たかが「生涯現役」されど「生涯現役」№2
2014年12月8日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ の 活 動 に
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
いつも 皆様には 「生涯現役社会づくり」へのご支援を本当に有難うございます。
日本生涯現役推進協議会:柳原正年参与から富山発【たかが「生涯現役」されど「生涯現役」№2】が本日届きましたので、下記転載ご紹介させていただきます。
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意 識 革 命 の 指 導 者 と し て の 人 材 づ く り
「 生 涯 現 役 プ ロ デ ュ ー サ ー へ の 道 」
柳 原 正 年
今回は生涯現役推進活動の推進人材(指導者)について考えてみたい。
前回述べた「生涯現役ステージ1」(ノウハウは生涯現役1.0と表現)とは、生涯現役活動の啓蒙段階をさし、1985年から1994年の10年間をいう。高齢社会を予見し生涯現役活動の重要性を説いた最初の民間人は、ライフ・ベンチャー・クラブ代表の東瀧氏である。
今から30年前と言えば、日本は高度成長バブル経済に突入「拝金主義」が蔓延していた。そして1989年12月29日東証株価3万8915円をピークにバブルの崩壊が始まった頃である。
この時代には東京では「勉強会」が盛んであった。ライフ・ベンチャー・クラブでは異業種交流会の様相を呈していた。会員は現役の仕事に専念しながらも、休日は東瀧氏から教わった「来たるべく生涯現役時代への準備実践活動」に取り組んだ。
その啓蒙活動の原動力となったのが、「生涯現役を考える地域会」の立ち上げである。クラブ員は自分の居住する地域で啓発会を立ち上げたのである。首都圏では18か所以上の地域会が開催され、クラブ員は会の創設者として縦社会から横社会のネットワークづくりを構築した。ちなみに私は東京丸の内界隈に勤める大企業管理職を中心とした「ホワイトカラー再開発フォーラム」を立ち上げた。
バブルに沸いたこの時代、日本人に大きな変化が表れていた、それはお金では解決できないものへの対応である。この時代の流行語に、勉強会・ヤリガイ・マネーゲーム・ぬれ落ち葉・バブル経済崩壊などがあり、バブルの崩壊により、平成は一気に価値観が一遍する時代となった。しかも人々はバブル期の「お金の亡者」に魂を奪われ、人間は生涯現役人生を考える余裕を失っていたのである。
当時のクラブ員は大企業の管理職が多く、バブル経済の崩壊に伴う終身雇用性の崩壊を目の当たりにし、社畜(しゃちく・いわゆる会社人間)からの脱皮を始めた。私はこのころ東京で、「桃太郎歴史発見会」を作り、分かりやすい生涯現役活動の啓発を行ってきた。そのキャッチフレーズは「金太郎型人間(どこを切っても同じ顔)」よ、さようなら、「桃太郎軍団型人間(自分の個性を生かす)」よ、こんにちはと説いて回った。
草分け期の指導者(創始者)人材は、プロデューサー、コーディネーター、ディレクター・インストラクターを兼ねた個人商店の経営スタイルであった。なぜ個人商店型からスタートしたかと言えば、当時の日本社会には終身雇用による閉塞感があり、個人としての尊重がなかったからである。日本でアメリカ版のAARP(全米退職者協会)が現存しないのも、リーダーとなる退職者が大企業型の組織運営の煩わしさを知っているからである。
全体主義に埋没し自分を見失った人たちは、退職後は個人として自由に生きたいから、改めて組織活動を生涯現役にすることをためらうのである。
このように生涯現役第1ステージは、会社から離れ地域の有志で集う「生涯現役を考える会」へとシフトしていった。
しかし終身雇用も崩壊した今、これからは個を中心とした生涯現役活動を推進せざるを得ない、その普及活動の人材が、組織化できる能力を持つ「生涯現役プロデューサー」である。
次回は生涯現役個人商店から、生涯現役活動の組織化とプロデューサーへの期待について考えたい。
NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ の 活 動 に
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
いつも 皆様には 「生涯現役社会づくり」へのご支援を本当に有難うございます。
日本生涯現役推進協議会:柳原正年参与から富山発【たかが「生涯現役」されど「生涯現役」№2】が本日届きましたので、下記転載ご紹介させていただきます。
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意 識 革 命 の 指 導 者 と し て の 人 材 づ く り
「 生 涯 現 役 プ ロ デ ュ ー サ ー へ の 道 」
柳 原 正 年
今回は生涯現役推進活動の推進人材(指導者)について考えてみたい。
前回述べた「生涯現役ステージ1」(ノウハウは生涯現役1.0と表現)とは、生涯現役活動の啓蒙段階をさし、1985年から1994年の10年間をいう。高齢社会を予見し生涯現役活動の重要性を説いた最初の民間人は、ライフ・ベンチャー・クラブ代表の東瀧氏である。
今から30年前と言えば、日本は高度成長バブル経済に突入「拝金主義」が蔓延していた。そして1989年12月29日東証株価3万8915円をピークにバブルの崩壊が始まった頃である。
この時代には東京では「勉強会」が盛んであった。ライフ・ベンチャー・クラブでは異業種交流会の様相を呈していた。会員は現役の仕事に専念しながらも、休日は東瀧氏から教わった「来たるべく生涯現役時代への準備実践活動」に取り組んだ。
その啓蒙活動の原動力となったのが、「生涯現役を考える地域会」の立ち上げである。クラブ員は自分の居住する地域で啓発会を立ち上げたのである。首都圏では18か所以上の地域会が開催され、クラブ員は会の創設者として縦社会から横社会のネットワークづくりを構築した。ちなみに私は東京丸の内界隈に勤める大企業管理職を中心とした「ホワイトカラー再開発フォーラム」を立ち上げた。
バブルに沸いたこの時代、日本人に大きな変化が表れていた、それはお金では解決できないものへの対応である。この時代の流行語に、勉強会・ヤリガイ・マネーゲーム・ぬれ落ち葉・バブル経済崩壊などがあり、バブルの崩壊により、平成は一気に価値観が一遍する時代となった。しかも人々はバブル期の「お金の亡者」に魂を奪われ、人間は生涯現役人生を考える余裕を失っていたのである。
当時のクラブ員は大企業の管理職が多く、バブル経済の崩壊に伴う終身雇用性の崩壊を目の当たりにし、社畜(しゃちく・いわゆる会社人間)からの脱皮を始めた。私はこのころ東京で、「桃太郎歴史発見会」を作り、分かりやすい生涯現役活動の啓発を行ってきた。そのキャッチフレーズは「金太郎型人間(どこを切っても同じ顔)」よ、さようなら、「桃太郎軍団型人間(自分の個性を生かす)」よ、こんにちはと説いて回った。
草分け期の指導者(創始者)人材は、プロデューサー、コーディネーター、ディレクター・インストラクターを兼ねた個人商店の経営スタイルであった。なぜ個人商店型からスタートしたかと言えば、当時の日本社会には終身雇用による閉塞感があり、個人としての尊重がなかったからである。日本でアメリカ版のAARP(全米退職者協会)が現存しないのも、リーダーとなる退職者が大企業型の組織運営の煩わしさを知っているからである。
全体主義に埋没し自分を見失った人たちは、退職後は個人として自由に生きたいから、改めて組織活動を生涯現役にすることをためらうのである。
このように生涯現役第1ステージは、会社から離れ地域の有志で集う「生涯現役を考える会」へとシフトしていった。
しかし終身雇用も崩壊した今、これからは個を中心とした生涯現役活動を推進せざるを得ない、その普及活動の人材が、組織化できる能力を持つ「生涯現役プロデューサー」である。
次回は生涯現役個人商店から、生涯現役活動の組織化とプロデューサーへの期待について考えたい。