「ある精神科医の耐病記」読後感 ご紹介
2012年8月12日 お仕事 先般来、某プロジェクトチームで協働生活しているT氏から下記の『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記』(文春新書)をご寄稿いただいた。昨日記載の『夜と霧』も同氏から話を拝聴したばかりであり、この夏は“人生如何に生きるべきか” を今回も改めて真剣に考えさせてくれる良い機会を与えられている。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記』(文春新書) 2008年1月6日
Dr. 頼藤の遺書と言うべき書である。 頼藤和寛氏は、2001年4月8日に亡くなられたが、本書は2001年4月20日発行となっている。 「あとがき」によると、「抗ガン剤を中断して、いよいよ先は長くないと覚悟した夏」に書き始め、秋頃に文春新書編集部からの勧誘を受けて「急遽、新書向きに原稿のぜい肉を落とし最終章をコンパクトに仕上げて完成した」(p.197)ものである。
本書で最も熟読するべきは、この“コンパクトに仕上げた”という最終章「六、寸詰まりの余生」であると思う。死を前に書かれた自省(辞世)文として第一級のものであると思う。まさしくコンパクトに仕上げられた文章の中に、含蓄あふれた内容が凝縮されている。 その他、「四、ガンをめぐって」も有益である。
エリザベス・キューブラー=ロス女史は、その著書『死ぬ瞬間』の中で、人が死を認識するまでに、“否認”(自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階)、“怒り”(なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階)、“取引”(なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階、何かにすがろうとする心理状態)、“抑うつ”(何もできなくなる段階)、“受容”(最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階)という内的経過を提示した。
頼藤氏も、一個の人間として一応は同様の段階を経られたであろうが、自身が優秀な医師である氏としては、“否認”“怒り” “取引”“抑うつ”という段階はほとんどなく、ガンを知らされてからの時期のほとんどを、常人ならば最終的段階である“受容”的な状況で過ごされたのであろう。
氏は、フロイトのいう「自我防衛」(耐え難い認識を避け続けることができるようにする無意識の対応)を「自分に許すことができない。認識はすべからく禁欲的でなければならぬ」(p.163)と述べる。そして「認識の鬼」として、本書のような貴重な記録を残された。頼藤氏の精神力に驚嘆するとともに敬意を感じる。
私が氏の名前を知ったのは、産経新聞紙上の人生相談であった。その後このユニークな人生相談を収録した書物も出版されているのだが(『頼藤和寛の人生応援団』『頼藤和寛の人生応援団 最後のあいさつ』 産経新聞社)、絶版になっているようで、ビーケーワンでも入手できないのは誠に残念である。氏が関西を中心に活躍されたためであろうが、全国的にはその素晴らしさがあまり知られていないように見受けることは残念でならない。
“明るい虚無主義者”であるDr. 頼藤の、関西人特有の良質な現実主義に満ちた多くの著作は、もっと再評価されるべきではないだろうか。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記』(文春新書) 2008年1月6日
Dr. 頼藤の遺書と言うべき書である。 頼藤和寛氏は、2001年4月8日に亡くなられたが、本書は2001年4月20日発行となっている。 「あとがき」によると、「抗ガン剤を中断して、いよいよ先は長くないと覚悟した夏」に書き始め、秋頃に文春新書編集部からの勧誘を受けて「急遽、新書向きに原稿のぜい肉を落とし最終章をコンパクトに仕上げて完成した」(p.197)ものである。
本書で最も熟読するべきは、この“コンパクトに仕上げた”という最終章「六、寸詰まりの余生」であると思う。死を前に書かれた自省(辞世)文として第一級のものであると思う。まさしくコンパクトに仕上げられた文章の中に、含蓄あふれた内容が凝縮されている。 その他、「四、ガンをめぐって」も有益である。
エリザベス・キューブラー=ロス女史は、その著書『死ぬ瞬間』の中で、人が死を認識するまでに、“否認”(自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階)、“怒り”(なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階)、“取引”(なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階、何かにすがろうとする心理状態)、“抑うつ”(何もできなくなる段階)、“受容”(最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階)という内的経過を提示した。
頼藤氏も、一個の人間として一応は同様の段階を経られたであろうが、自身が優秀な医師である氏としては、“否認”“怒り” “取引”“抑うつ”という段階はほとんどなく、ガンを知らされてからの時期のほとんどを、常人ならば最終的段階である“受容”的な状況で過ごされたのであろう。
氏は、フロイトのいう「自我防衛」(耐え難い認識を避け続けることができるようにする無意識の対応)を「自分に許すことができない。認識はすべからく禁欲的でなければならぬ」(p.163)と述べる。そして「認識の鬼」として、本書のような貴重な記録を残された。頼藤氏の精神力に驚嘆するとともに敬意を感じる。
私が氏の名前を知ったのは、産経新聞紙上の人生相談であった。その後このユニークな人生相談を収録した書物も出版されているのだが(『頼藤和寛の人生応援団』『頼藤和寛の人生応援団 最後のあいさつ』 産経新聞社)、絶版になっているようで、ビーケーワンでも入手できないのは誠に残念である。氏が関西を中心に活躍されたためであろうが、全国的にはその素晴らしさがあまり知られていないように見受けることは残念でならない。
“明るい虚無主義者”であるDr. 頼藤の、関西人特有の良質な現実主義に満ちた多くの著作は、もっと再評価されるべきではないだろうか。