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     J.I.メールニュース No.721 2015.09.03 発行
  <巻頭寄稿文>        「加子母村(かしもむら)」
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    「加子母村(かしもむら)」
                元岐阜県加子母村長   粥川 眞策
【粥川 眞策(かゆかわ しんさく)氏:略歴】
  大正13年岐阜県加子母村に生れる。小学1年生のとき満州事変と上海事変、2年生のとき5・15事件、5年生のとき2・26事件が起る。中学1年生のとき日中戦争、高校2年生のとき太平洋戦争が始まる。高校卒業後岐阜市役所に勤務、昭和19年軍隊に入隊、20年復員、戦後食料増産に励み、のち林業で生計を立てる。昭和38年村議員に当選。昭和49~昭和60年 村議長に就任。平成3~17年の合併まで村長就任。
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  以前にもメールニュースでご紹介したことのある元加子母村長の粥川眞策さんから8月初めに次のような葉書を頂きました。粥川さんは、今年91才です。長年、山合いの小村の経営に携わりながら日本の社会をずっと見てこられた粥川さんの意見には、賛否は別にして、私たちが考えるべき多くのことが含まれていると思い、ご紹介したいと思いました。(構想日本代表 加藤 秀樹)
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暑中お見舞いもうしあげます。今年は殊の外の暑さです。
  加子母も今は元気ですが、将来が心配です。私の住む隣保班は、戦争が済んだ頃は戸数が16戸で、人口が97人でした。中津川市に合併した2005年には、戸数が12戸で38人、現在は9戸で24人、20年後は9戸で12人、40年後は2戸で4人です。

  加子母は20年後でも、40年後でも村の様子が判る村です。数十年後には加子母が無くなります。そのころは、加子母だけでなく太平洋上の孤島も、無人化するでしょう。

  私たちの父祖が、長いあいだ守り育ててきた太平洋の資源が、近隣諸国の破壊と侵略と争奪の地域になるでしょう。少子化の是正こそ、軍艦や大砲で国を守る以上に大切な政策です。そして今やらなければ取り返しのつかない政策です。

  現在は世の中が進歩して、結婚し難い若者や子供を育て難い夫婦が増えていますから、結婚の奨励も大切ですが、それと共に子供を産んで育てることのできる夫婦に、一人でも多く産んでもらうことが、より現実的で合理的な考え方です。

  そのためには職場などは妊婦を大切にし、社会生活では、子供や妊婦のいる家庭を温かく応援する仕組みが必要です。子供の手当も、子供の数が増えるほど子供一人当たりの金額が、累進的に増額されるような方式を考えるべきです。

  日本人の庶民生活の特色は国際的に賞賛されています。義理と人情に厚く親切心が旺盛で、困っている人を見ると援けずにはいられない性情です。

  この庶民の心をこよなく愛したのが、エドワード・モースや小泉八雲でした。そしてその思いやりの心は、キリスト教やイスラム教と違って、全く異質の文化です。日本人が少なくなったからといって、外国人が代ることはできません。

  郷に入れば郷に従う心が外国人にはあまり無いからです。日本人の賞賛される生活が失われたら、人類の損失にもなります。
 
参考  NPO法人かしもむら http://www.kashimo.jp/
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