麻野進氏:人生後半「定年」意識の5つの準備
2019年5月22日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
DIAMOND online キャリア・スキル 2019.5.22
ご参考=https://diamond.jp/articles/-/203183
50歳から「定年」を意識すべき、絶対に押さえたい「5つの準備」とは
「人生100年時代」といわれ、いまの50歳の2人に1人が92~96歳まで寿命があると考えられています。とすると、恐らく80歳くらいまでは何らかの形で稼いでいなければまともな生活が送れません。つまり20歳から80歳までのワーキングライフのうち、サラリーマン生活30年に当たる50歳はまだ真ん中です。人生の、仕事の折り返し地点を超えたばかりの50代サラリーマンが80歳現役に向けて、節目の60歳定年前にやっておきたい準備について、組織・人事コンサルタントの麻野進がお伝えします。
準備1:本当の成果主義への準備
法律の改正により、多くの企業は定年を向かえる従業員に対して65歳までの雇用義務があり、労働者にとってはまずはひと安心といったところです。ただ、定年再雇用の際には労働条件がリセットされ、非正規の単年度更新の契約社員となります。
つまり、単年度での成果が翌年以降の労働条件の更新に影響を及ぼします。正社員のように年功的な賃金制度の縛りを受けないので、前年度の成績いかんで報酬額がアップダウンする可能性があるのです。
そして定年を迎える際に提示される最初の労働条件は、50代のあなたの働き方で決まるといっても過言ではありません。現在多くの企業の人事部では、再雇用制度を整えようとしています。これまでの「定年前賃金の一律○○%カット」ではなく、委嘱する仕事の内容によって報酬を決めようというものです。
50代といえば、「出世の決着」がついた頃です。
まず確認しておきたいことは、50歳以上の社員がどのような人事制度で処遇されることになるのかということです。55歳役職定年制度があるなら、ポストオフ後の定年までのポジションはどうなるのか、中小企業で後進が育っていない場合であれば、まだ役職が続けられ長期政権が築けるのか。自身の専門性はまだまだ使えるのかなど、これまでのキャリアを振り返り、80歳までの現役を想定した長期キャリアプランを立てましょう。
準備2:社内外人脈の再構築
現在、あなたの社内人脈は充実しているでしょうか?
仮に「出世ルートから外れている」という自覚のある人でも、同世代の出世頭は役員クラスになっています。あるいは、各部門の要職についているか、社内で第一人者といわれる専門家がいるはずです。そういう方々と現在どのような付き合い方をしているでしょうか。
新卒の時から同じ会社一筋で頑張ってきた人であれば、過去に仕えた上司、交流してきた同期・同僚に思いをはせると、素晴らしい人脈リストができるはずです(転職者であれば前職の元上司、同僚など)。
あるいは、これまで指導してきた将来性のある部下・後輩がいたはずです。そう考えると、この先65歳、いや80歳までワークライフが続くとすれば、これらの社内人脈は今後もかけがいのない資産であることに違いありません。少し疎遠になっているなら、つまらないプライドは捨て、せめて飲み友達くらいの関係性を再構築しておきましょう。
また、50代は社内のポジション、経験、専門性、収入などがほぼピークに達している時期ですから、有効な社外人脈を築くのに最も適した年代です。
役職定年など対外的な賞味期限が切れる前に、小中高の同窓会や各種交流会、SNSなどはチェックしておきましょう。そしてできれば、60歳定年で終わってしまいそうな人ではなく、生涯現役を目指している方とお近づきになっておきたいところです。
準備3:大企業の生活習慣病を治しておく
長年大企業で勤めてきた人は『大企業の生活習慣病』に気を付ける必要があります。
次の診断項目に当てはまる方は要注意です。
□ 仕事に関連することは会社が負担するものだと思っている
□ 「こういうことは若手に任せましょう」という趣旨の言葉をよく使う
□ 面倒なことはすぐ「外注がいい」と提案する
□ 細かい仕事を自らしない
□ 率先垂範は若い人の仕事だと思っている
□ 旅行は出張に引っかけて行き、自腹ではしない
□ 天下り転職(転籍、出向含む)でも肩身の狭い思いをしない(感じない)
□ 自分の安全を優先させる(保身に走る)
□ 口では立派なことを言うが、必ずしも行動が伴わない
□ 「こうだった」と過去の成功・失敗は語るが、「これからどうする」という明日のことを語らない
何個チェックが付いたかという問題ではなく、これらの項目に1つでも覚えがあるようでしたら、「会社の常識は、世間の非常識」だと思って心を入れ替えたほうがいいと思います。
現在在籍している会社より規模の小さい企業に転職する場合は、分業体制が整っていないので、多くの作業を自分でやらなければなりません。再雇用で同じ会社で勤める場合でも一兵卒としての働きが求められるのであれば、豊富な経験があっても権限、発言力が制限されることを理解することが重要です。
準備4:お金と時間は散財せずに投資する
50代のサラリーマンは、可処分所得が最大であり、家庭サービスから解放されています。子どもは若くても中学生以上、独立・結婚していればお金もかかりませんし、配偶者からの束縛もほぼないに等しいのではないでしょうか。
つまり50代はお金と時間の自由度が最も高い時期です。
しかしこの自由な時期を無為に過ごすと、80歳までのキャリア(稼ぐ)プランは厳しいものになるかもしれません。リストラなど思わぬ転身を余儀なくされることもあり得ます。多くの時間を趣味の世界に割くのも結構ですが、できるだけ実益を兼ねたものにしたいところです。
現在の職務の専門性の有無にかかわらず、知識やスキルの更新は怠らないようにしましょう。また、『副業』は多くの企業で建前としては禁止されていても、実質的には解禁されています。ダブル就労でなければ、別の収入源を確保するためのノウハウ獲得や、起業の準備を進めておいてはいかがでしょうか。
いきなりの起業はリスクがありますが、休みの日だけ稼働する『週末起業』などは慣らし運転としては最適です。それに起業はマネジメント能力を養成するのに良い経験になりますので、本業(所属会社)で再評価されて役職位復活という話もよく聞きます。
AI化が進めば現在人間がやっている職務の多くがなくなってしまうといわれていますし、「低賃金の仕事でもいい」といっても、増え続ける外国人労働者との競争になります。お金の投資も必要ですが、人生100年時代はそれ以上に自己への投資が重要だと思います。
準備5:50歳からの仕事のスタンスは「志事」
人手・人材不足や法改正もあり、大企業中心に働き方改革が推進され、若い人たちに優しい企業が増えています。しかし筆者は自身の能力開発・キャリア開発のために一生懸命に仕事(私事)をする時期が20代だと考えるので、安易に楽な方向に流される傾向は彼らにとってあまりよくないことだと考えます。20代の能力開発があって30代で自立し、40代で責任ある職務に就いて組織に仕える(仕事)ことになります。
そして出世の決着がついた我々50代は、志を持って職務に当たること(志事)が、後半の仕事人生を進めるにあたって、またモチベーション維持のためにも、最も大切なスタンスではないでしょうか。
会社のため、家族のために滅私奉公する必要性が薄くなった今、志を持って仕事をすることで生涯現役が全うできるのではないでしょうか。
(組織・人事コンサルタント 麻野 進)
◎ 麻野 進
組織・人事コンサルタント。1963年、大阪でサラリーマンの家で生まれる。大企業から中小・零細企業など企業規模、業種を問わず、組織・人材マネジメントに関するコンサルティングを展開。人事制度構築の実績は100社を超え、年間1000人を超える管理職に対し、組織マネジメント、セルフマネジメントの方法論を指導。入社6年でスピード出世を果たし、取締役に就任するも、ほどなく退職に追い込まれた経験から「出世」「リストラ」「管理職」「中高年」「労働時間マネジメント」「働き方改革」を主なテーマとした執筆・講演活動を行っている。
著書に、『幸せな定年を迎えるために 50才からやっておくべき《会社員の終活》41のルール』(ぱる出版)、『課長の仕事術』(明日香出版社)、『「部下なし管理職」が生き残る51の方法』(東洋経済新報社)などがある。自社のホームページは、https://partenairejapan.co.jp/
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DIAMOND online キャリア・スキル 2019.5.22
ご参考=https://diamond.jp/articles/-/203183
50歳から「定年」を意識すべき、絶対に押さえたい「5つの準備」とは
「人生100年時代」といわれ、いまの50歳の2人に1人が92~96歳まで寿命があると考えられています。とすると、恐らく80歳くらいまでは何らかの形で稼いでいなければまともな生活が送れません。つまり20歳から80歳までのワーキングライフのうち、サラリーマン生活30年に当たる50歳はまだ真ん中です。人生の、仕事の折り返し地点を超えたばかりの50代サラリーマンが80歳現役に向けて、節目の60歳定年前にやっておきたい準備について、組織・人事コンサルタントの麻野進がお伝えします。
準備1:本当の成果主義への準備
法律の改正により、多くの企業は定年を向かえる従業員に対して65歳までの雇用義務があり、労働者にとってはまずはひと安心といったところです。ただ、定年再雇用の際には労働条件がリセットされ、非正規の単年度更新の契約社員となります。
つまり、単年度での成果が翌年以降の労働条件の更新に影響を及ぼします。正社員のように年功的な賃金制度の縛りを受けないので、前年度の成績いかんで報酬額がアップダウンする可能性があるのです。
そして定年を迎える際に提示される最初の労働条件は、50代のあなたの働き方で決まるといっても過言ではありません。現在多くの企業の人事部では、再雇用制度を整えようとしています。これまでの「定年前賃金の一律○○%カット」ではなく、委嘱する仕事の内容によって報酬を決めようというものです。
50代といえば、「出世の決着」がついた頃です。
まず確認しておきたいことは、50歳以上の社員がどのような人事制度で処遇されることになるのかということです。55歳役職定年制度があるなら、ポストオフ後の定年までのポジションはどうなるのか、中小企業で後進が育っていない場合であれば、まだ役職が続けられ長期政権が築けるのか。自身の専門性はまだまだ使えるのかなど、これまでのキャリアを振り返り、80歳までの現役を想定した長期キャリアプランを立てましょう。
準備2:社内外人脈の再構築
現在、あなたの社内人脈は充実しているでしょうか?
仮に「出世ルートから外れている」という自覚のある人でも、同世代の出世頭は役員クラスになっています。あるいは、各部門の要職についているか、社内で第一人者といわれる専門家がいるはずです。そういう方々と現在どのような付き合い方をしているでしょうか。
新卒の時から同じ会社一筋で頑張ってきた人であれば、過去に仕えた上司、交流してきた同期・同僚に思いをはせると、素晴らしい人脈リストができるはずです(転職者であれば前職の元上司、同僚など)。
あるいは、これまで指導してきた将来性のある部下・後輩がいたはずです。そう考えると、この先65歳、いや80歳までワークライフが続くとすれば、これらの社内人脈は今後もかけがいのない資産であることに違いありません。少し疎遠になっているなら、つまらないプライドは捨て、せめて飲み友達くらいの関係性を再構築しておきましょう。
また、50代は社内のポジション、経験、専門性、収入などがほぼピークに達している時期ですから、有効な社外人脈を築くのに最も適した年代です。
役職定年など対外的な賞味期限が切れる前に、小中高の同窓会や各種交流会、SNSなどはチェックしておきましょう。そしてできれば、60歳定年で終わってしまいそうな人ではなく、生涯現役を目指している方とお近づきになっておきたいところです。
準備3:大企業の生活習慣病を治しておく
長年大企業で勤めてきた人は『大企業の生活習慣病』に気を付ける必要があります。
次の診断項目に当てはまる方は要注意です。
□ 仕事に関連することは会社が負担するものだと思っている
□ 「こういうことは若手に任せましょう」という趣旨の言葉をよく使う
□ 面倒なことはすぐ「外注がいい」と提案する
□ 細かい仕事を自らしない
□ 率先垂範は若い人の仕事だと思っている
□ 旅行は出張に引っかけて行き、自腹ではしない
□ 天下り転職(転籍、出向含む)でも肩身の狭い思いをしない(感じない)
□ 自分の安全を優先させる(保身に走る)
□ 口では立派なことを言うが、必ずしも行動が伴わない
□ 「こうだった」と過去の成功・失敗は語るが、「これからどうする」という明日のことを語らない
何個チェックが付いたかという問題ではなく、これらの項目に1つでも覚えがあるようでしたら、「会社の常識は、世間の非常識」だと思って心を入れ替えたほうがいいと思います。
現在在籍している会社より規模の小さい企業に転職する場合は、分業体制が整っていないので、多くの作業を自分でやらなければなりません。再雇用で同じ会社で勤める場合でも一兵卒としての働きが求められるのであれば、豊富な経験があっても権限、発言力が制限されることを理解することが重要です。
準備4:お金と時間は散財せずに投資する
50代のサラリーマンは、可処分所得が最大であり、家庭サービスから解放されています。子どもは若くても中学生以上、独立・結婚していればお金もかかりませんし、配偶者からの束縛もほぼないに等しいのではないでしょうか。
つまり50代はお金と時間の自由度が最も高い時期です。
しかしこの自由な時期を無為に過ごすと、80歳までのキャリア(稼ぐ)プランは厳しいものになるかもしれません。リストラなど思わぬ転身を余儀なくされることもあり得ます。多くの時間を趣味の世界に割くのも結構ですが、できるだけ実益を兼ねたものにしたいところです。
現在の職務の専門性の有無にかかわらず、知識やスキルの更新は怠らないようにしましょう。また、『副業』は多くの企業で建前としては禁止されていても、実質的には解禁されています。ダブル就労でなければ、別の収入源を確保するためのノウハウ獲得や、起業の準備を進めておいてはいかがでしょうか。
いきなりの起業はリスクがありますが、休みの日だけ稼働する『週末起業』などは慣らし運転としては最適です。それに起業はマネジメント能力を養成するのに良い経験になりますので、本業(所属会社)で再評価されて役職位復活という話もよく聞きます。
AI化が進めば現在人間がやっている職務の多くがなくなってしまうといわれていますし、「低賃金の仕事でもいい」といっても、増え続ける外国人労働者との競争になります。お金の投資も必要ですが、人生100年時代はそれ以上に自己への投資が重要だと思います。
準備5:50歳からの仕事のスタンスは「志事」
人手・人材不足や法改正もあり、大企業中心に働き方改革が推進され、若い人たちに優しい企業が増えています。しかし筆者は自身の能力開発・キャリア開発のために一生懸命に仕事(私事)をする時期が20代だと考えるので、安易に楽な方向に流される傾向は彼らにとってあまりよくないことだと考えます。20代の能力開発があって30代で自立し、40代で責任ある職務に就いて組織に仕える(仕事)ことになります。
そして出世の決着がついた我々50代は、志を持って職務に当たること(志事)が、後半の仕事人生を進めるにあたって、またモチベーション維持のためにも、最も大切なスタンスではないでしょうか。
会社のため、家族のために滅私奉公する必要性が薄くなった今、志を持って仕事をすることで生涯現役が全うできるのではないでしょうか。
(組織・人事コンサルタント 麻野 進)
◎ 麻野 進
組織・人事コンサルタント。1963年、大阪でサラリーマンの家で生まれる。大企業から中小・零細企業など企業規模、業種を問わず、組織・人材マネジメントに関するコンサルティングを展開。人事制度構築の実績は100社を超え、年間1000人を超える管理職に対し、組織マネジメント、セルフマネジメントの方法論を指導。入社6年でスピード出世を果たし、取締役に就任するも、ほどなく退職に追い込まれた経験から「出世」「リストラ」「管理職」「中高年」「労働時間マネジメント」「働き方改革」を主なテーマとした執筆・講演活動を行っている。
著書に、『幸せな定年を迎えるために 50才からやっておくべき《会社員の終活》41のルール』(ぱる出版)、『課長の仕事術』(明日香出版社)、『「部下なし管理職」が生き残る51の方法』(東洋経済新報社)などがある。自社のホームページは、https://partenairejapan.co.jp/
生涯現役時代:活躍シニアの分水嶺はどこ 2
2019年5月21日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
WEDGE Infinity Report 2019年5月20日 漂流する部長課長 濱崎陽平 (Wedge編集部員
ご参考URL=http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16218?page=3
生涯現役時代、ベテラン社員に高まる危機感・活躍シニアの〝分水嶺〟はどこか:後編
一方、企業は、高齢社員を雇い続けることで、給料はもちろん、社会保険料の事業主負担分も増加し、コスト負担が大きくなる。シニアの労働意欲が高く、彼らの働きやすい環境を整えても、肝心の企業にシニアを受け入れる体力がなければ、「生涯現役社会」は実現しないだろう。現にその余裕はなさそうだ。「経済界は 終身雇用なんてもう守れないと思っている」との 中西宏明・経団連会長の言葉は、偽らざる本音だろう。企業が守れないのは、シニア社員だけではない。大手企業では中高年の社員を対象としたリストラが進む。
こうした中、40、50代の転職市場は活発だ。リクルートエージェントによると、40、50代の転職決定者の伸び率が近年高いという。全体の転職決定者伸び率を上回り、キャリアを積んだ即戦力人材が求められている。リクナビNEXTの藤井薫 編集長は「終身雇用が揺らぎ、ホワイトカラーの役職者にも、一社にこだわるのでなく、将来を見据えて活躍の場を変えようというキャリア観の変化が芽生えつつある」と語る。特に人手不足の建設やIT、メーカーでの転職決定が多い。例えば建設では、五輪や都心の再開発、スマートシティ構想等の建設需要の影響で、一級建築士をはじめとする建設エンジニアが不足。年齢ではなくスキル・経験を軸とした採用が進んでいる。
同じ業界内の転職では、かつて培ったスキルを活用しやすい。一方で、異なる業界からの転職も増えつつある。2009年と比較し、18年は異業種からの転職決定者は約5倍となり、異業種転職の割合が同業種転職よりも高いという。 また、人材サービス産業協議会が行った転職者の上司を対象にしたアンケート結果によると、「同じ業界・業種からの転職者の活躍度」と、「異なる業界・業種からの転職者の活躍度」に大きな差はないことがわかった。藤井氏は、「自分のいる業種にこだわるのではなく、どの場所でも生かせるスキルを整理することで、活躍の幅は広がる」と語る。
ただし、スキルだけで活躍できるわけではない。「生涯現役」や「人生100年時代」というスローガンがよく語られるようになったが、一つの企業で最後まで上り詰められる人はほんの一握り。ほとんどのサラリーマンは、出世の途中で夢破れ、役職定年の壁にぶつかるのが常である。そうした現実に直面した時に、組織にとどまるか、あるいは新たなキャリアを歩み出すかの判断を迫られる。では、セカンドキャリアを成功させるためには何が必要なのか。そこで、組織を飛び出し新たなフィールドで活躍するシニアたちから、成功のカギを探ってみることも必要だろう。
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
WEDGE Infinity Report 2019年5月20日 漂流する部長課長 濱崎陽平 (Wedge編集部員
ご参考URL=http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16218?page=3
生涯現役時代、ベテラン社員に高まる危機感・活躍シニアの〝分水嶺〟はどこか:後編
一方、企業は、高齢社員を雇い続けることで、給料はもちろん、社会保険料の事業主負担分も増加し、コスト負担が大きくなる。シニアの労働意欲が高く、彼らの働きやすい環境を整えても、肝心の企業にシニアを受け入れる体力がなければ、「生涯現役社会」は実現しないだろう。現にその余裕はなさそうだ。「経済界は 終身雇用なんてもう守れないと思っている」との 中西宏明・経団連会長の言葉は、偽らざる本音だろう。企業が守れないのは、シニア社員だけではない。大手企業では中高年の社員を対象としたリストラが進む。
こうした中、40、50代の転職市場は活発だ。リクルートエージェントによると、40、50代の転職決定者の伸び率が近年高いという。全体の転職決定者伸び率を上回り、キャリアを積んだ即戦力人材が求められている。リクナビNEXTの藤井薫 編集長は「終身雇用が揺らぎ、ホワイトカラーの役職者にも、一社にこだわるのでなく、将来を見据えて活躍の場を変えようというキャリア観の変化が芽生えつつある」と語る。特に人手不足の建設やIT、メーカーでの転職決定が多い。例えば建設では、五輪や都心の再開発、スマートシティ構想等の建設需要の影響で、一級建築士をはじめとする建設エンジニアが不足。年齢ではなくスキル・経験を軸とした採用が進んでいる。
同じ業界内の転職では、かつて培ったスキルを活用しやすい。一方で、異なる業界からの転職も増えつつある。2009年と比較し、18年は異業種からの転職決定者は約5倍となり、異業種転職の割合が同業種転職よりも高いという。 また、人材サービス産業協議会が行った転職者の上司を対象にしたアンケート結果によると、「同じ業界・業種からの転職者の活躍度」と、「異なる業界・業種からの転職者の活躍度」に大きな差はないことがわかった。藤井氏は、「自分のいる業種にこだわるのではなく、どの場所でも生かせるスキルを整理することで、活躍の幅は広がる」と語る。
ただし、スキルだけで活躍できるわけではない。「生涯現役」や「人生100年時代」というスローガンがよく語られるようになったが、一つの企業で最後まで上り詰められる人はほんの一握り。ほとんどのサラリーマンは、出世の途中で夢破れ、役職定年の壁にぶつかるのが常である。そうした現実に直面した時に、組織にとどまるか、あるいは新たなキャリアを歩み出すかの判断を迫られる。では、セカンドキャリアを成功させるためには何が必要なのか。そこで、組織を飛び出し新たなフィールドで活躍するシニアたちから、成功のカギを探ってみることも必要だろう。
生涯現役時代:活躍シニアの分水嶺はどこ 1
2019年5月20日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
WEDGE Infinity Report 2019年5月20日 漂流する部長課長 濱崎陽平 (Wedge編集部員
ご参考URL=http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16218
生涯現役時代、ベテラン社員に高まる危機感・活躍シニアの〝分水嶺〟はどこか:前編
「65歳で独立したいなら、50代の今から準備しないと。その計画じゃ、正直遅いですよ」。厳しい講師の言葉に、自らのキャリアプランを発表した男性の表情はみるみるこわばっていく。4月某日、都内のビルの一室には7人のホワイトカラーが集まっていた。大手広告代理店や外資系金融会社、大手メーカーなどに勤務する40、50代の部長や課長といった役職者が中心だ。世間的には順調に出世していると評されそうな面々だが、みな一様に将来に不安を覚え、自らの意志で今後のキャリアを考える「知命塾」の門を叩(たた)いてきたという。
知命塾とは、社会で長く活躍し続けたい30代後半から50代の会社員対象の、キャリア形成のためのセミナーで、受講料は4日間で3万5000円、土曜日を中心に開催される。6年前に開校し、これまで250人が受講した。参加者は年々若年化しているという。
セミナーでは、受講生が転職や起業など5年ごとの将来ビジョンを描き、そのために必要なスキルや資金をシートに書き込み、1人ずつ発表していく。すると「計画が漠然としている」「その資格はなぜ必要なのか?」と発表者に向かって講師や他の参加者が、容赦なくダメ出しをしていく。冒頭のシーンもその一コマだ。参加した50代男性は、「自社の業界や今後のキャリアに危機感を抱いて参加した。同じ境遇の人たちからのフィードバックが心に響いた」と語り、現在の業務を生かした資格取得を決めたという。
セミナーを主催する社会人材学舎グループの宮島忠文代表は「早い段階でキャリアの棚卸しを行い、他の職場でも再現可能な『ポータブルスキル』になりうる強みを整理したうえで、キャリアプランを築くことが重要」と語る。
働く高齢者が増えている。労働力調査によれば、すでに就業者の5人に1人は60歳以上のシニアだ。彼らの労働意欲は高く、60歳以上の男女を対象にした内閣府の調査では、現在仕事をしている高齢者の約4割が「働けるうちはいつまでも」働きたいと回答した。「70歳くらいまで」、もしくはそれ以上との回答を合計すれば、約8割を占める。まさに、意欲さえあればいくつになっても働ける「生涯現役社会」の到来を感じさせる。
政府は、生涯現役時代に対応した雇用制度改革として、継続雇用年齢を65歳からさらなる引き上げを検討するなど、高齢者雇用促進を掲げる。大企業から中小企業への転職の橋渡しをするなど、中途採用の拡大も打ち出す。さらに社会保障制度改革として、病気予防・健康づくりの支援に加え、年金支給開始年齢の柔軟化を進める。一部報道では、希望すれば支給開始を70歳超へ繰り下げ可能にする案や、一定収入のある70歳以上には年金保険料の支払いを義務付ける検討も始めたという。 つづく
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
WEDGE Infinity Report 2019年5月20日 漂流する部長課長 濱崎陽平 (Wedge編集部員
ご参考URL=http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16218
生涯現役時代、ベテラン社員に高まる危機感・活躍シニアの〝分水嶺〟はどこか:前編
「65歳で独立したいなら、50代の今から準備しないと。その計画じゃ、正直遅いですよ」。厳しい講師の言葉に、自らのキャリアプランを発表した男性の表情はみるみるこわばっていく。4月某日、都内のビルの一室には7人のホワイトカラーが集まっていた。大手広告代理店や外資系金融会社、大手メーカーなどに勤務する40、50代の部長や課長といった役職者が中心だ。世間的には順調に出世していると評されそうな面々だが、みな一様に将来に不安を覚え、自らの意志で今後のキャリアを考える「知命塾」の門を叩(たた)いてきたという。
知命塾とは、社会で長く活躍し続けたい30代後半から50代の会社員対象の、キャリア形成のためのセミナーで、受講料は4日間で3万5000円、土曜日を中心に開催される。6年前に開校し、これまで250人が受講した。参加者は年々若年化しているという。
セミナーでは、受講生が転職や起業など5年ごとの将来ビジョンを描き、そのために必要なスキルや資金をシートに書き込み、1人ずつ発表していく。すると「計画が漠然としている」「その資格はなぜ必要なのか?」と発表者に向かって講師や他の参加者が、容赦なくダメ出しをしていく。冒頭のシーンもその一コマだ。参加した50代男性は、「自社の業界や今後のキャリアに危機感を抱いて参加した。同じ境遇の人たちからのフィードバックが心に響いた」と語り、現在の業務を生かした資格取得を決めたという。
セミナーを主催する社会人材学舎グループの宮島忠文代表は「早い段階でキャリアの棚卸しを行い、他の職場でも再現可能な『ポータブルスキル』になりうる強みを整理したうえで、キャリアプランを築くことが重要」と語る。
働く高齢者が増えている。労働力調査によれば、すでに就業者の5人に1人は60歳以上のシニアだ。彼らの労働意欲は高く、60歳以上の男女を対象にした内閣府の調査では、現在仕事をしている高齢者の約4割が「働けるうちはいつまでも」働きたいと回答した。「70歳くらいまで」、もしくはそれ以上との回答を合計すれば、約8割を占める。まさに、意欲さえあればいくつになっても働ける「生涯現役社会」の到来を感じさせる。
政府は、生涯現役時代に対応した雇用制度改革として、継続雇用年齢を65歳からさらなる引き上げを検討するなど、高齢者雇用促進を掲げる。大企業から中小企業への転職の橋渡しをするなど、中途採用の拡大も打ち出す。さらに社会保障制度改革として、病気予防・健康づくりの支援に加え、年金支給開始年齢の柔軟化を進める。一部報道では、希望すれば支給開始を70歳超へ繰り下げ可能にする案や、一定収入のある70歳以上には年金保険料の支払いを義務付ける検討も始めたという。 つづく
日本に老後はないの?私たちの将来の姿だ
2019年5月19日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
ニコニコニュース 政治・社会欄 2019/05/18 12:40レコードチャイナ
ご参考URL=https://news.nicovideo.jp/watch/nw5314944
日本の定年が70歳に!? 中国ネットユーザーは
「日本に老後はないの?」「私たちの将来の姿だ」
「生涯現役社会」の実現を掲げる安倍政権は15日、首相官邸で開いた未来投資会議で、希望する人が70歳まで働き続けることを可能にするための制度案を取りまとめた。これが中国で報じられると、ネットユーザーからはさまざまな反応が出た。
日本の現行制度では、企業は定年延長や再雇用といった方法で希望者全員を65歳まで雇用するよう義務付けられている。少子高齢化を受けて、政府は定年延長による労働力の確保や国の社会保障負担の軽減などを目指しており、企業には定年の廃止や継続雇用制度の導入に加え、他企業への再就職のあっせんや、起業支援などを求める方針だ。
中国メディア・新浪財経の中国版ツイッター・微博(ウェイボー)アカウントが16日、このニュースを報じると、ネットユーザーからは、「確かに日本に行ったとき、タクシーの運転手がおじいちゃんだらけで驚いた」「これが本当の社畜か…」「日本人はひょっとして『あの世でも仕事をしたい』って思ってるんじゃない?」「中国では『35歳以上お断り』の求人だらけなのにな…」などといった反応があった。
また、中国の退職年齢は基本的に男性60歳、女性50歳と日本より10年ほど早いことを受け、「日本には老後って言葉がないのか?」という声や、「でも、退職して退屈でボケるくらいなら適度に働きたいかも」という意見に対して「(君は)日本で働くのがどれほど大変か知らないだろう」などといった返信が見られたほか、「中国で老人がのんびりできるのは、年を取ったら自分の子どもや孫に養ってもらうという発想があるおかげだ」といった指摘もあった。
また、この日本のニュースを「なんだか他人事に思えない」「中国も出生率が下がればこうなる」などと中国の現状と照らし合わせたユーザーも多く、「日本で出生率が上がった時代、政府は女性を家に入れて男性の稼ぎに頼らざるを得ないような仕組みを作った。その結果、男性にかかる圧力が強まり、結婚率や出生率が下がったんだ。中国は今日本の過ちを繰り返してる」「これは私たち中国人の将来の姿だよ」などといったコメントも見られた。(翻訳・編集/岩谷)
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
ニコニコニュース 政治・社会欄 2019/05/18 12:40レコードチャイナ
ご参考URL=https://news.nicovideo.jp/watch/nw5314944
日本の定年が70歳に!? 中国ネットユーザーは
「日本に老後はないの?」「私たちの将来の姿だ」
「生涯現役社会」の実現を掲げる安倍政権は15日、首相官邸で開いた未来投資会議で、希望する人が70歳まで働き続けることを可能にするための制度案を取りまとめた。これが中国で報じられると、ネットユーザーからはさまざまな反応が出た。
日本の現行制度では、企業は定年延長や再雇用といった方法で希望者全員を65歳まで雇用するよう義務付けられている。少子高齢化を受けて、政府は定年延長による労働力の確保や国の社会保障負担の軽減などを目指しており、企業には定年の廃止や継続雇用制度の導入に加え、他企業への再就職のあっせんや、起業支援などを求める方針だ。
中国メディア・新浪財経の中国版ツイッター・微博(ウェイボー)アカウントが16日、このニュースを報じると、ネットユーザーからは、「確かに日本に行ったとき、タクシーの運転手がおじいちゃんだらけで驚いた」「これが本当の社畜か…」「日本人はひょっとして『あの世でも仕事をしたい』って思ってるんじゃない?」「中国では『35歳以上お断り』の求人だらけなのにな…」などといった反応があった。
また、中国の退職年齢は基本的に男性60歳、女性50歳と日本より10年ほど早いことを受け、「日本には老後って言葉がないのか?」という声や、「でも、退職して退屈でボケるくらいなら適度に働きたいかも」という意見に対して「(君は)日本で働くのがどれほど大変か知らないだろう」などといった返信が見られたほか、「中国で老人がのんびりできるのは、年を取ったら自分の子どもや孫に養ってもらうという発想があるおかげだ」といった指摘もあった。
また、この日本のニュースを「なんだか他人事に思えない」「中国も出生率が下がればこうなる」などと中国の現状と照らし合わせたユーザーも多く、「日本で出生率が上がった時代、政府は女性を家に入れて男性の稼ぎに頼らざるを得ないような仕組みを作った。その結果、男性にかかる圧力が強まり、結婚率や出生率が下がったんだ。中国は今日本の過ちを繰り返してる」「これは私たち中国人の将来の姿だよ」などといったコメントも見られた。(翻訳・編集/岩谷)
政府初数値目標:70代認知症割合6年で6%
2019年5月18日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
朝日新聞デジタル 石川春菜 編集委員・清川卓史 2019年5月17日06時00分
ご参考URL=https://digital.asahi.com/articles/ASM5J55KZM5JUTFK011.html?_requesturl=articles%2FASM5J55KZM5JUTFK011.html&rm=776#Continuation
70代の認知症割合、6年で6%減 政府初の数値目標
政府は16日、70代に占める認知症の人の割合を、2025年までの6年間で6%減らすとの数値目標を公表した。現役世代の減少や介護人材の不足、社会保障費の抑制に対応するために認知症の予防促進を掲げており、その一環として初めて数値目標を設定する。来月決定する認知症対策の指針となる大綱に盛り込む。
認知症とは
厚生労働省の推計によると、65歳以上の認知症の人は15年時点で約520万人おり、65歳以上の人口の約16%。25年には約700万人となり、約20%に達する。「生涯現役社会の実現」を掲げる政府は、認知症対策を重要課題と位置付け、数値目標を設定することにした。
16日の有識者会議に示した方針では、70代で認知症になる時期を19~29年の10年間で現在より1歳遅らせることで、70代の認知症の人の割合は約10%減るとした。25年には団塊の世代が全員75歳以上となり、認知症の人の増加が見込まれることから、25年までの6年間の目標として6%減を掲げることにした。
6%減が達成できた場合、70~74歳の認知症の割合は18年の3・6%から3・4%に、75~79歳の10・4%は9・8%に下がることになる。
目標達成に向けて進める認知症予防の取り組みとしては、運動不足の解消や社会参加を促すための「通いの場」の拡充や、保健師や管理栄養士による健康相談、自治体が実施する取り組みの好事例集の作成などを挙げた。ただ、実効性や数値目標が実際に達成に至るかは不透明だ。
政府は15~25年を対象とした認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)を策定ずみだが、対策を強化するため、25年までを対象とした大綱を来月まとめる方針。これまでは認知症になっても地域で安心して暮らせるようにする「共生」に重点を置いていたが、大綱では「共生」と「予防」の2本柱とする。(石川春菜)
数値目標、「副作用」も
認知症に向き合う現場では、科学的根拠に基づく予防のあり方を研究したり、実践したりする取り組みも進められている。病気の進行抑制など、すでに認知症になった人にとっても意味を持つ内容もある。こうした予防の取り組み自体は否定されるものではない。
しかし、認知症の国家戦略とも言うべき大綱に、認知症の人の割合を減らす数値目標を盛り込むことは、予防そのものの意義とは別の危うさをはらむ。新たな大綱において、予防と並ぶ柱は「共生」。認知症になっても、その人らしく、共に生きられる社会づくりを、という方向性だ。削減目標はこの共生の理念を揺るがしかねない。
かつて認知症は「痴呆(ちほう)」「ぼけ」と呼ばれ、本人は「何もわからない」という偏見のなかで孤立していた。近年、認知症の人自身が思いを語ることで、少しずつその壁を崩してきた。本人の活動や交流の場は急速に広がっている。交通機関や企業も加わって、認知症にやさしい街づくりが各地で進められつつある。
いま国が予防を強調する背景には、社会保障費抑制の狙いもあるだろう。いまだ根強い偏見の中で、財政的圧力を背景とした削減目標の数字が独り歩きすれば、自治体が認知症の削減率を競うような、思わぬ副作用が生じないとも言い切れない。
認知症の当事者でつくる日本認知症本人ワーキンググループのメンバーは今年3月、厚生労働相らと意見交換をした際、予防重視の方針について、「頑張って予防に取り組んでいながら認知症になった人が、落第者になって自信をなくしてしまう」との意見を伝えたという。こうした当事者の懸念を軽視すべきではない。誰のための予防で、何のための削減目標なのか。政府は、わかりやすく明確に説明する必要がある。(編集委員・清川卓史)
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
朝日新聞デジタル 石川春菜 編集委員・清川卓史 2019年5月17日06時00分
ご参考URL=https://digital.asahi.com/articles/ASM5J55KZM5JUTFK011.html?_requesturl=articles%2FASM5J55KZM5JUTFK011.html&rm=776#Continuation
70代の認知症割合、6年で6%減 政府初の数値目標
政府は16日、70代に占める認知症の人の割合を、2025年までの6年間で6%減らすとの数値目標を公表した。現役世代の減少や介護人材の不足、社会保障費の抑制に対応するために認知症の予防促進を掲げており、その一環として初めて数値目標を設定する。来月決定する認知症対策の指針となる大綱に盛り込む。
認知症とは
厚生労働省の推計によると、65歳以上の認知症の人は15年時点で約520万人おり、65歳以上の人口の約16%。25年には約700万人となり、約20%に達する。「生涯現役社会の実現」を掲げる政府は、認知症対策を重要課題と位置付け、数値目標を設定することにした。
16日の有識者会議に示した方針では、70代で認知症になる時期を19~29年の10年間で現在より1歳遅らせることで、70代の認知症の人の割合は約10%減るとした。25年には団塊の世代が全員75歳以上となり、認知症の人の増加が見込まれることから、25年までの6年間の目標として6%減を掲げることにした。
6%減が達成できた場合、70~74歳の認知症の割合は18年の3・6%から3・4%に、75~79歳の10・4%は9・8%に下がることになる。
目標達成に向けて進める認知症予防の取り組みとしては、運動不足の解消や社会参加を促すための「通いの場」の拡充や、保健師や管理栄養士による健康相談、自治体が実施する取り組みの好事例集の作成などを挙げた。ただ、実効性や数値目標が実際に達成に至るかは不透明だ。
政府は15~25年を対象とした認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)を策定ずみだが、対策を強化するため、25年までを対象とした大綱を来月まとめる方針。これまでは認知症になっても地域で安心して暮らせるようにする「共生」に重点を置いていたが、大綱では「共生」と「予防」の2本柱とする。(石川春菜)
数値目標、「副作用」も
認知症に向き合う現場では、科学的根拠に基づく予防のあり方を研究したり、実践したりする取り組みも進められている。病気の進行抑制など、すでに認知症になった人にとっても意味を持つ内容もある。こうした予防の取り組み自体は否定されるものではない。
しかし、認知症の国家戦略とも言うべき大綱に、認知症の人の割合を減らす数値目標を盛り込むことは、予防そのものの意義とは別の危うさをはらむ。新たな大綱において、予防と並ぶ柱は「共生」。認知症になっても、その人らしく、共に生きられる社会づくりを、という方向性だ。削減目標はこの共生の理念を揺るがしかねない。
かつて認知症は「痴呆(ちほう)」「ぼけ」と呼ばれ、本人は「何もわからない」という偏見のなかで孤立していた。近年、認知症の人自身が思いを語ることで、少しずつその壁を崩してきた。本人の活動や交流の場は急速に広がっている。交通機関や企業も加わって、認知症にやさしい街づくりが各地で進められつつある。
いま国が予防を強調する背景には、社会保障費抑制の狙いもあるだろう。いまだ根強い偏見の中で、財政的圧力を背景とした削減目標の数字が独り歩きすれば、自治体が認知症の削減率を競うような、思わぬ副作用が生じないとも言い切れない。
認知症の当事者でつくる日本認知症本人ワーキンググループのメンバーは今年3月、厚生労働相らと意見交換をした際、予防重視の方針について、「頑張って予防に取り組んでいながら認知症になった人が、落第者になって自信をなくしてしまう」との意見を伝えたという。こうした当事者の懸念を軽視すべきではない。誰のための予防で、何のための削減目標なのか。政府は、わかりやすく明確に説明する必要がある。(編集委員・清川卓史)
ユーミン松任谷夫妻共演の「卒業写真」披露
2019年5月17日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
@nifty ニュース 芸能・エンタメ 2019年05月16日 22時11分 スポニチアネックス
ご参考URL=https://news.nifty.com/entame/
ユーミン サプライズ夫婦共演!松任谷正隆氏と「卒業写真」披露
全国ツアー最終公演
歌手の松任谷由実(65)が16日、全国ツアーを東京・日本武道館公演で締めくくった。
センターステージを360度埋め尽くした観客1万3000人のトリプルアンコールに応えて再々々登場。「タイムマシンツアー」のツアータイトルにちなみ「サプライズ期待してるでしょ?私のタイムマシンに一番長く乗っている人を呼びます」と紹介し、夫で音楽プロデューサー松任谷正隆氏(67)をステージに呼び込んだ。
正隆氏がキーボードに着くと、観客の期待は最高潮に。最終公演だけのビッグサプライズは、夫婦共演によるヒット曲「卒業写真」だった。会場からは自然と合唱が起こり、ユーミンは大粒の涙を流して感激。正隆氏と一緒にバンザイして締めくくった。
シンガー・ソングライターとしてヒット曲を生み出せたことに「自信が持てた」とも語った。「今の私の夢は続けること。だから辞めません」と生涯現役を誓うと大歓声に包まれた。
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
@nifty ニュース 芸能・エンタメ 2019年05月16日 22時11分 スポニチアネックス
ご参考URL=https://news.nifty.com/entame/
ユーミン サプライズ夫婦共演!松任谷正隆氏と「卒業写真」披露
全国ツアー最終公演
歌手の松任谷由実(65)が16日、全国ツアーを東京・日本武道館公演で締めくくった。
センターステージを360度埋め尽くした観客1万3000人のトリプルアンコールに応えて再々々登場。「タイムマシンツアー」のツアータイトルにちなみ「サプライズ期待してるでしょ?私のタイムマシンに一番長く乗っている人を呼びます」と紹介し、夫で音楽プロデューサー松任谷正隆氏(67)をステージに呼び込んだ。
正隆氏がキーボードに着くと、観客の期待は最高潮に。最終公演だけのビッグサプライズは、夫婦共演によるヒット曲「卒業写真」だった。会場からは自然と合唱が起こり、ユーミンは大粒の涙を流して感激。正隆氏と一緒にバンザイして締めくくった。
シンガー・ソングライターとしてヒット曲を生み出せたことに「自信が持てた」とも語った。「今の私の夢は続けること。だから辞めません」と生涯現役を誓うと大歓声に包まれた。
タウンNEWS:シニア合唱祭120団体 5/20-22
2019年5月16日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
タウンニュース 横浜港北区版 掲載号:2019年5月16日号 文化欄
ご参考URL=https://www.townnews.co.jp/0103/2019/05/16/480736.html
シニア合唱祭に120団体 みなとみらいホールで
11回目となる国際シニア合唱祭「ゴールデンウェーブin横浜」が5月20日(月)・21日(火)・22日(水)に開催される。NPO法人ゴールデンウェーブ・横浜みなとみらいホールの共催。司会はフリーアナウンサーの朝岡聡氏。
様々な形で社会に貢献してきた高齢者らが、健康で生きがいに包まれた“生涯現役”の生活を続けていくための一助として企画された合唱祭。
「横浜から世界へ」を掲げ続く同イベントでは、日本だけでなく、韓国・台湾からの参加者も迎え全120団体が集う。同NPO法人の吉田奈美子理事長は「『令和』という新しい時代の幕開けの月に開催できることは喜び」と話している。
横浜みなとみらいホール大ホールで各日午前10時半開演。チケットは各日500円(当日券有)問い合わせ・申し込みは事務局【電話】【FAX】045・334・0460へ。
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
タウンニュース 横浜港北区版 掲載号:2019年5月16日号 文化欄
ご参考URL=https://www.townnews.co.jp/0103/2019/05/16/480736.html
シニア合唱祭に120団体 みなとみらいホールで
11回目となる国際シニア合唱祭「ゴールデンウェーブin横浜」が5月20日(月)・21日(火)・22日(水)に開催される。NPO法人ゴールデンウェーブ・横浜みなとみらいホールの共催。司会はフリーアナウンサーの朝岡聡氏。
様々な形で社会に貢献してきた高齢者らが、健康で生きがいに包まれた“生涯現役”の生活を続けていくための一助として企画された合唱祭。
「横浜から世界へ」を掲げ続く同イベントでは、日本だけでなく、韓国・台湾からの参加者も迎え全120団体が集う。同NPO法人の吉田奈美子理事長は「『令和』という新しい時代の幕開けの月に開催できることは喜び」と話している。
横浜みなとみらいホール大ホールで各日午前10時半開演。チケットは各日500円(当日券有)問い合わせ・申し込みは事務局【電話】【FAX】045・334・0460へ。
84歳森田弁護士/生涯現役のススメ③
2019年5月15日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
YAHOO JAPAN ニュース 倉重公太朗 | 労働法専門弁護士 5/15(水)6:00
ご参考URL=https://news.yahoo.co.jp/byline/kurashigekotaro/20190515-00125665/
84歳現役弁護士に聞く「生涯現役のススメ」後編
倉重:生涯現役を貫く上での体力づくりはどうされてますか?
森田:やはり体力づくりというのは40代から始めないと間に合いません。テレビに出て来る人たちで、70、80になって運動しています。これも貴重だとは思いますが、その基になるのはやはり40代から始めないと、とても活性化はできないのではないかと思います。
倉重:先生は40代のころはどのようなことをされていましたか。
森田:40代末になって、自分で独立したときにやはり自分の時間というのは貴重だと思いました。自分の時間は勤務している限り勝手なことはできません。でも自分で独立して、自分の責任で弁護士の業務をやる以上、その時間の配分を考えて、自分で体力づくりをする時間、ストレスを発散する時間、趣味に集中する時間をきちんと区分けして、それで始めたということがあります。
倉重:体力づくりとメニューという意味ではどういう訓練を始めましたか?
森田:まず山へ行って歩きます。それは決して高い山に行くということだけではなくて1日数時間、1週間に1回行かないと体は不調を来します。2週間過ぎて山へ行くと、ここはこの間来たときは1時間で歩いたのが、今回は1時間10分、そこでもう休みたくなってしまう。
倉重:筋力が落ちているわけですか。
森田:そう、筋力が落ちているのではないか、そのように思います。
森田:山は体力づくりも兼ねてということですね。
森田:そうです。体力づくりが主たる目的と言ったほうがいいかもしれません。
倉重:先生は今でも事務所でスクワットや腕立て伏せなどをされていますね。初めて見たときはびっくりしました(笑)
森田:スクワットは、もともとはケンケンをしたり、腹筋運動をしたりしていたのですが、ケンケンをやるとやはり筋力が落ちているのでしょうね、肉離れを起こしたりします。
倉重:ケンケンというのは片足で立つアレですか?
森田:片足でタップを踏みます。ただし、それはやめて、スクワットで何とかという感じです。
倉重:すごいです。なかなか84歳で法律事務所の中でスクワットをする人はいないと思います。
森田:これはまた心がけ、前向きな気持ちを持たずには84歳で元気でやるわけにいかないねと考えています。
倉重:40、50代は将来を見据えた体力づくりをするべきである、それから趣味を持つべきであるという話だと思います。それではいざ、60の定年を迎えた人にはどのようなアドバイスというか、声を掛けるとしたらどうしますか。
森田:知力・気力・体力というのはやはり一致しているものであって、どれが欠けても駄目だと思います。例えば20代、30代で仕事に不満を持ちながら、あなたがよく言うローテーション人事で不満を持ちながらやっているというのは絶対によくないです。そうではなくて、今の時代だから不満があったら、それを解消する方策を講じて、解消できないのなら他に転職するぐらいの気持ちを持たないと、やはり60代、70代を元気に過ごすわけにはいかないという感じはします。
倉重:要するに定年後雇用で自分の望みどおりの職種に就けないだとか、給料を何割減らされて不満だとか、ないものねだりというか、不満な点ばかりを見ても仕方がないですね。
森田:そうです。不満がない人はいないと私は思っています。でもその不満をどのように最小限に抑えられるかは、結果的には人に言うのではなく、自分でやはり解消していかなければいけないのではないかと思います。それで60過ぎて、70過ぎて不満ばかりを持っている人はやはり「幸せな人生を送っていないな、おぬしは」という感じはします。
倉重:食生活という意味ではどうですか?
森田:80過ぎてからは野菜中心にならざるを得ないのですが、それでも肉を食べないと、やはりどこか抜けていってしまうところがあるような気がします。
倉重:やはり肉は大事ですよね。
森田:肉は大事です。
倉重:先生と前にご一緒したときも、300グラム以上のステーキをぺろりと食べていましたね。
森田:そういう意味では、むしろ肉は魚よりも重要なたんぱく質ではないかと思います。雑談で申し訳ないのですが、私の依頼者に89歳のおばあさまがいらっしゃって彼女はとても元気です。このおばあさまが家に居ると家族から肉は食べさせてもらえないと、1週間にいっぺん、必要があるなしに関わらず、医者の所へ行くと称して出てきて、六本木辺りで肉を食べて帰ります。
倉重:89歳で!すごいですね。やはり肉を食べられる人というのは元気な人が多いですね。
森田:そんな感じはしますね。
倉重:やはりそういう生涯現役で働くという意味ではやはり食と体力と合わせて気力・知力と結び付いてくるというのが重要ですかね。
あとは、若い弁護士などに少し言いたいことがありましたら、ぜひこの場で一言いただければと思いますが、いかがですか。
森田:よく若い人たちと会ったときにこういうことを言います。まず勉強してほしいと。勉強というのは法律などの勉強はとても裁判官には及びもつかないことはまず置いて、勉強で一番大事なことは、自分が何を目指すかということ、まず自己を知るべきだ、自分がどういうタイプの弁護士になるかということをまず自覚してほしいということです。
これから100歳時代になって、弁護士が幾つまで働くかということもやはりきちんと、今のうちから若い人たちが知っていてほしいと思います。だいたい私の仲間を見ると70歳~80歳の間に現役を引退する人が圧倒的に多いです。でも80歳を過ぎても、元気で働こうという人たちは大勢いますから、そういう人たちが働けるように、自分で環境を整えなえなければいけないのではないかと若い人たちには申し上げています。与えられるものではなくて、自分が努力してつくるべきものだということは何も一般社会だけではなく、弁護士の世界でも言えるように思います。
倉重:弁護士資格を取って満足するのではなくて、その後も努力を続けるという王道ですね。
森田:そうです。努力を怠ると、70代、80代、下手をすると90代まで働けることを自ら放棄してしまうことにつながりはしないかと思います。そういう意味では、やはり趣味も必要だとよく言っています。
倉重:そうですね。プライベートの趣味もそうですし、やはり弁護士の仕事自体もある意味面白がってではないですけれども、何か楽しんでやらないと。
森田:嫌々などという、これは生活の道具だと思ってしまったら、これほどつらい仕事はありません。私たちはいろいろなことを申し上げましたが楽しんでやってきました。
倉重:ですよね、先生を見ていると本当にそう思います。やはり弁護士の方は誰かに言われてやるのではなくて、好きでやっていますものね。
森田:私よりもIQがずっと高い人たちが、おまえはいい仕事を選んだ、おまえに向いている仕事を選んだのがうらやましいと言っています。
倉重:先生は御三家の中学出身ですから、東大に行った人もたくさんいたでしょうし。
森田:これも雑談になってしまいますが、私が中学に入ったときに、隣の席に座ったのが東大名誉教授になった男です。おやじに言いました。申し訳ないけれど、成績がよくないというのは、こういう優秀な遺伝子を持った人たちと俺を一緒にするなと。悪いのはおやじだと。
倉重:なるほど。麻布に入れたのはと。
森田:そう、おやじはお前が間違えているのではないかと、笑いましたけれども。
倉重:さて、最後に聞きたいのは、先生の夢は何ですか?ということです。
森田:できる限り多く本を読んで、できるだけいい音楽を聴きたいですね。
倉重:いい音楽を聴き、いい本を読み、うまいものを食べると、最高ですね。
森田:うまいものの話はまたゆっくりしましょう。私は昔からうまいものを食べるのが好きで、修習生のころ、1万9,500円が給料でした。そのうち3,000円を払って有名な肉屋に食べに行きます。3,000円がなくなります。あと1万6,500円でどうやって1ヶ月生活するか。主婦の店ダイエーに行って39円のラーメン、あれもだいたい1週間も食べると嫌になりますが。
倉重:そういう原体験があるからこそ、食に対するこだわりがあるのですね。
森田:唯一弁護士として仲間から評価されることなく、「あいつはグルメだ」という評価です。
倉重:やはり先生の今の話を伺っていても、常に何か新しい本、新しいよりよい音楽、新しい食、それから時々かわいい女性(笑)など、そういういろいろなものに対する好奇心や興味などが旺盛ですよね。
森田:そうですね。
倉重:それが生きる力というか。
森田:そう、パワーの源泉はいろいろなことを言いましたが、好奇心です。
倉重:話をしていてそう思いました。好奇心とそれを支える体力、この2つが大事だということですね。
森田:気力・体力・知力と言いましたが、源泉は好奇心ですね。
倉重:そうですね。はい、何か好奇心の塊だなと思いました。
森田:そう思います。自分でもそう言っています。
倉重:そういう人が1人でも増えるとやはり日本というのは今後もいい方向に向かいますね。
森田:そう、変な話だけれど、家内が長いこと病気で患っていて亡くなりましたが、ためていたお金はみんな私が死ぬまでに、楽しく過ごすために使おうと思っています。ただ人のために使う気はありません、自分のために使います。それが社会に貢献する由縁だと勝手な理屈を付けています。
倉重:いいですね。そうして世の中の経済が回っていくわけですから。好奇心を忘れずに体力を持ってやっていきましょう。
森田:あと何年活動できるか。
倉重:人生100年時代ですからあと16年です。はい、ということでこれぐらいにしたいと思います。今日はどうもありがとうございました。
森田:ありがとうございました。 (おわり)
森田 武男 弁護士
東京都世田谷区出身早稲田大学法学部卒、神戸地方裁判所にて司法修習
1964年 馬場東作法律事務所
1990年 森田綜合法律事務所
2018年10月 倉重・近衞・森田法律事務所
第一東京弁護士会 経営法曹会議会員 日本山岳会会員
弁護士登録以来、一貫して経営者側弁護士として経験を重ねる。
日本食塩製造事件(昭和50年4月25日最二小判、労判227号32頁)をはじめ数多くの労働紛争事件を手がける。
倉重公太朗 :労働法専門弁護士
慶應義塾大学経済学部卒業後司法試験合格、オリック東京法律事務所、安西法律事務所を経て2018年10月~倉重・近衞・森田法律事務所 第一東京弁護士会労働法制委員会外国法部会副部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)執行役員 経営者側労働法専門弁護士。労働審判等労働紛争案件対応、団体交渉(組合・労働委員会対応)、労災対応(行政・被災者対応)を得意分野とし、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。東洋経済オンラインで「検証!ニッポンの労働」を連載中。https://kkmlaw.jp/
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
YAHOO JAPAN ニュース 倉重公太朗 | 労働法専門弁護士 5/15(水)6:00
ご参考URL=https://news.yahoo.co.jp/byline/kurashigekotaro/20190515-00125665/
84歳現役弁護士に聞く「生涯現役のススメ」後編
倉重:生涯現役を貫く上での体力づくりはどうされてますか?
森田:やはり体力づくりというのは40代から始めないと間に合いません。テレビに出て来る人たちで、70、80になって運動しています。これも貴重だとは思いますが、その基になるのはやはり40代から始めないと、とても活性化はできないのではないかと思います。
倉重:先生は40代のころはどのようなことをされていましたか。
森田:40代末になって、自分で独立したときにやはり自分の時間というのは貴重だと思いました。自分の時間は勤務している限り勝手なことはできません。でも自分で独立して、自分の責任で弁護士の業務をやる以上、その時間の配分を考えて、自分で体力づくりをする時間、ストレスを発散する時間、趣味に集中する時間をきちんと区分けして、それで始めたということがあります。
倉重:体力づくりとメニューという意味ではどういう訓練を始めましたか?
森田:まず山へ行って歩きます。それは決して高い山に行くということだけではなくて1日数時間、1週間に1回行かないと体は不調を来します。2週間過ぎて山へ行くと、ここはこの間来たときは1時間で歩いたのが、今回は1時間10分、そこでもう休みたくなってしまう。
倉重:筋力が落ちているわけですか。
森田:そう、筋力が落ちているのではないか、そのように思います。
森田:山は体力づくりも兼ねてということですね。
森田:そうです。体力づくりが主たる目的と言ったほうがいいかもしれません。
倉重:先生は今でも事務所でスクワットや腕立て伏せなどをされていますね。初めて見たときはびっくりしました(笑)
森田:スクワットは、もともとはケンケンをしたり、腹筋運動をしたりしていたのですが、ケンケンをやるとやはり筋力が落ちているのでしょうね、肉離れを起こしたりします。
倉重:ケンケンというのは片足で立つアレですか?
森田:片足でタップを踏みます。ただし、それはやめて、スクワットで何とかという感じです。
倉重:すごいです。なかなか84歳で法律事務所の中でスクワットをする人はいないと思います。
森田:これはまた心がけ、前向きな気持ちを持たずには84歳で元気でやるわけにいかないねと考えています。
倉重:40、50代は将来を見据えた体力づくりをするべきである、それから趣味を持つべきであるという話だと思います。それではいざ、60の定年を迎えた人にはどのようなアドバイスというか、声を掛けるとしたらどうしますか。
森田:知力・気力・体力というのはやはり一致しているものであって、どれが欠けても駄目だと思います。例えば20代、30代で仕事に不満を持ちながら、あなたがよく言うローテーション人事で不満を持ちながらやっているというのは絶対によくないです。そうではなくて、今の時代だから不満があったら、それを解消する方策を講じて、解消できないのなら他に転職するぐらいの気持ちを持たないと、やはり60代、70代を元気に過ごすわけにはいかないという感じはします。
倉重:要するに定年後雇用で自分の望みどおりの職種に就けないだとか、給料を何割減らされて不満だとか、ないものねだりというか、不満な点ばかりを見ても仕方がないですね。
森田:そうです。不満がない人はいないと私は思っています。でもその不満をどのように最小限に抑えられるかは、結果的には人に言うのではなく、自分でやはり解消していかなければいけないのではないかと思います。それで60過ぎて、70過ぎて不満ばかりを持っている人はやはり「幸せな人生を送っていないな、おぬしは」という感じはします。
倉重:食生活という意味ではどうですか?
森田:80過ぎてからは野菜中心にならざるを得ないのですが、それでも肉を食べないと、やはりどこか抜けていってしまうところがあるような気がします。
倉重:やはり肉は大事ですよね。
森田:肉は大事です。
倉重:先生と前にご一緒したときも、300グラム以上のステーキをぺろりと食べていましたね。
森田:そういう意味では、むしろ肉は魚よりも重要なたんぱく質ではないかと思います。雑談で申し訳ないのですが、私の依頼者に89歳のおばあさまがいらっしゃって彼女はとても元気です。このおばあさまが家に居ると家族から肉は食べさせてもらえないと、1週間にいっぺん、必要があるなしに関わらず、医者の所へ行くと称して出てきて、六本木辺りで肉を食べて帰ります。
倉重:89歳で!すごいですね。やはり肉を食べられる人というのは元気な人が多いですね。
森田:そんな感じはしますね。
倉重:やはりそういう生涯現役で働くという意味ではやはり食と体力と合わせて気力・知力と結び付いてくるというのが重要ですかね。
あとは、若い弁護士などに少し言いたいことがありましたら、ぜひこの場で一言いただければと思いますが、いかがですか。
森田:よく若い人たちと会ったときにこういうことを言います。まず勉強してほしいと。勉強というのは法律などの勉強はとても裁判官には及びもつかないことはまず置いて、勉強で一番大事なことは、自分が何を目指すかということ、まず自己を知るべきだ、自分がどういうタイプの弁護士になるかということをまず自覚してほしいということです。
これから100歳時代になって、弁護士が幾つまで働くかということもやはりきちんと、今のうちから若い人たちが知っていてほしいと思います。だいたい私の仲間を見ると70歳~80歳の間に現役を引退する人が圧倒的に多いです。でも80歳を過ぎても、元気で働こうという人たちは大勢いますから、そういう人たちが働けるように、自分で環境を整えなえなければいけないのではないかと若い人たちには申し上げています。与えられるものではなくて、自分が努力してつくるべきものだということは何も一般社会だけではなく、弁護士の世界でも言えるように思います。
倉重:弁護士資格を取って満足するのではなくて、その後も努力を続けるという王道ですね。
森田:そうです。努力を怠ると、70代、80代、下手をすると90代まで働けることを自ら放棄してしまうことにつながりはしないかと思います。そういう意味では、やはり趣味も必要だとよく言っています。
倉重:そうですね。プライベートの趣味もそうですし、やはり弁護士の仕事自体もある意味面白がってではないですけれども、何か楽しんでやらないと。
森田:嫌々などという、これは生活の道具だと思ってしまったら、これほどつらい仕事はありません。私たちはいろいろなことを申し上げましたが楽しんでやってきました。
倉重:ですよね、先生を見ていると本当にそう思います。やはり弁護士の方は誰かに言われてやるのではなくて、好きでやっていますものね。
森田:私よりもIQがずっと高い人たちが、おまえはいい仕事を選んだ、おまえに向いている仕事を選んだのがうらやましいと言っています。
倉重:先生は御三家の中学出身ですから、東大に行った人もたくさんいたでしょうし。
森田:これも雑談になってしまいますが、私が中学に入ったときに、隣の席に座ったのが東大名誉教授になった男です。おやじに言いました。申し訳ないけれど、成績がよくないというのは、こういう優秀な遺伝子を持った人たちと俺を一緒にするなと。悪いのはおやじだと。
倉重:なるほど。麻布に入れたのはと。
森田:そう、おやじはお前が間違えているのではないかと、笑いましたけれども。
倉重:さて、最後に聞きたいのは、先生の夢は何ですか?ということです。
森田:できる限り多く本を読んで、できるだけいい音楽を聴きたいですね。
倉重:いい音楽を聴き、いい本を読み、うまいものを食べると、最高ですね。
森田:うまいものの話はまたゆっくりしましょう。私は昔からうまいものを食べるのが好きで、修習生のころ、1万9,500円が給料でした。そのうち3,000円を払って有名な肉屋に食べに行きます。3,000円がなくなります。あと1万6,500円でどうやって1ヶ月生活するか。主婦の店ダイエーに行って39円のラーメン、あれもだいたい1週間も食べると嫌になりますが。
倉重:そういう原体験があるからこそ、食に対するこだわりがあるのですね。
森田:唯一弁護士として仲間から評価されることなく、「あいつはグルメだ」という評価です。
倉重:やはり先生の今の話を伺っていても、常に何か新しい本、新しいよりよい音楽、新しい食、それから時々かわいい女性(笑)など、そういういろいろなものに対する好奇心や興味などが旺盛ですよね。
森田:そうですね。
倉重:それが生きる力というか。
森田:そう、パワーの源泉はいろいろなことを言いましたが、好奇心です。
倉重:話をしていてそう思いました。好奇心とそれを支える体力、この2つが大事だということですね。
森田:気力・体力・知力と言いましたが、源泉は好奇心ですね。
倉重:そうですね。はい、何か好奇心の塊だなと思いました。
森田:そう思います。自分でもそう言っています。
倉重:そういう人が1人でも増えるとやはり日本というのは今後もいい方向に向かいますね。
森田:そう、変な話だけれど、家内が長いこと病気で患っていて亡くなりましたが、ためていたお金はみんな私が死ぬまでに、楽しく過ごすために使おうと思っています。ただ人のために使う気はありません、自分のために使います。それが社会に貢献する由縁だと勝手な理屈を付けています。
倉重:いいですね。そうして世の中の経済が回っていくわけですから。好奇心を忘れずに体力を持ってやっていきましょう。
森田:あと何年活動できるか。
倉重:人生100年時代ですからあと16年です。はい、ということでこれぐらいにしたいと思います。今日はどうもありがとうございました。
森田:ありがとうございました。 (おわり)
森田 武男 弁護士
東京都世田谷区出身早稲田大学法学部卒、神戸地方裁判所にて司法修習
1964年 馬場東作法律事務所
1990年 森田綜合法律事務所
2018年10月 倉重・近衞・森田法律事務所
第一東京弁護士会 経営法曹会議会員 日本山岳会会員
弁護士登録以来、一貫して経営者側弁護士として経験を重ねる。
日本食塩製造事件(昭和50年4月25日最二小判、労判227号32頁)をはじめ数多くの労働紛争事件を手がける。
倉重公太朗 :労働法専門弁護士
慶應義塾大学経済学部卒業後司法試験合格、オリック東京法律事務所、安西法律事務所を経て2018年10月~倉重・近衞・森田法律事務所 第一東京弁護士会労働法制委員会外国法部会副部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)執行役員 経営者側労働法専門弁護士。労働審判等労働紛争案件対応、団体交渉(組合・労働委員会対応)、労災対応(行政・被災者対応)を得意分野とし、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。東洋経済オンラインで「検証!ニッポンの労働」を連載中。https://kkmlaw.jp/
84歳森田弁護士/生涯現役のススメ②
2019年5月14日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
YAHOO JAPAN ニュース 倉重公太朗 | 労働法専門弁護士 5/14(火)6:00
ご参考URL= https://news.yahoo.co.jp/byline/kurashigekotaro/20190514-00125662/
84歳現役弁護士に聞く「生涯現役のススメ」中編
倉重:50~60年前の労働事件は主なテーマが労働組合による集団的労使関係が中心であるなかで、先生は弁護士人生を歩んで来られましたよね。
一方で、今でも労働組合の組織率が非常に下がったり、存在意義が低下しつつある最中ではありますが、とは言えこれからの時代、一人一人がどう働くかというのはかなり差異が出て来ると思います。
つまり、一人一人の価値観が違っている、昔のように集団で1つの価値観でまとまってというのではないがゆえに、やはり1人で会社と交渉することではなく、やはり労働者を代表する組織としての労働組合、これはまた新たな時代の役割があるのではないかと、個人的には思いますが、これはいかがですか。
森田:そこで面白い話が1つあって、実は中国の労働事情を調べに行ったことが2回あります。1998年でしたか、2回目行ったときに中国にも労働組合があります。労働組合の役割ですが、共産主義体制の中でどういう役割を果たすのかが大きな疑問としてありました。尋ねたところ、結局労働組合は社員の苦情処理機関であると。そういう意味では苦情処理の問題というのが、やはりこれから日本でも大きな問題になるのではないかとずっと思っていました。
倉重:なるほど。そういった不満をまず内部で自浄作用という形で吸収できるかは大きいですね。
森田:ハラスメントなどは自浄作用がなかなか働きにくい場なので、第三者の関与が多くなりつつありますが、自浄作用というのは絶対に必要であり、管理職のお役目というのは、自分の部下たちの苦情をどう処理できるか、それをもう少し組織化してもいいのではないか、だからそういう意味では人事部・労務部の役割というのも苦情処理問題が重要です。ハラスメントについては、どの様に解決できるかが問われることになり、組合の存在も重要です。
倉重:やはり昔ながらの労働組合の在り方というのと、今の在り方がどうかと考えるときに、先生の時代は集団的労使関係の紛争が多かったと、つまり集団で会社と戦うという意識を持っている組合員が多かったのではないかと思います。そこで現代はどうかと考えとると、戦って、先ほどの経営権を握ったら実際につぶれてしまったりするわけですから、倒してどうするという話で、雇用を守るという共通の目的がやはりあるはずです。そういう意味では本当の意味での労使協調といいますか、もちろん提案するべきところはするし、不満を聞いてぶつけたりはしますけれども、では目指すゴールはより働きやすい職場、働きやすい職場ややりがいのある職場のためには、きちんと人件費も払われる職場である。そうすると会社の売上を上げなければなりません。そういう目的は共通化しているわけなので、あたかも検察官と弁護士のように、真実の発見に向かって違う立場からものを言い合うことにより真実に到達するというのが刑事司法の考え方ですよね。それと同じことで、同じ方向を向いて、同じゴールを目指して、でも立場は違う。こういう関係性かなと現代的には私は思っています。
森田:組合の役割というのが昔のように戦う組合、労働者を保護するために戦ってきた人たちが妙に理解を示してしまい、戦わない組合になったときに、では労働組合はどうあるべきかということを今の組合の人たちが十分考えているのかというのは大変疑問です。だから組織率が低下するのは私から見ると当たり前ではないか、組合費のただ取りということを組合員からよく言われますが、労働組合がこの時代にどのような役割を果たすべきなのか、もっと真剣に考えなければいけない時代に来ていると思います。
倉重:そうですね。思考停止とは言いませんが、やはりそのベア一律何%、幾らや、これは違いますと、どうしても思ってしまいます。
森田:そう思います。組合こそ、今改革が必要なのではないですかということ、問いです。
倉重:さすがです。これはもう先生しか言えないので。
森田:はい。
倉重:では少しまた話題を変えまして、先生の世代と言ったら失礼ですが、やはり定年後再雇用というのはすごく増えてきていますが、先生はもっと若いですね。今ちょうど60歳定年。昔は55歳定年、先生が弁護士になられたころは55歳でしょう。
森田:55歳です。
倉重:そこから60歳定年になり、そして今は65歳再雇用義務になっていて、さらに今後これが70歳に延長されるかもしれないという報道も出ていましたし、さらに場合によっては厚労省も生涯現役社会と、つまりそれは定年を違法にするということかというような少し怖い検討などもしたりするわけですけれども。少なくとも65から70になるという方向性はある程度はなってくるのだろうと。これが高齢化の人数が増えていくとやはりある程度就労していただいたほうが国としてはいいだろうということは間違いない。そこがどこまで義務付けられるかという問題はありますが、そういうときに60歳を過ぎて働くということに関しては、先生はどのように思われていますか。
森田:僕らが最初に定年延長の問題が出て来たときに思ったのは、その義務化ということが本当に正しいのかという疑問です。はっきり言うと60歳になったら労働力の新しい労働市場と考えて、好きな人を好きなように採用するということがあっていいと、実は思っていました。義務化をした結果、結局は賃金を下げて、会社としては、辞めてもらいたい人も渋々雇用しなければいけない。
あまりキャリアアップしなかった人たちにとっては嫌々働く、それは決して幸せではないのではないかと思いました。私が若いころ、ある著明な会社が採用年齢を60歳以上と定めました。日本で初めてではないでしょうか。
倉重:採用年齢をですか。
森田:そうです。採用年齢を60歳と定めて、60歳以下の人は採用しないと。
倉重:どういうことですか。
森田:つまり、その会社で60歳になるには、それ相当の経験をしてきたはずだ、その経験を有効に活用しないのは、自分たちがきちんと対面していなかった結果ではないか、だとしたら広く特定の分野の世界で、きちんとキャリアアップしてきた人たちを積極的に雇用しようではないかと考え、この会社はそういう定めを30年前につくりました。その会社と私は関わったものですから、若い人たちがその経験を積んだ外から来た人たちに敬意を持って、自分たちと一緒に働く仲間だと意識して働いていることが非常に新鮮に映りました。
倉重:それは理想的ですね。
森田:そういう意味で、今のように義務化をして、悪い言い方をすると、とても採用できない人たちを法律の規定に従って嫌々雇用する。働くほうも、他に行く場所がないからというような話は双方にとって幸せではないのではないかと思います。
倉重:そうですね。正直言って先生がつくられたこの解雇権濫用法理がやはり厳し過ぎるものですから、解雇したいけれどもぎりぎり解雇できない人というゾーンがいて、そういう人は正直言って、定年まで指折り数えて、もうすぐこの人は定年だと待っていたりするケースが実際にあるわけですが、しかし定年になって、また再雇用だということになって、しかもこれが5年だったのが10年などとなると、これは一体どうしたらいいのだと、それはお互いによくないですね。
森田:そういう意味では、日本では事実が先行する前に法律が先行してしまった結果、本当に働きたい人たち、能力のある人たちをどのように生かすかという方向で、もう少し考えていいのではないかと思います。私の顧問先に病院があります。そこで30人ぐらいお預かりしているホスピスの看護師の職場では、上は83歳、80代の人が3人ぐらいいました。要はホスピスの末期がんの人たちのお世話には若い人たちではとても共通の認識を持てません。だから自分たちと同じ世代の人が看護をしてくれるということが患者にとってはものすごくうれしい、そのように80を過ぎても働ける職場がある。そのように何かもう少し今の日本の社会、老人化していく社会の中で、定年後の雇用の問題について考えると、もう少し視点を変えて考えてもいいのではないかというのが私たちの経験則が教えるところです。
倉重:なるほど。やはり60歳を過ぎた後、嫌々、あるいは義務感として生活のため仕方なく働くには10年間となると少し長過ぎますよね。
森田:むしろ労働者にとって気の毒ではないか、賃金もらうために嫌々働くって、これつらいよね、というのが僕ら老人の嘆きです。
倉重:でも先生のお友達などをご覧になっていて、この60、70を過ぎて、楽しく働いている人とそうでない人がいると思いますが、先生から見てどのような違いがあると感じられますか。
森田:やはり大企業の経営者の経験を積んだ人たちは、それなりの人生の過ごし方があると思いますが、一般的なサラリーマンで65歳で終えてしまった人たち、それからもう20年近くたっている中で、結局は体力・気力・知力もみんな落ちています。しかし個人差があって、もっと活用してよいのではないか、どうして若い人たちが老人を支えているなどということを言わせているのかなということをやはり思います。
倉重:と言いますと?
森田:つまり働ける能力のある人というのは、やはり知力・気力・体力と3つが必要だと思いますが、60歳を過ぎると個体差が非常にはっきり出てきます。
倉重:かなり出てきますね。70を超えたらなおさらでしょうね。
森田:だからそうなると、やはりセレクトしていかざるを得ないのではないか。それは個人の場合もそうですし、組織から見てもそうです。それを法律で一律に縛るなどと考えるから、弱者救済もいいけれど、それは双方にとって負担ではないかという感覚を持ちますね。
倉重:その60以降を楽しいシニアライフというものを送る上では先生は若いころ、40代、50代のころから意識されてきたことがありますか?
森田:やはり趣味を持たなければ駄目だと思います。仕事は命がけでやると短命に終わりかねない、趣味はどんなに死力を尽くしても、これは自分が好きでやっているのだから、その趣味で死ぬことはないということです。
倉重:なるほど。幾ら何時間やっても、睡眠時間を削ってやっても好きでやっていることだと。
森田:どんなにやってもストレスになることはないし、だから趣味を持って、それは何でもいいのではないか、私は人に言うだけでなく、自分でやろうというようにしています。 (後編に続く)
森田 武男 弁護士
東京都世田谷区出身早稲田大学法学部卒、神戸地方裁判所にて司法修習
1964年 馬場東作法律事務所
1990年 森田綜合法律事務所
2018年10月 倉重・近衞・森田法律事務所
第一東京弁護士会 経営法曹会議会員 日本山岳会会員
弁護士登録以来、一貫して経営者側弁護士として経験を重ねる。
日本食塩製造事件(昭和50年4月25日最二小判、労判227号32頁)をはじめ数多くの労働紛争事件を手がける。
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
YAHOO JAPAN ニュース 倉重公太朗 | 労働法専門弁護士 5/14(火)6:00
ご参考URL= https://news.yahoo.co.jp/byline/kurashigekotaro/20190514-00125662/
84歳現役弁護士に聞く「生涯現役のススメ」中編
倉重:50~60年前の労働事件は主なテーマが労働組合による集団的労使関係が中心であるなかで、先生は弁護士人生を歩んで来られましたよね。
一方で、今でも労働組合の組織率が非常に下がったり、存在意義が低下しつつある最中ではありますが、とは言えこれからの時代、一人一人がどう働くかというのはかなり差異が出て来ると思います。
つまり、一人一人の価値観が違っている、昔のように集団で1つの価値観でまとまってというのではないがゆえに、やはり1人で会社と交渉することではなく、やはり労働者を代表する組織としての労働組合、これはまた新たな時代の役割があるのではないかと、個人的には思いますが、これはいかがですか。
森田:そこで面白い話が1つあって、実は中国の労働事情を調べに行ったことが2回あります。1998年でしたか、2回目行ったときに中国にも労働組合があります。労働組合の役割ですが、共産主義体制の中でどういう役割を果たすのかが大きな疑問としてありました。尋ねたところ、結局労働組合は社員の苦情処理機関であると。そういう意味では苦情処理の問題というのが、やはりこれから日本でも大きな問題になるのではないかとずっと思っていました。
倉重:なるほど。そういった不満をまず内部で自浄作用という形で吸収できるかは大きいですね。
森田:ハラスメントなどは自浄作用がなかなか働きにくい場なので、第三者の関与が多くなりつつありますが、自浄作用というのは絶対に必要であり、管理職のお役目というのは、自分の部下たちの苦情をどう処理できるか、それをもう少し組織化してもいいのではないか、だからそういう意味では人事部・労務部の役割というのも苦情処理問題が重要です。ハラスメントについては、どの様に解決できるかが問われることになり、組合の存在も重要です。
倉重:やはり昔ながらの労働組合の在り方というのと、今の在り方がどうかと考えるときに、先生の時代は集団的労使関係の紛争が多かったと、つまり集団で会社と戦うという意識を持っている組合員が多かったのではないかと思います。そこで現代はどうかと考えとると、戦って、先ほどの経営権を握ったら実際につぶれてしまったりするわけですから、倒してどうするという話で、雇用を守るという共通の目的がやはりあるはずです。そういう意味では本当の意味での労使協調といいますか、もちろん提案するべきところはするし、不満を聞いてぶつけたりはしますけれども、では目指すゴールはより働きやすい職場、働きやすい職場ややりがいのある職場のためには、きちんと人件費も払われる職場である。そうすると会社の売上を上げなければなりません。そういう目的は共通化しているわけなので、あたかも検察官と弁護士のように、真実の発見に向かって違う立場からものを言い合うことにより真実に到達するというのが刑事司法の考え方ですよね。それと同じことで、同じ方向を向いて、同じゴールを目指して、でも立場は違う。こういう関係性かなと現代的には私は思っています。
森田:組合の役割というのが昔のように戦う組合、労働者を保護するために戦ってきた人たちが妙に理解を示してしまい、戦わない組合になったときに、では労働組合はどうあるべきかということを今の組合の人たちが十分考えているのかというのは大変疑問です。だから組織率が低下するのは私から見ると当たり前ではないか、組合費のただ取りということを組合員からよく言われますが、労働組合がこの時代にどのような役割を果たすべきなのか、もっと真剣に考えなければいけない時代に来ていると思います。
倉重:そうですね。思考停止とは言いませんが、やはりそのベア一律何%、幾らや、これは違いますと、どうしても思ってしまいます。
森田:そう思います。組合こそ、今改革が必要なのではないですかということ、問いです。
倉重:さすがです。これはもう先生しか言えないので。
森田:はい。
倉重:では少しまた話題を変えまして、先生の世代と言ったら失礼ですが、やはり定年後再雇用というのはすごく増えてきていますが、先生はもっと若いですね。今ちょうど60歳定年。昔は55歳定年、先生が弁護士になられたころは55歳でしょう。
森田:55歳です。
倉重:そこから60歳定年になり、そして今は65歳再雇用義務になっていて、さらに今後これが70歳に延長されるかもしれないという報道も出ていましたし、さらに場合によっては厚労省も生涯現役社会と、つまりそれは定年を違法にするということかというような少し怖い検討などもしたりするわけですけれども。少なくとも65から70になるという方向性はある程度はなってくるのだろうと。これが高齢化の人数が増えていくとやはりある程度就労していただいたほうが国としてはいいだろうということは間違いない。そこがどこまで義務付けられるかという問題はありますが、そういうときに60歳を過ぎて働くということに関しては、先生はどのように思われていますか。
森田:僕らが最初に定年延長の問題が出て来たときに思ったのは、その義務化ということが本当に正しいのかという疑問です。はっきり言うと60歳になったら労働力の新しい労働市場と考えて、好きな人を好きなように採用するということがあっていいと、実は思っていました。義務化をした結果、結局は賃金を下げて、会社としては、辞めてもらいたい人も渋々雇用しなければいけない。
あまりキャリアアップしなかった人たちにとっては嫌々働く、それは決して幸せではないのではないかと思いました。私が若いころ、ある著明な会社が採用年齢を60歳以上と定めました。日本で初めてではないでしょうか。
倉重:採用年齢をですか。
森田:そうです。採用年齢を60歳と定めて、60歳以下の人は採用しないと。
倉重:どういうことですか。
森田:つまり、その会社で60歳になるには、それ相当の経験をしてきたはずだ、その経験を有効に活用しないのは、自分たちがきちんと対面していなかった結果ではないか、だとしたら広く特定の分野の世界で、きちんとキャリアアップしてきた人たちを積極的に雇用しようではないかと考え、この会社はそういう定めを30年前につくりました。その会社と私は関わったものですから、若い人たちがその経験を積んだ外から来た人たちに敬意を持って、自分たちと一緒に働く仲間だと意識して働いていることが非常に新鮮に映りました。
倉重:それは理想的ですね。
森田:そういう意味で、今のように義務化をして、悪い言い方をすると、とても採用できない人たちを法律の規定に従って嫌々雇用する。働くほうも、他に行く場所がないからというような話は双方にとって幸せではないのではないかと思います。
倉重:そうですね。正直言って先生がつくられたこの解雇権濫用法理がやはり厳し過ぎるものですから、解雇したいけれどもぎりぎり解雇できない人というゾーンがいて、そういう人は正直言って、定年まで指折り数えて、もうすぐこの人は定年だと待っていたりするケースが実際にあるわけですが、しかし定年になって、また再雇用だということになって、しかもこれが5年だったのが10年などとなると、これは一体どうしたらいいのだと、それはお互いによくないですね。
森田:そういう意味では、日本では事実が先行する前に法律が先行してしまった結果、本当に働きたい人たち、能力のある人たちをどのように生かすかという方向で、もう少し考えていいのではないかと思います。私の顧問先に病院があります。そこで30人ぐらいお預かりしているホスピスの看護師の職場では、上は83歳、80代の人が3人ぐらいいました。要はホスピスの末期がんの人たちのお世話には若い人たちではとても共通の認識を持てません。だから自分たちと同じ世代の人が看護をしてくれるということが患者にとってはものすごくうれしい、そのように80を過ぎても働ける職場がある。そのように何かもう少し今の日本の社会、老人化していく社会の中で、定年後の雇用の問題について考えると、もう少し視点を変えて考えてもいいのではないかというのが私たちの経験則が教えるところです。
倉重:なるほど。やはり60歳を過ぎた後、嫌々、あるいは義務感として生活のため仕方なく働くには10年間となると少し長過ぎますよね。
森田:むしろ労働者にとって気の毒ではないか、賃金もらうために嫌々働くって、これつらいよね、というのが僕ら老人の嘆きです。
倉重:でも先生のお友達などをご覧になっていて、この60、70を過ぎて、楽しく働いている人とそうでない人がいると思いますが、先生から見てどのような違いがあると感じられますか。
森田:やはり大企業の経営者の経験を積んだ人たちは、それなりの人生の過ごし方があると思いますが、一般的なサラリーマンで65歳で終えてしまった人たち、それからもう20年近くたっている中で、結局は体力・気力・知力もみんな落ちています。しかし個人差があって、もっと活用してよいのではないか、どうして若い人たちが老人を支えているなどということを言わせているのかなということをやはり思います。
倉重:と言いますと?
森田:つまり働ける能力のある人というのは、やはり知力・気力・体力と3つが必要だと思いますが、60歳を過ぎると個体差が非常にはっきり出てきます。
倉重:かなり出てきますね。70を超えたらなおさらでしょうね。
森田:だからそうなると、やはりセレクトしていかざるを得ないのではないか。それは個人の場合もそうですし、組織から見てもそうです。それを法律で一律に縛るなどと考えるから、弱者救済もいいけれど、それは双方にとって負担ではないかという感覚を持ちますね。
倉重:その60以降を楽しいシニアライフというものを送る上では先生は若いころ、40代、50代のころから意識されてきたことがありますか?
森田:やはり趣味を持たなければ駄目だと思います。仕事は命がけでやると短命に終わりかねない、趣味はどんなに死力を尽くしても、これは自分が好きでやっているのだから、その趣味で死ぬことはないということです。
倉重:なるほど。幾ら何時間やっても、睡眠時間を削ってやっても好きでやっていることだと。
森田:どんなにやってもストレスになることはないし、だから趣味を持って、それは何でもいいのではないか、私は人に言うだけでなく、自分でやろうというようにしています。 (後編に続く)
森田 武男 弁護士
東京都世田谷区出身早稲田大学法学部卒、神戸地方裁判所にて司法修習
1964年 馬場東作法律事務所
1990年 森田綜合法律事務所
2018年10月 倉重・近衞・森田法律事務所
第一東京弁護士会 経営法曹会議会員 日本山岳会会員
弁護士登録以来、一貫して経営者側弁護士として経験を重ねる。
日本食塩製造事件(昭和50年4月25日最二小判、労判227号32頁)をはじめ数多くの労働紛争事件を手がける。
84歳森田弁護士/生涯現役のススメ①
2019年5月13日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
YAHOO JAPAN ニュース 倉重公太朗 | 労働法専門弁護士 5/13(月) 6:00
ご参考URL= https://news.yahoo.co.jp/byline/kurashigekotaro/20190513-00125656/
84歳現役弁護士に聞く「生涯現役のススメ」前編
倉重:倉重公太朗の「労働法の正義を考えよう」という連載を「Yahoo!ニュース個人」というところでやっていまして、先生はYahoo!というサイトは見たことがありますか?
森田:残念ながらありません。
倉重:そうなんですね(笑)。先生はパソコンを使わずに仕事をされていますからね。
さて、今日のゲストは身内なのですが、倉重・近衞・森田法律事務所のパートナー弁護士であります、森田先生の自己紹介からお願いしたいと思います。
森田:私が弁護士になったのは昭和30年代です。
倉重:何年前ですか。
森田:おっつけ60年前です。
倉重:60年前、すごいですね。現在84歳ですね。
森田:はい。
倉重:いまだにと言ったら失礼ですけれども、毎日事務所にいらっしゃって、お仕事をされているというのは私も生で見ていますが、まさに生涯現役を体現する方です。
森田:なぜ生涯現役かですが、要は100歳時代をどのように生きるかということを自ら体現しようという願いが根本的なところにあります。
倉重:それはいつごろから思っているのですか。
森田:私が生涯現役でと考えたのは、事務所を独立したのが50歳のときでした。
倉重:50歳のころ、34年前ということですね。
森田:そうです。そのころから弁護士はどういう職業なのだろうということを考えていました。今まで勤務していて、ボスの陰で仕事をやっていたことから独立してやってみると、今度は自分で経営者にならなければいけない、そうなると結局は気力と体力というのが決め手になると考えたので、そのころから生涯現役を自ら表号しています。
倉重:全くお元気で、足取りも軽やかじゃないですか。裁判所で東京地裁などへ行かれるときも、十何階まで階段で行ってしまいますよね。
森田:はい。昔は5階くらいしかありませんでしたから、当たり前のこととして裁判所の階段はエレベーターを使わずに上がっていましたし、弁護士会の階段も左右に往復階段があって、私が所属する第一弁護士会は11階なので、少し込んでいるとエレベーターを使わずに歩くということを心がけています。
倉重:第一東京弁護士会は11階から13階ですから、そこまで歩いて行かれるというのはなかなか若い人でもやらないことかと思います。
森田:いや、ほとんどやらないでしょう。階段があることすら知らないのではないでしょうか。
倉重:そうですね。また、先生は趣味にもかなり精力的です。山岳写真がご趣味ですよね。
森田:それも先ほど言った生涯現役を通そうと考えたときに、子ども時代に山登りをやっていた、それと写真を結び付けて、山や花の写真を撮って、ある時期からプライベートなカレンダーを作っています。依頼者に3、40日留守をする言い訳に、そのカレンダーをお配りするということを1999年から20年間続けています。
倉重:今でも山に登られていますよね。
森田:はい。6,000メートル級の山はヒマラヤ・アンデスなどにしかありませんが、そこには4回登りました。
倉重:すごいですね。他にも趣味という意味ではオーディオもかなりお好きですよね?
森田:そうですね。結局私はお酒が飲めないので、ストレスをどのように発散するかということをいろいろ考えて音楽を選びました。ただし、頻繁に音楽会に行くわけにいきませんし、またいい音楽会も限られています。それでレコードは裏切りませんから、いい状況でとったレコードというのは結局自宅に演奏家をお招きしてという感じで聞くことができます。だからレコードがいつの間にか数千枚になってしまいました。
倉重:数千枚ですか。クラシックだけを聴かれるわけではありませんよね。
森田:はじめはクラシックでしたが、途中からジャズも聴くようになったし、ここ数年はクラシックを聴いていると時々落ち込んだりします。
倉重:眠くなってしまったりとか。
森田:そうです。それでロックを聴くようになりました。
倉重:ロックですよ、80を過ぎてなおロック、これがいいですね。
森田:80近くなってからロックを聴き始めました。
倉重:なるほど。ついにはオーディオのためにマイ電柱まで立てられて、これはどういうことですか。
森田:マイ電柱というのは、レコードやCDを聴くためには電源がどうしても必要になります。電源というのはコンピューターや電話機、冷蔵庫の音が雑音として逆流してしまいます。雑音を切り離すにはどうするか、発電所から6,000ボルトの高圧で送電され、これを家庭で使う100・200ボルトに下げるにはトランスが必要となります。しかし、1個のトランスでだいたい十数件の家庭に振り分けています。そうすると環流してくるので、私の所だけの専用のトランスを設けて配電してもらっています。それがマイ電柱です。
倉重:他からの干渉を避けてということですね。
森田:そのようなことをやっている人は全国に何人もいないかもしれません。
倉重:要するに森田先生専用のおうちの電柱があって、それがオーディオだけに使われているということですね。
森田:はい。他の人とは共用しないということです。
倉重:こういうマイ電柱を持たれているパワフルな森田先生ですが、一緒に事務所をさせていただいていて、そして労働事件を主に取り扱っていらっしゃいますが、これまでの弁護士歴50~60年の中で、50年以上前ですと今と法律的なルールなども、要するに解雇権濫用法理や不利益変更法理などは、まだ積み重なっていないときの話だと思いますので、そういう思い出深い事件の話や昔の話などをあえてしていただければと思います。
森田:最近は組織対個人という争いが多くなっていますが、僕らの世代が扱った事件は組織対組織、会社対労働組合という事件が圧倒的に多かったです。
倉重:集団的労使関係が中心だったということですね。
森田:そうです。特に全国金属という組合と戦うことが結構多くありました。今でも相手方の弁護士とお付き合いしていますが、組織対組織ということになると、結局は今よりも弁護士の力量が問われることになります。そういう意味では思い出深い事件というと、解雇権濫用の問題、ユニオン・ショップの問題もありました。一番思い出に残っている事案は、組合に会社を売り渡した事案です。売り渡したとは、どのような形を取ったかというと、2つ事件があって、1つはある大手企業の孫会社で組合問題が深刻化などの理由から、会社は経営に行き詰っていました。地方労働委員会を含めて10件や15件という事件になってしまい、一向に解決しません。そこで弁護士を抜きにして組合のトップと話し合って、それでは退職金を全て払う代わりに、会社の株式を買い取りなさいという形で組合に会社の経営権を譲り渡しました。でも結果的には3年持ちませんでした。
倉重:つぶれてしまいましたか。
森田:つぶれました。もう1件は設計事務所です。バックに全国的に有名な暴力団組織があって、その支配下にある組合でしたが、組合員は全員退職して、組合が新しく会社を設立する、株式を取得するのは組合員が退職金を積み立てて行うという形、こちらも結果的には2年持ちませんでした。
後日聞いた組合員の率直な意見は、やはり会社の経営は、外から見ているのとは全く違って大変難しいものだというのがよく分かりましたと。
森田:これは今でも真理ですよね。
倉重:はい、真理です。人を使うというのと使われるというのは全く違うということを、やはり組合の幹部の人たちはその当時は理解していませんでした。
倉重:そういう組合の方も経営目線に立って、別に経営に迎合しろと言っているのではなくて、本当に経営するとしたらどうするのか、要するに賃金、原資も限られているわけですし、いろいろな外的事情もあって、予算を稼ごうと思っても稼げないときもあります。将来も不安であると、あるいは投資しなければいけないなど、いろいろなことを考えると、そう簡単にベアや賞与何カ月分を大盤振る舞いするなどはできないという時に説得力は持ってきますね。
森田:そういう意味では、組合員から漏れ聞いたところによると、先生が経営に関与していたころに比べて、相当ひどい労働環境に置かれていると言っていました。
倉重:そうですか。
森田:どこに圧縮がいくかというと結局は人件費です。
倉重:そういうことですよね。
森田:そういう意味で、先生が関わられていたころのほうがよかったということを言っているのは笑い話ですね。
倉重:いざやってみると難しいということですね。あともう一個、思い出深いと言えば、この労働法の分野では極めて有名な日本食塩製造事件、これは先生がご担当されましたよね。
森田:はい。あの事件も実は私自身は、上告趣意書を書く段階で関わったのですが、個人対企業ではなくて組織対組織という事案の中で、1人の労働者の雇用を確保できないとなったときにどう考えるかというのは、解雇に理由がある程度ある以上、やはり金銭解決ということで新しい仕事を見つけるほうが彼にとって幸いではないかと、今はそう思います。
倉重:まさに日本食塩製造事件と言えば、現在もなお労働契約法16条として残っている解雇権濫用法理の先駆けであり、リーディングケースとして、どのような教科書にも書いてありますけれども、まさかそれをつくった方と今一緒に仕事をしているとは思いもしませんでした。
まさに今このように時代が移り変わろうとして働き方改革だ、そして解雇規制に関しては今後どうしようかと厚労省で、金銭解決の検討会なども行っているように、60年たって時代が大きく変革している最中ですよね。
森田:そう、今ですね。
倉重:先生の目から見て、今の働き方改革ということはどのように見えるのかを少しお伺いしたいと思います。
森田:働き方改革という中で、労働時間問題が中心に論じられていますけれども、働き方改革であって働かせ方改革ではないと。従って改革は官庁指導になっているように見えますが、本質的には労働者が主体になって、将来自分たちはどうあるべきかということを考えようというのが本質部分だと思っています。その本質的な部分で言うと、私たちが弁護士になったころは、時間外労働というのは権利だと考えていました。
倉重:そういう人は多かったですか。今でもたまにそういう主張を見ますけれども。
森田:圧倒的に多くて、なぜ労働時間を制限するのかということ、それで差別扱いということもよく主張されました。だから今のように考えることが本当にいいのかどうか、ただし健康問題が表に出て来てしまう以上、労働時間というのは制限すべきだということになると、やはり複業問題、複業というのも、また労働時間規制が働くというようなことを言っていますが、そうではなくて複業ということは、やはりキャリアアップ、それから労働市場が昔のように終身雇用ではなくなった時代に、自らどう生きていくかということを考えなければいけないのではないかと思うと、官庁指導や法律が前にあってというのでなくて、改革は改革として自分たちの将来を自ら考えなければいけないのではないかというのが僕らの古いタイプの弁護士の意見です。
倉重:まさに法律を守ることが企業の目的でもなければ、各労働者の人生の目的でもないので、法律を守るのはあくまでも最低限のルールとして、その上でどう働くか、どう生きていくかという話ですよね。
倉重:また4月以降労働時間の上限規制も始まり、管理職の方もすごく大変になりますね。
森田:僕らの乏しい経験で言いますと、日本の会社を支えてきたのは経営者ではなくて、中間管理職である課長職であるとずっと考えていました。ある時ひょっと気が付いたことを申し上げると、管理職は労基法41条該当者と誰が一番初めに言い出したのでしょう。それからもう一つ、課長職になったら資格を失うと、この制度を考えた人は、日本の戦後の労働改革の中では最大の功労者ではないのかと思っているぐらいです。
倉重:なるほど。そういった意味でも、今でも恐らく現場の管理職の方というのは負荷が非常に高まっていて、やはり部下に残業をさせられないから、自分がその分を引き受けている方も多い、この方が健康を害しては何の意味もありませんからね。
森田:そうですね。そういう意味では、むしろ中間管理職である課長職の残業規制をしてもいいぐらいだというように冗談には思っています。 (中編に続く)
森田 武男 弁護士
東京都世田谷区出身早稲田大学法学部卒、神戸地方裁判所にて司法修習
1964年 馬場東作法律事務所
1990年 森田綜合法律事務所
2018年10月 倉重・近衞・森田法律事務所
第一東京弁護士会 経営法曹会議会員 日本山岳会会員
弁護士登録以来、一貫して経営者側弁護士として経験を重ねる。
日本食塩製造事件(昭和50年4月25日最二小判、労判227号32頁)をはじめ数多くの労働紛争事件を手がける。
倉重公太朗 :労働法専門弁護士
慶應義塾大学経済学部卒業後司法試験合格、オリック東京法律事務所、安西法律事務所を経て2018年10月~倉重・近衞・森田法律事務所 第一東京弁護士会労働法制委員会外国法部会副部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)執行役員 経営者側労働法専門弁護士。労働審判等労働紛争案件対応、団体交渉(組合・労働委員会対応)、労災対応(行政・被災者対応)を得意分野とし、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。東洋経済オンラインで「検証!ニッポンの労働」を連載中。https://kkmlaw.jp/
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
YAHOO JAPAN ニュース 倉重公太朗 | 労働法専門弁護士 5/13(月) 6:00
ご参考URL= https://news.yahoo.co.jp/byline/kurashigekotaro/20190513-00125656/
84歳現役弁護士に聞く「生涯現役のススメ」前編
倉重:倉重公太朗の「労働法の正義を考えよう」という連載を「Yahoo!ニュース個人」というところでやっていまして、先生はYahoo!というサイトは見たことがありますか?
森田:残念ながらありません。
倉重:そうなんですね(笑)。先生はパソコンを使わずに仕事をされていますからね。
さて、今日のゲストは身内なのですが、倉重・近衞・森田法律事務所のパートナー弁護士であります、森田先生の自己紹介からお願いしたいと思います。
森田:私が弁護士になったのは昭和30年代です。
倉重:何年前ですか。
森田:おっつけ60年前です。
倉重:60年前、すごいですね。現在84歳ですね。
森田:はい。
倉重:いまだにと言ったら失礼ですけれども、毎日事務所にいらっしゃって、お仕事をされているというのは私も生で見ていますが、まさに生涯現役を体現する方です。
森田:なぜ生涯現役かですが、要は100歳時代をどのように生きるかということを自ら体現しようという願いが根本的なところにあります。
倉重:それはいつごろから思っているのですか。
森田:私が生涯現役でと考えたのは、事務所を独立したのが50歳のときでした。
倉重:50歳のころ、34年前ということですね。
森田:そうです。そのころから弁護士はどういう職業なのだろうということを考えていました。今まで勤務していて、ボスの陰で仕事をやっていたことから独立してやってみると、今度は自分で経営者にならなければいけない、そうなると結局は気力と体力というのが決め手になると考えたので、そのころから生涯現役を自ら表号しています。
倉重:全くお元気で、足取りも軽やかじゃないですか。裁判所で東京地裁などへ行かれるときも、十何階まで階段で行ってしまいますよね。
森田:はい。昔は5階くらいしかありませんでしたから、当たり前のこととして裁判所の階段はエレベーターを使わずに上がっていましたし、弁護士会の階段も左右に往復階段があって、私が所属する第一弁護士会は11階なので、少し込んでいるとエレベーターを使わずに歩くということを心がけています。
倉重:第一東京弁護士会は11階から13階ですから、そこまで歩いて行かれるというのはなかなか若い人でもやらないことかと思います。
森田:いや、ほとんどやらないでしょう。階段があることすら知らないのではないでしょうか。
倉重:そうですね。また、先生は趣味にもかなり精力的です。山岳写真がご趣味ですよね。
森田:それも先ほど言った生涯現役を通そうと考えたときに、子ども時代に山登りをやっていた、それと写真を結び付けて、山や花の写真を撮って、ある時期からプライベートなカレンダーを作っています。依頼者に3、40日留守をする言い訳に、そのカレンダーをお配りするということを1999年から20年間続けています。
倉重:今でも山に登られていますよね。
森田:はい。6,000メートル級の山はヒマラヤ・アンデスなどにしかありませんが、そこには4回登りました。
倉重:すごいですね。他にも趣味という意味ではオーディオもかなりお好きですよね?
森田:そうですね。結局私はお酒が飲めないので、ストレスをどのように発散するかということをいろいろ考えて音楽を選びました。ただし、頻繁に音楽会に行くわけにいきませんし、またいい音楽会も限られています。それでレコードは裏切りませんから、いい状況でとったレコードというのは結局自宅に演奏家をお招きしてという感じで聞くことができます。だからレコードがいつの間にか数千枚になってしまいました。
倉重:数千枚ですか。クラシックだけを聴かれるわけではありませんよね。
森田:はじめはクラシックでしたが、途中からジャズも聴くようになったし、ここ数年はクラシックを聴いていると時々落ち込んだりします。
倉重:眠くなってしまったりとか。
森田:そうです。それでロックを聴くようになりました。
倉重:ロックですよ、80を過ぎてなおロック、これがいいですね。
森田:80近くなってからロックを聴き始めました。
倉重:なるほど。ついにはオーディオのためにマイ電柱まで立てられて、これはどういうことですか。
森田:マイ電柱というのは、レコードやCDを聴くためには電源がどうしても必要になります。電源というのはコンピューターや電話機、冷蔵庫の音が雑音として逆流してしまいます。雑音を切り離すにはどうするか、発電所から6,000ボルトの高圧で送電され、これを家庭で使う100・200ボルトに下げるにはトランスが必要となります。しかし、1個のトランスでだいたい十数件の家庭に振り分けています。そうすると環流してくるので、私の所だけの専用のトランスを設けて配電してもらっています。それがマイ電柱です。
倉重:他からの干渉を避けてということですね。
森田:そのようなことをやっている人は全国に何人もいないかもしれません。
倉重:要するに森田先生専用のおうちの電柱があって、それがオーディオだけに使われているということですね。
森田:はい。他の人とは共用しないということです。
倉重:こういうマイ電柱を持たれているパワフルな森田先生ですが、一緒に事務所をさせていただいていて、そして労働事件を主に取り扱っていらっしゃいますが、これまでの弁護士歴50~60年の中で、50年以上前ですと今と法律的なルールなども、要するに解雇権濫用法理や不利益変更法理などは、まだ積み重なっていないときの話だと思いますので、そういう思い出深い事件の話や昔の話などをあえてしていただければと思います。
森田:最近は組織対個人という争いが多くなっていますが、僕らの世代が扱った事件は組織対組織、会社対労働組合という事件が圧倒的に多かったです。
倉重:集団的労使関係が中心だったということですね。
森田:そうです。特に全国金属という組合と戦うことが結構多くありました。今でも相手方の弁護士とお付き合いしていますが、組織対組織ということになると、結局は今よりも弁護士の力量が問われることになります。そういう意味では思い出深い事件というと、解雇権濫用の問題、ユニオン・ショップの問題もありました。一番思い出に残っている事案は、組合に会社を売り渡した事案です。売り渡したとは、どのような形を取ったかというと、2つ事件があって、1つはある大手企業の孫会社で組合問題が深刻化などの理由から、会社は経営に行き詰っていました。地方労働委員会を含めて10件や15件という事件になってしまい、一向に解決しません。そこで弁護士を抜きにして組合のトップと話し合って、それでは退職金を全て払う代わりに、会社の株式を買い取りなさいという形で組合に会社の経営権を譲り渡しました。でも結果的には3年持ちませんでした。
倉重:つぶれてしまいましたか。
森田:つぶれました。もう1件は設計事務所です。バックに全国的に有名な暴力団組織があって、その支配下にある組合でしたが、組合員は全員退職して、組合が新しく会社を設立する、株式を取得するのは組合員が退職金を積み立てて行うという形、こちらも結果的には2年持ちませんでした。
後日聞いた組合員の率直な意見は、やはり会社の経営は、外から見ているのとは全く違って大変難しいものだというのがよく分かりましたと。
森田:これは今でも真理ですよね。
倉重:はい、真理です。人を使うというのと使われるというのは全く違うということを、やはり組合の幹部の人たちはその当時は理解していませんでした。
倉重:そういう組合の方も経営目線に立って、別に経営に迎合しろと言っているのではなくて、本当に経営するとしたらどうするのか、要するに賃金、原資も限られているわけですし、いろいろな外的事情もあって、予算を稼ごうと思っても稼げないときもあります。将来も不安であると、あるいは投資しなければいけないなど、いろいろなことを考えると、そう簡単にベアや賞与何カ月分を大盤振る舞いするなどはできないという時に説得力は持ってきますね。
森田:そういう意味では、組合員から漏れ聞いたところによると、先生が経営に関与していたころに比べて、相当ひどい労働環境に置かれていると言っていました。
倉重:そうですか。
森田:どこに圧縮がいくかというと結局は人件費です。
倉重:そういうことですよね。
森田:そういう意味で、先生が関わられていたころのほうがよかったということを言っているのは笑い話ですね。
倉重:いざやってみると難しいということですね。あともう一個、思い出深いと言えば、この労働法の分野では極めて有名な日本食塩製造事件、これは先生がご担当されましたよね。
森田:はい。あの事件も実は私自身は、上告趣意書を書く段階で関わったのですが、個人対企業ではなくて組織対組織という事案の中で、1人の労働者の雇用を確保できないとなったときにどう考えるかというのは、解雇に理由がある程度ある以上、やはり金銭解決ということで新しい仕事を見つけるほうが彼にとって幸いではないかと、今はそう思います。
倉重:まさに日本食塩製造事件と言えば、現在もなお労働契約法16条として残っている解雇権濫用法理の先駆けであり、リーディングケースとして、どのような教科書にも書いてありますけれども、まさかそれをつくった方と今一緒に仕事をしているとは思いもしませんでした。
まさに今このように時代が移り変わろうとして働き方改革だ、そして解雇規制に関しては今後どうしようかと厚労省で、金銭解決の検討会なども行っているように、60年たって時代が大きく変革している最中ですよね。
森田:そう、今ですね。
倉重:先生の目から見て、今の働き方改革ということはどのように見えるのかを少しお伺いしたいと思います。
森田:働き方改革という中で、労働時間問題が中心に論じられていますけれども、働き方改革であって働かせ方改革ではないと。従って改革は官庁指導になっているように見えますが、本質的には労働者が主体になって、将来自分たちはどうあるべきかということを考えようというのが本質部分だと思っています。その本質的な部分で言うと、私たちが弁護士になったころは、時間外労働というのは権利だと考えていました。
倉重:そういう人は多かったですか。今でもたまにそういう主張を見ますけれども。
森田:圧倒的に多くて、なぜ労働時間を制限するのかということ、それで差別扱いということもよく主張されました。だから今のように考えることが本当にいいのかどうか、ただし健康問題が表に出て来てしまう以上、労働時間というのは制限すべきだということになると、やはり複業問題、複業というのも、また労働時間規制が働くというようなことを言っていますが、そうではなくて複業ということは、やはりキャリアアップ、それから労働市場が昔のように終身雇用ではなくなった時代に、自らどう生きていくかということを考えなければいけないのではないかと思うと、官庁指導や法律が前にあってというのでなくて、改革は改革として自分たちの将来を自ら考えなければいけないのではないかというのが僕らの古いタイプの弁護士の意見です。
倉重:まさに法律を守ることが企業の目的でもなければ、各労働者の人生の目的でもないので、法律を守るのはあくまでも最低限のルールとして、その上でどう働くか、どう生きていくかという話ですよね。
倉重:また4月以降労働時間の上限規制も始まり、管理職の方もすごく大変になりますね。
森田:僕らの乏しい経験で言いますと、日本の会社を支えてきたのは経営者ではなくて、中間管理職である課長職であるとずっと考えていました。ある時ひょっと気が付いたことを申し上げると、管理職は労基法41条該当者と誰が一番初めに言い出したのでしょう。それからもう一つ、課長職になったら資格を失うと、この制度を考えた人は、日本の戦後の労働改革の中では最大の功労者ではないのかと思っているぐらいです。
倉重:なるほど。そういった意味でも、今でも恐らく現場の管理職の方というのは負荷が非常に高まっていて、やはり部下に残業をさせられないから、自分がその分を引き受けている方も多い、この方が健康を害しては何の意味もありませんからね。
森田:そうですね。そういう意味では、むしろ中間管理職である課長職の残業規制をしてもいいぐらいだというように冗談には思っています。 (中編に続く)
森田 武男 弁護士
東京都世田谷区出身早稲田大学法学部卒、神戸地方裁判所にて司法修習
1964年 馬場東作法律事務所
1990年 森田綜合法律事務所
2018年10月 倉重・近衞・森田法律事務所
第一東京弁護士会 経営法曹会議会員 日本山岳会会員
弁護士登録以来、一貫して経営者側弁護士として経験を重ねる。
日本食塩製造事件(昭和50年4月25日最二小判、労判227号32頁)をはじめ数多くの労働紛争事件を手がける。
倉重公太朗 :労働法専門弁護士
慶應義塾大学経済学部卒業後司法試験合格、オリック東京法律事務所、安西法律事務所を経て2018年10月~倉重・近衞・森田法律事務所 第一東京弁護士会労働法制委員会外国法部会副部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)執行役員 経営者側労働法専門弁護士。労働審判等労働紛争案件対応、団体交渉(組合・労働委員会対応)、労災対応(行政・被災者対応)を得意分野とし、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。東洋経済オンラインで「検証!ニッポンの労働」を連載中。https://kkmlaw.jp/
85歳生涯現役球児:吉松整形外科医
2019年5月12日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
読売新聞 Online ニュース 2019.05.11 03:30
転URL=https://www.yomiuri.co.jp/local/nagano/news/20190511-OYTNT50064/
85歳「球児」生涯現役 寿野球 県内最高齢で全国大会
12日に千曲市と坂城町で開催される「第44回寿野球全国大会」に、「東京ドクターズ」(千曲市)の整形外科医、吉松俊一さん(85)が県内最高齢選手として出場する。40歳以上の選手が全国から集まる「寿野球」の創始者でもある吉松さんは、年齢による衰えを感じさせないプレーで「生涯現役」を貫く。
大会を目前に控えた9日、練習に訪れた千曲川河川敷のグラウンドに立った吉松さん。絶妙な制球力で打撃投手を務めたかと思えば、バットを握ると軽々と打球を外野まで運ぶ。仲間から「野球妖怪」と呼ばれるゆえんだ。
学生時代は医学を学ぶ傍ら、暇さえあれば白球を追う根っからの球児。整形外科医として病院に勤務するようになってからも、プロ野球球団のチームドクターを引き受け、選手の体づくりを指導したり、けがの治療を行ったりした。
約45年前、野球を通じて高齢者の健康増進を図りたいと、病院のある千曲市で寿野球を提案した。1976年に行われた第1回大会は県内の3チームだけだったが、全国の体育協会などに働きかけ、最大88チームが参加する全国規模の大会へと成長させた。今回は57チーム約1600人が参加する。
始めた頃は「高齢ゆえの事故が起きたらどうしようと心配だった」という。1投手の投球回数を3イニングまでとするなど、参加者の体力に細心の注意を払って運営してきた。
グラウンドでは野球少年のような姿を見せる一方、今でも週3~4日、病院へ通う。原動力は「治療後の患者の笑顔が見たい」との一心だ。練習中も携帯電話をポケットに忍ばせ、いつでも患者の元に駆けつけられるようにしている。
病院でもグラウンドでも現役の85歳に、引退の選択肢はない。「診察中に倒れるか、グラウンドで倒れるか、どっちかだろうね」と冗談ぽく笑い、すぐにグラウンドに戻った。
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読売新聞 Online ニュース 2019.05.11 03:30
転URL=https://www.yomiuri.co.jp/local/nagano/news/20190511-OYTNT50064/
85歳「球児」生涯現役 寿野球 県内最高齢で全国大会
12日に千曲市と坂城町で開催される「第44回寿野球全国大会」に、「東京ドクターズ」(千曲市)の整形外科医、吉松俊一さん(85)が県内最高齢選手として出場する。40歳以上の選手が全国から集まる「寿野球」の創始者でもある吉松さんは、年齢による衰えを感じさせないプレーで「生涯現役」を貫く。
大会を目前に控えた9日、練習に訪れた千曲川河川敷のグラウンドに立った吉松さん。絶妙な制球力で打撃投手を務めたかと思えば、バットを握ると軽々と打球を外野まで運ぶ。仲間から「野球妖怪」と呼ばれるゆえんだ。
学生時代は医学を学ぶ傍ら、暇さえあれば白球を追う根っからの球児。整形外科医として病院に勤務するようになってからも、プロ野球球団のチームドクターを引き受け、選手の体づくりを指導したり、けがの治療を行ったりした。
約45年前、野球を通じて高齢者の健康増進を図りたいと、病院のある千曲市で寿野球を提案した。1976年に行われた第1回大会は県内の3チームだけだったが、全国の体育協会などに働きかけ、最大88チームが参加する全国規模の大会へと成長させた。今回は57チーム約1600人が参加する。
始めた頃は「高齢ゆえの事故が起きたらどうしようと心配だった」という。1投手の投球回数を3イニングまでとするなど、参加者の体力に細心の注意を払って運営してきた。
グラウンドでは野球少年のような姿を見せる一方、今でも週3~4日、病院へ通う。原動力は「治療後の患者の笑顔が見たい」との一心だ。練習中も携帯電話をポケットに忍ばせ、いつでも患者の元に駆けつけられるようにしている。
病院でもグラウンドでも現役の85歳に、引退の選択肢はない。「診察中に倒れるか、グラウンドで倒れるか、どっちかだろうね」と冗談ぽく笑い、すぐにグラウンドに戻った。
日経Deep Insight:人生100年時代のテンショク
2019年5月11日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
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All About:不幸な老後を招かないため
2019年5月10日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
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excite ニュースAll About >不幸な老後を招かないために 2019年5月9日 18:30
ご参考URL=https://www.excite.co.jp/news/article/Allabout_36712/
不幸な老後を招かないために・・・・
40代でやっておきたい5つ準備
40代は体力も気力も充実した働き盛り。老後のことを考えるのはまだまだ早いと考えている人が多いでしょう。でも、実は、不幸な老後を招くか招かないかは、40代からの準備にかかっていると言っても過言ではないのです。その準備とは? これだけは始めておきたい5つを紹介します。
■ 準備1:生涯現役、人の世話にならない心の準備をしておく
40代から、しておきたい心の準備(覚悟)があります。生涯現役で働くこと、人の世話にならないことです。
働くことについては、40代に限らず全年代に言えることですが、可能な限り長く、できれば生涯現役で働く覚悟を持ちましょう。人口減少・少子高齢化で働く人が減っているので、高齢者も働き手として社会を支えなければいけないからです。現在でもそうなのですから、40代が高齢者の域に入る20年・30年後は、働き手であることをもっと求められるはずです。
人の世話にならないとは、生涯、経済的・精神的・生活的に自立して、親(生きていれば)や子ども、兄弟姉妹など身内の世話にならないことです。配偶者やパートナーに世話になるのはよしとしましょう。覚悟をしていても、何らかの事情で働けなくなったり、人の手を借りないと生活ができなくなることがありますが、その場合は仕方ありません。
■ 準備2:キャリアプランを考えて準備をする
今の仕事が定年後も再雇用・再就職・独立して続けられる内容であればいいですが、そうではないなら、長く働き続けるためのキャリアプランを考えて、今からできる準備をしておきましょう。
例えば、年齢に関係なく続けられる資格を取る、技術を身につけるなどです。会社員は、教育訓練給付制度を利用すれば、資格取得にかかった費用の一部を、雇用保険が補助してくれます。取った資格は一生モノですから、利用できる人は積極的に利用しましょう。
■ 準備3:老後資金の準備をする
生涯、現役で働くのだから老後資金の準備はいらないと考えるかもしれません。ですが、60歳か65歳以降は働けても収入が減ることが多いため、公的年金で生活費が不足したときや傷病で働けなくなったとき、要介護になったときのお金を用意しておく必要があります。この準備がしっかりできないと、下流老人や過労老人と呼ばれる貧しい老後になってしまいます。
40代は積立期間が20年くらいあるので、個人型確定拠出年金(iDeCo)で積立投資をしましょう。また、少額投資非課税制度(NISA)で投資するのもアリです。国が用意している制度は節税メリットがありますから。この低金利では、お金の一部を投資に回してお金にも稼いでもらうことも考えないといけません。
■ 準備4:心身の健康を維持する
働き続ける体力・気力を保つには、心身ともに健康であることが欠かせません。40代から心身の健康を維持するための生活習慣を心がけましょう。当たり前すぎることですが、タバコを吸っている人はやめる、お酒はほどほどに飲む、大食いは控える、適度な運動をする、休養・睡眠をきちんと取る、趣味も楽しむなどです。実践するのはなかなか難しいことではありますが、実践する努力をしてください。
■ 準備5:良好な人間関係を築いておく
心の健康にも関係することですが、良好な人間関係を築いておくことも大切です。配偶者やパートナー、子ども、親、兄弟姉妹、仕事仲間との付き合いはもちろんですが、友人・知人・近隣の人との関係を作って絶やさないようにしましょう。高齢になってからだと新しい人間関係は作りにくいので、40代の今から心がけたいもの。孤立した孤独な老後は誰も望まないでしょうから。
ただ、ベタベタと付き合う必要はありません。適度な距離感を保った付き合いを。ストレスになるような付き合い方は、心身の健康を害するだけです。
以上の5つを並行して実践し(できることからでOK)、ハッピー老後を迎える準備をしましょう。
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
excite ニュースAll About >不幸な老後を招かないために 2019年5月9日 18:30
ご参考URL=https://www.excite.co.jp/news/article/Allabout_36712/
不幸な老後を招かないために・・・・
40代でやっておきたい5つ準備
40代は体力も気力も充実した働き盛り。老後のことを考えるのはまだまだ早いと考えている人が多いでしょう。でも、実は、不幸な老後を招くか招かないかは、40代からの準備にかかっていると言っても過言ではないのです。その準備とは? これだけは始めておきたい5つを紹介します。
■ 準備1:生涯現役、人の世話にならない心の準備をしておく
40代から、しておきたい心の準備(覚悟)があります。生涯現役で働くこと、人の世話にならないことです。
働くことについては、40代に限らず全年代に言えることですが、可能な限り長く、できれば生涯現役で働く覚悟を持ちましょう。人口減少・少子高齢化で働く人が減っているので、高齢者も働き手として社会を支えなければいけないからです。現在でもそうなのですから、40代が高齢者の域に入る20年・30年後は、働き手であることをもっと求められるはずです。
人の世話にならないとは、生涯、経済的・精神的・生活的に自立して、親(生きていれば)や子ども、兄弟姉妹など身内の世話にならないことです。配偶者やパートナーに世話になるのはよしとしましょう。覚悟をしていても、何らかの事情で働けなくなったり、人の手を借りないと生活ができなくなることがありますが、その場合は仕方ありません。
■ 準備2:キャリアプランを考えて準備をする
今の仕事が定年後も再雇用・再就職・独立して続けられる内容であればいいですが、そうではないなら、長く働き続けるためのキャリアプランを考えて、今からできる準備をしておきましょう。
例えば、年齢に関係なく続けられる資格を取る、技術を身につけるなどです。会社員は、教育訓練給付制度を利用すれば、資格取得にかかった費用の一部を、雇用保険が補助してくれます。取った資格は一生モノですから、利用できる人は積極的に利用しましょう。
■ 準備3:老後資金の準備をする
生涯、現役で働くのだから老後資金の準備はいらないと考えるかもしれません。ですが、60歳か65歳以降は働けても収入が減ることが多いため、公的年金で生活費が不足したときや傷病で働けなくなったとき、要介護になったときのお金を用意しておく必要があります。この準備がしっかりできないと、下流老人や過労老人と呼ばれる貧しい老後になってしまいます。
40代は積立期間が20年くらいあるので、個人型確定拠出年金(iDeCo)で積立投資をしましょう。また、少額投資非課税制度(NISA)で投資するのもアリです。国が用意している制度は節税メリットがありますから。この低金利では、お金の一部を投資に回してお金にも稼いでもらうことも考えないといけません。
■ 準備4:心身の健康を維持する
働き続ける体力・気力を保つには、心身ともに健康であることが欠かせません。40代から心身の健康を維持するための生活習慣を心がけましょう。当たり前すぎることですが、タバコを吸っている人はやめる、お酒はほどほどに飲む、大食いは控える、適度な運動をする、休養・睡眠をきちんと取る、趣味も楽しむなどです。実践するのはなかなか難しいことではありますが、実践する努力をしてください。
■ 準備5:良好な人間関係を築いておく
心の健康にも関係することですが、良好な人間関係を築いておくことも大切です。配偶者やパートナー、子ども、親、兄弟姉妹、仕事仲間との付き合いはもちろんですが、友人・知人・近隣の人との関係を作って絶やさないようにしましょう。高齢になってからだと新しい人間関係は作りにくいので、40代の今から心がけたいもの。孤立した孤独な老後は誰も望まないでしょうから。
ただ、ベタベタと付き合う必要はありません。適度な距離感を保った付き合いを。ストレスになるような付き合い方は、心身の健康を害するだけです。
以上の5つを並行して実践し(できることからでOK)、ハッピー老後を迎える準備をしましょう。
若大将・加山雄三「若さの秘訣」爆食い
2019年5月9日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
日刊大衆 芸能 2019.05.09 06:00
ご参考URL= https://taishu.jp/articles/-/65228?page=1
若大将・加山雄三「若さの秘訣」は爆食いとアレ ! ?
4月11日に82歳の誕生日を迎えた加山雄三。「誕生日前日と当日の2日間にわたり、『若大将FESTIVAL2019〜君にありがとう〜』を開催し、計1万人を動員。厚みのある体にピンと伸びた背筋、しっかりとした声量は、とても80歳を超えているとは思えません」(芸能記者)
まさに“永遠の若大将”。そんな加山のような、カクシャクとした高齢者になる鉄則を、前出の記者はこう明かす。
「新しいものに対するアンテナが20代並みなんです。『人生最高レストラン』(TBS系)出演時には、“健康の秘訣はゲーム”と答えていましたが、『バイオハザード』や『ファイナルファンタジー』シリーズが大好きで、ゲームの攻略法について23歳の宇賀神メグアナと意気投合していました」
18年に愛船『光進丸』が焼失した際は、ショックのあまり数日間、記憶が曖昧になったそうだが、「“天から、船で遊んでないで人のためになることをしろと言われた気持ち”と切り替え、その思いから、2015年夏に“卒業宣言”していたコンサートツアーを、今年6月から再開することにしたそうです。そうした前向きな考え方も若さの秘訣でしょう」(前同)
また、その若々しい肉体を維持する秘訣が“爆食い”。「加山さんは肉好きで有名ですが、400グラムの高級サーロインステーキを、朝から平らげるそうです」(音楽誌ライター)
長年、加山と仕事を共にした制作プロダクション「オフィスヘンミ」の中村和則社長も、こう振り返る。「一緒に仕事をしたのは10年ほど前でしたが、肉でも魚でも2〜3人前くらい、よく食べる方でしたよ。お酒はほとんど飲まないんですけどね」
それだけでは太りそうだが、当然、運動も怠らない。「11日のフェス前の取材では“気がついたときに筋トレをしている”と答えていました」(前出の記者)
また、“男”であることを忘れないのも加山の鉄則。「病院で血圧を測る際、美人の看護師だと血圧が上がってしまうそう(笑)。日常的に女性にときめいているようです」(前同)
『週刊大衆』の連載『人間力』にも15年1月に登場した加山。「取材の際、名刺をお渡しした瞬間、“〇〇チャンね!”と下の名前で呼んでくださいました。オスとしての現役感にシビれましたね」(本誌女性記者)
生涯現役を地で行く加山雄三。まさに、“変わらない いつまでも”なのだ。
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
日刊大衆 芸能 2019.05.09 06:00
ご参考URL= https://taishu.jp/articles/-/65228?page=1
若大将・加山雄三「若さの秘訣」は爆食いとアレ ! ?
4月11日に82歳の誕生日を迎えた加山雄三。「誕生日前日と当日の2日間にわたり、『若大将FESTIVAL2019〜君にありがとう〜』を開催し、計1万人を動員。厚みのある体にピンと伸びた背筋、しっかりとした声量は、とても80歳を超えているとは思えません」(芸能記者)
まさに“永遠の若大将”。そんな加山のような、カクシャクとした高齢者になる鉄則を、前出の記者はこう明かす。
「新しいものに対するアンテナが20代並みなんです。『人生最高レストラン』(TBS系)出演時には、“健康の秘訣はゲーム”と答えていましたが、『バイオハザード』や『ファイナルファンタジー』シリーズが大好きで、ゲームの攻略法について23歳の宇賀神メグアナと意気投合していました」
18年に愛船『光進丸』が焼失した際は、ショックのあまり数日間、記憶が曖昧になったそうだが、「“天から、船で遊んでないで人のためになることをしろと言われた気持ち”と切り替え、その思いから、2015年夏に“卒業宣言”していたコンサートツアーを、今年6月から再開することにしたそうです。そうした前向きな考え方も若さの秘訣でしょう」(前同)
また、その若々しい肉体を維持する秘訣が“爆食い”。「加山さんは肉好きで有名ですが、400グラムの高級サーロインステーキを、朝から平らげるそうです」(音楽誌ライター)
長年、加山と仕事を共にした制作プロダクション「オフィスヘンミ」の中村和則社長も、こう振り返る。「一緒に仕事をしたのは10年ほど前でしたが、肉でも魚でも2〜3人前くらい、よく食べる方でしたよ。お酒はほとんど飲まないんですけどね」
それだけでは太りそうだが、当然、運動も怠らない。「11日のフェス前の取材では“気がついたときに筋トレをしている”と答えていました」(前出の記者)
また、“男”であることを忘れないのも加山の鉄則。「病院で血圧を測る際、美人の看護師だと血圧が上がってしまうそう(笑)。日常的に女性にときめいているようです」(前同)
『週刊大衆』の連載『人間力』にも15年1月に登場した加山。「取材の際、名刺をお渡しした瞬間、“〇〇チャンね!”と下の名前で呼んでくださいました。オスとしての現役感にシビれましたね」(本誌女性記者)
生涯現役を地で行く加山雄三。まさに、“変わらない いつまでも”なのだ。
長野県初選定:生涯現役相談センター
2019年5月8日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
信毎web 長野県ニュース(5月8日)ご参考URL=
https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190508/KT190507GUI090004000.php
大町に「生涯現役相談センター」
厚労省モデル地域 長野県内初選定
大町市や県などでつくる市生涯現役促進地域連携協議会が7日、高齢者の就業支援と企業の人手不足の解消を目指す活動を始めた。厚生労働省の「生涯現役促進地域連携事業」のモデル地域に県内で初めて選ばれた。同日、窓口となる「生涯現役相談センター」を同市のJR信濃大町駅近くに設けた。
大町市では2040年に全人口の39%が高齢者になると見込まれる。一方、大町公共職業安定所の2月の有効求人倍率は1・91倍で就業機会の開拓が課題となっている。協議会が企業と求職者の間に立って相談に応じ、合同企業説明会や就業体験の機会を設ける。
協議会には大町商工会議所や市観光協会なども加わっており、重点分野に大町温泉郷を中心とした宿泊・観光産業や介護、製造業を掲げる。会長の牛越徹市長は「高齢者のため、地域の発展のために力を入れたい」と話していた。
厚労省は2017年度に事業を始めた。少子高齢化が進み労働力不足が課題となる中、就労意欲の高い高齢者の能力や経験を生かす社会づくりにつなげる目的。厚労省が委託し、全国では大町を含めて58事業が採択されている。市によると、委託期間は19〜21年度で、19年度の事業費は1854万円の予定。協議会はその後も継続したいとしている。
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信毎web 長野県ニュース(5月8日)ご参考URL=
https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190508/KT190507GUI090004000.php
大町に「生涯現役相談センター」
厚労省モデル地域 長野県内初選定
大町市や県などでつくる市生涯現役促進地域連携協議会が7日、高齢者の就業支援と企業の人手不足の解消を目指す活動を始めた。厚生労働省の「生涯現役促進地域連携事業」のモデル地域に県内で初めて選ばれた。同日、窓口となる「生涯現役相談センター」を同市のJR信濃大町駅近くに設けた。
大町市では2040年に全人口の39%が高齢者になると見込まれる。一方、大町公共職業安定所の2月の有効求人倍率は1・91倍で就業機会の開拓が課題となっている。協議会が企業と求職者の間に立って相談に応じ、合同企業説明会や就業体験の機会を設ける。
協議会には大町商工会議所や市観光協会なども加わっており、重点分野に大町温泉郷を中心とした宿泊・観光産業や介護、製造業を掲げる。会長の牛越徹市長は「高齢者のため、地域の発展のために力を入れたい」と話していた。
厚労省は2017年度に事業を始めた。少子高齢化が進み労働力不足が課題となる中、就労意欲の高い高齢者の能力や経験を生かす社会づくりにつなげる目的。厚労省が委託し、全国では大町を含めて58事業が採択されている。市によると、委託期間は19〜21年度で、19年度の事業費は1854万円の予定。協議会はその後も継続したいとしている。
高橋真梨子歌手(70歳)/まだ歌いたい
2019年5月7日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
スポーツ報知SNS 2019年5月7日 14時00分
ご参考URL=https://hochi.news/articles/20190505-OHT1T50034.html
高橋真梨子、70歳「まだ歌いたい曲ある」
ソロ50周年初のセルフカバーアルバム来月発売
歌手の高橋真梨子(70)が、6月12日に初のセルフカバーアルバム「MariCovers」を発売する。1979年から84年までに発表した初期の11曲を、大人のアレンジに変えて再レコーディングした。バンド「ペドロ&カプリシャス」の2代目ボーカルとして、73年に「ジョニィへの伝言」でレコードデビュー。半世紀近くを第一線で駆け抜ける高橋が、今作への思いを語った。(加茂 伸太郎)
音楽が人生そのものだ。「すごくはないのよ。(私には)これ(=音楽)しかないんだから」。短いフレーズの中に、歌い手としての信念と覚悟が感じられた。
「ペドロ&カプリシャス」の2代目ボーカルを務め、バンドを離れた後は、78年に「あなたの空を翔びたい」でソロデビューした。ポリシーは「謙虚に歩む」。毎日の積み重ねが、第一線で走り続けてこられた要因。高橋は「その通りで、ここまで来ちゃいましたね」と穏やかな口調で語った。
長いキャリアの中で、セルフカバーアルバムを出すのは初めて。「レコーディングは必死でしたね。この年でまだ歌っているんだと思いながら。哀愁が湧く感じで歌ったかな」
世代に関係なく、安らぎの時間として聴いてほしいという思いから、このアルバムの企画がスタートした。代表曲「for you...」を手がけた作詞・大津あきら、作曲・鈴木キサブローによる「BAD BOY」(81年)、柳ジョージ作曲の「この気分が好きよ」(82年)など、80年前半までの11曲が35年以上の時を経てリアレンジされて収録される。
「(当時と比べたら)キーも下がる。歌も上手じゃないじゃない?(自分自身を)否定ばかりしないで、『今の年齢ならこれぐらいかな』と思ってみようと思ったの。70歳。若いもんだと思っていても、実際は年を取っている。今回レコーディングをして、70歳の、今の自分を認める初めての機会になりましたね」
NHK時代劇「御宿かわせみ」の主題歌「祭りばやしが終わるまで」(83年)はレコーディングから36年間、ライブでも披露していない楽曲だった。「最初はあまり好きな楽曲じゃなかった(笑い)」が、リクエストが多数寄せられ、収録曲に決めた。初めて作詞・作曲した「Mary’s Song」(80年)は作詞家目線に立った時に思うところがあり、2番の詞を書き直して収録した。
音楽プロデューサーで夫のヘンリー広瀬氏(75)は「オリジナルを超えていると思う。若い頃にできなかったものが芳醇(ほうじゅん)であり、熟成と呼べる。ビンテージの感じはワインと同じでしょう」。高橋は「澱(おり)が出ていたら困るわね」と笑った。
シングル「for you...」(82年)がロングヒットした。「桃色吐息」(84年)を始め、「ごめんね…」「遥かな人へ」「五番街のマリーへ」など多数の代表曲を持つ。「音楽の殿堂」と呼ばれる米ニューヨークのアポロ・シアター(大ホール)では日本人唯一、3回公演(93、08、16年)を達成。17年のNHK紅白歌合戦に出場し、68歳9か月という紅組歌手としての最年長記録を持つ。
インタビュー中、何度も「70歳だから」と口にした。年齢を言うことに抵抗がないという。「私がババアだっていうことを知ってもらいたいの」と語るが、その言葉とは裏腹に、自らを律して日々を過ごす。全ては、ステージに立ち続けるためだ。
体力維持のため、入浴中のバタ足は欠かさない。「以前はすんなりと5分いけたけど、この頃は疲れてきちゃって、3分でもきついかな。バタ足をやると、腹筋も使うからいいのよ。何もしなかったら(すぐに体力が衰えて)入院かなというぐらいの感じになる」。好物の肉を食べてたんぱく質を摂取し、最近は体重が2キロ増えたという。
トップアスリートのように、コンディションづくりに最善の注意を払う。プロとして当然のことをやっているだけ。そこに特別な感情はない。「ストイックだとは思わないわ。郷ひろみさんを始め、ストイックな方は他にもたくさんいる。いつになるかは分からないけど、いずれは辞めないといけない時が来るんだから」
過去には、リハーサルで全く声が出ないという経験もあった。「結局、本番になると出るんだけど、その前に全く声が出なかった。そうすると、朝からワーワー。『出ない、出ない、出ない』って(笑い)。声が出なくなるのは(想像しただけで)すごく恐怖。朝起きて、急に出なくなることだってあるかもしれない。それが一番怖い。歌は生ものだから、いつどういうふうになるか分からない」
昭和と平成の2つの時代を股に掛け、令和時代に入った。23年にはソロ生活50周年を控えるが、高橋は「(先のことは)あまり考えていないですね」とサラリと言った。
幸いなことに体力、気力ともに維持できている。音楽への情熱が衰えない限り、生涯現役を貫くつもりだ。
「まだ歌いたい曲がある。(レコーディングをしていて)この曲も歌いたい、この曲もやってみたいというのが出てきた。『MariCovers2』もやってみたい。この作品で、今の『高橋真梨子』を感じてほしいわ」
◆ 41年連続全国ツアー 計700万人突破へ
高橋は、6月16日の埼玉公演(川口総合文化センター リリア)から全国ツアー(20か所34公演)を行う。79年の初ツアー以来、41年連続43回目の開催。6月22日の千葉公演(市川市文化会館)では観客動員700万人を突破する予定。「アンケートを取ると、初めてご覧になる方が結構いらっしゃる。想像できないわ。長く歌って回数もやっているから、そのぐらいはいくかなと思ったけど。よく調べるわね」と話した。
◆高橋 真梨子(たかはし・まりこ)1949年3月6日、福岡市出身。70歳。ジャズプレーヤーの父親の影響で、14歳からジャズを学ぶ。レッスンのため16歳で上京。高校卒業後、博多に戻り、ライブハウスで歌う。「ペドロ&カプリシャス」のリーダー・ペドロ梅村の誘いで再上京。94年英ロイヤル・アルバート・ホール公演。シングル39枚、オリジナルアルバム32枚発表。NHK紅白歌合戦計6回出場(「ペドロ―」時代1回+ソロ5回)。趣味はゴルフ、スポーツ観戦。血液型A。生涯現役へ「謙虚に歌い手として歩むだけです」と語った高橋真梨子
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
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スポーツ報知SNS 2019年5月7日 14時00分
ご参考URL=https://hochi.news/articles/20190505-OHT1T50034.html
高橋真梨子、70歳「まだ歌いたい曲ある」
ソロ50周年初のセルフカバーアルバム来月発売
歌手の高橋真梨子(70)が、6月12日に初のセルフカバーアルバム「MariCovers」を発売する。1979年から84年までに発表した初期の11曲を、大人のアレンジに変えて再レコーディングした。バンド「ペドロ&カプリシャス」の2代目ボーカルとして、73年に「ジョニィへの伝言」でレコードデビュー。半世紀近くを第一線で駆け抜ける高橋が、今作への思いを語った。(加茂 伸太郎)
音楽が人生そのものだ。「すごくはないのよ。(私には)これ(=音楽)しかないんだから」。短いフレーズの中に、歌い手としての信念と覚悟が感じられた。
「ペドロ&カプリシャス」の2代目ボーカルを務め、バンドを離れた後は、78年に「あなたの空を翔びたい」でソロデビューした。ポリシーは「謙虚に歩む」。毎日の積み重ねが、第一線で走り続けてこられた要因。高橋は「その通りで、ここまで来ちゃいましたね」と穏やかな口調で語った。
長いキャリアの中で、セルフカバーアルバムを出すのは初めて。「レコーディングは必死でしたね。この年でまだ歌っているんだと思いながら。哀愁が湧く感じで歌ったかな」
世代に関係なく、安らぎの時間として聴いてほしいという思いから、このアルバムの企画がスタートした。代表曲「for you...」を手がけた作詞・大津あきら、作曲・鈴木キサブローによる「BAD BOY」(81年)、柳ジョージ作曲の「この気分が好きよ」(82年)など、80年前半までの11曲が35年以上の時を経てリアレンジされて収録される。
「(当時と比べたら)キーも下がる。歌も上手じゃないじゃない?(自分自身を)否定ばかりしないで、『今の年齢ならこれぐらいかな』と思ってみようと思ったの。70歳。若いもんだと思っていても、実際は年を取っている。今回レコーディングをして、70歳の、今の自分を認める初めての機会になりましたね」
NHK時代劇「御宿かわせみ」の主題歌「祭りばやしが終わるまで」(83年)はレコーディングから36年間、ライブでも披露していない楽曲だった。「最初はあまり好きな楽曲じゃなかった(笑い)」が、リクエストが多数寄せられ、収録曲に決めた。初めて作詞・作曲した「Mary’s Song」(80年)は作詞家目線に立った時に思うところがあり、2番の詞を書き直して収録した。
音楽プロデューサーで夫のヘンリー広瀬氏(75)は「オリジナルを超えていると思う。若い頃にできなかったものが芳醇(ほうじゅん)であり、熟成と呼べる。ビンテージの感じはワインと同じでしょう」。高橋は「澱(おり)が出ていたら困るわね」と笑った。
シングル「for you...」(82年)がロングヒットした。「桃色吐息」(84年)を始め、「ごめんね…」「遥かな人へ」「五番街のマリーへ」など多数の代表曲を持つ。「音楽の殿堂」と呼ばれる米ニューヨークのアポロ・シアター(大ホール)では日本人唯一、3回公演(93、08、16年)を達成。17年のNHK紅白歌合戦に出場し、68歳9か月という紅組歌手としての最年長記録を持つ。
インタビュー中、何度も「70歳だから」と口にした。年齢を言うことに抵抗がないという。「私がババアだっていうことを知ってもらいたいの」と語るが、その言葉とは裏腹に、自らを律して日々を過ごす。全ては、ステージに立ち続けるためだ。
体力維持のため、入浴中のバタ足は欠かさない。「以前はすんなりと5分いけたけど、この頃は疲れてきちゃって、3分でもきついかな。バタ足をやると、腹筋も使うからいいのよ。何もしなかったら(すぐに体力が衰えて)入院かなというぐらいの感じになる」。好物の肉を食べてたんぱく質を摂取し、最近は体重が2キロ増えたという。
トップアスリートのように、コンディションづくりに最善の注意を払う。プロとして当然のことをやっているだけ。そこに特別な感情はない。「ストイックだとは思わないわ。郷ひろみさんを始め、ストイックな方は他にもたくさんいる。いつになるかは分からないけど、いずれは辞めないといけない時が来るんだから」
過去には、リハーサルで全く声が出ないという経験もあった。「結局、本番になると出るんだけど、その前に全く声が出なかった。そうすると、朝からワーワー。『出ない、出ない、出ない』って(笑い)。声が出なくなるのは(想像しただけで)すごく恐怖。朝起きて、急に出なくなることだってあるかもしれない。それが一番怖い。歌は生ものだから、いつどういうふうになるか分からない」
昭和と平成の2つの時代を股に掛け、令和時代に入った。23年にはソロ生活50周年を控えるが、高橋は「(先のことは)あまり考えていないですね」とサラリと言った。
幸いなことに体力、気力ともに維持できている。音楽への情熱が衰えない限り、生涯現役を貫くつもりだ。
「まだ歌いたい曲がある。(レコーディングをしていて)この曲も歌いたい、この曲もやってみたいというのが出てきた。『MariCovers2』もやってみたい。この作品で、今の『高橋真梨子』を感じてほしいわ」
◆ 41年連続全国ツアー 計700万人突破へ
高橋は、6月16日の埼玉公演(川口総合文化センター リリア)から全国ツアー(20か所34公演)を行う。79年の初ツアー以来、41年連続43回目の開催。6月22日の千葉公演(市川市文化会館)では観客動員700万人を突破する予定。「アンケートを取ると、初めてご覧になる方が結構いらっしゃる。想像できないわ。長く歌って回数もやっているから、そのぐらいはいくかなと思ったけど。よく調べるわね」と話した。
◆高橋 真梨子(たかはし・まりこ)1949年3月6日、福岡市出身。70歳。ジャズプレーヤーの父親の影響で、14歳からジャズを学ぶ。レッスンのため16歳で上京。高校卒業後、博多に戻り、ライブハウスで歌う。「ペドロ&カプリシャス」のリーダー・ペドロ梅村の誘いで再上京。94年英ロイヤル・アルバート・ホール公演。シングル39枚、オリジナルアルバム32枚発表。NHK紅白歌合戦計6回出場(「ペドロ―」時代1回+ソロ5回)。趣味はゴルフ、スポーツ観戦。血液型A。生涯現役へ「謙虚に歌い手として歩むだけです」と語った高橋真梨子
対馬を愛した契約通信員:阿比留氏(91)
2019年5月6日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
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ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
朝日新聞デジタル 長崎総局長・河野武士 2019年5月6日03時00分
ご参考URL=https://www.asahi.com/articles/ASM4R5FP3M4RTOLB00N.html
長崎)契約通信員の阿比留さん 対馬を愛してやまず
対馬の情報を一昨年まで朝日新聞の読者に届けてきた阿比留教(あつし)さんが4月22日、亡くなった。享年91。契約通信員として約30年にわたって、浅茅(あそう)湾の風景、対馬の自然や行事をカメラにおさめるなど、対馬を愛してやまなかった。
阿比留さんは地元の旧制中学を卒業後、農協職員からサラリーマンに転身。関西の大手ミシンメーカーの営業の仕事をする一方、全日本写真連盟の会員としてニュース写真などに腕を振るった。帰郷後、朝日新聞厳原通信局長と二人三脚で取材に奔走。1990年秋に通信局が閉じられた後は、契約通信員として対馬の情報を発信してきた。民家に車が突っ込み、子どもがあわや下敷きになる事故の写真は本社のコンクールで賞を受けた。浅茅湾の連載などでは詩情あふれる写真が読者を魅了した。
3年ほど前に脳梗塞(こうそく)を患い足が不自由になったが、出稿の意欲は旺盛だった。ご家族によると、昨夏から体調がすぐれなくなったという。一昨年4月、退任にあたってお会いした時は思い出話が尽きず、生涯現役の心意気も見せてもらった。事務所には、関西にいたころに撮影した当時会社役員の親戚という若い娘さんのモノクロのポートレートがひときわ目をひき、これまで出稿、整理された原稿や写真であふれていた。
ログイン前の続きいつも笑顔を絶やさず、奥様の美和子さん(86)について触れると「頭があがりません」とはにかんだ。
春になると、阿比留さんの自宅裏に流れる川沿いに、満開の桜がトンネルをつくる。長崎に赴任して3年。春といえば対馬の桜を、阿比留さんを思い出す。(長崎総局長・河野武士)
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朝日新聞デジタル 長崎総局長・河野武士 2019年5月6日03時00分
ご参考URL=https://www.asahi.com/articles/ASM4R5FP3M4RTOLB00N.html
長崎)契約通信員の阿比留さん 対馬を愛してやまず
対馬の情報を一昨年まで朝日新聞の読者に届けてきた阿比留教(あつし)さんが4月22日、亡くなった。享年91。契約通信員として約30年にわたって、浅茅(あそう)湾の風景、対馬の自然や行事をカメラにおさめるなど、対馬を愛してやまなかった。
阿比留さんは地元の旧制中学を卒業後、農協職員からサラリーマンに転身。関西の大手ミシンメーカーの営業の仕事をする一方、全日本写真連盟の会員としてニュース写真などに腕を振るった。帰郷後、朝日新聞厳原通信局長と二人三脚で取材に奔走。1990年秋に通信局が閉じられた後は、契約通信員として対馬の情報を発信してきた。民家に車が突っ込み、子どもがあわや下敷きになる事故の写真は本社のコンクールで賞を受けた。浅茅湾の連載などでは詩情あふれる写真が読者を魅了した。
3年ほど前に脳梗塞(こうそく)を患い足が不自由になったが、出稿の意欲は旺盛だった。ご家族によると、昨夏から体調がすぐれなくなったという。一昨年4月、退任にあたってお会いした時は思い出話が尽きず、生涯現役の心意気も見せてもらった。事務所には、関西にいたころに撮影した当時会社役員の親戚という若い娘さんのモノクロのポートレートがひときわ目をひき、これまで出稿、整理された原稿や写真であふれていた。
ログイン前の続きいつも笑顔を絶やさず、奥様の美和子さん(86)について触れると「頭があがりません」とはにかんだ。
春になると、阿比留さんの自宅裏に流れる川沿いに、満開の桜がトンネルをつくる。長崎に赴任して3年。春といえば対馬の桜を、阿比留さんを思い出す。(長崎総局長・河野武士)
健保に年金・・・働くシニアの必須知識
2019年5月5日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
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日経電子版 マネー研究所 2019/5/4
参考URL=https://style.nikkei.com/article/DGXMZO43935910Z10C19A4PPE001/
Money&Investment
健 保 に 年 金…
おさえておきたい 働 く シ ニ ア の 必 須 知 識
働くシニアが増えている。2025年以降は公的年金の支給開始年齢も完全に65歳以降となり、70歳を超えてからの支給開始を選べる改革案も浮上している。定年後に新たな仕事に就く場合、収入環境は変わり、雇用保険や健康保険などの加入条件も変わってくる。働くシニアが押さえておきたい公的な社会保障の知識をまとめた。
■ 増える就職希望者
「生涯現役支援窓口」。全国各地のハローワーク(公共職業安定所)に最近、主に65歳以上の求職相談に応じる窓口ができている。全国554カ所のうち設置済みは180(18年度末)。厚生労働省は20年度末までに300カ所を目指す。
ハローワーク経由の求職者数はここ数年、景気回復を映して減少傾向にある。だが65歳以上に限ると増加が顕著だ(図A)。仕事をしたくても希望する就職先が見つからない例が多い。
企業は法律上、社員が希望すれば65歳まで働けるようにすることが義務付けられ、多くの企業が定年を迎えた社員を再雇用する制度を導入している。だが65歳を超えると義務はなくなり、職に就く機会は減る。
それでも納得できる就職先を見つけた人はいる。東京都在住の麓義博さん(69)は今年1月に地元のハローワーク足立を訪れ、シニア雇用に積極的な会社と話す説明会に参加。2月には契約社員として社会保険労務士事務所に採用され、月10万円台の給与で働く。
銀行などで長年、総務や経理の仕事をしてきた麓さんは、社会保険や税金の事務に詳しい点をアピールして仕事に就いた。「自分の専門知識や経験を生かせるかがシニアの求職活動では大切だと感じた」という。
大手電子部品メーカーで海外現地法人社長を務めた森田民哉さん(60)は3月、契約社員としてパソナグループに就職した。「前の会社から雇用延長を打診されたが元気なうちに新たな仕事に挑戦したかった」
しかしいざ求職活動をしたところ「年齢を告げただけで断られる会社ばかりだった」。そんなときパソナグループが定年退職者を「エルダーシャイン」の名で募集中だと知って迷わず応募した。同社の南部靖之代表は「経験や能力を生かせる場を提供すれば60代は十分に働ける」と話す。
定年を機に会社を離れて職を探す際にまず理解しておきたいのが、収入が大きく減ることが多いことだ。労働政策研究・研修機構の14年調査によると60代前半で減額率31~60%の人が過半いた。60代後半はさらに落ち込むのが通常だ。
職が見つかったとしても収入減を前提とすると、雇用保険や健康保険といった公的保障制度が生活を守るうえで大事な備えになる。万一仕事中の事故で重傷を負ったら労災保険から、途中で失業したら雇用保険から給付金を受け取れる。
■ 契約の仕方に注意
ここで注意したいのが、仕事の契約形態などによっては公的保障制度に加入しない場合があることだ。例えば個人が就職先との間で「業務委託契約」や「請負契約」を結ぶケース。一般的な事務職や作業職を含めシニアの就労で珍しくない。
これらは一般的な会社員などと違って会社から「雇用」される形態ではない。このため、雇用を前提とした労災保険や雇用保険などの加入者にはならない。万一に備えるには自分で民間の医療保険に入るといった対応が必要になる。
業務委託などではなく雇用契約に基づいて就職する場合も注意点がある。契約社員やパートなど呼び方は様々だが、「働ける時間は正社員に比べて大幅に短くなることが多い」(社会保険労務士の大野実氏)。
労働時間が短いとやはり公的保障制度の対象外となるかもしれない。雇用保険では「週労働時間が20時間以上」といった基準を満たす社員を被保険者として制度に加入させる義務を企業が負う。労災保険は全社員が加入対象だ。
しかし現実には「保険料負担の発生を嫌って義務を怠る例が後を絶たない」(井上大輔社会保険労務士)。加入基準から外れるよう労働時間などを調整するケースもありうる。
健康保険と厚生年金の場合、従業員501人以上の企業では「週労働20時間以上」「1年以上働く見込み」「月給8万8000円以上」「学生以外」の基準を全て満たす社員は加入対象となる。パートなどでも正社員の週労働時間(通常40時間)の4分の3以上働くと加入資格を満たす。職を見つけたら事前に相手から話を聞くなどして「その会社が法律通りきちんと運用しているかを確認したい」と井上氏は助言する。
各種の給付金を含めて制度の概要を図Bに示した。例えば雇用保険では給与水準が大幅に下がった場合、一定額の給付金を受け取れる。65歳以上が失業した場合は一時金が出る。
厚生年金では在職老齢年金という仕組みも理解しておきたい。年金をもらいながら働くと年金額が減らされることがある。例えば65歳以上の場合、給与・賞与と年金を合わせた基準額が月47万円を超えると減額の対象になる。実際には該当する例は多くないが念のため確認しておこう。(後藤直久)
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
日経電子版 マネー研究所 2019/5/4
参考URL=https://style.nikkei.com/article/DGXMZO43935910Z10C19A4PPE001/
Money&Investment
健 保 に 年 金…
おさえておきたい 働 く シ ニ ア の 必 須 知 識
働くシニアが増えている。2025年以降は公的年金の支給開始年齢も完全に65歳以降となり、70歳を超えてからの支給開始を選べる改革案も浮上している。定年後に新たな仕事に就く場合、収入環境は変わり、雇用保険や健康保険などの加入条件も変わってくる。働くシニアが押さえておきたい公的な社会保障の知識をまとめた。
■ 増える就職希望者
「生涯現役支援窓口」。全国各地のハローワーク(公共職業安定所)に最近、主に65歳以上の求職相談に応じる窓口ができている。全国554カ所のうち設置済みは180(18年度末)。厚生労働省は20年度末までに300カ所を目指す。
ハローワーク経由の求職者数はここ数年、景気回復を映して減少傾向にある。だが65歳以上に限ると増加が顕著だ(図A)。仕事をしたくても希望する就職先が見つからない例が多い。
企業は法律上、社員が希望すれば65歳まで働けるようにすることが義務付けられ、多くの企業が定年を迎えた社員を再雇用する制度を導入している。だが65歳を超えると義務はなくなり、職に就く機会は減る。
それでも納得できる就職先を見つけた人はいる。東京都在住の麓義博さん(69)は今年1月に地元のハローワーク足立を訪れ、シニア雇用に積極的な会社と話す説明会に参加。2月には契約社員として社会保険労務士事務所に採用され、月10万円台の給与で働く。
銀行などで長年、総務や経理の仕事をしてきた麓さんは、社会保険や税金の事務に詳しい点をアピールして仕事に就いた。「自分の専門知識や経験を生かせるかがシニアの求職活動では大切だと感じた」という。
大手電子部品メーカーで海外現地法人社長を務めた森田民哉さん(60)は3月、契約社員としてパソナグループに就職した。「前の会社から雇用延長を打診されたが元気なうちに新たな仕事に挑戦したかった」
しかしいざ求職活動をしたところ「年齢を告げただけで断られる会社ばかりだった」。そんなときパソナグループが定年退職者を「エルダーシャイン」の名で募集中だと知って迷わず応募した。同社の南部靖之代表は「経験や能力を生かせる場を提供すれば60代は十分に働ける」と話す。
定年を機に会社を離れて職を探す際にまず理解しておきたいのが、収入が大きく減ることが多いことだ。労働政策研究・研修機構の14年調査によると60代前半で減額率31~60%の人が過半いた。60代後半はさらに落ち込むのが通常だ。
職が見つかったとしても収入減を前提とすると、雇用保険や健康保険といった公的保障制度が生活を守るうえで大事な備えになる。万一仕事中の事故で重傷を負ったら労災保険から、途中で失業したら雇用保険から給付金を受け取れる。
■ 契約の仕方に注意
ここで注意したいのが、仕事の契約形態などによっては公的保障制度に加入しない場合があることだ。例えば個人が就職先との間で「業務委託契約」や「請負契約」を結ぶケース。一般的な事務職や作業職を含めシニアの就労で珍しくない。
これらは一般的な会社員などと違って会社から「雇用」される形態ではない。このため、雇用を前提とした労災保険や雇用保険などの加入者にはならない。万一に備えるには自分で民間の医療保険に入るといった対応が必要になる。
業務委託などではなく雇用契約に基づいて就職する場合も注意点がある。契約社員やパートなど呼び方は様々だが、「働ける時間は正社員に比べて大幅に短くなることが多い」(社会保険労務士の大野実氏)。
労働時間が短いとやはり公的保障制度の対象外となるかもしれない。雇用保険では「週労働時間が20時間以上」といった基準を満たす社員を被保険者として制度に加入させる義務を企業が負う。労災保険は全社員が加入対象だ。
しかし現実には「保険料負担の発生を嫌って義務を怠る例が後を絶たない」(井上大輔社会保険労務士)。加入基準から外れるよう労働時間などを調整するケースもありうる。
健康保険と厚生年金の場合、従業員501人以上の企業では「週労働20時間以上」「1年以上働く見込み」「月給8万8000円以上」「学生以外」の基準を全て満たす社員は加入対象となる。パートなどでも正社員の週労働時間(通常40時間)の4分の3以上働くと加入資格を満たす。職を見つけたら事前に相手から話を聞くなどして「その会社が法律通りきちんと運用しているかを確認したい」と井上氏は助言する。
各種の給付金を含めて制度の概要を図Bに示した。例えば雇用保険では給与水準が大幅に下がった場合、一定額の給付金を受け取れる。65歳以上が失業した場合は一時金が出る。
厚生年金では在職老齢年金という仕組みも理解しておきたい。年金をもらいながら働くと年金額が減らされることがある。例えば65歳以上の場合、給与・賞与と年金を合わせた基準額が月47万円を超えると減額の対象になる。実際には該当する例は多くないが念のため確認しておこう。(後藤直久)
意見をつなぐ,日本が変わる「賢人論」2
2019年5月4日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
BLOGOS 意見をつなぐ日本が変わる。 みんなの介護 2019年05月03日 15:35
ご参考URL=https://blogos.com/article/374851/
「好きなことを続けるためにどうすれば良いか」ということを、
すごく真剣に考えています - 「賢人論。」
常にその作品が話題に上る、映画監督・山崎貴氏。インタビュー後編では、「好きなことを仕事にする」生き方について伺った。日本映画界を代表するヒットメーカーである山崎氏は、どのようにして映画監督という夢を掴んだのか。そして、これからはどのような夢を描いていくのか。生涯現役でいたいと語る山崎氏の「戦略」に注目してみよう。 取材・文/青山敬子
切磋琢磨し合える仲間に恵まれたアサビは、天国のようだった
みんなの介護 『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズや『永遠の0(ゼロ)』などたくさんの名作を手がけられ、今や日本映画界になくてはならないヒットメーカーとなられた山崎監督ですが、これまでの映画人生も順風満帆だったのですか?
山崎 中学生のときに味わった興行の喜びが、僕を映像制作の世界へ導いてくれたというお話は前回した通りです。それから高校を卒業し、東京・杉並区の阿佐ケ谷美術専門学校、通称「アサビ」に入りました。
最初はイラストレーターとして映像制作にかかわることを目指していたのですが、1学年上にとてつもなく絵が上手い先輩がいて早々に諦めました。芸大とかではない普通の専門学校でこんなにレベルの高い人がゴロゴロいるのなら、自分なんかではとてもやっていけないと思ったんですね。実はそれが、後にイラストレーターだけでなく映画やゲームのキャラクターデザインなどで有名になる寺田克也さんだったという…。
みんなの介護 寺田克也さんと言えば、海外での評価も高い方です。
山崎 イラストレーターは諦めて造形作家を目指そうと思ったら、ここにも竹谷隆之(世界的なフィギュア造形作家)というとてつもなく上手い人がいて…。それで、初心に戻って映像作家を目指したんです。
でも、実は僕の妻となる佐藤嗣麻子も映像がすごくて、危うく映像も諦めるところでしたね(笑)。
みんなの介護 諦めないで良かったです(笑)。すごい人たちを輩出している学校なんですね。
山崎 はい。僕がいた頃のアサビは特に人材が豊作で、今でも一線で活躍している人を何人も輩出しています。まるで手塚治虫さんや、藤子不二雄さん、赤塚不二夫さんなどが住んでいた『トキワ荘』のような感じでしたね。
みんなの介護 そうしたところで刺激を受け合って、今の監督がいらっしゃるんですね。
山崎 はい。天才たちに囲まれた学校生活はワクワクしましたね。生まれ育った長野の松本では、そもそも映画をつくっている人がいないので孤軍奮闘していましたから。それが、アサビには上手い人がいっぱいいて、自分も頑張ったら頑張っただけ注目してもらえて、本当に天国かと思いました。
みんなの介護 そのアサビを卒業して1986年に株式会社白組に入社。テレビコマーシャルや映画のミニチュア製作、伊丹十三監督作品でのVFXの担当を経て2000年の『ジュブナイル』で念願の映画監督デビューを果たされました。学生時代からの夢をずっと追い続けてこられたわけですね。
山崎 そうですね。映画をつくることが楽しくて楽しくて…。こういうことが仕事になったらどんなに良いだろうと学生時代からずっと思っていました。
アサビを卒業後は、白組のスタッフとして伊丹さんの映画のVFXを担当して、映画づくりを学びました。伊丹さんは若手の僕らとも対等に話してくれて、「映画ってこうやってつくるんだな」と、いろんなことを教わりましたね。
伊丹さんだからこそできていた映画づくりでもあったのですが、「責任を取るのが監督である」という心がまえもそのときに学びました。
チャンスが来たときに逃さないように、心構えは常にしています
みんなの介護 好きなことを仕事にして、それを続けていくのはなかなか難しいことだと思います。どのように監督業に取り組まれているのですか?
山崎 「好きなことを続けるためにどうすれば良いか」ということを、すごく真剣に考えています。僕がつくりたいのはエンターテイメント映画なので、できるだけ大勢の人に観てもらいたいし、基本的には「ヒットする」と確信を持ってつくっています。
みんなの介護 「真剣に考える」とは、具体的にはどういうことですか?
山崎 巡ってきたチャンスを掴むというか、チャンスが来たときに逃さない準備と心構えをしておくことでしょうか。「撮りたい」と思うテーマについては、常に考えるようにしていますよ。『永遠の0』もそういう積み重ねがあったんです。
子どもの頃から戦争や特攻隊をテーマにした漫画を読んでいて、特に、ちばてつやさんの『紫電改のタカ』(1963年連載開始)という漫画がとても好きでした。なぜ戦争があって、若者が特攻隊員として死ななくてはならないのか、この漫画にはそういった戦争のやるせなさがとても深く描かれています。
中でも、主人公が特攻で飛んでいくラストシーンが衝撃的で、「飛行機で体当たりするって、どんな気持ちなんだろう」と子ども心に何度も何度も考えていました。それで、いつか戦争や特攻隊員についての映画をつくりたいと思っていたんです。ですから、『永遠の0』の原作を読んだときは、そんな自分の気持ちにピタッときましたね。
みんなの介護 なるほど。自分のなかで常に企画をあたためておく、という感じでしょうか。
2019年7月には『アルキメデスの大戦』が公開されますね。『ドラゴン桜』で有名な三田紀房さん原作の人気コミックで、1933年の戦艦大和の建設計画がモチーフだとか。
山崎 戦艦大和をテーマにした映画も以前からつくりたかったんです。新たな切り口の「戦艦大和」を通じて、「戦争ってどうして起こるんだろう」とか「戦争って何なんだろう」といったことを考えるきっかけになってくれたらと思っています。
ただ、そうは言ってもエンターテイメント作品なので、問題提起はうっすら程度にとどめています。お金を払って劇場に来ているのに、「説教」されたくないじゃないですか。
みんなの介護 押しつけがましく「戦争はダメだ」と言うようなことですか?
山崎 そうです。お金を払って観に来ているのに説教されるなんて、これほど腹の立つことはないですよ(笑)。観に来ていただいて、心にひっかかったことを「おみやげ」として持って帰ってもらえれば良いですね。
脚本は映画の命。自分で書くからこそ「何を撮りたいか」が明確になる
みんなの介護 山崎監督は、『ジュブナイル』でデビューされてからずっと脚本もご自身で書かれていますね。
山崎 一緒にお仕事をさせていただいていた伊丹十三監督がそうだったので、自然にそうなったんです。「その映画で何を描きたいか」ということは脚本にいちばん反映されますから、これからも自分で書くつもりです。
みんなの介護 映画づくりでは脚本がいちばん重要なのですね。どのように書かれているんですか?
山崎 脚本はプロットの時間がいちばんかかりますね。毎回、違う題材を扱うので、そのジャンルに詳しい人から「良く知ってますね」と言ってもらえるレベルまで勉強するようにしています。「STAND BY ME ドラえもん」のときは、原作全巻を端から端まで何回も読み直しました。
最近はIP(Intellectual Property:漫画などの著作物やデザイン)に自分で新たなストーリーを加えることもじわじわ増えてきています。『DESTINY 鎌倉ものがたり』(2017年公開)は、原作の漫画に自分で考えて加筆する部分が多かったのですが、これも面白かったですね。
いつか、自分のオリジナルストーリーでゼロから映画をつくってみたい気持ちもあります。売れなかったらと思うと少し怖いですけどね(笑)。
感性を「リニューアル」し続けて、監督寿命を延ばしたい
みんなの介護 日本は「人生100年時代」といわれる長寿社会を迎え、「働き方」は大きなテーマのひとつとなっています。映画監督には定年はないと思いますが、働くことについてはどのように考えていらっしゃいますか?
山崎 僕も映画監督として生涯現役でいたいので、「あの監督なら失敗しないよね」って言われるために、興行的にもペイできるような作品をつくろうと常に思っていますよ。興味のあるジャンルについては本を読んだりして常に勉強も続けています。
ただ、ある一定の年齢になると、山田洋次監督のように「巨匠」と言われる監督でない限りは、ヒット作をつくれなくなってしまうみたいです。年をとって時代の感性についていけなくなるんでしょうね。
これは、ある部分では覚悟しないといけないんですが、感性を少しずつリニューアルしていって、「監督寿命」を延ばしていきたいと思っています。
みんなの介護 「監督寿命」ですか。初めて聞く言葉ですね。
山崎 僕も、今、初めて使いましたけど(笑)。「健康寿命」みたいな感じですね。ずっと良い映画をつくれる監督としての寿命です。
僕が撮りたい映画はエンターテインメントなので、自分より若い人たちも面白く感じられる作品にしなくてはならない。ですから、感性のリニューアルが必要になってきます。
みんなの介護 映画作りは、体力よりも「時代に合った感性」のほうが重要なのですね。
山崎 もちろん体力維持も大切なので心がけてはいますが、監督の仕事は、それよりも感性が大事なんです。
みんなの介護 感性をリニューアルするというのは、例えばどのようなことをするんですか?
山崎 若い人が楽しんでいるものに触れることですかね。読書もしますが、もともと漫画が好きなので電子書籍でついオトナ買いしてしまいます。僕のiPadに3,500冊くらいは入っていますね。
最近では、篠原健太さんの『彼方のアストラ』が本当に面白かったです。萩尾望都さんの漫画『11人いる!』(1975年連載開始)のようなSF作品です。 そうやって、まだまだ若い人向けの作品に心を動かされる自分であり続けたいですね。
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
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BLOGOS 意見をつなぐ日本が変わる。 みんなの介護 2019年05月03日 15:35
ご参考URL=https://blogos.com/article/374851/
「好きなことを続けるためにどうすれば良いか」ということを、
すごく真剣に考えています - 「賢人論。」
常にその作品が話題に上る、映画監督・山崎貴氏。インタビュー後編では、「好きなことを仕事にする」生き方について伺った。日本映画界を代表するヒットメーカーである山崎氏は、どのようにして映画監督という夢を掴んだのか。そして、これからはどのような夢を描いていくのか。生涯現役でいたいと語る山崎氏の「戦略」に注目してみよう。 取材・文/青山敬子
切磋琢磨し合える仲間に恵まれたアサビは、天国のようだった
みんなの介護 『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズや『永遠の0(ゼロ)』などたくさんの名作を手がけられ、今や日本映画界になくてはならないヒットメーカーとなられた山崎監督ですが、これまでの映画人生も順風満帆だったのですか?
山崎 中学生のときに味わった興行の喜びが、僕を映像制作の世界へ導いてくれたというお話は前回した通りです。それから高校を卒業し、東京・杉並区の阿佐ケ谷美術専門学校、通称「アサビ」に入りました。
最初はイラストレーターとして映像制作にかかわることを目指していたのですが、1学年上にとてつもなく絵が上手い先輩がいて早々に諦めました。芸大とかではない普通の専門学校でこんなにレベルの高い人がゴロゴロいるのなら、自分なんかではとてもやっていけないと思ったんですね。実はそれが、後にイラストレーターだけでなく映画やゲームのキャラクターデザインなどで有名になる寺田克也さんだったという…。
みんなの介護 寺田克也さんと言えば、海外での評価も高い方です。
山崎 イラストレーターは諦めて造形作家を目指そうと思ったら、ここにも竹谷隆之(世界的なフィギュア造形作家)というとてつもなく上手い人がいて…。それで、初心に戻って映像作家を目指したんです。
でも、実は僕の妻となる佐藤嗣麻子も映像がすごくて、危うく映像も諦めるところでしたね(笑)。
みんなの介護 諦めないで良かったです(笑)。すごい人たちを輩出している学校なんですね。
山崎 はい。僕がいた頃のアサビは特に人材が豊作で、今でも一線で活躍している人を何人も輩出しています。まるで手塚治虫さんや、藤子不二雄さん、赤塚不二夫さんなどが住んでいた『トキワ荘』のような感じでしたね。
みんなの介護 そうしたところで刺激を受け合って、今の監督がいらっしゃるんですね。
山崎 はい。天才たちに囲まれた学校生活はワクワクしましたね。生まれ育った長野の松本では、そもそも映画をつくっている人がいないので孤軍奮闘していましたから。それが、アサビには上手い人がいっぱいいて、自分も頑張ったら頑張っただけ注目してもらえて、本当に天国かと思いました。
みんなの介護 そのアサビを卒業して1986年に株式会社白組に入社。テレビコマーシャルや映画のミニチュア製作、伊丹十三監督作品でのVFXの担当を経て2000年の『ジュブナイル』で念願の映画監督デビューを果たされました。学生時代からの夢をずっと追い続けてこられたわけですね。
山崎 そうですね。映画をつくることが楽しくて楽しくて…。こういうことが仕事になったらどんなに良いだろうと学生時代からずっと思っていました。
アサビを卒業後は、白組のスタッフとして伊丹さんの映画のVFXを担当して、映画づくりを学びました。伊丹さんは若手の僕らとも対等に話してくれて、「映画ってこうやってつくるんだな」と、いろんなことを教わりましたね。
伊丹さんだからこそできていた映画づくりでもあったのですが、「責任を取るのが監督である」という心がまえもそのときに学びました。
チャンスが来たときに逃さないように、心構えは常にしています
みんなの介護 好きなことを仕事にして、それを続けていくのはなかなか難しいことだと思います。どのように監督業に取り組まれているのですか?
山崎 「好きなことを続けるためにどうすれば良いか」ということを、すごく真剣に考えています。僕がつくりたいのはエンターテイメント映画なので、できるだけ大勢の人に観てもらいたいし、基本的には「ヒットする」と確信を持ってつくっています。
みんなの介護 「真剣に考える」とは、具体的にはどういうことですか?
山崎 巡ってきたチャンスを掴むというか、チャンスが来たときに逃さない準備と心構えをしておくことでしょうか。「撮りたい」と思うテーマについては、常に考えるようにしていますよ。『永遠の0』もそういう積み重ねがあったんです。
子どもの頃から戦争や特攻隊をテーマにした漫画を読んでいて、特に、ちばてつやさんの『紫電改のタカ』(1963年連載開始)という漫画がとても好きでした。なぜ戦争があって、若者が特攻隊員として死ななくてはならないのか、この漫画にはそういった戦争のやるせなさがとても深く描かれています。
中でも、主人公が特攻で飛んでいくラストシーンが衝撃的で、「飛行機で体当たりするって、どんな気持ちなんだろう」と子ども心に何度も何度も考えていました。それで、いつか戦争や特攻隊員についての映画をつくりたいと思っていたんです。ですから、『永遠の0』の原作を読んだときは、そんな自分の気持ちにピタッときましたね。
みんなの介護 なるほど。自分のなかで常に企画をあたためておく、という感じでしょうか。
2019年7月には『アルキメデスの大戦』が公開されますね。『ドラゴン桜』で有名な三田紀房さん原作の人気コミックで、1933年の戦艦大和の建設計画がモチーフだとか。
山崎 戦艦大和をテーマにした映画も以前からつくりたかったんです。新たな切り口の「戦艦大和」を通じて、「戦争ってどうして起こるんだろう」とか「戦争って何なんだろう」といったことを考えるきっかけになってくれたらと思っています。
ただ、そうは言ってもエンターテイメント作品なので、問題提起はうっすら程度にとどめています。お金を払って劇場に来ているのに、「説教」されたくないじゃないですか。
みんなの介護 押しつけがましく「戦争はダメだ」と言うようなことですか?
山崎 そうです。お金を払って観に来ているのに説教されるなんて、これほど腹の立つことはないですよ(笑)。観に来ていただいて、心にひっかかったことを「おみやげ」として持って帰ってもらえれば良いですね。
脚本は映画の命。自分で書くからこそ「何を撮りたいか」が明確になる
みんなの介護 山崎監督は、『ジュブナイル』でデビューされてからずっと脚本もご自身で書かれていますね。
山崎 一緒にお仕事をさせていただいていた伊丹十三監督がそうだったので、自然にそうなったんです。「その映画で何を描きたいか」ということは脚本にいちばん反映されますから、これからも自分で書くつもりです。
みんなの介護 映画づくりでは脚本がいちばん重要なのですね。どのように書かれているんですか?
山崎 脚本はプロットの時間がいちばんかかりますね。毎回、違う題材を扱うので、そのジャンルに詳しい人から「良く知ってますね」と言ってもらえるレベルまで勉強するようにしています。「STAND BY ME ドラえもん」のときは、原作全巻を端から端まで何回も読み直しました。
最近はIP(Intellectual Property:漫画などの著作物やデザイン)に自分で新たなストーリーを加えることもじわじわ増えてきています。『DESTINY 鎌倉ものがたり』(2017年公開)は、原作の漫画に自分で考えて加筆する部分が多かったのですが、これも面白かったですね。
いつか、自分のオリジナルストーリーでゼロから映画をつくってみたい気持ちもあります。売れなかったらと思うと少し怖いですけどね(笑)。
感性を「リニューアル」し続けて、監督寿命を延ばしたい
みんなの介護 日本は「人生100年時代」といわれる長寿社会を迎え、「働き方」は大きなテーマのひとつとなっています。映画監督には定年はないと思いますが、働くことについてはどのように考えていらっしゃいますか?
山崎 僕も映画監督として生涯現役でいたいので、「あの監督なら失敗しないよね」って言われるために、興行的にもペイできるような作品をつくろうと常に思っていますよ。興味のあるジャンルについては本を読んだりして常に勉強も続けています。
ただ、ある一定の年齢になると、山田洋次監督のように「巨匠」と言われる監督でない限りは、ヒット作をつくれなくなってしまうみたいです。年をとって時代の感性についていけなくなるんでしょうね。
これは、ある部分では覚悟しないといけないんですが、感性を少しずつリニューアルしていって、「監督寿命」を延ばしていきたいと思っています。
みんなの介護 「監督寿命」ですか。初めて聞く言葉ですね。
山崎 僕も、今、初めて使いましたけど(笑)。「健康寿命」みたいな感じですね。ずっと良い映画をつくれる監督としての寿命です。
僕が撮りたい映画はエンターテインメントなので、自分より若い人たちも面白く感じられる作品にしなくてはならない。ですから、感性のリニューアルが必要になってきます。
みんなの介護 映画作りは、体力よりも「時代に合った感性」のほうが重要なのですね。
山崎 もちろん体力維持も大切なので心がけてはいますが、監督の仕事は、それよりも感性が大事なんです。
みんなの介護 感性をリニューアルするというのは、例えばどのようなことをするんですか?
山崎 若い人が楽しんでいるものに触れることですかね。読書もしますが、もともと漫画が好きなので電子書籍でついオトナ買いしてしまいます。僕のiPadに3,500冊くらいは入っていますね。
最近では、篠原健太さんの『彼方のアストラ』が本当に面白かったです。萩尾望都さんの漫画『11人いる!』(1975年連載開始)のようなSF作品です。 そうやって、まだまだ若い人向けの作品に心を動かされる自分であり続けたいですね。
意見をつなぐ,日本が変わる「賢人論」1
2019年5月3日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
BLOGOS 意見をつなぐ日本が変わる。 みんなの介護 2019年05月03日 14:10
ご参考URL=https://blogos.com/article/374841/
生まれてはじめて見るものばかり。
そんな昭和という時代には、「ワクワク感」があった - 「賢人論。」
今回の賢人論は『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズなどで知られる映画監督・山崎貴氏のインタビュー。『永遠の0(ゼロ)』など多くのヒット作を生み出し、2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックの開会式・閉会式の演出も任されている。「昭和を描く名手」として知られる山崎氏に、昭和という時代、そして平成とこれからの日本について話を伺った。取材・文/青山敬子
昭和という時代、みんなが熱く盛り上がるような「熱狂力」があった
みんなの介護 山崎監督の代表作である『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)は、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』『ALWAYS 三丁目の夕日’64 』と続編も好調でしたね。
いずれも昭和30年代の東京を舞台にされていますが、VFX技術(映像効果)を駆使して当時の様子を見事に表現し、数々の賞にも輝きました。大ヒットの背景には「古き良き昭和」の懐かしさがあると思います。
山崎 ありがたいことに多くの方に愛される作品になりました。ただ、実はいろいろ言われもしたんですよ。「昭和はあんなに良いことばかりじゃなかった」って。「昭和の町はあんなにきれいじゃなかった」とか、かと思えば「あんなに汚くなかった」とかね。よく聞いてみると、住んでいた場所によってもかなり違ったようですね。
みんなの介護 なるほど。見ている人によって感想が異なるのは、興味深いですね。
山崎 それに、「古き良き昭和」と言えば戦後以降のイメージですが、調べてみると、戦争が始まる前の昭和初期も平和で良い時代だったんです。「戦前の昭和を暗い時代だと思わないで欲しい」と言う方もいましたね。
それが、日清・日露戦争で勝ったことで、どんどん日本が戦争へ向かっていった。太平洋戦争へ突入したのは軍が暴走したからだとよく言われますが、それだけでもない、時代の雰囲気というものがあったみたいです。
みんなの介護 山崎監督ご自身は、1964年の1度目の東京オリンピックがあった年のお生まれだそうですね。
山崎 はい。「東京オリンピックの年の生まれ」というのはちょっと誇りに思っています。平成も終わるのに、自分の気持ち的にはまだ昭和にいるみたいですよ。平成にも慣れていないので、昭和が遠い時代になるのは不思議な気がします。
みんなの介護 そんな監督にとって、「昭和」という時代はどんな時代でしたか?
山崎 ひとことで言えば、「ワクワク感があった時代」ですかね。
あの頃は、洗濯機やテレビ、冷蔵庫など「生まれてはじめて見るもの」がどんどん家に来て、すごくワクワク感があったんです。勝手に洗濯してくれる機械だったり、何でかはわからないけど映像が見える箱だったり…。電子レンジは万能調理器だと思っていたのに、ただ温めるだけの機械だと知ってガッカリしたりね(笑)。
ウォークマンが出たときなんか、衝撃的でしたね。音楽を持ち運んで外で聴くなんて、まるで自分が映画の中に入ったような体験でしたから。
そういう、これまでになかった、想像もつかないようなものが次々出てくるので、家電を見るのが楽しみな時代でした。
今、家電を買ってもワクワクしないのは、「はじめて見るもの」ではないからでしょうね。これはどういうことかというと、今出てくるものは、確かに技術的には優れていますが、当時からあったものの「進化形」や「応用型」でしかないから、新鮮な驚きがないんだと思うんです。
でも、スマートフォンが登場した時は、ちょっと嬉しかったかな(笑)。
みんなの介護 たしかに昭和30年代は高度成長期でもあり、新幹線や高速道路など新しいものがどんどん出て来る時代でした。ああいう時代はもう来ないのでしょうか。
山崎 来ないでしょうね。昭和にはみんなが熱く盛り上がるような「熱狂力」がありましたが、最近はそれがあまりないように感じます。
苦労を乗り越えるからこそ、熱狂することができる
みんなの介護 日本あるいは日本人に「熱狂力」がなくなったのは、なぜだとお考えですか?
山崎 経済が成熟して、モノやサービスが簡単に手に入るようになったからでしょうか。お金が普通にあれば何でも簡単に手に入るので便利ではあるけれど、そこに達成感はないですよね。
僕は、「便利ならそれでいいのかな?」と思ってしまうんです。人間は何でか便利さを追い求めてしまいがちですが、「便利さ」の罠に、みんな気づいたほうが良い。「ラク」ってことに、人の心は動かないんですよ。だから、熱狂できない。
みんなの介護 簡単に手に入ったものを簡単に手放すのは、感動がないからですね。
山崎 僕はバンプ・オブ・チキンさんのライブによく行くのですが、そこではみんな熱狂していますよ。でも、それもきっと、いろいろなことを乗り越えて会場まで足を運ぶからこそ、生のバンドに会えたときの感動が大きいんだと思います。
映画も、今でこそスマートフォンや飛行機の機内で簡単に観られるようになりましたが、やっぱり本当は劇場で観て欲しいです。大きな画面で楽しめるように、すごく凝ってつくっていますしね。
AIには心がないからこそ、できることがあると思う
みんなの介護 先ほどの「熱狂力」の話で、昔は飛行機に乗るだけで近所の人が空港まで見送りに来て胴上げをしていた、なんてエピソードを思い出しました。今ではベトナムのような、経済が急速に発展している国で同じような光景が観られるそうです。改めて「昭和」という時代のエネルギーに圧倒されます。
山崎 『ALWAYS 三丁目の夕日』で描いた時代も楽しかったでしょうね。どう考えても「明日良くなる時代」ですから。
みんなの介護 これからの日本経済は成長するばかりか、人口減少によりどんどん縮小していくと言われていますから、高度経済成長期と比べると夢がないように感じますね(笑)。
山崎 いえいえ、そうは言っても僕は新しいもの好きですから、平成の次の時代も楽しみですよ。AIの技術がどこまで進んでいくのかなんて特に興味があります。僕としては、話し相手になってくれるようなAIに登場して欲しいですね。
みんなの介護 まさに、ドラえもんのようなAIですか?
山崎 いえ、ドラえもんのようにのび太くんを叱咤激励するのではなく、甘やかしてくれるAIが良いですね(笑)。ドラえもんはのび太くんを成長させるためのロボットなので結構厳しいですから。絶対に怒ったり、いじわるをしないAIが、自分をほめてくれたり、アドバイスをしてくれたりすれば、AIのことをだんだん好きになると思うんです。
今すぐには実現不可能でしょうけれど、技術が進歩していって「心があるとしか思えないようなAI」がきっと現れると思いますよ。そういうAIに「昭和の頑固じじい」みたいな人がほだされてメロメロになっていくのを見てみたいですね。
みんなの介護 それは面白そうですね!
山崎 きちんとチューニングができれば、それこそ介護のような感情労働(顧客に対して感情を抑えることで賃金を得る介護士や看護師、飛行機の客室乗務員など)にも向いているかもしれません。AIは、お年寄りから罵詈雑言を浴びせられても精神を病みませんからね。
みんなの介護 「AIには心がないから介護はできない」とよく言われますが、逆転の発想ですね。
お年寄りでも劇場に足を運びたくなる、そんな映画をつくっていきたい
みんなの介護 監督ご自身は介護を経験されたことはありますか?
山崎 いえ、同世代にそういう問題を抱えている人が増えてはいますが、両親も元気なので、自分のこととして介護を考えることはまだ難しいですね。
みんなの介護 今後、介護の映画をつくられるご予定は?
山崎 僕が撮るような映画で扱うのは難しいですね。若い頃かかわらせていただいた伊丹十三監督は社会問題をエンターテイメントにするのが得意だったので、今もご健在だったら介護を題材にして素晴らしい映画をつくられたかもしれません。
みんなの介護 伊丹さんと言えば、「マルサの女」などで知られる昭和を代表する映画監督ですね。
山崎 はい。伊丹さんとは系統が異なりますが、僕の作品はエンターテイメントものと言っても、昭和や戦争を扱ったものが多いので、多くのシニアの方々にも観ていただいているみたいです。『ALWAYS~』のときには、若いスタッフから「はじめて親にチケットを贈ります」と言われて、すごく嬉しかったですね。
今のシニア世代は、若い頃、映画館まで映画を観に行っていた世代です。その方々がワクワクして映画館に行きたくなるような映画をつくり続けていきたいと思っています。
みんなの介護 お年寄りが喜んで映画館に足を運ぶのは、介護予防にも良さそうです。
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
BLOGOS 意見をつなぐ日本が変わる。 みんなの介護 2019年05月03日 14:10
ご参考URL=https://blogos.com/article/374841/
生まれてはじめて見るものばかり。
そんな昭和という時代には、「ワクワク感」があった - 「賢人論。」
今回の賢人論は『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズなどで知られる映画監督・山崎貴氏のインタビュー。『永遠の0(ゼロ)』など多くのヒット作を生み出し、2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックの開会式・閉会式の演出も任されている。「昭和を描く名手」として知られる山崎氏に、昭和という時代、そして平成とこれからの日本について話を伺った。取材・文/青山敬子
昭和という時代、みんなが熱く盛り上がるような「熱狂力」があった
みんなの介護 山崎監督の代表作である『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)は、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』『ALWAYS 三丁目の夕日’64 』と続編も好調でしたね。
いずれも昭和30年代の東京を舞台にされていますが、VFX技術(映像効果)を駆使して当時の様子を見事に表現し、数々の賞にも輝きました。大ヒットの背景には「古き良き昭和」の懐かしさがあると思います。
山崎 ありがたいことに多くの方に愛される作品になりました。ただ、実はいろいろ言われもしたんですよ。「昭和はあんなに良いことばかりじゃなかった」って。「昭和の町はあんなにきれいじゃなかった」とか、かと思えば「あんなに汚くなかった」とかね。よく聞いてみると、住んでいた場所によってもかなり違ったようですね。
みんなの介護 なるほど。見ている人によって感想が異なるのは、興味深いですね。
山崎 それに、「古き良き昭和」と言えば戦後以降のイメージですが、調べてみると、戦争が始まる前の昭和初期も平和で良い時代だったんです。「戦前の昭和を暗い時代だと思わないで欲しい」と言う方もいましたね。
それが、日清・日露戦争で勝ったことで、どんどん日本が戦争へ向かっていった。太平洋戦争へ突入したのは軍が暴走したからだとよく言われますが、それだけでもない、時代の雰囲気というものがあったみたいです。
みんなの介護 山崎監督ご自身は、1964年の1度目の東京オリンピックがあった年のお生まれだそうですね。
山崎 はい。「東京オリンピックの年の生まれ」というのはちょっと誇りに思っています。平成も終わるのに、自分の気持ち的にはまだ昭和にいるみたいですよ。平成にも慣れていないので、昭和が遠い時代になるのは不思議な気がします。
みんなの介護 そんな監督にとって、「昭和」という時代はどんな時代でしたか?
山崎 ひとことで言えば、「ワクワク感があった時代」ですかね。
あの頃は、洗濯機やテレビ、冷蔵庫など「生まれてはじめて見るもの」がどんどん家に来て、すごくワクワク感があったんです。勝手に洗濯してくれる機械だったり、何でかはわからないけど映像が見える箱だったり…。電子レンジは万能調理器だと思っていたのに、ただ温めるだけの機械だと知ってガッカリしたりね(笑)。
ウォークマンが出たときなんか、衝撃的でしたね。音楽を持ち運んで外で聴くなんて、まるで自分が映画の中に入ったような体験でしたから。
そういう、これまでになかった、想像もつかないようなものが次々出てくるので、家電を見るのが楽しみな時代でした。
今、家電を買ってもワクワクしないのは、「はじめて見るもの」ではないからでしょうね。これはどういうことかというと、今出てくるものは、確かに技術的には優れていますが、当時からあったものの「進化形」や「応用型」でしかないから、新鮮な驚きがないんだと思うんです。
でも、スマートフォンが登場した時は、ちょっと嬉しかったかな(笑)。
みんなの介護 たしかに昭和30年代は高度成長期でもあり、新幹線や高速道路など新しいものがどんどん出て来る時代でした。ああいう時代はもう来ないのでしょうか。
山崎 来ないでしょうね。昭和にはみんなが熱く盛り上がるような「熱狂力」がありましたが、最近はそれがあまりないように感じます。
苦労を乗り越えるからこそ、熱狂することができる
みんなの介護 日本あるいは日本人に「熱狂力」がなくなったのは、なぜだとお考えですか?
山崎 経済が成熟して、モノやサービスが簡単に手に入るようになったからでしょうか。お金が普通にあれば何でも簡単に手に入るので便利ではあるけれど、そこに達成感はないですよね。
僕は、「便利ならそれでいいのかな?」と思ってしまうんです。人間は何でか便利さを追い求めてしまいがちですが、「便利さ」の罠に、みんな気づいたほうが良い。「ラク」ってことに、人の心は動かないんですよ。だから、熱狂できない。
みんなの介護 簡単に手に入ったものを簡単に手放すのは、感動がないからですね。
山崎 僕はバンプ・オブ・チキンさんのライブによく行くのですが、そこではみんな熱狂していますよ。でも、それもきっと、いろいろなことを乗り越えて会場まで足を運ぶからこそ、生のバンドに会えたときの感動が大きいんだと思います。
映画も、今でこそスマートフォンや飛行機の機内で簡単に観られるようになりましたが、やっぱり本当は劇場で観て欲しいです。大きな画面で楽しめるように、すごく凝ってつくっていますしね。
AIには心がないからこそ、できることがあると思う
みんなの介護 先ほどの「熱狂力」の話で、昔は飛行機に乗るだけで近所の人が空港まで見送りに来て胴上げをしていた、なんてエピソードを思い出しました。今ではベトナムのような、経済が急速に発展している国で同じような光景が観られるそうです。改めて「昭和」という時代のエネルギーに圧倒されます。
山崎 『ALWAYS 三丁目の夕日』で描いた時代も楽しかったでしょうね。どう考えても「明日良くなる時代」ですから。
みんなの介護 これからの日本経済は成長するばかりか、人口減少によりどんどん縮小していくと言われていますから、高度経済成長期と比べると夢がないように感じますね(笑)。
山崎 いえいえ、そうは言っても僕は新しいもの好きですから、平成の次の時代も楽しみですよ。AIの技術がどこまで進んでいくのかなんて特に興味があります。僕としては、話し相手になってくれるようなAIに登場して欲しいですね。
みんなの介護 まさに、ドラえもんのようなAIですか?
山崎 いえ、ドラえもんのようにのび太くんを叱咤激励するのではなく、甘やかしてくれるAIが良いですね(笑)。ドラえもんはのび太くんを成長させるためのロボットなので結構厳しいですから。絶対に怒ったり、いじわるをしないAIが、自分をほめてくれたり、アドバイスをしてくれたりすれば、AIのことをだんだん好きになると思うんです。
今すぐには実現不可能でしょうけれど、技術が進歩していって「心があるとしか思えないようなAI」がきっと現れると思いますよ。そういうAIに「昭和の頑固じじい」みたいな人がほだされてメロメロになっていくのを見てみたいですね。
みんなの介護 それは面白そうですね!
山崎 きちんとチューニングができれば、それこそ介護のような感情労働(顧客に対して感情を抑えることで賃金を得る介護士や看護師、飛行機の客室乗務員など)にも向いているかもしれません。AIは、お年寄りから罵詈雑言を浴びせられても精神を病みませんからね。
みんなの介護 「AIには心がないから介護はできない」とよく言われますが、逆転の発想ですね。
お年寄りでも劇場に足を運びたくなる、そんな映画をつくっていきたい
みんなの介護 監督ご自身は介護を経験されたことはありますか?
山崎 いえ、同世代にそういう問題を抱えている人が増えてはいますが、両親も元気なので、自分のこととして介護を考えることはまだ難しいですね。
みんなの介護 今後、介護の映画をつくられるご予定は?
山崎 僕が撮るような映画で扱うのは難しいですね。若い頃かかわらせていただいた伊丹十三監督は社会問題をエンターテイメントにするのが得意だったので、今もご健在だったら介護を題材にして素晴らしい映画をつくられたかもしれません。
みんなの介護 伊丹さんと言えば、「マルサの女」などで知られる昭和を代表する映画監督ですね。
山崎 はい。伊丹さんとは系統が異なりますが、僕の作品はエンターテイメントものと言っても、昭和や戦争を扱ったものが多いので、多くのシニアの方々にも観ていただいているみたいです。『ALWAYS~』のときには、若いスタッフから「はじめて親にチケットを贈ります」と言われて、すごく嬉しかったですね。
今のシニア世代は、若い頃、映画館まで映画を観に行っていた世代です。その方々がワクワクして映画館に行きたくなるような映画をつくり続けていきたいと思っています。
みんなの介護 お年寄りが喜んで映画館に足を運ぶのは、介護予防にも良さそうです。