福島民報:県文化功労章/折笠・望木氏
2017年10月13日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
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折笠光助氏(郡山) 望木昌彦氏(福島) 県文化功労賞
県の文化、学術、教育の向上に尽くした功績をたたえる第66回県文化功労賞に県美術家連盟副会長の折笠光助氏(77)=芸術部門(美術)・郡山市=、県私学団体総連合会副会長の望木昌彦氏(80)=教育部門(学校教育)・福島市=が選ばれた。県が11日発表した。
折笠氏は会津塗の手法を基に、芸術性の高い乾漆技法を生み出した。日展では1981(昭和56)年から計25回、入選している。2005(平成17)年から県美術家連盟副会長を務め、県内の工芸美術分野の振興に努めてきた。郡山市にある自身の工房を開放し、後継者育成にも力を尽くしている。
望木氏は郡山市にある学校法人尚志学園の創立に携わり、2009年に理事長に就任した。県私学団体総連合会副会長を通算9年務めており、私学教育の振興に力を注いでいる。県相撲連盟会長を30年間務めるなど、本県スポーツの活性化に一役買っている。県議は通算8期務め、県勢伸展を担ってきた。
表彰式は11月3日、福島市の杉妻会館で行う。
■ 乾漆の自然美探求 折笠光助氏 77 郡山市安積町笹川字北向6の3
全国でも珍しい乾漆技法を用いて、芸術性の高い作品を生み出している。郡山市に工房を構えて約50年になる。「完璧と言える作品はまだない」と喜寿を迎えても向上心は衰えない。
会津若松市に生まれ、父は蒔絵(まきえ)師だった。会津工高漆工科卒業後は9年間、父の仕事を手伝った。郡山市のデパートで商売の基本を学び、市内に工房を開いた。
造形の自由度が高い乾漆に魅了された。粘土で原形を作って麻布を貼り、漆を20回ほど重ねて磨き上げる。金箔(きんぱく)や貝、色の違う漆を使ってできる模様には、木目のような自然の美しさが現れる。
乾漆は水に強く、耐久性がある。鑑賞用に加え、花器や鉢、茶筒などの実用漆器も手掛ける。「使ってこそ良さが分かる。何千年と使い続けられる」と自信をのぞかせる。
東日本大震災後は若手漆芸家の制作意欲をかき立てるため県内での展示会に頻繁に出展するなど、古里の後継者育成に力を入れている。
■ 人づくり教育に熱 望木昌彦氏 80 福島市吉倉字吉田65
学校法人尚志学園の創立に携わった。高度経済成長に伴う工業系人材の需要拡大を見越し、1964(昭和39)年に開校した国内初の「日本女子工業高」の教育課程策定などに奔走し、尚志高の礎を築いた。現在は学園理事長として、本県を担う人づくり教育に情熱を傾けている。
福島市出身、福島農蚕(現福島明成)高、日大大学院修了。中央大法学部時代に教育の道を志し「一人でも多くの生徒らを進学させたい」と予備校の開校を決意した。1959年、同志とともに地元に福島高等予備校を開き、生徒約70人を指導した。
建学の精神である「尚志必成(ひっせい)」「即是(そくぜ)道場」「一瞬即永遠」の下、現在は運営する高校や幼稚園などで約2500人が学んでいる。
現在も週1回、福島市にある尚志学園専修学校で教壇に立ち、浪人生らに現代社会を教えている。「自分自身も日々、学ばなければ成長できない。生涯現役を貫く覚悟です」とほほ笑んだ。
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折笠光助氏(郡山) 望木昌彦氏(福島) 県文化功労賞
県の文化、学術、教育の向上に尽くした功績をたたえる第66回県文化功労賞に県美術家連盟副会長の折笠光助氏(77)=芸術部門(美術)・郡山市=、県私学団体総連合会副会長の望木昌彦氏(80)=教育部門(学校教育)・福島市=が選ばれた。県が11日発表した。
折笠氏は会津塗の手法を基に、芸術性の高い乾漆技法を生み出した。日展では1981(昭和56)年から計25回、入選している。2005(平成17)年から県美術家連盟副会長を務め、県内の工芸美術分野の振興に努めてきた。郡山市にある自身の工房を開放し、後継者育成にも力を尽くしている。
望木氏は郡山市にある学校法人尚志学園の創立に携わり、2009年に理事長に就任した。県私学団体総連合会副会長を通算9年務めており、私学教育の振興に力を注いでいる。県相撲連盟会長を30年間務めるなど、本県スポーツの活性化に一役買っている。県議は通算8期務め、県勢伸展を担ってきた。
表彰式は11月3日、福島市の杉妻会館で行う。
■ 乾漆の自然美探求 折笠光助氏 77 郡山市安積町笹川字北向6の3
全国でも珍しい乾漆技法を用いて、芸術性の高い作品を生み出している。郡山市に工房を構えて約50年になる。「完璧と言える作品はまだない」と喜寿を迎えても向上心は衰えない。
会津若松市に生まれ、父は蒔絵(まきえ)師だった。会津工高漆工科卒業後は9年間、父の仕事を手伝った。郡山市のデパートで商売の基本を学び、市内に工房を開いた。
造形の自由度が高い乾漆に魅了された。粘土で原形を作って麻布を貼り、漆を20回ほど重ねて磨き上げる。金箔(きんぱく)や貝、色の違う漆を使ってできる模様には、木目のような自然の美しさが現れる。
乾漆は水に強く、耐久性がある。鑑賞用に加え、花器や鉢、茶筒などの実用漆器も手掛ける。「使ってこそ良さが分かる。何千年と使い続けられる」と自信をのぞかせる。
東日本大震災後は若手漆芸家の制作意欲をかき立てるため県内での展示会に頻繁に出展するなど、古里の後継者育成に力を入れている。
■ 人づくり教育に熱 望木昌彦氏 80 福島市吉倉字吉田65
学校法人尚志学園の創立に携わった。高度経済成長に伴う工業系人材の需要拡大を見越し、1964(昭和39)年に開校した国内初の「日本女子工業高」の教育課程策定などに奔走し、尚志高の礎を築いた。現在は学園理事長として、本県を担う人づくり教育に情熱を傾けている。
福島市出身、福島農蚕(現福島明成)高、日大大学院修了。中央大法学部時代に教育の道を志し「一人でも多くの生徒らを進学させたい」と予備校の開校を決意した。1959年、同志とともに地元に福島高等予備校を開き、生徒約70人を指導した。
建学の精神である「尚志必成(ひっせい)」「即是(そくぜ)道場」「一瞬即永遠」の下、現在は運営する高校や幼稚園などで約2500人が学んでいる。
現在も週1回、福島市にある尚志学園専修学校で教壇に立ち、浪人生らに現代社会を教えている。「自分自身も日々、学ばなければ成長できない。生涯現役を貫く覚悟です」とほほ笑んだ。