55歳で早期リタイア/資産半減も想定内2
2015年2月13日 お仕事【 生 涯 現 役 】
9 2 歳 パ イ ロ ッ ト
「 今 日 よ り 明 日 を 良 い 一 日 に 」
背筋のぴんと伸びた180cm近い痩躯に、真っ赤なブルゾンとブルーデニムがよく似合う。「おしゃれは若い頃から好きだけど、年を取ったらますますおしゃれをすべきだと思うようになった。気持ちの上でジジイにならないように、自分で努力していかないと」。
世界最高齢の現役パイロットとして英国のギネスブックにも登録された高橋淳さん。戦後日本の航空史とともに歩んだ伝説の人物で、「飛行機の神様」とも称される。
現在も、静岡県の富士川滑空場で毎週日曜日に操縦桿を握る。主に米国で飛行機免許を取得した人の、国内での飛行訓練に同乗することが多いという。総飛行時間は2万5500時間を超えている。もちろん無事故だ。
老眼ではあるが、視力は両眼とも1.0。眼精疲労の原因となるパソコンは一切やらない。フライトに耐えられる健康体をキープする秘訣を「腹八分目を徹底すること。それに食べ物をよく噛む。お茶漬けだって噛むよ」と屈託なく話す。
70年を超えるパイロット人生は、太平洋戦争時の壮絶な体験抜きには語れない。海軍の大型双発機「一式陸上攻撃機」で機長を務めた。任務は敵艦への魚雷攻撃。「10機飛び立って、帰還するのはよくて5機だったね」。沖縄戦終結後、部隊で残ったのは高橋機だけだった。
敵の機関銃攻撃にさらされ、「尾翼や機体は穴だらけになったけど、燃料タンクとエンジンと人間には当たってない」。機体を横滑りさせる高度な操縦技術に加え、「同乗する仲間は絶対死なせないと誓った」意志の力が生死を分けたと振り返る。「だから精神力は強いよ。今の自衛隊員にも負けない自信がある」。それが、「絶対に事故は起こさない」という安全運航への決意につながり、現在に至る。
「毎日起きたことを反省し、明日は今日より良くしようと考える。一生、成長。そう思えば、老後は楽しいよ」。交友範囲は広く、ガールフレンドも数知れず。出張で地方に行った際は一緒に飲みに出かけたりもするという。
まさにスーパーマンのような高橋さんだが、もし自分がサラリーマンだったら、90歳を超えて働いてはいなかったと話す。大好きな飛行機の仕事だから、こうして続けていられるし、努力もできる。
「その点、僕はラッキーだけど、世の中のサラリーマンは、妻子を養うために我慢して働いている人が圧倒的に多いと思う。だから定年で一区切りついたら、第二の人生は、実入りは少なくとも楽しいと思える仕事をやっていったらどうかな。始めるのに遅いことはない。60歳、65歳なんて、僕から見ればまだほんのヒヨッコだから」。(日経マネー 森田聡子)
9 2 歳 パ イ ロ ッ ト
「 今 日 よ り 明 日 を 良 い 一 日 に 」
背筋のぴんと伸びた180cm近い痩躯に、真っ赤なブルゾンとブルーデニムがよく似合う。「おしゃれは若い頃から好きだけど、年を取ったらますますおしゃれをすべきだと思うようになった。気持ちの上でジジイにならないように、自分で努力していかないと」。
世界最高齢の現役パイロットとして英国のギネスブックにも登録された高橋淳さん。戦後日本の航空史とともに歩んだ伝説の人物で、「飛行機の神様」とも称される。
現在も、静岡県の富士川滑空場で毎週日曜日に操縦桿を握る。主に米国で飛行機免許を取得した人の、国内での飛行訓練に同乗することが多いという。総飛行時間は2万5500時間を超えている。もちろん無事故だ。
老眼ではあるが、視力は両眼とも1.0。眼精疲労の原因となるパソコンは一切やらない。フライトに耐えられる健康体をキープする秘訣を「腹八分目を徹底すること。それに食べ物をよく噛む。お茶漬けだって噛むよ」と屈託なく話す。
70年を超えるパイロット人生は、太平洋戦争時の壮絶な体験抜きには語れない。海軍の大型双発機「一式陸上攻撃機」で機長を務めた。任務は敵艦への魚雷攻撃。「10機飛び立って、帰還するのはよくて5機だったね」。沖縄戦終結後、部隊で残ったのは高橋機だけだった。
敵の機関銃攻撃にさらされ、「尾翼や機体は穴だらけになったけど、燃料タンクとエンジンと人間には当たってない」。機体を横滑りさせる高度な操縦技術に加え、「同乗する仲間は絶対死なせないと誓った」意志の力が生死を分けたと振り返る。「だから精神力は強いよ。今の自衛隊員にも負けない自信がある」。それが、「絶対に事故は起こさない」という安全運航への決意につながり、現在に至る。
「毎日起きたことを反省し、明日は今日より良くしようと考える。一生、成長。そう思えば、老後は楽しいよ」。交友範囲は広く、ガールフレンドも数知れず。出張で地方に行った際は一緒に飲みに出かけたりもするという。
まさにスーパーマンのような高橋さんだが、もし自分がサラリーマンだったら、90歳を超えて働いてはいなかったと話す。大好きな飛行機の仕事だから、こうして続けていられるし、努力もできる。
「その点、僕はラッキーだけど、世の中のサラリーマンは、妻子を養うために我慢して働いている人が圧倒的に多いと思う。だから定年で一区切りついたら、第二の人生は、実入りは少なくとも楽しいと思える仕事をやっていったらどうかな。始めるのに遅いことはない。60歳、65歳なんて、僕から見ればまだほんのヒヨッコだから」。(日経マネー 森田聡子)