若者の希望を摘み取ってはいけない③
2017年10月29日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
どんづまりから見上げた空 ~ 我がITサバイバル年代
「私はコボラー」、 若 者 の 希 望 を 摘 み 取 っ て は い け な い ③
悲 惨 な 環 境 で も 生 き 残 ら ね ば な ら な い
ユーザー企業のシステム担当の場合、以下のような悲惨な環境の中でプロジェクトに臨まなくてはならないケースがある。これは最近数件、別のユーザー企業のシステム担当から相談を受けた際に感じたことの総括である。
オーナー(スポンサー)のシステムに対する本質的無理解。取りあえず、分かる人間をリーダーにしておけばなんとかなると思っている。オーナー(経営者)自身が、システムを戦略的な武器として活用することへの認識が甘く、その戦略的な武器を構築するために全社一丸となって同じ目的に向かわなければならないことを理解していない。
開発プロジェクトに対する現場の無理解。オーナーの態度があいまいなため、現場のシステム開発に対する態度は協力的ではなく、仕事の片手間にやればいいだろうといった雰囲気が蔓延している。
キーパーソンが選任されていない。片手間であるだけに現場のエースを担当者に任命せず、現場で暇そうな人をとりあえず担当にしておく。
ベンダーの担当者の場合でもあまり変わらない。以下のようなケースを見受けられる。
さほど技術に自信があるわけではないのだが、人手不足のためリーダーを担当せざるを得ない。
与えられるリソースは極端に少なく、ましてや自社のエースを投入することを許されない。にもかかわらず、責任ばかりが重い。稼働に対する責任をとらされそうなプレッシャーの中で、日々、仕事をしなければならない。
プロジェクトに対して上司は無理解で、保身に徹している。
技術に対して自信がないにもかかわらず、最新技術を習得したいと思っていても習得する機会を与えられない。
上記のような悲惨な状況に置かれようとも、システム担当になった(任命された)、もしくは開発プロジェクトのリーダーになった以上、結果を出さなくてはならない。つまり開発プロジェクトを「成功」に導かなくてはならない。この場合の「成功」とはプロジェクト終了時、自分が生き残り、かつ動くコンピュータを完成させることを指す。コスト・品質・納期を完璧に満たすという意味ではない(もちろんそのほうが良いのは言うまでもない)。
成 功 と 失 敗 の 分 か れ 目
派遣SE・プログラマから転身してしばらくすると、ユーザー企業のシステム担当者の立ち位置が分かってきた。
当たり前の話ではあるが、ユーザー企業のシステム担当は、業務のプロであるエンドユーザーおよびシステム投資の最終権限を持つオーナーの両方を満足させなくてはならない。エンドユーザーが納得し、オーナーに理解してもらうように努力すべきなのだ。それがシステム開発の成功と失敗の分かれ目である。
これは当たり前のことである。だが、多くのシステム開発プロジェクトでは、この当たり前のことをしっかりやっているかどうかで結果が決まってしまう。
そのためには、まずシステムに「何を期待しているか」「何をさせるか」を分析する段階で、お互いが理解できるように議論すべきである。理解に相違が生じるようではいけない。お互いが、分からないもの、分かりにくいものでは駄目だ。
システム屋にとって最高の表現であっても、オーナー、ユーザー、エンドユーザーにとって訳が分からなければ何の意味もない。システム屋は、こうしたことを忘れて突っ走ってしまうことがある。
相互理解を円滑に行うには、立場の異なる者同士がお互いに理解できる表現で、きちんとコミュニケーションをとることが重要だ。こうした境地にたどりつくまでに、私はコンピュータ業界の現場でたびたび痛い目に遭わなければならなかった。
今にして思えば、悲惨な現場で理不尽な扱いを受けていようとも、なんとかしてチャンスを得ようという意識がもう少しあれば、得るものがまるで違っていたかもしれない。
でもあらゆる過去の体験は生きている。昔、ピリオド一つのミスで業務を止めてしまった失敗もした。そんな失敗を通じて情報システムが業務に与える影響を身体にしみこませ、業務と情報システムの関係を体感できるようになっていった。
「 人 生 は デ ー ヤ モ ン ド 」
派遣SE・プログラマを経てユーザー企業のシステム担当として働きつつ、プライベートでも色んな人生の節目を経験した。結婚、子どもの誕生、両親の死、「物語」はあらゆる側面で進行していった。仕事面では、ITに関係のないショーのプロデューサーを経験した。これからも、私、そして私の回りで生きている人たちを巻き込んだ「物語」は続いていく。
「人生はデーヤモンド」というエッセイがある。一時期テレビに出演していた芸術家・篠原勝之氏のエッセイの題名である。
ふと今まで私が歩いてきた道のりを思い起こすとダイヤモンドのように高尚な言葉でなく、言葉はきれいでなくても純然たる輝きを持つ、まさに「デーヤモンド」のようなものだったな、と感傷的な思いを抱く。
本連載を読んでいただいた読者の方とも「出会う」ことができた。もっともっと「デーヤモンド」に磨きをかけて、皆さんとともに人生を歩んでいきたいと思う。
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【赤 俊哉(せき としや)氏 プロフィール:1964年生まれ。ソフトハウスでプログラマー、SEとして従事した後、ユーザー企業の情報システム部門に転職。全社の業務改革、データ経営の推進、データモデリングとプロセスモデリングなどに従事し、エンドユーザーを経て、現在はIT戦略の策定を担当。現場の視点にこだわりつつ、上流工程におけるコミュニケーションのあり方を追求している。2016年3月、『ユーザー要求を正しく実装へつなぐ システム設計のセオリー』(リックテレコム)を出版。『要件定義のセオリー(仮)』を刊行予定。】
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
どんづまりから見上げた空 ~ 我がITサバイバル年代
「私はコボラー」、 若 者 の 希 望 を 摘 み 取 っ て は い け な い ③
悲 惨 な 環 境 で も 生 き 残 ら ね ば な ら な い
ユーザー企業のシステム担当の場合、以下のような悲惨な環境の中でプロジェクトに臨まなくてはならないケースがある。これは最近数件、別のユーザー企業のシステム担当から相談を受けた際に感じたことの総括である。
オーナー(スポンサー)のシステムに対する本質的無理解。取りあえず、分かる人間をリーダーにしておけばなんとかなると思っている。オーナー(経営者)自身が、システムを戦略的な武器として活用することへの認識が甘く、その戦略的な武器を構築するために全社一丸となって同じ目的に向かわなければならないことを理解していない。
開発プロジェクトに対する現場の無理解。オーナーの態度があいまいなため、現場のシステム開発に対する態度は協力的ではなく、仕事の片手間にやればいいだろうといった雰囲気が蔓延している。
キーパーソンが選任されていない。片手間であるだけに現場のエースを担当者に任命せず、現場で暇そうな人をとりあえず担当にしておく。
ベンダーの担当者の場合でもあまり変わらない。以下のようなケースを見受けられる。
さほど技術に自信があるわけではないのだが、人手不足のためリーダーを担当せざるを得ない。
与えられるリソースは極端に少なく、ましてや自社のエースを投入することを許されない。にもかかわらず、責任ばかりが重い。稼働に対する責任をとらされそうなプレッシャーの中で、日々、仕事をしなければならない。
プロジェクトに対して上司は無理解で、保身に徹している。
技術に対して自信がないにもかかわらず、最新技術を習得したいと思っていても習得する機会を与えられない。
上記のような悲惨な状況に置かれようとも、システム担当になった(任命された)、もしくは開発プロジェクトのリーダーになった以上、結果を出さなくてはならない。つまり開発プロジェクトを「成功」に導かなくてはならない。この場合の「成功」とはプロジェクト終了時、自分が生き残り、かつ動くコンピュータを完成させることを指す。コスト・品質・納期を完璧に満たすという意味ではない(もちろんそのほうが良いのは言うまでもない)。
成 功 と 失 敗 の 分 か れ 目
派遣SE・プログラマから転身してしばらくすると、ユーザー企業のシステム担当者の立ち位置が分かってきた。
当たり前の話ではあるが、ユーザー企業のシステム担当は、業務のプロであるエンドユーザーおよびシステム投資の最終権限を持つオーナーの両方を満足させなくてはならない。エンドユーザーが納得し、オーナーに理解してもらうように努力すべきなのだ。それがシステム開発の成功と失敗の分かれ目である。
これは当たり前のことである。だが、多くのシステム開発プロジェクトでは、この当たり前のことをしっかりやっているかどうかで結果が決まってしまう。
そのためには、まずシステムに「何を期待しているか」「何をさせるか」を分析する段階で、お互いが理解できるように議論すべきである。理解に相違が生じるようではいけない。お互いが、分からないもの、分かりにくいものでは駄目だ。
システム屋にとって最高の表現であっても、オーナー、ユーザー、エンドユーザーにとって訳が分からなければ何の意味もない。システム屋は、こうしたことを忘れて突っ走ってしまうことがある。
相互理解を円滑に行うには、立場の異なる者同士がお互いに理解できる表現で、きちんとコミュニケーションをとることが重要だ。こうした境地にたどりつくまでに、私はコンピュータ業界の現場でたびたび痛い目に遭わなければならなかった。
今にして思えば、悲惨な現場で理不尽な扱いを受けていようとも、なんとかしてチャンスを得ようという意識がもう少しあれば、得るものがまるで違っていたかもしれない。
でもあらゆる過去の体験は生きている。昔、ピリオド一つのミスで業務を止めてしまった失敗もした。そんな失敗を通じて情報システムが業務に与える影響を身体にしみこませ、業務と情報システムの関係を体感できるようになっていった。
「 人 生 は デ ー ヤ モ ン ド 」
派遣SE・プログラマを経てユーザー企業のシステム担当として働きつつ、プライベートでも色んな人生の節目を経験した。結婚、子どもの誕生、両親の死、「物語」はあらゆる側面で進行していった。仕事面では、ITに関係のないショーのプロデューサーを経験した。これからも、私、そして私の回りで生きている人たちを巻き込んだ「物語」は続いていく。
「人生はデーヤモンド」というエッセイがある。一時期テレビに出演していた芸術家・篠原勝之氏のエッセイの題名である。
ふと今まで私が歩いてきた道のりを思い起こすとダイヤモンドのように高尚な言葉でなく、言葉はきれいでなくても純然たる輝きを持つ、まさに「デーヤモンド」のようなものだったな、と感傷的な思いを抱く。
本連載を読んでいただいた読者の方とも「出会う」ことができた。もっともっと「デーヤモンド」に磨きをかけて、皆さんとともに人生を歩んでいきたいと思う。
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【赤 俊哉(せき としや)氏 プロフィール:1964年生まれ。ソフトハウスでプログラマー、SEとして従事した後、ユーザー企業の情報システム部門に転職。全社の業務改革、データ経営の推進、データモデリングとプロセスモデリングなどに従事し、エンドユーザーを経て、現在はIT戦略の策定を担当。現場の視点にこだわりつつ、上流工程におけるコミュニケーションのあり方を追求している。2016年3月、『ユーザー要求を正しく実装へつなぐ システム設計のセオリー』(リックテレコム)を出版。『要件定義のセオリー(仮)』を刊行予定。】