N P O 法 人  ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ  
        ホ  ッ  ト  ラ  イ  ン   ニ  ュ  ー  ス
事 務 局 報 告 第 119 号                  2015年 8月30日 発行
******************************************************************
◎ 八月定例「生涯現役協&NPO/LVクラブ合同理事会」ご報告

日 時: 2 0 1 5 年 8 月 2 6 日(水曜日)  1 5:0 0 ~ 1 7 : 1 0
場 所:ライフ・ベンチャー事務所
出席者:井上 仁、上田研二、上山祐幸、内山 優、江島 優、岡本憲之、鎌田健司、樫 孝光、高橋育郎、中上 章、中上 崇、新川政信、野島卓郎、東瀧邦次、藤倉雄、水上久忠、持田昇一、八久保宜美、湯浅雅文、吉田あつみ、(敬称略/50音順)計20名 
議 題:
Ⅰ.  30周年感謝③サミット開催内容に関する件
 30周年を期に「生涯現役社会運動」としての可視化が必要であり、過去の運動実績及び現在の活動状況や今後の未来展望を示していくことに決定。
 第一部では30年間の感謝の言葉と活動報告を東瀧理事長より発表。第二部では具体的な形で活動している方々を紹介。また第二部のタイトルは「生涯現役実践の仲間たち」に決定。第三部ではこの思想のもと、「生涯現役社会国民運動」の未来像をどう現実的に進めていくかを、我々の団体が示していく事を決定。
 前記三本の柱として①具体的なプラットホーム創り ②法人会員の拡大 ③生涯現役プロデューサーの集結育成

Ⅱ  同上ミット準備日程遂行担当に関する件
 当日役割分担一覧表の作成は水上氏担当、開会宣言を中上 崇氏、第二部「生涯現役実践の仲間たち」司会進行役を東瀧理事長(塾長)、閉会宣言を江島 優氏担当。今後役割分担表に基づき役割を確定し、その他スピーカーの順番などについても順次確定していく。
第二部:スピーカー紹介は顔写真付配布資料作成、高橋育郎氏による生涯現役音頭は歌詞をスクリーンに映し、本人が朗読。また吉田あつみ氏をスピーカーとして追加を決定。

Ⅲ  「生涯現役社会」推進事業計画に関する件
 プラットホームが存在しないと効果的活動が続けられないし、夢や希望の生き甲斐も産まれ難い。「生涯現役社会運動」の活動をする事によって連携が生まれ、連携なくして運動効果は無価値同然。
 日本生涯現役推進協議会こそプラットホームであり、インキュベーターでもある。それぞれ連携団体でプラットホームを創り、各個人の自主性で目標を持ち、未来をどのように創造していくか考え、多様な人たちが新しいビジネスモデルを展開できるよう当団体が元祖的率先力でサポートすることを決定。   以上
-------------------------------------------------------------------------------------------------
◎  八月定例会:『第356回 生涯現役シリーズ塾』ご報告

第3 5 6回 生 涯 現 役 シ リ ー ズ 塾
      生  涯  現  役  に  取  り  組  む  第  八  弾
           生涯現役社会づくりで オンリーワンの生涯現役実践道場

日 時: 2 0 1 5  年  8  月  2 6  日 (水)
〔生涯現役実践塾〕    1 7 : 3 0 ~ 1 9 : 3 0 
会 場: 八  重  洲  口  会  館  会  議  室
        東京都中央区八重洲1-7-20  八重洲口会館 B2F
---------------------------------------------------------------------------------------------------
テーマ:③ 生 涯 現 役 サ ミ ッ ト 提 言 :
    「 わ た し の 生 涯 現 役 社 会 づ く り
                    挑 戦 は こ れ で す ! 」
進行役: 東 瀧  邦 次
    ( 日本生涯現役推進協議会・NPOライフ・ベンチャー・クラブ 代表 )
---------------------------------------------------------------------------------------------------
講 師: 柳 原  正 年
    ( 富山社会人大楽塾 代表/日本生涯現役推進協議会 理事 )
略 歴: 平成12年、大手生命保険会社定年退職と同時に「富山社会人大楽塾」を設立。生涯現役健康生きがいづくりプラットホームづくりにチャレンジ。設立15年に当たる平成27年には「高齢社会」対応の「健康福祉インストラクター」養成事業を立ち上げ、生涯現役リーダーづくりに取り組んでいる。
講演A: 「 生 涯 現 役 コ ン ビ ニ サ ロ ン  ・
            社 会 人 大 楽 塾 の 全 国 展 開 」
内 容: 高齢コミュニティサロン(社会人大楽塾チェーン)の全国展開実証実験を開始。その第一弾として団塊女性のエンパワーメント事業「健康福祉インストラクター」養成を開始した。生涯現役というと男性向け言葉を女性向けに「健康福祉インストラクター」とネーミング、中高年女性のパワーを生涯現役社会に寄与することにより、シニア男性のプロデューサーへの参加意識を高めようとするものです。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
講 師: 八 久 保 宜 美 ( 株式会社 スリービーンズ 代表取締役 )
略 歴: 2012年 株式会社スリービーンズ設立。シニアでもできる仕事ではなくシニアならではの仕事創出に工夫を凝らす。特に介護事業所の生活相談員に着目し説明会やセミナーを開催。介護業界全体の底上げを図るべくシニアの知恵活用に最重点。また専門学校で若い学生に仕事に役立つ実務パソコン指導。平成流就活術やビジネスの基本は、転職や起業を目指すシニアにも有効。シニアの創職(就職&起業)に情報発信の側面から支援事業を展開。
演題B: 「 ネ ッ ト 展 開 一 夜 に し て な ら ず ・ 
          突 破 口 に す る た め の 発 信 力 」
内 容: 弊社が運営する「デイサービス生活相談員ネットワーク」サイトを月間3万アクセス数にするまでの努力・独創的ノウハウでやってきたこと、これからやらなくてはならないこと、ネットから得たもの・失ったものなどを、実例でご紹介します。ネットを活用するためには何が必要なのかが分かります。
-------------------------------------------------------------------------------------------------
講 師: 井  上    仁
      ( フクシマ復興応援ネットワーク事務局  PJ実行責任者 )
略 歴: 1983年から企業や自治体のプロジェクトマネジメントの実践研究を行う、ベルヒュード国際経営研究所を主宰。福島第一原発5、6号機が位置する双葉町で幼年、少年期を過ごす。「フクシマ問題は長丁場、原発被災者の自立、生活再建は全国民的応援課題」という思いで、2014年、フクシマ復興応援ネットワークを立ち上げる。現在フクシマだからこそ「子どもたちの未来のために安全・安心で健康な農業の開発・導入をめざすプロジェクト」推進の実行責任者。
演題C: 「 生 涯 現 役 パ ワ ー で
           フ ク シ マ 再 生 農 業 ビ ジ ネ ス 開 拓 」
内 容: 自然栽培のやぶ田フアームで「有機JAS認証野菜」を省力、低コスト、高生産性で栽培する「環境保全型ハウス有機農法」の実証栽培プロジェクトを立ち上げ、その実績をもって日本太陽光発電プランナー協議会理事企業3社と提携し、フクシマに太陽光発電・売電とセットにした「ソーラーシェアリング農業ビジネス」として導入を図るプロセスをご案内します。
-------------------------------------------------------------------------------------------------
講 師: 武  井     昭
      (有限会社 介護けやき・NPO市民 ビジネス サポート センター 代表)
略 歴: 1992年情報関係の会社を退職後、中小企業診断士登録・経営コンサルタントとして独立、NPO法人市民ビジネスサポートセンターを開設し理事長として、商店街支援、創業塾開塾。2003年高齢者介護の(有)介護けやきを設立し代表取締役として世田谷区内の高齢者介護事業経営で現在に至る。
演題D: 「 生 涯 現 役 実 践 家 と し て
            地 域 社 会 で の 生 き が い 人 生 」
内 容: 人生マラソン59歳でサラリーマン生活を終了し、コンサルタントとして自主独立の自営で、数社の経営支援、NPO法人を設立して世田谷区内の創業者を支援し、障碍者教育、任意団体せたがやアンビシャス設立の支援。69歳にて有限会社介護けやき設立、高齢者介護事業を設立して世田谷区内の高齢者介護にあたる。認知症高齢者の増加に伴い来2016年度は、区内高齢者対象施設設立を準備中です。
--------------------------------------------------------------------------------------------------

参加費: 会員/1,000円   一般/2,000円
申込先: NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ事務局
    東京都中央区八重洲1-7-20  八重洲口会館 B2F
電 話:03(3517)6667    Fax:03(3517)6668
E-mail: info@sgsk.net or lvcinfo@sgsk.net
URL:http://www.sgsk.net or http://sgsk.net/70890
………………………………………………………………………………………

    第 3 5 6 回  生 涯 現 役 シ リ ー ズ 塾   参  加  申  込  書   
                            2 0 1 5  年  月  日
特定非営利活動法人 ライフ・ベンチャー・クラブ 事務局 宛

氏 名:__________________     

TEL or FAX or Mail: _____________________ 
2015/8/26 6:30日本経済新聞 電子版
 高  所  得  で  も  貯  蓄  な  し 
    老  後  貧  乏  招  く  超  メ  タ  ボ  家  計
                       家計再生コンサルタント 横山光昭
【横山光昭(よこやま・みつあき)プロフィール】 マイエフピー代表取締役。家計再生コンサルタント、ファイナンシャルプランナー。お金の使い方そのものを改善する独自のプログラムで、これまで8000人以上の赤字家計を再生。書籍・雑誌の執筆や講演も多く手掛け、「年収200万円からの貯金生活宣言」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)をはじめとする著書は累計99万部。近著は「『おひとり』を不安0で生き抜く女子貯金」(祥伝社)。
-------------------------------------------------------------------------------------------------
 「定年まで10年しかありません。これはかなりまずい状況ですよね・・・」と慌てて相談に来られたのは都内在住の会社役員Aさん(50)です。今まで専業主婦の奥さん(47)に家計は任せきりだったのですが、今年のお盆をきっかけに現状を知り、驚愕(きょうがく)したそうです。

 経緯はこうです。お盆を過ぎたあたりから、奥さんが生活が苦しいと言いはじめました。原因は、帰省時に渡した「お盆玉」。東北地方では、お年玉のように親類の子どもたちに渡す習慣があるそうです。今年は例年より渡す子どもの数が多く、予算がかなりオーバーしたというのです。

 「確かに子どもたちに教育費がかかる年なので毎月の支出は多いでしょう。でも、ある程度年収はあるわけですから、多少の臨時出費があっても問題ないはずなのに……」とAさんはショックを隠しきれない様子。Aさんの月収は手取りで60万円ほどあるうえ、ボーナスも夏冬それぞれ100万円超はあるそうです。Aさん夫婦のお子さんは、高校3年生の長男、中学2年生の双子の長女、次女です。確かに教育費がかかる年ごろですが、60万円もの生活費を使い切る理由にはなりません。聞けば貯蓄は80万円ほどしかないそうです。

 ところが、奥さんには危機感がないそうです。「貯蓄はなくても退職金が2000万円ほど出るなら老後は大丈夫でしょ? 長男の進学費は、学資保険の満期金を充てればいいし」と言うそうです。しかし、退職時に住宅ローンが1500万円ほど残ってしまうことは全く考慮していません。早めに家計と共にお金に対する考え方を変えなければ、Aさん夫婦の老後破綻は明らかです。

 まずは毎月の支出を把握すべく、奥さんを連れてきていただき、聞きながら家計状況をまとめました。

 食べ盛りの子どもがいるので、毎月、米は30キロ必要、成長期だから変な食材は食べさせられないなど、様々な理由があって食費は毎月10万円前後かかってしまうとのこと。

 日用品も消費する分と買いだめによって毎月1万5000円になっています。「万が一」への警戒が強く、すぐに連絡が取れるようにと家族全員がスマートフォン(スマホ)を持っています。固定電話も合わせ通信費は4万8000円もかかっています。5台のスマホと固定電話はキャリアをそろえ、割引してもらっているとアピールされていましたが、それでも高いように思います。

 水道光熱費も、電気のつけっぱなし、水の使いすぎなどで3万円超に。生命保険料は学資保険なども含めて6万2000円。子どもは全員公立校に通っていますが、それぞれ塾に通わせているので教育費は7万1000円。どの費目をみても一般的な水準よりも支出が多く、あっという間に60万円の収入が消えています。Aさんも目を丸くして、驚きながら聞いていました。帰省時の費用や臨時支出等はボーナスで賄うため、ボーナスも残らないのです。

 まずは、毎月の支出の仕方を変える必要があります。家計簿をつけるのは向いていないようでしたので、以前にも触れたことがある「お財布術」を取り入れてみることにしました。これは、いつもお財布から出す食費や日用品などの1週間の予算を決め、週単位で管理するものです。

 毎週同じ曜日に、決めた一定の金額のお金を入れ、お金を入れる前の曜日に清算します。こうすると、お金の減るスピードが普段の週と同じかどうかを比較できますし、お金の減り具合をコントロールしようという気持ちも働きます。

 予算が不足するなら翌週分から前借りし、余れば貯蓄に回すなどします。万が一に備え、臨時支出は財布の別のところに予備として保管します。さらに、ご主人やお子さんたちと相談し、どういう支出が必要で、どういうものが不要なのか考えることで家族で共有できるお金の価値観を作っていくことにしました。

 「お財布術」は奥さんに向いていたようで、食費や日用品など、お財布からお金を出す費目に効果がすぐ出ました。食費は3万3000円も削減でき、日用品代も6000円減らしました。水道光熱費は家族でエコを意識し、LEDや節水・節電グッズも活用し7000円削減。通信費ははやりの格安SIMを利用し3万円削減です。

 生命保険は長男の学資保険は満期が近いため、そのままにしましたが、夫婦分の保障を見直し、長女、次女の学資保険を解約して2万4000円削減しました。その他の費目も少しずつ見直しをして、5000円から1万円削減することができ、削減総額はなんと14万円にもなりました。ボーナスの使い方も予算を決め、半分以上は残すように努めることにしたそうです。

 この生活を習慣化できれば、老後を迎える前に1500万円ほど貯蓄を増やせる可能性があります。奥さんいわく「お金のことをひとりで抱え込まなくてよいと思ったら楽になった」。しばらくは頑張れそうだとのことです。今までは、やりくりをひとりで考えなければならず、奥さんもつらかったようです。

 最近、高所得者でも貯蓄がないという話をよく聞きます。実際に、結構よくあることなのです。むしろ年収400万円、500万円といった方たちの方が、よく貯蓄できている場合が多いものなのです。背景には、高所得であることへの甘えや、油断があるのでしょう。

 しかし、高所得であっても貯蓄がなければあっという間に借金家計に転じてしまうこともよくあります。心当たりのある方は、気付いた時が変化のチャンス、お金の使い方を振り返ってみましょう。
 私 の 見 た 「 幸 福 な 富 裕 者 と 不 幸 な 富 裕 者 」
              そ  の  決  定  的  違  い
(前編) –  山崎 和邦   わ が 追 憶 の 投 機 家 た ち ④

  常 勝 の 心 得 「 自 分 の 本 業 を 知 る 者 に こ そ 、
                         相 場 の 神 は 味 方 す る 」

ウォール街には「つむじ風の真ん中にいる者ほど風の方向が分からないものだ」と和訳された格言がある。

目的と手段を取り違え、おカネをつくることにのめり込んでしまう人がいるが、これは却って逆効果を生む。株式投資にのめり込んでも、そんなに儲かるわけではない。儲かるどころか逆に大損する場合も多い。

現役ビジネスパーソンのポートフォリオは、本業における年収が中心に据えられていなければならない。

読者諸賢は、何らかの本業を持っておられる方々が多いと推測する。もし投資活動でおカネを増やし、それでもなお、自分は本業を中心にこれからの人生を築き上げていこうと考えられるなら、それはめっぽう正しい「生活態度」と言える。

私は読者諸賢と、富裕者になる前はもちろん、なった後でも必ず役に立つ「常勝の心得」を共有したいと思って本稿に取り組んだ。

その心得とは「株と絵は遠くから見よ」の口伝である。私の現職時代の先輩は「株と女は遠くから見よ」と言っていたが同じことだ。

要するに、株式投資にのめり込みすぎることなく、本業を中心に自分の人生を設計し、一定の距離を置きながら株式市場で着実に資金を増やしていく。これこそが最も大事な「常勝の心得、第一」であり、「幸福な富裕者」と「不幸な富裕者」を分かつ最大要因であり、多くの「幸福な富裕者」に共通する生活態度なのである。

本稿は、何十万人に1人の幸運に遭遇する投資家や、特別に才能のある投資家を対象にしたものではない。普通の、常識的な、99.9%の大多数を対象としている。だから、少々の努力を継続できれば、という条件付きではあるが、誰にもできる方法を述べるようにした。

天は、滅ぼそうとする富裕者に、まずカネを与える。その人はカネの毒にあたって自ら滅ぶ。さすれば天は手が省けるというものだ。このことを、くれぐれもご注意いただきたい。

次回の後編では、「幸福な富裕者」に共通する「最低限の法律・契約を守る規範意識」の大切さについて、さらに踏み込んで解説しよう。

私もこまれで証券マンとして、企業経営者として、一投機家として、様々な誘惑と戦ってきた。その経験を生かし、読者諸氏が魑魅魍魎の誘惑に打ち克つ方法について、具体的な事例を交えてご紹介する予定である。

私の知る「幸福な富裕者」は皆、法律や契約を執拗なほど頑なに守ってきた。勘違いしないでいただきたいが、これは倫理観ではなくあくまで損得勘定の話である。

※ 私の見た 「幸福な富裕者と不幸な富裕者」その決定的違い(後 編)に続く
私 の 見 た「 幸 福 な 富 裕 者 と 不 幸 な 富 裕 者 」
      そ  の  決  定  的  違  い
(前編) –  山崎 和邦    わ が 追 憶 の 投 機 家 た ち ③

   凡 人 に 「 幸 福 な 貧 者 」 は 不 可 能 、
          自 然 体 の 「 幸 福 な 富 裕 者 」 を 目 指 せ

ところで、最初に挙げた4つのパターンのうち、(3)おカネがなくても幸福な人(幸福な貧者)は幸いなるかな、あえて利己心を抑制して精神の安寧を確保した哲人である。

京都郊外の1丈四方に棲んで静かに生きることを選んだ鴨長明や、ほとんど無銭のまま野たれ死に覚悟で作詩の旅に出た松尾芭蕉。あるいは架空の人物だが宮沢賢治が「雨にも負けず、風にも負けず……そういうものに私はなりたい」と書いた人――。

彼らのように、徹底的に金銭を無視して世間の片隅で静かに生きていけるなら、その人は確かに幸福であろう。

だが、その境地に達するよりは「幸福な富裕者」に達するほうが私には遥かにラクな道だと考えた。事実、その通りだった。私は大学2年の頃、「幸福な富裕者」と「幸福な貧者」のどちらを選ぶべきか大いに悩んだ。当時、左翼学生だった私は「幸福な貧者」にむしろ憧れる面すらあった。

その頃、のちに53年間の古女房となる幼な友だちは「おカネはなくても私たちが幸福と感じればそれが幸福なのよ」と哲学者めいたことを言ってくれもした。だが、私は教室でJ.M.ケインズと遭遇し、俄然おカネの世界に目覚めたのだった。

ケインズは官僚として学者として、また熱い恋の人として八面六臂の活躍をしたが、一方で投資市場の果敢なプレイヤーでもあって、個人で100億円ほどを儲け、母校ケンブリッジ大学の資金を運用して13倍に増やした傑物である。まさに「投機は自由のための彼の闘いであった」(R.F.ハロッド著『ケインズ伝』塩野谷九十九訳 / 東洋経済新報社 / 1967年)。

大学2年からの3年間、ケインズの生き方や理論に触れていくうち、私は左翼学生から「転向」して証券会社に進んだのであった。

「転向」は「変節」ではない。変節は自分自身の節義を破ることだから私たちは蔑視したが、転向はむしろ畏敬した。転向とは、自己の過ちを認識して自己批判した後に、方向を自ら変えることを宣言し進むことだからだ。

私はこの頃から、おカネと幸福との関係を真摯に考えるようになった。その結果が「幸福とは、やりたいことをやれて、やりたくないことをやらないでいられる自由な状態である」という明快な定義だった。そして、私には「幸福な貧者」よりも「幸福な富裕者」を目指すほうが、よほど容易かったのである。

だから、次頁で読者諸賢にご紹介する「幸せな富裕者」の生活態度も、鴨長明や松尾芭蕉になることに比べればはるかに簡単で、誰にも実践できるものとなる。                                         つづく
 私 の 見 た 「 幸 福 な 富 裕 者 と 不 幸 な 富 裕 者 」
           そ  の  決  定  的  違  い
(前編) –  山崎 和邦   わ が 追 憶 の 投 機 家 た ち ②

  欲 す る べ き は カ ネ か 自 由 か ?
      幸 福 な 富 裕 者 と 不 幸 な 富 裕 者 の 違 い

「幸福な富裕者」は、自由を求めて自律的に生きることを通し、自分なりの律法と健全な金銭観を持つに至る。だからこそ、カネを持った後も「カネの毒」に冒されないという共通点がある。「不幸な富裕者」にはそれらがないから不幸になる。

「幸福な富裕者」ないしそれを目指す者(本稿の対象)と、ジョージ・ソロスのように1兆円を慈善事業に投じたり、ジム・ロジャーズのようにオートバイで世界一周冒険旅行に出かけて各地で巨富を成したり、ジョン・テンプルトンのようにカリブ海で晩年を優雅に過ごしたり、そういう人々は違う。

「幸福な富裕者」は、巨万の富を目指して生きているわけではない。彼らが欲するのはズバリ「自由」である。私にしても、野村証券でヤリ手支店長だった若い頃から、78歳の現在に至るまで、目指すところは常にこの「自由」であった。

では「自由」とは何か。私の答えはいたって単純である。「やりたいことがやれること、かつ、やりたくないことをやらないでいられること」ただそれだけである。これ、自由の必要条件だ。

さらに、もう少し付け加えよう。やりたいことは結構あって、やらねばならないことはきわめて少ない、という状態がいちばん望ましい姿である。これ、自由の十分条件だ。

永井荷風は文学者としては多額の金融資産を持っていたことで有名であるが、それは「私の自由のためのカネだった」と書いている(『摘録 断腸亭日乗』岩波文庫 / 1987年)。彼はカネを作りながら文学をものした。彼は戦時中に、書きたくない戦争文学を書かないでいられる自由、やりたいことがやれる自由を求めて、おカネをつくったのである。

やりたいことは誰にでもあるはずだ。私もたくさんある。若い頃からやりたいことはたくさんあった。それは何かといえば、実はたいしたことではないのだ。いずれも、ささやかなものばかりである。

何回も行った海外の好きな国々や、いまだ行ってない秘境を自由な気分で旅したい。涼風爽やかな避暑地でゆったり読書をしてモノを書きたい。シングルプレヤーの座は保持できなくなったが、ゴルフの試合にもまだ挑戦したい。ケニアやタンザニアでのサファリや長野県での狩猟も続けたい。

あげればキリがないが、その多くはこれまでの人生の中でも、そして現在も実現中である。たとえば、海外旅行は好きなアフリカやアラビア地域を中心に年4回は行っているし、フライトは自由にパソコンを使えるようにビジネスクラス、ホテルは五つ星と決めている。狩猟歴は40余年で、毎冬の猟期に鹿や猪を2~5頭狩っている。ゴルフは――と書いていくと自慢話と思われそうなので、もうやめておこう。

だが、あなたにも、このような「やりたいこと」があるだろう。自分に置き換えて考えてみてほしい。要するに「自由」の選択肢を広げ、人生の可能性を広げるためには、おカネは多ければ多いほどよい、という順番である。私が「やりたいことをやれる自由」を謳歌できるのは、株式市場でつくってきた多少のおカネがあるからだ。

カネでは買えないものがあるのは確かだが、カネで買える自由や安定が非常に多くあることもまた事実であろう。カネがないとやりたいことは制限されてしまうし、第一に、心の安定も生まれない。古代の賢人曰く「恒産なくして恒心なし」である。

「不幸な富裕者」も、本来欲すべきはこの「自由」のはずなのだが、彼らは「カネこそすべて」の誤謬に陥いるため、幸福を実感できなかったり、自律的で質実な生活態度を維持できなくなって没落するのである。

自由と自律は不可分である。私はそれを、様々な書物――中学時代、英語教師に薦められた池田潔『自由と規律』(※1)、高校時代に読んだ井上靖『あすなろ物語』(※2)、大学のゼミ教授が三田評論に寄稿した、自由を求めて自律して生きる趣旨のエッセイなど――を通して学んだ。

富豪をめざす必要は私にはないが、カネをつくることは少しも悪いことではない。どころか、「度を超えた貪欲」の過ちさえ犯さなければ、その道程で自分が磨かれていくのである。       つづく
【ご参考URL=http://www.mag2.com/p/money/4898
私 の 見 た 「 幸 福 な 富 裕 者 と 不 幸 な 富 裕 者 」
         そ  の  決  定  的  違  い
(前編) –  山崎 和邦    わ が 追 憶 の 投 機 家 た ち ①

投資歴54年の山崎和邦氏による本連載。今回のテーマは「幸せなお金持ちに共通の特徴」です。お金がたくさんあるのに、幸福な人と不幸な人に分かれるのはなぜ?普通の人が「幸福な富裕者」になるための心構えを解説します(前編)。
※私の見た「幸福な富裕者と不幸な富裕者」その決定的違い(後編)はこちら

 ヒ ト と お カ ネ の 組 み 合 わ せ は 4 パ タ ー ン 、
       幸 せ へ の 道 は 2 通 り
ヒトとおカネの組み合わせには4通りある。そしてこの4通りしかない。
1. おカネがたくさんあって幸福な人(幸福な富裕者)
2. おカネがたくさんあっても不幸な人(不幸な富裕者)
3. おカネがなくても幸福な人(幸福な貧者)
4. おカネがなくて不幸な人(不幸な貧者)

金銭的に成功しても、精神的に不幸な人はたくさんいる。そいう人は「おカネでの成功者」ではあっても「幸福者」ではない。幸不幸は主観の問題であり、本人が幸福と思っていればそれは幸福なのだ。

よって、ほとんどの人々は1番目か3番目の形で幸福者になることを望む。また1番目と2番目の差、幸福になれる者とそうでない者の違いは、読者諸賢の関心を常に集めるところである。

そこで本稿では、まず1番目と2番目の違いが生まれる要因について述べる。次に、かつて左翼学生だった私自身が3番目を選ばなかった理由を説明する。最後に、現役ビジネスパーソンが「幸福な富裕者」になるための条件とポートフォリオ方針について触れてみたい。

私は仕事柄、これまでの人生で、資産運用に成功し財をなした富裕者をたくさん見てきた。

その中には、物心両面で成功しそれを持続できる人たちもいれば、一時成功しても没落する人たち、おカネがあっても幸福を感じられない人たちもいた。

彼らを分かつのは何であろうか?たくさんの「幸福な富裕者」と「不幸な富裕者」を観察することで、それぞれに共通する、何かしら一般的な傾向を見いだすことは可能だろうか。答えは是である。

簡単明瞭に言う。「幸福な富裕者」と「不幸な富裕者」この両者を分かつ最大の要因は、「運」をのぞけば、富を構築する過程やその後における「生活態度」にあった。

すなわち、1つには自律的で質実な生活態度。もう1つには最低限の法律・契約を必ず守るという規範意識。この2つの違いにほぼ全てがかかっている。

筆者の経験上、これがモロに市場活動の結果として反映される。市場からカネを獲って来ようとする心がけは、まず日ごろの生活態度から始まるのである。

もっとも私自身は「自律して生きている」と断言できるほど立派な人間ではない。ただ、そういうものを志向し生きている人間だというにすぎない。だがこの「志向」こそ、市場での誤りを少なくする投資の基本中の基本なのだ。

筆者がブラックマンデーや平成大バブル、リーマンショックにおいて事前に全株を売り抜けられたのも、大底を買って金融資産を構築できたのも、ひとえにこの生活態度のお陰であって、特別の放れ業ではない。質実な生活と常識があれば足りることである。

今秋刊行の拙著『賢者の投資、愚者の投資』(日本実業出版)では、証券会社の売買報告書を開示しつつ詳説する予定であるが、一番大切なのは理論や情報でなく「生活態度」であることは間違いない。

確かに運も大いにある。否、運ほど強いものはない、とも断言できる。現に私がこうしてココでイマ呼吸しているのも執筆しているのも皆「運」である。だが、こう言うこともできる。「運命は性格の中にある」のであり「人は自分の性格に合った事件にしか遭遇しない」のだと。芥川龍之介と小林秀雄の言葉である。

「不幸な富裕者」は、富を求める過程やその後の生活において態度を崩し、結果として法律か契約かのいずれかを、あるいはその両方を破ってしまう。またこのタイプは往々にして、常軌を逸して「貪欲」な傾向があった。これが良くないのだ。

ここで言う「貪欲」と、「利己心」は異なる。「利己心」は生物としてのヒトの遺伝子に組み込まれた誰もが持つものであり、決して悪いものではなく、むしろ健全なものだ。

利己心を悪と考える人も多いが、それは大いに間違っている。そういう人は思考放棄状態で暮らしてきた人間である。

現実には「利己心」ではなく「度を超えた貪欲」がヒトを誤らせる。健全な利己心がなければ富裕者にも成功者にもなれない。アダム・スミスは18世紀末に「利己心が公共の利益を促進していく」として自由市場経済の原理を説いたが、この辺はしっかり理解しておかねばならない。            つづく
日  本  生  涯  現  役  推  進  協  議  会  &
   NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ の  諸  活  動  に
                 ご   関   心   く   だ   さ   る   皆   様

残 暑 お 見 舞 い 申 し 上 げ ま す 。

皆様方には 「生涯現役社会づくり」へのご支援を本当に有難うございます。
生涯現役活動30年、愈々民主導型展開の時節到来好機と期待しています。

つきましては、『第356回:生涯現役シリーズ塾 第八弾』開催ご案内します。
毎月定例で企画・運営される私たちの行事日程には意欲的ご参画精神で、
一人でも多く仲間を『生涯現役社会づくり』推進活動にお誘いしたいのです。

地の利日本一最高の、ライフ・ベンチャ-事務所を有効活用されませんか。
    東京都中央区八重洲1-7-20八重洲口会館ビル地下2階
生涯現役実践道場の社会活力拠点は、東京駅八重洲北口改札を出た所
東京駅・大丸デパート向い側です。 (日興証券が一階にあるビルのB2階)
**************************************************************
『あなたと日本を元気に!』させる 生涯現役実践道場への 積極ご参加で
あなたご活躍の地域から 次々と民活力の盛り上がる大輪が拡がります!
---------------------------------------------------------------------------------------------
2014年秋期:実施サミット/2015年春・秋期:開催日(各土曜13:30~16:50)
①Summit 11/8(済)    ②Summit 4/25(済)    ③Summit 10/17(予定)
---------------------------------------------------------------------------------------------
2015年8月(理事会/15:00 & 生涯現役塾/17:30)~2016年1月【時間注意】
8/26    9/16    10/28     11/24    12/16    1/27
**************************************************************
日  本  生  涯  現  役  推  進  協  議  会
      NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ
              代 表   東   瀧     邦   次      
TEL:03-3517-6667       FAX:03-3517-6668
E-mail: info@sgsk.net
URL: http://www.sgsk.net    
Blog: http://40591.diarynote.jp/
Facebook : http://www.facebook.com/sgsk.net/
**************************************************
-------------------------------------------------------------------------------------------------
【 第 3 5 6 回 生 涯 現 役 シ リ ー ズ 塾ご案内 】

第3 5 6 回 生 涯 現 役 シ リ ー ズ 塾
     生  涯  現  役  に  取  り  組  む  第  八  弾
          生涯現役社会づくりではオンリーワンの生涯現役実践道場

日 時: 2 0 1 5  年  8  月  2 6  日 (水)
〔生涯現役実践塾〕      1 7 : 3 0 ~ 1 9 : 3 0
会 場: 八 重 洲 口 会 館 会 議 室
         東京都中央区八重洲1-7-20  八重洲口会館 B2F
-------------------------------------------------------------------------------------------------
テーマ: ③ 生 涯 現 役 サ ミ ッ ト/ 第二部 生 涯 現 役 実 践 の 仲 間 た ち
【 事 前 の 第 1 回 発 表 】 
『 わ た し の 生 涯 現 役 社 会 づ く り 挑 戦 ご 報 告 』
進行役; 東 瀧  邦 次
     ( 日本生涯現役推進協議会・NPOライフ・ベンチャー・クラブ 代表 )
-------------------------------------------------------------------------------------------------
講 師:  柳 原  正 年
     ( 富山社会人大楽塾 代表/日本生涯現役推進協議会 理事 )
略 歴: 平成12年、大手生命保険会社定年退職と同時に「富山社会人大楽塾」を設立。生涯現役健康生きがいづくりプラットホームづくりにチャレンジ。設立15年に当たる平成27年には「高齢社会」対応の「健康福祉インストラクター」養成事業を立ち上げ、生涯現役リーダーづくりに取り組んでいる。
講 演 A:  「 生  涯  現  役  コ  ン  ビ  ニ  サ  ロ  ン ・
            社  会  人  大  楽  塾  の  全  国  展  開 」
内 容: 高齢コミュニティサロン(社会人大楽塾チェーン)の全国展開実証実験を開始。その第一弾として団塊女性のエンパワーメント事業「健康福祉インストラクター」養成を開始した。生涯現役というと男性向け言葉を女性向けに「健康福祉インストラクター」とネーミング、中高年女性のパワーを生涯現役社会に寄与することにより、シニア男性のプロデューサーへの参加意識を高めようとするもの。
-------------------------------------------------------------------------------------------------
講 師:  八 久 保 宜 美 ( 株式会社 スリービーンズ 代表取締役 )
略 歴: 2012年(株)スリービーンズ設立。シニアでもできる仕事ではなく、シニアならではの仕事創出に工夫を凝らす。特に介護事業所の生活相談人に着目し、説明会やセミナーを開催。介護業界全体の底上げを図るべくシニアの知恵活用に最重点。また専門学校で若い生徒に仕事に役立つ実務パソコン指導。平成流就活術やビジネスの基本は、転職や起業を目指すシニアにも有効。シニアの創職(就業&起業)に情報発信の側面から支援事業を展開活躍中。
演 題 B :  「 ネ  ッ  ト  展  開  
              一  夜  に  し  て  な  ら  ず
                   突  破  口  に  す  る  発  信  力 」
内 容: 弊社が運営する「デイサービス生活相談員ネットワーク」サイトを月間3万アクセス数にする迄の努力・独創的ノウハウでやってきたこと、これからやらなくてはならないこと、ネットから得たもの・失ったものなど実例でご紹介します。ネット活用のためには何が必要なのかが必ず判ります。
-------------------------------------------------------------------------------------------------
講 師:   井  上    仁
       ( フクシマ復興応援ネットワーク事務局 PJ実行責任者 )
略 歴:1983年から企業や自治体のプロジェクトマネジメントの実践研究を行う、ベルヒュード国際経営研究所を主宰。フクシマ第一原発5、6号機が位置する二葉町で幼年、少年期を過ごす。「フクシマ問題は長丁場、原発被災者の自立、生活再建は全国民的対応課題」という思いで2014年フクシマ復興応援ネットワークを立ち上げる。現在フクシマだからこそ「子どもたちの安全・安心で健康な農業の開発・導入をめざすプロジェクト」推進の実行責任者として活躍中。
演 題 C:  「 生  涯  現  役  パ  ワ  ー  で  フ  ク  シ  マ  
               再  生  農  業  ビ  ジ  ネ  ス  開  拓 」
内 容: 自然栽培のやぶ田ファームで「有機JAS認証野菜」を省力、低コスト、高生産性で栽培する「環境保全型ハウス有機農法」の実証栽培プロジェクトを立ち上げ。その実績をもって日本太陽光発電プランナー協議会理事企業3社と提携し、フクシマに太陽光発電・売電とセットにした「ソーラーシェアリング」農業ビジネスとして導入を図るプロセスをご案内します。
-------------------------------------------------------------------------------------------------
講 師:  武  井   昭
      ( 有限会社 介護けやき・ NPO 市民ビジネス サポートセンター 代表 )
略 歴: 1992年情報関係の会社を退職後、中小企業診断士登録・経営コンサルタントとして独立、NPO法人市民ビジネスサポートセンターを開設し、理事長として。商店街支援、創業塾開塾。2003年高齢者介護の(有)介護けやきを設立・代表取締役として世田谷区内の高齢者介護事業経営で現在に至る。
演 題 D:  「 生  涯  現  役  実  践  家  と  し  て
         地  域  社  会  で  の  生  き  が  い  人  生 」
内 容: 人生マラソン59歳でサラリーマン生活を終了。コンサルタントとして自主独立の自営で、数社の経営支援、NPO法人を設立して世田谷区内の創業者支援。障碍者教育、任意団体せたがやアンビシャス設立の支援。69歳にて有限会社介護けやき設立。高齢者介護事業を創立して世田谷区内の高齢者介護に当る。認知賞高齢者の増加に伴い明2016年度は、区内高齢者対象施設設立に向け鋭意開設準備中。
------------------------------------------------------------------------------------------------
講 師: 高橋  育郎( 心 の ふ る さ と を 歌 う 会 代 表 )
略 歴: 1935年生れ。国民学校入学・卒業生として激動第二次世界大戦時の荒波にもまれた。1953年旧国鉄入社、中央大学法学部夜間部卒業。関東支社、千葉鉄道管理局と管理部門を歩き、民営化JRを1年経験した後に退職。第二の人生でLVクラブ生涯現役実践道場に出会い今日に至る。その間「心のふるさとを歌う会」創設を始めとして日本童謡協会にも入り、同人誌等により作詞作曲の機会を得る。
演 題 E: 「 奇 跡 を 生 み だ す
          生 涯 現 役 社 会 づ く り の 全 国 展 開 を ! 」
内 容: 生涯現役を継続すれば奇跡が生まれるという話。1989年LVC入会当初の教訓では、自分の得意技を活かして、世のため人のためになるよう励むこと。そして脳力開発の教えで、人生冒険に邁進してきたた。得意技は歌を歌い曲を創る、それはシンガーソングライター。幸いにも歌の道を歩みたい念願を叶えられた。歌の会はじめ童謡協会での夢も実現、周囲に喜びや勇気を与えられる奇跡の感謝人生。
-------------------------------------------------------------------------------------------------
講 師: 島崎  甲介( 株式会社 ショーテル  特命相談役 )
略 歴: 2000年に(株)リクルート発行の求人誌「タウンワーク」立ち上げに参加。日本生涯現役推進協議会が目論む独創的な民主導『生涯現役社会づくり』実現への革新事業システム展開に向け、定年予備軍を抱える企業ニーズに対応しながら、サイト活用の生涯現役生きがい増進型の雇用創出策を協働開発中。
演 題 F: 「 生 涯 現 役 社 会 実 現 へ の
                  共 感 ネ ッ ト ワ ー ク 開 発 推 進 」
内 容: いまや「生涯現役」という言葉が当り前のように使われているが、「生涯現役」を実現できる土壌はまだまだです。生涯現役実現のためには、個人の幸せの実現と企業のニーズが合致することが必要。そのため「生涯現役社会」創りを目指す人たちと企業のネットワーク構築必要性を共有に鋭意努力中。
*****************************************************************
参加費: 会員/1 , 0 0 0 円     一般予約申込/2 , 0 0 0 円
申込先: NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ事務局
    東京都中央区八重洲1-7-20  八重洲口会館 B2F
電話:03(3517)6667    Fax:03(3517)6668
E-mail: info@sgsk.net or lvcinfo@sgsk.net
URL:http://www.sgsk.net or http://sgsk.net/70890
……………………………………………………………………………………
   第 3 5 6 回 生涯現役シリーズ塾 参 加 申 込 書   
                                2015 年 8月  日
特定非営利活動法人 ライフ・ベンチャー・クラブ 事務局 宛

氏 名:____________     

TEL or FAX or Mail __________________
Home Funny Cute Impression Topics

ト イ レ 清 掃 員 の お ば さ ん を 馬 鹿 に し た 大 学 生 。
    し か し 横 に い た お じ さ ん の “ ボ ソ ッ と 一 言 ”  に
        彼 ら は 凍 り 付 い た 。

大学生1の言葉より
 “ こ ん な 仕 事 や だ よ な ー 。 ま じ で 無 理 だ わ 、俺 。”

大学生2の言葉より
 “ い や 無 理 と か っ て レ ベ ル じ ゃ な い だ ろ !
    ト イ レ の 掃 除 と か キ モ い っ て!!!
              と り あ え ず こ う な っ た ら 人 間 の ゴ ミ だ わ!(笑)”

知らないフリをして、聞こえないフリをしました。
一生懸命悔しい気持ちと、怒りを食いしばり我慢しました。

ここで言い返したりしては、私はこの大学生たちの言う様に本当の”ゴミ”になってしまう様な気がしたからです。

(心の中で言い返す=認める事になる)
このような思いが、咄嗟に私の心で我慢するという選択を取ったのだと思います。

しかし、この大学生二人組は、この後凍り付くような窮地へと追い込まれる事となったのです。

この大学生たちのすぐ後ろから入ってきた一人のおじさん。
このおじさんが、大学生が私の事をバカにした後、ボソッと大学生に言葉を掛けます。

トイレで説教をするおじさん
“ 君たちは、就活生かい?

だとしたら、0点だね。
なぜなら君たちは、仕事の意味を履き違えているようだ。

どんな仕事でも、仕事があるという事は必要とされているからなんだよ。

立派な仕事。
誰にでも出来る仕事じゃないことをしてくれる人がいるから、君たちは何不自由なく便利に使えたり利用できるんだ。

いいかい?”ゴミ”なんて言葉を使うんじゃない。

掃除をする方が、掃除をして給与をもらうだろ?
これは、その仕事や人に対しての対価=ありがとうという報酬なんだよ。

そこにお金という対価が発生しているという事は、必要とされているからなんだ。
ゴミじゃないんだよ。

でも、きっと雇う側も仕事を与える側も、君たちの様な価値観の人間には何も渡さないと思うが、どう思う? ”

そう言い、ふと大学生が首から下げている名札を見てさらに笑みを浮かべこう言います。

“ ふむ。
面接か…楽しみだね。

そのロゴは私の会社のシンボルだ。

後で、面接室で続きを話そう。 ”

一瞬この意味が私には理解出来ませんでした。
しかし、大学生たちはすぐにこの意味を悟った様子。

どうやら、このおじさんは彼たちがこの後面接を受ける会社の社長だったのです。

私も、このビルの清掃をしていて何度か見かけた事はある顔でしたが、まさか会社の社長だったとは知りませんでした。

冒頭でも述べましたが、私はこの仕事を与えられているだけで感謝しています。
与えられている事、任せてもらえる喜びを知っているから…

世の中に仕事や与えられる責務は数えきれないほど種類があるでしょう。
しかし、それをバカにしたり差別したり比べる事は決して良くはない事だと思います。

その職種、その責務には全てに”事情”があり、”原因”があり、”目的”があるという事を忘れてはいけません。

この翌日から、トイレで用を足しながら大学生へ説教をした “ 少しワイルドなおじさん ” は、私を見る度に微笑んでくれます。
そして必ず一言声を掛けてくれます。

“ い つ も ご 苦 労 様 。”

ただ、その二人の大学生をこのビルで見かける事は、アレ以来一度もありません。
Home Funny Cute Impression Topics

ト イ レ 清 掃 員 の お ば さ ん を 馬 鹿 に し た 大 学 生 。
    し か し 横 に い た お じ さ ん の ” ボ ソ ッ と 一 言 ” に
        彼 ら は 凍 り 付 い た

トイレの清掃員は、とても簡単な仕事ではありません。
男女問わず、定期的に清掃に入り、便器の隅々まで清掃を行います。

もちろんゴム手袋をしての清掃ではありますが、時に頑固な汚れが付着していたり、ガムなどの粘着物が吐き捨てられている時は素手で作業する事だってあります。

私は、そんなトイレの清掃員をしてます。
ビル清掃の会社でパートとして働き、来る日も来る日もトイレの清掃やビルの共用部清掃を行っています。

とは言え、この作業が好きだからやっているなんてカッコいい事は言いませんし、言えません。

ただ、一つだけ言える事は「仕事があるだけで、仕事を与えられているだけで感謝している」という事。

元々は正社員として働いていたのですが、6年前に急にリストラをされてしまいました。

当時上司に言われた解雇理由は、今でも忘れません。

「”女性だから”、今後の事を考えて優先的に切って行いく事にした」

こんな無責任で酷い一言だけでした。

そんな経験を経てきた私にとって、どんな仕事でも差別されずに必要とされる仕事は有り難く、とてもやりがいのある事。

来年で55歳を迎えますが、日々喜んでトイレの清掃を行い、利用者が快く使用出来るよう心がけてピカピカにしています。

清掃中は、もちろんトイレ前に「清掃中」の立て看板を置いて作業をしますが、それでも利用者はどんどん入ってきます。

普段、利用者にとっては”空気”の様な存在である私達は、特段気にもしませんが気にもされていません。

それぐらいが丁度いいのです。

しかし、ちょうど1年程前にとても嫌な経験をしたのです。

いつも通り男子トイレの清掃に入り、小便器をゴシゴシと掃除していた時です。
ビジネスタワーでもあるそこでは、丁度どこの企業も新卒採用の面接を行っている時期でしたので、大学生などリクルートスーツに身を包んだ若者が頻繁に出入りしていました。

私が小便器を丁寧に掃除していると、笑いながらまだ初々しい姿の大学生2人がトイレへ入ってきたのです。

そしてすぐに小便器を掃除する私に向かって酷い言葉呟いてきました。
武井壮 マスターズ金は「現役時代より嬉しい」東京五輪にも意欲


16日に行われた「第21回世界マスターズ陸上競技選手権」(フランス・リヨン)の4×100メートル(40~44歳クラス)で優勝したタレントの武井壮(42)が21日、日本テレビ「スッキリ!!」に生出演。金メダル獲得の喜びを「現役時代より嬉しかった」と表現した。

 武井はアンカーを務め、トップでバトンを受けるとそのままゴールインした。「2年前にマスターズ出てその時200(メートル走)だったんですけど銅メダルだったんですね。でもそこから1日1時間毎日トレーニングして世界一を獲るって宣言していたので、今回絶対に獲らなきゃいけないと思っていたんです」と思い入れを告白。

 その思いがあっただけに「初めて世界一のゴールを切って現役時代より嬉しかったです」と万感の表情。「現役終わるとスポーツやっていた時は良かったって感じることがすごく多いんだけど、こんな喜びを感じられたってうれしい」と話した。

 今後について視聴者投票で意見を募ると、「五輪出場」に期待する声が1位。武井は「東京もありますし、僕はその次のオリンピックもチャンスあると思います」と意欲満々で「体力だけは今のままキープして、60になっても100メートル11秒キープしたいと思います」と生涯現役を誓った。

 マスターズのリレーメンバーは、昨年6月の「第34回沖縄マスターズ陸上競技選手権」で武井とともに42秒3をたたき出した、渡辺潤一(41)、譜久里武(44)、石黒文康(42)。タイムは42秒70。世界記録の42秒20には及ばなかったものの、マスターズの公式アジア記録と日本記録を更新。武井は13年の世界マスターズでも200メートル(40~44歳クラス)で銅メダルを獲得しており、2大会連続のメダルとなった。
2015年8月19日21時36分 スポーツ報知
山崎まさよし、デビュー20周年で生涯現役宣言「体が動く限り」

  シンガー・ソングライターの山崎まさよし(43)が19日、10年ぶりのベストアルバム「ROSE PERIOD ~the BEST 2005―2015~」のリリースイベントを都内で行った。

  9月25日にデビュー20周年を迎える山崎は、演奏後にファン20人を壇上に招き、アルバムタイトルにちなんだロゼワインで乾杯。客席からも「おめでとう!」の声が次々と上がった。さらにファンからサプライズで大きなバラの花束を贈呈されると「薔薇が似合いませんね。本当にありがとうございます」と感無量。「体が動く限り、歌を歌っていきます」と生涯現役で歌い続けることを誓った。

〈企業編〉シミック(1) 一人前になって初めて社会貢献

 医薬品開発支援(CRO)の草分け的存在のシミック。当局への承認申請を含む新薬の開発全般において、製薬会社を途切れなくサポートする。シミックは社員の多様性や個性を貴ぶ社風が成長の一因といわれているが、中でも「平均年齢62歳、生涯現役!」を標榜する、戦略・薬事コンサルティング部を紹介したい。コンサルティング事業本部の佐藤昇本部長(65)に話を聞いた。

 ■最高齢コンサルタントは80歳

 臨床試験では、対象となる患者さんのご理解と同意が不可欠。その同意説明文書の達人がいる。患者さんに分かりやすい文章をと、どんな薬がきてもサクサク対応する。御年80歳。毎日8時前に出勤し、めったに休むこともないくらい。バリバリの現役だ。

 製剤工場もあるシミックだけに、何か特別なお薬でも? と勘ぐりたくなるが、楽しく働くことが元気の秘訣(ひけつ)らしい。40人ほどのメンバーは、製薬会社出身者が多い。定年後にシミックへ転職してくる人がほとんど。

 メーカー時代の仕事は、範囲が狭く深かったが、シミックに来たとたん、担当間口が広がった部員が多いそうだ。客先がバラエティーに富み、製薬会社から大学、海外バイオベンチャーまで。相談に乗るうちに、各人幅広くいろいろな分野を担当。

 「60歳過ぎてからも、新しいことをどんどん勉強できるなんて」とうれしい悲鳴を上げながら働くメンバーも。さすが、3人に1人が博士号を持つ頭脳集団。最先端技術に触れる毎日こそが、若さの源かもしれない。

 ■自分が一人前になって、初めて社会貢献できる

 話を聞いた佐藤氏は、一時は医科大学で研究生活を送ったことも。ところが、“目に見えて社会に役立つことをやってみたくなって”外資系大手製薬会社へ転職。2002年からシミックへ。現在はコンサルティング事業本部の陣頭指揮を執る。

 「とにかく忙しいです。仕事がお客さま相手なので、迅速な対応も必要です。ただ、アメリカのバイオベンチャーなどは、目が覚めるような発想の、最先端技術を見せてくれる。面白いこと考えるな、と感心します」と多様になった仕事を楽しんでいる。

 最先端技術についていけるのも、素早い対応ができるのも、各人が「これは自信がある」という技術や経験を持つ専門家だからこそ。一人前になって初めて社会貢献ができると語る。

 「医薬品の開発には、総合力が必要」と佐藤氏。社内の仲間や、医師、厚生労働省やクライアントとの関わりプラス科学・薬事知識に実行力・表現力・英語力。“コミュニケーション”なんて言葉が、薄っぺらに感じるほどの総合力が必要だ。

 佐藤氏にとって、働くとは、生きがいそのものだそうだ。「同じ働くなら、その道のプロになるために仕事をして、日々何か進歩したなという生活を送ってほしい」と後輩たちにエールを送る。 (「オレンジ世代」取材班)
【従業員の心の健康を守る】──────────────────────
 第2回 自 分 の 健 康 は 自 分 で 守 る
     ~新入社員から経営者まで立場に関係なく自己防衛を~

  心の病について語られる時、真面目で几帳面など、病気になりやすいタイプや性格があると言われることがあります。自分がそういったタイプにあてはまると考える人は気を付けようとするかもしれませんが、自分はそういったタイプではないと思っている人は、防衛意識が低くなる危険性があります。いずれにせよ、メンタルヘルスを個人のタイプや性格で考えてはいけません。「自分は病気になるタイプではない」と考えている人の場合は、次の二つの理由から、より注意が必要です。

 (1)真面目で几帳面な人でなくても、メンタルヘルスを害することがある
 (2)本人の自己認識が異なっており、表面上はともかく、実は真面目で 几帳面な性格である

  体の病と比較すると、心の病は医学的な研究や治療法がまだまだ発展途上にあります。「真面目で几帳面な人が病気になった」という事実があったとしても、そうでないタイプの人が病気にならないとは証明されていないのです。メンタルヘルスを維持・増進していくためには、誰もが不調になる危険性を自覚し、新入社員も経営者も、そしてもちろん人事パーソンも、全員が「自分のこと」として考えることが重要です。

  前回ご紹介した「労働者の心の健康の保持増進のための指針」の中でも、自分で自分の健康を守ることが強調されています。この指針ではメンタルヘルス対策の実際の活動として、以下の「四つのケア」があげられています。

 1.セルフケア
 2.ラインによるケア(職場の上司や管理職によるケア)
 3.事業場内産業保健スタッフによるケア
  (産業医などの専門スタッフによるケア)
 4.事業場外資源によるケア(病院や社外の専門家などと連携して行うケア)

  この中でセルフケアは最も基本的、かつ最も重要な取り組みです。そして、従業員全員が自分の健康を自分で守るという意識を持つためには、人事パーソンによるサポートが必須となります。特に、下記のような偏見を抱いている人に対しては勉強会などを開催し、理解の促進を行なう必要があります。

 ・「自分に限って心の病にはならない」と思っている人
 ・「心の病は気の持ちようで治る」と思っている人
 ・「心の病にかかるのは弱いからだ」と思っている人

  人事パーソンである皆さんも含めて、自分の健康は他人任せにせず自分で守るという意識を持つことが、何よりもの防止策となるのです。

<今週の一言>
「自分にも他人にもいたわりを持ち、心の健康を守るべし!」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ◎発行/株式会社アイ・キュー『日本の人事部』運営事務局
     公式Twitter : http://twitter.com/jinjibujp
     公式Facebook: http://www.facebook.com/jinjibu.jp
日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会  &
    NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ
          東  瀧    邦  次  さ  ま

いつもお世話になっております。

  今年6月、城南信用金庫の吉原毅理事長が60歳になったのを機に退任されました。その理由を、オルタナ・コラムニストのコーナーに寄稿頂きましたので、ご紹介致します。

  本コラムでは、吉原理事長は退任の理由を少しオブラートに包んでおられます。しかし、以前、城南信用金庫では高齢・長期政権の元理事長が会社を私物化し、そのために内部が著しく混乱したという苦い経験と、それを繰り返してはならないという決意が、今回の60歳で任期満了で退任という潔い身の引き方の背景にあったと想像します。

  その元理事長を理事会でクーデター解任したのが、元理事長の部下でもあった吉原氏でした。吉原氏は、脱原発キャンペーンや自然エネルギーシフトで有名になりましたが、一方で、「銀行に成り下がるな」という、これも見事な掛け声のもと、高い倫理性を職員に求めました。自ら理事長職の年収を支店長より低い1200万円に下げるなど、「自分にも厳しい経営」を貫きました。

  それにしても、見事な引き際でした。翻って、東芝の不適切経理問題、ロッテや大塚家具のお家騒動ほか、さまざまな企業の不祥事の多くに高齢・長期政権の経営者が見え隠れしています。

  「志」は必ず変質します。人は成功すれば、必ず守りに入り、古い価値観にしがみつくからです。経営者はできれば60歳、無理なら65歳、どんなに遅くても70歳までには一線から退くべきでしょう。吉原さんのコラムを読んで、同じ経営者として、改めて襟を正したいと思いました。

◆私が60歳で城南信金の理事長を辞めた理由[吉原 毅]
 http://www.alterna.co.jp/15742

  企業の目的は、利益の拡大ではなく社会貢献です。会社の憲法である定款の目的には、利益の拡大とは書いてありません。企業は、定款に記された様々な事業を実施することにより世のため、人の幸せのために活動するという公的な使命があるのです。(城南信用金庫相談役=吉原毅)

  しかしながら、大企業のサラリーマンあがりの経営者の中には、高額な報酬をとり、自分の地位とカネ、つまり私的な利益のために、いつまでもトップの地位にしがみつき、そのために有能な人材を切り捨て、恐怖政治を行い、企業の使命を忘れた、目先の利益を追う、株主迎合の経営を行う者が少なくありません。

  こうした企業社会の悪弊を打破するためには、トップも含めた経営者の定年制を導入し、例外なく定年を迎える仕組みをつくるしかありません。

  「有能な経営者が短期間で交代するのは企業にとって惜しい」とか「後継者として相応しい者がいない」という理由で、トップの定年制導入に反対する意見もありますが、実際には、そんなことはありません。トップにいる者の言い訳か思い込みにすぎません。企業は一人で動いているのではないのです。

  たとえ杓子定規と言われても、将来において独裁者が表れて長期間に渡って恐怖政治を行うリスクがあるわけですから、それを除去する仕組みをつくったほうが、長い目で見た場合に、企業にとって望ましいと思います。

  そもそも「後継者に相応しい者がいない」とこぼすトップの行動をみると、自分の地位を脅かす有能な部下を、次々と切り捨てているからであることが少なくありません。やはり、企業経営者は、惰性に流されず、私心を捨て、常に世のため、人のためという公的な使命に徹することが大切です。そのためには、「メメントモリ(死を思え)」という言葉があるように、終わりを意識した覚悟と決意が必要です。

  ハイデガーは「死に近づくときに良心の呼び声が聞こえる」と語りました。プラトンの国家論の中でソクラテスは「賢人政治」について語り、政権のトップにも定年制を設けて、後は、功績をたたえつつも、島流しにすべきと語っています。

  こうした点を勘案し、私は、役員たるものは、決められた期間を使命達成のために全力で経営にあたることが大切だと考え、4年前に理事長に就任した際に、「トップも含めた役員60歳定年制」を打ち出しました。

  またその変更には、株主総会に相当する総代会でなければできない旨を定款に記載しました。併せて、役員報酬を大幅に削減するとともに、地位肩書に関係なく、年齢により給与が決定される制度に改めました。

  この結果、理事長よりも専務理事の方が給与が上になることがあります。給与と仕事は比例するという成果主義を否定して「仕事はカネではなく心意気でやるもの」という姿勢を示したものです。

  あわせて、役員を卒業した方々による「顧問会議」を設置しました。理事長や理事は、最高意思決定機関である理事会のメンバーですが、定年制で交代するため、年齢が若く経験不足です。「顧問会議」は、それを指導し、支援するための制度であり、いわば枢密院です。

  この設置は、ソニーの常務だった天外司朗先生の「長老型リーダーシップ」の影響を受けました。アメリカインディアンは、若い酋長が政治の実権を振るうのですが、酋長が判断に迷うときには、車座になって煙草をふかしている長老たちに相談し、長老がそれを支える伝統と智慧とを提供したのです。

  日本でも江戸時代の隠居制度や水戸のご老公など、現役とベテランが支えあうことで政治を安定させる仕組みがありました。ロラン・バルトも、日本社会は、天皇と幕府で権威と権力を分離して、優れた政治を実現したと説明しています。

  今回、自分が定年を迎えるに当たり、この4年の任期は、短いようでも、とても充実したやりがいのある期間でした。常にやるべきことは何かと考え、即刻実現することで、実に様々なことが実行できました。

  「企業は社会に貢献するためにある」という観点から、「東日本大震災」「原発事故」などにも、逃げることなく、真剣に立ち向かいました。

  社会貢献、社会福祉など、一般企業が目を向けない社会的な分野にあえて焦点をおいて、「みんなが仲良く安心して暮らせる社会」の実現に努めてきました。逆に、そうした社会的な視野や発想が、本業である金融分野でも、新たな事業や商品、人と人との強い絆を生み出しました。

  1833年に英国のロッチデールで生まれた協同組織企業は、「お金を大切にする株式会社」の弊害を是正し、「人を大切にする、思いやりを大切にする」企業です。人間性回復のために生まれた社会運動の一環としての企業という使命を持っています。

  現代の社会は、「自己中心主義」「孤独」「いじめ」「道徳や倫理の崩壊」などの「お金の弊害」「近代社会の病理」にむしばまれています。そうした時こそ、協同組織企業の金融部門である私たち信用金庫としては、地域を守って、地域の人々を幸せにするために、これからも全力を傾注していきたいと思います。
  
【吉原 毅:城南信用金庫 相談役プロフィール】
 1955年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、1977年に城南信用金庫へ入職する。企画部や理事・企画部長、常務理事・市場本部長、専務理事・事務本部長、業務本部長など多数の役職を経験。2010年に理事長として就任後は、東北大震災以降、被災地に対する支援活動、地域貢献活動、環境維持活動に注力する。特に、福島第一原発事故の翌月4月1日より「原発に頼らない安心できる社会へ」を宣言し、講演やシンポジウムを実施するとともに、金融を通じて自然エネルギーや省エネルギーを推進する。 また脱原発に関する情報を発信するために城南総合研究所を設立。原発再稼動反対、原発即時ゼロに積極果敢に取り組んだ。2015年6月に理事長を退任し、現在は相談役を務める。  
 7 0 年 談 話 : 安 倍 晋 三 首 相  談 話 全 文 

 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

平成二十七年八月十四日 内閣総理大臣  安倍 晋三
  戦後50年村山談話、戦後60年小泉談話に引続いての、戦後70年安倍談話の内容がどうなるかは、とくに中韓両国を意識し過ぎた内容吟味が政界・マスコミ中心に春先から論議を賑わしたと思う。
  本日付日経新聞Dijital速報版政治欄URL=http://www.nikkei.com/article/DGXLASDE14H0E_U5A810C1PP8000/ を下記ご紹介したい。

  首 相 、 持 論 抑 え 「 お わ び 」 加 筆   戦 後 7  0 年 談 話
        支 持 率 低 下 、 安 保 法 案 が 影
       
 安倍晋三首相は戦後70年談話の作成にあたり、「謝罪外交」からの脱却を狙う持論と、歴代内閣の認識を踏襲する現実論で揺れた。当初は先の大戦への「おわび」を記した1995年の村山談話の「上書き」を狙ったが、安全保障関連法案の審議に伴い内閣支持率が低下。公明党の要請も受けて「おわび」を加筆し、持論へのこだわりを抑えざるを得なくなった。

■ 「 好 き な よ う に や り た い 」

 本格的に文言を練り始めたのは4月だった。談話は首相の口述を今井尚哉首相秘書官と兼原信克官房副長官補(外交担当)らが聞き取り、紙に起こす作業から始まった。「戦後70年に談話は必要はないといわれているかもしれない。だから今までと違う位置づけの談話にしたい。未来志向だ」。首相は指示した。

 この時点で狙いは明確だった。「おわび」「侵略」は盛り込まず、村山談話を「上書き」する。「もう一度書く必要はない」。首相からこう聞いた関係者は多い。

 4月下旬のアジア・アフリカ会議や米議会演説で首相は「反省」には触れたが、「おわび」は言及しなかった。「世間の反応を見る意味もあった」(首相周辺)という。目立った批判はなく、首相は自信を深めた。

 ただ、あまりに保守色が強くなると、中国や韓国との関係は悪化する。首相周辺が5月下旬ごろ、水面下で中韓両国がどう反応するか探り始めると、やはり厳しい空気が伝わってきた。浮上したのが閣議決定をせず個人的見解の談話にする案だった。

 首相は「今回は好きなようにやりたい。何にも縛られたくない」とも語った。首相の思いを存分に反映する、との狙いで6月に事務方が首相に「閣議決定も『おわび』『侵略』もなし」と提案し、具体化に動き始めた。

■ 公 明 の 要 請 「 承 り ま す 」

 ところが、そうした検討が6月下旬に表面化すると、異論が上がる。保守派の自民党議員からは「閣議決定で公式な政府見解にすべきだ」。それより無視できなかったのは公明党だった。「勝手に激しい談話を出されても困る。中韓との関係をこじらせないでほしい」(幹部)と不満を募らせていたためだ。

 「談話を出した後で公明党が批判をすると大変です。公明党と一致して決めるため、閣議決定した方がいいと思います」。6月下旬、側近の一人は首相に訴えた。

 6月初旬には衆院憲法審査会で、参考人全員が安保法案を「違憲」と指摘。その後、自民党若手議員の勉強会で報道機関への「圧力発言」も表面化した。首相は揺れた。政権に逆風が吹き始めると、公明党を巻き込む閣議決定に傾いていった。

 「14日に閣議決定する」。首相は今月5、6両日、自民党三役らを次々に官邸執務室に呼び、こう伝えた。その場で原案もみせ、了承を求めた。

 7日には公明党の山口那津男代表とも協議。山口氏に示した原案には「おわび」「侵略」は明示しなかった。山口氏は「おわびの心があると相手方に伝わる誠意ある表現を使うべきだ」と求めると、首相は「承ります」と引き取った。

■ 「 多 く の 国 民 と 共 有 し た い 」

 首相は悩んだ末に「できるだけ多くの国民と共有できるような談話を作りたい」と考え「おわび」の記述が固まった。

 だが、その後も周囲には「今までの談話より発展的な位置づけにしたい。過去にとらわれないと分かるようにしたい」と注文した。「(将来世代に)謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と明記し、首相がこだわる「脱・謝罪外交」を掲げることにした。

 「最終的にこうなりました」。首相は談話発表の数日前、山口氏に連絡した。公明党が求めるキーワードは盛り込まれた。「首相もギリギリのところだったんだろう」。同党幹部は首相の苦渋の決断を評価した。

 「良かったでしょ」。14日夜、首相は自民党の高村正彦副総裁と都内のホテルで会食し、談話を自賛した。首相周辺は「安保法案の違憲問題から流れが変わったが、結果としてみんなが納得する内容になった」と胸をなで下ろした。

 一方で、談話の作成に携わった一人は「首相は本音は納得していないんじゃないか」との見方を示す。首相を支持する保守派には、妥協に不満もくすぶっている。
  朝日新聞DijitalサイトURL=http://www.asahi.com/articles/ASH7W7JM5H7WPITB01R.html?ref=wmailm_0814_14で「継ぐ記憶:4」に掲載された下記俳優/福士蒼汰氏の戦争体験継ぐ記憶の転載記事をご紹介したい。  
  70年前の敗戦直前、広島原爆の史上最大悲惨な被災を浴びた爆心地:県産業奨励館の原爆ドーム見学をして「その戦争体験を聞けるのは今だけ」と悟り、直接行動に移した、生き残り被災者の2名から貴重な「継ぐ記憶」を学べたのは、本当に得難い人生体験だ。
  被災後の生涯心身の苦痛を背負って語る者と、その人生苦悩を聴く者の両世代をつなげる二度と人類が犯すべきでない “ 戦争体験を、直接「聞けるのは今だけ」” の機会も心して、ぜひ70年節目の明日『終戦の日』を迎えたいと願う。
------------------------------------------------------------------------------------------------ 
 俳優の福士蒼汰さん(22)は今年6月、フジテレビの終戦特番の取材で初めて広島の原爆ドームを訪れた。被爆前、県産業奨励館と呼ばれ官公庁などの事務所として使われていた。建物は全焼し、ほとんどの壁が崩れ落ちた。

 「骨組み以外何もない」。福士さんはドームを見上げてつぶやいた。「原爆が落とされてなければ、今でも産業奨励館としてやってたかもしれない」。周囲には修学旅行生や観光客の姿。今の平和な広島からは、当時を想像するのは難しかったと話す。「真実を見いだすには時間や知識が足りない。もっと知らないと、と思いました」

 福士さんは被爆者の増野幸子さん(85)、児玉豊子さん(87)に会った。当時2人は広島電鉄家政女学校の生徒。男性社員が次々戦地に赴き、路面電車の運転士や車掌を任せられていた。

 どう話を切り出したらいいのか悩みつつ、福士さんは2人に尋ねた。あの日、何が起きたのか。どうやって助かったのか。

 増野さんは体調を崩し学校の寮で休んでいた時に被爆し、背中に無数のガラス片が突き刺さった。児玉さんは電車を運転中、爆風で地面に飛ばされ、頭にけがを負った。

 あちこちで火の手があがる中、逃げる途中で2人は会い、児玉さんは増野さんの肩を担ぎ10キロ以上先の避難所まで歩いた。全身に痛みが走る増野さんは「先に逃げて」と繰り返したが、児玉さんは「しっかりしんさい」と増野さんを励まし続けた。3日後、児玉さんは復旧した電車を運転したという。

 福士さんは「10代の少女が自分や家族より他の人のことを考えて行動した。強い心を持っていたからできたんだろうな」。自分もそうありたいと思ったという。

 「戦争はあってはならない。どんな自分でいたいか、どんな日本でいたいかを考えるべきだと思った」
  戦後70年を経過したいま『日本の一番長い、長い熱い日』を迎え、広島・長崎原爆の灼熱、人類史上最悪の尊い人命を犠牲にした上で遂に迎えた敗戦地獄。ところが戦後教育の日本現代史をまともに学び得ていない若者たちへの街頭質問で、太平洋戦争での日本の戦争相手国名をまともに回答できない平和ボケだと悔しがる戦争経験世代層の歯ぎしり。
  いずれも目下参議院での安全保障関連法案の審議を挟んで、日本国民が世界平和時代への推進役として知行合一の信頼できる世界史リーダー役足り得るか否か。『生涯現役プロデューサー』役を果たすべき私たち生涯現役仲間には、確固たる決意の判断基準で謙虚に人生達人たる役割を務めたいものである。そのために下記マスメディアから提供された情報をどう捉えられるか、建設的ご意見で次回理事会席上ご審議をお願いしたいものである。
******************************************************************
【2015/8/10  6:30 日本経済新聞 電子版】
  今週末、日本は戦後70年の節目を迎えます。戦時中は軍事機密だった天候情報ですが、残る記録によれば70年前の8月15日、東京の天気は晴れ、最高気温は32.3℃だったようです。当時以上に暑い今夏の70周年の焦点は安倍首相の談話ですが、気になるのは談話公表後の中韓の反応です。ある程度の反発は織り込み済みとしても、その反発の度合い、さらには秋以降の外交に与える影響も注視する必要があるでしょう。安保法案の参院審議の本格化もこれからですし、9月には自民党総裁選も控えています。支持率が低下傾向にある安倍政権にとって気の抜けない日が続きます。日本の「暑い夏」はまだまだ続きます。(電子編集本部電子編集部 田村俊一)
*******************************************************************
関連URL=http://www.nikkei.com/article/DGXMZO90227120W5A800C1000000/
【ニュースこう読む(小竹洋之)】
   戦  後  7  0  年 、
    朝 河 貫 一 が 求 め た 共 存 の 英 知 を                      ワシントン支局長 小竹洋之
【小竹洋之(こたけ・ひろゆき)プロフィール】 88年日本経済新聞社入社。経済部編集委員兼論説委員を経て、14年3月からワシントン支局長。専門はマクロ経済、財政・金融政策、国際金融。
【筆者が注目した記事】
・8月 6日 日経朝刊4面「戦後70年談話、14日軸に」
・8月 2日 日経朝刊2面「どう戦前に向き合うか」
・7月21日 日経朝刊1面「米キューバ国交回復、54年ぶり」
---------------------------------------------------------------------------------------------------
 米東部コネティカット州ニューヘブン。その人の墓はグローブストリート墓地の一角にあった。日本人で初めて米エール大教授を務めた歴史学者の朝河貫一(1873~1948年)――。明日8月11日は彼の命日に当たる。

■ 「 警 告 」 は 届 か ず

 「今や日本は国運の分かれ目に立てるものなり」。若くして渡米した朝河は1909年に出版した著書「日本の禍機(かき)」で、祖国の行く末を憂えた。日本が日露戦争の勝利に慢心し、中国で領土拡張に走るのなら、世界の中で孤立し、米国との衝突も避けられなくなると警告したのだ。

 この懸念は現実のものとなる。1941年、朝河は日米開戦を阻止しようと、フランクリン・ルーズベルト大統領から昭和天皇に親書を送るよう働きかけた。だが親書が届いたのは真珠湾攻撃の開始直後で、内容も朝河の草案とは別物と化していた。

 自由と平和を尊び、共存の英知を求めたという朝河。エール大の記念庭園や元オフィスを訪ね、存命中の書簡にも目を通してみた。日本の歴史を研究するダニエル・ボッツマン教授は「もっと多くの人たちが記憶にとどめる価値のある人物だ」と指摘する。

 第2次世界大戦の終結から70年。朝河がもし生きていれば、今の世界をどう評価しただろうか。

 「戦前は民主主義の代わりとなる強力な選択肢、すなわちファシズムや共産主義があった。戦後はそれほど強く民主主義と対峙するものがない」。最近会った米ハーバード大のジョセフ・ナイ特別功労教授はこう話していた。

 確かに世界の民主化は進んだ。米人権団体フリーダムハウスがまとめた2015年版のリポートによると、世界195カ国のうち完全な自由国家は46%、部分的な自由国家は28%に達する。世界人口の6割以上を占める46億人が、程度の差はあっても「自由」と呼ばれる国に住んでいる計算だ。

 英調査機関エコノミスト・インテリジェンス・ユニットが算出した14年版の民主化度指数を見ると、日本は世界167カ国・地域のうちの20位で、米国の19位に次ぐ。米国と戦火を交えた日本は大きな代償を払った末に、代表的な民主主義国家に生まれ変わったと言ってもいい。

 グローバル化や市場化のパワーはもっと強い。米国との国交回復で54年ぶりに再開したキューバの在米大使館。その両隣にはポーランドとリトアニアの大使館が並ぶ。1989年の冷戦終結を機に、かつての共産主義圏と資本主義圏の融合が加速したことを象徴している。

■  先 達 の 思 い に こ た え る か

 米共和党のフォード政権とブッシュ(父)政権で国家安全保障担当の大統領補佐官を務めたブレント・スコウクロフト氏は「世界経済はもはや異質の政治システムまで取り込んでいる」と語る。そんな統合の深化が決定的な対立の抑止力になっているのも事実だ。

 もちろん期待したほどの平和や安定が訪れたとはいえない。ロシアのクリミア編入、中国の海洋進出、北朝鮮の核開発……。地政学的な問題は今も後を絶たない。

 世界の相互依存関係が深まるなかで、危険な衝突を避けながら、国家間や地域間の利害をどう調整していくのか。戦後70年の教訓も踏まえ、朝河のいう共存の英知をもう一度問い直す時が来ている。

 安倍晋三首相は今週、戦後70年の談話を発表する見通しだ。先の大戦への痛切な反省を表明し、平和国家として歩んできた戦後日本の姿を強調したいという。その書きぶりは近隣国との緊張を高めるのか、それとも和らげるのか。日本の慢心を案じ続けた先達の思いにこたえる内容であってほしい。
      2 0 1 5 年 8 月 高 連 協 役 員 会 議 事 録

日 時:2 0 1 5 年 8 月 5 日(水) 1 5 : 0 5 ~ 1 7 : 2 1
会 場:エイジング総合研究センター会議室
出席者:川瀬健介、鷹野義量、玉木康平(記)、野島卓郎、東瀧邦次、樋渡泰典、穂積 恒、升田忠昭、森  保、若林建市、吉田成良、(以上理事・監事、参与)
議 長:鷹野義量理事
議  事
1.報 告 事 項
1) G U 国 際 会 議 を 終 え て
 升田理事より、7月21日~24日開催のGU国際会議が、主催のGUならびに共催のICIP(International Consortium for Intergenerational programmes)、JANCA、シーガルスクール、国連-ハワイの熱心な取組み等で成功裏に終了したと報告。同理事より、参加者は約140名、米国、日本、その他欧州・アジア諸国が3分の1ずつであったと報告。鷹野理事からはテーマに相応しく親子孫3代でこの会議、ツアーに参加しての所感と、高齢社会をよくする女性の会や高連協の参加者の様子について報告。穂積理事からは、自身がワークショップセッションⅡ“Age-Friendly Cities”に、また、FOIFAメンバーがワークショップセッションⅣの「バリアフリー、ユニバーサルデザインを使った包摂的環境建築」に発表者として出演しての所感。23日(木)夕刻からの樋口恵子代表を囲み日本からの参加者が一堂に会して親睦会を行ない、鷹野理事の名司会もあって、参加者それぞれについての理解や相互の親密感、連帯感が一段と深まり、25日に成田空港で解散するまで一同和気藹々の視察、旅行が続いたことを報告。玉木参与からは、樋口代表、杉江東園CEOおよびロバート・パットナム博士の基調講演、穂積理事のワークショップでの発表、「シーガルスクール」エバビーチ校・カポレイ校(幼児保育園)や「ザ・プラザ」ホーム(モアナルア。CCRC)を視察しての所感の報告。
2) 「 高 齢 社 会 フ ォ ー ラ ム・イ ン 東 京 」 を 終 え て
 参加者各位より、7月31日(金)開催の平成27年度「高齢社会フォーラム・イン東京」における樋口恵子代表による基調講演が非常に示唆に富み、聴衆にいろいろなことを考えさせるものだったとの報告。川瀬理事(平成27〔2015〕年度高齢社会フォーラム運営委員会委員)がコーディネーターを務めた第1分科会は、パネリストが健康長寿をテーマに語った鈴木隆雄氏に実践家2人を加えた構成がよかったのか、参加された人々からは高評価があった。他の分科会については、第2分科会は昨年同様、コーディネーターとパネリストが参加者無視の3時間で全く改まっていないとコーディネーターへの不満。第3分科会に参加した樋渡参与からは、昨年のフォーラムでは会場とのやり取りがない点が問題となったが、今年度は、その反省を踏まえ、会場との意見交換の時間をとっていたと報告。
3) 広 報 委 員 会 か ら
 事務局より、8月の広報委員会は翌6日(木)13:00~14:00に開催予定となっていることを報告注1。
〔注1〕◍ 8月の広報委員会(翌8月6日〔木〕13:03~13:57):①広場投稿エッセイのテーマの検討(「高齢社会フォーラム基調講演から示唆されたこと」、「安全保障関連法案を考える」)②高連協公開講座「シニアの健康寿命の伸長」等。出席委員:大橋忠夫、岡本憲之、鷹野義量、玉木康平、野島卓郎、堀内正範、吉田成良。
4) 「 談 話 室 」( た ま り 場 ) か ら の 話 題
去る7月9日(木)の高連協談話室について、議事メモを回覧しつつ、事務局から報告。7月9日は、野島理事より、「第6期(平成27年~29年)介護保険 第一号保険料(保険者別)」と題する資料について、たまり場参加者各々が住む市区町村別に打ち出してきたものを各人に配布のうえ、参加者各位の生活拠点での介護保険料の位置、地域包括ケアシステムの考え方について説明。同時に、ナルク東京事務所理事より、ナルクの新地域支援事業の中での日常生活支援への取組みに向けた現況についての報告等。
2. 検 討 事 項
1)「 シ ニ ア の 健 康 寿 命 の 伸 長 」
       ( 高 連 協 公 開 講 座 )(仮) の 開 催 に つ い て 
 吉田専務理事より、配布資料の開催プログラム、及び「開催に当たって」を説明。開催当日のプログラムには、この開催趣旨を見開き頁に、表4頁には高連協加盟の全団体名及び協力団体名を列記する。なお、厚労省後援は健康局に申請手続き中。さらに参加者募集は広く行わず、チケット配布で行う。等の説明に役員会は了承する。<検討した「プログラム」及び「開催に当たって」は別添え>
2) 後 援 名 義 依 頼
 日本心身機能活性療法指導士会より、2015年10月2日(金)~3日(土)に日本倶楽部(東京都千代田区丸の内3-1-1 国際ビル8階)にて開催する、第14回指導士国際交流研修大会について後援名義使用依頼。これについて役員会は全員が了承。
3.  そ の 他
1) ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー( 東 瀧 理 事 ) か ら
       前 回 役 員 会 に 続 い て の 提 案
 東瀧理事は、どの非営利組織も①自分たちの活動の使命・主目的が何かについて構成員がよく理解していくこと、②それを社会のどういう人にアピールしていくか、③それを受けた活動として社会のどういう人に協力・支援していくか、④分かり易い具体的な活動の実践等が肝要なのではないかと前置きし、同理事が生涯現役の理念を掲げて30年間その概念の普及に取り組み、都度、都度仲間で針路を討論し、微調整しながら進んできた結果、漸く構成員の人たちがそれをよく理解し、自ら進んでその活動に献身していただける段階になったこと、さらに、生涯現役の概念は政界、経済界、学会、報道分野と幅広く普及し、さまざまなところでそれぞれの視角から、その概念が取り入れられ、生かされていると語った。同理事は、そのような生涯現役概念ではあるが、それの究極目的は本人の自立にあると述べた。同理事はさらに、高齢者関連団体は高齢者だけが会員として集って議論するのではなくて、もっと若い世代も会員として、一緒になって目的を定め、施策を討議すること、そして、使命感の達成に向けて企業に働きかけることが必要なのではないかと主張。そして、同理事は、先般ライフ・ベンチャー・クラブの役員に集まってもらったが、その時、上田・岡本・野島高連協3理事にもオブザーバーとして参加していただいたので、本日この役員会に出席の野島理事に所感を述べてもらいたいと野島理事に水を向けた。
 これを受けて、野島理事は、使命感も目的も分かるし、私の所属するさわやか福祉財団では、活動そのものの背景には生涯現役概念がある。そして、企業への働きかけも現在行っている。そのうえで、さわやか福祉財団が東瀧理事のおっしゃるような企業へ働きかけを行うとしたら、具体的に何を行えばいいのかが分からないと回答。
 それを皮切りにして、東瀧理事と役員会メンバーのあいだで具体的な取組みとして何をどうするかについての意見交換が行われたが、十分な理解を得るに至らず、会議は時間切れとなった。
2)  次 回 役 員 会 に つ い て
 次回役員会は 2 0 1 5 年 9 月 9 日(水)1 4 : 0 0 ~ 1 6 : 0 0 、
 会場:エイジング総合研究センター会議室。議長は野島理事。 以 上(玉木 記)
第 3 5 6 回 生 涯 現 役 シ リ ー ズ 塾
     生  涯  現  役  に  取  り  組  む  第  八  弾
         生涯現役社会づくりではオンリーワンの生涯現役実践道場

日 時: 2 0 1 5  年  8  月  2 6  日 (水)
〔生涯現役実践塾〕   1 7 : 3 0 ~ 1 9 : 3 0 

会 場: 八  重  洲  口  会  館   会  議  室
       東京都中央区八重洲1-7-20  八重洲口会館 B2F
---------------------------------------------------------------------------------------------------
テーマ:  ③生涯現役サミット 事前
    「 わ た し の 生 涯 現 役 社 会 づ く り
                    挑 戦 の ご 報 告 」
進行役; 東 瀧  邦 次 
      ( 日本生涯現役推進協議会・NPOライフ・ベンチャー・クラブ 代表 )
---------------------------------------------------------------------------------------------------
講 師:  柳 原  正 年
       ( 富山社会人大楽塾 代表/日本生涯現役推進協議会 理事 )
略 歴: 平成12年、大手生命保険会社定年退職と同時に「富山社会人大楽塾」を設立。生涯現役健康生きがいづくりプラットホームづくりにチャレンジ。設立15年に当たる平成27年には「高齢社会」対応の「健康福祉インストラクター」養成事業を立ち上げ、生涯現役リーダーづくりに取り組んでいる。
講 演A: 「 生 涯 現 役 コ ン ビ ニ サ ロ ン ・
          社 会 人 大 楽 塾 の 全 国 展 開 」
内 容: 高齢コミュニティサロン(社会人大楽塾チェーン)の全国展開実証実験を開始。その第一弾として団塊女性のエンパワーメント事業「健康福祉インストラクター」養成を開始した。生涯現役というと男性向け言葉を女性向けに「健康福祉インストラクター」とネーミング、中高年女性のパワーを生涯現役社会に寄与することにより、シニア男性のプロデューサーへの参加意識を高めようとするもの。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
講 師:  八 久 保 宜 美
( 株式会社 スリービーンズ 代表取締役 )
略 歴: 2012年(株)スリービーンズ設立。シニアでもできる仕事ではなく、シニアならではの仕事創出に工夫を凝らす。特に介護事業所の生活相談人に着目し、説明会やセミナーを開催。介護業界全体の底上げを図るべくシニアの知恵活用に最重点。また専門学校で若い生徒に仕事に役立つ実務パソコン指導。平成流就活術やビジネスの基本は、転職や起業を目指すシニアにも有効。シニアの創職(就業&起業)に情報発信の側面から支援事業を展開活躍中。
演 題B: 「 ネ ッ ト 展 開 は 一 夜 に し て な ら ず ・
           突 破 口 に す る た め の 発 信 力 」
内 容: 弊社が運営する「デイサービス生活相談員ネットワーク」サイトを月間3万アクセス数にする迄の努力・独創的ノウハウでやってきたこと、これからやらなくてはならないこと、ネットから得たもの・失ったものなど実例でご紹介します。ネット活用のためには何が必要なのかが必ず判ります。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
講 師:  井  上    仁 
      ( フクシマ復興応援ネットワーク事務局 PJ実行責任者 )
略 歴:1983年から企業や自治体のプロジェクトマネジメントの実践研究を行う、ベルヒュード国際経営研究所を主宰。フクシマ第一原発5、6号機が位置する二葉町で幼年、少年期を過ごす。「フクシマ問題は長丁場、原発被災者の自立、生活再建は全国民的対応課題」という思いで2014年フクシマ復興応援ネットワークを立ち上げる。現在フクシマだからこそ「子どもたちの安全・安心で健康な農業の開発・導入をめざすプロジェクト」推進の実行責任者として活躍中。
演 題C: 「 生 涯 現 役 パ ワ ー で
         フ ク シ マ 再 生 農 業 ビ ジ ネ ス 開 拓 」
内 容: 自然栽培のやぶ田ファームで「有機JAS認証野菜」を省力、低コスト、高生産性で栽培する「環境保全型ハウス有機農法」の実証栽培プロジェクトを立ち上げ。その実績をもって日本太陽光発電プランナー協議会理事企業3社と提携し、フクシマに太陽光発電・売電とセットにした「ソーラーシェアリング」農業ビジネスとして導入を図るプロセスをご案内します。     
--------------------------------------------------------------------------------------------------
講 師:  武  井   昭
      ( 有限会社 介護けやき・ NPO 市民ビジネス サポートセンター 代表 )
略 歴: 1992年情報関係の会社を退職後、中小企業診断士登録・経営コンサルタントとして独立、NPO法人 市民ビジネスサポートセンターを開設し、理事長として。商店街支援、創業塾開塾。2003年高齢者介護の(有)介護けやきを設立・代表取締役として世田谷区内の高齢者介護事業経営で現在に至る。
演 題D: 「 生 涯 現 役 実 践 家 と し て
           地 域 社 会 で の 生 き が い 人 生 」
内 容: 人生マラソン59歳でサラリーマン生活を終了。コンサルタントとして自主独立の自営で、数社の経営支援、NPO法人を設立し世田谷区内の創業者支援。障碍者教育、任意団体せたがやアンビシャス設立の支援。69歳にて有限会社介護けやき設立。高齢者介護事業を創立し世田谷区内の高齢者介護に当る。認知賞高齢者の増加に伴い明2016年度は、区内高齢者対象施設設立に向け鋭意開設準備中。
---------------------------------------------------------------------------------------------------
講 師:  高 橋   育 郎
       ( 心 の ふ る さ と を 歌 う 会 代 表 )
略 歴:1935年生れ。国民学校入学・卒業生として激動第二次世界大戦時の荒波にもまれた。1953年旧国鉄入社、中央大学法学部夜間部卒業。関東支社、千葉鉄道管理局と管理部門を歩き、民営化JRを1年経験した後に退職。第二の人生でLVクラブ生涯現役実践道場に出会い今日に至る。その間「心のふるさとを歌う会」創設を始めとして日本童謡協会にも入り、同人誌等により作詞作曲の機会を得る。
演 題E: 「 奇 跡 を 生 み だ す
         生 涯 現 役 社 会 づ く り の 全 国 展 開 を ! 」
内 容: 生涯現役を継続すれば奇跡が生まれるという話。1989年LVC入会当初の教訓では、自分の得意技を活かして、世のため人のためになるよう励むこと。そして脳力開発の教えで、人生冒険に邁進してきたた。得意技は歌を歌い曲を創る、それはシンガーソングライター。幸いにも歌の道を歩みたい念願を叶えられた。歌の会はじめ童謡協会での夢も実現、周囲に喜びや勇気を与えられる奇跡の感謝人生。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
講 師:  島 崎   甲 介
      ( 株式会社ショーテル 相談役 )
略 歴: 2000年に(株)リクルート発行の求人誌「タウンワーク」立ち上げに参加。日本生涯現役推進協議会が目論む独創的な民主導『生涯現役社会づくり』実現への革新事業システム展開に向け、定年予備軍を抱える企業ニーズに対応しながら、サイト活用の生涯現役生きがい増進型の雇用創出策を協働開発中。
演 題F: 「 生 涯 現 役 社 会 実 現 へ の
           共 感 ネ ッ ト ワ ー ク 開 発 推 進 」
内 容:いまや「生涯現役」という言葉が当り前のように使われているが、「生涯現役」を実現できる土壌はまだまだだ。生涯現役の実現のためには、個人の幸せの実現と企業のニーズが合致することが必要。 そのため「生涯現役社会」創りを目指す人たちと企業のネットワーク構築必要性を共有に鋭意努力中。
******************************************************************
参加費: 会員/ 1 , 0 0 0 円   一般/ 2 , 0 0 0 円
申込先: NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ事務局
    東京都中央区八重洲1-7-20  八重洲口会館 B2F
電話:03(3517)6667    Fax:03(3517)6668
E-mail: info@sgsk.net or lvcinfo@sgsk.net
URL:http://www.sgsk.net or http://sgsk.net/70890
………………………………………………………………………………………

第 3 5 6 回 生涯現役シリーズ塾 参 加 申 込 書   
                           2015 年 8月  日
  NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ 事務局 宛

氏 名:_______________     

TEL or FAX or Mail __________________           

< 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 >