西條氏:組織力を最大限に伸ばす原理1
2015年8月1日 お仕事 「日本の人事部」サイトは、企業経営者や人事担当者など人事に関する課題を抱える関係者のためのポータルサイトで、 日本最大の人事キーパーソン会員数を誇る情報ネットワークだといわれている。
私たち「日本生涯現役推進協議会」が、民間主導でわが国の『生涯現役社会づくり』推進活動を組織的に実践するための、西條剛央氏インタービュ記事をぜひ「日本の人事部」サイトの転載から学ばせていただきたい。
【ご参考URL=https://jinjibu.jp/article/detl/keyperson/1242/】
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チーム作りに必要な“現場で役立つ哲学”とは
組織の力を最大限に伸ばす「原理」について考える(前編)
西條 剛央さん(早稲田大学大学院 客員准教授、本質行動学アカデメイア代表)
Profile:さいじょう・たけお●
1974年宮城県仙台市生まれ。早稲田大学人間科学部卒。同大学院で博士号(人間科学)取得。早稲田大学大学院MBA専任講師を経て、現在、同客員准教授。本質行動学アカデメイア代表、いいチームを作りましょうプロジェクト代表、スマートサイバープロジェクト代表を兼務。「構造構成主義」という独自のメタ理論を提唱。この理論を用い、東日本大震災後の2011年4月、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、ボランティア未経験ながら日本最大級の総合支援プロジェクトへと成長させる。同プロジェクトは2014年、世界で最も権威あるデジタル・メディア・アートのコンペティション、「アルス・エレクトロニカ」のコミュニティ部門において、最優秀賞にあたる「ゴールデン・ニカ」を日本人として初受賞。同年、「ベストチーム・オブ・ザ・イヤー2014」も受賞。『構造構成主義とは何か』(北大路書房)、『人を助けるすんごい仕組み』(ダイヤモンド社)、絵本『ぼくもだっこ』(講談社)、『チームの力――構造構成主義による“新”組織論』(筑摩書房)など、著書・共著書多数。
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実践的なチーム作りについてまとめた書籍『チームの力――構造構成主義による“新”組織論』が、注目を集めています。さまざまなメディアで大きく取り上げられたほか、ビジネス・経済書関連の各種売上ランキングでも、軒並み上位を獲得。著者は、早稲田大学大学院 客員准教授の西條剛央さんです。西條さんは心理学、哲学を専門とし、独自のメタ理論「構造構成主義」を創唱。東日本大震災が起きた際には「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、日本最大級の総合支援プロジェクトに育て上げました。それら専門の理論やプロジェクトの経験をベースに、チームの力を最大限に引き出す原理と方法を提示した本書。これまでの組織論にはない切り口は、企業の人事担当者の方々にとっても、大いに参考になるに違いありません。西條さんに、チームを作っていく上で必要な“現場で役立つ哲学”について詳しいお話を伺いました。
未 曾 有 の チ ー ム 「 ふ ん ば ろ う 東 日 本 支 援
プ ロ ジ ェ ク ト 」 は ど の よ う に で き た の か
―― 西條さんは、東日本大震災のボランティア組織「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、日本最大級の総合支援プロジェクトまで成長させました。どのようにして、そのような大規模な組織を作ることができたのでしょうか。
2011年3月の東日本大震災で、私の故郷である仙台は、圧倒的な被害を受けました。3月下旬に車に支援物資を積んで現地に入ったのですが、そこで目にしたのは打ち砕かれた防波堤や折り曲げられた電柱など、圧倒的な破壊の姿。避難所を見ると、拠点となるところには物資が届いていても、その先の小さなところまでは届いていない状況でした。それなのに、物資が余っているという情報が流れている。多くの人たちが困っているのに、不合理なこと、理不尽なことが起こっていたんです。それなら自分がやるしかない、と考えました。
現地の行政は壊滅的な打撃を受け、国も含めて情報を統制してコントロールできるような状態ではなかったので、「タテ組織で統率する」という発想は捨てました。それぞれが自律的に動き、結果として効果的な支援が成立する仕組みが必要だと考えたんです。現地に入った翌日にはホームページを立ち上げ、避難所で聞いてきた必要な物資を掲載。ツイッタ―にリンクして拡散しました。必要な物資が送られたら、ホームページ上からは消す。そうすれば、必要以上の物資が送られてくることもありません。ツイッタ―の拡散力、ホームページの制御力、宅配便という既存のインフラを活用して、必要な物資を必要な分、必要としている人に直送する仕組みを作ったんです。
この仕組みは、SNSを使って被災地への支援を呼びかける後方支援と、前線で活動するボランティアを有機的に連動させることによって作り出される総合支援プロジェクトへと発展。3000ヵ所以上の避難所や仮設住宅を支援する「物資支援プロジェクト」や、日本赤十字社の支援を受けられない個人避難宅25000世帯以上に家電を支援する「家電プロジェクト」など、50以上のプロジェクトやチームを作り上げました。最終的に「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は3000人ものスタッフが運営するプロジェクトに成長しましたが、SNSでの情報を拡散や応援してくれた方々も含めれば、10万人以上の人が関わった、まさに未曾有のチームでした。
―― それほど大規模な組織を、どのように運営されていたのですか。
この組織のユニークなところの一つは、チーム名簿がないことです。組織の中心はあっても、組織の内外という“境界”はなく、誰でも参加できるようにしました。“小さな力を集めて大きな力に”を戦略的指標として、それを実現するための仕組みを次々と考案していったんです。
その際にもっとも機能したのが“方法の原理”です。方法の有効性は“状況”と“目標”によって変わるというものです。現地で状況を見て、目標を達成するための有効な方法をその都度考えるという考え方を指針として共有しました。
数十ものプロジェクトを同時進行で運営していく上で役に立ったのは、フェイスブックのグループ機能です。プロジェクトや支部チームごとにグループを作り、それぞれの中でリーダーや会計担当、Web担当など、できるだけ細分化して役職を引き受けてもらいました。具体的な役割を与えられたほうが、それぞれが責任をもって進めやすくなるからです。最初こそ私がけん引したプロジェクトは多かったのですが、軌道に乗りさえすれば、あとは良いリーダーがいるとどんどん進むので、できるだけ任せるようにしました。
また、極めて重要なこととして「縦割りの弊害」が起きないよう、メンバーにはできるだけ、複数のグループに入ってもらうようにしました。いろいろなグループに入っていれば、帰属意識が分散します。「自分のプロジェクトさえうまくいけばいい」といった視野の偏狭化に陥ることなく、全体としてうまくいくようにする、全体最適の視点を保てるようになるからです。
―― SNSなど、ネットを効果的に活用されていましたね。
各チームには、ネット上でやるとりする際、必ず肯定してから意見を述べるように働きかけました。「すべての人間は肯定されたいと願っている」という“人間の原理”に基づくものです。前線で物資を配る人から後方支援の人までいる中で、一番良くないのはお互いが「自分の方がえらい」と張り合うこと。「みんながいて、私もこれだけの仕事ができている」ということを認め合い、感謝し合うことが大事です。理想の状態は、お互いに感謝の気持ちを伝えることで「肯定の循環」が起こり、それをエネルギーにチームが駆動していくことなんです。 つづく
私たち「日本生涯現役推進協議会」が、民間主導でわが国の『生涯現役社会づくり』推進活動を組織的に実践するための、西條剛央氏インタービュ記事をぜひ「日本の人事部」サイトの転載から学ばせていただきたい。
【ご参考URL=https://jinjibu.jp/article/detl/keyperson/1242/】
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チーム作りに必要な“現場で役立つ哲学”とは
組織の力を最大限に伸ばす「原理」について考える(前編)
西條 剛央さん(早稲田大学大学院 客員准教授、本質行動学アカデメイア代表)
Profile:さいじょう・たけお●
1974年宮城県仙台市生まれ。早稲田大学人間科学部卒。同大学院で博士号(人間科学)取得。早稲田大学大学院MBA専任講師を経て、現在、同客員准教授。本質行動学アカデメイア代表、いいチームを作りましょうプロジェクト代表、スマートサイバープロジェクト代表を兼務。「構造構成主義」という独自のメタ理論を提唱。この理論を用い、東日本大震災後の2011年4月、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、ボランティア未経験ながら日本最大級の総合支援プロジェクトへと成長させる。同プロジェクトは2014年、世界で最も権威あるデジタル・メディア・アートのコンペティション、「アルス・エレクトロニカ」のコミュニティ部門において、最優秀賞にあたる「ゴールデン・ニカ」を日本人として初受賞。同年、「ベストチーム・オブ・ザ・イヤー2014」も受賞。『構造構成主義とは何か』(北大路書房)、『人を助けるすんごい仕組み』(ダイヤモンド社)、絵本『ぼくもだっこ』(講談社)、『チームの力――構造構成主義による“新”組織論』(筑摩書房)など、著書・共著書多数。
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実践的なチーム作りについてまとめた書籍『チームの力――構造構成主義による“新”組織論』が、注目を集めています。さまざまなメディアで大きく取り上げられたほか、ビジネス・経済書関連の各種売上ランキングでも、軒並み上位を獲得。著者は、早稲田大学大学院 客員准教授の西條剛央さんです。西條さんは心理学、哲学を専門とし、独自のメタ理論「構造構成主義」を創唱。東日本大震災が起きた際には「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、日本最大級の総合支援プロジェクトに育て上げました。それら専門の理論やプロジェクトの経験をベースに、チームの力を最大限に引き出す原理と方法を提示した本書。これまでの組織論にはない切り口は、企業の人事担当者の方々にとっても、大いに参考になるに違いありません。西條さんに、チームを作っていく上で必要な“現場で役立つ哲学”について詳しいお話を伺いました。
未 曾 有 の チ ー ム 「 ふ ん ば ろ う 東 日 本 支 援
プ ロ ジ ェ ク ト 」 は ど の よ う に で き た の か
―― 西條さんは、東日本大震災のボランティア組織「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、日本最大級の総合支援プロジェクトまで成長させました。どのようにして、そのような大規模な組織を作ることができたのでしょうか。
2011年3月の東日本大震災で、私の故郷である仙台は、圧倒的な被害を受けました。3月下旬に車に支援物資を積んで現地に入ったのですが、そこで目にしたのは打ち砕かれた防波堤や折り曲げられた電柱など、圧倒的な破壊の姿。避難所を見ると、拠点となるところには物資が届いていても、その先の小さなところまでは届いていない状況でした。それなのに、物資が余っているという情報が流れている。多くの人たちが困っているのに、不合理なこと、理不尽なことが起こっていたんです。それなら自分がやるしかない、と考えました。
現地の行政は壊滅的な打撃を受け、国も含めて情報を統制してコントロールできるような状態ではなかったので、「タテ組織で統率する」という発想は捨てました。それぞれが自律的に動き、結果として効果的な支援が成立する仕組みが必要だと考えたんです。現地に入った翌日にはホームページを立ち上げ、避難所で聞いてきた必要な物資を掲載。ツイッタ―にリンクして拡散しました。必要な物資が送られたら、ホームページ上からは消す。そうすれば、必要以上の物資が送られてくることもありません。ツイッタ―の拡散力、ホームページの制御力、宅配便という既存のインフラを活用して、必要な物資を必要な分、必要としている人に直送する仕組みを作ったんです。
この仕組みは、SNSを使って被災地への支援を呼びかける後方支援と、前線で活動するボランティアを有機的に連動させることによって作り出される総合支援プロジェクトへと発展。3000ヵ所以上の避難所や仮設住宅を支援する「物資支援プロジェクト」や、日本赤十字社の支援を受けられない個人避難宅25000世帯以上に家電を支援する「家電プロジェクト」など、50以上のプロジェクトやチームを作り上げました。最終的に「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は3000人ものスタッフが運営するプロジェクトに成長しましたが、SNSでの情報を拡散や応援してくれた方々も含めれば、10万人以上の人が関わった、まさに未曾有のチームでした。
―― それほど大規模な組織を、どのように運営されていたのですか。
この組織のユニークなところの一つは、チーム名簿がないことです。組織の中心はあっても、組織の内外という“境界”はなく、誰でも参加できるようにしました。“小さな力を集めて大きな力に”を戦略的指標として、それを実現するための仕組みを次々と考案していったんです。
その際にもっとも機能したのが“方法の原理”です。方法の有効性は“状況”と“目標”によって変わるというものです。現地で状況を見て、目標を達成するための有効な方法をその都度考えるという考え方を指針として共有しました。
数十ものプロジェクトを同時進行で運営していく上で役に立ったのは、フェイスブックのグループ機能です。プロジェクトや支部チームごとにグループを作り、それぞれの中でリーダーや会計担当、Web担当など、できるだけ細分化して役職を引き受けてもらいました。具体的な役割を与えられたほうが、それぞれが責任をもって進めやすくなるからです。最初こそ私がけん引したプロジェクトは多かったのですが、軌道に乗りさえすれば、あとは良いリーダーがいるとどんどん進むので、できるだけ任せるようにしました。
また、極めて重要なこととして「縦割りの弊害」が起きないよう、メンバーにはできるだけ、複数のグループに入ってもらうようにしました。いろいろなグループに入っていれば、帰属意識が分散します。「自分のプロジェクトさえうまくいけばいい」といった視野の偏狭化に陥ることなく、全体としてうまくいくようにする、全体最適の視点を保てるようになるからです。
―― SNSなど、ネットを効果的に活用されていましたね。
各チームには、ネット上でやるとりする際、必ず肯定してから意見を述べるように働きかけました。「すべての人間は肯定されたいと願っている」という“人間の原理”に基づくものです。前線で物資を配る人から後方支援の人までいる中で、一番良くないのはお互いが「自分の方がえらい」と張り合うこと。「みんながいて、私もこれだけの仕事ができている」ということを認め合い、感謝し合うことが大事です。理想の状態は、お互いに感謝の気持ちを伝えることで「肯定の循環」が起こり、それをエネルギーにチームが駆動していくことなんです。 つづく
西條氏:組織力を最大限に伸ばす原理2
2015年8月2日 お仕事 チ ー ム の 本 質 と は 何 か 。
ど の よ う に 作 っ て い く べ き な の か
―― 「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は、2014年9月に発展的解消を遂げ、資金管理に特化した「支援基金」と各独立団体からなる新たな体制に移行しました。これまでの活動を振り返ってみて、改めて「チーム」とはどういうものだとお考えですか。
「チーム」と似た言葉に「グループ」がありますが、「野球チーム」「サッカーチーム」とは言っても、「野球グループ」「サッカーグループ」とは言いませんね。チームとは単なる集団を超えた、「何らかの目的を実現するために結成されたもの」です。それに対してグループは、「仲良しグループ」などというように、必ずしも目的達成を念頭に置いていません。「グループ/チーム」という対比は、「集団/組織」という言葉に置き換えることができるでしょう。集団とは単なる人の集まりであるのに対し、組織は「何らかの目的を達成するための有機体」なのです。
したがって、チームや組織のリーダーがまずやるべきことは、チーム作りのすべての判断基準になる「目的」を明確にすることです。どういうメンバーが必要で、どのような戦略が有効で、どういうリーダーシップが求められるのか、いずれも「目的」を抜きに考えることはできないからです。目的は全ての判断の起点となるので、末尾に至るまで注意深く明文化する必要があります。明文化できていれば、メンバーは目的を常に意識し、それを基点にそれぞれが判断できるようになるので、自律的なチームを作ることができます。
「目的の明確化」は、「チーム(組織)の理念」にもつながっていきます。それは目的の抽象度を上げて、その本質を象徴的に言い当てたものであり、そのチーム(組織)の目指すべき方向を端的に示したもの。価値観が表明されたものと言っていいでしょう。根本的な価値観が合わない人がうまくやっていくことが難しいように、たとえば、理念に共感して入社した新入社員も、会社の実態が「理念」と真逆であると悟ったら、退職してしまう。だからこそ、リーダーは理念に忠実に意思決定し行動すること、また、それをメンバーに浸透させることが求められます。
―― 「理念」は抽象度が高く概念的なものですが、うまく伝えるにはどうすればいいのでしょうか。
リーダーが「理念」について語るとき、その想いと言葉は借りものであってはいけません。なぜなら、その人が本気で実現する価値があると思えば、その情熱は伝播するし、逆に心の底から思っていなければ、そのことも伝わってしまうからです。
よくダイバーシティが大事だと言われますが、根本的な価値観が同じでなければ、ただのカオスにしかなりません。メンバーの能力のみに目を奪われがちですが、価値観の違いとは、違う価値観のルールブックを持っているということ。同じ価値観に基づくルールブックがなければ軋轢や齟齬が生じやすく、チーム全体のエネルギーが削がれてしまい、チームは機能しなくなってしまいます。価値観を同じくする多様な個性や能力を持つ人を集めた“理念に基づくダイバーシティ”こそ、チームを作る上での戦略的指標とすべきでしょう。
―― 「理念」と似た言葉に「ビジョン」がありますが、どういった点が違うとお考えですか。
「ビジョン」とは、組織が目指すべき将来像をスケッチした“下書き”と考えればわかりやすいでしょう。下書きがあれば、みんなそれぞれが、ビジョンの具現化に向かって自律的に活動していくことができます。特にその下書きが魅力的なものであればあるほど、人はその実現のために協力したいと思うようになる。リーダーは組織の目的を達成したときに、何が具現化するのか、社会はどうなるのか、人々に何をもたらすのかを含めて、ビジョンを伝えることが大切です。
ビジョンには、理念に近く組織が目指すべき大きな方向性として機能する“ビッグビジョン”と、より具体的な“個別ビジョン”があります。この二つを分けて考えるとビジョンを立てやすくなります。いずれも鮮明にイメージできるものほど、実現に向けて多くの人が自律的に動きやすくなるので、ビジョンを作る時はその点を意識するといいでしょう。
「ふんばろう東日本支援プロジェクト」のビッグビジョンは、「この悲惨な出来事を肯定することは決してできないが、あのことがあったからこんなふうになれたと思うことはできる。それがぼくらが目指すべき未来なのだ」というものでした。もともと、東日本大震災の五日後に私自身が前に進むために書いたものですが、プロジェクトを運営するにあたっては、折に触れてこの言葉をメンバーと共有し、長期にわたり活動を続けていく上での大きな推進力となりました。 つづく
ど の よ う に 作 っ て い く べ き な の か
―― 「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は、2014年9月に発展的解消を遂げ、資金管理に特化した「支援基金」と各独立団体からなる新たな体制に移行しました。これまでの活動を振り返ってみて、改めて「チーム」とはどういうものだとお考えですか。
「チーム」と似た言葉に「グループ」がありますが、「野球チーム」「サッカーチーム」とは言っても、「野球グループ」「サッカーグループ」とは言いませんね。チームとは単なる集団を超えた、「何らかの目的を実現するために結成されたもの」です。それに対してグループは、「仲良しグループ」などというように、必ずしも目的達成を念頭に置いていません。「グループ/チーム」という対比は、「集団/組織」という言葉に置き換えることができるでしょう。集団とは単なる人の集まりであるのに対し、組織は「何らかの目的を達成するための有機体」なのです。
したがって、チームや組織のリーダーがまずやるべきことは、チーム作りのすべての判断基準になる「目的」を明確にすることです。どういうメンバーが必要で、どのような戦略が有効で、どういうリーダーシップが求められるのか、いずれも「目的」を抜きに考えることはできないからです。目的は全ての判断の起点となるので、末尾に至るまで注意深く明文化する必要があります。明文化できていれば、メンバーは目的を常に意識し、それを基点にそれぞれが判断できるようになるので、自律的なチームを作ることができます。
「目的の明確化」は、「チーム(組織)の理念」にもつながっていきます。それは目的の抽象度を上げて、その本質を象徴的に言い当てたものであり、そのチーム(組織)の目指すべき方向を端的に示したもの。価値観が表明されたものと言っていいでしょう。根本的な価値観が合わない人がうまくやっていくことが難しいように、たとえば、理念に共感して入社した新入社員も、会社の実態が「理念」と真逆であると悟ったら、退職してしまう。だからこそ、リーダーは理念に忠実に意思決定し行動すること、また、それをメンバーに浸透させることが求められます。
―― 「理念」は抽象度が高く概念的なものですが、うまく伝えるにはどうすればいいのでしょうか。
リーダーが「理念」について語るとき、その想いと言葉は借りものであってはいけません。なぜなら、その人が本気で実現する価値があると思えば、その情熱は伝播するし、逆に心の底から思っていなければ、そのことも伝わってしまうからです。
よくダイバーシティが大事だと言われますが、根本的な価値観が同じでなければ、ただのカオスにしかなりません。メンバーの能力のみに目を奪われがちですが、価値観の違いとは、違う価値観のルールブックを持っているということ。同じ価値観に基づくルールブックがなければ軋轢や齟齬が生じやすく、チーム全体のエネルギーが削がれてしまい、チームは機能しなくなってしまいます。価値観を同じくする多様な個性や能力を持つ人を集めた“理念に基づくダイバーシティ”こそ、チームを作る上での戦略的指標とすべきでしょう。
―― 「理念」と似た言葉に「ビジョン」がありますが、どういった点が違うとお考えですか。
「ビジョン」とは、組織が目指すべき将来像をスケッチした“下書き”と考えればわかりやすいでしょう。下書きがあれば、みんなそれぞれが、ビジョンの具現化に向かって自律的に活動していくことができます。特にその下書きが魅力的なものであればあるほど、人はその実現のために協力したいと思うようになる。リーダーは組織の目的を達成したときに、何が具現化するのか、社会はどうなるのか、人々に何をもたらすのかを含めて、ビジョンを伝えることが大切です。
ビジョンには、理念に近く組織が目指すべき大きな方向性として機能する“ビッグビジョン”と、より具体的な“個別ビジョン”があります。この二つを分けて考えるとビジョンを立てやすくなります。いずれも鮮明にイメージできるものほど、実現に向けて多くの人が自律的に動きやすくなるので、ビジョンを作る時はその点を意識するといいでしょう。
「ふんばろう東日本支援プロジェクト」のビッグビジョンは、「この悲惨な出来事を肯定することは決してできないが、あのことがあったからこんなふうになれたと思うことはできる。それがぼくらが目指すべき未来なのだ」というものでした。もともと、東日本大震災の五日後に私自身が前に進むために書いたものですが、プロジェクトを運営するにあたっては、折に触れてこの言葉をメンバーと共有し、長期にわたり活動を続けていく上での大きな推進力となりました。 つづく
西條氏:組織力を最大限に伸ばす原理3
2015年8月3日 お仕事 構 造 構 成 主 義 」 に 基 づ く
組 織 行 動 論 の 意 義 と は
―― そのほかに、チームを作っていく上で重要な要素とは何でしょうか。
チーム作りに役立つ原理として“価値の原理”があります。“すべての価値は目的や関心、欲望といったものに応じて(相関して)立ち現れる”というものです。いつもは雨が降ってきたら嫌がる人も、災害でライフラインが断絶している状況では、雨水が貴重なものとして立ち現れる。価値とはどこかに転がっているものではなく、必ず特定の欲望や関心、目的といったものに相関して立ち現れるのです。
つまり、チームの目的や理念を抜きに、どういうチーム編成がよいか、どういった戦略がよいかといった議論はできないということです。「何がよいか」と問う前に、必ず「何をしたいのか」を明らかにしなければならない。だから、目的や理念、ビジョンを明確にすることが最初の最重要ポイントになるのです。
「構造構成主義」でいう「原理」とは、信じることを求めません。むしろ疑い、吟味し、検証してください、というオープンな姿勢を基本とします。“価値の原理”が、いつでもどこでも例外なく妥当する原理と言えるか、確かめてみてほしい。たとえば、お金は一見万能のようですが、関心や目的と無関係に絶対的な価値があるかどうか。たとえば、おぼれているときにお金を渡されてありがたいと思う人はいないだろうから、やはり絶対的なものではない。むしろ、一個の浮き輪が掛け替えのない価値として立ち現れるはずです。そのようにさまざまなケースを想定し、本当に例外がないかどうか、徹底的に吟味してみるのです。そして、確かにすべての価値判断は関心や目的に応じて立ち現れていると言わざるをえないと納得できたら、いつでもどこでも洞察できるツールを手に入れることができた、ということです。
批判的吟味を通して“例外なくそのように答える”と確かめられた“原理”は、経験に基づく個別論理とは異なり、いつでもどこでも普遍的に洞察できる“視点”として活用することが可能になります。さらに原理的に考える限り、そのように考えるしかないという強靭な理路に支えられているため、立場や流派や専門分野を超えて了解される深度を備えています。これが行動科学ベースの通常の組織行動にはない、「構造構成主義」に基づく組織行動論(本質行動学)の最大の意義と言ってよいでしょう。 つづく
組 織 行 動 論 の 意 義 と は
―― そのほかに、チームを作っていく上で重要な要素とは何でしょうか。
チーム作りに役立つ原理として“価値の原理”があります。“すべての価値は目的や関心、欲望といったものに応じて(相関して)立ち現れる”というものです。いつもは雨が降ってきたら嫌がる人も、災害でライフラインが断絶している状況では、雨水が貴重なものとして立ち現れる。価値とはどこかに転がっているものではなく、必ず特定の欲望や関心、目的といったものに相関して立ち現れるのです。
つまり、チームの目的や理念を抜きに、どういうチーム編成がよいか、どういった戦略がよいかといった議論はできないということです。「何がよいか」と問う前に、必ず「何をしたいのか」を明らかにしなければならない。だから、目的や理念、ビジョンを明確にすることが最初の最重要ポイントになるのです。
「構造構成主義」でいう「原理」とは、信じることを求めません。むしろ疑い、吟味し、検証してください、というオープンな姿勢を基本とします。“価値の原理”が、いつでもどこでも例外なく妥当する原理と言えるか、確かめてみてほしい。たとえば、お金は一見万能のようですが、関心や目的と無関係に絶対的な価値があるかどうか。たとえば、おぼれているときにお金を渡されてありがたいと思う人はいないだろうから、やはり絶対的なものではない。むしろ、一個の浮き輪が掛け替えのない価値として立ち現れるはずです。そのようにさまざまなケースを想定し、本当に例外がないかどうか、徹底的に吟味してみるのです。そして、確かにすべての価値判断は関心や目的に応じて立ち現れていると言わざるをえないと納得できたら、いつでもどこでも洞察できるツールを手に入れることができた、ということです。
批判的吟味を通して“例外なくそのように答える”と確かめられた“原理”は、経験に基づく個別論理とは異なり、いつでもどこでも普遍的に洞察できる“視点”として活用することが可能になります。さらに原理的に考える限り、そのように考えるしかないという強靭な理路に支えられているため、立場や流派や専門分野を超えて了解される深度を備えています。これが行動科学ベースの通常の組織行動にはない、「構造構成主義」に基づく組織行動論(本質行動学)の最大の意義と言ってよいでしょう。 つづく
西條氏:組織力を最大限に伸ばす原理4
2015年8月4日 お仕事 チーム作りに必要な“現場で役立つ哲学”とは
組織の力を最大限に伸ばす「原理」について考える(後編)
「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、日本最大級の総合支援プロジェクトに育て上げた、西條剛央さん。前編ではチームの作り方についてうかがいましたが、後編では、「現場で役立つ哲学」という観点から、どのように組織を運営していけばいいのかを中心に、詳しいお話をうかがいました。
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変 化 の 時 代 、 組 織 に 必 要 な の は
“ 方 法 の 原 理 ” の 共 有 と 実 践
―― チームを機能させていくために、重要なこととは何でしょうか。
私は「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を運営していましたが、それまではボランティア経験も、会社やNPOなどの組織を経営したことも全くありませんでした。私の唯一の武器は「哲学」だけだったんです。ここからは「現場で役立つ哲学」という観点から、“方法の原理”に焦点をあて、機能するチームに必要な考え方をご紹介していきたいと思います。
「哲学」とは何か、いろいろな考え方がありますが、「前提を問い直す」ことと、「物事の本質を洞察すること」という主に二つの機能からなる“考え方”という位置づけでお話しましょう。実際、「構造構成主義」は「方法とは何か」「価値とは何か」「人間とは何か」といった根本的な問いに答える理論の体系なのです。
「構造構成主義」において、方法とは「特定の状況において使われる、目的を達成するための手段」と定義されます。人事の方々は日々、組織の中で方法の是非について議論されていることでしょう。あるいは、「こうすればうまくいく」という法則があると思われているかもしれません。しかし原理上、「どんな状況で」「何をしたいか」を抜きにして、どういう方法が良いかが決まることはありません。つまり、どんな状況、目的においても機能する「絶対に正しい方法」はない、ということです。これまで「正しい」と思っていた方法でも、状況や目的が変われば、「間違った方法」になりえます。この「方法の有効性は、状況と目的に応じて決まる」という“方法の原理”は、いつでもどこでも例外なく妥当します。こうした“普遍性”を備えた考え方が“原理”なのです。
東日本大震災で既存の物資支援の方法や枠組みの多くが機能しなかったのは、それまで有効だった方法が、状況が変わったことによって有効ではなくなったからです。一方、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」が機能したのは、常に状況に応じて有効な方法を考えだすための“方法の原理”を共有し、それを指針にして実践したからです。
東日本大震災が起きた直後、既存のマッチングサイトは役に立ちませんでした。津波によってすべて流されてしまったエリアでは電気、水道、ガスなど、全てのライフラインが止まっていて、当然パソコンやネット環境もないため、提供者と受給者双方がアクセスするタイプのマッチングサイトは機能しなかったからです。これは「目的」は妥当であっても、「状況」によっては役に立たないという例です。“原理”とは、言われてみると当たり前のように感じるものであり、それに沿えば必ずうまくいくというものではありませんが、それから踏み外したときには必ず失敗するというものなのです。そして、先ほどの例のように、現実には「言われてみれば当たり前のこと」に思いをめぐらせることがないため、多くの人が“原理”を踏み外して失敗してしまうのです。では、なぜ原理的な哲学が現実の組織行動において役立つのかというと、それは、事柄の本質が明らかになると認識も明晰になり、自覚的に行動することが可能になるからです。
―― 状況に応じて、より有効な方法を模索し実行するということですね。
私は「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げた当初から、“クジラではなく小魚の群れになろう”と言っていました。行政や大企業などの大きな組織(クジラ)の力はすごいけれど、当時の被災地のように状況やニーズが刻々と変化していく状況では、機動性と臨機応変性が求められます。そうした状況では、動きが遅いクジラではなく、小魚の群れのように一瞬で方向転換できる機能体のほうが力を発揮しやすい。このような“方法の原理”をはじめとする考え方に基づき、そのときの被災地の状況を踏まえながら、被災者支援という目的に沿って活動を進めました。
プロジェクトの基本的な考え方として、“方法の原理”をホームページに明示。早い段階から共有するようにしました。状況と目的から最適な方法を導き出す“方法の原理”は、現場判断による臨機応変な対応を担保するためにも機能する。当初はどこで何が起きているのか、誰にもわからない状況だったので、そのときの状況を見て「よい」と思ったことを現場判断で自律的にどんどん進めてもらうために導入しました。
現在の日本の組織の多くは、“方法の原理”が根付いていないため、経験的に培った方法を踏襲することしかできません。そのため、本来の目的を重視するよりも、方法を遵守する“方法の自己目的化”に陥りやすいのです。だから、未曾有の災害や変化の激しい時代に対応できなくなってしまう。状況の変化は加速する一方で、今年通用した戦略や方法が来年も通用する保証はありません。状況が変われば、方法も変える必要があります。“方法の原理”をリテラシーとして共有できれば、その組織は前例主義の硬直した状況を打開していくことができます。そういう組織でなければ、これからの時代を生き残っていくことは難しいでしょう。 つづく
組織の力を最大限に伸ばす「原理」について考える(後編)
「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、日本最大級の総合支援プロジェクトに育て上げた、西條剛央さん。前編ではチームの作り方についてうかがいましたが、後編では、「現場で役立つ哲学」という観点から、どのように組織を運営していけばいいのかを中心に、詳しいお話をうかがいました。
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変 化 の 時 代 、 組 織 に 必 要 な の は
“ 方 法 の 原 理 ” の 共 有 と 実 践
―― チームを機能させていくために、重要なこととは何でしょうか。
私は「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を運営していましたが、それまではボランティア経験も、会社やNPOなどの組織を経営したことも全くありませんでした。私の唯一の武器は「哲学」だけだったんです。ここからは「現場で役立つ哲学」という観点から、“方法の原理”に焦点をあて、機能するチームに必要な考え方をご紹介していきたいと思います。
「哲学」とは何か、いろいろな考え方がありますが、「前提を問い直す」ことと、「物事の本質を洞察すること」という主に二つの機能からなる“考え方”という位置づけでお話しましょう。実際、「構造構成主義」は「方法とは何か」「価値とは何か」「人間とは何か」といった根本的な問いに答える理論の体系なのです。
「構造構成主義」において、方法とは「特定の状況において使われる、目的を達成するための手段」と定義されます。人事の方々は日々、組織の中で方法の是非について議論されていることでしょう。あるいは、「こうすればうまくいく」という法則があると思われているかもしれません。しかし原理上、「どんな状況で」「何をしたいか」を抜きにして、どういう方法が良いかが決まることはありません。つまり、どんな状況、目的においても機能する「絶対に正しい方法」はない、ということです。これまで「正しい」と思っていた方法でも、状況や目的が変われば、「間違った方法」になりえます。この「方法の有効性は、状況と目的に応じて決まる」という“方法の原理”は、いつでもどこでも例外なく妥当します。こうした“普遍性”を備えた考え方が“原理”なのです。
東日本大震災で既存の物資支援の方法や枠組みの多くが機能しなかったのは、それまで有効だった方法が、状況が変わったことによって有効ではなくなったからです。一方、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」が機能したのは、常に状況に応じて有効な方法を考えだすための“方法の原理”を共有し、それを指針にして実践したからです。
東日本大震災が起きた直後、既存のマッチングサイトは役に立ちませんでした。津波によってすべて流されてしまったエリアでは電気、水道、ガスなど、全てのライフラインが止まっていて、当然パソコンやネット環境もないため、提供者と受給者双方がアクセスするタイプのマッチングサイトは機能しなかったからです。これは「目的」は妥当であっても、「状況」によっては役に立たないという例です。“原理”とは、言われてみると当たり前のように感じるものであり、それに沿えば必ずうまくいくというものではありませんが、それから踏み外したときには必ず失敗するというものなのです。そして、先ほどの例のように、現実には「言われてみれば当たり前のこと」に思いをめぐらせることがないため、多くの人が“原理”を踏み外して失敗してしまうのです。では、なぜ原理的な哲学が現実の組織行動において役立つのかというと、それは、事柄の本質が明らかになると認識も明晰になり、自覚的に行動することが可能になるからです。
―― 状況に応じて、より有効な方法を模索し実行するということですね。
私は「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げた当初から、“クジラではなく小魚の群れになろう”と言っていました。行政や大企業などの大きな組織(クジラ)の力はすごいけれど、当時の被災地のように状況やニーズが刻々と変化していく状況では、機動性と臨機応変性が求められます。そうした状況では、動きが遅いクジラではなく、小魚の群れのように一瞬で方向転換できる機能体のほうが力を発揮しやすい。このような“方法の原理”をはじめとする考え方に基づき、そのときの被災地の状況を踏まえながら、被災者支援という目的に沿って活動を進めました。
プロジェクトの基本的な考え方として、“方法の原理”をホームページに明示。早い段階から共有するようにしました。状況と目的から最適な方法を導き出す“方法の原理”は、現場判断による臨機応変な対応を担保するためにも機能する。当初はどこで何が起きているのか、誰にもわからない状況だったので、そのときの状況を見て「よい」と思ったことを現場判断で自律的にどんどん進めてもらうために導入しました。
現在の日本の組織の多くは、“方法の原理”が根付いていないため、経験的に培った方法を踏襲することしかできません。そのため、本来の目的を重視するよりも、方法を遵守する“方法の自己目的化”に陥りやすいのです。だから、未曾有の災害や変化の激しい時代に対応できなくなってしまう。状況の変化は加速する一方で、今年通用した戦略や方法が来年も通用する保証はありません。状況が変われば、方法も変える必要があります。“方法の原理”をリテラシーとして共有できれば、その組織は前例主義の硬直した状況を打開していくことができます。そういう組織でなければ、これからの時代を生き残っていくことは難しいでしょう。 つづく
西條氏:組織力を最大限に伸ばす原理5
2015年8月5日 お仕事 な ぜ 組 織 は 臨 機 応 変 に 動 け な い の か
―― 臨機応変が大事だと考えながら、多くの組織では、なぜそれができていないのでしょうか。
その謎を解くには“埋没コスト”という概念が手掛かりになります。埋没コストとは、これまでに積み重ねてきた実績や信頼、費やした時間や資金などの回収不可能なコストのことです。基本的には、時間経過にともなって増大していくことになります。たとえば、戦争をやめられなかったのも、原発を止められなかったのも、方向転換によってこれまで費やしてきた多くのコストが回収不能になるためだとわかります。ほんのわずかな可能性であっても好転する(悪化しない)ことに賭けたいという心理が動き、外部から見ると不合理とも思える行動を続けてしまうのです。
埋没コスト自体は決して新しいものではありませんが、これと“方法の原理”を組み合わせると、組織の不合理に関する洞察を深めていくことができます。たとえばワンマン社長が「ずっとこのやり方で成功してきた」と、部下の進言に耳を傾けずに会社をつぶしてしまったケースは、状況が変わったにもかかわらず、過去の成功方法にとらわれることで起きたことだとわかります。第三者からすれば不合理でも、当人にはそれにとらわれる十分な理由があり、これまで成功してきたという揺るぎない事実もある。その人の中で絶対的なものになっていて、アイデンティティーと一体化している場合、それを変更することはそれまでの人生を否定すること、つまり人生そのものを埋没コストにしてしまうことを意味します。また、その方法が組織の伝統やアイデンティティーになっている場合は、それを変更することは組織を否定することにもなります。
多くの組織の不合理は、これまで費やしてきた時間や労力、資金など、埋没コストという “過去”をベースにした意思決定であるために生じています。それに対して、“方法の原理”は状況と目的、つまり“現在”の状況と目指すべき“未来”を基点とした意思決定。埋没コストによる意思決定とは逆ベクトルによる考え方なのです。
失敗したから、撤退したからといって、すべてが無駄になるわけではありません。それが無意味になるのか、意味のあるものになるのかは、その後で決まります。「出来事の意味は後で決まるのだから、あれがあったからこんなふうになれたと思えるように行動していこう」という強い意志が“未来”を切り開き、埋没コストを意味あるコストに変えることができます。
―― その他に、現在の組織の問題点だとお考えになっていることはありますか。
理念の重要性について先述しましたが、今の日本の組織をむしばんでいるのは、その理念が“形骸化”しているためだと考えています。私はこの状況を、「タテマエ言語ゲーム」と呼んでいます。「言葉としてタテマエを取り繕っておけば、後は何をしてもいいんだ」という姿勢が、多くの組織に見られます。
例えば、大学や学会ではきれいな理念を掲げていますが、実際にはその通りに行動していないし、それが実現されることもない。その組織に所属している人でさえ、知らないこともあります。企業のほうが理念は広く知られているでしょうが、どちらかと言うと、ブランディングのための飾りになってしまっています。大事な理念を、単に響きの良いものにしようとしているんですね。しかし、これはタテマエでしかない。ただの飾りやアリバイで、実効性もありません。理念を作った本人でさえも「本当だと思われてなくてもいい」と開き直っているようにも感じます。
例えば、最近の集団的自衛権をめぐる論争では、憲法も無視していいという状況になっています。国という一番大きな組織の理念である「憲法」にまで、「タテマエ言語ゲーム」が及ぼうとしているのです。さすがに憲法を無視する状況は問題です。
これは、「タテマエ言語ゲーム」の必然的な帰結と言えます。しかし、それではいけません。おかしいと思ったら声をあげるべきです。いい会社にはしっかりとした理念がある。真っ当なことを真っ当にやっていれば、決して企業はつぶれません。 つづく
―― 臨機応変が大事だと考えながら、多くの組織では、なぜそれができていないのでしょうか。
その謎を解くには“埋没コスト”という概念が手掛かりになります。埋没コストとは、これまでに積み重ねてきた実績や信頼、費やした時間や資金などの回収不可能なコストのことです。基本的には、時間経過にともなって増大していくことになります。たとえば、戦争をやめられなかったのも、原発を止められなかったのも、方向転換によってこれまで費やしてきた多くのコストが回収不能になるためだとわかります。ほんのわずかな可能性であっても好転する(悪化しない)ことに賭けたいという心理が動き、外部から見ると不合理とも思える行動を続けてしまうのです。
埋没コスト自体は決して新しいものではありませんが、これと“方法の原理”を組み合わせると、組織の不合理に関する洞察を深めていくことができます。たとえばワンマン社長が「ずっとこのやり方で成功してきた」と、部下の進言に耳を傾けずに会社をつぶしてしまったケースは、状況が変わったにもかかわらず、過去の成功方法にとらわれることで起きたことだとわかります。第三者からすれば不合理でも、当人にはそれにとらわれる十分な理由があり、これまで成功してきたという揺るぎない事実もある。その人の中で絶対的なものになっていて、アイデンティティーと一体化している場合、それを変更することはそれまでの人生を否定すること、つまり人生そのものを埋没コストにしてしまうことを意味します。また、その方法が組織の伝統やアイデンティティーになっている場合は、それを変更することは組織を否定することにもなります。
多くの組織の不合理は、これまで費やしてきた時間や労力、資金など、埋没コストという “過去”をベースにした意思決定であるために生じています。それに対して、“方法の原理”は状況と目的、つまり“現在”の状況と目指すべき“未来”を基点とした意思決定。埋没コストによる意思決定とは逆ベクトルによる考え方なのです。
失敗したから、撤退したからといって、すべてが無駄になるわけではありません。それが無意味になるのか、意味のあるものになるのかは、その後で決まります。「出来事の意味は後で決まるのだから、あれがあったからこんなふうになれたと思えるように行動していこう」という強い意志が“未来”を切り開き、埋没コストを意味あるコストに変えることができます。
―― その他に、現在の組織の問題点だとお考えになっていることはありますか。
理念の重要性について先述しましたが、今の日本の組織をむしばんでいるのは、その理念が“形骸化”しているためだと考えています。私はこの状況を、「タテマエ言語ゲーム」と呼んでいます。「言葉としてタテマエを取り繕っておけば、後は何をしてもいいんだ」という姿勢が、多くの組織に見られます。
例えば、大学や学会ではきれいな理念を掲げていますが、実際にはその通りに行動していないし、それが実現されることもない。その組織に所属している人でさえ、知らないこともあります。企業のほうが理念は広く知られているでしょうが、どちらかと言うと、ブランディングのための飾りになってしまっています。大事な理念を、単に響きの良いものにしようとしているんですね。しかし、これはタテマエでしかない。ただの飾りやアリバイで、実効性もありません。理念を作った本人でさえも「本当だと思われてなくてもいい」と開き直っているようにも感じます。
例えば、最近の集団的自衛権をめぐる論争では、憲法も無視していいという状況になっています。国という一番大きな組織の理念である「憲法」にまで、「タテマエ言語ゲーム」が及ぼうとしているのです。さすがに憲法を無視する状況は問題です。
これは、「タテマエ言語ゲーム」の必然的な帰結と言えます。しかし、それではいけません。おかしいと思ったら声をあげるべきです。いい会社にはしっかりとした理念がある。真っ当なことを真っ当にやっていれば、決して企業はつぶれません。 つづく
西條氏:組織力を最大限に伸ばす原理6
2015年8月6日 お仕事 人 事 は 社 員 の “ 関 心 ” を 知 る こ と が 重 要
―― 先日、新たに「いいチームを作りましょうプロジェクト」を立ち上げられましたが、どのような活動を予定されていますか。
いいチームを作るためのノウハウを提供することはもちろん、それを体感することができるプロジェクトにしていきたいと考えています。動機付け、自己実現、自己啓発など、個人のスキルをアップするためのノウハウや実践知は揃っていますが、チーム力をアップするためのツールは、まだまだ少ないのが実状だからです。現在、多くの企業が「社長の意識は高いが、チームがついてこない」「幹部は育ったが、チーム全体の力は上がらない」といった問題を抱えています。それを改善していくことが、「いいチームを作りましょうプロジェクト」の大きな課題です。
これまでの組織行動は、「科学的知見」に基づいて考えることが前提でした。しかし、現在のように変化が激しい状況下では、科学は決して万能ではありません。科学は過去のデータに基づいていますが、汎用性という部分では心もとないからです。
例えばリーダーシップは、「誰が実践したのか」によって、メンバーの反応が変わってくるものです。しかし、組織行動ではその事実を捨象して、誰でも一般的に使えるものとしてきました。ここに、リーダーシップが研究分野として発展してこなかった一因があります。
しっかりと考えれば、誰がリーダーシップを実践しようとするのかによって、その意味や価値が変わってくるとわかるはず。リーダーとして正しいことをしているのに、なぜ誰もついてこないのかというと、その人に原因があるからです。同じことをしても、皆がついていきたいと思えるような人なら、うまくいくのです。
現場でうまくリーダーシップを発揮できている人は、一通り試してみて、科学的知見だけではダメだと気付いています。学問のルールにとらわれるのではなく、現場の反応を見て柔軟に対応できること、そして、それを実践知にしていくことが重要です。
―― 最後に、企業で組織づくりに携わる人事の方々に向けて、メッセージをお願いします。
人事の方は、社員の能力だけを見ていることが多いと思います。しかし、全ての人は本質的に「関心を満たしながら生きたい」と考えています。関心に応じて価値を見出すことが「価値の原理」です。人は関心のないことには価値を見出しません。「人は機械ではない」ということが、見落とされがちだと思います。
もちろん関心だけで仕事をすることはできませんが、全く関心のないことばかりやっていると、人は満たされなくなります。その人にとっては仕事が不毛の平野となり、どんどん消耗して、辞めたり病気になったりしてしまいます。
言われてみれば当然のことですが、本質を見落とすと大失敗してしまいます。人事の方には、必ず社員の関心を把握するようにしてほしい。本人も気づいていないことがあるので、なかなかやっかいですが、社員に自分は何に関心があるのかを分からせることも人事の重要な役目です。人が会社を辞める際には、必ず理由があります。しかし、会社や人事が思っている以上に、その理由はお金ではありません。人事は社員の心の声を聞くべきです。
―― これからの組織のあり方と、そのために人事は何をすればいいのかが、大変よく分かりました。本日はお忙しい中、ありがとうございました。 おわり
―― 先日、新たに「いいチームを作りましょうプロジェクト」を立ち上げられましたが、どのような活動を予定されていますか。
いいチームを作るためのノウハウを提供することはもちろん、それを体感することができるプロジェクトにしていきたいと考えています。動機付け、自己実現、自己啓発など、個人のスキルをアップするためのノウハウや実践知は揃っていますが、チーム力をアップするためのツールは、まだまだ少ないのが実状だからです。現在、多くの企業が「社長の意識は高いが、チームがついてこない」「幹部は育ったが、チーム全体の力は上がらない」といった問題を抱えています。それを改善していくことが、「いいチームを作りましょうプロジェクト」の大きな課題です。
これまでの組織行動は、「科学的知見」に基づいて考えることが前提でした。しかし、現在のように変化が激しい状況下では、科学は決して万能ではありません。科学は過去のデータに基づいていますが、汎用性という部分では心もとないからです。
例えばリーダーシップは、「誰が実践したのか」によって、メンバーの反応が変わってくるものです。しかし、組織行動ではその事実を捨象して、誰でも一般的に使えるものとしてきました。ここに、リーダーシップが研究分野として発展してこなかった一因があります。
しっかりと考えれば、誰がリーダーシップを実践しようとするのかによって、その意味や価値が変わってくるとわかるはず。リーダーとして正しいことをしているのに、なぜ誰もついてこないのかというと、その人に原因があるからです。同じことをしても、皆がついていきたいと思えるような人なら、うまくいくのです。
現場でうまくリーダーシップを発揮できている人は、一通り試してみて、科学的知見だけではダメだと気付いています。学問のルールにとらわれるのではなく、現場の反応を見て柔軟に対応できること、そして、それを実践知にしていくことが重要です。
―― 最後に、企業で組織づくりに携わる人事の方々に向けて、メッセージをお願いします。
人事の方は、社員の能力だけを見ていることが多いと思います。しかし、全ての人は本質的に「関心を満たしながら生きたい」と考えています。関心に応じて価値を見出すことが「価値の原理」です。人は関心のないことには価値を見出しません。「人は機械ではない」ということが、見落とされがちだと思います。
もちろん関心だけで仕事をすることはできませんが、全く関心のないことばかりやっていると、人は満たされなくなります。その人にとっては仕事が不毛の平野となり、どんどん消耗して、辞めたり病気になったりしてしまいます。
言われてみれば当然のことですが、本質を見落とすと大失敗してしまいます。人事の方には、必ず社員の関心を把握するようにしてほしい。本人も気づいていないことがあるので、なかなかやっかいですが、社員に自分は何に関心があるのかを分からせることも人事の重要な役目です。人が会社を辞める際には、必ず理由があります。しかし、会社や人事が思っている以上に、その理由はお金ではありません。人事は社員の心の声を聞くべきです。
―― これからの組織のあり方と、そのために人事は何をすればいいのかが、大変よく分かりました。本日はお忙しい中、ありがとうございました。 おわり
草野氏「日立世界ふしぎ発見」生涯現役
2015年8月7日 お仕事 産経ニュース【 http://www.sankei.com/column/news/150807/clm1508070008-n1.html 】本日付サイトによると、「日立 世界ふしぎ発見」シリーズは、私たち生涯現役仲間の活動開始時期と、奇しくも同年30年の超長期な番組歳月を迎えているのだとか・・・その司会役・テレビキャスター:草野 仁氏の人生マラソン生涯現役取組み姿勢について、下記のような戸谷真美女史のコメントをご参考までに、転載ご紹介させていただきます。
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テレビキャスター・ 草 野 仁 氏
「 生 涯 現 役 」 で い る た め に
〈 初めて手がけたバラエティー番組
「 日 立 世 界 ふ し ぎ 発 見 ! 」(TBS系) は
今 年 で 3 0 年 目 を 迎 え た 〉
これだけ続いているのは強力で温かいスポンサーのおかげですね。日立製作所は番組にとても大きな愛情を抱いてくれています。例えば昭和61年5月3日、3回目の放送でのこと。連休中でテレビを見る人が少なく、さらにインドネシアの仏教遺跡、ボロブドゥール遺跡という難しいテーマだったこともあり、少しずつ上がっていた視聴率ががくっと落ちたんです。
ところが、当時の日立の宣伝部長は「皆さんは『歴史と楽しく遊ぶ』というコンセプトで番組をやっていくと決意したのでしょう? その道をしっかり進んでくれればいい。慌てる必要はない」とおっしゃった。あの言葉がなければ、この番組も早く終わっていたでしょう。黒柳徹子さんや私自身も含め、出演者がみな元気であったということもありますね。特に黒柳さんは卓越したエネルギーの持ち主です。
〈同番組では優雅な着物姿で、高い正答率を誇る黒柳さんには人知れぬ努力があった〉
黒柳さんも一度は出演を断られたんです。でも、番組のコンセプトを説明すると1週間後に「出ます」とおっしゃった。当時彼女は52歳でしたが、「地理も歴史もあまり知識がないので、この機会に腰を据えて勉強してみたい」と。条件として一つだけ、「前の週に翌週分の大まかなテーマだけを教えてほしい。それで自分なりに準備したい」と提案されました。
彼女は実際に毎週、勉強してこられました。一度真っ赤な目で収録にいらしたことがありました。前の晩、仕事を終えた夜10時から午後の収録の直前まで、一睡もせず本を読んでいたそうです。そうした地道な努力の積み重ねがあってこそ、80歳を超えてなお、芸能界の第一線を張れるのですね。
〈近著『老い駆けろ!人生』(角川新書)では、枯れることなく人生を謳歌(おうか)する素晴らしさを訴えた〉
70歳を超えましたが、やりたいことはたくさんあります。まず料理。私は「男子厨房(ちゅうぼう)に入らず」なんてことをやってきた人間ですが、食生活は大事。家内がいないときには昼ご飯くらいは作れるようにならなければ。
もう一つはオファーを待つのではなく、話すことを生かして何かビジネスができたら、と。スポーツの分野を長くやってきたので、かつての世界のスーパースターたちともう一度対面して、彼らの強さの根源を探ってみたいですね。
本にも書いたのですが、生涯現役を貫くには、どんな仕事でも必死に取り組むことが必要。それが生きがいにつながるからです。とはいえ、あまりに完璧にやろうとすると重荷になってしまいます。少しアバウトに、大胆に考えて続けること。それが充実した人生を全うする秘訣(ひけつ)ではないでしょうか。(聞き手 戸谷真美)
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テレビキャスター・ 草 野 仁 氏
「 生 涯 現 役 」 で い る た め に
〈 初めて手がけたバラエティー番組
「 日 立 世 界 ふ し ぎ 発 見 ! 」(TBS系) は
今 年 で 3 0 年 目 を 迎 え た 〉
これだけ続いているのは強力で温かいスポンサーのおかげですね。日立製作所は番組にとても大きな愛情を抱いてくれています。例えば昭和61年5月3日、3回目の放送でのこと。連休中でテレビを見る人が少なく、さらにインドネシアの仏教遺跡、ボロブドゥール遺跡という難しいテーマだったこともあり、少しずつ上がっていた視聴率ががくっと落ちたんです。
ところが、当時の日立の宣伝部長は「皆さんは『歴史と楽しく遊ぶ』というコンセプトで番組をやっていくと決意したのでしょう? その道をしっかり進んでくれればいい。慌てる必要はない」とおっしゃった。あの言葉がなければ、この番組も早く終わっていたでしょう。黒柳徹子さんや私自身も含め、出演者がみな元気であったということもありますね。特に黒柳さんは卓越したエネルギーの持ち主です。
〈同番組では優雅な着物姿で、高い正答率を誇る黒柳さんには人知れぬ努力があった〉
黒柳さんも一度は出演を断られたんです。でも、番組のコンセプトを説明すると1週間後に「出ます」とおっしゃった。当時彼女は52歳でしたが、「地理も歴史もあまり知識がないので、この機会に腰を据えて勉強してみたい」と。条件として一つだけ、「前の週に翌週分の大まかなテーマだけを教えてほしい。それで自分なりに準備したい」と提案されました。
彼女は実際に毎週、勉強してこられました。一度真っ赤な目で収録にいらしたことがありました。前の晩、仕事を終えた夜10時から午後の収録の直前まで、一睡もせず本を読んでいたそうです。そうした地道な努力の積み重ねがあってこそ、80歳を超えてなお、芸能界の第一線を張れるのですね。
〈近著『老い駆けろ!人生』(角川新書)では、枯れることなく人生を謳歌(おうか)する素晴らしさを訴えた〉
70歳を超えましたが、やりたいことはたくさんあります。まず料理。私は「男子厨房(ちゅうぼう)に入らず」なんてことをやってきた人間ですが、食生活は大事。家内がいないときには昼ご飯くらいは作れるようにならなければ。
もう一つはオファーを待つのではなく、話すことを生かして何かビジネスができたら、と。スポーツの分野を長くやってきたので、かつての世界のスーパースターたちともう一度対面して、彼らの強さの根源を探ってみたいですね。
本にも書いたのですが、生涯現役を貫くには、どんな仕事でも必死に取り組むことが必要。それが生きがいにつながるからです。とはいえ、あまりに完璧にやろうとすると重荷になってしまいます。少しアバウトに、大胆に考えて続けること。それが充実した人生を全うする秘訣(ひけつ)ではないでしょうか。(聞き手 戸谷真美)
8/26開催:『第356回生涯現役塾』ご案内
2015年8月8日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ の 諸 活 動 に
ご 関 心 く だ さ る 皆 様
残 暑 お 見 舞 い 申 し 上 げ ま す 。
皆様方には 「生涯現役社会づくり」へのご支援を本当に有難うございます。
生涯現役活動30年、愈々民主導型展開の時節到来好機と期待しています。
つきましては、『第356回:生涯現役シリーズ塾 第八弾』開催ご案内します。
毎月定例で企画・運営される私たちの行事日程には意欲的ご参画精神で、
一人でも多く仲間を『生涯現役社会づくり』推進活動にお誘いしたいのです。
地の利日本一最高の、ライフ・ベンチャ-事務所を有効活用されませんか。
東京都中央区八重洲1-7-20八重洲口会館ビル地下2階
生涯現役実践道場の社会活力拠点は、東京駅八重洲北口改札を出た所
東京駅・大丸デパート向い側です。 (日興証券が一階にあるビルのB2階)
**************************************************************
『あなたと日本を元気に!』させる 生涯現役実践道場への 積極ご参加で
あなたご活躍の地域から 次々と民活力の盛り上がる大輪が拡がります!
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2014年秋期:実施サミット/2015年春・秋期:開催日(各土曜13:30~16:50)
①Summit 11/8(済) ②Summit 4/25(済) ③Summit 10/17(予定)
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2015年8月(理事会/15:00 & 生涯現役塾/17:30)~2016年1月【時間注意】
8/26 9/16 10/28 11/24 12/16 1/27
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日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ
代 表 東 瀧 邦 次
TEL:03-3517-6667 FAX:03-3517-6668
E-mail: info@sgsk.net
URL: http://www.sgsk.net
Blog: http://40591.diarynote.jp/
Facebook : http://www.facebook.com/sgsk.net/
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【 第 3 5 6 回 生 涯 現 役 シ リ ー ズ 塾ご案内 】
第3 5 6 回 生 涯 現 役 シ リ ー ズ 塾
生 涯 現 役 に 取 り 組 む 第 八 弾
生涯現役社会づくりではオンリーワンの生涯現役実践道場
日 時: 2 0 1 5 年 8 月 2 6 日 (水)
〔生涯現役実践塾〕 1 7 : 3 0 ~ 1 9 : 3 0
会 場: 八 重 洲 口 会 館 会 議 室
東京都中央区八重洲1-7-20 八重洲口会館 B2F
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テーマ: ③ 生 涯 現 役 サ ミ ッ ト 事前「わたしの生涯現役社会づくり挑戦のご報告」
進行役; 東 瀧 邦 次
( 日本生涯現役推進協議会・NPOライフ・ベンチャー・クラブ 代表 )
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講 師: 柳 原 正 年
( 富山社会人大楽塾 代表/日本生涯現役推進協議会 理事 )
略 歴: 平成12年、大手生命保険会社定年退職と同時に「富山社会人大楽塾」を設立。生涯現役健康生きがいづくりプラットホームづくりにチャレンジ。設立15年に当たる平成27年には「高齢社会」対応の「健康福祉インストラクター」養成事業を立ち上げ、生涯現役リーダーづくりに取り組んでいる。
講 演 A: 「 生 涯 現 役 コ ン ビ ニ サ ロ ン ・
社 会 人 大 楽 塾 の 全 国 展 開 」
内 容: 高齢コミュニティサロン(社会人大楽塾チェーン)の全国展開実証実験を開始。その第一弾として団塊女性のエンパワーメント事業「健康福祉インストラクター」養成を開始した。生涯現役というと男性向け言葉を女性向けに「健康福祉インストラクター」とネーミング、中高年女性のパワーを生涯現役社会に寄与することにより、シニア男性のプロデューサーへの参加意識を高めようとするもの。
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講 師: 八 久 保 宜 美
( 株式会社 スリービーンズ 代表取締役 )
略 歴: 2012年(株)スリービーンズ設立。シニアでもできる仕事ではなく、シニアならではの仕事創出に工夫を凝らす。特に介護事業所の生活相談人に着目し、説明会やセミナーを開催。介護業界全体の底上げを図るべくシニアの知恵活用に最重点。また専門学校で若い生徒に仕事に役立つ実務パソコン指導。平成流就活術やビジネスの基本は、転職や起業を目指すシニアにも有効。シニアの創職(就業&起業)に情報発信の側面から支援事業を展開活躍中。
演 題 B : 「 ネ ッ ト 展 開 は 一 夜 に し て な ら ず ・
突 破 口 に す る た め の 発 信 力 」
内 容: 弊社が運営する「デイサービス生活相談員ネットワーク」サイトを月間3万アクセス数にする迄の努力・独創的ノウハウでやってきたこと、これからやらなくてはならないこと、ネットから得たもの・失ったものなど実例でご紹介します。ネット活用のためには何が必要なのかが必ず判ります。
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講 師: 井 上 仁
( フクシマ復興応援ネットワーク事務局 PJ実行責任者 )
略 歴:1983年から企業や自治体のプロジェクトマネジメントの実践研究を行う、ベルヒュード国際経営研究所を主宰。フクシマ第一原発5、6号機が位置する二葉町で幼年、少年期を過ごす。「フクシマ問題は長丁場、原発被災者の自立、生活再建は全国民的対応課題」という思いで2014年フクシマ復興応援ネットワークを立ち上げる。現在フクシマだからこそ「子どもたちの安全・安心で健康な農業の開発・導入をめざすプロジェクト」推進の実行責任者として活躍中。
演 題 C: 「 生 涯 現 役 パ ワ ー で
フ ク シ マ 再 生 農 業 ビ ジ ネ ス 開 拓 」
内 容: 自然栽培のやぶ田ファームで「有機JAS認証野菜」を省力、低コスト、高生産性で栽培する「環境保全型ハウス有機農法」の実証栽培プロジェクトを立ち上げ。その実績をもって日本太陽光発電プランナー協議会理事企業3社と提携し、フクシマに太陽光発電・売電とセットにした「ソーラーシェアリング」農業ビジネスとして導入を図るプロセスをご案内します。
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講 師: 武 井 昭
( 有限会社 介護けやき・ NPO 市民ビジネス サポートセンター 代表 )
略 歴: 1992年情報関係の会社を退職後、中小企業診断士登録・経営コンサルタントとして独立、NPO法人市民ビジネスサポートセンターを開設し、理事長として。商店街支援、創業塾開塾。2003年高齢者介護の(有)介護けやきを設立・代表取締役として世田谷区内の高齢者介護事業経営で現在に至る。
演 題 D: 「 生 涯 現 役 実 践 家 と し て
地 域 社 会 で の 生 き が い 人 生 」
内 容: 人生マラソン59歳でサラリーマン生活を終了。コンサルタントとして自主独立の自営で、数社の経営支援、NPO法人を設立して世田谷区内の創業者支援。障碍者教育、任意団体せたがやアンビシャス設立の支援。69歳にて有限会社介護けやき設立。高齢者介護事業を創立して世田谷区内の高齢者介護に当る。認知賞高齢者の増加に伴い明2016年度は、区内高齢者対象施設設立に向け鋭意開設準備中。
*************************************************************************
参加費: 会員/1,000円 一般/2,000円
申込先: NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ事務局
東京都中央区八重洲1-7-20 八重洲口会館 B2F
電話:03(3517)6667 Fax:03(3517)6668
E-mail: info@sgsk.net or lvcinfo@sgsk.net
URL:http://www.sgsk.net or http://sgsk.net/70890
………………………………………………………………………………………………
第 3 5 6 回 生涯現役シリーズ塾 参 加 申 込 書
2015 年 8月 日
特定非営利活動法人 ライフ・ベンチャー・クラブ 事務局 宛
氏 名:____________
TEL or FAX or Mail __________________
NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ の 諸 活 動 に
ご 関 心 く だ さ る 皆 様
残 暑 お 見 舞 い 申 し 上 げ ま す 。
皆様方には 「生涯現役社会づくり」へのご支援を本当に有難うございます。
生涯現役活動30年、愈々民主導型展開の時節到来好機と期待しています。
つきましては、『第356回:生涯現役シリーズ塾 第八弾』開催ご案内します。
毎月定例で企画・運営される私たちの行事日程には意欲的ご参画精神で、
一人でも多く仲間を『生涯現役社会づくり』推進活動にお誘いしたいのです。
地の利日本一最高の、ライフ・ベンチャ-事務所を有効活用されませんか。
東京都中央区八重洲1-7-20八重洲口会館ビル地下2階
生涯現役実践道場の社会活力拠点は、東京駅八重洲北口改札を出た所
東京駅・大丸デパート向い側です。 (日興証券が一階にあるビルのB2階)
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『あなたと日本を元気に!』させる 生涯現役実践道場への 積極ご参加で
あなたご活躍の地域から 次々と民活力の盛り上がる大輪が拡がります!
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2014年秋期:実施サミット/2015年春・秋期:開催日(各土曜13:30~16:50)
①Summit 11/8(済) ②Summit 4/25(済) ③Summit 10/17(予定)
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2015年8月(理事会/15:00 & 生涯現役塾/17:30)~2016年1月【時間注意】
8/26 9/16 10/28 11/24 12/16 1/27
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日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ
代 表 東 瀧 邦 次
TEL:03-3517-6667 FAX:03-3517-6668
E-mail: info@sgsk.net
URL: http://www.sgsk.net
Blog: http://40591.diarynote.jp/
Facebook : http://www.facebook.com/sgsk.net/
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【 第 3 5 6 回 生 涯 現 役 シ リ ー ズ 塾ご案内 】
第3 5 6 回 生 涯 現 役 シ リ ー ズ 塾
生 涯 現 役 に 取 り 組 む 第 八 弾
生涯現役社会づくりではオンリーワンの生涯現役実践道場
日 時: 2 0 1 5 年 8 月 2 6 日 (水)
〔生涯現役実践塾〕 1 7 : 3 0 ~ 1 9 : 3 0
会 場: 八 重 洲 口 会 館 会 議 室
東京都中央区八重洲1-7-20 八重洲口会館 B2F
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テーマ: ③ 生 涯 現 役 サ ミ ッ ト 事前「わたしの生涯現役社会づくり挑戦のご報告」
進行役; 東 瀧 邦 次
( 日本生涯現役推進協議会・NPOライフ・ベンチャー・クラブ 代表 )
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講 師: 柳 原 正 年
( 富山社会人大楽塾 代表/日本生涯現役推進協議会 理事 )
略 歴: 平成12年、大手生命保険会社定年退職と同時に「富山社会人大楽塾」を設立。生涯現役健康生きがいづくりプラットホームづくりにチャレンジ。設立15年に当たる平成27年には「高齢社会」対応の「健康福祉インストラクター」養成事業を立ち上げ、生涯現役リーダーづくりに取り組んでいる。
講 演 A: 「 生 涯 現 役 コ ン ビ ニ サ ロ ン ・
社 会 人 大 楽 塾 の 全 国 展 開 」
内 容: 高齢コミュニティサロン(社会人大楽塾チェーン)の全国展開実証実験を開始。その第一弾として団塊女性のエンパワーメント事業「健康福祉インストラクター」養成を開始した。生涯現役というと男性向け言葉を女性向けに「健康福祉インストラクター」とネーミング、中高年女性のパワーを生涯現役社会に寄与することにより、シニア男性のプロデューサーへの参加意識を高めようとするもの。
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講 師: 八 久 保 宜 美
( 株式会社 スリービーンズ 代表取締役 )
略 歴: 2012年(株)スリービーンズ設立。シニアでもできる仕事ではなく、シニアならではの仕事創出に工夫を凝らす。特に介護事業所の生活相談人に着目し、説明会やセミナーを開催。介護業界全体の底上げを図るべくシニアの知恵活用に最重点。また専門学校で若い生徒に仕事に役立つ実務パソコン指導。平成流就活術やビジネスの基本は、転職や起業を目指すシニアにも有効。シニアの創職(就業&起業)に情報発信の側面から支援事業を展開活躍中。
演 題 B : 「 ネ ッ ト 展 開 は 一 夜 に し て な ら ず ・
突 破 口 に す る た め の 発 信 力 」
内 容: 弊社が運営する「デイサービス生活相談員ネットワーク」サイトを月間3万アクセス数にする迄の努力・独創的ノウハウでやってきたこと、これからやらなくてはならないこと、ネットから得たもの・失ったものなど実例でご紹介します。ネット活用のためには何が必要なのかが必ず判ります。
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講 師: 井 上 仁
( フクシマ復興応援ネットワーク事務局 PJ実行責任者 )
略 歴:1983年から企業や自治体のプロジェクトマネジメントの実践研究を行う、ベルヒュード国際経営研究所を主宰。フクシマ第一原発5、6号機が位置する二葉町で幼年、少年期を過ごす。「フクシマ問題は長丁場、原発被災者の自立、生活再建は全国民的対応課題」という思いで2014年フクシマ復興応援ネットワークを立ち上げる。現在フクシマだからこそ「子どもたちの安全・安心で健康な農業の開発・導入をめざすプロジェクト」推進の実行責任者として活躍中。
演 題 C: 「 生 涯 現 役 パ ワ ー で
フ ク シ マ 再 生 農 業 ビ ジ ネ ス 開 拓 」
内 容: 自然栽培のやぶ田ファームで「有機JAS認証野菜」を省力、低コスト、高生産性で栽培する「環境保全型ハウス有機農法」の実証栽培プロジェクトを立ち上げ。その実績をもって日本太陽光発電プランナー協議会理事企業3社と提携し、フクシマに太陽光発電・売電とセットにした「ソーラーシェアリング」農業ビジネスとして導入を図るプロセスをご案内します。
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講 師: 武 井 昭
( 有限会社 介護けやき・ NPO 市民ビジネス サポートセンター 代表 )
略 歴: 1992年情報関係の会社を退職後、中小企業診断士登録・経営コンサルタントとして独立、NPO法人市民ビジネスサポートセンターを開設し、理事長として。商店街支援、創業塾開塾。2003年高齢者介護の(有)介護けやきを設立・代表取締役として世田谷区内の高齢者介護事業経営で現在に至る。
演 題 D: 「 生 涯 現 役 実 践 家 と し て
地 域 社 会 で の 生 き が い 人 生 」
内 容: 人生マラソン59歳でサラリーマン生活を終了。コンサルタントとして自主独立の自営で、数社の経営支援、NPO法人を設立して世田谷区内の創業者支援。障碍者教育、任意団体せたがやアンビシャス設立の支援。69歳にて有限会社介護けやき設立。高齢者介護事業を創立して世田谷区内の高齢者介護に当る。認知賞高齢者の増加に伴い明2016年度は、区内高齢者対象施設設立に向け鋭意開設準備中。
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参加費: 会員/1,000円 一般/2,000円
申込先: NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ事務局
東京都中央区八重洲1-7-20 八重洲口会館 B2F
電話:03(3517)6667 Fax:03(3517)6668
E-mail: info@sgsk.net or lvcinfo@sgsk.net
URL:http://www.sgsk.net or http://sgsk.net/70890
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第 3 5 6 回 生涯現役シリーズ塾 参 加 申 込 書
2015 年 8月 日
特定非営利活動法人 ライフ・ベンチャー・クラブ 事務局 宛
氏 名:____________
TEL or FAX or Mail __________________
高橋氏:長崎原爆70周年&「ああ浦頭」
2015年8月9日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ 会 員 の 皆 様
高 橋 育 郎
残 暑 お 見 舞 い 申 し 上 げ ま す 。
きのうは 長崎原爆の日 70周年でした。
50周年に、市では 歌の公募をしました。
私の詞「長崎の鐘が鳴る」が佳作入選し 50年史に掲載されました。
慎んで 添付させていただきました。
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【長崎の鐘が鳴る】
長 崎 の 鐘 は 鳴 る
高 橋 育 郎 作詞曲
1 宇宙をめぐる 人は見る
ひときわ光る あの星は
あれは地球 美しい
伝えてゆこう この喜びを
平和のくらし みんなで守ろう
長崎の おもいをこめて鐘は鳴る
2 あの日のことは 忘れない
ひらめきおそう まぶしさは
あれは原爆 きのこ雲
惨禍極みて 涙もかれる
永遠(とわ)の平和を みんなで守ろう
長崎の おもいをこめて鐘は鳴る
3 憎しみ遠く 消え去りて
ひたすら願う めぐる春
花は咲き染め 鳥は飛ぶ
尊きみたま 導きたまえ
平和への道 みんなで歩もう
長崎の おもいをこめて鐘は鳴る
平成7年(1995年)
長崎市被爆50周年記念 入選歌
50年誌に載る
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【2015・7・6 記】
明 治 の 産 業 遺 産
長 崎 グ ラ バ ー 邸 と 私 の 歌
高 橋 育 郎
長崎グラバー邸が明治産業革命遺産になった。
そのグラバー邸で忘れられないのが、私の作曲「ああ浦頭」である。
この曲は、1995年の戦後50年記念に、佐世保市引揚記念平和公園における「市民音楽祭」の名のもとに、地元の歌手2名と、合唱団3団体とフォークダンス、民舞、和太鼓グループがそれぞれ趣向をこらして演奏した。
市長の挨拶があり、続いて作詞者の挨拶があった。作曲の私は呼ばれてはいたが、この地には、めったにない渇水に襲われ、水の工面に予算を使い果たし、私の旅費がだせないと招待は取り消しになった。しかし、地元の篤志家が記録したビデオを送ってくれた。
歌の普及会が出来て、CDが発売され、市民に浸透していった。
それから4年経って、こんどは会場がハウステンボスになって、JR九州とJTBが共催で「『ああ浦頭』を歌う全国の集い」と銘打って、戦後、大陸から引揚てきた人たちを全国から呼び集め開催した。佐世保湾に船を浮かべ、引揚船にみたてて湾を一周し、ブラスバンドの演奏に迎えられ上陸。そして。一行は館内に入ると、そこには往時の写真展があり、それぞれ思い出に浸った。やがて、ホールでは式典がおこなわれ、歌手がおごそかに登場し、「ああ浦頭」を万感こめて歌った。この模様はビデオに記録され、ラジオ長崎で放送された。
そして、グラバー邸では、長崎ご当地ソング・ベスト50が発表され、この歌は46位にランクインした。そしてNHKの番組「おーい長崎県」で放映された。
では、この歌が出来た経緯であるが、元は、生涯現役実践道場ライフ・ベンチャー・クラブである。当時、会員月刊誌「ライフ・ベンチャー」を発行していた。中に、「生涯現役で活躍している人物紹介」があって、編集委員であった私は、横浜市の「生涯現役かなざわ会」の門口氏をルポした。そのとき彼から示されたのが「ああ浦頭」の詩であった。
彼は私に作曲してみないかといった。私は表題の浦頭が分からず意味を聞いた。浦頭は佐世保湾にある港で、戦後大陸からの引揚船の寄港地であると。ちなみに横須賀の浦賀、京都の舞鶴が知られていた。父はタイから浦賀に引き上げたのだ。
「引揚船の哀歓染めて 夕映え悲し ああ浦頭」の歌詞ではじまる。
出来あがった曲を門口さんを通して作詞者へ送ってもらった。すると、思いもかけない返事が届いた。この曲に感涙したというのだ。そして、地元の合唱団に送ったところ、クリスマスに3団体が結集して歌うことにしたというのである。そして地元のタイムス誌に記事が載った。それから半年間ほど関連記事が連載され、私の手元に送られてきた。
更には「ああ浦頭」普及会が出来て、町の有線放送で流され、カセットテープになった。
それが、市民音楽祭に歌われ、ハウステンボスの全国の集いに発展したのである。 以 上
NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ 会 員 の 皆 様
高 橋 育 郎
残 暑 お 見 舞 い 申 し 上 げ ま す 。
きのうは 長崎原爆の日 70周年でした。
50周年に、市では 歌の公募をしました。
私の詞「長崎の鐘が鳴る」が佳作入選し 50年史に掲載されました。
慎んで 添付させていただきました。
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【長崎の鐘が鳴る】
長 崎 の 鐘 は 鳴 る
高 橋 育 郎 作詞曲
1 宇宙をめぐる 人は見る
ひときわ光る あの星は
あれは地球 美しい
伝えてゆこう この喜びを
平和のくらし みんなで守ろう
長崎の おもいをこめて鐘は鳴る
2 あの日のことは 忘れない
ひらめきおそう まぶしさは
あれは原爆 きのこ雲
惨禍極みて 涙もかれる
永遠(とわ)の平和を みんなで守ろう
長崎の おもいをこめて鐘は鳴る
3 憎しみ遠く 消え去りて
ひたすら願う めぐる春
花は咲き染め 鳥は飛ぶ
尊きみたま 導きたまえ
平和への道 みんなで歩もう
長崎の おもいをこめて鐘は鳴る
平成7年(1995年)
長崎市被爆50周年記念 入選歌
50年誌に載る
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【2015・7・6 記】
明 治 の 産 業 遺 産
長 崎 グ ラ バ ー 邸 と 私 の 歌
高 橋 育 郎
長崎グラバー邸が明治産業革命遺産になった。
そのグラバー邸で忘れられないのが、私の作曲「ああ浦頭」である。
この曲は、1995年の戦後50年記念に、佐世保市引揚記念平和公園における「市民音楽祭」の名のもとに、地元の歌手2名と、合唱団3団体とフォークダンス、民舞、和太鼓グループがそれぞれ趣向をこらして演奏した。
市長の挨拶があり、続いて作詞者の挨拶があった。作曲の私は呼ばれてはいたが、この地には、めったにない渇水に襲われ、水の工面に予算を使い果たし、私の旅費がだせないと招待は取り消しになった。しかし、地元の篤志家が記録したビデオを送ってくれた。
歌の普及会が出来て、CDが発売され、市民に浸透していった。
それから4年経って、こんどは会場がハウステンボスになって、JR九州とJTBが共催で「『ああ浦頭』を歌う全国の集い」と銘打って、戦後、大陸から引揚てきた人たちを全国から呼び集め開催した。佐世保湾に船を浮かべ、引揚船にみたてて湾を一周し、ブラスバンドの演奏に迎えられ上陸。そして。一行は館内に入ると、そこには往時の写真展があり、それぞれ思い出に浸った。やがて、ホールでは式典がおこなわれ、歌手がおごそかに登場し、「ああ浦頭」を万感こめて歌った。この模様はビデオに記録され、ラジオ長崎で放送された。
そして、グラバー邸では、長崎ご当地ソング・ベスト50が発表され、この歌は46位にランクインした。そしてNHKの番組「おーい長崎県」で放映された。
では、この歌が出来た経緯であるが、元は、生涯現役実践道場ライフ・ベンチャー・クラブである。当時、会員月刊誌「ライフ・ベンチャー」を発行していた。中に、「生涯現役で活躍している人物紹介」があって、編集委員であった私は、横浜市の「生涯現役かなざわ会」の門口氏をルポした。そのとき彼から示されたのが「ああ浦頭」の詩であった。
彼は私に作曲してみないかといった。私は表題の浦頭が分からず意味を聞いた。浦頭は佐世保湾にある港で、戦後大陸からの引揚船の寄港地であると。ちなみに横須賀の浦賀、京都の舞鶴が知られていた。父はタイから浦賀に引き上げたのだ。
「引揚船の哀歓染めて 夕映え悲し ああ浦頭」の歌詞ではじまる。
出来あがった曲を門口さんを通して作詞者へ送ってもらった。すると、思いもかけない返事が届いた。この曲に感涙したというのだ。そして、地元の合唱団に送ったところ、クリスマスに3団体が結集して歌うことにしたというのである。そして地元のタイムス誌に記事が載った。それから半年間ほど関連記事が連載され、私の手元に送られてきた。
更には「ああ浦頭」普及会が出来て、町の有線放送で流され、カセットテープになった。
それが、市民音楽祭に歌われ、ハウステンボスの全国の集いに発展したのである。 以 上
出口治明・ライフネット生命会長兼CEO
2015年8月10日 お仕事ご参考URL=http://digital.asahi.com/articles/ASH7P4SR2H7PULFA01L.html
【朝日新聞デジタル/2015年8月10日05時22分:土居新平・ 細見るい】
起 業 す る な ら 5 0 代 こ そ
6 0 歳 で 生 保 を 立 ち 上 げ た 男
出口治明・ライフネット生命会長兼CEO(67)
【出口治明〈でぐち・はるあき〉プロフィール】1972年に日本生命に入り、ロンドン事務所長や国際業務部長などを経て、2005年退職。ライフネット生命保険を起業し、2013年から会長兼CEO。これまでに5千冊以上歴史書を読んだ読書家でもある。
連載「 私 を 動 か す 私 が 動 か す 」
インターネットで申し込むライフネット生命保険を60歳で立ち上げて、丸7年が過ぎた。会社の知名度を上げようと、月に15回ほどこなす講演会では、「働き方」を語ることも多い。講演依頼のほとんどは個人から。10人以上集まったら、全国どこへも出向く。
――50代は起業に向いている、と訴えているとか。
「理由は簡単です。大人として認められるのが20歳と考えて、平均寿命が80歳。大人を60年間やると考えると、真ん中は50歳。人生の半分を走ってきたので、世の中の風景がわかっています」
――なるほど。
「ということは、自分の見極めもつきますね。会社に居続けたら収入や退職金はこれくらい、子どもが文系に進んだらいくらくらいかかる、とわかる。リスクが少ないと思うんです。飯が食えるという自信さえあれば、いい」
――体力や気力は、30代の方がある気もしますが。
「若い方には『清水の舞台を飛び降りたるで』という元気はあるかもしれない。でも、50代はひもがあれば、つーっ、と舞台から降りられるとわかる。踏み出せない人は『ベンチャーは若い人のもんや』と、なんとなく社会常識を受け入れているのです」
――起業が増えると、経済にも影響がありますか。
「めっちゃ、いいじゃないですか。この国は年功序列。50代以上がどんどん社会に飛び出せば、会社の風通しもよくなります」
――私が起業するなら、どんなアドバイスを?
「好きなこと、やりたいことを仕事にする。これに尽きる。『どんな領域がもうかると思いますか』と言う人は、やめた方がいいと思います」
大学を卒業して30年以上、日本生命に勤めた。55歳で関連会社に移り、「遺書のつもり」で書いた『生命保険入門』の本。書いたことを実践しようとつくった会社は、74年ぶりに親会社に保険会社を持たない生保として開業した。
――友人の紹介で会った方に誘われ、その場で「保険会社をつくりましょう」と答えたそうですね。
「直感でした。直感は、無意識のところで脳がフル回転する。過去の蓄積すべての総合判断です。当時58歳でしたから、58年間を総動員して、イエスと言っていいと、無意識の部分で意思決定したんです。言ってしまったら、やるしかありませんから」
――有言実行を、自分に課しているのですか。
「僕はギリシャ悲劇が大好きで。人間の喜怒哀楽のすべてが描かれていると思っています。そこでは神様ですら、自分の言ったことは取り消せない。言葉は、それだけ重い。人間も言うたことに責任を持たなあかんな、と思うんです」
――インターネットという発想は、どこから?
「所得を調べたら、20代の世帯は平均300万円くらいでした。必ず晩婚になり、少子化になる。保険料を半分にして、赤ちゃんを産みやすい社会をつくること。これをミッションにすると決めました。そのためにはインターネットを使って経費を抑えるしかない」
――パートナーは当時30歳の岩瀬大輔さん。いま社長をされていますが、なぜ彼だったのでしょう。
「正直なことを言うと、前職の優秀な部下の顔が何人か浮かんだんです。でも、瞬時に打ち消した。そんな会社がおもろいはずがないと。僕は年寄りで、保険のことを普通の人より知っている。パートナーは逆がええんで、若くて保険を知らない人がええと」
――あえて、若さや経験のなさを選んだのですね。
「ダイバーシティー(多様性)が、いかに大事かということです。同質性があかんということは、歴史が証明している」
――足元では新規契約が減っています。ネット生保の未来をどうみますか。
「7年たって改めてわかったことは、山あり谷ありやなと。生命保険は営業職員から買うものだという社会常識の壁は、想像したよりも厚い。マラソンで言えば、ライフネットはようやく競技場の外に出たくらい。これからやな、という気持ちです」
■取材後記
出口さんは穏やかな関西弁で、ギリシャ神話や江戸時代の話も交えて答えてくれた。なごやかに進んだ取材のなか、口調を強めて語った言葉が心に残る。
「50歳になって新しいことを始めるのが怖いと思っている人は、不勉強です」
好きな仕事に取り組み、勉強をし続ければ、何に挑戦するべきかは自然とわかる、と。もし破綻(はたん)すれば、契約者の人生設計を狂わせてしまう生命保険で、ベンチャーを起こした男の自負と厳しさを垣間見た。(土居新平)
■経験「顧問」で生かす
経験の豊富な中高年に、中小企業やベンチャー企業が必要なときだけ「顧問」として仕事を頼めるサービスが、広がってきた。海外進出の支援や新しい事業への助言など、ベテランならではの即戦力に、人材紹介会社も注目する。
リクルートキャリアが4月に始めた「顧問紹介サービス」は、これまでに中小企業を中心に100件の申し込みがあった。客層を広げたい都内の設備会社は、大手IT通信機器メーカーの元役員で営業戦略畑が長い62歳の男性と契約。問い合わせは月に10~20件ずつ増え、北海道や広島、鹿児島など地方からもくる。
上場手続きが不慣れなIT企業や車載部品に進出する携帯電話の部品メーカーなどが申し込み、「顧問」には、主に50代後半の大手企業の元役員などが就く。起業した人もいるが、退職して仕事をしていない人が多い。登録した約600人のなかに適任者がいないときは、リクルートが持つ約2万人のデータから探す。
インテリジェンスやマイナビも、似たサービスをすでに始めている。インテリジェンスの「i―common」で顧問契約を結ぶ約6割は、従業員100人未満の企業。「顧問」の平均年齢は60・9歳だ。上場企業の部長クラス以上が多いが、40~60歳の定年前の人たちもいる。2015年4月時点の契約件数は、前年4月より5割増えた。
こうしたサービスはいずれも業務委託で、社員として雇うわけではない。企業からみれば社会保険料を払わずにすみ、人件費を抑えることができる。(細見るい)
【朝日新聞デジタル/2015年8月10日05時22分:土居新平・ 細見るい】
起 業 す る な ら 5 0 代 こ そ
6 0 歳 で 生 保 を 立 ち 上 げ た 男
出口治明・ライフネット生命会長兼CEO(67)
【出口治明〈でぐち・はるあき〉プロフィール】1972年に日本生命に入り、ロンドン事務所長や国際業務部長などを経て、2005年退職。ライフネット生命保険を起業し、2013年から会長兼CEO。これまでに5千冊以上歴史書を読んだ読書家でもある。
連載「 私 を 動 か す 私 が 動 か す 」
インターネットで申し込むライフネット生命保険を60歳で立ち上げて、丸7年が過ぎた。会社の知名度を上げようと、月に15回ほどこなす講演会では、「働き方」を語ることも多い。講演依頼のほとんどは個人から。10人以上集まったら、全国どこへも出向く。
――50代は起業に向いている、と訴えているとか。
「理由は簡単です。大人として認められるのが20歳と考えて、平均寿命が80歳。大人を60年間やると考えると、真ん中は50歳。人生の半分を走ってきたので、世の中の風景がわかっています」
――なるほど。
「ということは、自分の見極めもつきますね。会社に居続けたら収入や退職金はこれくらい、子どもが文系に進んだらいくらくらいかかる、とわかる。リスクが少ないと思うんです。飯が食えるという自信さえあれば、いい」
――体力や気力は、30代の方がある気もしますが。
「若い方には『清水の舞台を飛び降りたるで』という元気はあるかもしれない。でも、50代はひもがあれば、つーっ、と舞台から降りられるとわかる。踏み出せない人は『ベンチャーは若い人のもんや』と、なんとなく社会常識を受け入れているのです」
――起業が増えると、経済にも影響がありますか。
「めっちゃ、いいじゃないですか。この国は年功序列。50代以上がどんどん社会に飛び出せば、会社の風通しもよくなります」
――私が起業するなら、どんなアドバイスを?
「好きなこと、やりたいことを仕事にする。これに尽きる。『どんな領域がもうかると思いますか』と言う人は、やめた方がいいと思います」
大学を卒業して30年以上、日本生命に勤めた。55歳で関連会社に移り、「遺書のつもり」で書いた『生命保険入門』の本。書いたことを実践しようとつくった会社は、74年ぶりに親会社に保険会社を持たない生保として開業した。
――友人の紹介で会った方に誘われ、その場で「保険会社をつくりましょう」と答えたそうですね。
「直感でした。直感は、無意識のところで脳がフル回転する。過去の蓄積すべての総合判断です。当時58歳でしたから、58年間を総動員して、イエスと言っていいと、無意識の部分で意思決定したんです。言ってしまったら、やるしかありませんから」
――有言実行を、自分に課しているのですか。
「僕はギリシャ悲劇が大好きで。人間の喜怒哀楽のすべてが描かれていると思っています。そこでは神様ですら、自分の言ったことは取り消せない。言葉は、それだけ重い。人間も言うたことに責任を持たなあかんな、と思うんです」
――インターネットという発想は、どこから?
「所得を調べたら、20代の世帯は平均300万円くらいでした。必ず晩婚になり、少子化になる。保険料を半分にして、赤ちゃんを産みやすい社会をつくること。これをミッションにすると決めました。そのためにはインターネットを使って経費を抑えるしかない」
――パートナーは当時30歳の岩瀬大輔さん。いま社長をされていますが、なぜ彼だったのでしょう。
「正直なことを言うと、前職の優秀な部下の顔が何人か浮かんだんです。でも、瞬時に打ち消した。そんな会社がおもろいはずがないと。僕は年寄りで、保険のことを普通の人より知っている。パートナーは逆がええんで、若くて保険を知らない人がええと」
――あえて、若さや経験のなさを選んだのですね。
「ダイバーシティー(多様性)が、いかに大事かということです。同質性があかんということは、歴史が証明している」
――足元では新規契約が減っています。ネット生保の未来をどうみますか。
「7年たって改めてわかったことは、山あり谷ありやなと。生命保険は営業職員から買うものだという社会常識の壁は、想像したよりも厚い。マラソンで言えば、ライフネットはようやく競技場の外に出たくらい。これからやな、という気持ちです」
■取材後記
出口さんは穏やかな関西弁で、ギリシャ神話や江戸時代の話も交えて答えてくれた。なごやかに進んだ取材のなか、口調を強めて語った言葉が心に残る。
「50歳になって新しいことを始めるのが怖いと思っている人は、不勉強です」
好きな仕事に取り組み、勉強をし続ければ、何に挑戦するべきかは自然とわかる、と。もし破綻(はたん)すれば、契約者の人生設計を狂わせてしまう生命保険で、ベンチャーを起こした男の自負と厳しさを垣間見た。(土居新平)
■経験「顧問」で生かす
経験の豊富な中高年に、中小企業やベンチャー企業が必要なときだけ「顧問」として仕事を頼めるサービスが、広がってきた。海外進出の支援や新しい事業への助言など、ベテランならではの即戦力に、人材紹介会社も注目する。
リクルートキャリアが4月に始めた「顧問紹介サービス」は、これまでに中小企業を中心に100件の申し込みがあった。客層を広げたい都内の設備会社は、大手IT通信機器メーカーの元役員で営業戦略畑が長い62歳の男性と契約。問い合わせは月に10~20件ずつ増え、北海道や広島、鹿児島など地方からもくる。
上場手続きが不慣れなIT企業や車載部品に進出する携帯電話の部品メーカーなどが申し込み、「顧問」には、主に50代後半の大手企業の元役員などが就く。起業した人もいるが、退職して仕事をしていない人が多い。登録した約600人のなかに適任者がいないときは、リクルートが持つ約2万人のデータから探す。
インテリジェンスやマイナビも、似たサービスをすでに始めている。インテリジェンスの「i―common」で顧問契約を結ぶ約6割は、従業員100人未満の企業。「顧問」の平均年齢は60・9歳だ。上場企業の部長クラス以上が多いが、40~60歳の定年前の人たちもいる。2015年4月時点の契約件数は、前年4月より5割増えた。
こうしたサービスはいずれも業務委託で、社員として雇うわけではない。企業からみれば社会保険料を払わずにすみ、人件費を抑えることができる。(細見るい)
8/26:『第356回生涯現役塾』改訂版案内
2015年8月11日 お仕事第 3 5 6 回 生 涯 現 役 シ リ ー ズ 塾
生 涯 現 役 に 取 り 組 む 第 八 弾
生涯現役社会づくりではオンリーワンの生涯現役実践道場
日 時: 2 0 1 5 年 8 月 2 6 日 (水)
〔生涯現役実践塾〕 1 7 : 3 0 ~ 1 9 : 3 0
会 場: 八 重 洲 口 会 館 会 議 室
東京都中央区八重洲1-7-20 八重洲口会館 B2F
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テーマ: ③生涯現役サミット 事前
「 わ た し の 生 涯 現 役 社 会 づ く り
挑 戦 の ご 報 告 」
進行役; 東 瀧 邦 次
( 日本生涯現役推進協議会・NPOライフ・ベンチャー・クラブ 代表 )
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講 師: 柳 原 正 年
( 富山社会人大楽塾 代表/日本生涯現役推進協議会 理事 )
略 歴: 平成12年、大手生命保険会社定年退職と同時に「富山社会人大楽塾」を設立。生涯現役健康生きがいづくりプラットホームづくりにチャレンジ。設立15年に当たる平成27年には「高齢社会」対応の「健康福祉インストラクター」養成事業を立ち上げ、生涯現役リーダーづくりに取り組んでいる。
講 演A: 「 生 涯 現 役 コ ン ビ ニ サ ロ ン ・
社 会 人 大 楽 塾 の 全 国 展 開 」
内 容: 高齢コミュニティサロン(社会人大楽塾チェーン)の全国展開実証実験を開始。その第一弾として団塊女性のエンパワーメント事業「健康福祉インストラクター」養成を開始した。生涯現役というと男性向け言葉を女性向けに「健康福祉インストラクター」とネーミング、中高年女性のパワーを生涯現役社会に寄与することにより、シニア男性のプロデューサーへの参加意識を高めようとするもの。
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講 師: 八 久 保 宜 美
( 株式会社 スリービーンズ 代表取締役 )
略 歴: 2012年(株)スリービーンズ設立。シニアでもできる仕事ではなく、シニアならではの仕事創出に工夫を凝らす。特に介護事業所の生活相談人に着目し、説明会やセミナーを開催。介護業界全体の底上げを図るべくシニアの知恵活用に最重点。また専門学校で若い生徒に仕事に役立つ実務パソコン指導。平成流就活術やビジネスの基本は、転職や起業を目指すシニアにも有効。シニアの創職(就業&起業)に情報発信の側面から支援事業を展開活躍中。
演 題B: 「 ネ ッ ト 展 開 は 一 夜 に し て な ら ず ・
突 破 口 に す る た め の 発 信 力 」
内 容: 弊社が運営する「デイサービス生活相談員ネットワーク」サイトを月間3万アクセス数にする迄の努力・独創的ノウハウでやってきたこと、これからやらなくてはならないこと、ネットから得たもの・失ったものなど実例でご紹介します。ネット活用のためには何が必要なのかが必ず判ります。
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講 師: 井 上 仁
( フクシマ復興応援ネットワーク事務局 PJ実行責任者 )
略 歴:1983年から企業や自治体のプロジェクトマネジメントの実践研究を行う、ベルヒュード国際経営研究所を主宰。フクシマ第一原発5、6号機が位置する二葉町で幼年、少年期を過ごす。「フクシマ問題は長丁場、原発被災者の自立、生活再建は全国民的対応課題」という思いで2014年フクシマ復興応援ネットワークを立ち上げる。現在フクシマだからこそ「子どもたちの安全・安心で健康な農業の開発・導入をめざすプロジェクト」推進の実行責任者として活躍中。
演 題C: 「 生 涯 現 役 パ ワ ー で
フ ク シ マ 再 生 農 業 ビ ジ ネ ス 開 拓 」
内 容: 自然栽培のやぶ田ファームで「有機JAS認証野菜」を省力、低コスト、高生産性で栽培する「環境保全型ハウス有機農法」の実証栽培プロジェクトを立ち上げ。その実績をもって日本太陽光発電プランナー協議会理事企業3社と提携し、フクシマに太陽光発電・売電とセットにした「ソーラーシェアリング」農業ビジネスとして導入を図るプロセスをご案内します。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
講 師: 武 井 昭
( 有限会社 介護けやき・ NPO 市民ビジネス サポートセンター 代表 )
略 歴: 1992年情報関係の会社を退職後、中小企業診断士登録・経営コンサルタントとして独立、NPO法人 市民ビジネスサポートセンターを開設し、理事長として。商店街支援、創業塾開塾。2003年高齢者介護の(有)介護けやきを設立・代表取締役として世田谷区内の高齢者介護事業経営で現在に至る。
演 題D: 「 生 涯 現 役 実 践 家 と し て
地 域 社 会 で の 生 き が い 人 生 」
内 容: 人生マラソン59歳でサラリーマン生活を終了。コンサルタントとして自主独立の自営で、数社の経営支援、NPO法人を設立し世田谷区内の創業者支援。障碍者教育、任意団体せたがやアンビシャス設立の支援。69歳にて有限会社介護けやき設立。高齢者介護事業を創立し世田谷区内の高齢者介護に当る。認知賞高齢者の増加に伴い明2016年度は、区内高齢者対象施設設立に向け鋭意開設準備中。
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講 師: 高 橋 育 郎
( 心 の ふ る さ と を 歌 う 会 代 表 )
略 歴:1935年生れ。国民学校入学・卒業生として激動第二次世界大戦時の荒波にもまれた。1953年旧国鉄入社、中央大学法学部夜間部卒業。関東支社、千葉鉄道管理局と管理部門を歩き、民営化JRを1年経験した後に退職。第二の人生でLVクラブ生涯現役実践道場に出会い今日に至る。その間「心のふるさとを歌う会」創設を始めとして日本童謡協会にも入り、同人誌等により作詞作曲の機会を得る。
演 題E: 「 奇 跡 を 生 み だ す
生 涯 現 役 社 会 づ く り の 全 国 展 開 を ! 」
内 容: 生涯現役を継続すれば奇跡が生まれるという話。1989年LVC入会当初の教訓では、自分の得意技を活かして、世のため人のためになるよう励むこと。そして脳力開発の教えで、人生冒険に邁進してきたた。得意技は歌を歌い曲を創る、それはシンガーソングライター。幸いにも歌の道を歩みたい念願を叶えられた。歌の会はじめ童謡協会での夢も実現、周囲に喜びや勇気を与えられる奇跡の感謝人生。
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講 師: 島 崎 甲 介
( 株式会社ショーテル 相談役 )
略 歴: 2000年に(株)リクルート発行の求人誌「タウンワーク」立ち上げに参加。日本生涯現役推進協議会が目論む独創的な民主導『生涯現役社会づくり』実現への革新事業システム展開に向け、定年予備軍を抱える企業ニーズに対応しながら、サイト活用の生涯現役生きがい増進型の雇用創出策を協働開発中。
演 題F: 「 生 涯 現 役 社 会 実 現 へ の
共 感 ネ ッ ト ワ ー ク 開 発 推 進 」
内 容:いまや「生涯現役」という言葉が当り前のように使われているが、「生涯現役」を実現できる土壌はまだまだだ。生涯現役の実現のためには、個人の幸せの実現と企業のニーズが合致することが必要。 そのため「生涯現役社会」創りを目指す人たちと企業のネットワーク構築必要性を共有に鋭意努力中。
******************************************************************
参加費: 会員/ 1 , 0 0 0 円 一般/ 2 , 0 0 0 円
申込先: NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ事務局
東京都中央区八重洲1-7-20 八重洲口会館 B2F
電話:03(3517)6667 Fax:03(3517)6668
E-mail: info@sgsk.net or lvcinfo@sgsk.net
URL:http://www.sgsk.net or http://sgsk.net/70890
………………………………………………………………………………………
第 3 5 6 回 生涯現役シリーズ塾 参 加 申 込 書
2015 年 8月 日
NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ 事務局 宛
氏 名:_______________
TEL or FAX or Mail __________________
生 涯 現 役 に 取 り 組 む 第 八 弾
生涯現役社会づくりではオンリーワンの生涯現役実践道場
日 時: 2 0 1 5 年 8 月 2 6 日 (水)
〔生涯現役実践塾〕 1 7 : 3 0 ~ 1 9 : 3 0
会 場: 八 重 洲 口 会 館 会 議 室
東京都中央区八重洲1-7-20 八重洲口会館 B2F
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テーマ: ③生涯現役サミット 事前
「 わ た し の 生 涯 現 役 社 会 づ く り
挑 戦 の ご 報 告 」
進行役; 東 瀧 邦 次
( 日本生涯現役推進協議会・NPOライフ・ベンチャー・クラブ 代表 )
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講 師: 柳 原 正 年
( 富山社会人大楽塾 代表/日本生涯現役推進協議会 理事 )
略 歴: 平成12年、大手生命保険会社定年退職と同時に「富山社会人大楽塾」を設立。生涯現役健康生きがいづくりプラットホームづくりにチャレンジ。設立15年に当たる平成27年には「高齢社会」対応の「健康福祉インストラクター」養成事業を立ち上げ、生涯現役リーダーづくりに取り組んでいる。
講 演A: 「 生 涯 現 役 コ ン ビ ニ サ ロ ン ・
社 会 人 大 楽 塾 の 全 国 展 開 」
内 容: 高齢コミュニティサロン(社会人大楽塾チェーン)の全国展開実証実験を開始。その第一弾として団塊女性のエンパワーメント事業「健康福祉インストラクター」養成を開始した。生涯現役というと男性向け言葉を女性向けに「健康福祉インストラクター」とネーミング、中高年女性のパワーを生涯現役社会に寄与することにより、シニア男性のプロデューサーへの参加意識を高めようとするもの。
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講 師: 八 久 保 宜 美
( 株式会社 スリービーンズ 代表取締役 )
略 歴: 2012年(株)スリービーンズ設立。シニアでもできる仕事ではなく、シニアならではの仕事創出に工夫を凝らす。特に介護事業所の生活相談人に着目し、説明会やセミナーを開催。介護業界全体の底上げを図るべくシニアの知恵活用に最重点。また専門学校で若い生徒に仕事に役立つ実務パソコン指導。平成流就活術やビジネスの基本は、転職や起業を目指すシニアにも有効。シニアの創職(就業&起業)に情報発信の側面から支援事業を展開活躍中。
演 題B: 「 ネ ッ ト 展 開 は 一 夜 に し て な ら ず ・
突 破 口 に す る た め の 発 信 力 」
内 容: 弊社が運営する「デイサービス生活相談員ネットワーク」サイトを月間3万アクセス数にする迄の努力・独創的ノウハウでやってきたこと、これからやらなくてはならないこと、ネットから得たもの・失ったものなど実例でご紹介します。ネット活用のためには何が必要なのかが必ず判ります。
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講 師: 井 上 仁
( フクシマ復興応援ネットワーク事務局 PJ実行責任者 )
略 歴:1983年から企業や自治体のプロジェクトマネジメントの実践研究を行う、ベルヒュード国際経営研究所を主宰。フクシマ第一原発5、6号機が位置する二葉町で幼年、少年期を過ごす。「フクシマ問題は長丁場、原発被災者の自立、生活再建は全国民的対応課題」という思いで2014年フクシマ復興応援ネットワークを立ち上げる。現在フクシマだからこそ「子どもたちの安全・安心で健康な農業の開発・導入をめざすプロジェクト」推進の実行責任者として活躍中。
演 題C: 「 生 涯 現 役 パ ワ ー で
フ ク シ マ 再 生 農 業 ビ ジ ネ ス 開 拓 」
内 容: 自然栽培のやぶ田ファームで「有機JAS認証野菜」を省力、低コスト、高生産性で栽培する「環境保全型ハウス有機農法」の実証栽培プロジェクトを立ち上げ。その実績をもって日本太陽光発電プランナー協議会理事企業3社と提携し、フクシマに太陽光発電・売電とセットにした「ソーラーシェアリング」農業ビジネスとして導入を図るプロセスをご案内します。
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講 師: 武 井 昭
( 有限会社 介護けやき・ NPO 市民ビジネス サポートセンター 代表 )
略 歴: 1992年情報関係の会社を退職後、中小企業診断士登録・経営コンサルタントとして独立、NPO法人 市民ビジネスサポートセンターを開設し、理事長として。商店街支援、創業塾開塾。2003年高齢者介護の(有)介護けやきを設立・代表取締役として世田谷区内の高齢者介護事業経営で現在に至る。
演 題D: 「 生 涯 現 役 実 践 家 と し て
地 域 社 会 で の 生 き が い 人 生 」
内 容: 人生マラソン59歳でサラリーマン生活を終了。コンサルタントとして自主独立の自営で、数社の経営支援、NPO法人を設立し世田谷区内の創業者支援。障碍者教育、任意団体せたがやアンビシャス設立の支援。69歳にて有限会社介護けやき設立。高齢者介護事業を創立し世田谷区内の高齢者介護に当る。認知賞高齢者の増加に伴い明2016年度は、区内高齢者対象施設設立に向け鋭意開設準備中。
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講 師: 高 橋 育 郎
( 心 の ふ る さ と を 歌 う 会 代 表 )
略 歴:1935年生れ。国民学校入学・卒業生として激動第二次世界大戦時の荒波にもまれた。1953年旧国鉄入社、中央大学法学部夜間部卒業。関東支社、千葉鉄道管理局と管理部門を歩き、民営化JRを1年経験した後に退職。第二の人生でLVクラブ生涯現役実践道場に出会い今日に至る。その間「心のふるさとを歌う会」創設を始めとして日本童謡協会にも入り、同人誌等により作詞作曲の機会を得る。
演 題E: 「 奇 跡 を 生 み だ す
生 涯 現 役 社 会 づ く り の 全 国 展 開 を ! 」
内 容: 生涯現役を継続すれば奇跡が生まれるという話。1989年LVC入会当初の教訓では、自分の得意技を活かして、世のため人のためになるよう励むこと。そして脳力開発の教えで、人生冒険に邁進してきたた。得意技は歌を歌い曲を創る、それはシンガーソングライター。幸いにも歌の道を歩みたい念願を叶えられた。歌の会はじめ童謡協会での夢も実現、周囲に喜びや勇気を与えられる奇跡の感謝人生。
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講 師: 島 崎 甲 介
( 株式会社ショーテル 相談役 )
略 歴: 2000年に(株)リクルート発行の求人誌「タウンワーク」立ち上げに参加。日本生涯現役推進協議会が目論む独創的な民主導『生涯現役社会づくり』実現への革新事業システム展開に向け、定年予備軍を抱える企業ニーズに対応しながら、サイト活用の生涯現役生きがい増進型の雇用創出策を協働開発中。
演 題F: 「 生 涯 現 役 社 会 実 現 へ の
共 感 ネ ッ ト ワ ー ク 開 発 推 進 」
内 容:いまや「生涯現役」という言葉が当り前のように使われているが、「生涯現役」を実現できる土壌はまだまだだ。生涯現役の実現のためには、個人の幸せの実現と企業のニーズが合致することが必要。 そのため「生涯現役社会」創りを目指す人たちと企業のネットワーク構築必要性を共有に鋭意努力中。
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参加費: 会員/ 1 , 0 0 0 円 一般/ 2 , 0 0 0 円
申込先: NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ事務局
東京都中央区八重洲1-7-20 八重洲口会館 B2F
電話:03(3517)6667 Fax:03(3517)6668
E-mail: info@sgsk.net or lvcinfo@sgsk.net
URL:http://www.sgsk.net or http://sgsk.net/70890
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第 3 5 6 回 生涯現役シリーズ塾 参 加 申 込 書
2015 年 8月 日
NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ 事務局 宛
氏 名:_______________
TEL or FAX or Mail __________________
2015/8/5開催:高連協役員会議事録
2015年8月12日 お仕事 2 0 1 5 年 8 月 高 連 協 役 員 会 議 事 録
日 時:2 0 1 5 年 8 月 5 日(水) 1 5 : 0 5 ~ 1 7 : 2 1
会 場:エイジング総合研究センター会議室
出席者:川瀬健介、鷹野義量、玉木康平(記)、野島卓郎、東瀧邦次、樋渡泰典、穂積 恒、升田忠昭、森 保、若林建市、吉田成良、(以上理事・監事、参与)
議 長:鷹野義量理事
議 事
1.報 告 事 項
1) G U 国 際 会 議 を 終 え て
升田理事より、7月21日~24日開催のGU国際会議が、主催のGUならびに共催のICIP(International Consortium for Intergenerational programmes)、JANCA、シーガルスクール、国連-ハワイの熱心な取組み等で成功裏に終了したと報告。同理事より、参加者は約140名、米国、日本、その他欧州・アジア諸国が3分の1ずつであったと報告。鷹野理事からはテーマに相応しく親子孫3代でこの会議、ツアーに参加しての所感と、高齢社会をよくする女性の会や高連協の参加者の様子について報告。穂積理事からは、自身がワークショップセッションⅡ“Age-Friendly Cities”に、また、FOIFAメンバーがワークショップセッションⅣの「バリアフリー、ユニバーサルデザインを使った包摂的環境建築」に発表者として出演しての所感。23日(木)夕刻からの樋口恵子代表を囲み日本からの参加者が一堂に会して親睦会を行ない、鷹野理事の名司会もあって、参加者それぞれについての理解や相互の親密感、連帯感が一段と深まり、25日に成田空港で解散するまで一同和気藹々の視察、旅行が続いたことを報告。玉木参与からは、樋口代表、杉江東園CEOおよびロバート・パットナム博士の基調講演、穂積理事のワークショップでの発表、「シーガルスクール」エバビーチ校・カポレイ校(幼児保育園)や「ザ・プラザ」ホーム(モアナルア。CCRC)を視察しての所感の報告。
2) 「 高 齢 社 会 フ ォ ー ラ ム・イ ン 東 京 」 を 終 え て
参加者各位より、7月31日(金)開催の平成27年度「高齢社会フォーラム・イン東京」における樋口恵子代表による基調講演が非常に示唆に富み、聴衆にいろいろなことを考えさせるものだったとの報告。川瀬理事(平成27〔2015〕年度高齢社会フォーラム運営委員会委員)がコーディネーターを務めた第1分科会は、パネリストが健康長寿をテーマに語った鈴木隆雄氏に実践家2人を加えた構成がよかったのか、参加された人々からは高評価があった。他の分科会については、第2分科会は昨年同様、コーディネーターとパネリストが参加者無視の3時間で全く改まっていないとコーディネーターへの不満。第3分科会に参加した樋渡参与からは、昨年のフォーラムでは会場とのやり取りがない点が問題となったが、今年度は、その反省を踏まえ、会場との意見交換の時間をとっていたと報告。
3) 広 報 委 員 会 か ら
事務局より、8月の広報委員会は翌6日(木)13:00~14:00に開催予定となっていることを報告注1。
〔注1〕◍ 8月の広報委員会(翌8月6日〔木〕13:03~13:57):①広場投稿エッセイのテーマの検討(「高齢社会フォーラム基調講演から示唆されたこと」、「安全保障関連法案を考える」)②高連協公開講座「シニアの健康寿命の伸長」等。出席委員:大橋忠夫、岡本憲之、鷹野義量、玉木康平、野島卓郎、堀内正範、吉田成良。
4) 「 談 話 室 」( た ま り 場 ) か ら の 話 題
去る7月9日(木)の高連協談話室について、議事メモを回覧しつつ、事務局から報告。7月9日は、野島理事より、「第6期(平成27年~29年)介護保険 第一号保険料(保険者別)」と題する資料について、たまり場参加者各々が住む市区町村別に打ち出してきたものを各人に配布のうえ、参加者各位の生活拠点での介護保険料の位置、地域包括ケアシステムの考え方について説明。同時に、ナルク東京事務所理事より、ナルクの新地域支援事業の中での日常生活支援への取組みに向けた現況についての報告等。
2. 検 討 事 項
1)「 シ ニ ア の 健 康 寿 命 の 伸 長 」
( 高 連 協 公 開 講 座 )(仮) の 開 催 に つ い て
吉田専務理事より、配布資料の開催プログラム、及び「開催に当たって」を説明。開催当日のプログラムには、この開催趣旨を見開き頁に、表4頁には高連協加盟の全団体名及び協力団体名を列記する。なお、厚労省後援は健康局に申請手続き中。さらに参加者募集は広く行わず、チケット配布で行う。等の説明に役員会は了承する。<検討した「プログラム」及び「開催に当たって」は別添え>
2) 後 援 名 義 依 頼
日本心身機能活性療法指導士会より、2015年10月2日(金)~3日(土)に日本倶楽部(東京都千代田区丸の内3-1-1 国際ビル8階)にて開催する、第14回指導士国際交流研修大会について後援名義使用依頼。これについて役員会は全員が了承。
3. そ の 他
1) ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー( 東 瀧 理 事 ) か ら
前 回 役 員 会 に 続 い て の 提 案
東瀧理事は、どの非営利組織も①自分たちの活動の使命・主目的が何かについて構成員がよく理解していくこと、②それを社会のどういう人にアピールしていくか、③それを受けた活動として社会のどういう人に協力・支援していくか、④分かり易い具体的な活動の実践等が肝要なのではないかと前置きし、同理事が生涯現役の理念を掲げて30年間その概念の普及に取り組み、都度、都度仲間で針路を討論し、微調整しながら進んできた結果、漸く構成員の人たちがそれをよく理解し、自ら進んでその活動に献身していただける段階になったこと、さらに、生涯現役の概念は政界、経済界、学会、報道分野と幅広く普及し、さまざまなところでそれぞれの視角から、その概念が取り入れられ、生かされていると語った。同理事は、そのような生涯現役概念ではあるが、それの究極目的は本人の自立にあると述べた。同理事はさらに、高齢者関連団体は高齢者だけが会員として集って議論するのではなくて、もっと若い世代も会員として、一緒になって目的を定め、施策を討議すること、そして、使命感の達成に向けて企業に働きかけることが必要なのではないかと主張。そして、同理事は、先般ライフ・ベンチャー・クラブの役員に集まってもらったが、その時、上田・岡本・野島高連協3理事にもオブザーバーとして参加していただいたので、本日この役員会に出席の野島理事に所感を述べてもらいたいと野島理事に水を向けた。
これを受けて、野島理事は、使命感も目的も分かるし、私の所属するさわやか福祉財団では、活動そのものの背景には生涯現役概念がある。そして、企業への働きかけも現在行っている。そのうえで、さわやか福祉財団が東瀧理事のおっしゃるような企業へ働きかけを行うとしたら、具体的に何を行えばいいのかが分からないと回答。
それを皮切りにして、東瀧理事と役員会メンバーのあいだで具体的な取組みとして何をどうするかについての意見交換が行われたが、十分な理解を得るに至らず、会議は時間切れとなった。
2) 次 回 役 員 会 に つ い て
次回役員会は 2 0 1 5 年 9 月 9 日(水)1 4 : 0 0 ~ 1 6 : 0 0 、
会場:エイジング総合研究センター会議室。議長は野島理事。 以 上(玉木 記)
日 時:2 0 1 5 年 8 月 5 日(水) 1 5 : 0 5 ~ 1 7 : 2 1
会 場:エイジング総合研究センター会議室
出席者:川瀬健介、鷹野義量、玉木康平(記)、野島卓郎、東瀧邦次、樋渡泰典、穂積 恒、升田忠昭、森 保、若林建市、吉田成良、(以上理事・監事、参与)
議 長:鷹野義量理事
議 事
1.報 告 事 項
1) G U 国 際 会 議 を 終 え て
升田理事より、7月21日~24日開催のGU国際会議が、主催のGUならびに共催のICIP(International Consortium for Intergenerational programmes)、JANCA、シーガルスクール、国連-ハワイの熱心な取組み等で成功裏に終了したと報告。同理事より、参加者は約140名、米国、日本、その他欧州・アジア諸国が3分の1ずつであったと報告。鷹野理事からはテーマに相応しく親子孫3代でこの会議、ツアーに参加しての所感と、高齢社会をよくする女性の会や高連協の参加者の様子について報告。穂積理事からは、自身がワークショップセッションⅡ“Age-Friendly Cities”に、また、FOIFAメンバーがワークショップセッションⅣの「バリアフリー、ユニバーサルデザインを使った包摂的環境建築」に発表者として出演しての所感。23日(木)夕刻からの樋口恵子代表を囲み日本からの参加者が一堂に会して親睦会を行ない、鷹野理事の名司会もあって、参加者それぞれについての理解や相互の親密感、連帯感が一段と深まり、25日に成田空港で解散するまで一同和気藹々の視察、旅行が続いたことを報告。玉木参与からは、樋口代表、杉江東園CEOおよびロバート・パットナム博士の基調講演、穂積理事のワークショップでの発表、「シーガルスクール」エバビーチ校・カポレイ校(幼児保育園)や「ザ・プラザ」ホーム(モアナルア。CCRC)を視察しての所感の報告。
2) 「 高 齢 社 会 フ ォ ー ラ ム・イ ン 東 京 」 を 終 え て
参加者各位より、7月31日(金)開催の平成27年度「高齢社会フォーラム・イン東京」における樋口恵子代表による基調講演が非常に示唆に富み、聴衆にいろいろなことを考えさせるものだったとの報告。川瀬理事(平成27〔2015〕年度高齢社会フォーラム運営委員会委員)がコーディネーターを務めた第1分科会は、パネリストが健康長寿をテーマに語った鈴木隆雄氏に実践家2人を加えた構成がよかったのか、参加された人々からは高評価があった。他の分科会については、第2分科会は昨年同様、コーディネーターとパネリストが参加者無視の3時間で全く改まっていないとコーディネーターへの不満。第3分科会に参加した樋渡参与からは、昨年のフォーラムでは会場とのやり取りがない点が問題となったが、今年度は、その反省を踏まえ、会場との意見交換の時間をとっていたと報告。
3) 広 報 委 員 会 か ら
事務局より、8月の広報委員会は翌6日(木)13:00~14:00に開催予定となっていることを報告注1。
〔注1〕◍ 8月の広報委員会(翌8月6日〔木〕13:03~13:57):①広場投稿エッセイのテーマの検討(「高齢社会フォーラム基調講演から示唆されたこと」、「安全保障関連法案を考える」)②高連協公開講座「シニアの健康寿命の伸長」等。出席委員:大橋忠夫、岡本憲之、鷹野義量、玉木康平、野島卓郎、堀内正範、吉田成良。
4) 「 談 話 室 」( た ま り 場 ) か ら の 話 題
去る7月9日(木)の高連協談話室について、議事メモを回覧しつつ、事務局から報告。7月9日は、野島理事より、「第6期(平成27年~29年)介護保険 第一号保険料(保険者別)」と題する資料について、たまり場参加者各々が住む市区町村別に打ち出してきたものを各人に配布のうえ、参加者各位の生活拠点での介護保険料の位置、地域包括ケアシステムの考え方について説明。同時に、ナルク東京事務所理事より、ナルクの新地域支援事業の中での日常生活支援への取組みに向けた現況についての報告等。
2. 検 討 事 項
1)「 シ ニ ア の 健 康 寿 命 の 伸 長 」
( 高 連 協 公 開 講 座 )(仮) の 開 催 に つ い て
吉田専務理事より、配布資料の開催プログラム、及び「開催に当たって」を説明。開催当日のプログラムには、この開催趣旨を見開き頁に、表4頁には高連協加盟の全団体名及び協力団体名を列記する。なお、厚労省後援は健康局に申請手続き中。さらに参加者募集は広く行わず、チケット配布で行う。等の説明に役員会は了承する。<検討した「プログラム」及び「開催に当たって」は別添え>
2) 後 援 名 義 依 頼
日本心身機能活性療法指導士会より、2015年10月2日(金)~3日(土)に日本倶楽部(東京都千代田区丸の内3-1-1 国際ビル8階)にて開催する、第14回指導士国際交流研修大会について後援名義使用依頼。これについて役員会は全員が了承。
3. そ の 他
1) ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー( 東 瀧 理 事 ) か ら
前 回 役 員 会 に 続 い て の 提 案
東瀧理事は、どの非営利組織も①自分たちの活動の使命・主目的が何かについて構成員がよく理解していくこと、②それを社会のどういう人にアピールしていくか、③それを受けた活動として社会のどういう人に協力・支援していくか、④分かり易い具体的な活動の実践等が肝要なのではないかと前置きし、同理事が生涯現役の理念を掲げて30年間その概念の普及に取り組み、都度、都度仲間で針路を討論し、微調整しながら進んできた結果、漸く構成員の人たちがそれをよく理解し、自ら進んでその活動に献身していただける段階になったこと、さらに、生涯現役の概念は政界、経済界、学会、報道分野と幅広く普及し、さまざまなところでそれぞれの視角から、その概念が取り入れられ、生かされていると語った。同理事は、そのような生涯現役概念ではあるが、それの究極目的は本人の自立にあると述べた。同理事はさらに、高齢者関連団体は高齢者だけが会員として集って議論するのではなくて、もっと若い世代も会員として、一緒になって目的を定め、施策を討議すること、そして、使命感の達成に向けて企業に働きかけることが必要なのではないかと主張。そして、同理事は、先般ライフ・ベンチャー・クラブの役員に集まってもらったが、その時、上田・岡本・野島高連協3理事にもオブザーバーとして参加していただいたので、本日この役員会に出席の野島理事に所感を述べてもらいたいと野島理事に水を向けた。
これを受けて、野島理事は、使命感も目的も分かるし、私の所属するさわやか福祉財団では、活動そのものの背景には生涯現役概念がある。そして、企業への働きかけも現在行っている。そのうえで、さわやか福祉財団が東瀧理事のおっしゃるような企業へ働きかけを行うとしたら、具体的に何を行えばいいのかが分からないと回答。
それを皮切りにして、東瀧理事と役員会メンバーのあいだで具体的な取組みとして何をどうするかについての意見交換が行われたが、十分な理解を得るに至らず、会議は時間切れとなった。
2) 次 回 役 員 会 に つ い て
次回役員会は 2 0 1 5 年 9 月 9 日(水)1 4 : 0 0 ~ 1 6 : 0 0 、
会場:エイジング総合研究センター会議室。議長は野島理事。 以 上(玉木 記)
戦後70年、朝河貫一が求めた共存英知
2015年8月13日 お仕事 戦後70年を経過したいま『日本の一番長い、長い熱い日』を迎え、広島・長崎原爆の灼熱、人類史上最悪の尊い人命を犠牲にした上で遂に迎えた敗戦地獄。ところが戦後教育の日本現代史をまともに学び得ていない若者たちへの街頭質問で、太平洋戦争での日本の戦争相手国名をまともに回答できない平和ボケだと悔しがる戦争経験世代層の歯ぎしり。
いずれも目下参議院での安全保障関連法案の審議を挟んで、日本国民が世界平和時代への推進役として知行合一の信頼できる世界史リーダー役足り得るか否か。『生涯現役プロデューサー』役を果たすべき私たち生涯現役仲間には、確固たる決意の判断基準で謙虚に人生達人たる役割を務めたいものである。そのために下記マスメディアから提供された情報をどう捉えられるか、建設的ご意見で次回理事会席上ご審議をお願いしたいものである。
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【2015/8/10 6:30 日本経済新聞 電子版】
今週末、日本は戦後70年の節目を迎えます。戦時中は軍事機密だった天候情報ですが、残る記録によれば70年前の8月15日、東京の天気は晴れ、最高気温は32.3℃だったようです。当時以上に暑い今夏の70周年の焦点は安倍首相の談話ですが、気になるのは談話公表後の中韓の反応です。ある程度の反発は織り込み済みとしても、その反発の度合い、さらには秋以降の外交に与える影響も注視する必要があるでしょう。安保法案の参院審議の本格化もこれからですし、9月には自民党総裁選も控えています。支持率が低下傾向にある安倍政権にとって気の抜けない日が続きます。日本の「暑い夏」はまだまだ続きます。(電子編集本部電子編集部 田村俊一)
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関連URL=http://www.nikkei.com/article/DGXMZO90227120W5A800C1000000/
【ニュースこう読む(小竹洋之)】
戦 後 7 0 年 、
朝 河 貫 一 が 求 め た 共 存 の 英 知 を ワシントン支局長 小竹洋之
【小竹洋之(こたけ・ひろゆき)プロフィール】 88年日本経済新聞社入社。経済部編集委員兼論説委員を経て、14年3月からワシントン支局長。専門はマクロ経済、財政・金融政策、国際金融。
【筆者が注目した記事】
・8月 6日 日経朝刊4面「戦後70年談話、14日軸に」
・8月 2日 日経朝刊2面「どう戦前に向き合うか」
・7月21日 日経朝刊1面「米キューバ国交回復、54年ぶり」
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米東部コネティカット州ニューヘブン。その人の墓はグローブストリート墓地の一角にあった。日本人で初めて米エール大教授を務めた歴史学者の朝河貫一(1873~1948年)――。明日8月11日は彼の命日に当たる。
■ 「 警 告 」 は 届 か ず
「今や日本は国運の分かれ目に立てるものなり」。若くして渡米した朝河は1909年に出版した著書「日本の禍機(かき)」で、祖国の行く末を憂えた。日本が日露戦争の勝利に慢心し、中国で領土拡張に走るのなら、世界の中で孤立し、米国との衝突も避けられなくなると警告したのだ。
この懸念は現実のものとなる。1941年、朝河は日米開戦を阻止しようと、フランクリン・ルーズベルト大統領から昭和天皇に親書を送るよう働きかけた。だが親書が届いたのは真珠湾攻撃の開始直後で、内容も朝河の草案とは別物と化していた。
自由と平和を尊び、共存の英知を求めたという朝河。エール大の記念庭園や元オフィスを訪ね、存命中の書簡にも目を通してみた。日本の歴史を研究するダニエル・ボッツマン教授は「もっと多くの人たちが記憶にとどめる価値のある人物だ」と指摘する。
第2次世界大戦の終結から70年。朝河がもし生きていれば、今の世界をどう評価しただろうか。
「戦前は民主主義の代わりとなる強力な選択肢、すなわちファシズムや共産主義があった。戦後はそれほど強く民主主義と対峙するものがない」。最近会った米ハーバード大のジョセフ・ナイ特別功労教授はこう話していた。
確かに世界の民主化は進んだ。米人権団体フリーダムハウスがまとめた2015年版のリポートによると、世界195カ国のうち完全な自由国家は46%、部分的な自由国家は28%に達する。世界人口の6割以上を占める46億人が、程度の差はあっても「自由」と呼ばれる国に住んでいる計算だ。
英調査機関エコノミスト・インテリジェンス・ユニットが算出した14年版の民主化度指数を見ると、日本は世界167カ国・地域のうちの20位で、米国の19位に次ぐ。米国と戦火を交えた日本は大きな代償を払った末に、代表的な民主主義国家に生まれ変わったと言ってもいい。
グローバル化や市場化のパワーはもっと強い。米国との国交回復で54年ぶりに再開したキューバの在米大使館。その両隣にはポーランドとリトアニアの大使館が並ぶ。1989年の冷戦終結を機に、かつての共産主義圏と資本主義圏の融合が加速したことを象徴している。
■ 先 達 の 思 い に こ た え る か
米共和党のフォード政権とブッシュ(父)政権で国家安全保障担当の大統領補佐官を務めたブレント・スコウクロフト氏は「世界経済はもはや異質の政治システムまで取り込んでいる」と語る。そんな統合の深化が決定的な対立の抑止力になっているのも事実だ。
もちろん期待したほどの平和や安定が訪れたとはいえない。ロシアのクリミア編入、中国の海洋進出、北朝鮮の核開発……。地政学的な問題は今も後を絶たない。
世界の相互依存関係が深まるなかで、危険な衝突を避けながら、国家間や地域間の利害をどう調整していくのか。戦後70年の教訓も踏まえ、朝河のいう共存の英知をもう一度問い直す時が来ている。
安倍晋三首相は今週、戦後70年の談話を発表する見通しだ。先の大戦への痛切な反省を表明し、平和国家として歩んできた戦後日本の姿を強調したいという。その書きぶりは近隣国との緊張を高めるのか、それとも和らげるのか。日本の慢心を案じ続けた先達の思いにこたえる内容であってほしい。
いずれも目下参議院での安全保障関連法案の審議を挟んで、日本国民が世界平和時代への推進役として知行合一の信頼できる世界史リーダー役足り得るか否か。『生涯現役プロデューサー』役を果たすべき私たち生涯現役仲間には、確固たる決意の判断基準で謙虚に人生達人たる役割を務めたいものである。そのために下記マスメディアから提供された情報をどう捉えられるか、建設的ご意見で次回理事会席上ご審議をお願いしたいものである。
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【2015/8/10 6:30 日本経済新聞 電子版】
今週末、日本は戦後70年の節目を迎えます。戦時中は軍事機密だった天候情報ですが、残る記録によれば70年前の8月15日、東京の天気は晴れ、最高気温は32.3℃だったようです。当時以上に暑い今夏の70周年の焦点は安倍首相の談話ですが、気になるのは談話公表後の中韓の反応です。ある程度の反発は織り込み済みとしても、その反発の度合い、さらには秋以降の外交に与える影響も注視する必要があるでしょう。安保法案の参院審議の本格化もこれからですし、9月には自民党総裁選も控えています。支持率が低下傾向にある安倍政権にとって気の抜けない日が続きます。日本の「暑い夏」はまだまだ続きます。(電子編集本部電子編集部 田村俊一)
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関連URL=http://www.nikkei.com/article/DGXMZO90227120W5A800C1000000/
【ニュースこう読む(小竹洋之)】
戦 後 7 0 年 、
朝 河 貫 一 が 求 め た 共 存 の 英 知 を ワシントン支局長 小竹洋之
【小竹洋之(こたけ・ひろゆき)プロフィール】 88年日本経済新聞社入社。経済部編集委員兼論説委員を経て、14年3月からワシントン支局長。専門はマクロ経済、財政・金融政策、国際金融。
【筆者が注目した記事】
・8月 6日 日経朝刊4面「戦後70年談話、14日軸に」
・8月 2日 日経朝刊2面「どう戦前に向き合うか」
・7月21日 日経朝刊1面「米キューバ国交回復、54年ぶり」
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米東部コネティカット州ニューヘブン。その人の墓はグローブストリート墓地の一角にあった。日本人で初めて米エール大教授を務めた歴史学者の朝河貫一(1873~1948年)――。明日8月11日は彼の命日に当たる。
■ 「 警 告 」 は 届 か ず
「今や日本は国運の分かれ目に立てるものなり」。若くして渡米した朝河は1909年に出版した著書「日本の禍機(かき)」で、祖国の行く末を憂えた。日本が日露戦争の勝利に慢心し、中国で領土拡張に走るのなら、世界の中で孤立し、米国との衝突も避けられなくなると警告したのだ。
この懸念は現実のものとなる。1941年、朝河は日米開戦を阻止しようと、フランクリン・ルーズベルト大統領から昭和天皇に親書を送るよう働きかけた。だが親書が届いたのは真珠湾攻撃の開始直後で、内容も朝河の草案とは別物と化していた。
自由と平和を尊び、共存の英知を求めたという朝河。エール大の記念庭園や元オフィスを訪ね、存命中の書簡にも目を通してみた。日本の歴史を研究するダニエル・ボッツマン教授は「もっと多くの人たちが記憶にとどめる価値のある人物だ」と指摘する。
第2次世界大戦の終結から70年。朝河がもし生きていれば、今の世界をどう評価しただろうか。
「戦前は民主主義の代わりとなる強力な選択肢、すなわちファシズムや共産主義があった。戦後はそれほど強く民主主義と対峙するものがない」。最近会った米ハーバード大のジョセフ・ナイ特別功労教授はこう話していた。
確かに世界の民主化は進んだ。米人権団体フリーダムハウスがまとめた2015年版のリポートによると、世界195カ国のうち完全な自由国家は46%、部分的な自由国家は28%に達する。世界人口の6割以上を占める46億人が、程度の差はあっても「自由」と呼ばれる国に住んでいる計算だ。
英調査機関エコノミスト・インテリジェンス・ユニットが算出した14年版の民主化度指数を見ると、日本は世界167カ国・地域のうちの20位で、米国の19位に次ぐ。米国と戦火を交えた日本は大きな代償を払った末に、代表的な民主主義国家に生まれ変わったと言ってもいい。
グローバル化や市場化のパワーはもっと強い。米国との国交回復で54年ぶりに再開したキューバの在米大使館。その両隣にはポーランドとリトアニアの大使館が並ぶ。1989年の冷戦終結を機に、かつての共産主義圏と資本主義圏の融合が加速したことを象徴している。
■ 先 達 の 思 い に こ た え る か
米共和党のフォード政権とブッシュ(父)政権で国家安全保障担当の大統領補佐官を務めたブレント・スコウクロフト氏は「世界経済はもはや異質の政治システムまで取り込んでいる」と語る。そんな統合の深化が決定的な対立の抑止力になっているのも事実だ。
もちろん期待したほどの平和や安定が訪れたとはいえない。ロシアのクリミア編入、中国の海洋進出、北朝鮮の核開発……。地政学的な問題は今も後を絶たない。
世界の相互依存関係が深まるなかで、危険な衝突を避けながら、国家間や地域間の利害をどう調整していくのか。戦後70年の教訓も踏まえ、朝河のいう共存の英知をもう一度問い直す時が来ている。
安倍晋三首相は今週、戦後70年の談話を発表する見通しだ。先の大戦への痛切な反省を表明し、平和国家として歩んできた戦後日本の姿を強調したいという。その書きぶりは近隣国との緊張を高めるのか、それとも和らげるのか。日本の慢心を案じ続けた先達の思いにこたえる内容であってほしい。
福士蒼汰:戦争体験/聞けるのは今だけ
2015年8月14日 お仕事 朝日新聞DijitalサイトURL=http://www.asahi.com/articles/ASH7W7JM5H7WPITB01R.html?ref=wmailm_0814_14で「継ぐ記憶:4」に掲載された下記俳優/福士蒼汰氏の戦争体験継ぐ記憶の転載記事をご紹介したい。
70年前の敗戦直前、広島原爆の史上最大悲惨な被災を浴びた爆心地:県産業奨励館の原爆ドーム見学をして「その戦争体験を聞けるのは今だけ」と悟り、直接行動に移した、生き残り被災者の2名から貴重な「継ぐ記憶」を学べたのは、本当に得難い人生体験だ。
被災後の生涯心身の苦痛を背負って語る者と、その人生苦悩を聴く者の両世代をつなげる二度と人類が犯すべきでない “ 戦争体験を、直接「聞けるのは今だけ」” の機会も心して、ぜひ70年節目の明日『終戦の日』を迎えたいと願う。
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俳優の福士蒼汰さん(22)は今年6月、フジテレビの終戦特番の取材で初めて広島の原爆ドームを訪れた。被爆前、県産業奨励館と呼ばれ官公庁などの事務所として使われていた。建物は全焼し、ほとんどの壁が崩れ落ちた。
「骨組み以外何もない」。福士さんはドームを見上げてつぶやいた。「原爆が落とされてなければ、今でも産業奨励館としてやってたかもしれない」。周囲には修学旅行生や観光客の姿。今の平和な広島からは、当時を想像するのは難しかったと話す。「真実を見いだすには時間や知識が足りない。もっと知らないと、と思いました」
福士さんは被爆者の増野幸子さん(85)、児玉豊子さん(87)に会った。当時2人は広島電鉄家政女学校の生徒。男性社員が次々戦地に赴き、路面電車の運転士や車掌を任せられていた。
どう話を切り出したらいいのか悩みつつ、福士さんは2人に尋ねた。あの日、何が起きたのか。どうやって助かったのか。
増野さんは体調を崩し学校の寮で休んでいた時に被爆し、背中に無数のガラス片が突き刺さった。児玉さんは電車を運転中、爆風で地面に飛ばされ、頭にけがを負った。
あちこちで火の手があがる中、逃げる途中で2人は会い、児玉さんは増野さんの肩を担ぎ10キロ以上先の避難所まで歩いた。全身に痛みが走る増野さんは「先に逃げて」と繰り返したが、児玉さんは「しっかりしんさい」と増野さんを励まし続けた。3日後、児玉さんは復旧した電車を運転したという。
福士さんは「10代の少女が自分や家族より他の人のことを考えて行動した。強い心を持っていたからできたんだろうな」。自分もそうありたいと思ったという。
「戦争はあってはならない。どんな自分でいたいか、どんな日本でいたいかを考えるべきだと思った」
70年前の敗戦直前、広島原爆の史上最大悲惨な被災を浴びた爆心地:県産業奨励館の原爆ドーム見学をして「その戦争体験を聞けるのは今だけ」と悟り、直接行動に移した、生き残り被災者の2名から貴重な「継ぐ記憶」を学べたのは、本当に得難い人生体験だ。
被災後の生涯心身の苦痛を背負って語る者と、その人生苦悩を聴く者の両世代をつなげる二度と人類が犯すべきでない “ 戦争体験を、直接「聞けるのは今だけ」” の機会も心して、ぜひ70年節目の明日『終戦の日』を迎えたいと願う。
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俳優の福士蒼汰さん(22)は今年6月、フジテレビの終戦特番の取材で初めて広島の原爆ドームを訪れた。被爆前、県産業奨励館と呼ばれ官公庁などの事務所として使われていた。建物は全焼し、ほとんどの壁が崩れ落ちた。
「骨組み以外何もない」。福士さんはドームを見上げてつぶやいた。「原爆が落とされてなければ、今でも産業奨励館としてやってたかもしれない」。周囲には修学旅行生や観光客の姿。今の平和な広島からは、当時を想像するのは難しかったと話す。「真実を見いだすには時間や知識が足りない。もっと知らないと、と思いました」
福士さんは被爆者の増野幸子さん(85)、児玉豊子さん(87)に会った。当時2人は広島電鉄家政女学校の生徒。男性社員が次々戦地に赴き、路面電車の運転士や車掌を任せられていた。
どう話を切り出したらいいのか悩みつつ、福士さんは2人に尋ねた。あの日、何が起きたのか。どうやって助かったのか。
増野さんは体調を崩し学校の寮で休んでいた時に被爆し、背中に無数のガラス片が突き刺さった。児玉さんは電車を運転中、爆風で地面に飛ばされ、頭にけがを負った。
あちこちで火の手があがる中、逃げる途中で2人は会い、児玉さんは増野さんの肩を担ぎ10キロ以上先の避難所まで歩いた。全身に痛みが走る増野さんは「先に逃げて」と繰り返したが、児玉さんは「しっかりしんさい」と増野さんを励まし続けた。3日後、児玉さんは復旧した電車を運転したという。
福士さんは「10代の少女が自分や家族より他の人のことを考えて行動した。強い心を持っていたからできたんだろうな」。自分もそうありたいと思ったという。
「戦争はあってはならない。どんな自分でいたいか、どんな日本でいたいかを考えるべきだと思った」
持論抑え「おわび」加筆:戦後7 0年談話
2015年8月15日 お仕事 戦後50年村山談話、戦後60年小泉談話に引続いての、戦後70年安倍談話の内容がどうなるかは、とくに中韓両国を意識し過ぎた内容吟味が政界・マスコミ中心に春先から論議を賑わしたと思う。
本日付日経新聞Dijital速報版政治欄URL=http://www.nikkei.com/article/DGXLASDE14H0E_U5A810C1PP8000/ を下記ご紹介したい。
首 相 、 持 論 抑 え 「 お わ び 」 加 筆 戦 後 7 0 年 談 話
支 持 率 低 下 、 安 保 法 案 が 影
安倍晋三首相は戦後70年談話の作成にあたり、「謝罪外交」からの脱却を狙う持論と、歴代内閣の認識を踏襲する現実論で揺れた。当初は先の大戦への「おわび」を記した1995年の村山談話の「上書き」を狙ったが、安全保障関連法案の審議に伴い内閣支持率が低下。公明党の要請も受けて「おわび」を加筆し、持論へのこだわりを抑えざるを得なくなった。
■ 「 好 き な よ う に や り た い 」
本格的に文言を練り始めたのは4月だった。談話は首相の口述を今井尚哉首相秘書官と兼原信克官房副長官補(外交担当)らが聞き取り、紙に起こす作業から始まった。「戦後70年に談話は必要はないといわれているかもしれない。だから今までと違う位置づけの談話にしたい。未来志向だ」。首相は指示した。
この時点で狙いは明確だった。「おわび」「侵略」は盛り込まず、村山談話を「上書き」する。「もう一度書く必要はない」。首相からこう聞いた関係者は多い。
4月下旬のアジア・アフリカ会議や米議会演説で首相は「反省」には触れたが、「おわび」は言及しなかった。「世間の反応を見る意味もあった」(首相周辺)という。目立った批判はなく、首相は自信を深めた。
ただ、あまりに保守色が強くなると、中国や韓国との関係は悪化する。首相周辺が5月下旬ごろ、水面下で中韓両国がどう反応するか探り始めると、やはり厳しい空気が伝わってきた。浮上したのが閣議決定をせず個人的見解の談話にする案だった。
首相は「今回は好きなようにやりたい。何にも縛られたくない」とも語った。首相の思いを存分に反映する、との狙いで6月に事務方が首相に「閣議決定も『おわび』『侵略』もなし」と提案し、具体化に動き始めた。
■ 公 明 の 要 請 「 承 り ま す 」
ところが、そうした検討が6月下旬に表面化すると、異論が上がる。保守派の自民党議員からは「閣議決定で公式な政府見解にすべきだ」。それより無視できなかったのは公明党だった。「勝手に激しい談話を出されても困る。中韓との関係をこじらせないでほしい」(幹部)と不満を募らせていたためだ。
「談話を出した後で公明党が批判をすると大変です。公明党と一致して決めるため、閣議決定した方がいいと思います」。6月下旬、側近の一人は首相に訴えた。
6月初旬には衆院憲法審査会で、参考人全員が安保法案を「違憲」と指摘。その後、自民党若手議員の勉強会で報道機関への「圧力発言」も表面化した。首相は揺れた。政権に逆風が吹き始めると、公明党を巻き込む閣議決定に傾いていった。
「14日に閣議決定する」。首相は今月5、6両日、自民党三役らを次々に官邸執務室に呼び、こう伝えた。その場で原案もみせ、了承を求めた。
7日には公明党の山口那津男代表とも協議。山口氏に示した原案には「おわび」「侵略」は明示しなかった。山口氏は「おわびの心があると相手方に伝わる誠意ある表現を使うべきだ」と求めると、首相は「承ります」と引き取った。
■ 「 多 く の 国 民 と 共 有 し た い 」
首相は悩んだ末に「できるだけ多くの国民と共有できるような談話を作りたい」と考え「おわび」の記述が固まった。
だが、その後も周囲には「今までの談話より発展的な位置づけにしたい。過去にとらわれないと分かるようにしたい」と注文した。「(将来世代に)謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と明記し、首相がこだわる「脱・謝罪外交」を掲げることにした。
「最終的にこうなりました」。首相は談話発表の数日前、山口氏に連絡した。公明党が求めるキーワードは盛り込まれた。「首相もギリギリのところだったんだろう」。同党幹部は首相の苦渋の決断を評価した。
「良かったでしょ」。14日夜、首相は自民党の高村正彦副総裁と都内のホテルで会食し、談話を自賛した。首相周辺は「安保法案の違憲問題から流れが変わったが、結果としてみんなが納得する内容になった」と胸をなで下ろした。
一方で、談話の作成に携わった一人は「首相は本音は納得していないんじゃないか」との見方を示す。首相を支持する保守派には、妥協に不満もくすぶっている。
本日付日経新聞Dijital速報版政治欄URL=http://www.nikkei.com/article/DGXLASDE14H0E_U5A810C1PP8000/ を下記ご紹介したい。
首 相 、 持 論 抑 え 「 お わ び 」 加 筆 戦 後 7 0 年 談 話
支 持 率 低 下 、 安 保 法 案 が 影
安倍晋三首相は戦後70年談話の作成にあたり、「謝罪外交」からの脱却を狙う持論と、歴代内閣の認識を踏襲する現実論で揺れた。当初は先の大戦への「おわび」を記した1995年の村山談話の「上書き」を狙ったが、安全保障関連法案の審議に伴い内閣支持率が低下。公明党の要請も受けて「おわび」を加筆し、持論へのこだわりを抑えざるを得なくなった。
■ 「 好 き な よ う に や り た い 」
本格的に文言を練り始めたのは4月だった。談話は首相の口述を今井尚哉首相秘書官と兼原信克官房副長官補(外交担当)らが聞き取り、紙に起こす作業から始まった。「戦後70年に談話は必要はないといわれているかもしれない。だから今までと違う位置づけの談話にしたい。未来志向だ」。首相は指示した。
この時点で狙いは明確だった。「おわび」「侵略」は盛り込まず、村山談話を「上書き」する。「もう一度書く必要はない」。首相からこう聞いた関係者は多い。
4月下旬のアジア・アフリカ会議や米議会演説で首相は「反省」には触れたが、「おわび」は言及しなかった。「世間の反応を見る意味もあった」(首相周辺)という。目立った批判はなく、首相は自信を深めた。
ただ、あまりに保守色が強くなると、中国や韓国との関係は悪化する。首相周辺が5月下旬ごろ、水面下で中韓両国がどう反応するか探り始めると、やはり厳しい空気が伝わってきた。浮上したのが閣議決定をせず個人的見解の談話にする案だった。
首相は「今回は好きなようにやりたい。何にも縛られたくない」とも語った。首相の思いを存分に反映する、との狙いで6月に事務方が首相に「閣議決定も『おわび』『侵略』もなし」と提案し、具体化に動き始めた。
■ 公 明 の 要 請 「 承 り ま す 」
ところが、そうした検討が6月下旬に表面化すると、異論が上がる。保守派の自民党議員からは「閣議決定で公式な政府見解にすべきだ」。それより無視できなかったのは公明党だった。「勝手に激しい談話を出されても困る。中韓との関係をこじらせないでほしい」(幹部)と不満を募らせていたためだ。
「談話を出した後で公明党が批判をすると大変です。公明党と一致して決めるため、閣議決定した方がいいと思います」。6月下旬、側近の一人は首相に訴えた。
6月初旬には衆院憲法審査会で、参考人全員が安保法案を「違憲」と指摘。その後、自民党若手議員の勉強会で報道機関への「圧力発言」も表面化した。首相は揺れた。政権に逆風が吹き始めると、公明党を巻き込む閣議決定に傾いていった。
「14日に閣議決定する」。首相は今月5、6両日、自民党三役らを次々に官邸執務室に呼び、こう伝えた。その場で原案もみせ、了承を求めた。
7日には公明党の山口那津男代表とも協議。山口氏に示した原案には「おわび」「侵略」は明示しなかった。山口氏は「おわびの心があると相手方に伝わる誠意ある表現を使うべきだ」と求めると、首相は「承ります」と引き取った。
■ 「 多 く の 国 民 と 共 有 し た い 」
首相は悩んだ末に「できるだけ多くの国民と共有できるような談話を作りたい」と考え「おわび」の記述が固まった。
だが、その後も周囲には「今までの談話より発展的な位置づけにしたい。過去にとらわれないと分かるようにしたい」と注文した。「(将来世代に)謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と明記し、首相がこだわる「脱・謝罪外交」を掲げることにした。
「最終的にこうなりました」。首相は談話発表の数日前、山口氏に連絡した。公明党が求めるキーワードは盛り込まれた。「首相もギリギリのところだったんだろう」。同党幹部は首相の苦渋の決断を評価した。
「良かったでしょ」。14日夜、首相は自民党の高村正彦副総裁と都内のホテルで会食し、談話を自賛した。首相周辺は「安保法案の違憲問題から流れが変わったが、結果としてみんなが納得する内容になった」と胸をなで下ろした。
一方で、談話の作成に携わった一人は「首相は本音は納得していないんじゃないか」との見方を示す。首相を支持する保守派には、妥協に不満もくすぶっている。
戦後70年談話:安倍晋三首相 談話全文
2015年8月16日 お仕事 7 0 年 談 話 : 安 倍 晋 三 首 相 談 話 全 文
終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
そして七十年前。日本は、敗戦しました。
戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。
平成二十七年八月十四日 内閣総理大臣 安倍 晋三
終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
そして七十年前。日本は、敗戦しました。
戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。
平成二十七年八月十四日 内閣総理大臣 安倍 晋三
Altarna誌:60歳で理事長を辞めた理由
2015年8月17日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ
東 瀧 邦 次 さ ま
いつもお世話になっております。
今年6月、城南信用金庫の吉原毅理事長が60歳になったのを機に退任されました。その理由を、オルタナ・コラムニストのコーナーに寄稿頂きましたので、ご紹介致します。
本コラムでは、吉原理事長は退任の理由を少しオブラートに包んでおられます。しかし、以前、城南信用金庫では高齢・長期政権の元理事長が会社を私物化し、そのために内部が著しく混乱したという苦い経験と、それを繰り返してはならないという決意が、今回の60歳で任期満了で退任という潔い身の引き方の背景にあったと想像します。
その元理事長を理事会でクーデター解任したのが、元理事長の部下でもあった吉原氏でした。吉原氏は、脱原発キャンペーンや自然エネルギーシフトで有名になりましたが、一方で、「銀行に成り下がるな」という、これも見事な掛け声のもと、高い倫理性を職員に求めました。自ら理事長職の年収を支店長より低い1200万円に下げるなど、「自分にも厳しい経営」を貫きました。
それにしても、見事な引き際でした。翻って、東芝の不適切経理問題、ロッテや大塚家具のお家騒動ほか、さまざまな企業の不祥事の多くに高齢・長期政権の経営者が見え隠れしています。
「志」は必ず変質します。人は成功すれば、必ず守りに入り、古い価値観にしがみつくからです。経営者はできれば60歳、無理なら65歳、どんなに遅くても70歳までには一線から退くべきでしょう。吉原さんのコラムを読んで、同じ経営者として、改めて襟を正したいと思いました。
◆私が60歳で城南信金の理事長を辞めた理由[吉原 毅]
http://www.alterna.co.jp/15742
企業の目的は、利益の拡大ではなく社会貢献です。会社の憲法である定款の目的には、利益の拡大とは書いてありません。企業は、定款に記された様々な事業を実施することにより世のため、人の幸せのために活動するという公的な使命があるのです。(城南信用金庫相談役=吉原毅)
しかしながら、大企業のサラリーマンあがりの経営者の中には、高額な報酬をとり、自分の地位とカネ、つまり私的な利益のために、いつまでもトップの地位にしがみつき、そのために有能な人材を切り捨て、恐怖政治を行い、企業の使命を忘れた、目先の利益を追う、株主迎合の経営を行う者が少なくありません。
こうした企業社会の悪弊を打破するためには、トップも含めた経営者の定年制を導入し、例外なく定年を迎える仕組みをつくるしかありません。
「有能な経営者が短期間で交代するのは企業にとって惜しい」とか「後継者として相応しい者がいない」という理由で、トップの定年制導入に反対する意見もありますが、実際には、そんなことはありません。トップにいる者の言い訳か思い込みにすぎません。企業は一人で動いているのではないのです。
たとえ杓子定規と言われても、将来において独裁者が表れて長期間に渡って恐怖政治を行うリスクがあるわけですから、それを除去する仕組みをつくったほうが、長い目で見た場合に、企業にとって望ましいと思います。
そもそも「後継者に相応しい者がいない」とこぼすトップの行動をみると、自分の地位を脅かす有能な部下を、次々と切り捨てているからであることが少なくありません。やはり、企業経営者は、惰性に流されず、私心を捨て、常に世のため、人のためという公的な使命に徹することが大切です。そのためには、「メメントモリ(死を思え)」という言葉があるように、終わりを意識した覚悟と決意が必要です。
ハイデガーは「死に近づくときに良心の呼び声が聞こえる」と語りました。プラトンの国家論の中でソクラテスは「賢人政治」について語り、政権のトップにも定年制を設けて、後は、功績をたたえつつも、島流しにすべきと語っています。
こうした点を勘案し、私は、役員たるものは、決められた期間を使命達成のために全力で経営にあたることが大切だと考え、4年前に理事長に就任した際に、「トップも含めた役員60歳定年制」を打ち出しました。
またその変更には、株主総会に相当する総代会でなければできない旨を定款に記載しました。併せて、役員報酬を大幅に削減するとともに、地位肩書に関係なく、年齢により給与が決定される制度に改めました。
この結果、理事長よりも専務理事の方が給与が上になることがあります。給与と仕事は比例するという成果主義を否定して「仕事はカネではなく心意気でやるもの」という姿勢を示したものです。
あわせて、役員を卒業した方々による「顧問会議」を設置しました。理事長や理事は、最高意思決定機関である理事会のメンバーですが、定年制で交代するため、年齢が若く経験不足です。「顧問会議」は、それを指導し、支援するための制度であり、いわば枢密院です。
この設置は、ソニーの常務だった天外司朗先生の「長老型リーダーシップ」の影響を受けました。アメリカインディアンは、若い酋長が政治の実権を振るうのですが、酋長が判断に迷うときには、車座になって煙草をふかしている長老たちに相談し、長老がそれを支える伝統と智慧とを提供したのです。
日本でも江戸時代の隠居制度や水戸のご老公など、現役とベテランが支えあうことで政治を安定させる仕組みがありました。ロラン・バルトも、日本社会は、天皇と幕府で権威と権力を分離して、優れた政治を実現したと説明しています。
今回、自分が定年を迎えるに当たり、この4年の任期は、短いようでも、とても充実したやりがいのある期間でした。常にやるべきことは何かと考え、即刻実現することで、実に様々なことが実行できました。
「企業は社会に貢献するためにある」という観点から、「東日本大震災」「原発事故」などにも、逃げることなく、真剣に立ち向かいました。
社会貢献、社会福祉など、一般企業が目を向けない社会的な分野にあえて焦点をおいて、「みんなが仲良く安心して暮らせる社会」の実現に努めてきました。逆に、そうした社会的な視野や発想が、本業である金融分野でも、新たな事業や商品、人と人との強い絆を生み出しました。
1833年に英国のロッチデールで生まれた協同組織企業は、「お金を大切にする株式会社」の弊害を是正し、「人を大切にする、思いやりを大切にする」企業です。人間性回復のために生まれた社会運動の一環としての企業という使命を持っています。
現代の社会は、「自己中心主義」「孤独」「いじめ」「道徳や倫理の崩壊」などの「お金の弊害」「近代社会の病理」にむしばまれています。そうした時こそ、協同組織企業の金融部門である私たち信用金庫としては、地域を守って、地域の人々を幸せにするために、これからも全力を傾注していきたいと思います。
【吉原 毅:城南信用金庫 相談役プロフィール】
1955年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、1977年に城南信用金庫へ入職する。企画部や理事・企画部長、常務理事・市場本部長、専務理事・事務本部長、業務本部長など多数の役職を経験。2010年に理事長として就任後は、東北大震災以降、被災地に対する支援活動、地域貢献活動、環境維持活動に注力する。特に、福島第一原発事故の翌月4月1日より「原発に頼らない安心できる社会へ」を宣言し、講演やシンポジウムを実施するとともに、金融を通じて自然エネルギーや省エネルギーを推進する。 また脱原発に関する情報を発信するために城南総合研究所を設立。原発再稼動反対、原発即時ゼロに積極果敢に取り組んだ。2015年6月に理事長を退任し、現在は相談役を務める。
NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ
東 瀧 邦 次 さ ま
いつもお世話になっております。
今年6月、城南信用金庫の吉原毅理事長が60歳になったのを機に退任されました。その理由を、オルタナ・コラムニストのコーナーに寄稿頂きましたので、ご紹介致します。
本コラムでは、吉原理事長は退任の理由を少しオブラートに包んでおられます。しかし、以前、城南信用金庫では高齢・長期政権の元理事長が会社を私物化し、そのために内部が著しく混乱したという苦い経験と、それを繰り返してはならないという決意が、今回の60歳で任期満了で退任という潔い身の引き方の背景にあったと想像します。
その元理事長を理事会でクーデター解任したのが、元理事長の部下でもあった吉原氏でした。吉原氏は、脱原発キャンペーンや自然エネルギーシフトで有名になりましたが、一方で、「銀行に成り下がるな」という、これも見事な掛け声のもと、高い倫理性を職員に求めました。自ら理事長職の年収を支店長より低い1200万円に下げるなど、「自分にも厳しい経営」を貫きました。
それにしても、見事な引き際でした。翻って、東芝の不適切経理問題、ロッテや大塚家具のお家騒動ほか、さまざまな企業の不祥事の多くに高齢・長期政権の経営者が見え隠れしています。
「志」は必ず変質します。人は成功すれば、必ず守りに入り、古い価値観にしがみつくからです。経営者はできれば60歳、無理なら65歳、どんなに遅くても70歳までには一線から退くべきでしょう。吉原さんのコラムを読んで、同じ経営者として、改めて襟を正したいと思いました。
◆私が60歳で城南信金の理事長を辞めた理由[吉原 毅]
http://www.alterna.co.jp/15742
企業の目的は、利益の拡大ではなく社会貢献です。会社の憲法である定款の目的には、利益の拡大とは書いてありません。企業は、定款に記された様々な事業を実施することにより世のため、人の幸せのために活動するという公的な使命があるのです。(城南信用金庫相談役=吉原毅)
しかしながら、大企業のサラリーマンあがりの経営者の中には、高額な報酬をとり、自分の地位とカネ、つまり私的な利益のために、いつまでもトップの地位にしがみつき、そのために有能な人材を切り捨て、恐怖政治を行い、企業の使命を忘れた、目先の利益を追う、株主迎合の経営を行う者が少なくありません。
こうした企業社会の悪弊を打破するためには、トップも含めた経営者の定年制を導入し、例外なく定年を迎える仕組みをつくるしかありません。
「有能な経営者が短期間で交代するのは企業にとって惜しい」とか「後継者として相応しい者がいない」という理由で、トップの定年制導入に反対する意見もありますが、実際には、そんなことはありません。トップにいる者の言い訳か思い込みにすぎません。企業は一人で動いているのではないのです。
たとえ杓子定規と言われても、将来において独裁者が表れて長期間に渡って恐怖政治を行うリスクがあるわけですから、それを除去する仕組みをつくったほうが、長い目で見た場合に、企業にとって望ましいと思います。
そもそも「後継者に相応しい者がいない」とこぼすトップの行動をみると、自分の地位を脅かす有能な部下を、次々と切り捨てているからであることが少なくありません。やはり、企業経営者は、惰性に流されず、私心を捨て、常に世のため、人のためという公的な使命に徹することが大切です。そのためには、「メメントモリ(死を思え)」という言葉があるように、終わりを意識した覚悟と決意が必要です。
ハイデガーは「死に近づくときに良心の呼び声が聞こえる」と語りました。プラトンの国家論の中でソクラテスは「賢人政治」について語り、政権のトップにも定年制を設けて、後は、功績をたたえつつも、島流しにすべきと語っています。
こうした点を勘案し、私は、役員たるものは、決められた期間を使命達成のために全力で経営にあたることが大切だと考え、4年前に理事長に就任した際に、「トップも含めた役員60歳定年制」を打ち出しました。
またその変更には、株主総会に相当する総代会でなければできない旨を定款に記載しました。併せて、役員報酬を大幅に削減するとともに、地位肩書に関係なく、年齢により給与が決定される制度に改めました。
この結果、理事長よりも専務理事の方が給与が上になることがあります。給与と仕事は比例するという成果主義を否定して「仕事はカネではなく心意気でやるもの」という姿勢を示したものです。
あわせて、役員を卒業した方々による「顧問会議」を設置しました。理事長や理事は、最高意思決定機関である理事会のメンバーですが、定年制で交代するため、年齢が若く経験不足です。「顧問会議」は、それを指導し、支援するための制度であり、いわば枢密院です。
この設置は、ソニーの常務だった天外司朗先生の「長老型リーダーシップ」の影響を受けました。アメリカインディアンは、若い酋長が政治の実権を振るうのですが、酋長が判断に迷うときには、車座になって煙草をふかしている長老たちに相談し、長老がそれを支える伝統と智慧とを提供したのです。
日本でも江戸時代の隠居制度や水戸のご老公など、現役とベテランが支えあうことで政治を安定させる仕組みがありました。ロラン・バルトも、日本社会は、天皇と幕府で権威と権力を分離して、優れた政治を実現したと説明しています。
今回、自分が定年を迎えるに当たり、この4年の任期は、短いようでも、とても充実したやりがいのある期間でした。常にやるべきことは何かと考え、即刻実現することで、実に様々なことが実行できました。
「企業は社会に貢献するためにある」という観点から、「東日本大震災」「原発事故」などにも、逃げることなく、真剣に立ち向かいました。
社会貢献、社会福祉など、一般企業が目を向けない社会的な分野にあえて焦点をおいて、「みんなが仲良く安心して暮らせる社会」の実現に努めてきました。逆に、そうした社会的な視野や発想が、本業である金融分野でも、新たな事業や商品、人と人との強い絆を生み出しました。
1833年に英国のロッチデールで生まれた協同組織企業は、「お金を大切にする株式会社」の弊害を是正し、「人を大切にする、思いやりを大切にする」企業です。人間性回復のために生まれた社会運動の一環としての企業という使命を持っています。
現代の社会は、「自己中心主義」「孤独」「いじめ」「道徳や倫理の崩壊」などの「お金の弊害」「近代社会の病理」にむしばまれています。そうした時こそ、協同組織企業の金融部門である私たち信用金庫としては、地域を守って、地域の人々を幸せにするために、これからも全力を傾注していきたいと思います。
【吉原 毅:城南信用金庫 相談役プロフィール】
1955年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、1977年に城南信用金庫へ入職する。企画部や理事・企画部長、常務理事・市場本部長、専務理事・事務本部長、業務本部長など多数の役職を経験。2010年に理事長として就任後は、東北大震災以降、被災地に対する支援活動、地域貢献活動、環境維持活動に注力する。特に、福島第一原発事故の翌月4月1日より「原発に頼らない安心できる社会へ」を宣言し、講演やシンポジウムを実施するとともに、金融を通じて自然エネルギーや省エネルギーを推進する。 また脱原発に関する情報を発信するために城南総合研究所を設立。原発再稼動反対、原発即時ゼロに積極果敢に取り組んだ。2015年6月に理事長を退任し、現在は相談役を務める。
日本の人事部:己の健康は自分で守る!
2015年8月18日 お仕事【従業員の心の健康を守る】──────────────────────
第2回 自 分 の 健 康 は 自 分 で 守 る
~新入社員から経営者まで立場に関係なく自己防衛を~
心の病について語られる時、真面目で几帳面など、病気になりやすいタイプや性格があると言われることがあります。自分がそういったタイプにあてはまると考える人は気を付けようとするかもしれませんが、自分はそういったタイプではないと思っている人は、防衛意識が低くなる危険性があります。いずれにせよ、メンタルヘルスを個人のタイプや性格で考えてはいけません。「自分は病気になるタイプではない」と考えている人の場合は、次の二つの理由から、より注意が必要です。
(1)真面目で几帳面な人でなくても、メンタルヘルスを害することがある
(2)本人の自己認識が異なっており、表面上はともかく、実は真面目で 几帳面な性格である
体の病と比較すると、心の病は医学的な研究や治療法がまだまだ発展途上にあります。「真面目で几帳面な人が病気になった」という事実があったとしても、そうでないタイプの人が病気にならないとは証明されていないのです。メンタルヘルスを維持・増進していくためには、誰もが不調になる危険性を自覚し、新入社員も経営者も、そしてもちろん人事パーソンも、全員が「自分のこと」として考えることが重要です。
前回ご紹介した「労働者の心の健康の保持増進のための指針」の中でも、自分で自分の健康を守ることが強調されています。この指針ではメンタルヘルス対策の実際の活動として、以下の「四つのケア」があげられています。
1.セルフケア
2.ラインによるケア(職場の上司や管理職によるケア)
3.事業場内産業保健スタッフによるケア
(産業医などの専門スタッフによるケア)
4.事業場外資源によるケア(病院や社外の専門家などと連携して行うケア)
この中でセルフケアは最も基本的、かつ最も重要な取り組みです。そして、従業員全員が自分の健康を自分で守るという意識を持つためには、人事パーソンによるサポートが必須となります。特に、下記のような偏見を抱いている人に対しては勉強会などを開催し、理解の促進を行なう必要があります。
・「自分に限って心の病にはならない」と思っている人
・「心の病は気の持ちようで治る」と思っている人
・「心の病にかかるのは弱いからだ」と思っている人
人事パーソンである皆さんも含めて、自分の健康は他人任せにせず自分で守るという意識を持つことが、何よりもの防止策となるのです。
<今週の一言>
「自分にも他人にもいたわりを持ち、心の健康を守るべし!」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◎発行/株式会社アイ・キュー『日本の人事部』運営事務局
公式Twitter : http://twitter.com/jinjibujp
公式Facebook: http://www.facebook.com/jinjibu.jp
第2回 自 分 の 健 康 は 自 分 で 守 る
~新入社員から経営者まで立場に関係なく自己防衛を~
心の病について語られる時、真面目で几帳面など、病気になりやすいタイプや性格があると言われることがあります。自分がそういったタイプにあてはまると考える人は気を付けようとするかもしれませんが、自分はそういったタイプではないと思っている人は、防衛意識が低くなる危険性があります。いずれにせよ、メンタルヘルスを個人のタイプや性格で考えてはいけません。「自分は病気になるタイプではない」と考えている人の場合は、次の二つの理由から、より注意が必要です。
(1)真面目で几帳面な人でなくても、メンタルヘルスを害することがある
(2)本人の自己認識が異なっており、表面上はともかく、実は真面目で 几帳面な性格である
体の病と比較すると、心の病は医学的な研究や治療法がまだまだ発展途上にあります。「真面目で几帳面な人が病気になった」という事実があったとしても、そうでないタイプの人が病気にならないとは証明されていないのです。メンタルヘルスを維持・増進していくためには、誰もが不調になる危険性を自覚し、新入社員も経営者も、そしてもちろん人事パーソンも、全員が「自分のこと」として考えることが重要です。
前回ご紹介した「労働者の心の健康の保持増進のための指針」の中でも、自分で自分の健康を守ることが強調されています。この指針ではメンタルヘルス対策の実際の活動として、以下の「四つのケア」があげられています。
1.セルフケア
2.ラインによるケア(職場の上司や管理職によるケア)
3.事業場内産業保健スタッフによるケア
(産業医などの専門スタッフによるケア)
4.事業場外資源によるケア(病院や社外の専門家などと連携して行うケア)
この中でセルフケアは最も基本的、かつ最も重要な取り組みです。そして、従業員全員が自分の健康を自分で守るという意識を持つためには、人事パーソンによるサポートが必須となります。特に、下記のような偏見を抱いている人に対しては勉強会などを開催し、理解の促進を行なう必要があります。
・「自分に限って心の病にはならない」と思っている人
・「心の病は気の持ちようで治る」と思っている人
・「心の病にかかるのは弱いからだ」と思っている人
人事パーソンである皆さんも含めて、自分の健康は他人任せにせず自分で守るという意識を持つことが、何よりもの防止策となるのです。
<今週の一言>
「自分にも他人にもいたわりを持ち、心の健康を守るべし!」
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◎発行/株式会社アイ・キュー『日本の人事部』運営事務局
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Zakzak:一人前になって初めて社会貢献
2015年8月19日 お仕事〈企業編〉シミック(1) 一人前になって初めて社会貢献
医薬品開発支援(CRO)の草分け的存在のシミック。当局への承認申請を含む新薬の開発全般において、製薬会社を途切れなくサポートする。シミックは社員の多様性や個性を貴ぶ社風が成長の一因といわれているが、中でも「平均年齢62歳、生涯現役!」を標榜する、戦略・薬事コンサルティング部を紹介したい。コンサルティング事業本部の佐藤昇本部長(65)に話を聞いた。
■最高齢コンサルタントは80歳
臨床試験では、対象となる患者さんのご理解と同意が不可欠。その同意説明文書の達人がいる。患者さんに分かりやすい文章をと、どんな薬がきてもサクサク対応する。御年80歳。毎日8時前に出勤し、めったに休むこともないくらい。バリバリの現役だ。
製剤工場もあるシミックだけに、何か特別なお薬でも? と勘ぐりたくなるが、楽しく働くことが元気の秘訣(ひけつ)らしい。40人ほどのメンバーは、製薬会社出身者が多い。定年後にシミックへ転職してくる人がほとんど。
メーカー時代の仕事は、範囲が狭く深かったが、シミックに来たとたん、担当間口が広がった部員が多いそうだ。客先がバラエティーに富み、製薬会社から大学、海外バイオベンチャーまで。相談に乗るうちに、各人幅広くいろいろな分野を担当。
「60歳過ぎてからも、新しいことをどんどん勉強できるなんて」とうれしい悲鳴を上げながら働くメンバーも。さすが、3人に1人が博士号を持つ頭脳集団。最先端技術に触れる毎日こそが、若さの源かもしれない。
■自分が一人前になって、初めて社会貢献できる
話を聞いた佐藤氏は、一時は医科大学で研究生活を送ったことも。ところが、“目に見えて社会に役立つことをやってみたくなって”外資系大手製薬会社へ転職。2002年からシミックへ。現在はコンサルティング事業本部の陣頭指揮を執る。
「とにかく忙しいです。仕事がお客さま相手なので、迅速な対応も必要です。ただ、アメリカのバイオベンチャーなどは、目が覚めるような発想の、最先端技術を見せてくれる。面白いこと考えるな、と感心します」と多様になった仕事を楽しんでいる。
最先端技術についていけるのも、素早い対応ができるのも、各人が「これは自信がある」という技術や経験を持つ専門家だからこそ。一人前になって初めて社会貢献ができると語る。
「医薬品の開発には、総合力が必要」と佐藤氏。社内の仲間や、医師、厚生労働省やクライアントとの関わりプラス科学・薬事知識に実行力・表現力・英語力。“コミュニケーション”なんて言葉が、薄っぺらに感じるほどの総合力が必要だ。
佐藤氏にとって、働くとは、生きがいそのものだそうだ。「同じ働くなら、その道のプロになるために仕事をして、日々何か進歩したなという生活を送ってほしい」と後輩たちにエールを送る。 (「オレンジ世代」取材班)
医薬品開発支援(CRO)の草分け的存在のシミック。当局への承認申請を含む新薬の開発全般において、製薬会社を途切れなくサポートする。シミックは社員の多様性や個性を貴ぶ社風が成長の一因といわれているが、中でも「平均年齢62歳、生涯現役!」を標榜する、戦略・薬事コンサルティング部を紹介したい。コンサルティング事業本部の佐藤昇本部長(65)に話を聞いた。
■最高齢コンサルタントは80歳
臨床試験では、対象となる患者さんのご理解と同意が不可欠。その同意説明文書の達人がいる。患者さんに分かりやすい文章をと、どんな薬がきてもサクサク対応する。御年80歳。毎日8時前に出勤し、めったに休むこともないくらい。バリバリの現役だ。
製剤工場もあるシミックだけに、何か特別なお薬でも? と勘ぐりたくなるが、楽しく働くことが元気の秘訣(ひけつ)らしい。40人ほどのメンバーは、製薬会社出身者が多い。定年後にシミックへ転職してくる人がほとんど。
メーカー時代の仕事は、範囲が狭く深かったが、シミックに来たとたん、担当間口が広がった部員が多いそうだ。客先がバラエティーに富み、製薬会社から大学、海外バイオベンチャーまで。相談に乗るうちに、各人幅広くいろいろな分野を担当。
「60歳過ぎてからも、新しいことをどんどん勉強できるなんて」とうれしい悲鳴を上げながら働くメンバーも。さすが、3人に1人が博士号を持つ頭脳集団。最先端技術に触れる毎日こそが、若さの源かもしれない。
■自分が一人前になって、初めて社会貢献できる
話を聞いた佐藤氏は、一時は医科大学で研究生活を送ったことも。ところが、“目に見えて社会に役立つことをやってみたくなって”外資系大手製薬会社へ転職。2002年からシミックへ。現在はコンサルティング事業本部の陣頭指揮を執る。
「とにかく忙しいです。仕事がお客さま相手なので、迅速な対応も必要です。ただ、アメリカのバイオベンチャーなどは、目が覚めるような発想の、最先端技術を見せてくれる。面白いこと考えるな、と感心します」と多様になった仕事を楽しんでいる。
最先端技術についていけるのも、素早い対応ができるのも、各人が「これは自信がある」という技術や経験を持つ専門家だからこそ。一人前になって初めて社会貢献ができると語る。
「医薬品の開発には、総合力が必要」と佐藤氏。社内の仲間や、医師、厚生労働省やクライアントとの関わりプラス科学・薬事知識に実行力・表現力・英語力。“コミュニケーション”なんて言葉が、薄っぺらに感じるほどの総合力が必要だ。
佐藤氏にとって、働くとは、生きがいそのものだそうだ。「同じ働くなら、その道のプロになるために仕事をして、日々何か進歩したなという生活を送ってほしい」と後輩たちにエールを送る。 (「オレンジ世代」取材班)
山崎氏:デビュー20周年で生涯現役宣言
2015年8月20日 お仕事2015年8月19日21時36分 スポーツ報知
山崎まさよし、デビュー20周年で生涯現役宣言「体が動く限り」
シンガー・ソングライターの山崎まさよし(43)が19日、10年ぶりのベストアルバム「ROSE PERIOD ~the BEST 2005―2015~」のリリースイベントを都内で行った。
9月25日にデビュー20周年を迎える山崎は、演奏後にファン20人を壇上に招き、アルバムタイトルにちなんだロゼワインで乾杯。客席からも「おめでとう!」の声が次々と上がった。さらにファンからサプライズで大きなバラの花束を贈呈されると「薔薇が似合いませんね。本当にありがとうございます」と感無量。「体が動く限り、歌を歌っていきます」と生涯現役で歌い続けることを誓った。
山崎まさよし、デビュー20周年で生涯現役宣言「体が動く限り」
シンガー・ソングライターの山崎まさよし(43)が19日、10年ぶりのベストアルバム「ROSE PERIOD ~the BEST 2005―2015~」のリリースイベントを都内で行った。
9月25日にデビュー20周年を迎える山崎は、演奏後にファン20人を壇上に招き、アルバムタイトルにちなんだロゼワインで乾杯。客席からも「おめでとう!」の声が次々と上がった。さらにファンからサプライズで大きなバラの花束を贈呈されると「薔薇が似合いませんね。本当にありがとうございます」と感無量。「体が動く限り、歌を歌っていきます」と生涯現役で歌い続けることを誓った。
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