9/16「敬老の日」を前に東京新聞ほっとWebで「人生80年?まだまだ! 生涯現役オーバー80 」と題して、下記のお元気高齢者モデルを紹介していますので、ご参考までに下記に転載紹介します。
URL=http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2013091402000148.html
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2013年9月14日
 人 生 8 0 年 ? ま だ ま だ ! 生 涯 現 役 オ ー バ ー 8 0

  人生80年といわれるこの時代、80歳、90歳を超えても日々の暮らしで挑戦を重ねるお年寄りは少なくない。16日の敬老の日を前に、そんなお年寄りを訪ねた。 (三浦耕喜、発知恵理子)

◇  即 戦 力 の 「 新 人 」
◆ 高齢者給食サービス調理ボランティア 平井嘉子さん(86歳)

 「母も祖母も94歳で大往生したので、私ももっと頑張らないと」。こう話すのは、平井嘉子(よしこ)さん(86)世田谷区。高齢者の食事宅配サービスを手掛ける「老人給食協力会ふきのとう」の調理ボランティアだ。
 昨年8月に仲間入りした最高齢の“新人”。野菜の切り方や食器洗いなど、「一つ一つやり方を聞いて、教えてもらいながらやっています」と話す。
 専業主婦だったが、43歳で同じ年の夫を病気で亡くしてから、働きに出た。漬物店の販売員や老人福祉施設の調理担当を経て、60歳から25年間は、大学の食堂に勤務していた。
 「なんとかなるもんですね。もう、亡くなった主人の倍の年数、生きている」と笑い飛ばす。「動かないと、足腰も頭も弱くなる。老化が進むから少しでも働いた方が良いと置いていただいていた。ありがたかった」
 ふきのとうのボランティアは三女が見つけてきたという。「80歳を過ぎていてダメだと思いましたが、気持ち良く入れていただいた。皆さんに感謝しています。仕事も食事の後のおしゃべりも、すごく楽しい」と平井さん。
 ボランティアをまとめる近藤清子さん(63)は、「最初は年齢を聞いて大丈夫かな、と思ったけれど、即戦力になってびっくり。とても助かっています」と話していた。

◇  東 京 五 輪 見 た い
◆ 手描き友禅職人 福田利明さん(93歳)

 筆で着物の生地に細かく色を付けていく。手描き友禅の道に入り、70年余。今でも現役の福田利明さん(93)は「体に染み付いている感じでしょうか。手が震えるようになったら、もうできないけれど」と、冗談を交えながら話す。
 描く着物は、歌舞伎や日本舞踊の衣装に使われる。40年来の付き合いという染織品製造会社の佐藤紀生(のりお)さん(73)は「時代考証も踏まえて描ける人は少ない。福田さんにしかできない仕事がある」と言う。
 絵が得意だった福田さんは、15歳で東京・神田の職人に弟子入り。戦時中は陸軍の兵士として択捉島に送られ、終戦から4年間、シベリア抑留を経験した。満足な食事や休養を与えられず、氷点下30度の中で木の伐採や荷下ろしなど過酷な労働を強いられた。収容所の捕虜に向けた政治宣伝のポスターやビラも描かされたという。
 帰国後は友禅の仕事を再開し、無我夢中で働いた。69歳で7歳下の妻を病気で亡くした時は、家事が分からず、3年ほど途方に暮れた。だが、「シベリアを考えれば、どんな苦労も耐えられる」と、料理を覚え、次第に地域の活動にも参加するようになった。
 現在は長男と二人暮らし。毎朝、近所の公園でラジオ体操をして、週二、三回は自転車でプールに通う。「水の中を歩くだけではつまらない」と、88歳でクロールを覚えた。今年からは家庭菜園も始め、「キュウリがたくさんできた。手入れに忙しい」とうれしそうに話す。
 健康に関心が高く、本を読んでは情報を集め、トマトやチーズを欠かさないなど食事にもこだわる。
 「百歳まで生きようと思ってる」と福田さん。その時は2020年、次の東京五輪も見る気満々だ。

◇  引 き 際 は 自 分 で
◆ 眼科院長 国谷宣子さん(88歳)

 朝10時、東京都新宿区の「葛ケ谷(くずがや)医院」の門が開く。院長の国谷宣子(くにやのりこ)さん(88)は、現役の眼科医だ。
 東京女子医学専門学校(現・東京女子医大)に入学したのは太平洋戦争が始まった翌年の1942年。「でも、すぐに結核で休学。復学したのに、今度は学校が空襲で焼けてしまった」と国谷さん。クラスごと疎開した山梨県で終戦を迎えた。
 2年遅れで卒業。結婚・出産を経て59年に医院を開いたが、病気には悩まされ続けた。50代に胆石の手術で癒着を起こし、三年休んだ。81歳の時には心筋梗塞に見舞われ、5年休院した。そのたびに医院を再開したのは、「病気を理由にして辞めたくはなかった。辞める時は自分の意思で辞めたいと思うから」と言う。
 現在診療は週2回、患者も月10人ほどに絞っている。「それでも、バスに乗って通い、職場に出る緊張感がある。おかげで休みの日も楽しめます」