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【昨日転載/の経ビジネスON LINEのつづき】
月照の思い

 もしかしたら、聡明な月照は早くから西郷隆盛の可能性を見抜き、すべてを悟って、西郷の邪魔にならないよう自分だけが世を去ったのかもしれません。というのも入水のとき、西郷と月照が乗っていた船には2人の藩士が同乗していて、ふとしたことで西郷と月照が絡み合うように海に落ちた後、びっくりした藩士たちがたちまち引き上げたというエピソードが残っているのです。そのとき月照はすでに息絶え、西郷にはまだ息があって助かりました。もし、船に藩士が同乗していなかったら、西郷も命を落としていたに相違ありません。改めて考えれば、入水自殺をするために乗った船に、他人が2人も乗っているのは不思議です。
 ただ、これが月照の計画だったとしたら腑に落ちるのです。あくまで仮説ですが、もともと西郷には月照と入水自殺するつもりはなく、離島に身を隠すために船に乗ったとは考えられませんでしょうか。そのことを裏付けるかのようなエピソードも残っています。藩政を握った島津斉興が月照を離島に匿うように家臣に命じたというのです。もし、その指示のもとで離島に向かっていたのだとしたら、2人の藩士が同乗していたことも納得できます。
 しかし月照は「自分がいたら西郷に迷惑がかかる」と思って、途中で海に身を投じようとしたのではないでしょうか。それを情に厚い西郷が助けようとして2人は絡み合って海に落ちたとは考えられませんでしょうか。さらに月照は、西郷の情の深さまでをも見抜いて「寒中の海に身を投じたら、2人の藩士はすぐ引き上げるに違いない。そのとき体が弱い自分は死ぬが、体格がよく若い西郷は助かるだろう。そして西郷は自分だけが生き残ったことに責任を感じてさらに大志を追うに違いない」そう考えていたとしたら、月照の辞世の句には、さらに深い意味が感じられるのです。
 そして西郷隆盛は(月照が見抜いたとおり?)自分だけが生き残ったことを猛烈に恥じ、もがき苦しみます。薩摩藩もそんな西郷を奄美大島へ蟄居させました。その間に江戸で「桜田門外の変」が起こり、井伊直弼が暗殺されて「安政の大獄」は終わりを告げ、西郷隆盛が時代を動かす時がやってくるのです。

恩人を知る

 もちろん、月照の辞世の句を読み解いたくだりは仮説にすぎませんが、そう仮定するだけでも、西郷を思い、可能性を見抜いた月照の配慮が感じられて心が温まります。西郷隆盛を京都で救った月照は最後まで恩人だったのです。
 私たちの人生においても新しい世界へ歩み出す時が訪れ、そこには必ず、誰かが関わっているはずです。その人が恩人かどうかは、すぐにわからないことが多いものです。
 たとえば、春の人事異動で意に添わない部署への異動を命じられたとしましょう。あなたは、そんな辞令を出した上司を憎んでしまうかもしれません。しかし、上司は会社の新しい方針を知っていて、あなたの才能を伸ばすために新しい部署への異動を命じたのかもしれません。つまりチャンスを与えるつもりかもしれないのです。
 ただ、恩は後にならないとわからないものです。そして自分の価値観だけでやる気を失ってしまったり、ましてや絶望して自殺などという道を選んでしまったら、せっかくのチャンスをみずから手放してしまうことになります。
 だからこそ、まずは示された道に飛び込んで、一歩を踏み出した方がいいのです。そのうち、西郷隆盛が蟄居中に「桜田門外の変」が起こったように、環境を一変する出来事が起こるかもしれません。人生一歩先は闇、というか、明るくなるかもしれないのだから。

 最後に西郷隆盛の名言をご紹介しましょう。
 間違いを改めるとき、自ら間違っていたと気付けばそれでいい。そのことを捨てて、ただちに一歩を踏み出すべし。
 間違いを悔しく思い、取り繕うと心配することは、たとえば茶碗を割り、その欠けたものを合わせてみるようなもので、意味がないことである。
 挑戦して失敗してもやり直せばそれでいいこと。西郷隆盛は「将来のことなど考えず、今を懸命に生きるのが良か」と教えてくれているようです。