93歳カリスマ美容員・生涯現役の秘訣Ⅰ
2013年4月3日 お仕事 日経新聞Web版Life「くらし/働き方・人間関係」で生涯現役の秘訣を掲載していました。生涯現役仲間の皆さんのご意見など頂戴できると幸いです。
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【 カ リ ス マ 美 容 部 員 は 9 3 歳 生 涯 現 役 の 秘 訣 】
月 商 5 0 万 円 営 業 所 の 稼 ぎ 頭 ①
「いつもお元気そうね。体動かしてる?」
「あなたこそお元気ね。この間ね、静岡にゴルフに行ったわ」
93歳にして現役のポーラレディ、浜田ミヨさん。その仕事ぶりを追った(横浜市)
3月下旬の午後。日傘を差し、バッグを片手に横浜市の閑静な住宅街を訪ねた浜田ミヨは邸宅の玄関で加藤ミツと談笑を始めた。一見、ご近所のお付き合いのようだが「年取ってキレイにしなくてどうするのよ」と浜田は明るく笑いながら、日焼け止めやスキンケアについて話し出す。
■93歳にして現役
月に1度、加藤を訪ね、ポーラの高級化粧品「B・A」を届ける。浜田はポーラ・オルビスホールディングス傘下にあるポーラの美容部員「ポーラレディ」だ。93歳にして現役。それどころか今も毎月50万円は売り上げ、所属する「ポーラ ザ ビューティ白楽店」の稼ぎ頭でもある。
顧客の加藤は86歳。付き合いはもう50年という仲だ。「浜田さんはとっても明るくてお元気。私も月に1度会うのが楽しみで」
浜田は個人事業主で、所属するポーラの営業所所長と商品の委託販売契約を交わしている。営業所から商品を預かり、販売した商品の売り上げから一定歩合を収入として得る。「だから定年はなく、いくつまででも勤められる」(同社)。今も高卒の新入社員程度の収入を得ているという。
現在、全国に約14万5000人いるポーラレディのうち、90歳以上の現役がおよそ500人も活躍している。
■「月100万円以上」を24年間維持
「いつもお元気そうね」。声を掛け合う加藤ミツさんとはもう50年の付き合い(横浜市)
「あなた、ぜひやってみない?」
浜田がこの世界に飛び込んだのは、1964年9月のこと。ポーラの店を訪れたときに、勧誘されたのがきっかけだ。当時、44歳。大手企業に勤める夫の妻として、3人の子どもを育てる主婦だった。
まだ専業主婦が多く、働く女性など少なかった時代。商品を預かったものの、「とても売れない」と一度は返しに行った。だが「こんな風に使ってみせてあげるのよ」と再度、先輩にいわれ、おそるおそる町内会で話してみると、1つ、クリームが売れた。「あら、うれしい」。自分と同じような主婦に向き合い、積極的に話してみると、どんどん売れるではないか。そんな成功体験で、気づけば仕事にのめり込んでいた。
近隣地域に飛び込み営業にも行った。まだ化粧や美容に関する情報が乏しい時代。クリームを使ってマッサージをし、お手入れの方法を教え、まゆの描き方やメークを指導してあげるとお客さんが喜んでくれる。「それがうれしくてね」。いろいろな話しに耳を傾け、顧客の信頼を勝ち得ると、リピーターは面白いように増えた。
「時代もよかったのよ」と浜田。東海道新幹線が開通し、新横浜駅周辺は線路整備のための土地買収で潤った家が多かった。66年、ポーラの基礎化粧品のセットは当時の大卒初任給にも匹敵するほどの高級品だったというが、飛ぶように売れた。
持ち前の明るさと話術で浜田はすぐに月に100万円以上を売り上げるレディ「ミリオンさん」に選ばれた。以降、82歳までの24年間、毎月100万円以上を売り上げ続けた。 つづく
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【 カ リ ス マ 美 容 部 員 は 9 3 歳 生 涯 現 役 の 秘 訣 】
月 商 5 0 万 円 営 業 所 の 稼 ぎ 頭 ①
「いつもお元気そうね。体動かしてる?」
「あなたこそお元気ね。この間ね、静岡にゴルフに行ったわ」
93歳にして現役のポーラレディ、浜田ミヨさん。その仕事ぶりを追った(横浜市)
3月下旬の午後。日傘を差し、バッグを片手に横浜市の閑静な住宅街を訪ねた浜田ミヨは邸宅の玄関で加藤ミツと談笑を始めた。一見、ご近所のお付き合いのようだが「年取ってキレイにしなくてどうするのよ」と浜田は明るく笑いながら、日焼け止めやスキンケアについて話し出す。
■93歳にして現役
月に1度、加藤を訪ね、ポーラの高級化粧品「B・A」を届ける。浜田はポーラ・オルビスホールディングス傘下にあるポーラの美容部員「ポーラレディ」だ。93歳にして現役。それどころか今も毎月50万円は売り上げ、所属する「ポーラ ザ ビューティ白楽店」の稼ぎ頭でもある。
顧客の加藤は86歳。付き合いはもう50年という仲だ。「浜田さんはとっても明るくてお元気。私も月に1度会うのが楽しみで」
浜田は個人事業主で、所属するポーラの営業所所長と商品の委託販売契約を交わしている。営業所から商品を預かり、販売した商品の売り上げから一定歩合を収入として得る。「だから定年はなく、いくつまででも勤められる」(同社)。今も高卒の新入社員程度の収入を得ているという。
現在、全国に約14万5000人いるポーラレディのうち、90歳以上の現役がおよそ500人も活躍している。
■「月100万円以上」を24年間維持
「いつもお元気そうね」。声を掛け合う加藤ミツさんとはもう50年の付き合い(横浜市)
「あなた、ぜひやってみない?」
浜田がこの世界に飛び込んだのは、1964年9月のこと。ポーラの店を訪れたときに、勧誘されたのがきっかけだ。当時、44歳。大手企業に勤める夫の妻として、3人の子どもを育てる主婦だった。
まだ専業主婦が多く、働く女性など少なかった時代。商品を預かったものの、「とても売れない」と一度は返しに行った。だが「こんな風に使ってみせてあげるのよ」と再度、先輩にいわれ、おそるおそる町内会で話してみると、1つ、クリームが売れた。「あら、うれしい」。自分と同じような主婦に向き合い、積極的に話してみると、どんどん売れるではないか。そんな成功体験で、気づけば仕事にのめり込んでいた。
近隣地域に飛び込み営業にも行った。まだ化粧や美容に関する情報が乏しい時代。クリームを使ってマッサージをし、お手入れの方法を教え、まゆの描き方やメークを指導してあげるとお客さんが喜んでくれる。「それがうれしくてね」。いろいろな話しに耳を傾け、顧客の信頼を勝ち得ると、リピーターは面白いように増えた。
「時代もよかったのよ」と浜田。東海道新幹線が開通し、新横浜駅周辺は線路整備のための土地買収で潤った家が多かった。66年、ポーラの基礎化粧品のセットは当時の大卒初任給にも匹敵するほどの高級品だったというが、飛ぶように売れた。
持ち前の明るさと話術で浜田はすぐに月に100万円以上を売り上げるレディ「ミリオンさん」に選ばれた。以降、82歳までの24年間、毎月100万円以上を売り上げ続けた。 つづく