日  本  生  涯  現  役  推  進  協  議  会  &  
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                                 2014/12/26 水 上 久 忠 記
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【江島優氏と下條武男氏の講演要旨】

   第 3 4 8 回 生 涯 現 役 シ リ ー ズ 塾 十 二 弾

◎ 東京エグゼクティブ・サーチ株式会社 代表取締役会長 江 島  優 氏
  江島氏は福岡県生まれ。私大法学部に入学したときに多くの弁護士志向の学生はいろいろな司法界に目指すための研究会があり、そこで猛勉強していた。しかし、彼らは正規授業のを無視し、試験のときだけしか来ないことに大変疑問に持ったそうです。
  そこで、両親に海外で人生を挑戦したいと相談してみたら、10年間ならはいいのではないかと言われた。そのころ、ブラジル農園で働く広告を見つけて、現地で仕事を始めたがなかなかアメリカに留学するための資金が貯められず、もがいているときに、味の素の販売の仕事に巡り会えてかろうじて初期の資金集める目標を果たすことが出来る様になった。アメリカではロスアンジェリスの大学に入学することができた。
  そのときの学資は、資産家の自宅の掃除をしながら何とか貯めながら学生をした。しかし、いよいよ残っている期間は2年間になって一生懸命アメリカでは当たりのビジネスになっている事業で、日本にない仕事をさがした。そこでヘッドハンティングのビジネスモデルを作り、10年間の海外生活を終えた帰国した。
  起業資金をつくるためにコミッション・セルースしがいいと思い、英語学習機器と教材を販売する会社の仕事を始めたが中々成績は上がらず思考錯誤した。ある時に、東京での販売を諦めて、地方の大きな会社がある、企業城下町に販売することで成績を上げることができた。
  また、熱海市などのホテルや会館の従業員やその家族に販売することを初めて、成績をあげることができて、2億円を集めることができるところで退職した。その後は、厚木に注文住宅を建て、そして世田谷に自宅も建てた。
  そしていよいよ日本での初めてのヘッドハンティングのビジネスに着手をした。現在は30代、40代の役員を自宅に招いてOJTをしている。やはり、彼らの成長なくして、会社の成長もないく自分の退職が出来ないからです。人生やビジネスで成功するためにはやはり、計画をたてて果敢に挑戦することです。   以 上
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◎ 株式会社 日本コンピュータ・ダイナミックス 名誉顧問 下 條 武 男 氏
  生まれた時にはどんな才能が自分にあるのかは、だれにも判らない。才能は下條氏の場合には、好きか嫌いから始まる。もっとありていに言えば、できるのか?できないのか?興味が沸くのか沸かないのか?・・・全てに自然体で生きてゆく態度で、これまでの選択肢(行くべき道)を選んできた。
  例えば、大学は好きな数学を学ぶ学部に入学をきめて、学生結婚して、指導教授の口利きで就活もしてきた。最初に、小さい電子計算機の会社に勤め、その会社が成長して、立派なコンピューター会社になっていった。そこから、運命的な転職が始まり、取引先の社団法人日本能率協会EDP事業部に恋われて勤め、経営コンサルタント職員の研修担当として、また営業企画を担当することになった。
  残念なことにEDP事業部を立ち上げた新崎理事の死去の境に、現在の会社を元一緒に務めていた女性と起業することになった。自分の人生設計を建てるときには、あるできことに逆わらずに自然体で行動していく行動哲学を持っている。下條氏のビジネス哲学や生き方には人とのつながりや前職(退職した会社)に感謝し、自分の才能を磨く機会としてコツコツと刻苦勉励をして来たと言える。
  日本コンピューター会社を設立したときの最初の取引先はこれまで務めてきた会社組織との出会いがもとで取引や引き合いが始まった。それはやはり、下條氏の人柄やスキルを信頼しての取引関係が生まれたからで、すぐれた人間関係の継続ができている証拠である。バブル経済崩壊の時にはやはり業績は悪化したが、決して人的なリストラを行わず、役員報酬のカットや年次採用の中止や事業構造の見直しなどを行い乗り切った。
  下條氏は多くの成功している企業家に共通する事業姿勢は、基本的には沢山の本を読まない、文章は最小しか書かない分、常に未来を考え、行動してゆく。そして考え抜いたエキスを、これからの事業構想や業界の発展の方向などに援用し、とことん掘り下げて方針や方向を決めることに集中するビジネス哲学を実践している。
  下條氏は向こう1000年先を考えて人類の平和の実現に向けて自分は何かができるのか、常に思案を巡らせている。人類がこれから「みんなが平和に暮らして行くには」そのぐらのスパンで考えなければ、実現は出来ないと。    以 上