってくれるはずの親友が
いなくなったときに、
ほかの友だちも「カンパネルラ」だと
気づくかどうかは
お前自身の心のあり方次第だよ、と
天上の声は言ったのではないでしょうか。
親友は逝ってしまった。それは
諦めなくてはならない。そこから
どのように再スタートするか、という
ヒントを出してくれたのです。
ちょっと周りを見回しただけでは
ボートはない。
渡れそうにない。
やはりもうだめか・・・そんな
諦め(小さな死)から、
ボートになり得るものに気づくことが
できるかどうか・・・。
若いときにどんなに愛し合っても、
同じ関係がずっと続くことはありません。
一度は愛したことの重みと
朝露のような現実に板挟みになって
自分を信じられず
どう生きてよいのか、わからなくなるのは
ボクだけではないでしょう。
でもなんとかして前に進みたい。
この河を渡りたい。
「小さな死」と八方ふさがりの現実の中から
なんとか漕ぎ出すための歌だと
ボクは感じています。
去年の暮れ、クミコさんが
たかこ・やぎりんバンド♪と
初共演されたとき
「4番の歌詞は
諦めの境地からスタートしたい」と
おっしゃいました。
彼女のこの歌詞の読みの深さは
すごいなあ、と感動したのでした。
今回レコーディングでは
4番は二度上に転調するので
その部分で諦めの境地を表現することは
できなくなりましたが、
1番の唄いだしのところに
渡れそうにない広い河を前にした
人間の諦めが表現されていると感じます。
アメリカの小学生、
英国の小中高校生が唄い演奏する
The Water Is Wide もぜひ聴いて下さい。
こちらです。
http://amba.to/SNoXzF