草野氏『生涯現役を貫くには・・・』語る①
2015年9月23日 お仕事 来る10月に「生涯現役実践道場」開設30周年月を迎える、私たち『生涯現役社会づくり』活動と奇しくも同年数のキャリアを重ねているテレビ放送番組があります。
それは皆様、多分ご存知のTBS系「世界ふしぎ発見」(日立製作所提供)ですが、その著名キャスター草野 仁氏が『生涯現役を貫くには・・・』を真摯に語っているコラムを産経ニュースサイトで見付けました。以下3回連続でご紹介します。
【URL=http://www.sankei.com/premium/news/150921/prm1509210014-n1.html 】
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草 野 仁(71)= キ ャ ス タ ー =
生 涯 現 役 を 貫 く に は 、
ど ん な 仕 事 で も 必 死 に
取 り 組 み 、 少 し ア バ ウ ト に ・ ・ ・
【草野 仁〈くさの・ひとし〉プロフィール】1944年、旧満州・新京(現長春)市生まれ。引き揚げ後は長崎県で育つ。東京大文学部卒業後、NHKに入局。1984年ロサンゼルス五輪の総合司会をはじめ、スポーツキャスターとして活躍。翌年にNHKを退局し、フリーに。現在「世界ふしぎ発見!」(TBS系)、「主治医が見つかる診療所」(テレビ東京系)などに出演中。近著に『話す力』(小学館新書)、『老い駆けろ!人生』(角川新書)。
年 齢 は ハ ー ド ル に は な ら な い
〈テレビの世界に身を置いて半世紀近く。おなじみの落ち着いた語り口とは裏腹に、スポーツからバラエティーまで、年齢を感じさせないエネルギッシュな活躍を続けている〉
生まれつきの元気さもありますね。それに私自身が良くいえばポジティブ、どちらかといえばアバウトな方でして、必要以上に引きずって悩むことはないからでしょう。われわれテレビマンが一番気にする視聴率は、放送翌日には1分刻みで全局のデータが出てきます。それを元に反省するわけですが、「面白いと思ったのに意外と視聴率が低い」といった場合、他局がそのときに何をやっていたのかを細かくチェックし、放送する話題を入れ替えた方がよかったのでは…などと考えます。しかし、あまりに微に入り細に入りしてもきりがありません。問題点をある程度把握したら、次は同じ間違いをしないように、と心を決めます。
ただ普段元気に仕事をしていても、言われてみればもう71歳。当然ながらいつかは自分にも「死」がやってくる。最近は「死」を前提に、ものを考えることもあります。そこでここ1年くらいかけてじっくりと腰を据えて考えたことを、本にまとめてみました。
〈近著『老い駆けろ!人生』(角川新書)では、自身の半生をまじえて“老境”を生きるヒントを語った〉
日本人には、65歳で定年になったら後はゆっくりしよう、という考えの方も多いと思います。でも、そこでさまざまなことをスローダウンしてしまうと、肉体的にも精神的にも衰えが来始めている年齢だけに、その衰えを表面化させてしまうのではないかと思います。年齢は忘れて、古希を迎えようが、90歳になろうが、やりたいことをやり続ければいい。年齢は何かをやろうとするとき、それを阻害するものではないのです。
〈30年目に入った「日立 世界ふしぎ発見!」(TBS系)をはじめ、4本のレギュラー番組をかかえ、CMや講演もこなす“スーパーひとし君”の秘訣(ひけつ)は食生活だという〉
テレビ東京系「主治医が見つかる診療所」でいろいろな医師の先生にお会いして、そのアドバイスをやってみることがあります。例えばメタボ対策には、炭水化物を少し減らし、肉や野菜はしっかり食べるといい、と聞いた。ご飯を2杯食べていたら1杯に、パンを2切れ食べていたら1切れにする。タンパク質は毎日食べてよい。そんなことです。
最初は私も「何言ってるんだか。日本人は白米を食べなきゃ元気が出ないよ!」なんて思ったのですが、やってみると何ら苦痛は感じない。体重はひと月で2~3キロ、1年で5~6キロ落ちました。体の調子もとても良い。良い方法だと実感できたので、もう2年以上続けています。空腹を我慢しなくてよいので、リバウンドがありません。男性の方が効果は出やすいと聞きましたが、メタボでお悩みの方には確信をもってお勧めできる方法だと思っています。
父 と の 思 い 出
〈旧満州で生まれた草野仁さんは終戦後、祖母の家があった長崎で育った。大学教授だった父は、明治生まれの厳格な人だった〉
父は戦後、シベリア抑留を3年半経験した。帰国したときが、私が父を意識して見た最初です。夏場なのに支給品のカーキ色の防寒服のようなものを着て、茶の間に座った父を「怖そうな人だな」と思った記憶があります。
父はその半年後に長崎大学に職を得ました。すべてを大陸に残してきたのですから、ゼロから生活を再建しなければなりません。母も中学の教師をして、2人で忙しく働いていました。鍵っ子の私は、時々「買い物をしておけ」と命じられるのですが、遊びに夢中で気づくとすでに辺りが暗くなっている。慌てて家に帰るものの、先に帰宅した父からげんこつが降ってくるのです。父が作った算数の問題を解かずにいてもやはりげんこつ。手加減はしてくれていたでしょうが、これがことのほか痛い。そのたびに母が「お父さんはお前が憎くてたたくんじゃない。お前はやればできるんだから」と慰めてくれました。そんなわけで小学校低学年のときはもう、ただ怖いだけです。自分から父に話しかけたことなど一度もありませんでした。
〈中学入学を契機に父から「学校で起きたことはすべて報告するように」と言い渡された〉
最初は「いやだなあ」と思いました。ガキ大将の私は先生からほめられるより、叱られる方が圧倒的に多かったからです。でも仕方なく一応毎日報告する。やはり大抵は「それはお前が悪い!」とげんこつなんですが、たまに「お前のいうことにも一理ある」となることもありました。すると「ちょっとは俺のことも考えてくれているのかな」と思えるのです。日々の報告は、父とのコミュニケーションの始まりでした。あの時間がもし、なかったら「げんこつを振り回すだけのとんでもないおやじだ」となって、私は非行化していたかもしれません。 つづく
それは皆様、多分ご存知のTBS系「世界ふしぎ発見」(日立製作所提供)ですが、その著名キャスター草野 仁氏が『生涯現役を貫くには・・・』を真摯に語っているコラムを産経ニュースサイトで見付けました。以下3回連続でご紹介します。
【URL=http://www.sankei.com/premium/news/150921/prm1509210014-n1.html 】
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草 野 仁(71)= キ ャ ス タ ー =
生 涯 現 役 を 貫 く に は 、
ど ん な 仕 事 で も 必 死 に
取 り 組 み 、 少 し ア バ ウ ト に ・ ・ ・
【草野 仁〈くさの・ひとし〉プロフィール】1944年、旧満州・新京(現長春)市生まれ。引き揚げ後は長崎県で育つ。東京大文学部卒業後、NHKに入局。1984年ロサンゼルス五輪の総合司会をはじめ、スポーツキャスターとして活躍。翌年にNHKを退局し、フリーに。現在「世界ふしぎ発見!」(TBS系)、「主治医が見つかる診療所」(テレビ東京系)などに出演中。近著に『話す力』(小学館新書)、『老い駆けろ!人生』(角川新書)。
年 齢 は ハ ー ド ル に は な ら な い
〈テレビの世界に身を置いて半世紀近く。おなじみの落ち着いた語り口とは裏腹に、スポーツからバラエティーまで、年齢を感じさせないエネルギッシュな活躍を続けている〉
生まれつきの元気さもありますね。それに私自身が良くいえばポジティブ、どちらかといえばアバウトな方でして、必要以上に引きずって悩むことはないからでしょう。われわれテレビマンが一番気にする視聴率は、放送翌日には1分刻みで全局のデータが出てきます。それを元に反省するわけですが、「面白いと思ったのに意外と視聴率が低い」といった場合、他局がそのときに何をやっていたのかを細かくチェックし、放送する話題を入れ替えた方がよかったのでは…などと考えます。しかし、あまりに微に入り細に入りしてもきりがありません。問題点をある程度把握したら、次は同じ間違いをしないように、と心を決めます。
ただ普段元気に仕事をしていても、言われてみればもう71歳。当然ながらいつかは自分にも「死」がやってくる。最近は「死」を前提に、ものを考えることもあります。そこでここ1年くらいかけてじっくりと腰を据えて考えたことを、本にまとめてみました。
〈近著『老い駆けろ!人生』(角川新書)では、自身の半生をまじえて“老境”を生きるヒントを語った〉
日本人には、65歳で定年になったら後はゆっくりしよう、という考えの方も多いと思います。でも、そこでさまざまなことをスローダウンしてしまうと、肉体的にも精神的にも衰えが来始めている年齢だけに、その衰えを表面化させてしまうのではないかと思います。年齢は忘れて、古希を迎えようが、90歳になろうが、やりたいことをやり続ければいい。年齢は何かをやろうとするとき、それを阻害するものではないのです。
〈30年目に入った「日立 世界ふしぎ発見!」(TBS系)をはじめ、4本のレギュラー番組をかかえ、CMや講演もこなす“スーパーひとし君”の秘訣(ひけつ)は食生活だという〉
テレビ東京系「主治医が見つかる診療所」でいろいろな医師の先生にお会いして、そのアドバイスをやってみることがあります。例えばメタボ対策には、炭水化物を少し減らし、肉や野菜はしっかり食べるといい、と聞いた。ご飯を2杯食べていたら1杯に、パンを2切れ食べていたら1切れにする。タンパク質は毎日食べてよい。そんなことです。
最初は私も「何言ってるんだか。日本人は白米を食べなきゃ元気が出ないよ!」なんて思ったのですが、やってみると何ら苦痛は感じない。体重はひと月で2~3キロ、1年で5~6キロ落ちました。体の調子もとても良い。良い方法だと実感できたので、もう2年以上続けています。空腹を我慢しなくてよいので、リバウンドがありません。男性の方が効果は出やすいと聞きましたが、メタボでお悩みの方には確信をもってお勧めできる方法だと思っています。
父 と の 思 い 出
〈旧満州で生まれた草野仁さんは終戦後、祖母の家があった長崎で育った。大学教授だった父は、明治生まれの厳格な人だった〉
父は戦後、シベリア抑留を3年半経験した。帰国したときが、私が父を意識して見た最初です。夏場なのに支給品のカーキ色の防寒服のようなものを着て、茶の間に座った父を「怖そうな人だな」と思った記憶があります。
父はその半年後に長崎大学に職を得ました。すべてを大陸に残してきたのですから、ゼロから生活を再建しなければなりません。母も中学の教師をして、2人で忙しく働いていました。鍵っ子の私は、時々「買い物をしておけ」と命じられるのですが、遊びに夢中で気づくとすでに辺りが暗くなっている。慌てて家に帰るものの、先に帰宅した父からげんこつが降ってくるのです。父が作った算数の問題を解かずにいてもやはりげんこつ。手加減はしてくれていたでしょうが、これがことのほか痛い。そのたびに母が「お父さんはお前が憎くてたたくんじゃない。お前はやればできるんだから」と慰めてくれました。そんなわけで小学校低学年のときはもう、ただ怖いだけです。自分から父に話しかけたことなど一度もありませんでした。
〈中学入学を契機に父から「学校で起きたことはすべて報告するように」と言い渡された〉
最初は「いやだなあ」と思いました。ガキ大将の私は先生からほめられるより、叱られる方が圧倒的に多かったからです。でも仕方なく一応毎日報告する。やはり大抵は「それはお前が悪い!」とげんこつなんですが、たまに「お前のいうことにも一理ある」となることもありました。すると「ちょっとは俺のことも考えてくれているのかな」と思えるのです。日々の報告は、父とのコミュニケーションの始まりでした。あの時間がもし、なかったら「げんこつを振り回すだけのとんでもないおやじだ」となって、私は非行化していたかもしれません。 つづく