日  本  生  涯  現  役  推  進  協  議  会  &
   NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ  の
        ご 支 援 く だ さ る ご 関 係 ・ 会 員 の 皆 様 へ
 
  皆様から日ごろフクシマ復興再生へお寄せ戴いていますご支援にあらためて感謝申し上げます。この度のフクシマメールマガジン「FMM No.16」は、代表吉川謙造の「この1年間の活動を振り返って」とさせて戴きました。
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FMM No.16
この1年間の活動を振りかえって

フクシマ復興応援ネットワーク                                     代表 吉川 謙造

 フクシマ復興応援ネットワークが発足して1年が経過しました。多くの方々のご支援、ご協力を戴きながら活動を続けてまりましたが、まだまだその役割が十分に果たせたとは言えない状態です。というより、はるかに遠い道のりと言わざるをえません。それでも本ネットワークは、フクシマが直面している多くの課題の中から代表的な13のテーマを上げ、その現状についてできるだけ正確かつ詳細な情報の収集、発信をするよう心がけてまいりました。

 フクシマ復興には、多くの課題に同時並行的に取り組まなければなりません。しかし、初年度に何か一つでも復興のシンボルになる前向きな活動ができたらと考え、「フクシマはもともと農業県。避難生活をする被災農家の皆さんが原発被曝の悲惨さを克服し、自然と一体となった安全・安心で健康な農作物をつくる農業で、元気と誇りを取り戻してほしい」という思いを込めて、「フクシマ再生農業」の開発と導入に焦点をあてた活動に取り組んでまいりました。
 
 特に、農水省が環境保全型と認定する「深層土壌加温方式」と硫安等の化学肥料や農薬を使わない「自然有機栽培」を一体化した農法を「環境保全型フクシマハウス有機農法」と命名し、当農法の実証栽培に向けた準備と原発被災農家の参加を支援するための資金公募を行ってきました。
 このたび、これまで皆さんからお寄せいただいた支援金を原資として、原発被災農家の当農法へのさらなる参加拡大を支援する「フクシマ再生農業基金」を設立させていただきました。 詳しくは、次のをサイトをご参照ください。「http://www.belhyud.com/001.htm

 もちろん、これ一つで地域の産業と雇用問題が解決できるものではありませんが、フクシマの復興は先ず、第一次産業からと考え、風評被害で苦しむ「フクシマ農業」の再生を最優先課題としました。地域に根付いた農業が復活すれば、人も戻り、商店など2次、3次産業と地域コミュニティの復活へと結びつくことを期待しています。あらためて、今後の皆様のご支援を宜しくお願い致します。

 その一方で、誠に残念なことですが、帰宅困難区域はまだ広大で、何時になったら帰還できるか見通しさえついていません、今も10万人を超える皆さんが仮設住宅居等で避難生活を送っています。除染の完了宣言が出た時、どれくらいの住民がもとの生活に復帰するかは誰にも予想できません。
 また、東北3県の震災関連死者数の推移が公表されています。岩手県は200人から400人どまり、宮城県は600人から700人どまりですが、福島県は800人から1800人へとズバ抜けた数字になっています。問題は今も増え続けており、この数字は既に津波による直接死者、行方不明者数を超えようとしていることです。この点からもフクシマの災害は終わっていない、進行中とさえ言えます。

 被災4年が経過して、除染土の中間貯蔵施設建設はよおやく動き出しました。しかし、最終処分地については、まだ何も決まっておらず、仮置き場には膨大な除染土が残されままというのが現状です。これに加えて、当初まったく想定していなかった汚染地下水の問題があります。爆発を起こした原子炉建屋の下に、毎日多量の地下水が流入し、高濃度放射能に汚染されています。これは海に放出できないため、地下水の流入を減少させる止水工事が検討されています。東京電力は凍土壁工法を採用し、今後この工事を本格化させるとしていますが、種々の理由から検討期間が長引き、4年経っても本格的な工事開始は大幅に遅れたままです。
 現地では懸命の努力が続けられていますが、先ずは早期に汚染地下水問題を解決し、廃炉工事の速やかな進展とともに、福島県の第一次産業が汚染の風評被害から一日も早く解放されることを祈るものです。
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5月8日                                             
フクシマ復興応援ネットワーク
事務局 井上 仁                                            http://www.belhyud.com/00.htm
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     J.I.メールニュース No.706 2015.05.21 発行 
「『Be』をこよなく大切にするまちづくりと、市民総幸福の条例づくり」 
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<巻頭寄稿文>

「『Be』をこよなく大切にするまちづくりと、市民総幸福の条例づくり」 
                          京丹後市長  中山 泰
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  今、住民の価値観が多彩になり、人や社会が向かう方向、行政が直面する課題も多様化しています。

  そんな中、行政として「今あること」、あるがままの「Be」をこよなく大切にする、感じることが、まずもってとても大事だと思っています。

  そこから、いろんな豊かさ、魅力、価値、宝が自然と見えてくる。そして、自ずと動くべき方向に引き寄せられるのだと思います。

  特に東日本大震災の後、まだ社会経済全体の閉塞感も残る昨今、世の中をじわっと感じ受けてみれば、許容できない犯罪や事件が顕在化する一方で、「人と人の支え合い・たすけ合い、人の絆」など伝統的な価値観や美徳の大切さがさまざまな形で浮き彫りになり、わが国社会が改めて自らの「あるべき原点」を探り求めているように感じます。

  京丹後市では、人や社会が目指す「原点」に、誰もが願う「幸福、幸せ」という普遍的な価値が厳然と通底していることを改めて見つめ、行政の目指す方向を支える羅針盤として、昨年、本市基本条例・総合計画への反映と「市民総幸福のまちづくり条例案」の策定(議会審議中)(※1)を行いました。

  一昨年、「幸せ度市民アンケート」を実施。特徴的な点として、『1』幸福度の向上には「雇用、家計、健康、家族等関係」など日常生活の安定が重要であること、『2』「他人の喜びや人のためになることをしたい」と考える度合い・ボランティア行為と幸福度向上とに一定の相関関係があることなどが明らかになりました。

  このことを踏まえ、(1)様々な分野でセーフティネットを構築し、日常生活の安定に貢献する=「公助」、(2)支え合い・助け合う適切な環境づくりをする=「共助」が、それぞれ「市民総幸福のまちづくり」の上で大切だとして、条例に理念として盛り込み、その取組みを進めています。

  例えば「共助」では、本市の労働者協同組合さんと、府県をまたいだ大阪市西成区の臣永区長、関係者の皆さんと連携して、「本市の就労支援対象者が育てた農作物を、西成区の生活困窮者に提供し、“喜ばれるご様子や笑顔”を“働く喜びと力につなげる”、“双方ともに自立のインセンティブを得る”」という、地域をこえた支え合いの取組みを昨年から始めました(※2)。

  また、「公助」の一環として、市民一人ひとりのいのちに真剣に向き合い、人のいのちが尊ばれ一番大切にされる社会づくりを目指して、平成23年に「自殺のない社会づくり市区町村会」(※3)の結成に尽力しました。そして現在、全国285の市区町村、12の都道府県、ライフリンクの皆さんと連携した取組みを開始しています。

  このように、「市民総幸福のまちづくり」を通じて、支え合い・助け合う環境が社会の中に縦横に編み込まれ、ひいては生き心地のよい、自殺のない社会の体質づくりにも貢献していきたいと念願しています。

  人は誰でも、ご先祖様からいのちの何兆・何京、無量のつながりをいただいて、今ここに「ある」。人として「ある」というだけで、かけがえのない尊さの中で、限りない可能性に光り輝いています。

  「市民総幸福のまちづくり条例」を揺るぎない基盤にして、誰も置きざりにされない、一人ひとりがこよなく大切にされる環境づくりに努めていきたい。

  そして、限りない可能性にあふれる市民一人ひとりの力を合わせて進む「和のちからが輝くまちづくり」を、着実に、豊かに進めていきたいと願っています。

(※1)「市民総幸福のまちづくり条例案など総幸福のまちづくり」
 http://www.city.kyotango.lg.jp/kurashi/oshirase/kikakusomu/kikaku/kouhuku/00001/index.html
(※2)「京丹後市と大阪市西成区の地域をこえた支え合い」
     http://yorisoishien.com/
(※3)「自殺のない社会づくり市区町村会」
     http://localgov.lifelink.or.jp/
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中山 泰   (なかやま やすし) 
昭和35年生まれ。京丹後市峰山町出身、京都大学卒。昭和60年4月に総理府・総務庁入庁。その後、沖縄開発庁長官秘書官、内閣府総合規制改革会議事務室次長などを歴任。平成16年4月に旧6町が合併して誕生した京丹後市の初代市長に就任し、現在3期目。その他公職として、京都府自治体病院等開設者協議会会長、全国青年市長会会長(平成22年8月~平成23年8月)、京都地方税機構 広域連合長の職に就いている。
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*みなさんのご意見をお待ちしています。(800字以内でお願いします)
 info@kosonippon.org
 いただいたご意見はバックナンバーと共に「読者の声」として以下に掲載しています。
http://www.kosonippon.org/mail/index.php      
  昨日の当Blogで転載ご紹介の 、“ あなたは「会社」で言われた通り働き続けていいのか ” の自己の見直しを迫られるサイトご紹介にどう反応されたでしょうか?
  実は、昨日付の日本経済新聞朝刊社説記事に以下のような「ミドルの転職支援に力を」と題した関連する大切な記事を見かけましたので、これもご参考までに以下で転載ご紹介します。どうか『生涯現役プロデューサー』仮ご登録の皆様だけに限らず、ご意見のある方はご遠慮なく日本生涯現役推進協議会事務局宛にお電話なりメールご連絡いただけると有難いです。
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【 2 0 1 5 / 0 5 / 1 9 付日本経済新聞朝刊:社説 】

    ミ  ド  ル  の  転  職  支  援  に  力  を   

  労働力の不足が深刻になるなか、活躍の場を広げたいのは女性や高齢者に限らない。産業構造の変化などを背景に、これまで培ってきた技術を発揮できる職務やポストが、社内で得にくくなってきたミドル社員もそうだ。

  ミドルが別の企業に移りやすくする必要がある。彼らの力を社会全体で生かさなくてはならない。

  いわゆる「社内失業」状態にある人は衰退産業を中心に現在200万~300万人に上るとされる。多くはミドル層とみられる。

  バブル期入社の社員が50歳前後で大量にいる。同じく大量採用された団塊ジュニア世代はまだ40代前半だ。企業は成熟分野からの撤退を進めており、今後、余剰人員問題は深刻になる恐れがある。

  一方で経験を重ねてきた人材へのニーズは高い。中小企業庁の調査では、中核となる人材が足りない中小企業は、研究開発・製造で57%、国内営業で51%ある。余剰な人材を必要な企業へ移す仕組みの整備が急務だ。

  40代や50代での転職はリスクが大きいため、ひるみがちになる。政府は新しい職種や業種に必要なスキル(技能)の習得に力を入れるべきだ。

  公共職業訓練の内容を民間事業者の活用によって充実させたい。訓練を受ける人に直接補助するバウチャー(利用券)方式を取り入れ、受講者が施設を選べるようにすれば、施設間の競争によって訓練の質向上につながる。

  職業能力の評価制度を整えることも企業の中途採用を増やすには欠かせない。人材を求める企業はミドルを対象としたインターンシップ制度もかんがえてはどうか。

  職業紹介でも、民間人材サービス会社が活動しやすくなるよう、規制の見直しが待ったなしだ。

  労働時間でなく成果に賃金を払う「脱時間給」制度の新設などはもちろん大事だが、日本が成長するためには、人が企業の枠を超えて柔軟に移れる労働市場づくりが劣らず重要だ。政府は雇用改革にさらに力を入れてもらいたい。
  日本生涯現役推進協議会&NPOライフ・ベンチャー・クラブの活動に関心をもっておられる関係者から、次のようなAmazonサイトの紹介をいただきましたので、ご参考までにご案内します。 【アマゾン図書紹介サイトより転載】

  君 は た だ 「 会 社 」 か ら 言 わ れ た と お り に
          働 き 続 け る の か ?

  “起業”と「企業で働くこと」は一見、相反するようだが、起業家のように自己成長を続け、同僚や部署、会社をも牽引する働きかたは、企業にいながらでも可能だ。

   企業に勤める人たちとベンチャー経営者。彼らと間近で接して来てつくづく思うこと。それは、「起業家」マインドが必要なのは、ベンチャー経営者だけではない。企業で働くにしても、「起業家」のように考え、動くことが必要だ、ということだ。

● 「起業家」マインドを持つ

  起業のリスクは取れないと思っている君は、なにも起業することはない会社の資産と看板を使い、世の中にインパクトを与える仕事をしよう。企業において、どんどん出世して行く人、あるいは、やらされ感なく楽しそうに仕事をしている人は、例外なく「起業家」マインドを持って自律的に働いている。

  これまでに私が組織人事コンサルタントや大学教員としての経験の中で出会ってきた、「起業家」マインドを具体的な行動に落とし込んで仕事を進める「企業人」が一体どうやっているのか、若いビジネスマンに伝えたいことを中心に構成したのが、本書だ。

● 慶応大学SFCで人気授業“リーダーシップ論”の教鞭をとる著者が、すべての社会人に問いかける

本書は、5年後の自分を描けない君への手紙だ

  20代後半~30代前半、私のゼミの卒業生に対して手紙を送るという形で筆を進めている。また、起業家やアントレプレナーといわれる人たちの残した名言からは、学びが多い。それらはそのまま読者へのメッセージとして、各手紙の最後に付した。

[目次]
はじめに                           
Chapter0 君はただ「会社」から言われたとおりに働き続けるのか?
Chapter1 志をもつ
Chapter2 起業家のように仕事をするうえでやるべきこと
Chapter3 大きな仕事は企業でこそできる
Chapter4 転機をつくる
Chapter5 企業内で勝っていくためのスキル
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とても良い本だと思います。
  独立だとか転職だとかが取りざたされ、日本企業の弱さや欠点ばかりがフォーカスされる中で、そもそも企業内で働くことにも十分価値があり、また事故を成長させられる大きな機会があるということを感じさせられた、
  企業、つまり法人は法律上において擬人化された存在であるが、現実的な運営、営みの中では、確かに「人」によって成り立っている。その「人」は、最高決定者の社長だけを指すのではなく、そこで働くあらゆる従業員を含んだ意味での「人」によって成り立っている。
  社長がだめだとか、上司がだめだとか愚痴をこぼす人が多い中で(私もその人ではある…)、会社を愚痴をこぼしたくなるような状態にしたのは、だれの責任でもその会社で働く「人」の責任であり、それは逆に言えば会社を変えることさえもできるということである。本書を読み、会社で働くどんな人でも会社を変えられうる、ということをはっきりと気づかされた。
  愚痴を言うのではなく、どうやったら会社が良くなるのか議論する。いやいや会社に行くのでなく、会社を変えるという意思を持って嬉々として会社に行く。もちろん、それらはものすごく困難なものであろうが、可能性は0ではないからこそ、そして人生の中で最も多くの時間を費やす場所だからこそ、ポジティブに向かっていかなければと強く思った。
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  企業に働いていて、「仕事はつらいだけで、面白くともなんとも無い」と考えたり、「ただ食べるだけの手段」と考えてしまう時に読むと、元気をもらえます。どうすれば前向きに取り組めるのか、そのための考え方や事例が満載です。
  また、読者へ向けた手紙という書き方なのですが、分かりやすく丁寧で、またこちらの考えに関して図星をつかれるため、本の内容にぐいぐい引き込まれます。ビジネス書にありがちな、いやらしい上から目線ではなく、丁寧に教えて下っています。
  私は営業職なので、こうした本をそれなりの数読んでいるつもりですが、著者のほかの本同様に、あるいはそれ以上に腹におとすことができ、元気をもらえました。
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  会社に入って数年した卒業生へのゼミ教授からの手紙という形で、各章は進んでいく。若い世代のビジネスマンだけでなく、すべてのビジネスマンが読んでおくべき内容だと思うが、内容は実に平易。しかし、書かれている内容は、厳しく実現するには大変な努力が必要なハズ。

  私の周りには私を含めて昔タイプサラリーマンは、うじゃうじゃいるが、市場価値はおそらく年収の数分の一というのが実態。その点を若いうちから意識して努力を重ねていくことは、非常に今後大切であることは自明の理。

$0 君はただ「会社」から言われたとおりに働き続けるのか?

$1 志をもつ
 出世しなくてもいい
 言われたことをやるだけで終わらない
 上司のポジションのイメージを持って働く
 自分がどうなりたいかよりも大切なこと

$2 起業家のように仕事をするうえでやるべきこと
 ビジョンを持つ
 ビジネスプランとは何か
 プロフェッショナルとして仕事をする覚悟を持つ
 自身がどれだけ価値を生むか
 リーダーシップを発揮する
 腹を括る

$3 大きな仕事は企業でこそできる
 会社でやる意味を常に意識する
 会社のリソースを使い倒す
 社内外のネットワークを作る
 チームを最大限利用する

$4 転機をつくる
 社内で起業、転職できるのが企業にいる最大のメリット
 新規事業に手を挙げる
 難易度の高い仕事を引き受ける
 傍流の仕事が君を成長させる
 出向は成長のチャンス
 あえて畑違いの部門を希望する
 海外業務研修や留学のチャンスは積極的に利用する

$5 企業内で勝っていくためのスキル
 最速か最高でないと勝てない
 常に市場価値を意識する
 上司とけんかしない
 アサーション
 表現力
 影響力
 存在
 社内政治
 チャレンジ
 学習

$そうやって来た君はどこでも活躍できる
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  本文中に出てくる仕事のモチベーションが下がっている教え子さんとまさに同じような状況だったので、すいすい読み進めることができた。気持ちの持ち方や、成功している方の事例など、ちょうど社会人3〜5年生くらいにちょうどよい本だと思いました。
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  働き方に関する、有益なアドバイスが読めます。印象に残ったフレーズを以下にいくつか紹介させていただきます。
● キャリア・ビジョンを持つと、日々の仕事のやり方がそのビジョンを実現することに繋がっていく。
● 上司をリスペクトしながら、いかに対等に話をするかが重要なんです。
● 単に自分のやりたいことを主張するのではなく、会社としてこれが必要なんだという提案を。
● Quick & Dirty(早いということは何よりも価値がある)
● エンプロイアビリティ(雇用されうる能力)を意識する。
● 一目、二目置かれる存在感。
● プライベートでの挑戦やネットワークから仕事のアイデアを得る。
  ただし、「起業家のように」というのは、自分の頭で考えて主体的に働くように、という趣旨は分かるものの、やや看板倒れのように思えました。最大ボリュームを占める最終章(Chapter5)の標題は「企業内で勝っていくためのスキル」ですし、「起業家のように仕事をするうえでやるべきこと」という標題のChapter2で書かれているのは、プロフェッショナルとして仕事をする覚悟を持つ、とかリーダーシップを発揮する、とかいう次元にとどまっているためです。
日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会  &
  NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ    ご  関  係   皆   様

今日もお元気に「生涯現役社会づくり」推進活動のご支援を感謝します。

来週5月27日(水)第353回「生涯現役シリーズ塾第五弾」と同日に開催
の五月定例理事会ご案内をさせていただきます。毎回開催シリーズ塾
にはご研究に熱心な全員主役となった皆様方が多数ご参加されます。

どうか添付ご案内をご高覧の上、皆様建設的「生涯現役社会づくり」へ
力を合わせ、純民間主導の国民運動に盛り上げていきたいと存じます。

どうかそのためにも、30年間永続開催する『生涯現役塾』に事前予約
をいただき、下記のお申込書でご返信をいただけますと助かります。

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『あなたと日本を元気に!』させる 生涯現役実践道場への 積極ご参加で
あなたご活躍の地域から 次々と民活力盛り上がりの大輪が拡がります!
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2014年秋期:実施/2015年春期&秋期:開催日(各土曜13:30~16:50)
①Summit 11/8(済)  ②Summit 4/25(土・予定)  ③Summit 10/17(予定)
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2015年4月開催日時(理事会/15:30 & 生涯現役塾/17:30) ~ 2015年9月
4/13(日時:要注意)   5/27   6/24   7/22   8/26 9/16
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日  本  生  涯  現  役  推  進  協  議  会
   NPO法人  ラ  イ  フ ・ ベ  ン  チ  ャ  ー ・ ク  ラ  ブ
               代  表   東   瀧    邦   次
TEL:03-3517-6667          FAX:03-3517-6668
E-mail: info@sgsk.net     or     lvcinfo@sgsk.net
URL: http://www.sgsk.net       Blog: http://40591.diarynote.jp/
Facebook : http://www.facebook.com/sgsk.net
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       【 第 3 5 3 回 生 涯 現 役 塾 予 約 申 込 書 】
2015年 5月  日

NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ 宛
   5月27日(水)開催:『第353回生涯現役塾』に参加予約します。

氏 名 ____________________

Tel or Fax or E-mail ______________

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第3 5 3回 生 涯 現 役 シ リ ー ズ 塾
     生  涯  現  役  に  取  り  組  む  第  五  弾
           生涯現役社会づくりではオンリーワンの生涯現役実践道場

日 時: 2015 年 5 月 27 日(水)
〔生涯現役実践塾〕  17:30~19:30 

会 場: 八 重 洲 口 会 館 会 議 室
東京都中央区八重洲1-7-20  八重洲口会館 B2F
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講 師: 棚  橋   正  光 ( NPO法人 ヒューレック研究会 会 長 )
略 歴: 大手アパレル企業に勤務されていて現在も顧問、その他に企業向け携帯普及の立役者として通信系有力企業で役員をされており、現在も大手情報系企業の展開するアイパットを活用したトータルソリューション等のアドバイザーとして五つの企業の顧問で活躍中。

講演A: 『  二  宮   尊   徳   に  学  ぶ
        「 利  他  の  実  践(たらいの中の水)」 』                      
内 容: 二宮尊徳研究で有名な棚橋正光先生をお迎えして「生涯現役」の有り方、生き方の羅針盤として「報徳思想(たらいの中の水)」を学びます。
     ※報徳思想(ほうとくしそう)は、二宮尊徳が説き広めた道徳思想であり、経済思想・経済学説のひとつ。経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく社会貢献に徹すれば、いずれ自らに還元されるのが天の理であると説かれる。
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講 師: 倉  本   俊  司 ( 株式会社 クラミー技術研究所 代 表 )
略 歴: 大手ガラスメーカーで研究、開発部門で活躍 開発一筋で現在もガラスに限らない柔軟な頭脳で次々と新しい技術や商品を開発しています。

演題B: 『  事  業  性  の  あ  る 
             シ  ニ  ア  発  の  独  自  技  術  』
内 容: なんと! 大津波が来てももう高台まで逃げなくても良い!
津波防災シェルター
自動車合わせガラスのリサイクル
廃蛍光灯の液中での蛍光粉除去 
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参加費: 会員/1,000円   一般/2,000円
申込先: NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ事務局
    東京都中央区八重洲1-7-20  八重洲口会館 B2F
電話:03(3517)6667    Fax:03(3517)6668
E-mail: info@sgsk.net or lvcinfo@sgsk.net URL:http://www.sgsk.net or http://sgsk.net/70890
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      第353回 生涯現役シリーズ塾 参 加 申 込書             2015 年  月  日
特定非営利活動法人 ライフ・ベンチャー・クラブ 事務局 宛

氏 名:______     

TEL or FAX or Mail _________        
 
  そ の 後 の 私 を 律 す る  “  行 動 指 針  ”  と な る

  その後、私は情勢判断学会の実行委員として、世話役を引き受けることになり、そこで出会い、ふれあった人たちの協力によって、ライフ・ベンチャー社の設立に漕ぎつけることができたわけだが、それもこれも、自分の手・足・口をフルに活用し、新しい出会いを大切にしようという脳力開発の手法のたまものであったと思っている。

  脳力開発にはじめて出会った箱根の大会は、私にとって、人生の後半を左右するほどの画期的なものであった。もちろん、脳力開発の技法がそれ以後の私の言動を律する “ 行動指針 ” となったことはいうまでもない。

  脳力開発の主唱者である城野先生とは、そのあと面識を得て、親しく接していただけるようになり、私の志向するライフ・ベンチャーに指導と助言を与えてもらう師となっていただいた。

  当初は、やはり、川岸の向こうに存在する “ 遠くて大きな先生 ” の感が強く、いかなあつかましい私でも少し臆するものがあった。

  しかし、不思議なもので、こちらが近づこうと努力すれば、その距離が見る間に縮まり “ 年下の友人 ” としての知遇を得られるものなのである。これも、一重に脳力開発の実践のおかげとといってよいかも知れない。

  城野先生には、年齢を感じさせない若さが漲っている。その特異な体験により極限の状況を会得したせいか、恐いものなしの活躍ぶりである。モノよりも、人や心のありどころに執着を覚えるようなタイプの意欲の人である。

  とくに、自己体験された脳力開発や情勢判断学を、自分の “ 塔 ” に閉じ込めてそそり立つのではなく、それを一つでも一人でも多くに活用させようと情熱を傾け、全国をとびまわっておられる。そんな城野先生の、自ら脳力開発を実践し続ける姿に、私は “ 男のロマン ” を感じてならない。  つづく
第 四 章  脳 力 開 発 と ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー

◎  城 野 宏 先 生 が 教 え る  “  脳 力 開 発  ”  実 践 法

  昭和五十七年七月、私は友人に勧められて、箱根湯本で行われた第一回「脳力開発全国大会」に参加した。 脳 力 開発とは、生まれて初めて接する言葉だった。私は大会後、主催した城野経済研究所に出向いて数冊の本を入手してきた。

  城野宏先生の著になる『脳力開発のすすめ』『情勢判断学』『状況判断の行動学』『転機の行動学』『挑戦の行動学』などである。どの著書にも、「愉快で幸せな人間生活は、脳の活動を整頓すること」から生まれ、「脳力開発学は、愉快で楽しい人生を創造していく行動学であり、実践の原理」である旨のことが書かれていた。

  城野宏先生は、大正二年長崎で生まれ、昭和十三年、東京帝大卒業と同時に中国に渡り、終戦まで中華民国山西省政府の指導に当る。戦後、山西省資源確保のため山西野戦軍副司令官として五十万の兵を擁して人民開放軍と戦い、昭和二十四年、首都大原落城により捕虜としてとらえられ、禁固十八年の判決を言い渡され、都合十五年に及ぶ監獄生活の後、昭和三十九年に釈放され、日本に帰ってきた。当年七十二歳とはとうてい思えない、実に人を魅きつける力のある、ヤング・ソルジャーというタイプの方である。

  現在は、城野経済研究所所長、(財)スポーツ会館理事長、日本アラブ協会副会長など数多くの役職について活躍しておられるが、この城野先生が過去の人生体験を集大成して、人間の自己実現とすばらしい人生の実践ために編まれ提唱したものが「脳力開発」であり、「情勢判断学」なのである。

  いずれも、万人平等に与えられた百四十億の脳細胞の活性化をはかり、危機の時代に必要な思考力や決断力を鍛錬し、積極的に行動化することをめざした誰にでも応用できる理論であり実践論である。

  泊りがけで実施された脳力開発全国大会の会場は、溢れる熱気で満ちていた。参加者は、二百四十人余りで、北海道から沖縄までの二十四都道府県におよび、大手企業の重役から中小企業の経営者、官庁の局長クラスから一般のビジネスマン、OL、主婦、大学生など、多士済々ぶりだ。

  大会は、思い思いの名刺交換にはじまり、各地区代表のスピーチに続いて、脳力開発の提唱者である城野宏先生の記念講演が行われた。それが終わると、星座別で編成したチームの討論会である。テーマは、「脳力開発で如何に自分が変わり、人を変えたか」であり、「脳力開発セミナー」であった。なごやかな夕食会、そしてアトラクションのあとは再び討論が夜深けまで続けられ、翌日、会員百万人をめざす脳力開発全国展開の戦略と戦術が練られて第一回の脳力開発全国大会の幕が閉じられた。

  私には、見るもの聞くものすべてがまったく新しい体験で、徹頭徹尾といっていいほど心を奪われるものであった。脳力開発の手法もおぼろげながら理解したし、戦略や戦術といった言葉にも、新しい意味を発見することができた。何よりも、参加した人たちの目の輝きと、きびきびした行動には、年齢を問わず圧倒される思いであった。これも、脳力開発を実践している人たちの自信の現われにちがいないと思い、私はその場で即座に、脳力開発の実践グループである「情勢判断学会」への入会を決意したのである。  つづく
  真 近 に 迫 っ た 定 年 後 対 策 と し て

  昨今のサラリーマンを取りまく環境には、厳しいものがある。とくに定年に近い熟年を迎えたサラリーマンには、酷なほどの状況が現出している毎日である。

  すでに、日本型年功序列は過去のものとなり、そこへの “ 安住 ” は許されていない。日本における定年退職は、決して “ ハッピー・リタイアメント ” ではなく、条件劣化を覚悟の上で、再就職に走り回らねばならないときだやってくるだろう。

  長寿社会の到来で、老齢年金の社会負担率についても自ずから限度が見えてきた。昭和七十五年には生産年齢人口の三人強で一人の老齢者を扶養しなければならなくなるのだ。

  一方で、核家族によって、将来の家族制度は崩壊し、老後を子どもに依存することは無理からぬ相談である。加えて、中高年層の離婚は増大し、定年後まもなくの自殺等も、じりじりと上昇している。

  「四十代で仕事に打ち込んで、何かをなしとげる人間でないと、五十歳を過ぎてからは組織の “ 寄生虫 ” となってしまう 」と、広言してはばからない企業経営者もいるほどだ。

  いわば、長生きするにもある種の覚悟が必要という時代に入ったのである。

  こうした現代だからといって、しかし、誰かが同情して助けてくれるわけではない。他人頼りの人生ほど、みじめで “ ネクラ ” を助長するものはない。“ 寄生虫 ” などまっぴらごめんである。“ 神は、自ら助けるものを助く ” なのである。

  そのためには、サラリーマンは常に、定年で失うものを自覚した上で、平素からの実力養成が必要になってくる。

  ビジネスマンとしての私は、この世に生を受けた以上、常に価値ある存在として、かけがえのない人間であるはずだ。自分だけにしか与えられていない人生を充実できる者は幸福である。そして、人は生まれてから死ぬるまで、絶ゆまず心豊かに成長し続けてこそ幸せな老後が実現できるはずだ。

  はっきりした人生目標とライフ・プランのもとで、こうした信念と自信を日々、行動で示すことこそ、わがベンチャー精神の実践なのである。毎日の生活の充実は、ベンチャー意欲の発揮によって約束される。熟年にして、己れの志と信念が確立され、なお、“ わが人生かくあるべし ” の決意が保てることは、大きな生き甲斐ではなかろうか。

  こうした人間としての “ 自立精神 ” は、定年間際になって、企業内失業者にならないためにも不可欠なものである。サラリーマンとして自立するためには、他者に頼らない“ 自助努力 ” が肝心であることはいうまでもない。

  自助努力といっても、何も特別なことではない。ビジネスマンとして精神的、身体的、生活的な自立をめざして、ありとあらゆる努力を自分自身に課すことに他ならないのだ。

  だから、ライフ・ベンチャーのもう一つの意義は、この自助努力に助言と指導を与え、相互に励まし合う場を提供し、その努力を長期的に支援することが大きな役割なのである。この自助努力の汗が、自分の内部に “ 脳力 ” として結晶できたときが、その人がベンチャー・マンとして成功した時なのである。

  自助努力の “ 脳力開発 ” とは、サラリーマンのための “ 老齢化防止 ” の対策であり、真近に迫った “ 定年後 ” 対策の対症療法、といってもいい。また、いつまでも青年のような “ 若さ ” を保つ精神療法でもある。

  私も、これからの夢ある人生を、決して無駄にすることなく、一人でも多くの人と喜びをともにし、感謝の祈りを捧げ、人間としてお互いに励まし合う充実した日々を、心から送りたいと思う。

  「信念」と「自信」と、「希望」とを、わが友として・・・。   つづく
◎  自 助 努 力 制 度 の 確 立 に む け て !!

  人  は  信  念  と  と  も  に  若  く
           疑  惑  と  と  も  に  老  ゆ  る
  人  は  自  信  と  と  も  に  若  く
           恐  怖  と  と  も  に  老  ゆ  る
  希  望  あ  る  限  り  若  く
           失  望  と  と  も  に  老  い  朽  ち  る

  私の大好きなサミエル・ウルマンの詩である。大好きというより、むしろ私の “ 骨肉化 ” された詩である。毎朝、めざめると同時に私はこの詩を暗誦する。仕事に詰まったり困難が押し寄せると、私は決まってこの詩をくり返し唱え続ける。「信念」「自信」「希望」・・・この三つのキィ・ワードが、ライフ・ベンチャーの魂であり精神だからである。

  若いときだったが、私には疑惑を抱き、失望と落胆を味わった時期が何度もあった。何かに挫折するたびに、人間不信に陥入り、絶望する “ 若気の時代 ” は、誰にでも少なからずあるものだ。そんな時、「世界は自分のためにあるはずだ」という思い上がりが潜んでいるものだ。周囲の人への心配りを忘れ、自分以外の世界があることに気づかず、自分さえよければという気持ちからは、真の喜びや充実は生まれない。

  「世界のために、私はある」のであり、「人々のためにも、私は生かされている」と思えば、たとえ少々苦しくてもそこに感謝の念が芽生え、本当の喜びが生じてくるものである。

  人は誰でも、心豊かな人たちと一緒になってともに歩みたいという願望をもっている。まず私自身が励んで、心身の豊かさを身につけ、それをもって、一人でも多くの人と人生の希望を語り合うことが、私自身の生き甲斐にもつながるはずである。“ 愛されるより、愛する喜びを知るべし ”、“ 与えられるより、与える喜びを学ぶべし ” の名言は、積極的なベンチャーの世界にも根を張っているのである。

  自分の信念を打ち立て、自身に裏づけされて、希望に生きるといったベンチャー精神の実践は、必ずや今日死んでも悔いが残らぬような “ 全力投球 ” の日々を過ごすことに通じていると思うのだ。もちろん、サラリーマンにとっても、こうした信念にそって、自分の人生目標をどこに見定めるかを確立することができれば本当に幸せである。

  「志立たざれば、舵なき船、くつわなき馬のごとし」であってはならないのだ。

  かの “ 経営の神様 ” であるドラッガー氏は、「経営者は、その企業の将来について、もっと時間と思索をさくべきである」と口を酸っぱくしていっている。

  それと同様、サラリーマン個人にとっても、自分自身の将来の人生設計に、自分だからこそ創れる生き甲斐にもっと真剣に本気で取り組むことが緊急の課題なのだと思う。   つづく
  自 腹 を 切 っ た 自 己 開 発 投 資 が 必 要

  また私は、も一つ、ビジネスマンのための“ 土・日会社 ”設立構想も数人の友人たちと考えたことがある。ちょうど、週休二日制が、大手企業に浸透しはじめた頃であった。

  せっかくの土・日曜の休日を、テレビを観てごろ寝ではいかにももったいないと思ったのだ。あるいは、休日にゴルフに遠出するのも、衰えていく体力を維持するにはいいかも知れないが、もっとビジネスマンらしい智力や能力を発揮できて、しかも充実した休日を過ごせる方法はないかと考えたのである。

  私自身はプロテスタントの信者として日曜日の午前中は参加できないが、土・日曜日を有効に使いたいと願うサラリーマンが集まって、それぞれの得意分野をテーマに、みんなで一緒に考えながら、“ 土・日会社 ”を運営していくといった試みもなかなか面白い発想であった。一企業にとらわれず、しかも年齢・階層もちがう人たちの集まりなので、思いもよらぬ知恵が結集できた。“ 一人一芸 ”なので、この会社の構想は、タコ足のように多くの部署ができたが、その一つのセクションを責任をもって運営するというのも楽しいプランであった。

  実益よりも、むしろ趣味や体力づくりをテーマにしたものが少なくなかったが、そのなかで私が提唱したのは、サラリーマンのための資産づくりであった。私は、それまでに自分が蓄積した財テクのノウハウを駆使した資産運用の体験学習を一人でも多くの友人に理解してもらいたかったのである。

  これは、企業と同じようにやがて到来する個人の信用格付け時代に備えての提言でもあった。

  私がサラリーマン時代に構想したこの二つの勉強会は、現在、中高生のためのライフ・ベンチャーズ・クラブとして、その思想も組織も、徐々に具体化されようとしている。

  サラリーマンが、自己啓発の旅に出ようとすれば、こうした社の内外での勉強会や学習会での実践が欠かせない。そして、その費用は、企業での将来に備えたR&D(研究開発費)と同様、原則として自弁でなければならない。自分で足を運び自費で参加するのでなければ“ 真剣味 ”がちがうのである。

  自分で費用を出した分に価するものを、必ず得てくるという熱意は、受け入れ側の主宰者や講師に必ず伝わるものである。勢い、おざなりのものや、お茶を濁す程度のものは、次回から願い下げという具合になるのだ。

  会社から命令支持をされた研修会だけに甘んじず、自己への研究開発意欲と努力があれば、R&Dに熱意のあるハイテク企業の株価同様、いつかはその成果が現われてくるものである。

  これからは、サラリーマン個人といえども、総収入の何%に自己開発投資の自腹を切っているかが問題となる。こうした“ 自己投資 ”の多寡が重大な岐路となることは目に見えている。

  サラリーマンとして現状に甘んじて、定年を迎えるか、それとも、将来の夢のために自己啓発と人脈づくりの苦労もいとわぬか、そして、自己を充実し、自己実現を図るためにどれだけ自己投資にかけられるか・・・ライフ・ベンチャーとは、いわずと知れた後者の姿勢を保ち続け、限りなく自己啓発と幅広い人間づくりに挑戦することにある。   つづく
◎  サ ラ リ ー マ ン ・ サ バ イ バ ル 戦 略

  これからの企業経営には、全従業員に希望をもたす経営者の明確なヴィジョンが不可欠である。激しく流動し、混迷する企業環境のなかで、経営者がポリシーを確立し、それが全社員に納得できる形でのシステムづくりが必要とされている。

  それに沿うための人材養成にしても、従来の社内集団的研修によるだけではなく、担当業務のレベルアップのみにこだわらない全人的な能力開発や、社内だけにとどまらず、社外でも活躍できる人材の活用が求められている時代なのである。

  低成長下でも業績を伸ばしている企業は、平素からそうした人材活用への目配りを忘れてはいない。企業の設備投資や資金の活用以外に、人的資産である“ 人材の活性化 ”こそが、現在、声を大にして叫ばれているのである。いわば、形の見えるハードから形の見えないソフトへと、社会は確実に歩み出しているのだ。

  こうした時代に、会社からいわれるまでもなく自ら進んで能力を開発し、自己啓発の手だてを講じない限り、サラリーマンとしては取り残されるばかりである。

  人間には、一生かかっても使い切れないすばらしい脳細胞を、みな等しく授かっているといわれる。そのもてる自分の脳力を活かし切るところに、その人の値打ちが輝やき、サラリーマンとしての評価も称されるのではなかろうか。

  私は、五年前、ちょうど四十五歳を過ぎたときに、“ 壮年メイフラワー・カレッジ ”なるものを空想したことがある。あの夢と信仰に燃えてアメリカに渡った「メイフラワー号」の人たちと同じように、壮・高年になっても生き甲斐を語り合う夢があっていいと思ったのである。

  つまり、“ 壮年の夢 ”を何ものにもとらわれず、てらいもなく語り合うことのできる“ 私設大学 ”である。その夢を単に自分だけのアドバルーンに終わらせないためにも、私は社外勉強会でその夢を育てていこうと思い立った。

  少人数ではあったが、毎月、開催される社外勉強会に出席すると、いい壮年たちが、心おきなく少年のような夢を交わし合っているものである。夢いっぱいのキャビンは、くつろげる喫茶店であったり、安い料金で借りられる区民会館でもあった。

  ビジネスや会社にとらわれない、自由な青壮年たちの集まりだったので、肩の力が抜けて、ストレスの解消になった。それ以上に、ふだんは喋らない人が、こんな夢をもっていたのかという人間再発見の驚きと、お互いに啓発される喜びとが大きかった。

  毎日仕事に駆り立てられる私にとって、私自身の秘めやかな“ メイフラワー・カレッジ ”は、一つのオアシスのように感じられた。そこで知り合った何人かの友人とは、実に初々しい心の友として、いまでも付き合いが続いている。   つづく
  企 業 内  “  ベ ン チ ャ ー  ”  の 試 み

  私は、その優良上場会社には、ちょうど区切りよく十年の間、在籍したが、その間の私の主な仕事は、財務資金の積極的な運用と、広報・研修室長として渉外担当のほか、社内教育の体系づくりの担当という二つが大きな柱となった。財務資金の運用に関しては、証券マン時代の経験や知識を生かし、“ 財テク の草分け”として、独特の余剰資金の運用制度をスタートさせ、およそ八年にわたって私なりの手堅い効率的投資成果の実績をあげることができた。財テクを活用して資金運用をはかることは、今でこそ盛んで、財務戦略として企業の“ 常識 ”となっているが、当時は、転換社債を含め株式投資については危惧の目でみられることも少なくなかった。

  また、上場企業の広報担当者兼渉外担当者としては、社外からの情報収集に意欲を燃やして積極的に人に会い、さまざまな交渉を重ねて調整をはかることも任務である。しかし、日々、新たな人と会い、次々と課題を消化していくことをいとも気楽にやっていると周囲から見られたせいか、会社に出入りする人たちの人生相談に預かったり、
自己啓発のやり方などについて意見を求められることなどもしばしばあった。そういうさまざまな人たちとの交わりの中で、私自身の人生においてやるべきことは、一企業の内部に留まるだけでなく、助言を求める人に対しての親身なアドバイスをするのも、ひとつの挑戦ではないかという気がしはじめていた。

  自己の限りない挑戦という意味では、これこそ、まさにライフ・ベンチャーなのである。耳を澄ませ、目を鋭くし、相手の立場を思いやって、なお自己を奮い立たせることは、サラリーマンにとってきわめて重要なベンチャー以外の何ものでもない。

  企業内にありながら独立採算の意識をもって、常に企業と自分自身の成長発展への道を求め続けることにベンチャーとしての生き甲斐を感じる。

  こうした職務と同時に、私は、企業の教育研修担当の責任者として、社外の教育研修会に参加して、他企業の自己教育法や、自己啓発手法を積極的に学び取ろうと努力した。

  より広い視野のなかから、教育研修法を貪欲に摂取し、その最上の部分を自企業に生かすことが、企業内における私の“ ベンチャー ”だったからである。

  自分の身近なところから、まずベンチャー志向の心を意識的にも育てあげることが、現在のサラリーマンに、とくに大事なことがらではなかろうか。   つづく
『第2回生涯現役サミット』参加者募集・運営企画に
    全面的なご協力ご尽力くださった  実  行  委  員  皆  様


平素『生涯現役社会づくり』の推進活動にご支援いただき感謝します。

特に25日開催『第3回生涯現役サミット』への集客・運営に関しては
格別のご尽力のもと、盛会裏に終えることができ有難うございました。

つきましては、生涯現役実践道場開設30周年の節目に当たる本年も
既に4ヶ月経過を踏まえ、本年後半の『生涯現役社会づくり』行動推進
への基本活動方針確認への臨時理事会を下記により開催いたしたく、
ご多用とは存じますが、万障お繰り合わせの上ご参集願い上げます。

なお、ご面倒をおかけしますが、ご欠席の理事・サミット実行委員の
方でご欠席の方は何卒重要な臨時理事会ですので、予めご連絡を
メールご返信お頼みします。用紙説明をその方方には明日の午前に
電話・またはメールで概要ご説明し、27日午後の5月定例理事会に
備えて予めご検討をお願いすることにしています。

                  記

日 時:2015年5月11日(月) 13:00~15:00
会 場:ライフ・ベンチャー事務所
内 容:
   1)  第2回生涯現役サミットに関する件
      (前売券・印刷費未清算分は当日迄にご協力頼みます)
   2)  第3回生涯現役サミットに関する件
   3)  5月以降の活動基本方針確認に関する件
      【当日配布予定資料】
      『生涯現役プロデューサー』要請プロジェクト案(2010年作成)の
       具体化計画につき、各推進役に5月27日(水)定例理事会迄に
       予めご検討お願いします。     

以上、どうかご勘案の上、皆様方の前向きなご意見ご提案をお願いします。

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『あなたと日本を元気に!』させる 生涯現役実践道場への 積極ご参加で
あなたご活躍の地域から 次々と民活力の盛り上がる大輪が拡がります!
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2014年秋期/2015年春期&秋期開催日(各土曜13:30~16:50/都しごと財団)
 ①Summit  11/8(済)    ②Summit  4/25(済)   ③Summit  10/17(土・予定)
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2015年5月(理事会/15:30 &生涯現役シリーズ塾/17:30)~10月【※時間変更】
  5/27     6/24     7/22      8/26     9/16    10/28
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日  本  生  涯  現  役  推  進  協  議  会
      NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ
              代 表   東   瀧     邦   次      
TEL:03-3517-6667       FAX:03-3517-6668
E-mail: info@sgsk.net     or    
lvcinfo@sgsk.net
URL: http://www.sgsk.net    
Facebook :
日本生涯現役推進協議会 & NPOライフ・ベンチャー・クラブ
   JDESコーディネート経営研究会  ご  関  係  者  各  位

平素より大変にお世話になっております。 
5月15日(金)のコーディネート経営研究会で基調Keynoteをお願いした松井武久氏より講演サマリーを頂きました。
これまで本研究会に参加された方、これを機会に入会される方等、多くのご参加をお待ちしております。

テーマ「リスクマネージメントから見た少子高齢化社会の課題」

<リスクの定義>
従来のリスクの定義は「損失・幣害」とマイナス面が対象とされていたが、リスクマネジメントの国際標準 (ISO31000-2009)日本規格(JISQ31000)では、リスクの定義は「目的に対する不確かさの影響」、その評価は「発生頻度(起こしやすさ)と影響度(結果)の両面から評価する」と表記されている。目的とは、組織全体が求める望ましい姿である。不確かさとは、組織の目標に対してプラス、マイナス両面の影響を持ちうる不確実性を対象とする。影響とは、前提から好ましい方向(好機)、好ましくない方向(危険)の両方向に乖離することである。

<少子化が日本社会に与える影響>
人口減少は悪いことばかりではない。1900年に4300 万人であった日本の人口が100年後の現在は約1億2000万人強となっている。その過程で経済力は飛躍的に発展したが、一方、人口過密により都会の住環境を悪化させている。人口増加ベクトルが逆転した今日、日本の実力(国土面積・資源・文化等)を考慮し、人口減少の影響をプラスとマイナスの両面から研究することが大切である。

・少子化による人口減少と経済成長
・人口減少がもたらす生活水準の向上

<高齢化が日本に与える影響>
団塊世代の800万人の高齢化が進むと、日本の年齢構成は大きく変化し、これまでの社会システムに大きな影響が生じることは容易に推測できる。そこで、その影響をプラスとマイナスの両面から摘出・整理する。

・高齢化の社会保障財源への影響について
・高齢化の経済への影響について
・高齢化の社会貢献活動への影響について
・高齢社会における生と死について

<これから迎える少子高齢化社会の望ましい姿とは>
日本の国力(国土面積、資源、森林、農地、生活空間)及び良き伝統・文化を維持する視点から、団塊世代が後期高齢者(75歳)となる2020年の日本社会の望ましい姿を描く。

・国力と伝統・文化の維持発展を考慮した最適な人口について
・幸せな社会(国民の幸福度)とは
・2020年後の望ましい日本社会の姿

<少子高齢化の問題と原因解析と課題と対策>
課題-1:少子化をある理想の人口になる出生率に高める
課題-2:三世代同居または親と近いところに生活拠点を作る
課題-3:平均寿命と健康年齢の差を限りなくゼロに近づける。
課題-4:生涯現役化(高齢者が生甲斐を持って活躍できる場をつくる)の拡大
課題-5:高齢者の孤独死・老人対象の詐欺・自殺を削減
課題-6:有終の美を飾る(死ぬ前、死後に周囲に迷惑を掛けない)
課題-7:社会福祉財源(保育・医療・介護)の収支改善

第 1 0 回 コ ー デ ィ ネ ー ト 経 営 研 究 会  (平 成 2 7 年 度  Vol.1 )
■ 日 時:  5 月 1 5 日(金) 1 8 : 3 0 〜 2 0 : 3 0 
■ 会 場:  ち よ だ プ ラ ッ ト フ ォ ー ム ス ク ェ ア  5 F 506会議室

*出欠及び発表依頼のご連絡は、本メール持田(santoan@emlive.jp)までお知らせください。
一般社団法人日本開発工学会 コーディネート経営研究会
主査・持田昇一/副主査・永井明彦、井上晴伸

日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会  &
   NPO法人 ラ イ フ・ベ ン チ ャ ー・ク ラ ブ 会 員 の
     「 生 涯 現 役 社 会 づ くり 」 に ご 支 援 く だ さ る 皆 様 へ

フクシマメールマガジン
「FMM No.15」のご案内

  フクシマ復興応援ネットワークへのご支援ありがとうございます。
  お陰さまで、「環境保全型フクシマハウス有機農法」に関する第一次クラウドフアンディングが終了しました。今後の取り組みに向けて、これまでに寄せて戴いた支援金1,047,000円を原資として、あらためて 「フクシマ再生農業基金」を設立し、原発被災農家の当農法への一層の参加拡大を支援させて戴くことに致しました。皆さんには引き続きのご支援を宜しくお願い申しあげます。

  この度のフクシマメールマガジンは、第一次クラウドフアンディングへのお礼と今後の原発被災農家への引き続きの支援を目的とする「フクシマ再生農業基金」の立上げ案内からなる「FMM No.15」とさせて戴きました。

  今 後 の 取 り 組 み
① やぶ田フアームで、「深層土壌加温システム」の高効率化、低コスト化の事前検討を実施し、その成果を踏まえ、本年9月10日の種播き開始予定日までに、当システムの導入施工を終了し、「有機JAS認証作物」の省エネ、省力、低コスト、高生産性栽培試験を先行実施します。
② その上で、やぶ田フアームの実践成果と指導のもとに、相馬市、郡山市、いわき市等、福島県各地で避難生活を送る被災農家および避難先の自治体、農家の参加を募り、「福島県内実証栽培プロジェクト」を立上げます。

  5 月 8 日                                           
フクシマ復興応援ネットワーク
フクシマを環境保全型ハウス有機農法で応援したい!
実 証 栽 培 プ ロ ジ ェ ク ト
http://www.belhyud.com/100-00-3-006-10-10.htm
https://www.socialventurecrowd.com/projects/--3?locale=jp
事務局 井上 仁
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                FMM No.15
     【Fukushima Mail Magazine】 
                「フクシマ再生農業基金」の設立
    福島を環境保全型フクシマハウス有機農法で応援したい!
             原発被災の悲劇を克服し、
          健康で安全・安心な作物をつくる
  自然と一体となった農業で笑顔と誇りを取り戻してほしい!
       フクシマ復興応援ネットワーク
               2015.5.2発行      

双葉、大熊両町へ汚染土壌、廃棄物の運び込みが始まる!
  福島第一原発事故被災以来、10数万人以上の皆さんの避難生活は4年目に入りました。一方で、原発が位置する双葉町、大熊町への汚染土壌や廃棄物の運び込みが始まりました。地権者の皆さんからは「福島県と日本の復興のために、中間貯蔵施設を受け入れ、犠牲になる覚悟はある」という声が聞かれます。
 
 しかし、国の「地権者の無理解が施設の建設を遅らせている」といった無神経な発言や、30年後に土地を返すとしながらも、「計画書はいつ出せるかわからない」、「契約書案もチラット見せるだけ」と言ったあいまいな態度に、多く農業を生業としてきた地権者の不信感は大きく、交渉はほとんど進んでいないというのが現状です。前双葉町長も地権者の一人として、「今の町長が町民や地権者の意見も聞かず、勝手に受け入れを決めてしまったのがそもそもおかしい。国の強引なやり方も問題だ」と異議を唱えています。

 先祖伝来の田地・田畑での農業は遠のく! 
 避難生活を送る双葉、大熊両町をはじめ、被災自治体の住民の皆さんの中には高齢者が多く、震災前は広い敷地と家屋に2世帯、3世帯で同居し、農業に勤しんできた人たちが多くいました。しかし、仮設住宅で家族が離ればなれの生活を強いられ、畑仕事や田圃仕事の楽しみも奪われ、先の見えない避難生活が続く中で、身体的にも精神的にも支障をきたしている人が少なくありません。
 
 この地の祖先は江戸時代後期、二宮尊徳の教え「御仕法」のもと、天明、天保の大飢饉で荒廃した農村再興に尽くしました。しかし今日、人々は国策「原発」の犠牲となり、この豊饒の地を追われ、再び流浪、避難の生活を余儀なくされることになりました。
 故郷は無人の地となり、先祖伝来の田畑は荒廃し、祖先達の働きを讃える「報徳碑」は深い草に隠れています。現実に、中間貯蔵施設の建設が始まる中、住民の故郷への帰還はいよいよ遠のき、先祖伝来の田地田畑で農業を取り戻したいという思いはもはや儚い願いになろうとしています。
 
最新重点課題
「フクシマ再生農業」の提案! 
 こうした状況の中で、原発被災農家の皆さんは県内の各自治体のお世話で避難生活を送っています。皆さんが原発被曝で故郷を失い、一次帰宅の折ごとにに汚染され、荒廃していく先祖伝来の田畑の光景を目の当たりにし、悲嘆にくれる姿を見て見ぬふりはできません。
 
 私どもは「何百年かけてでも、先祖伝来の故郷の地の再興を!」という思いと、「原発被曝に見舞われたフクシマ農業だからこそ、自然と一体となった安全・安心な農業への回帰を!」という願いを込めて、農水省が環境保全型と認定する「深層土壌加温方式」と化学肥料や農薬を使わない「自然有機栽培」を一体化した農法を「環境保全型フクシマハウス有機農法」と命名し、「フクシマ再生農業」と位置づけました。 
 
 先に、当農法について、「深層土壌加温」は開発者のラジアント社、「自然有機栽培」は生産から販売までやぶ田フアームの応援のもと、被災農家、避難先の自治体や農家が一体となって、「有機JAS認証作物」の省エネ、省力、低コスト、高生産性での栽培を目標に「実証栽培プロジェクト」を立上げる提案をさせて戴きました。 
 先ずは、被災農家の皆さんが、原発被災の悲惨さを克服し、慣れ親しんできた畑仕事や田圃仕事で、生き甲斐、働きがいのある人生を一日も早く取り戻して戴くことが一番です。
 その上で、原発事故被曝に見舞われ、風評被害に苦しむ農業県福島だからこそ、当農法を県内自治体の遊休農地の活用、過疎地活性化施策の一つとして、県全体の力で消費者に健康でおいしい「有機JAS認証作物」を届けることを目標とする「フクシマモデル地方創生型農業」へと発展させていく道筋を探っていきたいと思います。

今後の取り組み 
 フクシマ復興再生事業として、「福島産業復興立地補助金:農産物の生産から加工まで、1億円以上の固定資産の投下、新規地元雇用5人以上を要件として、上限30億円の補助が得られる制度」があります。将来、こうした国の補助金制度につなげる上でも、先ずは民間ベースで、福島県内の原発被災農家、避難先の自治体、農家とともに「実証栽培プロジェクト」を立上げ、実績づくりを優先するとしました。
 今後、本年2015年末から翌年にかけて、次冬期の種播き、植え付け時を目標に、「環境保全型フクシマハウス有機農法」について、次の3つのステップを通して、深層土壌を加温し、微生物層を活性化することで、「有機JAS認証作物」を省エネ、省力、低コストで栽培する農法として、福島県内で複数の「実証栽培プロジェクト」を立ち上げることとします。

ステップ①
 やぶ田フアームで、下記に示す「深層土壌加温システム」について、特に低温の冬期に作物に適した土壌温度を低コストで維持管理できることを目標として、ロケットストーブ によるオンドルパイプ方式を中心に、熱源、トレンチャー、保温資材、配管、給油装置、温度調節器等の事前検討を実施する。

ステップ②
やぶ田フアームで上記事前検討の成果をもとに、「深層土壌加温システム」の導入施工を本年9月10日の種播き開始予定日までに終了させ、「有機JAS認証作物」を高生産性で栽培する自然有機栽培農法として、実証栽培を先行実施する。
ステップ③
やぶ田フアームの実践成果およびその指導のもと、相馬市、郡山市、いわき市等、風評被害はあっても、原発被曝汚染の心配がない福島県各地で避難生活を送る被災農家および避難先の自治体、農家の参加を募り、複数の「福島県内第一次実証栽培プロジェクト」を立上げる。

「フクシマ再生農業基金」の設立
引き続きご支援を!
 皆様には、先に「環境保全型フクシマハウス有機農法」の開発と普及に向けて、ご支援をお願いさせて戴きました。この4月10日で、ソシアル・ベンチャー・クラウド社に依頼しておりましたインターネットWebサイトでの「第一次クラウドフアンディング」が終了し、皆様からお寄せ戴いた支援金額は1,047,000円になりました。
 皆様のご理解とご支援、誠にありがとうございました。あらためてお礼申し上げます。今後の実証栽培への本格的な取り組みにあたり、あらためて「フクシマ再生農業基金」を設立し、これまで皆さんからお寄せいただいた支援金は、当基金の原資に充てさせて戴きました。原発被災農家の当農法への一層の参加拡大を支援させて戴きます。

 故郷フクシマの農家の皆さんが原発被災の悲劇を克服し、健康で安全・安心な農作物を栽培する自然と一体となった「環境保全型フクシマ有機ハウス農法」で、一日も早く笑顔と誇りを取り戻してほしいと切望しています。特に、「有機JAS認証」を目標とするということは、農地が放射線被曝で汚染されていないことは勿論のこと、化学的に合成された肥料や農薬等が使用されていないという厳しい基準を満たすことが前提です。
 皆様方には、被災農家が、当農法への参加を通して、フクシマ再生農業に真正面から挑戦する意欲と行動に、引き続き熱いご支援を宜しくお願い致します。支援金の振り込み「口座」は、下記の通りです。支援金は農家の「深層土壌加温システム」導入の援助費用にあてさせて戴きます。

口座名:ゆうちょ銀行 
フクシマ復興応援ネットワーク事務局
店名:〇二八 店番:028 普通預金口座番号:1051160   
なお、ご支援は、次のサイトでもご案内をさせて戴いております。
http://www.belhyud.com/001.htm
◎  た え ず ベ ン チ ャ ー 意 識 を 持 て

  昭和四十八年、新規公開(株式の上場を勧める)アプローチ先であった優良ベンチャー企業へ、私は出向社員として移籍した。

  その企業は、自動販売機用コイン・メカニズムのトップメーカーで、当時の資本金は四億七千万円、従業員数約三百人程度の規模のユニークなオーナー経営による成長会社だった。業績は急進しており、創業後七、八年は毎年倍々ゲームの成長を果たす勢いで、私が出向したのも、早急に株式上場の実現をするためだった。

  当初は、証券会社企業部担当者としてベンチャー企業を発掘するのが私の役目ではあったが、“ ミイラとりがミイラになった ”の諺どおり、私の興味は度を越してしまい、相手企業にのめり込む次第となってしまったようである。

  昭和四十八年十二月に出身元の証券会社を正式に退社、そのベンチャー企業での社長室部長として入社、翌年には予定通りその株式上場を実現させたのである。

  はじめ、出向したての頃は、オーナーによる企業経営というものに、ことごとく驚かされた。昭和二年生まれの、エネルギッシュなオーナー経営者の事業意欲と熱意に圧倒されてしまった。自分の納得のいくまで、トコトン追究し、何が何でもやり抜くタイプの事業家で、その上、センスは抜群だった。事務所のディスプレイにしても、一つひとつうるさい位に口をはさみ、洋服にいたる外見的なセンスにもスタイル満点の洗練されたものがあった。どこでも、誰でも、やれないことをやれ、と常に社員を叱咤激励する烈しい性格の中にも一面思いやりをもった、とにかく野心満々のオーナー経営者であった。そして、毎日毎日が真剣で、ましてサラリーマン的発想は許されないという厳しさがあった。

  それまでのサラリーマン上がりの経営者からは学べないものを、私はこうしたオーナー経営者について学び取ってみたいと考えたのである。一方で私には、株式上場による時価発行取得資金で、将来企業買収などをやってみたいというひそかな念願をも多少はもっていたのかも知れない。そのための第一歩としては格好のチャンスだったし、株式市場を通しての企業買収は、これまでのわが国の労働慣習から受け入れにくい面もないことはなかったが、やがて証券国際化時代には本格化、日常化するという予感が私にはあった。

  こうして私は、ベンチャ-企業へ自ら転職して無事、株式の上場を果たしたが、当初目論んでみた企業買収には企業体質的にも時期尚早であることから慎重を期すこととした。   つづく
 “ 大 病 ” が 人 生 と 仕 事 の 一 大 転 機 と な る

  サラリーマンにとっては、健康が最大の資本である。健康管理もできないようでは、営業マンとして力を発揮することはできない。そのためにも、家族が離れ離れで生活することは、どう見ても不健全だ。何よりも、ひんぱんな“ 転勤稼業 ”では、家族を含めた人生設計を考慮するとき、いたって不便なのである。

  病院で考え始めたこの気持ちは、やがて十五年勤めた証券会社を辞めて、転勤のないベンチャー企業へ転業する際の思いにつながっていったような気がする。

  大病は、私にとって人生や仕事を考える大きな転機となったにちがいない。

  その後、二年間の桐生時代を終え、本社の企業部課長として東京に赴任し、新規公開会社への幹事加入セールスを展開することになった。そして三年間のうちに五社の実績と数社の見込先を獲得したが、その時点で、私は通算十五年勤めあげ、いろいろな点でサラリーマン時代を充実させてもらえたN証券会社を、正式に退社することになった。

  昭和四十八年、私が三十八歳のときの転職であった。

  今にして思うと、私は、危うく死に損なった大病以来、健康に関しては、やや臆病になっていた気持ちも一面にはあるようだ。長いサラリーマン生活を乗り切るためには、健康については時には慎重になるくらいが、ちょうどいいのかも知れない。若い体力を過信して、仕事での無理や飲茶は、必ずといっていいほど、後年にその“ 傷 ”を残すものである。

  ベンチャーに不可欠なライフ・プランのなかで、いちばん重要な位置にあるのが健康であるといっても過言ではない。サラリーマンの心身兼備の健康体の上に、私の提唱する“ ベンチャー精神 ”も宿ることができるのである。

  ゆめゆめ、健康管理は、おろそかにしてはならない。大病からの帰還者であればあるほど、その念は強いものだ。   つづく
 ◎ 健 康 に 勝 る も の な し !!

  “ 死に損ない ”の体験が、私にもある。

  人は、その人生で、一つや二つの“ 大病 ”に出会うものなのかも知れない。

  昭和四十三年、証券不況のあと合併による新生N証券として発足後、私は桐生支店長代理として赴任することになった。そこで私が注力した仕事は、東京電力営業所を拠点に、電力社債の販売ルートを確立することにあった。それまでにも、たびたび転勤して新しい内容の仕事に従事していたが、自分のアイデアを活かして社債のルート販売を積極的に行なうことは初めてだった。

  証券マンとして一人でコツコツ営業に歩くことに加えて、今度は、社外協力者を組織化していく必要があった。新しい部門への挑戦には、やり甲斐はあったが、それだけに緊張もし心身の疲労を覚えることも少なくなかった。

  たまたま、桐生支店への転勤の年は、妻の初出産を控えていた。身重のまま、大阪から桐生まで連れ回すことは最初から無理な相談だった。私は“ 単身赴任 ”を決意した。週末に、洗濯物の荷物を抱えてトンボ返りすることは距離的にとてもできなかった。が、会社の業務命令となれば、いたしかたのないことだった。

  うしろ髪をひかれる思いの単身赴任だったが、そんなストレスと単身赴任の疲れが影響してか、私自身が桐生に着任して引っ越し荷物を片付ける間もなく、盲腸炎を起こしてしまった。

  はじめのうちは軽い腹痛ぐらいに思って、仕事に向かっていた。無理は承知だったが、目の前には次から次へとこなしていかなければならない課題が山積していた。なにくれなく身体を思い気を遣ってくれる妻はいなかったし、食事もほとんど外食で、その時間も不規則だった。とうとう盲腸の痛みに耐えかねて、手術のために入院した時は、すでに手遅れの状態になっていた。腹膜炎を併発して、その場で絶対安静を命じられてしまったのだ。

  すぐにも出産しそうな大阪の妻に、ありのままの症状を伝えるわけにもいかず、“ ちょっと盲腸をこじらしただけ ”と簡単に報告しておいたが、妻も心細かっただろうと思う。

  結局、五月から七月まで入院して療養する羽目になってしまったが、周囲の人たちに“ 再起できないのではないか ”と心配されながら、この大病の間中、私は一人で病室の天井を眺めながら、いろいろなことを考えていた。無我夢中で突っ走ってきた仕事のこと、六月に生まれたばかりの長女のこと、そして家族や家庭について、さらには、死に損なって初めて知った健康のありがたさなど、しんみりした思いで、考えをめぐらせていた。  つづく
 “  冬 の 時 代 ” の 苦 し い 体 験 が 後 に 役 に 立 つ

  変化といえば、昭和四十年の証券不況も、記録に残る大きな“ 流転 ”であった。大量の証券退職者を見て、この時ほど、異常時に備えた企業体質の重要性を強く感じたことはない。私はまだ若かったから、証券不況の“ 冬の時代 ”も、いつかは春が来ると楽観視していたが、しかし、不況期の証券セールスは苦しいものだった。

  今から思えば、この時期の苦しいセールス体験が、現在、本当に役立つことになったのだが、当時は毎日、靴をすり減らし青白く緊張した顔で東奔西走していたのである。

  そして、変化に対応すべく、証券市況をつかず離れず注意して見守る冷静さも、かえってこの時期にまなぶこともできた。

  私の結婚生活がスタートしたのは、昭和四十年、証券不況がもろに押し寄せたこの時期である。

  大変化の波を、仕事でも家庭でも頭からすっぽり被った格好だが、それでも、不況のドン底での結婚ほど心強いものはないと思って、がむしゃらに突き進んだことを覚えている。

  私たちのそんな歩み方が、よかったのか悪かったのか、変化に応じて会社こそ変わったものの、結婚については、未だに、別れようという話は一度もない。

  変化を怖れてはいけない。変化はすべて、チャンスなり・・・この警句は、今なお、私の信条とするものである。   つづく
◎  変 化 こ そ 絶 好 の チ ャ ン ス な り !

  証券界に身をおいた十五年間は、高度成長下での変化の激しい時代だった。入社して四、五年もすると、仕事もおおよそ覚え、配属先も、ひんぱんに変わるようになる。私も、営業課配属になり、次々と地域別に特別新規開拓班を編成しては、証券セールスを展開していた。

  その間、二年間だったが、私は企業内組合であるN証券労働組合の執行副委員長として、労働組合活動の運営に参加したこともある。組合運動を通じて、他の証券会社の情報を収集して分析してみると、概して証券界が大蔵省管轄下にあって横並び経営を強いられる故か、営業努力の割にその成果が反映してないことを知り、思わず義憤を覚えたものである。

  証券界は、証券市場を上手に利用している発行会社と投資家のためになる健全な姿がある一方で、やはりドロドロした凄味ある人間たちが、血みどろとなって蠢いている世界でもあった。

  私は、三十歳の支店長代理として営業セールスの責任を分担するようになっていたが、それまでにも、数多くの“ 変転 ”するドラマを、目のあたりにしていた。

  岩戸景気に証券不況、ニクソン・ショックなど変化のたびに、過剰なノルマに押しつぶされて、とうとう脱落していった気の弱い証券マンの“ 元同僚 ”は何人もいる。また、正直いって、顧客への財産づくりアドバイザーには不適格と思えるような先輩が、自分でもできないことを、しどろもどろになってアドバイスするなどはザラにあった。紺屋の白袴もいいところだ。さらに、私利私欲に目がくらんでか、手張りに失敗した証券マンが業界追放の憂目にあう姿は、悲惨でもあった。

  もちろん、一時は“ マスコミの寵児 ”と騒がれ、何億単位の金を手にしても“ おごる平家は久しからず ”で、瞬く間に証券市場から消えてしまった相場師たちは数知れない。

  身近かに証券事故が起こるたびに、それをケース・スタディとして、人生を間違った金銭観で失敗すべからずと、人相の見方を論議し合ったりしたこともあるほどだ。

  いずれの場合も、変化の速さや浮き沈みの激しさに追いつけないところに、その原因があるように思えた。時代の流れの先を読む習慣と正しい金銭観がどれほど大切であるか、つくづくと痛感せざるを得なかった。そして、その変化はすべてチャンスに通ずるのだ。さらには、その変化を鋭くさぐりあてるアンテナが、証券界ではとくに重要なのである。   つづく

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