小川老年学専門家講演:生涯現役社会
2016年6月25日 お仕事サンパウロ新聞:2016年6月24日付
【URL=http://saopauloshimbun.com/archives/54584】
「生涯現役社会をめざして」 老年学専門家、小川氏講演会
【小川全夫(おがわたけお)氏 PROFILE:1943年生まれ。九州大学大学院文学研究科修士課程を修了 後、宮崎大学、山口大学、九州大学勤務を経歴。地域社会学、中山間地域政策、 農山村地域の今後の展望として、都市と農村各々の役割分担を前提とした共生関係、パートナーシップを確立した新しい形の”まち”と”むら”の提携を呼びかけている。国土審議会計画部会自立地域社会専門 委員会委員、福岡県国土形成計画検討委員会委員、山口県 高齢者保健福祉推進会議会会長など。】
九州大学と山口大学の名誉教授を務める社会老年学の専門家、小川全夫(おがわ・たけお、72)氏が、17日午前9時からサンパウロ市リベルダーデ区の熟年クラブ連合会ホールで「生涯現役社会をめざして」と題した講演会を行い、47人が参加した。
小川氏はNPO法人アジアン・エイジング・ビジネスセンターの理事長や、全国老人クラブ連合会の評議員を務めており、アジア諸国を中心に世界各国を訪れ、それぞれの国の介護について比較研究している。
小川氏の来伯に協力した鹿児島県人会の松村滋樹会長は「小川先生の話が少しでも何かのヒントになれば」とあいさつを述べた。約50年前に日本海外学生移住連盟の第7次団で伯国訪問経験を持つ小川氏は「何らかの形でブラジルと関わりたかった」と話す。
講演会では「高齢者がいかにして、生涯活躍し続けられるか」が説明された。日本では85歳を超えると約半数が要介護の状態になっているという。
小川氏によると健康で長生きできる秘訣は「『働く・喋る・くよくよしない』の3点が重要」と説明する。また、日本では定年退職後も働きたい人が登録し、仕事が振り分けられる「シルバー人材センター」や、会話ロボットや、介護ロボットなども開発されているという。「新しい技術もどんどん取り入れていくべき。それを海外にも広めていきたい。また、同世代同士で助け合いながら生涯現役社会を構築していくことが重要」と語った。
講演会後の質疑応答では「ブラジルと日本は全く違う。日本は恵まれている」という意見が出された。小川氏は「政府間の協力を得て、東南アジアでの福祉活動に力を入れているが、それが今の混乱したブラジルでは難しいので、政府を通さずに民間で福祉活動に取り組まざるを得ない。しかし、ブラジルには老年学の研究者もいるので、今後伯国の高齢者社会の現状について詳しく話を聞く予定」と語った。
聖州モジ・ダス・クルーゼス市在住の田附正甫さん(74、千葉)は「日本は共存共栄の社会。それに対してブラジルは個人主義の社会。日本の方法をそのまま伯国に用いるのは無理があるだろう。この国はラテン系独特の文化があり、人も陽気。ブラジルから日本の高齢者社会に生かせることもあるのでは」と率直な感想を語った。
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【サンパウロ新聞/沿革等】
ブラジルでは戦前から日本語新聞が発刊されていました。しかし、第2次世界大戦でブラジルが連合国側になったため日系社会は敵性国として様々な制約を受けました。その一つが、日本語新聞の発行禁止でした。戦前発行していた各紙はそれぞれ停刊や廃刊し、日本語による集会なども禁止されました。
そして、終戦を迎えたとき、ブラジルの日系社会の中でポルトガル語を理解できなかった日本人移住者は、世界で何が起こっていたのか、正しい情報を知ることができませんでした。このため、ブラジルに住む日本人同士が「日本が勝った、負けた」と殺人事件にまで発展、20人以上が犠牲になった「勝組、負組」事件が起こりました。
このため、日本語による正しい情報の伝達の必要性を痛感した移住者の水本光任(みずもと・みつと、熊本県出身)は、サンパウロ新聞社を設立し、ブラジル連邦政府と交渉し、日本語による新聞発行の許可を得て、1946年10月12日、戦後初の邦字新聞「サンパウロ新聞」を創刊しました。
以後、サンパウロ新聞社は、日本人移住者及び日系人の耳目となり新聞発行を行う一方で、日本とブラジルの親善交流の架け橋役として微力ながら両国の交流に務めてきまし た。これまで、日本の大相撲公演をはじめ流鏑馬、相馬野馬追などの公演、長良川花火、長岡花火打ち上げなど日本の伝統文化の紹介に力を注いできました。
また、これまで、ブラジルへ移住したまま消息の途絶えた人たちの消息調査 キャンペーン、ブラジルの日系人子弟と日本の子供たちの文通キャンペーンなど幅広い活動も展開してきました。現在は、紙面企画として、日本語教育キャンペーンと題して日本語を学ぶ児童や日本語学校を対象としたページを設け、日本語普及にも協力しています。
2001年6月からカラー印刷を開始。
◎ 社是:日系社会の発展に寄与し、日本人移住者及び日系人の耳目になること。日本文化をブラジル社会に紹介するため、日本とブラジルの架け橋となり交流事業を積極的に行うこと。
◎ 発行:日刊(日曜、月曜休刊。週5日発行)。大版。通常8~10ページ建て(内1ページはポルトガル語)。
◎ その他:読者はアマゾン地域から隣国のアルゼンチン、ボリビア、パラグアイの一部に広がっており、約90%が日本からの移住者及び日系人。残りは進出企業の駐在員などの長期滞在者。 現在、新聞発行のほか、日系社会での文化活動の支援および日本とブラジルの文化交流に力を注いでいます。
【URL=http://saopauloshimbun.com/archives/54584】
「生涯現役社会をめざして」 老年学専門家、小川氏講演会
【小川全夫(おがわたけお)氏 PROFILE:1943年生まれ。九州大学大学院文学研究科修士課程を修了 後、宮崎大学、山口大学、九州大学勤務を経歴。地域社会学、中山間地域政策、 農山村地域の今後の展望として、都市と農村各々の役割分担を前提とした共生関係、パートナーシップを確立した新しい形の”まち”と”むら”の提携を呼びかけている。国土審議会計画部会自立地域社会専門 委員会委員、福岡県国土形成計画検討委員会委員、山口県 高齢者保健福祉推進会議会会長など。】
九州大学と山口大学の名誉教授を務める社会老年学の専門家、小川全夫(おがわ・たけお、72)氏が、17日午前9時からサンパウロ市リベルダーデ区の熟年クラブ連合会ホールで「生涯現役社会をめざして」と題した講演会を行い、47人が参加した。
小川氏はNPO法人アジアン・エイジング・ビジネスセンターの理事長や、全国老人クラブ連合会の評議員を務めており、アジア諸国を中心に世界各国を訪れ、それぞれの国の介護について比較研究している。
小川氏の来伯に協力した鹿児島県人会の松村滋樹会長は「小川先生の話が少しでも何かのヒントになれば」とあいさつを述べた。約50年前に日本海外学生移住連盟の第7次団で伯国訪問経験を持つ小川氏は「何らかの形でブラジルと関わりたかった」と話す。
講演会では「高齢者がいかにして、生涯活躍し続けられるか」が説明された。日本では85歳を超えると約半数が要介護の状態になっているという。
小川氏によると健康で長生きできる秘訣は「『働く・喋る・くよくよしない』の3点が重要」と説明する。また、日本では定年退職後も働きたい人が登録し、仕事が振り分けられる「シルバー人材センター」や、会話ロボットや、介護ロボットなども開発されているという。「新しい技術もどんどん取り入れていくべき。それを海外にも広めていきたい。また、同世代同士で助け合いながら生涯現役社会を構築していくことが重要」と語った。
講演会後の質疑応答では「ブラジルと日本は全く違う。日本は恵まれている」という意見が出された。小川氏は「政府間の協力を得て、東南アジアでの福祉活動に力を入れているが、それが今の混乱したブラジルでは難しいので、政府を通さずに民間で福祉活動に取り組まざるを得ない。しかし、ブラジルには老年学の研究者もいるので、今後伯国の高齢者社会の現状について詳しく話を聞く予定」と語った。
聖州モジ・ダス・クルーゼス市在住の田附正甫さん(74、千葉)は「日本は共存共栄の社会。それに対してブラジルは個人主義の社会。日本の方法をそのまま伯国に用いるのは無理があるだろう。この国はラテン系独特の文化があり、人も陽気。ブラジルから日本の高齢者社会に生かせることもあるのでは」と率直な感想を語った。
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【サンパウロ新聞/沿革等】
ブラジルでは戦前から日本語新聞が発刊されていました。しかし、第2次世界大戦でブラジルが連合国側になったため日系社会は敵性国として様々な制約を受けました。その一つが、日本語新聞の発行禁止でした。戦前発行していた各紙はそれぞれ停刊や廃刊し、日本語による集会なども禁止されました。
そして、終戦を迎えたとき、ブラジルの日系社会の中でポルトガル語を理解できなかった日本人移住者は、世界で何が起こっていたのか、正しい情報を知ることができませんでした。このため、ブラジルに住む日本人同士が「日本が勝った、負けた」と殺人事件にまで発展、20人以上が犠牲になった「勝組、負組」事件が起こりました。
このため、日本語による正しい情報の伝達の必要性を痛感した移住者の水本光任(みずもと・みつと、熊本県出身)は、サンパウロ新聞社を設立し、ブラジル連邦政府と交渉し、日本語による新聞発行の許可を得て、1946年10月12日、戦後初の邦字新聞「サンパウロ新聞」を創刊しました。
以後、サンパウロ新聞社は、日本人移住者及び日系人の耳目となり新聞発行を行う一方で、日本とブラジルの親善交流の架け橋役として微力ながら両国の交流に務めてきまし た。これまで、日本の大相撲公演をはじめ流鏑馬、相馬野馬追などの公演、長良川花火、長岡花火打ち上げなど日本の伝統文化の紹介に力を注いできました。
また、これまで、ブラジルへ移住したまま消息の途絶えた人たちの消息調査 キャンペーン、ブラジルの日系人子弟と日本の子供たちの文通キャンペーンなど幅広い活動も展開してきました。現在は、紙面企画として、日本語教育キャンペーンと題して日本語を学ぶ児童や日本語学校を対象としたページを設け、日本語普及にも協力しています。
2001年6月からカラー印刷を開始。
◎ 社是:日系社会の発展に寄与し、日本人移住者及び日系人の耳目になること。日本文化をブラジル社会に紹介するため、日本とブラジルの架け橋となり交流事業を積極的に行うこと。
◎ 発行:日刊(日曜、月曜休刊。週5日発行)。大版。通常8~10ページ建て(内1ページはポルトガル語)。
◎ その他:読者はアマゾン地域から隣国のアルゼンチン、ボリビア、パラグアイの一部に広がっており、約90%が日本からの移住者及び日系人。残りは進出企業の駐在員などの長期滞在者。 現在、新聞発行のほか、日系社会での文化活動の支援および日本とブラジルの文化交流に力を注いでいます。