「日本を元気にする話題提供の日立ソリューション」WEBより昨日に引続き下記連続して転載させていただきます。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------
 す べ て 無 く な っ た け れ ど 魂 だ け は 残 っ た

── その酒母をもとにして、震災後最初の酒を造ったわけですね。

ええ。いろいろな酒蔵を回らせていただきました。そして、以前からお付き合いのあった南会津の国権酒造に協力していただくことになりました。酒母から酵母を取り出して、そこから改めて酒の仕込みを始めました。

最初の2000本が出来たのは7月のことです。この酒はぜひとも浪江の人たちに飲んでほしいと思いました。そこで、浪江の人たちがいる避難所の近くのスーパーなどに置かせてもらったのですが、2日も経たずに全部売り切れてしまいました。

── みんな「磐城壽」が出来るのを待っていたのですね。

そう思います。浪江から会津に避難している人で、震災後に娘さんが生まれたという女性がいました。出産してもお祝いをする気になかなかなれなかったけれど、「壽」が出来たからそれでお祝いしようと思います──。そう彼女は言いました。1本だけでもいいから譲ってほしいと電話をくれた後輩もいました。「早く本格的に酒造りを始めなければ」と思いました。

祭りやお祝い事のたびに若い世代からお年寄りまでが飲む酒。それが地酒と呼ばれます。

地酒は地域の伝統や文化の中に根づいているものであり、その地域の一部となっているものです。その地域はすべて津波に流されてしまいましたが、その人たちがどこに行っても、自分たちの故郷がどこかに移ってしまったとしても、その地域の一部であった酒を造り続けなければならない。それが自分に与えられた使命だと思いました。

── 山形の長井で酒造りを再開したのはなぜですか。

長井の東洋酒造の酒蔵を譲り受けることができるという話は、震災後の5月くらいから出ていました。

山形で酒を造ることに関して、お付き合いのある酒販店に意見を求めたところ、「造る土地にこだわる必要はない。造る人が変わらなければ、どこで造っても壽は壽だ」と多くの人が言ってくださいました。それで踏ん切りがつきました。そして、11月の頭から長井で仕込みを始め、12月には初出荷をすることができました。

 い ろ い ろ な 人 の 気 持 ち が 
                 こ の 酒 を 造 ら せ て く れ た

── 「磐城壽」を再現することはできましたか。

驚くことに、長井の蔵で最初に仕込んだ酒は、「壽」そのものでした。一緒に酒造りをしている弟と、搾って最初に出てきた酒を口に含んだ時に思わず顔を見合わせてしまったくらいです。「いろいろな人が応援してくれた。その気持ちがこの酒を造らせてくれたんだ」と思いました。

しかし、酒造りはその土地の気候や環境と切り離すことはできません。請戸は海沿いで暖かく、雪もほとんど降らない土地でした。しかし、長井は内陸部の豪雪地帯にあります。仕込みを続けているうちに、酒はだんだんとこの土地の味になってきました。

原料や仕込みの方法は以前のままですから、味のベースは変わりません。しかし、口に含んだ時の味の膨らみ方がどうしても違います。最初の印象が異なるわけです。ですから、基本的な味わいを重視する人は、以前と同じ「壽」と感じるはずですし、飲んだ時の印象を重んずる人は、「壽」は変わったと感じると思います。

── 以前と同じ「磐城壽」にはならない。それはどうしようもないのでしょうか。

自然と喧嘩することはできません。ここの自然に合った酒に変わっていってしまうということは仕方がないことです。しかし、それは必ずしも残念なことではないと思っています。長井は、朝日連峰の入り口に位置していて、水がとてもいい土地です。透明感があって、キラキラした、本当にきれいな水です。この水の良さを活かした酒質を実現したいと私は考えています。

さらに、その朝日連峰の水源の水を使って育てた米を原料米にして、同じ水を仕込み水に使う、そんな酒造りをしてみたいと思っています。米の栽培も仕込みも同じ水でやっている酒は、全国でもほとんど無いはずです。

── 新しい「磐城壽」は浪江の酒でもあり、長井の酒でもあるということですね。

ええ。浪江の人たちにも、長井の人たちにも、どちらにも愛される酒を造っていきたいですね。

── これからの目標をお聞かせください。

一番の目標は、どんな形であれ、浪江に酒蔵を再興することです。地元で酒造りを復活させ、津波に故郷を奪われた人たちの灯台になりたい。そう思っています。

これからもその目標に向けて、一つずつやれることをやっていくつもりでいます。

〈取材後記〉

前日まで大雪で不通だった山形新幹線を赤湯駅で降り、単線鉄道のフラワー長井線に乗り換えておよそ30分。南長井駅からすぐのところに新しい鈴木酒造店はありました。規模は小さく、醸造担当者は鈴木大介さんと弟の荘司さん、そして地元長井出身の社員の3人だけ。この蔵で、現在、年間5万本の酒が造られています。震災から3年間の辛い日々を、鈴木さんは淡々と、しかし、時に目にうっすら涙を浮かべながら語ってくださいました。浪江と長井。その二つの地元の皆さんに長く愛されるお酒を、これからも造り続けてください。