<巻頭寄稿文> 「『 い の ち 』 を 学 ぶ と は 。 な に か 」
           農業高校教諭  鎌刈 耕鍬(ペンネーム)
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  農業の教員として20年以上が過ぎようとしている。
  毎年4月に新入生を迎え、3月に卒業生を送り出す。その繰り返しだ。
  広い敷地の中にある農場。授業のほとんどをしめる実習。農業高校は普通高校など他の高校とは大きく異なっている部分がある。
  入学してくる生徒達も様々だ。目的意識が高く意欲的な生徒もいる反面、不本意な入学や勉強が苦手な生徒も多くいる。
  後者の生徒に関しては入学当初から指導に手こずることも多い。教科指導でも生徒指導でも基本的な指導を繰り返すことが多い。
  そんな生徒達が、卒業する頃には一人一人が本当に成長している。それは学力がついたとか、資格を沢山取るとかそういったことではない。いうならば責任感と誇りをもった本当の「大人」に近づいているからだと思う。
  授業のほとんどは農場での実習である。そこには自分を含めた「いのち」を扱う真剣勝負の場が日々展開されている。
  まず実習服。生徒達は、今流行りの腰パン・ルーズな感じの着方をしようとするものもいる。それは絶対に許されない。単に行儀よくしなさいという意味ではない。きちんとした服装でないと事故を起こすからだ。腰パンでは鍬は扱えない。ボタンをしっかりつけていなければ機械に巻き込まれてケガをしてしまうこともある。実習とはいえ油断をすると「自分の命」さえ落としかねない場であるからだ。
  次に、家畜、作物、微生物など日々の管理が生死に大きく影響する「命を育てる」場である。自分の都合ではない。ずぶ濡れになりながら、泥だらけ、汗まみれになりながらもそれを育てていく。自分がサボれば、野菜は育たないし、鉢花は枯れてしまう。次第に自分の存在意義と責任感が育ちはじめる。農場で緊急事態が発生したとしよう。そんな時、生徒たちは、始業前や放課後でもいやがることなく手伝ってくれる。
  最後に、その育てたものの「命をいただく(絶つ)」ことを経験する。
  懸命に育てた家畜たちは命を絶たれ、食肉になる。野菜は収穫された後、出荷される。台風などの気象災害で自分たちが一生懸命育てたものが一瞬で跡形もなく姿を消す経験をすることもある。一生懸命になればなるほど、その儚さに気づかされる。
  こうやって生徒達は、与えられた事だけでなく、気配り、心配りができる人間になっていく。
  例えば、A君。入学当初顔に覇気がなく、いつも髪型ばかりに気にしている子だった。気がつけば髪の毛をさわっている。目的意識がある訳でもなく。無気力と言ってよかった。
  そんなA君がある日、自分の管理がいい加減なことで、入学式に飾る鉢花を枯らしてしまった。当日は替わりの花を飾って事なきを得たが、自分の無責任さを痛感したのだろう。そこからA君は変わった。実習中はもちろんのこと、授業のない早朝・放課後とハウスに足を運び、担当の先生と一緒になって花の管理を行った。今春さらに専門知識を得たいと園芸関係の学校に進む。
  Bさんの家はサラリーマン家庭で農業の経験はなく、無農薬で野菜を育てることにあこがれて入学した。
  2年生になり有機栽培(化学肥料・農薬を全く使わずに栽培する)でダイコンを育てることに挑戦した。結果、見事に害虫に食われ、ダイコンは病気になっていく。真面目なBさんはあらゆる対策をしていくが、それを止めることができなかった。
  一生懸命になればなるほど、虫は増え病気は広がる。理想と現実のギャップを知ったのだ。
  けれどBさんはそれでも諦めきれず、高校卒業後大学の農学部に進学し、いまは地元の支援を受けながら有機野菜農家として頑張っている。 
  Cさんは明るく、リーダーシップがとれ勉強もできて、スポーツ万能ないわゆる優等生だった。「なんで農業高校に来たの?」というような子だった。担任であった私は進学を勧めて国立大学の農学部の受験を勧めたが、「私の夢は農家のお嫁さん!!」といって地元で就職。いまは高校時代から交際していた同級生と結婚して念願の果樹農家のお嫁さんとなった。
  今まで培った経験や、思い出を活かし、これからも一人の教師として、「いのち」を学び、教えるものとして日々生徒達と汗を流していきたい。