第3回:生涯現役サミット/第二部スピーチ
2015年9月13日 お仕事 高橋 育郎です。
10月17日開催の『第3回生涯現役サミット/第二部:演題/ “ 生 涯 現 役 推 進 活 動 に つ い て 私 は 具 体 的 に こ う 貢 献 す る ” 』 の資料を添付いたしました。
よろしくお願いいたします。
奇 跡 を 生 み だ す 生 涯 現 役
社 会 づ く り の 全 国 展 開 を !
2 0 1 5 / 1 0 / 1 7 高橋 育郎
生涯現役を続けていると奇跡が生まれるという話です。
私は昭和63年12月にライフ・ベンチャー・クラブ(生涯現役実践道場)に入りました。そのとき代表から聞かれたことは、「あなたの得意技は何ですか」でした。
私は、即座に答えました。「音楽、とりわけ歌を歌うこと。そして歌を作ることです」すると「それでは、その得意技に磨きをかけて、世のため人のためになるよう、そして自分の生き甲斐にして、実践し継続して行きなさい。実践と継続が生涯現役の命。そこが生涯学習とは違うところ」といわれ、さらに脳力開発を教えられ、代表の著書「ライフ・ベンチャーのすすめ」と城野宏の脳力開発「情勢判断学と行動学」という本をいただき、これを読みなさいといわれました。
ここで私は生涯現役を知って、脳力開発に勇気をもらって、自分の道を見出した。そのころ生涯現役という言葉は世間には、まだ知られていませんでした。
私の活動が具体化したのは、月例セミナーで、代表から休憩時間に「みんなで歌いましょう」の時間をとってもらい、それが引き金になって理解ある会員が、世間に出て、広く一般に呼び掛けて「歌の会」をやるよう薦められ、都の施設を借りるなどのお膳立てをしてくれて、私はその上に載って、会を始めることができました。それが今に続く「心のふるさとを歌う会」です。そして、翌年4月からは憧れの「日本童謡協会」に入会の夢を果たしました。
「千葉県作詞作曲家協会」には、JRを退職寸前に入っており、各種同人誌も送られてきて作詞作曲の機会が増えてきていました。しかし、童謡協会に入ってからは、童謡の作詞作曲に熱を入れました。
「童謡祭」には積極的に参加し、平成13年の「大きな木はいいな」(作詞)は、21世紀の愛唱歌に選ばれ、童謡集に収められ出版された。ラジオなどでも放送されるようになって、22年の「全国童謡歌唱コンクール」で大人部門金賞を受賞した。また、この年には「童謡祭」で歌われた「ざくろ」(作詞)が東京都児童作曲コンクールの課題詩になりました。
24年には、こうした実績からドイツ・カールスルーエ日独協会合唱団と交歓音楽祭を中央区とドイツ大使館共催のもと、日本橋社会教育会館(私の歌の会の施設)で開催することができました。
今年は、東日本大震災で津波の犠牲になった石巻市大川小学校の悲劇。これが絵本「ひまわりのおか」になって、朗読会が全国展開し、私は主宰者からテーマソングの作詞作曲を依頼され「ひまわりの咲く丘」を出しました。
生涯現役は自己発見と自己の確立の場。そして身につけた生き甲斐を実践に結びつけて、人様に喜ばれ、自他共に幸せになることです。私の歌の会のモットーは「歌は喜び、歌は健康」です。その根底には生涯現役の喜びを人様に広く訴えかけることです。
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生涯現役30周年記念/平成二十七年十月十七日
生 涯 現 役 三 十 年 音 頭
高橋育郎作詩
一、 ヤ ー レ そ れ 来 た 三 十 年
め で た め で た の 松 竹 梅
み ん な 挙 っ て 祝 お う よ (ソリャ)
と こ ろ で 三 十 ま だ 歳 や 若 い
道 は こ の 先 続 い て い る よ
新 風 吹 き こ み 踏 み 出 そ う
ニ、 ヤ ー レ 双 葉 の 若 い 木 が
三 十 年 の 年 輪 を
刻 ん で 今 や 大 木 に (ソリャ)
枝 葉 を 広 げ 世 の 中 照 ら す
生 涯 現 役 生 き 行 く 力
国 の 宝 だ あ り が た や
三、 ヤ ー レ 迎 え た 三 十 年
花 も 嵐 も 踏 み 越 え て
歩 み も た し か 開 く 道(ソリャ)
「老 若 男 女 が こ こ ぞ と 集 い ほ
元 気 溌 剌 笑 顔 の 花 が
咲 い て 幸 せ 広 が る よ
10月17日開催の『第3回生涯現役サミット/第二部:演題/ “ 生 涯 現 役 推 進 活 動 に つ い て 私 は 具 体 的 に こ う 貢 献 す る ” 』 の資料を添付いたしました。
よろしくお願いいたします。
奇 跡 を 生 み だ す 生 涯 現 役
社 会 づ く り の 全 国 展 開 を !
2 0 1 5 / 1 0 / 1 7 高橋 育郎
生涯現役を続けていると奇跡が生まれるという話です。
私は昭和63年12月にライフ・ベンチャー・クラブ(生涯現役実践道場)に入りました。そのとき代表から聞かれたことは、「あなたの得意技は何ですか」でした。
私は、即座に答えました。「音楽、とりわけ歌を歌うこと。そして歌を作ることです」すると「それでは、その得意技に磨きをかけて、世のため人のためになるよう、そして自分の生き甲斐にして、実践し継続して行きなさい。実践と継続が生涯現役の命。そこが生涯学習とは違うところ」といわれ、さらに脳力開発を教えられ、代表の著書「ライフ・ベンチャーのすすめ」と城野宏の脳力開発「情勢判断学と行動学」という本をいただき、これを読みなさいといわれました。
ここで私は生涯現役を知って、脳力開発に勇気をもらって、自分の道を見出した。そのころ生涯現役という言葉は世間には、まだ知られていませんでした。
私の活動が具体化したのは、月例セミナーで、代表から休憩時間に「みんなで歌いましょう」の時間をとってもらい、それが引き金になって理解ある会員が、世間に出て、広く一般に呼び掛けて「歌の会」をやるよう薦められ、都の施設を借りるなどのお膳立てをしてくれて、私はその上に載って、会を始めることができました。それが今に続く「心のふるさとを歌う会」です。そして、翌年4月からは憧れの「日本童謡協会」に入会の夢を果たしました。
「千葉県作詞作曲家協会」には、JRを退職寸前に入っており、各種同人誌も送られてきて作詞作曲の機会が増えてきていました。しかし、童謡協会に入ってからは、童謡の作詞作曲に熱を入れました。
「童謡祭」には積極的に参加し、平成13年の「大きな木はいいな」(作詞)は、21世紀の愛唱歌に選ばれ、童謡集に収められ出版された。ラジオなどでも放送されるようになって、22年の「全国童謡歌唱コンクール」で大人部門金賞を受賞した。また、この年には「童謡祭」で歌われた「ざくろ」(作詞)が東京都児童作曲コンクールの課題詩になりました。
24年には、こうした実績からドイツ・カールスルーエ日独協会合唱団と交歓音楽祭を中央区とドイツ大使館共催のもと、日本橋社会教育会館(私の歌の会の施設)で開催することができました。
今年は、東日本大震災で津波の犠牲になった石巻市大川小学校の悲劇。これが絵本「ひまわりのおか」になって、朗読会が全国展開し、私は主宰者からテーマソングの作詞作曲を依頼され「ひまわりの咲く丘」を出しました。
生涯現役は自己発見と自己の確立の場。そして身につけた生き甲斐を実践に結びつけて、人様に喜ばれ、自他共に幸せになることです。私の歌の会のモットーは「歌は喜び、歌は健康」です。その根底には生涯現役の喜びを人様に広く訴えかけることです。
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生涯現役30周年記念/平成二十七年十月十七日
生 涯 現 役 三 十 年 音 頭
高橋育郎作詩
一、 ヤ ー レ そ れ 来 た 三 十 年
め で た め で た の 松 竹 梅
み ん な 挙 っ て 祝 お う よ (ソリャ)
と こ ろ で 三 十 ま だ 歳 や 若 い
道 は こ の 先 続 い て い る よ
新 風 吹 き こ み 踏 み 出 そ う
ニ、 ヤ ー レ 双 葉 の 若 い 木 が
三 十 年 の 年 輪 を
刻 ん で 今 や 大 木 に (ソリャ)
枝 葉 を 広 げ 世 の 中 照 ら す
生 涯 現 役 生 き 行 く 力
国 の 宝 だ あ り が た や
三、 ヤ ー レ 迎 え た 三 十 年
花 も 嵐 も 踏 み 越 え て
歩 み も た し か 開 く 道(ソリャ)
「老 若 男 女 が こ こ ぞ と 集 い ほ
元 気 溌 剌 笑 顔 の 花 が
咲 い て 幸 せ 広 が る よ